(34 小泉)
荘厳なる鐘の音で始まるスケールの大きな美しい主旋律である「大
(36 岡秀雄) 最近は全く見ない映画を一生懸命見たけれど年には勝てず、途中コックコックリ居眠りしていました。若き日のイングリットバーグマンとゲーリークーパーはやはり素敵ですね、ラストに近いシ-ンは涙を誘うし、映画としては我々はこの頃の古い時代の物が情緒があり、後味が良いですね。長時間だけど良い映画を見る機会を与えていただき感謝。
(44 安田) シェイクスピアとほぼ同時代16世紀イギリスの有名な詩人ジョン・ダン(John Danne)の詩が映画の題名(For whom the bell tolls)だ。彼の詩の中の「鐘」は人が死んだときに鳴る「弔いの鐘」のこと。誰かの死は、自分自身も属する世界の一部が欠けることになり、知らない他人の死であっても、自分自身の損失だと訴えている。ヘミングウェイは、スペイン内乱の中で人知れず死んでいった一人の若者の死は、世界中の人に大きく関わる悲劇だと描いている。そのアメリカ人義勇兵の若者ロベルトをゲイリー・クーパーが演じ、フランコ軍の橋を爆破するため活動する山間部でイングリッド・バーグマン演じるゲリラの薄幸の美しい娘マリアに一目ぼれして死に至る3日間の束の間、二人は愛し合う。悲恋物語であり反戦映画だ。恋人のマリアだけでなく映画鑑賞者や本の読み手の我々もロベルトの死を惜しむべきだと。
名画「カサブランカ」の翌年公開であり、ゲリラの娘として短髪バーグマンの美しさ、特にクーパーを見つめる眼に魅了される。演技をしてないかのようないかにも自然体のクーパーの存在感が際立つ。男女二人のロマンスと内戦における反フランコ共和国軍のゲリラ戦を二つの軸として映画は展開するが、ロマンスとしては「カサブランカ」ほどの深みはなく、内戦のゲリラ戦の描き方も特筆するほどでもなかった。映画を引き締めていたのは、ゲリラメンバーの個性豊かな描き方、なかでもアカデミー助演女優賞を獲得した肝っ玉かあさんゲリラリーダー・ピラーと夫パブロの二人が出色であった。
(普通部OB 船津) あぁ1942年カサブランカ。1943年誰がために鐘は鳴る。映
そしてウクライナの戦場のを思い浮かべざるを得ない。
スペイン内乱はピカソのゲルニカ。キャパの倒れる兵士。そしてヘ
(HPOG 金藤) スペイン内戦に義勇軍の一員として、
(編集子)慶応高校3年の時、学園祭(日吉祭)の実行委員というのになった。初めて女子高との共催、という形式が決まり、双方からたしか12,3人の委員が実行委員会というのを作って、結果はそれなりに評価されるものだったと思っている。実行委員のうち、男子校のメンバーがいわゆる秀才ばかりではなく、中には何が起こるかわからないので司法、という担当、いわば警備員みたいなものにはそれ相応の人材?もいたし、文学青年気取りのやつとかいろいろだったのに対し、女子高側はそろって才女の代表みたいな構成だった。だから(大体日本の場合、同じ年齢ならオンナノコがませているのは当然である)彼女たちの会話を聞いていると僕らにはとても進んだ(と当時は思ったのだ)知性的(に聞こえた)な話題ばかりだった。アンドレ・ジイドがどうしたとか、ラフマニノフのピアノがどうだとか、今思えば彼女たちも一所懸命に見栄を張っていたのかもしれないが、なにせ当時の高校生には女性の友人がいるという事自体がまだまれだったせいもあって、チキショー、と思いながら黙って聞いているしかなかったのだが、そのなかでよく、ヘミングウエイの 老人と海 が話題に上った。そうかい、そんなにいいのかい、と半分けんか腰?で読み始めたのが一連のヘミングウエイ作品だった。以来社会人になってもこのコンプレックスあがり?の感情が残っていて、今本棚をみると翻訳が出ているものはほとんど読んできたようだ。さらにハードボイルドにのめりこんでみると、HB文学の文体はそもそもヘミングウエイから始まっている、というではないか。それではと数冊原書にも挑戦してみたが、母国語でもないし文学のプロでもないものにそのようなことがわかるはずはなく、今日まで来た。
その中で、小生が一番気に入っているというか、うまく表現できないが共感するのが 海流の中の島々(Islands in the stream) である。そしてこの本の結末部分は 誰が為に鐘は鳴る の結末を彷彿させるというか、全く同じ、と言っていいほど似ている。ヘミングウエイは人間の死の瞬間を 真実の瞬間、と呼んだ。この短い一節が凝縮されているのがこの二つの作品のエンディングだと思うのだ。ヘミングウエイは自らのショットガンで自殺した、その銃口をみつめたとき、それは彼にとって真実の瞬間、だったのだろうか。
先日、石原慎太郎が亡くなった。ずいぶん前のことだが、あるテレビの対談番組で、自分は死ぬとき、ああ、俺は今死ぬんだ、と納得しながら死にたい、といったのを覚えている。小生は彼の人を見下したような言動が大嫌いで、作品もほんのわずかしか読んでいないのだが、このときは一種異様な感動を受けた。彼の訃報を読んだとき、慎太郎の真実の瞬間はどうだったのか、と思ったことだった。