ゆく年くる年ーKWV版 速報 12月31日 23時50分現在

山口県のほぼ中央、瀬戸内海沿いに位置する防府市からの年末状況報告です。
ナンカナイ会の皆さんは塾150周年ウオークで立ち寄られご存知かと思いますが、防府市は人口115,561人、内65歳以上の高齢者が31%と云った典型的な
寂れゆく地方都市です。因みに、防府三田会会員は現在30数名。

その昔は、年末の買い物客で賑わった商店街も、御多分に漏れず、添付の様な
閑散としたシャター通りに衰退。自粛、自粛で明け暮れた2020年を締めるが如く、当地は寒い寒い年の瀬、夕方から白いものが舞はじめ、大晦日は一面薄らと銀世界となりそうな雲行き、との予報です。

午後、散歩がてら防府天満宮を覗いてみたら初詣の準備は着々と進行。菅原道真が九州に流される道筋で現在の防府に滞在したことから904年に創建された日本で最初の天神様とされ、京都・北野と福岡・大宰府と並ぶ日本三大天神とされます。道真が学問の神とされているので合格祈願のホットスポットとなっていて、正月三が日の初詣には県内外から45万人規模の参拝者で賑わうのですが、この新年は分散参拝、年内参拝で、今日の所は閑散としていました。

山口県のコロナ感染者数は現在537人、内防府市は20人と抑え込まれていますが、それでも「疫病退散」「コロナに負けるな!」とアマビエの木彫りが参拝者を出迎えるべく設置されていた。このご利益こそあれと心より願う年末です。(47 関谷誠)

知恩院三門もひっそりとして
京都の暮れ。年越し蕎麦と買い物に河原町に出向いた。いつもの蕎麦屋で日本酒と天ざるで、温まったところで街歩きを楽しむ。高瀬川沿いから、先斗町を抜け、四条大橋から八坂神社に向かう。神社前で箱寿司を買い、参拝し、円山公園から知恩院三門を抜け、祇園白川から三条大橋へ。寺町の鳩居堂でお年玉袋を買い、錦市場へ。若冲の鶏が睨んでいる。人は多いが店に入る人は少ない。ここ最近の歳末で、外国人や年輩者は余り見ない、若者がほとんどでただ見ているだけで買い物はしない.全般に人出は少なく閉まっている店が多い。大晦日は雪が降る予想で、東山魁夷の「年暮る」の世界はないが、銀世界の古都になりそうだ。
(47 奥本耕三)
先斗町の路地風景
ゆく年くる年、名古屋は感染者300名に近づき市内では医療崩壊に近い情況、ステイホームは各地同様ですが、小生の場合は埼玉居住の息子一家が帰省できず自分にとっての「ゆく年くる年」正月はありません。「エーガ愛好会」に入れて貰ったお陰で年末年始BS撮りだめを、好きな酒を各種飲んで過ごすという異例の年越しになりました。コブキ姐さんのご紹介で一昨日は「三船敏郎生誕100年」に感動し、アガサ、ゴッドファーザーでは途中で転寝してしまい見直す始末です。(33 小川義視)
日光遠景

宇都宮在住のため、近所のモール屋上より日光連山の夕焼けを撮影しようかと思いましたが、残念ながら本日全国的に北部は雪のようで撮影できませんでした。

その代わりに先日撮影した日光連山の遠景、そして12月26日に登った奥久慈男体山からの風景写真を送付します。

奥久慈からの遠望

(55宮城裕之)

そうなのです!あの法政二高の駅「武蔵小杉」です。スレート引き平屋の工場が並んでいたあの「武蔵小杉」です。南武線が1時間に3本しか通らなかったあの「武蔵小杉」です。普通部時代、南武線で帰る友達を東横線駅内で南武線が来るまで喋りながら時間つぶしたあの「武蔵小杉」です。

ベイブリッジ遠望

が、今や一番住みたい街に変貌したのです。シャレタお店があちこちに並び、東横線特急が止まり我が「日吉」にはここで屈辱の乗り換えを余儀なくされている「武蔵小杉」なのです。その「武蔵小杉」のとあるマンション38階に住む倅宅ベランダから筑波山・スカイツリー・横浜ベイブリッジの遠望をお届け致します。今日大晦日は遠望が良くコスモポリタン東京の街が綺麗に見えました!

(41 田中透)

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(中司ー田中)俺たちのころは武蔵小杉なんて駅、なかったよね?確か当時の名前は 工業都市 だったと思うけど.。法政二高があったのはここだったかな。普通部のころ、法二の悪いのに目をつけられて脅かされたこともあった。昨今は トレンディ、なんていわれてもにわかに信じがたいけど)。

”とりこにい抄” 12 ケープコッドの印象

会社時代米国主張先は事業所があったカリフォルニア、オレゴン、アイダホがほとんどだったが、何回かはそれでも東部にいくこともあった。ボストンにあったメディカル事業のオフィスを訪れたとき、週末を使ってピューリタン上陸の歴史ゆかりの地とかケネディ一家の別荘の所在地ハイアニスポートあたりをドライブしたことがある。そのとき足を延ばして明るい海岸線を走りケープコッドへ行った。およそ ”旅愁” などとは無縁のつもりだったがどういうものか 寂しさ を感じたときの感傷である。

 

ケープコッド

 

”ひどい風だね“ 乾いた東部訛りでその男は言った

”地球が丸い、ということを信じるかね?“ と俺は答えた

少し話をしたいと思うような相手だったが

”信じるね。丸いさ” といった男は

少女の肩に手を置き枯草の上を辿っていってしまった

マサチューセッツの夕陽が二人の影を引きずり

重いエンジンの音が俺だけを置きざりにする

振り向いた世界にはなんの色もなかったが

目の前にひろがる大西洋にはそれがあった

むらさき色の、その輝かしい絶望のなかへ

俺は心を投げる

ひとりぼっちの忘年登山  (39 堀川義夫)

今年最後のワンデリングに急に思い立って、一人ぼっちの忘年登山に天気も良いので出かけてみました。伊勢原から日向薬師までバス行き、7:50から歩き始め大山山頂を目指しました。

私の年齢では経験のない、コロナウィルスと言うモンスターに翻弄され続けた1年間でした。振り返ると予定された(予定していた)ワンデリングをどれだけ中止・変更したことでしょう。海外旅行は2月から3月にかけてぎりぎりの思いで行ったフランスのスキーだけで9月と10月に準備していたアラスカ旅行とアメリカ西海岸のツアーは全て中止にしました。両ツアー共に1年後即ち来年2021年の9月、10月に延期にしましたが、昨今の状況では実施できるだろうか懸念されます。でも、その中、反発したわけではありませんが、間隙を縫って回数にしてこの「一人ぼっちの忘年登山」で今年19回目のワンデリングとなります(日帰り10回、スキー2回内1回は海外、冬山を含む1泊以上の登山7回)。特に夏から秋にかけてはコロナに対して、自分でもこれでいいのかなと思いつつも泊りがけのワンデリングを楽しみました。

 最近の私は、思いついたらなんでも消化することに専念しています。何時どうなるかわからない社会の様々な現象、また、明日には自分自身が動けなくなるかもしれない年齢になっていることを鑑み多少の批判を受けようとも、やりたいことを悔いなく満喫したいと思っている、今日この頃です。

予定していたコースタイムで大山山頂に来てやっと富士山を望めました。下山は阿夫利神社(下社)を通らずに蓑毛に下山してバスで秦野へ。天気は最高で暖かく気持ちのいいワンでリングでした。予定より早く完歩できたので電車で一つ戻って渋沢のいろは食堂で女将としばし歓談。ご機嫌で帰宅の途につきました。

今回のパンデミック(コロナ禍)で社会格差は解消するか?  (HPOB 菅井康二)

ご存知かもしれませんがスタンフォード大学のウォルター・シャイデル教授は(1993年ウィーン大学古代史Ph.D)その著書 The Great Leveler: Violence and the History of Inequality from the Stone Age to the Twenty-First Century(邦題:暴力と不平等の人類史―戦争・革命・崩壊・疫病、平等は破壊の後にやってくる)で歴史を省みると平和な時代に拡大した社会的な格差(不平等)は邦題にあるようなカタストロフィーによってリセットされるという説を唱えています。

シャイデル教授は大東亜戦争(私は「右」ではないと自認していますが連合国側の「太平洋戦争」という呼称には違和感があるので)敗戦によって我が国が経験した大きなリセットが戦争による格差解消の一例として取り上げているのですが、これは富が富裕層から低所得者層に移転したものではなく、富裕層が抱えていた国富が消失したことが原因といえます。要するに国民がほぼ等しく貧乏になったという格差解消だと理解しています。

現在進行中のコロナ禍によってこの現象(格差の是正)が起こるかどうか?。先にご紹介した「コロナ禍でパラダイム・シフトは起きるか?」という識者達によるディスカッションによれば14世紀に起こったヨーロッパでのペスト禍や大航海時代に新大陸にスペインによって持ち込まれた感染症などのように社会的に巨大なインパクトを与えるほどの極端な人口減が伴わない限りそれは起こらないという見解でした。

事実100年前に我が国も経験した「スペイン・インフルエンザ」は全世界で5,000万人の死者(日本本土で45万人(人口の0.8%)外地(朝鮮、台湾)を含めると74万人、当時の日本統治下では人口の0.96%の死者に相当)がでましたが、一昨年に亡くなられた歴史人口学の泰斗であった速水融名誉教授の力作「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争 にも関東大震災の五倍近い人的被害を出しながら近代史のどの本にも出てこないと書かれています。第一次世界大戦という大事件の影に隠れてしまったという嫌いはありますが、このパンデミック終息後には世界は何も変わらず元に復したということです。

話はマクロからいきなりミクロの世界になりますが、今月初めに塾高時代からの同級生2人といつも美味いものを出してくれる銀座のカウンターとテーブル1つという小さな和食屋(昔流にいえば小料理屋)でささやかな「忘年会」もどきをやりました。こんなご時世でなければ予約の客で一杯なはずなのに結局最後まで我々以外には訪れる客はありませんでした。女将は嘗ては新橋でお座敷に出ていた美形で常連の顧客には所謂富裕層(金持ち)が多いようです。

銀座でも飲食関係の店は厳しい状況で営業を諦めて閉店した店が結構あるそうです。ただ、女将の話では「お金持ちにはブランド品などの高級品はよく売れている」とのこと。特に何年も経っても価値の変わらなモノ(例えば都心のマンションが買えるような超高級腕時計など)が売れているそうです。「これだけ世界中にお金がばら撒かれているので数年後に起こるかもしれないインフレ対策では?」というのが女将の見立てでした。

これが全てではありませんし、現在のコロナ禍がどのように進行しどのように終息(収束)するかは分からないのですが、ワクチンが効果を発揮し今後このレヴェルで推移するようであるならば格差は縮小するよりも寧ろ逆に拡大するような気がしています

”ミス冒”愛好会 (9) Ryo is back !

海の向こうではバイデン次期大統領が America is back ! とわめいておられるようだが、本文の Ryo とは小生のお気に入り、原尞 のことである。

昨日、散歩の途次、3日ぶりに駅前の本屋でへ立ち読みに入った。いつもは通過してしまうのだが、ハヤカワポケットミステリの棚を眺めたら、なんと原のデビュー作、”そして夜は甦る” が入っているのに気が付いた。高校時代、初めてのミステリを読んだのがこのポケミスで、以来数十冊に及んでご厄介になってきたが、日本人の作品が入っているのは初めて見た。この本の解説にもあるが、日本人の作品としてポケミスに選ばれたのは4人目(ほかの3人は戦前の大家たちで、小生、名前は知っているが作品を読んだことはない)だそうである。

原はフリージャズのピアニストとして玄人筋には知られた人らしいが、その時代のことは知らない。本人の言っていることではチャンドラーにあこがれ、特に ”さらば愛しき女よ に1ミリでも近づきたい、と思って” ハードボイルド作家の世界に飛び込んだのだという。今までに長編を5冊出しているが、この処女作から最近作の ”それまでの明日” まで、実に30年の間隔がある、いわくつきの寡作家なのだ。僕はこの本に出合ったのがいつだったか、記憶にない。しかしとにかく次の作品が出るまで、イライラしてきたことは間違いない。それをポケミスの中に見つけたときは、まさに Ryo is back ! と思ったものだ。初めに買った本は手元に見つからないし、世界に名高い文庫に収納された、その記念にと2冊目を買ってしまった。改めて読んでみると、初めのほうで関係者の大富豪の家を訪ねるくだりは さらば. の前に書かれた 大いなる眠り のイントロを彷彿させるし、そこかしこの描写文にもチャンドラーの香りがするようだ。

ストーリーを解説するわけにはいかないが、主人公の沢崎のオフィスが新宿にあることから、サラリーマン時代のピーク(その後には予想もしない深い谷に飛び込んでしまったのだが)を過ごした、今様に言えば胸キュン、というのか、西新宿あたりの光景が出てくるし、おんぼろブルーバードで走り回る地名もよく知っているあたりが多い。だが、なんといっても文体が素晴らしい。硬くて、突き放すようで、しかしヒューマンな、というのは実に陳腐が表現だが、そういうものを感じる。”ハードボイルド” の定義では文体が重要な要素になっているが、僕の程度の読み方では、専門家がその手本としてあげるヘミングウェイ(翻訳された形でしか比較できないのは当然だが)よりも心に残る、応える、そういう文体なのだ。

ミステリというだけで敬遠する人もいるし、ハードボイルド、となるとさらに遠ざかってしまう人たちがたくさんおられるのはもちろん承知しているのだが、コロナ騒ぎで行動が束縛される日がまだ続きそうだし、テレビばかりでなく、ま、”ミス冒” への偏見(?)を払拭していただくためにも、初めは暇つぶしでも結構、ぜひ、一読をお勧めしたいし、読後感の交換なんかができれば誠にうれしい。

今晩は久しぶりに沢崎に会おうか。まことにキザで書くのもきがひけるけど、沢崎にはバーボンが合うように思うんだが、彼は事情があってアルコールを断っているから、やはり独り酒かな。それにしても俺も結構酒飲みになったもんだ。これもコロナのせいなんだが。

エーガ愛好会(36)久しぶりの西部劇  (34 小泉幾多郎)

12月25日BSP放映「七人の無頼漢SevenMenFromNow 1956」のことよ!

ジョン・ウエイン設立バトジャックプロ製作で、製作者に、弟ロバート・E・モリソンとアンドリュー・V・マクラグレン、監督はバッド・ベティカー脚本バート・ケネディといった顔触れ、しかも共演があの離婚騒ぎまで起こしたゲイル・ラッセルではすべてがジョン・ウエイン好みのスタッフ、キャストだったのだが、残念なことにジョン・フォードの「捜索者」とかち合ってしまい、ランドルフ・スコットに。彼とゲイル・ラッセル共演という魅力的な取り合わせなのに、映画館で観ていないのだ(未だに実際に公開されたのか信じられない)

ゲイル・ラッセルの映画は「密輸空路1945」「拳銃無宿1947」「怒涛の果て1948」「熱風の町1949」等々観たが、その後アルコール依存症から5年ばかり出演作がなく、久方ぶりの登場だったが、この映画の5年後37歳の若さで亡くなっている。ブルネットにブルーアイズで明眸皓歯の美女で、その大きな瞳に見つめられると当時の若者は彼女の虜になってしまうと言われたぐらい心ときめいた女優だった。

妻を殺された元保安官ランドルフ・スコットが犯人の七人の無頼漢を追うスト
リー。冒頭、雨の夜、岩場に休みコーヒーを飲む二人の男のところにずぶ濡れで現われるプロローグ、語り合う間もなく銃声、次には男が2頭の馬を手綱をとっているシーンから始まる。七人のうちの二人ということが分かる。次に幌馬車で歩を進める夫妻(妻がゲイル・ラッセル)と一緒に旅することになり、その後保安官時代に二度ほど逮捕したことのあるならず者2名(うち1名が若きリー・マービン)とも一緒になる。結果的には、夫妻が運んでいたのが、盗まれた金塊で、夫の方は裏切られた無頼漢に殺されてしまう。スコットとマービンとで残りの五人の無頼漢を殺し、最後は金塊を狙うマービンとスコットが決闘になり、めでたしとなる。

あらすじを書いても何ら面白味はないが、大自然を背景に旅する幌馬車に、先住民との戦いもあり、単なる無頼漢七人との戦いに終わらず、実直な夫ウオルター・リードや曲者リー・マービンが加わったことで、ストーリーが複雑化し、ラッセルとスコットの淡いロマンスも良い。やはり本来の西部劇は単純とは言え気分よく楽しんだ。

(編集子)たしか小泉さんが一番気に入っている、女優がこのゲイル・ラッセルだったはずだ。”あの大きな瞳に見つめられて” 震えていたのは高校時代?

リー・マービンの若さにはびっくりする。いろんな場面での悪役ぶりを見てきたが、一番凄味があったのは リバティ・バランスを射った男 だった。それにしてもこの映画の決闘シーン、スコットの抜き打ちは早かった。シェーン のアラン・ラッド vs  ジャック・パランス対決より早かったんじゃないかなあ。

ミス冒愛好会 (8)俺のベストミステリ  (普通部OB 菅原勲)

「らせん階段」(1933年)を読んだ。これを書いたのは、A.ヒッチコックが監督した「バルカン超特急」の原作者、女流作家、エセル・リナ・ホワイトだ。久し振りの「ハヤカワ・ポケッット・ミステリー」(1749番)だったが、その惹句に、このミステリーは「ゴシック・サスペンス」とあった。しかし、話しは、極めて淡々と進み、最後も淡々と終わり(不幸にして、小生、途中で誰が犯人か分かった)、何が「ゴシック・サスペンス」なのかさっぱり分からずに終わってしまった。一言で言えば、ツマラナカッタ。従って、「バルカン超特急」も、図書館から借りる予定だったが止めた。

そこで、ジャイが、ドーダ、スゲーダロウってのを以下に記す。年末年始、紅白も見ず(でも、坂本冬美は、見て聴きたいなー)、箱根駅伝も見ず(小生、駅伝は大っ嫌い)、読み耽っても全部は読めそうもない。ジャイはハードボイルドにアウフヘーベン(ヘーゲルのこの言葉、一度、使いたかったなー。でも間違ってるかな)しちゃったけれで、小生は、本格探偵小説に留年し続けている。

1.「秘中の秘」(1903年):W.ル・キュー

2.「悪魔博士フー・マンチュー」(1916年):S.ローマー

3.「古本屋サロウビイの事件簿」(短編集:1899年―1923年):J.B.ハリス・バーランド

4.「血文字の警告」(1945年):S.ロジャース

5.「冷血の死」(1956年):L.ブルース

以上は市販されておらず、全て私家版だ。つまり、こんな本を、私家版であるにせよ、出版するのは、小生の到底及ばぬ探偵小説バカがいると言うことだ。それも超が付くバカだ(頭が悪いと言う意味ではない)。

なーんて格好良いことを言ったが、紅白を最初から最後まで、箱根駅伝は2/3日と見ちゃうんじゃないかな。ま、そんなことは絶対ありません。

(編集子)目下認知症予防にとほそぼそとドイツ語を勉強してる立場から言えば、Aufheben の使い方は正しいと思う。ただオレのことのために使ってもらっちゃ申し訳ない。ところで、確かに凄いリストだ。脱帽。きいたことがあるのは フーマンチューくらいなもんだな。

ミス冒愛好会 (7)なぜ エルキュール・ポワロはベルギー人か (44 Yumi Ono-Dubois)

何故Hercule Poirot (エルキュール・ポアロ)がBelge(ベルギー人)なのでしょう?

英国人が嫌うFrench(フランス人)では無理。 Flamands (フラマン人、国の北部に住みオランダ語に近いフラマン語を話す)とWallons (ワロン人、南部に住みフランス語を話す) を抱えるベルギーなら中立であるし、フランス料理もたしなみ、Hastings以来の英国紳士(11世紀、フランスのノルマンディ公 -  後のウイリアム1世 – が英国南東部のHastingsヘイスティングスで英国軍を破りグレートブリテン島全体を支配。俗にNorman Conquestという。現在に続く英国の始まりとされる。)とは対照的に愉快な人柄でもあり、アールデコ(Art Deco)時代のデコ(装飾)も車や、そして英国のブルジョア、貴族社会のモナーク(Monarch君主)を中心とした伝統的な確執システムの中の外人探偵(ベルギー人)であれば英国人とは対照的に、3D(three dimensions3次元)の色彩豊かな人物像が描けることでしょう。

(同期 安田耕太郎鋳)

S44卒の同期に Yumi Ono-Dubois (旧姓:小野夕美)さんがいます。日本航空パリ支店勤務を経てフランス人と結婚、フランス在住40年以上、現在もパリに近いヴェルサイユ近郊にお住まいです。その彼女に「ポアロはなぜベルギー人か」を問いかけたところ、フランスの香りのする返答が以下の通りありました。カッコ内は安田が補記しました。12月18日付の掲題の弊投稿記事を併せお読みください。なお、マダム・ドゥボア女史からは今後折を見てフランスから投稿したい旨の嬉しい発言がありました。