”日本国紀” 補論  (普通部OB 菅原勲)

 

日本国紀はまだ読んでいない。そこで、早速、図書館に予約を入れた。ところが、待ちが、上巻は35人、下巻が29人。図書館の最大貸出期限は2週間だが、面倒なのでひとり10日間と計算しても300日前後だから、借りられるのは10ヶ月後の年末年始か。

そこで、War Guilt Information Program(以下、WGITと省略)だが、この件に関し江藤淳がやったことが極めて過小評価されているのが、誠に残念でならない。江藤は1932年生まれで、塾の文学部英文科を出た文芸評論家だ。ただし、1989年暮れ、妻が癌で亡くなり、翌年、手首を剃刀で切って自死している。その著作は数多あるが、例えば、「小林秀雄」とか「漱石とその時代」などがある。1979年、米国で、占領下の検閲事情を調査し、米国の大学教授からWGIPの写しを入手。「忘れたことと忘れさせられたこと」(1979年)、「1946年憲法―その拘束」(1980年)、「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(1989年)などで、初めてその存在を明らかにし、日本国の憲法が米国によって押し付けられたことも含め。つまり、我々は、体よく洗脳されてしまったわけだ。ただし、江藤は文芸評論家であって歴史家ではない。従って、所謂、専門家からは等閑視されたのも無理からぬことではある。百田がその江藤に言及しているかは寡聞にして知らない。

(編集子)俺たちの年齢で10ケ月先に何が起こるか、わかったもんじゃねえ。読了した2冊、お貸しするので住所、教えてほしい。片倉会の住所録がどこを探しても出てこない。

(菅原)そりゃー、そうだな。「カサブランカ」で、酒場の女に「今晩、どう」と誘われたボガートが「そんな先のことは分からない」って言ってるぐらいだから。喜んで拝借する。