ミス冒愛好会 (11)  ”そして夜は甦る”” のこと  (普通部OB 菅原勲)

「そして夜は甦る」(ハヤカワ・ポケット・ミステリー。1930番)を本日、図書館からやっと借りだし、澤崎に会った。そして夜は甦った(夜は甦るとは、具体的に何のことを言っているのか未だに判然としない!)ってな書き出しは、そんなに悪くない。しかし、ド素人の哀しさ、その後がまったく続かない。

30章までは、減らず口は叩くものの、行動で物事を追求し、解決して行く澤崎は、正にハードボイルドの典型的な探偵だ(それに較べ、R.チャンドラーのP.マーロウは饒舌過ぎる。例えば、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」なら、マーロウは自身の行動でそれを示せば良いわけで、何もペラペラと喋る必要は全くない)。

しかし、本格探偵小説に倣って、最後に関係者一同を集めて、澤崎が解決の講釈を垂れるのは、ハードボイルドにあるまじき行為ではないかと、小生、大変、失望した。その上、何も意外な人物を犯人に仕立て上げる必要なんてさらさらない。九仞の功を一簣に虧とはこのことか。残念無念。

(中司)ポケミス版のあとがきで、著者自身もそのことを認めている。当初はHBと謎解きミステリの併合ということをもくろんで自分なりに満足していたが、”HBの主人公が終盤になっておもむろに頭脳明晰な名探偵の様相を呈し始めること” に気がつき、この二つの傾向を併合した形をあきらめて、純粋なHBを時間をかけて書くことに決めた” とし、その成果として 愚か者死すべし と それまでの明日 で確認してもらいたい、としている。彼はこの転換をもって自分の作風を第一期、第二期にわけている。彼の言う第一期の最後になる さらば長き眠り と 第二期を画すと自称する それまでの明日 が双方とも手元で遊んでいるのでご興味あらばお貸しできる。ご一報あれ。

(菅原)手を煩わすのが申し訳ないので、最新作「それまでの明日」、早速、図書館に予約を入れた。どうやら港区は、5/6館ある全図書館で各一冊在庫があるようで、直ちに借りられそうだ。本物のハードボイルド、いや、R.チャンドラー以上のものを楽しむことになりそうだ。

(中司)タイトルについての疑問も同様。彼は先日書いたが映画 狼は天使の匂い にほれ込み、その英語タイトル And Hope to die に続く意味で そして と始めた、と書いているのだが、この映画のフランスのタイトルが何でこの英語タイトルになったのかも全くわからないし、大学で美学を専攻しモダンジャズのソロピアニストだったという著者の感覚がどんなものなのか、考えて見ないとわからないね。

“エーガ愛好会” (41) 真昼の決闘 (34 小泉幾多郎)

マカロニウエスタンでクリント・イーストウッドとともに、主役を演じたあのリー・ヴァン・クリーフのクローズアップ、丘の上で誰かを待つ風情。やがて、仲間と思われる騎乗の男が近づくと続いて第三の男が合流する。その間太鼓の音を伴奏に、テックス・リッターの唄う主題歌が始まり、字幕が現われる。三人勢揃いし、小さなのどかな町へ乗り入れると鐘の鳴る教会に差し掛かり、其処では、ゲーリー・クーパーとグレイス・ケリーの結婚式が行われている。教会を通過し、保安官事務所の前では、気がはやる様をたしなめる場面があったりしながら、町はずれの駅ハドリービルへ。丁度5年前保安官クーパーが捕えて監獄に送ったフランク・ミラー(アイアン・マクドナルド扮)が釈放され、正午着の列車でやって来るという電報を受け取ったところ。その駅員が、クリーフ演じるコルビーのほか、ベン(シェブ・ウーリィ)とピアース(ボブ・ウイルク)に挨拶し名前を呼び、3人のならず者を紹介するまで、緊張感溢れる出だしだ。

クーパーが囚人釈放の電文を見たのが10時40分、それから何回か時計のカットが出てくるが、それから12時過ぎまで出来事を約1時間に収め,ドラマの映写時間と現実の時間経過を一致させている。結婚式を終えたばかりのクーパーは町長(トーマス・ミッチェル)に、このまま新婚旅行に行くよう勧められ、一旦馬車に乗ったが、どのみち無法者たちから逃れることは出来ないと悟ったクーパーは引き返す。町民は帰ってきた保安官クーパーに冷たい。裁判した判事(オットー・オクリュガー)は逃げ出し、親友(ヘンリー・モーガン)は居留守を使い、教会の日曜礼拝の人たちに援助を乞う。議論になるものの、町長の一言、帰ってこなければ、こんな騒ぎにならなかった、と言われ、教会に失望し、前任の保安官(ロン・チャニー)にはもう身体もきかぬと言われ、一人戦う決心をする。

町が再び無法者の天下になれば、のどかな街並みも消えてしまうのではないか、町民はなぜ戦おうとしないのか、相手は4人命知らずとはいえ大勢で対抗すれば何とかなるのでは?酒場にも臨時保安官募集に行くが、酒場に集まるような連中は、釈放されたミラーに好意を持つ連中も多い様子で冷笑されたるだけ。保安官補(ロイド・ブリッジス)の嫉妬深く、自信過剰な性格の若者との関係や酒場を経営している女将(ケティ・フラッド)の描き方も凝っている。彼女現在は保安官補の恋人だが、過去クーパーに心を寄せながらも思いかなわずミラーの情婦にもなったという過去を持ち、妻のケリーがクーパーと別れ列車に乗ろうとすることに腹を立てながらも、戒める言葉を吐くところや最後の感慨無量の表情等名演技だった。

最後の決闘のシーン、列車の汽笛と共に列車がやって来る。妻のケリーと酒場を売って町を去る決心をした女将が列車に乗るところへ、3人の無法者に迎えられたフランクが降り立ち、上着を脱ぎシャツ姿に拳銃が渡される。クーパーが町のがらんとした往来をゆっくり歩き、4人は並んで威勢よく入ってくる。突然一人が婦人服屋に戻り、ガラスを割り婦人帽をとる。物音にクーパーが気付き、身を隠す。この婦人帽をとる理由が意味不明。1対4だから当然正面からの堂々たる向かい合っての射ち合いは望むべくもなくお互い身を隠しながらの作戦を考えての射ち合いなのに、わざと音を立てるなんて?その本人が最初の犠牲者。その音を聞いた妻ケリーは我慢できず列車を降りて町へ走る。場面は馬小屋へ、2階に上がったクーパーがクリーフを射つ。馬小屋に火がつけられ、クーパーは馬数頭と共に脱出する。夫クーパーの危機を見た妻はクエーカー教徒の身を忘れ窓越しに後ろから射ってしまう。その音でフランクがケリーを盾にしたが、彼女が抵抗する隙にクーパーが射ち、すべての無法者が倒される。クーパーを讃えようと集まった町民を背に保安官の星章を投げ捨てクーパーはケリーと共に去って行く。
人間を人間らしく、西部男の弱い面も表現した写実的な演出、ゲーリー・クーパーもシリアスな従来にない味を出していた。ケリー、フラッド二人の女優は勿論、4人の無法者の寡黙な演技、町長のトーマス・ミッチェル以下それぞれの町民たちの演技も細かい神経が行き届いていたように思う。今回見直して矢張り、従来にない西部劇の映画的表現であり、西部劇に新しい光を投げかけた最初の作品と言っても過言ではないと再認識した。

(編集子)グレイス・ケリーの西部劇初登場であり、小泉長老のご指摘にもあるがケティ・フラドの重厚な演技が素晴らしかった。クーパーが遺書を書くシーンも印象的だったが、もう一つ、この映画の素晴らしさはテックス・リッターの野太い声で歌われる主題歌だった。当時中学で英語を習い始めたばかりで、この歌詞を必死になって読み解いたりした記憶が懐かしい。

映画のタイトルについて、日本語訳の乏しさ、芸の無さについては幾度も書いたが、たまたま開いた google  に原題の high noon をどう訳すか、という英語の練習問題が乗っていた。それで思い出したが、グレゴリー・ペックが主演した頭上の敵機 の原題は Twelve O’clock High である。航空機や艦船のように常に方向が変わり目的物との位置関係が定まらない環境では、東西南北という指標が使えにくい.そのため、自分の進行方向を常に時計の12時を指す、ときめてあって、たとえば左真横は9時の方向、というように使う。これだけだと水平方向しか表せないので、上空ならば high という補足をする。Twelve O’clock High は12時の方向(進行方向)の上方,ということになるので 頭上の敵機、という表題はまさに正しい。同様に 眼下の敵 が Enemy Below なのもその通りだが、攻撃を避けるために高速で動く対象だから方向までは特定できない、という意味なのだろう。そこで high noon とはなにか。太陽が真上にある。すなわち真昼。たしかにこの後は戦いなのだが、決闘、という平凡な名詞が気に入らん。対決、なんかじゃダメだったか?

だが、今みたいにコロナという敵が上下左右前後内外に潜んでいるときはどういうのだろうか? Enemy everywhere ?  Enemy allover ?

 

 

 

 

“エーガ愛好会 (40) ラ・ラ・ランド 沸騰

(保屋野)当然お気づきのことと思いますが、明日(2日)NHK(PM10時)で「ラ・ラ・ランド」が放映されます。最高のミュージカルが楽しみです。

(安田)両手を挙げて大賛成です。封切りと同時に映画館で観ましたが素晴らしく楽しみました。reminder 多謝です!

(菅井)公開当時から評判は聞いていたのですが、残念ながらこれまで観る機会がありませんでした。この作品に大きな影響を与えたと言われている「ロシュフォールの恋人たち」(1966 監督ジャック・ドミ音楽ミシェル・ルグラン)をへそ曲がりな私はミュージカル映画No.1に押していますので非常に楽しみです。

(保屋野)最近のミュージカルの中では傑作との評価の高い映画ということで期待して観たのですが、2回目という49才の娘は「面白かった」と云ってましたが我が老夫婦は、まあまあ満足はしたものの、ミュージカルとしては、少々期待外れの映画でもありました。

確かに、冒頭の高速道路での群舞には度肝を抜かれたし、アカデミー主演女優賞を獲得したエマ・ワトソンと恋人役のライアン・ゴズリングとの(夜景を見下ろす公園やプラネタリウム等での)ダンスシーンは見応えがありましたが、全体に、歌やダンスシーンが少なかったのが少々物足りませんでした。もちろん、「傑作」という評価に異論はありませんが、昨年観た「雨に唄えば」には遠く及ばない、というのが私の率直な感想です。

しかし、以上は、後期高齢者の、(独断と偏見)感想で、ジャズの好きな人や若者には「大傑作」なのかもしれません。

(安田) 題名ラ・ラ・・のラはLAの土地、即ち羅府、Los Angelesのこと。映画冒頭の高速道路(Free Way)の上で郡舞しているのは、太平洋岸のMarina del Rayから市の西部を南北に貫きサンフランシスコに達する幹線サンディエゴFree Way との合流点でのシーン。その際、画面の上(北の方角)に見えていた高層ビル群はCentury City/Bevery Hills。そのビル群の右側(東)背後に見えていた山がHollywood一帯です。

 プラネタリウムのある公園というのはグリフィス天文台と言って、Hollywoodの山の連なりを更に東に行くと(ロス市の中心街ダウンタウン方面へ)天文台に達する。そこから見下ろす市街地は50キロ先のロングビーチまで真っ平らな土地に直線的な道路が走っている。映画の話ではなく、地理の話になってすみません。学生時代に植木屋をやっていてLAを走り回っていたのでつい。群舞の高速道路あたりは100回超は通過してよく覚えています。グリフィス天文台のある山の下の安アパートに住んでいました。
 映画館で観れば迫力があって、印象も異なるかもしれませんが、僕らベテランには「雨に唄えば」「オズの魔法使い」「フレンチ・カンカン」「王様と私」「ウエストサイド物語」「マイ・フェア・レイディ」「サウンドミュージック」「ロシュフォールの恋人たち」「シェルブールの雨傘」などの方が、ワクワクさせられますね。保屋野さん、僕らはやはり歳ですよ!(笑)。 娘世代は断然「ラ・ラ・ランド」派、良し悪しというより好き嫌いの問題かも知れませんね。
 「ラ・ラ・ランド」で主役を演じたエマ・ストーンが出演した「女王陛下のお気に入り」(The Favourite) 2018年は面白い映画です。未観でしたらお勧めです。18世紀初頭アン女王の治世下、スペイン継承戦争でイギリスはハプスブルク家(オーストリア)と結託してフランスと対立。その時代の女王に仕える女召使いの相克葛藤を描いた歴史コメディです。主演のアン女王役のオリヴィア・コールマンがアカデミー主演女優賞を獲得しました。

(久米)ラ・ラ・ランド17歳の孫娘が大感激しまして3回も繰り返し見たことに刺激されて封切間もない映画館に足を運びましたが全くピンときませんでした。その孫娘は凝り性で「鬼滅の刃」も3回も見ています。私も見に行こうかなと申しますと原作も読んでないしきっと解らないんじゃあないかなと言われてしまいました。17歳と70いくつかでは間隔(編集子質問:もしかすると 感覚?)が違うのでしょう。ラ・ラ・ランドはミュージカル映画として点数をあげられない気分でした。

それで今回のTV放送も見ませんでした。「タイタニック」の時も娘が大感激して世間でも大評判でしたが私は全く感心しませんでした。セリーヌ・ディオンの歌う主題歌だけは良いと思いました。その直後に観た「グッドウィルハンティング」の方が数倍素晴らしく感じました。その時も、少し私も感覚がずれて来ているのかと思いましたが今回の保屋野君の感想を読み同感の士がいることがわかり安堵致しました。

(小田)昨年2月に民放で放映され、録画してあったのですが、今度のはCMが入らないので撮り直しました。私も音楽のほうが好きで、国際フォーラムでのスクリーンコンサートに行きました。今又3回目が催されているようです。先月の娘の結婚式でも流れていました。 以前、もう細かい事は忘れてしまいましたが、TVで同じ監督の、“セッション”(音楽院の怖い教師とドラムを習っている生徒の音楽的対決)を観ました。迫力がある映画で、最後の対決のセッションは、”キャラバン”。私はベンチャーズの方を良く聴いていました。

久米様:
今日のTVによると、板橋の下赤塚にある、ブランジェリーケンでエルビスというパン、(バナナ、ベーコン、ピーナッツバターと蜂蜜入り)を売っているそうです。

(編集子)プレスリーってケーキがあったら教えてほしい。

(菅原)「ラ・ラ・ランド」は見ておりませんし、見ようとも思っておりません。後期高高齢者にとってのミュージカルと言えば、一にロジャース&ハマースタイン、二にロジャース&ハマースタイン、三にロジャース&ハマースタインで、四以下はなしです。

「オクラホマ」、「回転木馬」、「南太平洋」、「王様と私」、「サウンド・オブ・ミュージック」などこそミュージカルと思っておりますが、どうやら「ジーザス・クライスト・スーパースター」あたりから、ロジャース&ハマースタインが古めかしいミュージカルになってしまったようです。でも、小生にとってのミュージカルは、ロジャース&ハマースタインであり続けるのは間違いありません。また、独断と偏見でしょうか?

(編集子)アメリカと言えば西海岸しか知らないが、南半分、つまりLAあたりは好きではなかった(サンタバーバラは別)。ララ、でなくて、サンフランシスコベイエリアブルース、なんてのだったら興奮してみたかもしれない。要はLAあたりってのはハリウッドのせいだろうがなんとなく嘘っぽくて、薄っぺらなんだな、俺には。だからラ・ラ・ランド、ってのはタイトルからして気に入らん。スガチュー説に賛同するものなり(江戸時代でいやあ横丁の頑固老人だな、つまり)。

エーガ愛好会(39) 映画が芸術であった頃の話  (普通部OB 田村耕一郎)

新年の映画番組を楽しんでいるとき、映画にうるさかった横山善太のことを思い出した。2005年に彼がにある会合に招かれて講演したときのエッセイ「映画が芸術であった頃の話」をご紹介する。善太のご家族から「皆さんにご披露すること」また「貴兄のブログに掲載すること」の了解を得てある。生前、善太から文学青年の趣きが漂うエッセイを数作もらっておりこれはそのうちの一作。

(編集子注:普通部時代の同級生、横山善太は中学時代から秀才とうたわれ、早熟で文学好きな好漢だった。航空会社大手の要職にあったが、退職後発覚した宿痾と壮絶な闘いののち、2018年3月、旅立った)。

*************************

毎年の欧掘出張の際、週末の一日をあの懐かしい欧州名画 の故郷に訪ねることにしています。 「わが谷は縁なりき」(1944年ジヨン・フオード)のウェールズコンダヴアレー、「第三の男」(1948年キャロル・リード) のウイーンなどでありますが、今回は静かにゆつたりとしたお正月 に「逢いびき」(1945年デビット・リーン)をご紹介します。

舞台はランカスター地方のカーンフオースという小都の駅なので すが 、 訪ねて参りました。 この映画は英国映画名監督のデビット・リーン(”旅情”、”戦場に 架ける橋” ”アラビアのロレンス)の出世作品と言っても良いのでしよう。 第2次世界大戦終戦直後の1945年の製作にも拘らず、すでに イギリスでは落ち着いた中流家庭の日常が何もなかったように控え 目に時が流れているさまを描いた作品です。 物語はロンドン郊外の中流家庭婦人(シリア・ジョンソン…当時 の名舞台女優とのことであるが、地味な中程度の美人で、映画では 有名ではない)とクロスワードパズルに熱心な夫と夕食後の退屈な 時を静かに過ごす。蓄音機からこれもまた静かにラフマニノフが流 れている 。 この夫人は毎週木曜日にこの地方の中核都市とおぼしきミルフオードという街に鉄道で出掛け、買物をしたり、図書館に寄ったり、 映画を観たりする習慣になつている。 一方ロンドン在住らしき医師(トレバー・ハワード)がおり、こ の街の粉塵公害研究所に毎運木曜書に来訪する。この医師との出会 いから別離までが控え目な興奮とときめきを伴って展開する。そし て一線を越える間際で 、 ある成り行きに遮られ 、 何事も起らず医師 は思いを断ち切るため、かねてから話のあった予防医学 研究のため のアフリカ行きを決意し 、 初めて出会ったミルフオードの駅のレス トランで別れの時を過ごす場面となる。たまたま居合わせた夫人の 友人のおしやべりのため、医師は彼女の肩に手を置くだけで何も言 わずに去り 、 情熱の火は余韻を引きつつ消えていくのであります 。 イギリスの退屈なれどエスタプリッシュされた中流家庭に一石が 投じられ水面に波が立つことになってもまた静かな水面に戻る情景 、 ドラマテイツクな場面はない,リアリテイと日常性が不思議と物語 の情感を伝えることとなっている名作だと思うのです 。

さて 、 私はこのミルフオード駅を探したところ実在の街ではなく 、 映画ではランカスター近郊の小都カーンフオースという街 、 駅が現 場であつたことが分かりお訪ねすることになりました 。 予め調べておいたこともあり 、 お訪ねすると当駅の鉄道OBなる チヨビ髭大男がブルーのトックリセーター姿なんぞで大仰に愛想良 く出迎えてくれました 。 実は最近 、 日本の方々が” 逢いびき”の故郷ということでお訪ね になることが多いこともあり(何と吾が懐かしきキネ旬同窓生が既 に探訪しているか!と感心したりして)ロンドン]の古物商に売り 払った駅時計を買い戻してきたなどの解説を聞きながら 、 誰もいな い待合室で”逢いびき」のエンドレスフイルムを見ながら記念写真 をとろうとすると 、”いや、そぅではない。あの時トレパー・ハワー ドがコートをひるがえしてホームの階段を駆け登り時計を見る場面 がある〈の〉ではないか” とそのポーズをとらされたり 、ご案内頂 き 、 出会いと別れの駅レストランのカウンターでビターを飲みなが らイングリッシュネスの情感に身を置く心地よい想いでありました (日本公開昭和露年キネマ旬報第3位)。

この時代の映画を映「画が芸術であつた頃」と評する人がおりま すが 、 確かに貧しくとも 、 むしろ貧しかったからこそ感動の多い時 代であつたと年末に越し方振り返りそう思うのであります 。

ミス冒愛好会 (10) 日本伝統のハードボイルドを読め!  (普通部OB 菅原勲)

「Ryo is back」と聞けば、石川遼を思い出すぐらい原寮のことは全く知らない。その初めての作品「そして夜は甦る」(ハヤカワ・ポケット・ミステリー。1930番)を本日、図書館からやっと借りだすことが出来た。これは、ジャイ大兄の極めて激しい「アオリ」のおかげだ。そこで、ハードボイルドのお返しをと思って、D.ハメットの「血の収穫」、英国のH.チェイスの「ミス・ブランディッシュの蘭」などを考えたが、これらは、ハードボイルドと言うより、むしろフランス語の「roman noir」(暗黒小説)だ。だから、貴兄の嗜好に合わないと危惧した。そこで、小生の本命を、以下にご紹介する。

小生、大変、お気に入りの藤澤周平だ。特に、「蝉しぐれ」、「海鳴り」(毀誉褒貶相半ばする。何故なら、その結末が、「マディソン郡の橋」と真逆だからだ)なども面白かったが、一番、面白かったのは、「彫師伊之助捕物覚え」の三部作だ。「消えた女」、「漆黒の霧の中で」、「ささやく河」。うろ覚えだが、藤澤自身「私は、全く意識していませんが、これらはハードボイルドだとの評価を受けました」と述べているように、話しの内容は勿論のこと、そのカワイタ文体は正にハードボイルドそのものだ。時代小説、それも捕物帳だからと言って毛嫌いされていたなら、それこそ、騙されたと思って一読されることをお薦めする

大袈裟に言えば、真のハードボイルドは、米国だけでなく日本にもあった。

(編集子)小生の日本史の知識はぼぼ100%司馬遼太郎と吉川英治で、この二人の著作はかなり読んできたが、小説の分野では古典ものでは漱石、ほかには一時期、五木寛之に凝ってだいぶ読んだがご指摘の分野は全く無知。これから改めて読み始める。いずれ。

ゆく年くる年-僕の場合  (39 堀川義夫)

ゆく年ー12月30日に中房温泉に向かう長い雪道(無雪期はバスが通る道で、車止めのゲートから片道約13km、標高差約800m)を勇躍仲間と楽しく歩いていました。ところが中房温泉まであと3km位のところで急に股関節が痛み始め、登りが急になると激痛が走り、耐えながら宿に着いて温泉入り休むと痛みも取れて安心していたのですが…夜中に違和感があり、朝食後もすっきりしません。朝5時の燕山荘の天気状況はー21℃で暴風雪とのこと、中房温泉の説明ではあんに登山をしないように勧めていました。悩みました。そして結果的には途中で痛みが激しくなり下山しなければならない状況になったときに他のメンバーに迷惑をかけるのではと思い、下山を決断しました。

結果論から言えば、下山して正解でした。復路のやはりゲートまであと5km位手前から痛み出し、やっとの思いでタクシーの呼べるゲートに着くことが出来ました。原因はおそらく、往路でスピードを上げるために大股で歩いたためではと思います。暮れの23日に、この山行の為に行った大山へのトレーニングの際も少し違和感があったのですが…油断でした。結局、往復26kmも雪道を歩いて温泉に行ったという、お粗末なお話でした。

来る年ー今年、私は傘寿を迎えます。私の一番好きな山スタイルは、テントを担いで縦走する山旅です。あえて登山とせずに山旅としました。何故なら高校時代にさかのぼって思い起こすと、私は高校生時代に丹沢、八ヶ岳などの夏山程度しか経験がなく、ワンダーフォーゲル部に入部した動機は、言わば、自然豊かな里山歩きや名所旧跡を訪ね観光ができるのではと思って入部したのです。しかし、少し思惑が違っていました。新人養成を受け、1年の夏合宿が終わると山が面白くなってきました。一生懸命、学業をさぼって年間百数十日も山に行きました。でも、社会人になってから2,3年は山にも行っていましたが、26歳で結婚そして山やスキーに疎遠となりました。46歳で再開し、大病も患いましたが60歳くらいから70歳くらいまでは、コタキナバル山、ヒマラヤのトレッキング(4回)、キリアコンカグア遠征(6700mで断念)、マンジャロ登頂、ヒマラヤのメラピーク登頂、モンブラン遠征(グーテ小屋まで)、そしてマッキンリー(現在はデナリ)登頂などを経験しました。そして、2018年5月に喜寿の記念にとヒマラヤのロブチェ・ピーク(6189m)に挑戦し、5800m付近で高山病の為にリタイアしました。このころは海外の山に行くことを念頭に、日本の山を登っていましたが、この辺で海外の高山は終わりにしようと思っています。従って、これからの山登りの考え方も変わってくるようになります。

今年からは、気力、体力、家庭環境が整えばまだまだ山には行きたいと思っていますが、中心はロングトレイルを念頭にテントを担いで、時に安宿に泊まりながら、放浪の旅をのんびりと行きたいと思っています。季節を楽しみ花を愛で、温泉に地方のグルメと酒を味わいながら・・・即ち、私が大学のワンダーフォーゲル部に入部しようとした高校生の時の感覚でそれを実践しようと考えています。傘寿を機会に自分の山スタイルに少し変化を加えられれば良いな、そうです、一言で言えば年齢相応の活動と言うことでしょうが、自分自身、そのような活動で満足できるか否かはわかりません。でも考え方を方向転換していかなければ体力、近い将来に体力、気力もついていけなくなるのではと思う次第です。一つの私自身に課せた、新年の決意です。

エーガ愛好会 (38) 僕の見た三人のポアロ (44 安田耕太郎)

4人の男優が演じたエルキュール・ポアロを映画・テレビで観ている。ピーター・ユスティノフ、アルバート・フィニー、デヴィッド・ス―シェ、ケネス・ブラマーの全員が英国籍の大英国勲章(Sirの称号)を授与された名優ばかり(フィニーだけは授与を拒絶)。4人はそれぞれ年齢が15歳、10歳、15歳離れている。アルバート・フィニーの1974年版「オリエント急行殺人事件」当時の比較的若い40歳を除くと、他の3人はほぼ40歳半ばから50歳過ぎに演じている。

ピーター・ユスティノフはロシア系ドイツ人の父親とロシア人の母親からロンドン生まれ。「クォ・ヴァディス」「俺たちは天使じゃない」「スパルタカス」と数作のポアロ役はどれも味わいのある演技であった。が、アガサ・クリスティの描くポアロはベルギー人で小柄な男性となっている設定からすると、体格がやや大き過ぎ(太り過ぎ)だったかも知れない。アルバート・フィニーの次にポアロ役を演じた(ナイル殺人事件)たのが1978年。
ス―シェは南アフリカ出身の両親はユダヤ人。ベルギー・フラン語訛りの英語の喋り方、独特の風貌など彼の映画人生の総てを懸けてポアロ役に取り組んだことが伺えた。その手法は、ポアロ役を役者ス―シェに近づけて取り込むように演じた感が強い。1989年の1作目から2013年まで13シリーズのポアロ役を演じた。
ケネス・ブラマーは北アイルランド出身で王立演劇学校を首席で卒業して、ローレンス・オリヴィエの再来かと評されたエリート俳優(監督・演出もやる)。フィニーだけが生粋のEngland出身のイギリス人だ。1作のみのポアロ演技であったが、フィニーのポアロが一番気に入っている。
「バルカン超特急」からの流れに沿って、話を1974年版と2017年版の「オリエント急行殺人事件」に絞る。両者の間は43の長い年月で隔たっている。撮影技術の進歩によって2017年版CG技術を駆使して、バルカン半島の山間の地で列車が雪で立ち往生するが、背景はバルカンの地には実際は存在しない急峻な雪と岩のアルプスの高峰のような山々で現実味に欠け嘘っぽい。その点1974年版は、映画の舞台当時1934年の頃の現実的な風景を映画にそのまま映していて、臨場感もあって本物ぽかった。
映画の冒頭のシーンにも相違があった。2017年版はイスラエルエルサレムでの事件を解決してポアロが帰国の途にイスタンブールからオリエント急行に乗り込むが、エルサレム「嘆きの壁」で事件を解決するシーンから映画が幕を開ける。1974年版は、列車内の殺人事件に繋がった10年前のニューヨーク・ロングアイランドにおけるアームストロング家の少女誘拐・殺人事件に焦点を当てるところから幕を開ける。列車内の殺人事件を際立たせる効果の点でその前座としてNYのアームストロング事件を関連付けて描いたのは理に適っていて冒頭のシーンとしては一日の長があった。また、登場人物がボスポラス海峡を挟んだ港町ウスクダラから、対岸にある旧市街の歴史建造物(アヤソフィア寺院やブルーモスク)を眺めながらフェリーボートで渡って列車の出発駅に向かうシーンは、イスタンブールの旧市街が画面いっぱいに広がって異国情緒をより楽しめた。余談だが、195060年代にかけて江利チエミが歌って流行った「ウスクダラ」はまさにこの東イスタンブールの町のことである。
登場人物と主演俳優の顔ぶれ比較であるが、23の登場人物が異なっていた。脚本を少しいじった様だ。74年版は、ローレン・バコール、バネッサ・レッドグレイヴ、ジャクリーヌ・ビセット、イングリッド・バーグマン、「サイコ」を思い出させるアンソニー・パーキンス、「007からの脱却を図るショーン・コネリー、リチャード・ウイッドマークなどの熟練のオーラ輝く俳優陣であった。かたや2017年版は、ジュディ・デンチ、ペネロペ・クルス、ミッシェル・ファイファー、ジョニー・デップなどが馴染みのあるベテラン俳優陣で、全体として74年版に比べて非力な、或いは格下感は否めなかった。74年版では、バコール、レッドグレイヴ、バーグマンの3人がテーブルの席を同じにして集うシーンがあったが、近づきがたいプロのオーラを放っていたのが印象的であった。若き20歳代のバコールとバーグマンの映画に魅了されてから30年後の彼女等にお目にかかるのも格別であった。バーグマンは演じた役を自分から請うて出演したとのことである。「カサブランカ」など若い頃の作品とは一変した地味な役柄を、スエーデン訛りの英語を喋るなど登場人物になりきって見事に演じたと思う。アカデミー助演女優賞に値する演技だとアカデミー関係者が認めたのが分かる気がする。彼女はこの映画の8年後他界する。
そして主役のアルバート・フィニーとケネス・ブラマーの対比であるが、ブラマーはポアロ役主演に加えて、監督演出も担当していた。無難にポアロ役をこなしたとの印象が強い。フィニーは、外見や言葉遣いなども含めて、ポアロ役に成り切ろうとするアプローチが鮮やかであった。名うての名優達を向こうに回して、 外見は勿論のこと、慇懃無礼な言葉遣いや立ち振る舞いに至るまで、アガサ・クリスティの描いたイメージ通りに名探偵ポアロを体現していたと思う。オードリー・ヘップバーンを相手役とした「いつも二人で」1967年でも、自分のキャラクターを強く押し出さず、相手役を引き立たせるように演技していたかのように見えた。ジュリア・ロバーツ扮するシングルマザーの主人公に巻き込まれる弁護士役を演じた「エリン・ブロコビッチ」2000年でも、主要な脇役をきっちり演じることで主役を引き立たせ、作品に貢献するのを心得ていたと感じられた。彼の「ドレッサー」1983年も秀作だ。
観客の目を引き付ける俳優だらけのこの1974版映画において、観終わった後の最も印象に残るのが、アルバート・フィニーの演じたポアロだった。

ゆく年くる年ー孫との初めての山   (50 丸満隆司)

いやはや去年は大変な1年でした。”居酒屋MARU””も12月昨対比5割に届きませんでした。とにかく何とか踏ん張って継続したいものです。
山の方は登ってますが昨年は前半自重し後半常念~蝶、11月西黒尾根から谷川岳に登って、今年は先ず2月くらいに雪のある山に行きたいと思ってます。
ゆく年は11月に娘二人の家族と一緒に奥多摩御嶽山に。孫達と山に登るのは初めてで楽しい思い出になりました。写真は泊まった宿坊御嶽山荘の前で。
くる年は今日かみさんと疫病退散祈願で亀戸天神にお詣りに行って来ました。夕陽に照らされたスカイツリーと亀戸天神が撮せました。
亀戸天神は錦糸町近辺の氏神様で私もMARUのある町会の祭りの会である睦会の幹事長を仰せつかっております(ワンゲルでも同期しか知らないのでは?)。
昨年は祭り始め全ての行事が中止になったので今年は出来るようになればいいのですが…とにかくまだまだ先が見えない状況でありますが皆様も健康にご留意ください。

エーガ愛好会 (37) ”狼は天使の匂い”

大晦日はテレビに懐かしいエーガが沢山並んでいたが、今回は何をさておいても見なければならない、というフィルムがあった。暮れにアマゾンで調べたらまだ多少の在庫がある、ということだったので発注したのがこの日に到着したのであ る。DVDなのだから、何もこの日に見なくてもいいのだが、何が何でもすぐ見てみたい、という気になって、BS番組はそっちのけでこれも暮れに届いたDVDプレーヤを抱えて別室で堪能した。ルネ・クレマン監督、ジャンールイ・トランティニアンとロバート・ライアン主演、狼は天使の匂い である。

クレマン映画と言えばまず頭に浮かぶのは 太陽がいっぱい であり 禁じられた遊び で、この作品の名前は聞いたことがあったが、今日まで全く興味をひかれなかった。それがなぜこの時点で優先度1番になったのか。少し前に”ミス冒” で書いた、原尞の そして夜は甦る を読み直したからである。早川ポケミス版には、作者のあとがき・解説があって、”そして夜は甦る” の出版が自分の人生を二分した、と書き、”狼は天使の匂い” という映画は、まさに私の人生での 映画観 を二分した特別な作品だった、と書いている。そしてクレマンの2作が名作、傑作に値するのに間違いはないが、自身ですら名作・傑作とは思っていない 狼は天使の匂い のほうがもっと気になる作品であるのはなぜか、今でもわからない、という。そして自分の最初の小説の中に、そのいくつかのシーンを埋め込んだ、と言われれば、どうしても映画自体を観たくなったのは当然の成り行きだった。暮れにやったエーガ愛好会のベストテン候補に僕は 俺は待ってるぜ を入れた。数ある裕次郎映画の中で、一本を選べ、といわれたらためらわずにこれを選ぶ。誰もが傑作、名作などとは決していわないだろうが、これなのだ、という感情がこの原のあとがきに書かれているのを知ってまた原への親近感が湧いた。

この映画のタイトルはいったい何なのだ。僕はフランス語を解さないので、フランス滞在の長かった甥に原題を訳してもらった。La course du lievre a taravers les champs  を直訳すれば、野原を横切る野ウサギの競争、なんだそうだ。それがなんでこんな題名になったのか、映画会社の営業政策は例によってわからないのだが、この映画にはフランス語版と英語版があり、その英語版のタイトル And hope to die  から、本書の題名を そして で始めた、と原は書いている。ここまで書かれて、日本語のタイトルの可否はともかく、映画を観ないわけにはいかないではないか。ウイキペディアでは

And Hope to Die is a 1972 French-Italian thriller-drama film directed by René Clément and starring Jean-Louis TrintignantAldo Ray and Robert Ryan. It is loosely based on the novel Black Friday by David Goodis. 

と解説している。ここまでくればこの次は この Black Friday とやらを探すのが次のアルバイトになるような気もしてきたが、その前に映画そのものははっきり言って難解な作品だったし、理屈に合わない部分もあった。しかし映画の持つ雰囲気の異様さ、というか、DVDのカバーでは不思議なムード、と片付けているトーンは確かに腑に落ちた。どう落ちたか、といえば、作品の筋を作る暴力行為とか銃撃とか、そういうものではなく、最後のシークエンス、トランティ二アンとライアンがそこまで来ている自分たちの最後はそっちのけで銃撃遊びをする、そしてまた突然にそれにかぶさって出てくるエンドマーク、という ”切れ” というのか、これが僕の感じている ハードボイルド というものだったからだ。ハリウッドや日活の作品だったらこのラストは例えば友情だとか真実だとかそういう終わりになるだろう。もしそういう終わり方だったら、それはロマンであってハードボイルドではない。そんな映画だった。

後で気が付いたのだが、購入したDVDのカバーに使われているこの二人の表情がポケミスのカバーの一部に使われていた。原はこのカバーを気に入っているらしいので、たぶん、彼が感じているのも僕と同じなのではないか。勝手な想像だが、僕をますます原ファンにしてくれたようだ。

なお、原が小説 そして…. に映画のシーンを入れた、というのは、ポケミス版の192ページと198ページにあり、僕がしびれたラストシーンのことは209ページに書かれている。