ウメ(梅、学名:Prunus mume、英: Japanese apricot)は、バラ科サクラ属の落葉高木、白梅の 黄色に咲くや 年の内
紅梅の しだれし枝や 鳥も来ず
梅か香は うしろになりぬ 朧月

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
ウメ(梅、学名:Prunus mume、英: Japanese apricot)は、バラ科サクラ属の落葉高木、
(小泉) 開拓時代の西部、銃が命綱であり、優秀な銃であった73型ウイン
主人公リン・マカダム(ジェームス・スチュアート)が心に深傷を
目まぐるしい展開をなぞってみてもごたごたするだけ
(編集子)クレジットタイトルには Anthony Curtis と出ていたが、名が売れてからもそうだったのだろうか、それとも Tony だったのか?
(安田)観た西部劇ではトップ5(いやトップ3か?)
アメリカ合衆国独立から100年を記念してライフルの射撃大会がカンサス州ダッジシティで開催され、勝者には銃の名機「ウィンチェスター‘73」が賞品として与えられる。ガンマン垂涎のこの銃を巡って、宝物の争奪戦が映画の本筋となり様々な人間模様が繰り広げられるが、最初の射撃大会で甲乙つけがたく決戦射撃に勝ち残った二人は実は兄弟であり、弟のジェームス・スチユアートにとって兄は親を殺した仇敵であるのが映画の最後になるまで分からない筋書きの展開には驚いた。
ライフル銃のマニアでなくとも西部劇に興味を持つ者にとっては「ウィンチェスター銃‘73」は格好の好奇心対象なのは間違いない。美しい銃を何度も大写しにし、レバー操作や連射も度々見せつけて「宝物」が映画の主役と言わんばかり。射撃大会の賞品「ウィンチェスター銃‘73」の宝物の争奪戦とその行方、さらには銃を巡る壮大な兄弟喧嘩を大きな柱とする物語だが、西部劇に欠かせない青空、サボテン、岩山の荒野、インディアン(ス―族)、早撃ち、騎兵隊、銃撃戦、追走、ワイアット・アープとダッジシティなどが散りばめられて観る者を楽しませてくれた。兄弟が最後に撃ち合いになる岩山の場面では1950年制作の映画としては、銃声とその乾いた反響音の音響処理が素晴らしいと感心した。
エンディングシーンと銃に刻まれたエンブレムの写真を貼付します
First Prize Centenial Rifle Shootout Won By
Dodge City Kansas July 4th 1876
(編集子)Won by の次に本当はリン(スチュアート)の名前を入れるはずなのに入っていない。なぜかは映画本体をご覧あれ。
(保屋野)掲題、小泉先輩の完璧なコメントに付け加えることはありません。チビ太同様、私も西部劇の傑作だと思います。当時の、最新連発ライフル銃(ウインチェスター銃)にアカデミー(特別)賞をあげたい映画ですね。
オリンピックのライフル射撃で金メダルがとれそうな、準主役?のJ・スチュアートも、ガンマンらしからぬ風貌がかえって新鮮で魅力的でした。また、ワイアット・アープが登場したのもご愛敬でしたが、カスター将軍事件(スー族による騎兵隊全滅)もとりあげられていました。
(金藤)皆さんが仰るように小泉さんの完璧なコメントの通りの映画でした
では見えませんでした。ウィンチェスター銃の持ち主が次々と変わっていくのですが地面に落ちたままの銃はどうなってしまうのかと思っていると次の持ち手が見つける・・・
壮烈第七騎兵隊 である。ジョン・ウエインの騎兵隊三部作の第一作 アパッチ砦 では、出世主義へンリー・フォンダ演じる指揮官の部隊が全滅するが、これはこの敗戦を意識したものだろう。上記安田君が苦労して読んでくれたところによると、この映画の背景になっている射撃コンテストはこの年に行われたことになる。
る、その時の最後のカードの手が3枚のエースと8のワンペア、”死の手” と呼ばれるものだった。この ウインチェスター銃73 で、スチュアートから銃を強奪したマクナリーがギャンブラーに負けて銃を取り上げられるシーンがあるが、その時の手がやはりこの組み合わせだった。画面に翻訳はされなかったが、マクナリーがはっきり、deadmans hand と言っていたのを確認した。日本国紀をようやく読み終えました。
真実を知るということの難しさを再認識した次第です。一般市民はとても一次資料などにアクセスできるわけはありませんし、テレビ、ラジオ、新聞などのメディアによる情報しか入手の手立てがないわけですから、マスコミの責任は人間社会にとって最も重いと言っても過言ではないですね。
そして現在はネットでも色々な出来事を知るわけですが、ウクライナでの戦乱のニュースを見ていてもどの情報が本当に正しいのか分からなくなります。アメリカが「この映像はロシアが自作自演した画像だ」とか言われるともう訳が分からなくなります。フェイクニュースが当たり前のように流れる現在、神経質になるぐらい真剣に真偽を見きわめる目が必要であることを痛感した次第です。
今から2年ほど前、2019年10月末の早朝、私と家内はキエフ空港の到着ロビーにいた。そこには招待してくれた方々に混じって民族衣装をまとった若い男女一組も出迎えてくれていた。古典的な遠来の客を迎える儀式とかで、花束とパンが差し出され、そのパンを客である私がその場でかじって食べるのが礼儀だと説明された。我々の周囲には大きな人だかりができたから、ご当地でももう珍しくなった風習だったのだろう。のんびりした平和な雰囲気だった。
ウクライナ脳卒中学会から「日本の脳卒中治療」を紹介してくれとの講演依頼で訪れたのだが、キエフの街自体も静かで美しかった。学会講演・テレビ局のインタビュー等をこなしたのだが、大したお謝礼は出来ないからと、夜は教会のパイプオルガンの演奏会やオペラ、更には見学が解禁されたばかりのチェルノブイリ原発まで案内してもらい、ウクライナの方々のホスピタリティとやさしさにほのぼのとしたものを感じた。更には市内のアンドレイ坂というパリのモンマルトルの丘を思わせる景勝地のレストランで食べたポルシチ(ボルシチの発祥地はロシアではなくて、このウクライナなのだ)のおいしさも忘れられない。ウクライナの特徴の一つは真っ青な空と鮮やかな黄色のひまわりである。ウクライナの国旗が上半分の空色と下半分の黄色はそれを意味しいている。実に平和な国だった。
80歳過ぎの読者はソフィア ローレン、マルチェロ マストロヤンニ主演の「ひまわり」という映画を覚えておられるかもしれない。誰と観に行ったかは定かではないが、確か日比谷の映画館で観た記憶がある。第2次世界大戦後により離れ離れになった若い男女の悲しい恋の物語で、ヘンリー マンシーニ作の主題歌の何とも切ないメロディがいまでも私の耳にこびりついている。この音楽を知らないとおっしゃる世代には今からでも一度聞いていただきたい。
こんな静かな、しかもほとんど無抵抗のウクライナへのロシアの侵攻である。プーチンにもいろいろ言い訳はあるようだが、私には「殿、御乱心か?」とでも言いたくなる。どこかの国の首相のように「これからいろいろ検討して、また諸外国とも協議して」とのんびり構えている時ではない。同じことは台湾でも起こりうるし、こんな対応では北方四島など帰ってくるわけはない。
お世話になった、ウクライナの方々のご無事を願っている。慌てて出したウクライナの知人たちへのメールに、まだ返事は戻ってこない。
(保屋野)ロシアのウクライナ侵攻が始まったタイミングで、この大作を観ました。この長編最大の見所は、ナポレオンとの戦争シーンですが、、これは兵士や馬の数含め迫力満点でした。制作費用はいくらかかったのでしょうか。もう一つは、ヘプバーン演ずるナターシャとヘンリーフォンダ演ずるピエール及びメルファーラー演ずるアンドレイ等との恋愛劇ですね。もちろん、それぞれ名優は魅力的でしたが、ピエールの妻、エレン役のアニタ・エクバーグの色香が際立っていました。ただ、ストーリーは、トルストイの原作を読んではいないので分かりませんが、映画では、正直やや平凡で、イマイチでした。
なお、ネットにもありましたが、私も「ドクトル…ジバゴ」とつい比べてしまいましたが、ストーリーはジバゴの方がはるかに面白く、感動的で何といっても、あのモーリス・ジャールの主題歌「ララのテーマ」の存在感が圧倒的でした。戦争と平和の音楽もあの、ニノ・ロータなのですが、あまり印象に残っていなかったので、ユーチューブで聴き直したのですが、ラ・マルセイエーズを取り入れた主題歌と「ナターシャのワルツ」等さすが、ニナ・ロータだと思いましたが、ララのテーマには及ばないでしょうか。
(安田)ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤン二主演の映画「
(飯田)映画「戦争と平和」はオードリー・
ヘップバーンと当時結婚して話題となったメル・ファーラー、ヘンリー・フォンダと保屋野さんが目を付けたアニタ・エクバーク等の豪華キャストをぼんやり見て満足すれば良い映画で、演出的には主人公の一人か二人が、どうなったか画面から消滅してしまう編集だったと記憶しています。但し、この映画の後半の雪上逃亡シーンは長時間をかけて見応えのある撮影と編集だったと思います。
当時のある映画評論家は、出演俳優で小説「戦争と平和」を読んで自らの役作りをした思われる俳優はヘンリー・フォンダだけだと、この映画で評論していた記憶がありますが、顔つきが真面目そうに見えるのがヘンリー・フォンダだけで、他の俳優は本を読むタイプではないと顔で判断して言ったにすぎぬと私は思いました。「戦争と平和」のソ連版は安田さんが挙げたように、まさに映画としては演出、俳優の演技共に、アメリカ版を遥かに凌ぐ凄い大作です。但し、1965年制作のソ連版は当時の映画評論家が一目を置いていた名匠の監督:セルゲイ・ボンタルチェックで第1部150分、第2部100分、第3部82分、第4部88分とアメリカ版の3時間半が短すぎることを示したような作品でこのような長編が映画と言えるかという議論の対象にもなりそうです。
菅原さんが途中読むのをGIVE-UPされたという「カラマーゾフの兄弟」もソ連版(1968年)で監督イワン・プイリエフ第1部85分、第2部75分、第3部80分でBSプレミアムで放映されました。但し、映画としての出来はソ連版「戦争と平和」より低く、平凡でただ長かったという印象です。
(かく言う私は小説「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」を読んだのか?と聞かれると当然、読み始めて途中でGIVE-UPした仲間です。)
(小田)ウクライナ問題と同じ時期での放映は偶然なのでしょうか?(新聞の漫画に、
ヘプバーン版のDVDは以前購入して持っております。ヘプバーンが、初々しく、実際に夫婦になったメル·
(編集子)高校2年の時あたりまで、
(金藤)Giさんがドストエフスキーを未読だとお聞きしたのは、
今日は既にロシア軍はウクライナの15か所を攻撃し、
プ-チンはウクライナ軍隊に向かって、”
ヨ-ロッパは経済制裁をするべく色んな策を講じていますが、
21世紀にもなって何ということでしょうか。
私の親友のフランス人夫婦は3人のロシアの子供たちを養子にして
日本は自由な国です。私もフランスにいて良かったです。
(編集子)平井さんはKWV44年卒組 安田君の旧知の間柄、以下、同君より:
僕の現役時代の秘書の従姉妹で1990年代パリ訪問の際初めて紹介されて以来の付き合い。
彼独特の思想展開から書かれた本ですよね。
浅間山荘事件から50年。アカイアイ朝日が書くという。新聞は不
安田耕太郎さんが書かれているように百田尚樹と聞けば、似通った
「菊と刀」に思い入れ過ぎた米の國。あの時何故天皇制を残したか
黄色ンボーノ日本人は酷い眼にあった。まぁ野口英世・北里柴三郎
今朝の読売一面の見出し、
(47 関谷)上・下を読了しました。著者は、史実をベースに(噂によればWikipedia等々からの参考情報をもとに)、持・自論を織り込まぜながらの、見事なstorytellerですね。
雷同、又は、批評する積りは全くありませんが、男系万世一系の天皇崇拝、愛国心、国粋主義、白人至上主義への反発、反共、GHQ押し付け憲法改正等々の持・自論を如何なく展開。IF、これが教科書として認定されたら、「歴史認識」を巡り某国々と戦争になりかねないでしょうね!
確かに、人生のホームストレッチかかり、海外生活が長かった私にとり、著者が述べている;〈感謝の念をささげたいと思うのは、我が祖国「日本」と、この国に生き、現代の私たちまでにつないでくれた遠い父祖たちです。古代より、この島に生まれた人々が日本の風土に育まれ、苦労を乗り越え、永らえてきたからこそ、今の私たちがあるのです。そして私もまた未来の日本と日本人へと生をつなげ、国をつなげる環の一つであること、その使命の重さを感じています。〉
(42 下村)[新版]日本国紀、床に入りながら読みはじめ中々進みませんでしたが、ようやく上巻を読み終えました(初版を大幅に加筆修正したとありますが、どの部分をどのように加筆修正したのか興味のあるところですが調べてはいません)。
著者は「物語」と言いながらも、「神話では・・・」とか、「・・・と言われていますが、文献資料はありません」とか、「異論もあります」といったように客観的に冷静に歴史を読み解こうとしていること。また膨大な文献を参考に上げていることなど歴史に取り組む姿勢に慎重さがうかがわれ好感がもてました。
従って各時代で起こった歴史的な出来事についての解釈や説明は、これまで学んできたことやテレビなどで取り上げられている歴史ものとほとんど同じと感じましたが、古事記や日本書紀については日本の草創期のことが神話的な事を含めて書かれている、というぐらいの認識しかありませんでしたので、特に興味深く感じたところです。
歴史書を読んでいつも思うのは、昔の人は海を非常に身近に感じていて、朝鮮半島や中国大陸を遠いところだとあまり感じていなかったのではないかということです。航海術の発達していない時代ですから実際には大変な思いをして海を渡ったのでしょうが、2000年以上も前に中国に遣いを出したり、その後も朝鮮半島に兵を派遣したりと。また日本を統一したばかりの秀吉が朝鮮に大軍を送り込むなど、向こう岸の見える大川を渡るがごとく海を渡っていく。本当に驚嘆します。
下巻は僅か150年前のことから始まるわけですが、明治以降の出来事についてはいろいろな解釈があるようで、楽しみにしつつスタートします。
(普通部OB 菅原)取り敢えず、「日本国紀」の第十三章(敗戦と占領)を読んだ。冒頭、江藤淳に触れていたので、安心して読み進めた。これを読んで、何故か「下山事件」を思い起こしたが、ここではそれには言及しない。
それにしても、日本は、米国のWGIPに見事なまでに洗脳されて今に至っている。その一例が憲法だ。公布されてから75年が過ぎても、洗脳された護憲勢力に遮られて、一字一句も、今に至るもそのままだ。そんなに、この憲法を押し付けた米国が有難いのか。
そこで、小生、非常に気になることがある。WGIPが極めて効果的だったことから、同じようなことを、今、中華人民共和国は日本にやっているのではないかと言う危惧だ。例えば、朝日新聞は、あたかも人民日報の日本版と化してしまったかのようだ。日本は情報戦争の草刈り場になっているのか、誠に情けない。