ラオスの古都ルアンパバーンのホテルは、フランス植民地時代の古き良き時代を感じるコロニアル様式だった。朝食はメコン川を眺められる場所で優雅に楽しんだ。メコン川の流れは全くなく湖のようで茶色く濁っている。
メコン川はチベット高原青海省に源流を発し、中国雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、さらにカンボジア、ベトナムをおよそ4200 kmにわたって流れ、南シナ海に注ぎ込む。東南アジアで最長の河川である。メコン川は「一帯一路」でも中華の絆を示しているようだ。ヨーロッパのライン川やドナウ川のように国際的な開かれた河川を期待したいものである。
「援蒋ルート」は80年前に険しい山岳地帯をイロハ坂のように切り開いた陸路であった。昔の写真からもいかに難路であったか想像できる。インパールやビルマから救援物資を積んだ連合軍のトラックはじぐざぐの山岳道路を登って行った。深い谷底にはメコン川が流れていた。
米国が主導する連合軍は中国の蒋介石と毛沢東を強力に救援したのである。今日の米国には、このような輝かしい能力は微塵もない。実に情けない。80年後の「援蒋ルート」は中国の「一帯一路」になった。立派に舗装された昆明ルートを中国のコンテナ・トレーラーの長い列が続いている。
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援蔣ルートの経路は、日中戦争の開戦から太平洋戦争の終戦まで途中、日本軍によって遮断されたり独ソ戦の開戦によって援助が滞ったものも数えて、4つある。本稿で取り上げられているルートはビルマルートと呼ばれたもののようだ。
新旧2つの陸路と1つの空路があり、当時イギリスが植民地支配していたビルマ(現在のミャンマー)のラングーン(現在のヤンゴン)に陸揚げした物資をラシオ(シャン州北部の町)までイギリスが所有、運営していた鉄道で運び、そこからトラックで雲南省昆明まで運ぶ輸送路(ビルマ公路:Burma Road)が最初の陸路で、日本軍が全ビルマからイギリス軍を放逐し平定した1942年に遮断された後、イギリスとアメリカはインド東部からヒマラヤ山脈を越えての空路(ハンプ:The Hump)に切り替え支援を続けた。いわゆるハンプ越えと呼ばれるものを実施した。しかし、空輸には限りがある上に、空輸中の事故も多発したため、アメリカが中心となって新しいビルマルートの建設を急ぎ、イギリス領インド帝国のアッサム州レドから昆明まで至る新自動車道路(レド公路:Ledo Road)が北ビルマの日本軍の撤退後の1945年1月に開通した。