アルカトラズを舞台にした3本の映画のことについての話をしたい。 1本は純粋に娯楽アクション映画の「ザ・ロック」(The Rock)1996年公開。
映画の話。「The Rock」はショーン・コネリー主演。”ザ・ロック”
FBI特別捜査官(ニコラス・
アルカトラズ連邦刑務所での過剰な虐待を告発し、
刑務所は一年後の1963年閉鎖された。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
アルカトラズを舞台にした3本の映画のことについての話をしたい。 1本は純粋に娯楽アクション映画の「ザ・ロック」(The Rock)1996年公開。
映画の話。「The Rock」はショーン・コネリー主演。”ザ・ロック”
FBI特別捜査官(ニコラス・
アルカトラズ連邦刑務所での過剰な虐待を告発し、
刑務所は一年後の1963年閉鎖された。
先日、映画「真昼の決闘」(High Noon)をNHK・BSで観ました。主役は人気絶頂時のGary Cooper (ゲイリー クーパー)、ヒロインはまだ無名のGrace Kellyです(後にモナコ公国の公妃)。
私事ですが、1991-1993の2年間アイルランド政府商務庁で勤務していました。NHK・BSを観ながら、アイリッシュウイスキーの日本向け輸出支援するために、ウイスキーABCの勉強と、醸造所を訪問したことを思いだしました。 思いだすままに、いくつかのウイスキー小話を書いてみたいと思います。ご興味のある方は頭の体操として読み進んでください。
「真昼の決闘」を観た高校生のときから芸名と思っていたCooperが、実は「桶屋」とか「樽造屋」を意味する一般名詞であると説明を受けてビックリしました。
ウイスキー造りにはウイスキー樽が不可欠です。小さいながらも数百もの醸造所が存在するようになった18世紀後半のアイルランドでは慢性的に樽数が不足しCooperの獲得が喫緊課題となり、成人男子全員がCooperの村があちこちに出現したそうです。ウイスキー造りが盛んだったスコットランドやイングランド東部でも同じだったとのことです。
Gary Cooperの父親はイングランド出身のMr. Charles Cooperです。両親がアメリカに移住しなければGary Cooperも樽造屋さんになっていたのかもしれません。
追記:Charles Cooper夫妻がアメリカに移住した年は不明です。AIに訊ねたら「チャールズ・ヘンリー・クーパーは、1924年に家族と共にアメリカに移住した」と答えてくれましたが、「ゲーリークーパーは1901年アメリカ合衆国モンタナ州出身の俳優」という別の情報と矛盾します。樽造りであるていどの蓄えを作った父親が、一旗あげるために、1890年代に米国に移住したと推測しています。
つめて言うと、ウイスキーは醸造したアルコールを木の樽に入れて3年以上熟成したものです。アイルランドもスコットランドもオーク材を使って自国で樽を造っているとばかり思っていましたが、1970年あたりからアメリカからバーボン醸成に使った後の空樽を輸入して、傷んだところを修理しながら使いまわしていると聞いてビックリしました。
キッカケは1964年成立のバーボン法で、バーボン原酒の熟成には新しい樽を使用する義務が生じたことだそうです。アメリカで空樽を安価で入手できるようになり、Cooperの成り手が少なくなったアイルランドとスッコトランドが輸入・再利用するのが一般化したそうです。伐採するオークの木も減らせて、三方良しです。(ダブリンにある修復作業場で私が撮った写真を添付してあります)。
記:AIに訊ねたら次のように答えてくれました。「日本ウイスキー樽の多くは日本国内で生産されています。特に、ミズナラ(ジャパニーズオーク)を使用した樽は日本特有のもので、日本国内の蒸溜所で製造されています。秩父蒸溜所や山崎蒸溜所などがその代表例です」
3.アイリッシュは3回蒸留しスコッチは2回蒸留な純度が違う
アイルランドとスコットランドがウイスキーの発祥地と言われていますが、アイルランド商務庁によると、蒸留回数がアイリッシュは3回、スコッチは2回が一般的でアイリッシュの純度が高く、これが「セールスポイント」だそうです。
蒸留回数が3回で質の良い「アイリッシュ」は20世紀初頭までウイスキーの代名詞だったそうです。特に19世紀半ばのジャガイモ飢饉以降沢山のアイルランド人が移住したアメリカでは、絶対的な強さだったといいます。
そのアイリッシュがスコッチにその座を奪われた理由は、アイルランド商務庁の説明によると、アメリカの禁酒法(1920-1933年)、二度にわたる世界大戦、イギリスからの独立など人為的原因が重なったことのようです。中でも打撃が大きいのは、海外の米軍基地のPXやバーでスコッチが優勢になったことで、第二次世界大戦以降はスコッチがウイスキーの代名詞になったそうです。
5.「BUSHMILLS」(ブッシュミル)が現存する最古の蒸留所
アイルランドの最北端に、1608年に創業の「BUSHMILLS」(ブッシュミル)という蒸留所があり、現存する世界最古の蒸溜所だそうです。まろやかさに引かれて、アイルランド在住時に好んで飲んだものです。
日本にも輸入されていて、ボトルラベルに「Since 1608/Tripled Distilled Finest Blend/World’s Oldest」(祖業1608年/3回蒸留/世界最古)と印刷されていています。輸入元はアサヒビール株式で、十分な根拠があるものと思います。
(編集子)数年前、英国旅行を試みたとき、ブッシュミルの醸造所に行った。樽のことまでは頭が回らなかったが、いいところだった。ウイスキーに詳しい人は大勢いると思うので、今晩あたりは樽のことなど思いを至らせたらいかが。
81年生きてきて、日本に「女王」なる称号があることを初めて知りました。皆さん、知ってました?
今日、徹子の部屋をビデオで観たら、掲題女性がゲストで、皇室の方のようでしたが、「女王」というのはニックネームかと思いました。
それと、字幕に「留学体験記」とあったので、そうか、以前ミッキーさん(ヤッコさん?)から紹介のあった「赤と青のガウン」の作者なんだ、と気が付きました。改めて読みたいと思います。
さて、ネットで調べたら、天皇の子と孫に当たる女性皇族を「内親王」(愛子様、佳子様)、ひ孫以下の女性皇族を「女王」(三笠宮家の彬子様と妹の瑤子様及び高円宮家の承子様)と呼ぶのだそうです。
それにしても皇室の危機は半端ではありませんね。高年齢の上皇夫妻、常陸宮夫妻、三笠宮妃の他は、天皇夫妻、愛子様、秋篠宮夫妻、佳子様, 悠仁様、三笠宮寬仁妃、彬子様、瑤子様、高円宮妃、承子様の12名(男性3名)しかいません。
(編集子)ついでに 女王 の読み方も調べてもらえないか?
(編集子) この夏、おくればせながらコロナにかかって禁足になり、そのあとはこの猛暑で外出はほとんどしていない。その分、今までは大河ドラマとジャイアンツが勝ってる試合くらいしか見なかったテレビを見ざるを得なくなった。番組ハントを始めると気になりだしたのが、(このチャンネルはご契約いただいていません)というメッセージで、それに伴って(ほかの人は知ってるのかもしれないが)知りたくなったことがある。なまじっか、中学時代から細々と続けているアマチュア無線で身についた、電波伝搬だとか同調回路とかいうベーシックな知識が邪魔して疑問がなくらないので、こういう時には(手のひらを返したように)頼りにしてきた44年卒サブローこと浅野三郎に尋ねてみた。慎重な彼は念のため、同じハム仲間でこの道の専門家である内田氏のご教示を仰いでくれた。こういうことを不思議がるキジンがほかにもいるのではと思い、同氏のご許可をいただいてその解答全文を転載する。追加コメントをくれた船津於菟彦は大手商社でこの手の商売を手掛けていた。
(1)なんで俺がこの局と契約してないってわかるの?
デジタルTVには B-CAS カードというのが入っていて、このカードの番号が管理されていま
> https://www.b-cas.co.jp/co_inf
>
> 契約しているB-CASカードが入っているTVに対して、スク
>
NHK-BSは一世帯単位での契約なので、一軒の中で何台TV
(2)契約済ませたら俺のチューナーが動くようにしなければなら
>
契約しているB-CASカードが入っているTVに対して、スク
(3)契約したから権利はあるはずで金も払うんだが、引っ越して
>
パラボラアンテナ上げて、CS,BSを見ている場合、契約したB
>
マンション等よっては、共同アンテナで、CS,BSを屋上等で受
(編集子)BCASカードが最初からメーカー指定の内容になっているんだっ
(普通部OB船津)商売ですよ、皆スクランブル掛けてやれば良いのにNHKは普通波
お空にはBS用とCS番組用が打ち上げられているわけです。小生
戸建ての家はBS用とCS用のアンテナが必要ですね。今は光ケー
話題に直接関係ないが、内田さんのアマチュア無線局コールサインは JJ1RDX(浅野君はJA1MRM ,編集子はJA1AJK)。
(例によってグーグル君のいわく)
B-CAS(ビーキャス)カードは、テレビやレコーダーに挿入されている、スカパー!のBS・CS放送を視聴するために必要なカードです。
赤色のカードで、裏面に「0000」で始まる20桁のB-CASカード番号が記載されています。
(小生、何か悪いことをしたのか、正体不明の何物かに感染して(ただし、「武漢ウイルス」は陰性)、8月13日から9月9日まで入院していました。その間、暇を持て余してテレビを見ました。添付は、そこで見たエーガの感想です。ですが、病室で最も熱心に見たテレビの番組は、実はエーガではなく、本塁打を期待して大谷翔平の出るドジャースの野球中継でした。繋ぎの投手、例えば、ハニウェル、バンダ、ハドソン等の名前まで憶えてしまいましたが、話しの焦点がボヤケてしまうので、ここではエーガの話しだけに限ることにします)
病室で見たエーガは、次の3本だ。「勇気ある追跡」(原題:True Grit。1969年)、「小さな巨人」(原題:Little Big Man 。1970年)、「J.エドガー」(原題:J.Edgar 。2011年)。
そうそう、忘れていたのが、「ベートーベン」(原題:Beethoven。1992年)。と言うほど、犬を主人公としたこのエーガの印象は極めて薄い。小泉先輩が言われているように、見る必要の全くないエーガであり、後に、ネットを見たら、コメディと銘打っているのだが、一度も、コソットモ笑えなかった。暇つぶしにしても途轍もなく退屈なエーガだった、と言わざるを得ない。
「勇気ある追跡」は、J.ウェインがアカデミー賞の主演男優賞を、唯一、獲得した西部劇だが、別にここでのウェインが、他の出演作品に較べて際立って良かったわけではない。話しは、父を殺された娘が、独眼竜政宗ならぬ左目にパッチを当てた連邦保安官ウェインを雇って仇討ちをする。しかし、これが、ドイツのロンメル将軍を描いた「砂漠の鬼将軍」(1951年。原題:The Desert Fox:The Story of Rommel)を監督した同じH.ハサウエイのものとは到底思えない、実に締まりのないエーガだった。
「小さな巨人」。これは一体何を描きたかったのだろう、と言う疑問を抱かざるを得ない。つまり、土着人(いわゆる、インデイアン)に媚びているのか、あっちについたり(インディアン)、こっちについたり(白人)、とまるでコウモリ、のようだと言ったら言い過ぎか。ダスティン・ホフマンのやっていることが、まるで滑稽にしか思えない。ネットを見ると、西部劇として画期的な作品とも称えられているようだが、お世辞にしてもほどがある。小生、インディアンを正当に評価するに吝かではない。しかし、今現在の観点から、つまり、罪の意識から、遡って崇め奉るのは歴史の改竄ではないか。そこまでやりたいのであれば、インディアンから略奪した土地をインディアンに返却したらどうだろう。さすれば、米国は消滅することになるのだが。このエーガの一番の見どころは、有名なカスター将軍とその騎兵隊全滅のインディアンとのリトル・ビッグホーンでの戦いだが、カスター将軍と言えば想い出すのが、「壮烈第七騎兵隊」(1941年。日本公開:1953年。原題:They Died with Their Boots On)でそのカスター将軍を演じたエロール・フリンだ。しかし、そのエーガの中味については全く覚えていない。そして、ここで、D.ホフマン、F.ダナウェイなどを抑えて、際立っていたのは、カスター将軍をやったリチャード・マリガンだ。
「J.エドガー」は、米国の司法長官を長年務めたJ.エドガー・フーヴァーの話しだが、フーヴァーについて、小生が殆ど知らなかったこと、監督であるC.イーストウッドの演出の切れが良く、冴えわたっていたことなどがあって、この中では一番面白かった。フーヴァーを演じたL.ディカプリオも、彼自身が二枚目ではないだけに適役だった。それにしても、テレビ「ローハイド」のお兄ちゃんが大変な出世をしたもんだ。
と言うわけで、病室で病人がエーガを見る。こりゃー、どう見たってその体調が普通でないから真面なものになる筈がない。であるならば、「病室で見たエーガ」を「病人が病室で見たエーガ」と訂正すべきだろう。
(編集子)普通部時代、なんせでかくて凄みがあって中学生とは思えない低音で話すスガチューはいわば不死身の巨人みたいだった。感染症とはね。俺のほうは正真正銘の武漢ウイルスで自宅で済んだが、それでも全快、と思えるまでに1週間はかかった。その間はもっぱらディスクにため込んだ、昭和末期のドラマを何となく見る、というおよそ生産性のない時間だった。
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連邦捜査局(FBI)の初代長官である。1924年5月10日にアメリカ合衆国司法省内の捜査局(Bureau of Investigation:BOI)の第6代長官に任命され、組織がFBIに改称された後の1972年に死去するまで長官職にとどまった。就任当時の第30代カルビン・クーリッジから第37代リチャード・ニクソンまで、8代の大統領に仕え、これは現在に至るまで合衆国で、最も長く政府機関の長を務めた人物の記録となっている。なお、彼以降はFBI長官任期は、権力の集中や犯罪組織との癒着を防ぐため10年に制限されている。
フーヴァーはFBIを巨大な犯罪捜査機関として強化したことや、指紋ファイルや法医学研究所などの捜査技術の近代化と科学的な捜査手法を導入したことで称賛された。晩年と死後、フーヴァーは権力の乱用が明らかになり、議論の余地のある人物となった。彼はFBIの管轄権を超え[4]、政治的な反対者や活動家に対してFBIを使って秘密ファイルを作成し[5]、不正な方法を使って情報を収集したことが判明した。
数日前、ドクターセーブゲキこと小泉さんからメールが来た。ここのところ、テレビ放映が再放送、再々放送ばかりでの嘆きを共有した。今回は少し前に放映された アラスカ魂 のことで、だいぶ以前、本稿で取り上げた紹介記事を種になにか書いてみないかとのお誘いであった。ご指摘の記事はこの作品とよく似たしあがりの スポイラース と、小生がアラスカ物として紹介した 世界を彼の腕に (西部劇ではなく、主演が グレゴリー・ペックとアン・ブライスという当時人気のあった組み合わせの作品で、米国もロシアもそんなことが起ころうとは夢にも思わないでアラスカ地方をロシアから新興国アメリカが買い取ったところ、なんと大きな金鉱が発見されたという、いわば歴史に残る大バーゲンの話)についてふれたものだ。この2作品はジョン・ウエインの作品群の中では異色で、”準”セーブゲキ、だと僕は思っているのだが、ちょうど、読みかけていた A.J.クイネル のシリーズもののひとつ Message from Hell の後半でジョン・ウエインについての面白い会話があってなるほど、と思っていたところだったので、最近新登場の島田君の好評イーストウッド論の向こうを張ってみようか、と思い立った。
このクイネルというのは実は知る人ぞ知る高名な作家のペンネームらしいのだが、その正体がわからない、言ってみれば覆面作家、ということになっていて、海兵隊からフランス外人部隊に投じ、いわゆる ”戦争の犬” と蔑視される傭兵の主人公の話だ。ほかにも数多くあるスーパーヒーローではなく、陰のある人物で、東南アジアでの汚い戦争を共に戦った旧友たち(彼らはすべて正業を持つ一般市民になっている)とが登場する。調べてみた範囲では10冊、書かれているらしいがその中の一つがこの本(和訳のタイトルは地獄からのメッセージ)で、面白いと思ったという会話は、国自慢のなかでフランス人がWhat has America given the world ,except John Wayne ?” とからかう。アメリカ人はほかの場所で、”The only things the French know are how to make Bearnaise sauce and reide a bycycle” とやりかえすのだ。僕が付き合った連中だけでの話だが、この二つは ”アメリカ人” という概念についての米欧人の相互理解というか抜きがたい感情として変わらないように思える。”アメリカ人” とは何か。
1979年、ウエインが一度は立ち直ったものの癌が進行し、最後の時を迎えようとしていると知り、彼に名誉を与えるために特別の金メダルを鋳造しようという議案が上院に提出され、時のカーター大統領もその立法を支持した。そのとき、親友のモーリン・オハラは ”私たちが感謝し、愛していることを彼に見せてあげましょう。彼はヒーローなのです” と涙声で語ったという。勲章の表には彼の肖像と、”ジョン・ウエイン、アメリカ人” と刻まれたが、この文句はそのモーリン・オハラが提案したもので、裏には多くの作品が撮影された、あのモニュメントバレーの風景が刻まれた。この議会名誉勲章を贈られたのはジョージ・ワシントン、トーマス・エジソン、ライト兄弟ほか83人であるという。この事実がすべてを語っているということなのか、彼の墓に墓碑銘はないそうだ。
(彼が癌に侵された遠因はネヴァダの砂漠地帯でのロケで残留していた放射能に侵されたからである、という説は、”ジョン・ウエインはなぜ死んだか” という本に詳しい)
ウエインが出演した作品はドキュメンタリなどへの出演を除き、153本あり、そのうち103本が日本でも上映された。僕はそのうち40本(小学生のころ兄貴に連れられてみたものがまだあるはずだがはっきり覚えていない)をみているが、うち29本が西部劇である。
ウエインの西部劇、となると誰でもが第一に挙げるのが 駅馬車 (1939年)だろう。ウエインが撮影所の下働きをしているとき、ラオール・ウオルシュの目に留まり、Big Trail の主役に抜擢された、というよく知られた話から 駅馬車 でヒットを飛ばすまで、実に9年かかっているが、jこれ以後は順調にスター街道に乗り、今回のきっかけになった スポイラース では マレーネ・ディートリッヒという大女優と共演。ここでランドルフ・スコットと演じた乱闘シーンはのち、(あのスポイラースのような)と引用されるほどになった。アラスカ魂 での乱闘もなかなかのものではあるのだが。
しかし何といっても 駅馬車 に始まるジョン・フォードとウエイン、という組み合わせの作品がウエインの真骨頂であることは間違いない。アパッチ砦 リオグランデの砦 そして 黄色いリボン、の騎兵隊三部作、三人の名付け親,捜索者、騎兵隊、そして リバティ・バランスを射った男。これらの作品に共通のテーマというかバックグラウンド、一本気でフェアプレイを貫き、世間の目は構わずとにかく本懐を遂げるまで戦う男、というのが、世にいう”アメリカ人” というイメージを作り上げたのだろう。そしてその結果がフォードの監督ではないが、名作 赤い河 に集約されたのではなかろうか。
”遠すぎた橋” は第二次大戦欧州戦線で、連合軍がイギリス軍主導で実行した大規模侵攻作戦の話だが、冒頭から独善的な英国軍指導に対するアメリカ側の不満が描かれる。大陸侵攻前夜の会合で、エドワード・フォックス演じる指揮官がこの作戦を、(圧倒的な敵に囲まれ、最後の時を迎えようとしている人たちを救うために騎兵隊が駆けつける、アメリカ映画の、あの騎兵隊が俺たちなんだ!)とぶち上げるシーンがある。駅馬車 の上映が 1939年、いわば大戦前夜だったわけだから、フォックスの脳裏にあった騎兵隊、というのが、あの映画を有名にした一つの要因だった、砂塵を巻き上げて駆けつける騎兵の、あの突撃シーンであったろうことは想像にかたくない。このあたりが当時の英国人のアメリカ人観だったのではないだろうか。
西部劇以外でのウエインの作品(日本上映についてのことだが)には、アイルランドへの郷愁を描いた 静かなる男 をのぞけば、第二次大戦ものと警察ものが多い。僕が見た中では、これでもか、というくらい大物俳優をならべた 史上最大の作戦 でいい役を演じたウエインよりも、硫黄島の砂 で戦死してしまうウエインの悲痛な顔が印象にある(なお、映画でウエインが死ぬのは、日本で公開された中ではこれと ラストシューティストだけのはずである)。西部劇以外では ドノバン珊瑚礁 のようなコメディもあるし、マックQ だとか ブラニガン なんていう現代警察ものもあるが、なにもウエインが出るまでのものでもなかろうか、という程度の印象であった。
老熟期に出た リオ・ブラボー エルダー兄弟 エルドラド チザム など一連の作品は、いずれも一歩引いて若い連中の面倒を見ている、というような雰囲気と、軽いユーモアが感じられる見やすい作品だ。リオ・ブラボー の中でディーン・マーティンが歌った My Rifle My Pony and Me は僕の愛唱歌になった(追記したレッドリバーについての記事もご参照ありたい)。
と、ここまで気の向くまま云々、と書いてみたものの、きっかけのはずの、小泉兄のいわれた アラスカ魂 vs スポイラース 論にはどうも付け加えることはなさそうだ。先輩、すみません。
長くなりすぎた。最後に一応、(俺の言うベスト・ウエイン)をあげておくことにすれば、やはり 赤い河 になるだろうか。僕が高校時代、おととし旅立ってしまった関根達郎からもらった、ふるいレコードを ”電蓄” にかけて覚えた、いわば俺のもひとつの愛称歌、が RED RIVER VALLEY なのとは無関係なのだが。
思い出した。ウエインの死後、カリフォルニアはLAに近いオレンジカウンティがウエインに敬意を表して、市空港の名前をジョン・ウエイン空港、と改名した。このことをいち早く知ったのはHP時代の親友、佐藤敬幸でかれもウエイン好きだった。そのあと、パロアルトへ出張した時、新空港へ行って写真を撮ってきた。ビジネスの用件があったはずはないので、そのためだけに往復したのだと思う(経費をどうやってごまかしたかも忘れてしまったし、なんとその写真がどうしても見つからない、というお粗末なのだ)。
さらに追記。Red River についてはブログの検索コラムを red river で検索していただければ多少のリサーチをしてあるのでご参照のほど。
オーディオと音楽に大きな興味を抱いていてなく飛び込んだ業界だ
企画に励んだ。