エーガ愛好会 (317) ”赤い河” をめぐって

 

(34 小泉)「赤い河1951」は、エーガ愛好会の記念すべき第1号(2020.5.15)に掲載され、その後も安田さんからも、赤い河メモ(2020.8.19)、キャトルドライブ、スタンピード、ジョン・チザム(2022,6.15)と言った掲載があり、他にも言及が為されてきており、今更感想でもないのだが、久しぶりのTV放映でもあり、ちょろっと書かせてもらう。

豪快な男の香りがハワード・ホークス監督のどんな作品にも浸み込んでいるが、最初に見たのは、「ヨーク軍曹1941」だった。終戦直後だったので、中学生か。ゲーリー・クーパー扮する主人公アルヴィン・ヨークが、クリスチャンで、人を殺すことを絶対に許せないということが、映画の中で、主張された。最終的には、戦争という中で、ドイツ兵を何人も殺してしまうことになるのだが、戦争渦中で、一時的にせよ、戦争反対を貫くという映画を作ったアメリカと戦争反対を叫ぶことなんてとんでもなかった日本と比較し、負けて当然と子供心に思ったものだった。男性映画の巨匠としてアメリカ映画史に名を残すホークス監督だが、西部劇は、意外と少なく、この「赤い河1948」のほかカーク・ダグラス主演の「果てしなき蒼空1952」、「真昼の決闘1952」で保安官のくせに、一般市民に助けを求める姿勢に反対して作ったと言われる「リオ・ブラボー1959」「エル・ドラド1967」「リオ・ロボ1970」の3部作がある。

テキサスの牛群移動は、1877年ジェン・チゾルムが、チゾルム・トレイルを開発して以来、容易になったが、その時代を背景にしている。物語は十余年の昔、南北戦争直後に始まり、幌馬車隊に同行していたトム・ダンスン(ジョン・ウエイン)が恋人フェン(コーリン・グレイ)と再会を約し、親友グルウト(ウオルター・ブレナン)と二人南方へ向かう。レッド・リヴァーの上流で、コマンチ族に襲われ、その一人が恋人フェンの腕輪を持っていたことから恋人が幌馬車隊と運命を共にしたことを知る。その後ただ一人逃れた少年マット・ガウス(モンゴメリー・クリフト)が辿り着く。ここから、牛群の増加がダブり、十四年後の老いたるダンスンと立派な若者に成長したマット(モンゴメリー・クリフト)がいる。その後の進路について。ダンカンはミズリーに行きたいのに対し、、マットたちは、アビリーンに鉄道が敷かれること、チゾルムと言う男がレッド・リバーからアビリーンへ行く道を発見したこと等を聞き、対立が激しくなる。結局、マットたちは、ダンスンを置きざりにする。その後マットたちは、コマンチ族に襲われた幌馬車隊の一行を助け、気丈な娘テス(ジョーン・ドルー)とマットは恋仲となる。このドルー、「黄色いリボン」「幌馬車」でも見たが、勝ち気でちょっと面白い味を出していた。ホークス監督が男性はもとより、女性の魅力を再発見することにも才能を持っていた証拠かも。

その後、無事アビリーンに到着した一行。仲買人(ハリ・ーケリー)は一頭20ドルで全部の牛を飼うことに。このハリ・ケリーの遺作になってしまったが、息子のジュニアは3本目で、牛の群に子守唄を歌って聞かせたのち、給料をもらったら赤い靴を妻に贈るといじらしさを口にする若者の一人を演じていた。

10人ほどの新しい部下を従えたダンスンがやって来る。二人は殴り合いの後、ダンスンはマットが自分に勝るとも劣らない快男児になっていることを確認して仲直りをする。自分の息子が暴君である父親を打倒してのし上がるが、我が事業の後継者として申し分のない人材に成長したことが判り.肩を叩いて喜ぶのだ。

しかしこのような親子の関係の時代が現在迄継続されている訳ではなく、自分たちのアメリカが世界の指導者に立つまでの所信を誇らしく顧みるドラマだったと言えるようだ。

(44 安田)今日(3月28日)の放映で3回目となる「赤い河」を観ました。いつ観ても広大なテキサスの荒野をミズーリまで1600km (鹿児島から陸路大阪・東京を通り仙台くらいまでの距離)もの長距離を一万頭もの牛(テキサスホーン種)を運ぶ 100日にも及ぶキャトルドライブ、牛の暴走スタンピードは迫力があります。

野宿しながらの厳しいキャトルドライブの旅路は人間を極限状態に置き、喜怒哀楽と本性を炙り出すと同時に、主役の若者のモンゴメリー・クリフトと男盛りのジョン・ウェインの親子の世代間の葛藤と諍い、その中にあって渋いいぶし銀のベテラン ウォルター・ブレナンを交え三者三様のそれぞれの持ち味が「赤い河」を単純なカウボーイのキャトルドライブ映画でない素晴らしいヒューマンドラマにしています。映画の主題歌も大変良かったと思います。

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(2018年9月付け本稿記事の一部を転載する)

数週間前、何の気なしにテレビをつけたら、ジョン・ウエインの代表作とされる ”赤い河” をやっていた。原題は Red River。ウエインの脂の乗り切った時代の非常にすっきりした、これぞ西部劇、というやつで、当時(1948年)、売り出し中のモンゴメリ・クリフトが初めて西部劇に出演したという意味でも知られる映画である。僕も映画館でももちろん見たし、その後何回もテレビで見る機会があったのだが、今回、終わり近くになって、バックに流れるテーマ曲が、僕のもう一つの愛唱歌である My Rifle my pony and me  (これもウエインの代表作といわれる リオ・ブラボーの挿入曲)と同じことに気がついた。そこで終わった後、何もあるまいがダメモト、とおもいながらグーグルに ”Red River, My Rifle and Me” と入れてみたら、なんと!一発でアメリカ人の女性が同じ質問をしていて、その道の専門の人が明確に答えをだしているではないか。この広い世界で同じ経験をした人がいるということもうれしかったが、この解説によると、この2本は主演ジョン・ウエイン、監督ハワード・ホークス、音楽ディミトリ・ティオムキンという共通点があり、1959年に作った ”リオ・ブラボー”にティオムキンが原曲をそのまま使ったのだそうだ。ちくしょうめ。

1.北アメリカ大陸に Red River という河は2本存在する。うち1本はミネソタ、ノースダコタのあたりから始まり、北上してカナダを流れる。この流域には開拓初期、レッドリバー植民地という地域があった。2本目はテキサス、オクラホマにまたがるミシシッピーの支流である。

(注)映画の初めの部分で、幌馬車隊と別れたウエイン・ブレナンが河にぶつかったところでキャンプする。ウエインはここで Red River と言っているが、当然、この2本目のことであろう。

2.西部開拓時代、牛肉は主として中部諸州から提供され、テキサス牛(ロングホーンと呼ばれる種類)はまだ流通していなかった。一方、大陸横断鉄道が徐々に伸び、カンサスあたりまで敷設されるようになり、ジェシー・チザムによってテキサス南部からカンサスまでのトレイルが開かれた。この道をたどって、テキサスの牛をカンサスまで運ぶという冒険がはじまった。

3.映画 ”Red River” はこのチザムトレイル開拓史をベースにした物語であり、その脚本のベースになった記録もあるのでこのような話は史実として裏書される(これによって成功者となったチザムを主人公にした単純明快勧善懲悪なウエイン作品が”チザム”(1970年)である)。

うんぬん。

それでは俺の ”Red River Valley” はどうなる? まだ資料は見つからないが、単に作詞者の創造した地名でないとすれば、どうも雰囲気は1本目のほう、つまり初期の英国植民基地のほうが合うような気がする。ジョン・ウエインは僕のごひいき俳優NO.1ではあるけれど、どう見ても come and sit by my side if you love me などとめんどくさいことはしないで、それじゃあばよ、と格好つけて馬を駆っていってしまうだろうという気がするからである。何方か、博識の方のご意見を頂戴したい。

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The Chisholm Trail was a major 19th-century cattle trail that ran from southern Texas to Kansas, facilitating the movement of longhorn cattle to eastern markets after the Civil War, and is named after the Scot-Cherokee trader Jesse Chisholm.

 

この解説にあるチザム・トレイルが現在どうなっているかは知らない。もう一つよく聞く名前に有名なオレゴン・トレイルがあるが、アイダホへ行った機会にそのあとを訪ねたことがある。たしかにここだ、と明記されていたのは何年か何十年かわからない昔につけられたのだろう深い轍が乱脈にきざまれていただけだった。もしこの轍の何本かが、往時の開拓者の馬車がつけた、そのものだとしたら、と思うと、よくある史跡なんかとは違った、現実味のあるものとして胸を撃たれたものだった。同じ歴史の彼方の話とはいえ、western movies が、例えば忠臣蔵なんかと違う印象を持たせるのは、こうした―適切な単語かどうかわからないがー一種の親近感なのかもしれない。