77年前の今日。
以前犬の散歩でこの錦糸公園を毎朝三周していました。
その時に、この写真の左奥のお宅に住まわれているご主人、
77年前の3月10日は東京大空襲で僅か1〜
下の2枚の写真は同じ場所から見た風景です。
下右の写真は現在の場同じ場所です。
世界も当然部族とか宗教による紛争はともかく、
今もキエフには最新兵器のピンポイントで攻撃できるロケット誘導
(東京大空襲)
1945年(昭和20)3月10日未明の東京下町(したまち)
本格的な本土空襲は1944年夏にアメリカ軍のマリアナ諸島占領
本格的な本土空襲は1944年夏にアメリカ軍のマリアナ諸島占領
3月10日の大空襲は、ハンブルク爆撃 (1943年7~8月)
(1943年7~8月)
 (1943年7~8月)
(1943年7~8月)2時間半の爆撃によって東京下町一帯は廃墟(はいきょ)
アメリカ軍はこの後、3月12日名古屋、14日大阪、
(編集子)今、頭の筋肉の健康のため、辞書と首っ引きで、エリッヒ・ケストナー(双子のロッテ、とか 飛ぶ教室 など少年少女向けの名作で名高い)の 私が小さな子供だったころ (Als ich ein kleiner Junge war)を読んでいる。いつ読み終えるかわからないが、作者が育った古都ドレスデンの、大戦前の思い出を書いた本である。この街は第二次大戦末期、連合軍による戦略爆撃のためにほぼ完全に破壊された。ウイキペディアの記事をコピーしておくが、古き良き時代が無慈悲に抹殺された歴史の汚点として、東京大空襲と合わせて記憶されていくことだろうし、今はロシア開国の歴史の出発点でもある古都キエフの安全を祈ることしかできないのだが。



