ジャイさん、宣言解除で来春のシニアワンダラーズの新年会は開催されますか? 開催なれば上京するつもりです。愛好会の皆さんのご尊顔を拝見できないのは残念ですが、解除されて余り羽根を伸ばさないようにご健勝を祈っております。
*玄関脇のキンモクセイ、素敵な秋の芳香と秋バラの開花一号, の写真を添付しておきます。
(編集子)相変わらずお元気なご様子、心強いです。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(菅原)「駅馬車」をいつ見たのか、その時期は定かではない。普通部の頃だったろうか。とにかく、猛烈な勢いで疾駆する駅馬車、それを追い駆けるインディアン。それが、しつこいこと、しつこいこと、いい加減に諦めたらと思っても、何時まで経っても止めない。実は、カー・チェイスならぬ、このインディアンによる駅馬車チェイスの迫力が凄まじく、これしか覚えていないのだ。ジョン・ウェインもクレア・トレヴァーも記憶にないし、挙句の果てに、話し自体も忘却の彼方だ。従って、インディアンに何も悪さをしていない善良な駅馬車と乗客に、執拗にも襲い掛かるインディアンとは誠に悪い奴だとの印象が深く刻み込まれた。
ところが、後年、それなりに米国の歴史に関し、色々な本を紐解くと、大違い。米国には、既に土着民(インディアン)がおり、あとから移民してきた白人が、その土地を収奪し略奪し、ある場合は虐殺、または保留地に閉じ込めるなど、むしろ、善人はインディアンであり、悪人は白人であることに気付かされた。余談だが、西部開拓史など、いかにも浪漫の漂うような心地よい言葉だが、正しくは、西部収奪/略奪史だろう。
つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。
(34 小泉)先ずは、駅馬車のテーマ音楽、「俺を淋しい草原に埋めてくれるな
駅馬車はアリゾナ州南部のトントからメキシコ
当時西部劇がハリウかった。西部劇とは何たるか
最初の宿場ドライフォークでは、ハットフィールドが、ダラスを除ンのフ
蛇足ながら、1966年と1986年に同じ駅馬車の題名でリメイ
ワイオミングの緑では実感が湧かなかった。後者は、テッド・ポスト監督ク
(保屋野)通しでは初めて観ました。モニュメントバレー、・・・駅馬
この作品は、西部劇定番の、勧善懲悪ヒーローも、美形のヒロイン
西部劇の傑作、ということですが、確かに1939年制作の映画と
車内の人間模様も、賭博師や銀行家の役割が今ひとつ分らない。更
私は、何故、と思いネットを見たら、アパッチに連れ去られる前に
駅馬車は主題歌も良いですね。黄色いリボンも楽しみです。
ちなみに、昨年観た西部劇では、「大いなる西部」がダントツで「
(小田)黄色いリボンと、シェーンそして駅馬車のDVDを安かったのか、
アメリカで頂いた、駅馬車のポスターのコピー添付しました。
(船津)
何故お奨めで、「西部劇」大一番なのか。
1939年製作。我らと同年のゆえ、80年も前の映画。「風と共に去
ジョン・フォード監督が矢張り名監督。何が凄いか。モノクロの陰
ジョン・ウエインは胃癌の悪化で、1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポ
入院期間中の6月5日には、当時の大統領であるジミー・カーター
最後も嫌われ者同士が別天地へ馬車で遠ざかっていくというのは何
まぁ「スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、
(編集子)ジョン・ウエインが演じたリンゴー・キッドは実在の人物で本名はジョン・ピーターズ・リンゴ、教養のある人だったといわれる。ただこの映画での伏線となったとおり、兄を殺されその敵3人を射殺したのも事実であるようだ。荒野の決闘・OK牧場の決闘ではジョニー・リンゴという名前で出てくるが、クラントンに味方したのは事実だがこの決闘を生き残った。その後は、牛泥棒など無頼の生活を送り、1882年にアリゾナで殺された。
良く知られているようにウエインが西部劇のキング、となったのはこの ”駅馬車” からであり、その意味でセーブゲキ党には欠かせない一作である。小泉さんが書かれているように背後に流れる曲は Bury me not on the lone prairie という民謡がベースであるが、南部貴族崩れを演じたジョン・キャラダインのショットでは、一瞬それが南部を連想させる名曲 金髪のジェニー に代わる。飲んだくれ医者のトマス・ミッチェルとの会話で出てくるように、この映画が背景とした時代はまだ南北戦争の傷跡が癒えていない時代でもあり、南北双方の顔を立てようとしたフォードの苦心というべきだろうか。フォードはやはりウエインの騎兵隊三部作の最終作 リオグランデの砦 でもモーリーン・オハラが南部の出身であるという筋書きに従って、最後のほうに出てくる閲兵のところでキャロル・ナイシュ演じるシェリダン将軍が楽隊に特に命じて南部のマーチを演奏させ、オハラを喜ばせる、というような配慮をしている。
今回(何度めだったかは忘れた)気がついたのだが、ウエインの仇、ルークがカードに興じているときに リンゴが来た! という手下の情報が入る。その時ルークの手はエースと8のツーペアで、これは “死の手” というらしい。またキャラダインが南部貴族のプライドからルイーズ・プラットのガード役で駅馬車に乗り込むのだが、その時最後にあけたカードはスペードのエースだった。こんなところがいかにも心憎い(このあたりがやりすぎだという人ももちろんいるだろうが)。ジョン・ウエインが登場する場面には何度もふれたが、前半で途中まで護衛にあたった騎兵隊が分岐路を左へ、馬車は右へ行く。この時、しばらく後へ残って駅馬車を見送る若い中尉のカットが(ストーリーにはあまり関係ないと思われるほど)長く出てくる。ティム・ホルトのいかにも若くて好感が持てるショットである。当時、将来の主演級を期待していたのだろうか。荒野の決闘ではアープの弟バージルを演じている。
(安田)「駅馬車」はジョン・フォードの抒情的感性が人間味あふれる駅馬車内の人間模様やキッドと娼婦ダラスのハッピーエンドを描き、娯楽としての「motion picture」(アメリカ人が呼ぶ映画のこと)の面白さと融合した傑作だと思う。1939年の昔にあの迫力満点の馬車疾走場面を撮る発想と技術はタダ者ではないと思った。人気の高い映画「荒野の決闘」は西部劇というよりメロドラマだと思った。ジョン・フォードのことはよく知らず、娯楽映画の西部劇専門の映画監督だ、くらいにしか認識していなかったが、映画を観るうちに次第に惹き込まれていったのも事実。そこで、彼のことを知りたくなって彼の映画を集中的に見つつ少し調べてみた。「捜索者」を見た折にジョン・フォードについても感じたことをまとめたwordfileを再送になりますが、貼付の上お送りします。そんなジョン・フォードが彼の名声を不動のものにした「駅馬車」は矢張り西部劇の隆盛をもたらした先駆けの役割を果たしたのは間違いない、と思っている。
(小川)皆さんのコメントを読んだうえでジントニック片手にジックリと見直しました。何度見たか記憶にありませんが、改めて発見することも多く非常に楽しめました。各位の実に克明に観ておられるのには感服する次第です。
あのテーマ音楽の由来、エンディングで流れる金髪のジェニー、エースと8のツーペア、スペードのエース(これは見落とした)を上手く配するところなどはジャイ兄の言う通り実に心憎い。また菅原兄の穿った見方 “つまり、今にして思えば、駅馬車を襲ったのは、略奪の限りを尽くした白人に対する、インディアンの正当な怒りであり逆襲ではなかったのか。そう言えば、ジョン・フォードに西部劇は多々あるが、インディアンを悪者扱いにした映画は寡聞にして見たことも聞いたこともない。そう言った意味では、穿った見方になるが、フォードは、所謂、アメリカン・ニューシネマなるものの遥か先を行っていたのではないだろうか。” なるほどと思いました。
小生はやはり飲兵衛、酔いどれ医師のブーン、トーマス・ミッチェルの演技に惹かれました。お産の時の変身ぶり、そのあとダラスからリンゴの求婚を相談された時のブーンの表情、やっぱり彼は素晴らしいバイプレーヤーで良かった。 それにしても若いジョン・ウエイン、その後40年も付き合うとはねえ~。船津兄の感想とウエイン最後の紹介有難うございました。愛好会会員ならねばの実に楽しいひと時でした。
おはようございます。晴れの天気が続いています。日中は半袖でちょうどいいくらいの暑さです。
休日は予定通り薪ストーブ、煙突掃除をしました。
最後に外回り、窓を掃除して完了。ざっとですが半日かかりました。これで安心してシーズンを迎えられます。
(編集子)北杜市小淵沢にある、編集子のささやかなセカンドハウスの管理をお願いしているグリーンビラ総合管理社の御好意で、同社のホームページから借用。やはり都会より早い秋の訪れが感じられる。あの稜線を駆け上がったのは何年前だったか、再び訪れることはもうないだろうが、権現直下のあの岩場の感触はまだ心に新しい。
フルサト、というものを知らない僕にはこのあたりの風物人情がそれに代わってくれているように思える。コロナのおかげで今年の故郷の夏は知らないで終わってしまったが。
“語彙の問題” についての私見です。
日本語(だけではありませんが)は動いています。「全然」
うざい、うざったいのルーツは多摩方言で、エグい(きつい)
ご存知かと思いますが、若者の使う「ヤバい」
(編集子)こういう議論を待っていました。シニア世代各位のご意見に期待。
江戸情緒もないしプラチナ通りの華やかさもない、まあ、街道筋の横丁にも、それでも秋はやってくる。我が家の向かい側、落ち着いたたたずまいの家からこぼれ出てくる萩の花。
”中司さん、この萩に似合う歌があるんだけど、知らないだろうなあ“。もと財務省にその人ありと知られた敏腕官僚だったという家の主は道いっぱいに落ちた萩の花をかき集めながら、
白萩の 三斗こぼれて 三斗咲き
という句を教えてくれた。誰の句だったか、教えてもらったのだが忘れてしまった。杉本宗匠ならご存じかもしれないが。
数年前、夫人が体調を崩して入院され、まもなくご本人も施設に移られた。その後お会いする機会もなく、時々、親族と思われる女性が見回りに来られることはあるものの、雰囲気のある家はひっそりとしたまま。ただ、その人が愛していた白萩は今年も静かに咲く。三斗はないが。
白萩に あるじの孤影 かさねをり
(37 杉本光祥)ご無沙汰しています。三斗咲きの句、いい句だと思いますが、始めてみました。私も作者は知りません。そこで、歳時記やパソコンでも調べたのですが見当たりません。お役に立てず申し訳ありません。
最後の白萩の句もなかなかいい句ですね。ジャイさんの句ですか。
私の先月の特選の句
山の日や山の山たる剱岳 光祥
山の日にちなんで、昔を思い出して作ったものです。どうぞお元気でご活躍下さい。
(編集子)びくびくしながら書いておいた自作の一句、おほめに預かり天に登る感じであります。
新型コロナ感染者数が減少しています。何故減ったのか?これで終息へと向かうのか?まだ予断を許さず、はっきりしたことは分かっていません。
政府の言いたいワクチン接種率が向上したか。僅かづつ接種率は上がっているとはいえ、最近の新感染者数カーブを説明できるような接種率ではない。では感染機会と一致したカーブの人流が減少したか。これはむしろ増加傾向とみてよさそうだ。会食、イベントも減ってはいない。そうなるとこの感染者減少が、どうして起きているのでしょうか。
感染者の年代が老年世代から若者世代へと移行してきていました。そして基礎疾患のない若者での死亡例が報道されたこと、自宅死亡が報道されたことにより、若年世代間に‶他人ごとではない“という危機感が出てきて、行動にわずかな変化が生まれて感染率が減少したのではないかという発言をされた方がいましたが、私もそれを支持したいと思います。
もう一つ、非常に大事なことですが、ウィルス自体が自らをコントロールできない程の変異をして、自壊(エラー・カタストロフィー:Mアイゲン教授)という終局へ向かったのではないかという児玉龍彦教授の仮説です。こんなありがたい話に飛びつきたいのですが、ウィルスの運命の一パターンには違いなく、スペイン風邪もこれで終わったという解釈もあります。これは乞い願うしかないのですが、あって欲しいものです。
それにしても世の中は、緊急事態宣言解除へとまっしぐらの感じです。怖ろしいのは次の第6波がやってくると思いますので、それに備えなければいけないところ、全くと言ってよい程準備されておりません。軽快退院してゆく患者全員のPCR検査がなされておらず、もし弱いウィルスを持ったままであると、治療抵抗性のウィルスの培養器となり、いつか新たな変異を起こして再燃し、第6波の火元となります。今時間的にも余裕が生まれている筈です。感染者ばかりでなく、広く検査を行うべきです。新たな変異株を確実に把握せねばなりません。
3回目のブースターワクチン接種が話題となり、そこへの既定路線に乗ってきたようです。私としても受けたいとは思います。しかし本当にそれでよいのでしょうか。まだ2回目が済んでない人が国民の半数はいるのです。主義上、持病上接種できない人を除いても、まずは全員接種を目標としそれから考えるべき筋合いのことと思います。それよりも世界を見てみると、何億という単位で接種が大幅に遅れている人々がいます。アメリカでは再び感染者が増えそうです。グローバルな世界となっていますので、日本だけ終息すればOKとは言えません。終息したと思っていると海外から新変異株が入って来ます。 治療面では、抗体薬がクローズアップされてきましたが、特異性と抵抗性のせめぎ合いとなりますので、カクテル抗体が必要になります。
これが一番大事かもしれませんが、医療体制の整備です。場当たり的にコロナ病床を増やせというのではなく、重症用ベッド、中等症用ベッド、軽症者用ベッド(これには今のホテル・イベントホールなどの待機療養ベッドを含め)に、根拠を持った必要数と、空きベッドのまま次の第6波、7波(あるいはまったく別のパンデミック感染症がいつ出現するか分かりません)に備える必要があります。自宅待機を亡くしましょう。多くの病院で二人部屋を一人用に転換しています。非コロナの病棟を圧迫しています。胃癌患者は早期がんが減って進行がんが増えています。総合的に検討し、整備するのは今でしょう。
自粛開放ムード一色となりつつあります。コロナ対策はこれで良かったのではないかという、誤った認識が生まれそうで、それが怖いことです。日本のこの1年9か月、コロナ対策としては誤りの連続であったことは、これまでの『コロナ情報』で毎回指摘してきました。若しこれで終息に向かったとしても、幾多の問題をほったらかしているので、全く安心はできません。ウィルスの自然傾向から見ると、次のピークは12月、正月ではないかとも言われます。 細心の注意を払いつつ、青空を待ちましょう。
昨日9月28日の朝7時半ごろ、あまりの警報のうるささに
現場の前が駐車場で住宅がつながっていないことで延焼の危険はな
(菅原)隣りじゃなくて良かったです。真ん中の写真のオソロシイこと。
(小田)近火お見舞い申し上げます。私も怖い経験をしましたので、火災報知器が話題になり、付けるこ
(安田)消防車出動について、昨年の暮れ(12/30) 家内が腰を骨折して救急車を呼びましたが、
(金藤)奥様大変でしたね。 その後いかがでしょうか?うちの近所の方が腰を打って動けず救急車を呼んだ時も消防車が一
塾野球部はこのコロナ禍のため変則ルールではありますが春季リー
選手たちは秋季リーグ戦の前から四冠(リーグ戦の春・秋連覇、
総当りの対校戦は同じなのですが、
塾野球部は第1週目は東大と 対戦し大過なく二連勝し、先週末は 相変わらず甲子園常連の野球強豪校からの選手を取り揃えた 明治戦に臨みました。応援に 行った土曜日の1回戦は6回裏まで3−1でリードするも7回表に
リーグ戦連覇のためには負けられない日曜日の2回戦 なのですが、ジャズ・ポップス三田会の同期から10/17(日)
同点にした経緯を調べたら、
値千金のホームランを打った北村選手(内野手・捕手)は高2夏・
ベンチ入りして活躍し
投手 増居 翔太(左・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
投手 橋本 達弥(右・右、3年、兵庫県立長田高)
内野手 北村 謙介(右・左、3年、福岡県立東筑高)17年夏、18年春
外野手 橋本 典之(右・左、4年、島根県立出雲高)16年夏
内野手 朝日 晴人(右・左、3年、滋賀県立彦根東高)17年夏、18年春
神宮に行っていた応援仲間から聞いた話では 北村選手の応援に来ていたご両親は泣いていたそうです。
昭和35 年のセンバツ に出場してベスト8になり 大学では六大学初の完全試合を達成した直方出身の大投手渡邊泰輔
友人から送られてきた、キャノン グローバル戦略研究所 宮家邦彦氏の最近の発言をご参考まで転載します。
抑止力とは軍事力の均衡という視点にとらわれがちだが、「平時」とみられる段階から情報操作やサイバーなどの様々な分野で、相手の侵略する意図をくじかなければならない。
現代の戦争は初期段階でサイバー攻撃や情報戦を駆使する非軍事の世界で生じる。全地球測位システム(GPS)やインターネットを使えなくする。スパイ活動やフェイクニュースなどの拡散も同時に起こる。
武器を使わない初期段階で負ければ、どんなに軍事のハードウエアで戦っても勝てない。日本は軍事と非軍事の境目がなくなったことへの対策を考えてこなかった。非軍事の世界での「攻撃」は誰も戦争が始まったとは宣言しない。サイバー攻撃は武力攻撃と定義できるのか、自衛権は発動できるのか、基本的な点ですら整理できていない。
中国はSNS(交流サイト)上で台湾の民主進歩党(民進党)の評判を下げるためのディスインフォメーション(偽情報)を流している。世界中に情報戦をしかけ、台湾との外交関係を切らせようと動いている。ロシアは米大統領選に介入した。
中ロともに専門の組織がある。中国は日本にも当然しかけている。日本はどのような情報戦がしかけられているのか分析し、正しい情報をカウンターとして発信できるように体制を整えなければいけない。日本の政府は組織づくりでも問題意識は弱い。中ロは数千人単位の専門部隊がいるとみられる。日本の現状の体制ではとてもかなわない。
軍事のハードウエアと非軍事のソフトウエアを総動員して、「これでは勝算はない」と思わせなければいけない。
(編集子)時あたかも自民党総裁すなわち総理大臣選出プロセスのピークである。防衛問題について、新総理下の体制つくりに注目しよう。