横尾忠則展へ行ってきました  (44 安田耕太郎)

芸術の秋!錦繍の秋、味覚の秋 の中から今日は「横尾忠則展」@東京現代美術館に行ってきました。都心を東西に横切り地下鉄で1時間乗り継いで、江東区の清澄白河まで。船津さんのお宅から近いのでしょうか?帰りには清澄庭園に立ち寄り、散策。江戸時代の豪商・紀伊国屋門左衛門の屋敷だと伝えられ、明治初めの岩崎家(土佐出身の三菱創業者)が買い取り、現在に続く庭園にしたとのこと。松尾芭蕉の住居からも近く、「古池や蛙飛びこむ水の音」の石碑が庭園内にありました。

写真撮影はNG。600点を超える膨大な作品群に

最も感嘆した5歳の時に描いた絵

度肝を抜かれ圧倒されました。S11年生まれの今年85歳。いまだ現役で制作中。数年前、六本木の国立新美術館で開催された草間彌生(当時87歳)の展覧会2017年にも魂消ました。横尾忠則は40年前にNY近代美術館(MOMA)でピカソ展に触発され画家への転身を決意。今月3日にNHK日曜美術館で彼の特集番組を見て、こりゃあ、展覧会に行かねば~と、思った次第。アンリ・ルソー、ダリ、アンディ・ウォーホル荒木経惟、ジャクソン・ポロック、ピカソなどからの影響があるように感じられました。三島由紀夫と親しくなり、彼を題材として描いた絵画が幾枚かありました。

 

花と虫    (大学クラスメート 廣明幹雄)

ヒマに飽かせて、季節の花とか、花に立ち寄る虫たちを撮っています。
今回は、初秋の花に立ち寄る虫たちのスナップです。

1.キバナコスモスとシマアブ

キバナコスモスは夏から秋まで多くの花を付けてくれます。
キバナコスモスは普通のコスモスが盛んに咲くやや少し前に、種を沢山つけて、花期を終えます。シマアブは9月~10月ごろキバナコスモスを訪れます。

2.キバナコスモスとキアゲハ

キバナコスモスは前述したとおり、夏から秋まで咲いています。
キアゲハはシマアブとほとんど同じ時期にキバナコスモスに寄ってきます。丁度ヒガンバナが咲く時期と一致します。
キアゲハはキバナコスモスがとまると重量で花が下を向いてしまうので、羽根をばたつかせながら(花びらが上を向いている状態で)蜜を吸います。羽根の羽ばたくサイクルが少ないのでホバリングとは云えませんが、花が大きく揺れるので撮りにくい場面が続きます。

3.センニチコウ(千日紅)とウラナミシジミ

センニチコウは花期が長い花ですが、花の取材に行ってたまたまウラナミシジミの写真が撮れました。自宅には無い花なので観察不足ですが、ご近所さんの庭を覗いて見ると、かなり長い間しおれずに咲いているようです。

4。ハギ(萩)とウラナミシジミ

ハギは近くの禅寺の参道にあるハギで、例年花の写真を撮るのが年中行事です。
ウラナミシジミも多分他の花から花へと移ってきてハギにたどり着いたに違いありません。アクロバチックな形で風に揺れるハギにしがみついています。
小さな虫たちが懸命に生きているのに勇気づけられます。

5.ユリオプスデージーとヒメヒラタアブ

ユリオプスデージーは花期の長い木で、真冬と真夏以外は花を付けています。重宝な菊の灌木ですが、小さく仕立てることは可能です。
一方、ヒメヒラタアブは1センチに満たないアブで、ホバリングしながら蜜のある花を探します。

6.ホトトギスとホウジャク(蜂雀)

ホトトギスは関東地方では9月~10月に咲く花です。
けばけばしい花で、蜜は花の奥の場所にあるので、口先が長い虫しか蜜を吸いにやって来ません。
ホウジャクは涼しい時期になると飛来します。、気温が20℃を下回らないと活発に活動しません。我が家に廻ってくるホウジャクは、朝もしくは夕方の薄暗い時間帯に飛来します。ホウジャクは花に止まると花が重く垂れ下がるので、ホバリングしながら蜜を吸います。ブーンという音がします。
朝だと日の出寸前とか、夕刻だと薄暗くなってからです。

(編集子)61年度卒業の小生のクラスは、博士級大秀才から尺八の名人に俳人にレスラーにピアニストにと枚挙にいとまがない才人秀才の集まりだった。毎日、部室には必ず行くが教室には必要最低限しか顔を出さなかった小生には多少居心地のよくないところもあったが、その中で名をはせた硬骨漢(論客であった飯田武昭ともいい勝負だった)が、当時の印象とはかけ離れて花鳥風月の日々を送っているらしい。かれの主宰するブログもご覧いただければうれしい。以下、関連情報。

 私は自分のホームページとブログは共にハンドルネーム(ペンネーム)を使っ
 ています。ホームページは「ひろさん」、ブログは「善人閑居」という名前
 です。

 ブログの URL は https://blog.goo.ne.jp/micky333

 ひろさんの旅枕 の URL は
 http://www5.airnet.ne.jp/hiromi/index.html
  です。

 

 

 

近頃の若者は・・・・(HPOB 菅井康二)

一部の筋でちょっと話題になった同窓の後輩にあたるある若者のことお伝したいと思います。史上最年少で司法試験に合格した大槻凛くんという青年(むしろ少年?)のことです。

皆さまご存知かとは思いますが、かつては法曹三者(裁判官、検察官、辯護士)になるためには旧司法試験制度(一次・二次・短答式・論文式・口述)という超難関をクリアする必要があったのですが2004年に創設された法科大学院制度によって、法科大学院修了後5年以内に司法試験(短答式・論文式・口述)受験するという制度に変更されました。諸事情で法科大学院に通うことができない法曹三者志望者のために司法試験予備試験という制度が設けられこの予備試験の合格者も司法試験を受験することができます。合格率からみると難易度は旧司法試験≒司法試験予備試験のようです。この司法試験予備試験の合格率は約4%と非常に狭き門となっています。記事中にもありますが法科大学院修了者の司法試験合格率は約35%(東大、京大、慶應、早稲田の法科大学院はもっと合格率は高い)であるのたいして司法試験予備試験合格者の合格率は93.5%となっています。大槻凛くんは塾高3年生でこの司法試験予備試験に合格し、今年塾法学部に進学して受験した司法試験に合格したそうです。法曹を目指した動機や高校生としての勉強方法などに関してはリンクした記事を読んで頂くとして、その頭の良さや勉学に対して努力を惜しまない姿勢もさることながら以下発言のようなとても19歳の青年とは思えないしっかりとしたモノの考え方には吃驚しました。

>>はい。やっぱり教養って大事だと思います。極端な話、いま大学を中退して、司法修習を受けて、弁護士になりました、ということも理論上は可能です。けれど「こんな若いやつに相談や依頼をしたいですか?」と聞かれたら、頼みたくないと思うんですよ。

法律家は、法律の知識だけで仕事をしているわけじゃないと思うので。教養という面で考えても、やっぱり大学に通う意味はある。よりよい法律家になれるんだろうなと考えています。

そして、これから勉強に限らず、幅広く社会経験も積みたいです。今まであまりしてこなかったので、いろんなことに手を出したいです。その一つとして、留学があると思いますし、英語もそうですし。法律と全然関係のないアルバイトもしたいです。<<

いい大人でも舞い上がりそうな状況なのに19歳にしてこの自覚が凄いというか素晴らしいです。若くして自分の才能を認めてくれる証左を手に入れた場合はある種の全能感に浸って傲慢になりがちですがそんなところが全くなく謙虚です。

大槻凛くんは幼稚舎から慶應なので、中学〜大学受験の勉強をする必要がなく興味を抱いた分野に没頭することができる時間を持っていたことが年若くしてこの資格試験に合格できた由縁だといえます。そして彼をそういう環境で育てるためには親の意志や経済力(幼稚舎6年間の学費は約750万円、新設された横浜初等部は約950万!)が必須であり社会の格差は人格形成を含め人材育成にも大きな影響を及ぼしていると感じた次第です。

(安田)最近よく話題としてマスコミ・テレビでも取り挙げられているのが、経済格差による教育格差の問題の深刻化です。日本よりアメリカの状況が酷い。例えば、東部の名門アイビー・リーグ私立大学の授業料は年間$5~6万(約600万円)する。日本の私立大学の5倍ほどか。教育格差が社会に出てからの成功の格差を産み、結果として階層を硬直化、固定化させ益々格差社会と経済格差を助長させています。そして、この問題をより深刻にしているのは格差が世代を超えて引き継がれる傾向が高いこと。住むコミュニティーなども日本などより貧富の差が峻烈で、地域格差も顕著で犯罪の温床ともなっていて、弱肉強食のアメリカ社会の恥部の一つになっている。日本と違い国民皆保険制度のないアメリカでは、貧困層は病気になっても高額な医療もまともに受けることも出来ず、富裕層との寿命格差をも産んでいる。

エーガ愛好会(91)  アパッチ砦 (34 小泉幾多郎)

ジョン・フォード騎兵隊三部作の第一作。軍人の精神の鑑として扱われていた第七騎兵隊全滅の事件を、カスター将軍の方に非があったとおそらくは初めて批判的な眼で扱った作品。これ迄は、ラオール・ウオルシュ監督「壮烈第七騎兵隊1942」のようにもっぱら軍人精神のような角度から扱われていた史実だが、何か問題を起こし、責任をとらされたか、 アパッチ族との抗争が絶えない辺境の地に左遷させられたサーズディ中佐(扮ヘンリー・フォンダ)が、アパッチ族を掃討することで呼び戻されることを望み焦りの気持ちに陥っていて引き起こした悲劇、という話になっている。                                            例によってモニュメントバレーの中を向うかう駅馬車の疾走シーンから始まる。赴任する中佐とその娘フィラデルフィア(シャーリー・テンプル)とが乗っている。其処に。その娘と懇意になった士官学校卒のオローク少尉(ジョン・エイガー)も赴任のため馬で一緒する。好きになったフィラデルフィア俗称フィルが父の眼を盗んでコンパクト鏡で馬上のオロークを眺めるのが可愛い。途中の中継所で軍曹たちが出迎え、当然中佐のためと思いきや、電信不通で連絡がなく、自分でなく大尉の出迎えと知り愕然とする。それでも軍曹たちの執り成しで、砦に到着、懇意だったコリンウッド大尉(ジョン・オブライエン)やヨーク大尉(ジョン・ウエイン)と対面、引継ぎは問題なく終わる。オローク大尉の父は軍曹(ワード・ボンド)、母はフィルの亡くなった母と懇意だったこともあり、フィルはその一家と直ぐ打ち解け、オロークとの仲も深まる。名刺交換は日本の慣習とばかり思っていたら、当時の軍隊で初対面で名刺を渡すことが義務ずけられていたとは驚き。父より息子オロークの方が位が上、仲間のマルカーヒー軍曹(ヴィクター・マクラグレン)たちに、息子の上官としての訓練ぶりを聞くところ等微笑ましい。その後、騎兵隊の輸送馬車が襲われたりした頃、フィルとオロークが遠乗りに出掛け、父の中佐に大目玉を食う。中佐は家柄の違い等を理由にして二人の交際を禁止する。

騎兵隊とインディアンの抗争の一番の理由が、インディアンに連発銃や酒を売りつけていたミーチャム(グラント・ウエザース)という男。そもそも政府の官僚でありながら、インディアンを堕落させ追い詰める裏工作を行っていた。ミーチャムを捕えた中佐は、ヨーク大尉からインディアンの有力者コチーズと話し合うことを提案され、ヨーク大尉は通訳の部下ビューフォート軍曹(ペトロ・アルメンダリス)を連れて、白旗を掲げコチーズの許へ。コチーズはスペイン語を操ることの出来る知的で高邁なる人物で、コチーズとは和平が成立したものの、その約束にも拘らず、中佐は連隊全員を招集し強襲すると言い出す。アパッチ族の罠に気づかない中佐は出動を命ずるが、ヨーク大尉は反対し、抗命の理由で、任を外される。中佐は全軍を率いて突撃するが、重囲に落ちて全滅してしまう。誤った一人の上官の命令に従わざるを得ずあたら命を失ったかっての日本軍にも思いを馳せざるを得ない。アパッチの攻撃に備え十数人の兵士たちが銃を構え、めいめいがポーズをとり、滅びゆく一隊の悲愴美を漂わせる様。冒頭からのモニュメントバレーを疾走する駅馬車、馬上で駆け抜ける二人の男女の姿、騎兵隊の出発、砦でそれを見送る妻たちの顔等々、人間たちと巨大な西部の自然との溶け合いよって造形された風景。これらはキャンバスに描かれた絵のように美しい。西部に住みこの地を愛しその風物を描き続けたフレデリック・レミントン(1861~1909)という画家がいたそうで、ジョン・フォードはこのレミントンの絵を愛していたという。映画制作にあたり、レミントンの絵のような映画にしたかったと語ったと言われている。モニュメントバレーを愛していたが、その中の人間のいる西部の風景を愛していたと言えるようだ。

後日、新任の隊長として、記者会見に臨んだヨーク大尉が言う「我が隊の士気は以前より高い。これはサーズデイ中佐の功績だ。」この言葉で、中佐の偏屈さは、軍人精神の正義の守護神として入れ替わってくれたのだった。ヨーク大尉の機転で、後方部隊で生き延びたオローク大尉はフィルと結婚し子息にも恵まれる。蛇足になるが、現実に、映画の3年前に、ジョン・エイガーは妹の同級生であったシャーリー・テンプルと結婚していたが、有名人テンプルの夫という重圧から、酒に溺れ、結婚後5年で破局している。「黄色いリボン」以降、それでも低予算作品、TVドラマ等へ出演し、81歳まで生きた。テンプルは、ご承知のように、子役時代からの映画界キャリアも凄いが、後半生30年に亘り外交等の公職を歴任した。

(編集子)ダコタ州ブラックヒルズで金鉱が発見されたのは1874年であるが、このあたりは先住民族との間の協定で彼らの居住区となっていた。貪欲な資本家に押された政府は協定を無視したため、この地域に白

ブラックヒルズ山地

人の山師たちが集中して、金鉱発掘ブームとなる。これに激怒した先住民側は部族を超えて団結,強力な抵抗運動を始める。1876年、カスター将軍は周囲の反対にもかかわらず自分の率いる第七騎兵隊のみで地域に進攻し、圧倒的な兵力差の下で全滅した。これを映画化したのが小泉解説にある 壮烈第七騎兵隊でカスターを当時人気の高かった

壮烈第七騎兵隊の江ロール・フリン

エロール・フリンが演じた。添え物の女優役はやはり絶頂期にあったオリヴィア・デ・ハヴィランド。この戦闘がきっかけとなって、小康状態にあった西部地域が先住民族との激闘に巻き込まれる。名高い酋長にジェロニモという男がいて白人たちの恐怖の的になった。”駅馬車” のトップシーンは電信線を破壊されて重要な情報が届かなくなる場面から始まるが、電信手が最後に受信した単語が ジェロニモ! だということでその場に恐怖が走ったのをお気づきだったろうか。ただ、こういう史実を知ってみると、こういう国に、ウイグル人問題などで正義を振りかざす資格なんてあるんだろうか(だから習近平が正しいというのではもちろんないが)と思ってしまう。所詮、歴史は勝者だけのものなだろうが。

さて、いよいよジョン・フォード騎兵隊三部作、の登場である。アパッチ砦で若き大尉だったウエインは リオグランデの砦 では妻(モーリーン・オハラ)と別居を余儀なくされた中年の役を演じる。結局元の鞘に収まるきっかけは一兵士となってウエイン部隊に配属された息子(クロード・ジャーマン・ジュニア)の

リオグランデの砦

活躍になるのだが、この息子の後ろ盾となるのが同じ兵士仲間の ベン・ジョンソン、ハリー・ケリー・ジュニア。彼らの指導役の軍曹になったヴィクター・マクラグレン、グラント・ウイザース、チル・ウイルス、キャロル・ナイシュ、ワード・ボンド、ペドロ・アルメンダリス、などを加えた面々がいわゆる フォード一家、と呼ばれた人々である。ハリー・ケリーの父親はフォードと同時代に名プロデューサー兼俳優として尊敬されていた人で(赤い河 では締めくくりに登場してクリフトから牛を買い付ける紳士を演じている)、フォードは彼に対する敬意もあってジュニアをよく登場させた。三部作最後の 黄色いリボン はすでに老齢に達したウエインが引退を前にして若い士官たちを助けて、夕陽の中を去る。ただ、最後の最後に大統領令で彼はもう一度、”スカウト” として隊へ呼び返される。

ベン・ジョンスン

この通知を持ってカリフォルニアへと落ちていくウエインを呼び戻すのが、小生のお気に入り、ベン・ジョンソンである。三部作のうちで最も好ましいこの作品、機会があればお見過ごしなきよう、おススメしておく次第。なお面白いことにウエインの演ずる大尉が前2作ではヨーク、なのに黄色いリボンではブリトルズと名前が変わっている。なぜだか、わからないが。

 

三部作、のほかにフォード一家の登場する映画は数々あるが、三人の名付け親 という名画は、話の筋から言ってあまり多くの人物が登場せず、ウエイン、アルメンダリス、ケリージュニアにワード・ボンド、この4人だけのつまりフォード一家の映画といってもいいものだ。この連中のほか、女優でよく出てきたのがミルドレッド・ナトウイック。大物ではジェイムズ・スチュアートとリー・マーヴィンもフォードのお気に入りだったらしいが(この二人が主演したのが リバティバランスを射った男 である)、一説によるとウエインとマーヴィンは犬猿の仲だった、という裏話もある。

時々話題になる、作家というか、くせものリポータ広瀬隆に ジョン・ウエインはなぜ死んだか という一冊があり、彼の言うところによればウエインの死因となった癌に感染したのは、彼が数多くの西部劇映画撮影の場所としたネヴァダ州の砂漠地域が、実は同州で数多く行われた原爆実験の場所だったからだ、という。この本によれば 三人の名付け親 で共演したペドロ・アルメンダリスも癌の宣告に絶望して自殺したのだというのだ。この作品で、砂漠の放浪の果て、アルメンダリスはこれ以上歩けなくなった、と知り、コヨーテに食われるよりは、と言って、ウエインが背を向けたときに自殺してしまう。なんだか不気味な話ではないか。

も一つ、関係ない話だと思うが、僕らの高校時代に華やかだった歌手、ドリス・デイに、日本語の題名はわすれたが Take me back to the Black HIlls という曲があった。歌詞に ……Black HIlls of Dakota という一節があるので、同じ場所のことだと思うのだが、映画でも活躍した金髪の、誠にこれぞアメリカンガール、と感じさせた風貌はまだ瞼に鮮やかである。もっと無関係なことでいえば、Secret Love なんてのもあったなあ。も一つ余談だが、昨晩の夕刊にニューミュージック170曲、というCDの広告があった。数えてみたがちょうど1割17曲しか知らなかった。歌は世につれ、だろうな。

 

 

 

 

(承前) 国領駅  21時

(中司)ワイフが大河ドラマを見ている間に散歩してきた。

地下化した駅の上が広場になってバスタクシー乗り場を兼ねている。調布市の触れ込みでは跡地は緑の森になる……..はずだがまだなっていない。蒼海変じて桑田となり、山芋海に入りててウナギとなる、の類であろうか。
(菅原)ウソだろう。これがあの国領とは俄かには信じられない。あの頃から較べると、まるで未来都市って感じだな。50年ほどでこうも変わってしまうのか。いまだに信じられない、本当なのかね。駅以外何もなかったよ。それだけ馬齢を重ねたってことか。まさかなんかの映画のセットじゃないのかね。とにかく、吃驚仰天!!わざわざのご連絡、誠にかたじけない。

(中司)有為転変 往事茫々 驚天動地  階前の梧葉既に秋声 嗚呼古城何をか語り 岸の波何をか語らん 受験英語なら time really flies,  というやつよ。

 

乱読報告ファイル(10)    ランシマン  民主主義の壊れ方

香港、ミャンマー、アフガニスタンとここのところ政変が相次いでいる。表面的には安定しているように見えるトルコだとか、ウクライナなどでも国内事情はいろいろと波乱含みのように見える。そして共通に語られるのが民主主義の危機、というテーマである。だいぶ前にフランシス・フクヤマという政治学者が書いた 歴史の終わり という本が有名になった。この本は今や世界の国々は民主主義を基盤にする段階に到達し、イデオロギー論争は問題でなくなった、と主張し、民主主義は変わらずに存続しつづけるだろうと断じた。しかし現時点において、彼の主張はどうやら誤りか、もしくは時期尚早な結論であったのではないか、と思い始めていたので、散歩帰りによったいつもの本屋で、(例によって)衝動買いしてしまったのが本書である。

本書はトランプ政権が誕生した米国の社会事情についての考察から始まっている。一部の人々はトランプによってアメリカの民主主義が破壊された、と主張するが、著者は米国の民主主義そのものはトランプ一人によって破壊されるほど脆弱ではない、と断じたうえで、一方、トランプのいかんにかかわらず、民主主義そのものは壊れかけているのだ、と主張する。それはどうしてか、なぜか、という考察がこの本の主張である。著者は民主主義、という考え方を定義して、個人の尊厳と社会の長期的利益を両立させる政治思想であるとする。その意味で言えば、中国は長期的利益は上げているものの個人の尊厳を重視しない社会であるから(当然だが)民主主義とは言えないことになる。西欧諸国をはじめとする民主主義国はこの二つの原理の追求をしてきているわけだが、その思想そのものが次の三つの事象、すなわち、

(1)クーデター  (2)災害などの大惨事   (3)テクノロジー

によって、崩壊の危機に瀕しているのだ、というのが本著の文脈である。

1のクーデターの最もわかりやすい例は最近起きたミャンマーの件などがあるが、著者は街に戦車が侵入してくるような事件だけがクーデターではなく、現実問題として起きているのは、政治の世界で表面に暴力行為は現れないものの、勢力の交代のような形で、現実の政府の意向がすり替えられてしまうことも含まれている。我々には事情が複雑すぎてよくわからないのだが、たとえばトルコで起きていることはそういう意味ではクーデターが起きたのと同じことなのではないか、といったことである。

2では大規模の自然災害や環境破壊などの結果、社会の安定性が復活せず、当面の対策の連鎖の中で、本来の民主主義とはあいいれない結果が生まれてしまうことを指している。有名な ”沈黙の春“ という環境問題をとりあげたカーソンはこの本によって破壊されつつある自然に対する社会的反応を呼び起こし、政府に必要な規制強化を促したが、これは実は民主主義の世界だったからこそ可能になった。しかし昨今では化石燃料によって大規模な経済成長を可能にした国々の抵抗や、先進国のビッグビジネスの利益を確保するためのロビー活動などの結果、現実に起きていることは民主主義の基本倫理には合致していない。

3についての著者の見解は、インタネットを基盤として爆発したテクノロジーが与える影響である。トランプ大統領はツイッターを利用して、直接国民に訴えることで個人の意見が政治に直結する、これが民主主義だという誤った印象を与え、個人の意向にそぐわない政治が行われるのは目に見えない何者かが政治を動かしている、といういわゆる陰謀論を惹起し、米国の分断に拍車をかけた。著者は特にフェイスブックのいわば跳梁に極めて厳しい見方をしている。

本書の主張する3ポイントの中で特に興味を持ったのが テクノロジーの影響という項目である。僕は高校3年の時に授業で読んだエリッヒ・フロムの 自由からの逃走 という本に影響を受けて、大学では経済学部ながら社会思想史のゼミに加わり、卒業論文にこのフロムを選び、彼が主要な論客のひとりとされていた 大衆社会論 という考え方に共鳴した。自由からの逃走 は巧妙に作られたナチの世論操作によってドイツ人がヒトラーの狂信思想のわなに陥ってしまった事実を取り上げ、そこから導かれた 匿名の権威(anonymous authority) という考え方を提示した。具体的に言えば、マスコミュニケーション(当時は新聞が主力であり、テレビはまだ始まったばかりであった)が読者に対して与える影響である。マスコミが結果的に伝播させてしまう考え方や思想、それが決して権力者や主導者といった明確な意識を読者に持たせずに社会の意識や行動を左右してしまう。その結果社会の動きがいつ、だれが主導したかも気がつかないうちに作られてしまう、という現実をフロムは主著 Sane Society (正気の社会) のなかで鋭く指摘したのだ。僕自身、昨今のネット社会の現実を見て、彼が主張した大衆社会、という現実がすでに起きてしまった、と考えているので、たまたまフェイスブックだけがランシマンの指弾を受けているが、大きな意味でかれが民主主義を破滅させるだろう要因としてテクノロジー、という項目を取り上げたのに全面的に同意するのである。

ほかに本書の中で面白いと思ったのは、著者が日本を彼があげた民主主義のもたらすべき長期の成果・安定という意味ではほかの西欧諸国からみて一時の成果を上げたけれども結果的には失敗した国だ、と明言していながら(確かに数字だけ見ればそうなるかもしれない)、別の個所では後世、21世紀の日本という国は素晴らしい国だったとされるだろう、といわば矛盾した観察をしていることである。これは彼の言う第一の視点、個人の尊厳、ということを指しているともとれるが、なぜ日本が一転して成功例となるのか、説明はない。長期的利益、が単なる数字だけでは測れない、ということなのだろうか。もしそうなら、彼の前提となる民主主義の定義そのものも変わってしまうのだが。

(船津)「民主主義」とは?戦後、米国は日本の占領政策で「菊と刀」を深読みし過ぎ、でつ徹底的に「米国民主主義」を教え込んだ。そして、財閥解体の為も含め、共産党の台頭まで許した。矢張り行き過ぎたと思い急展開で民主主義を修正した。そんな生焼けの「日本民主主義」は朝鮮戦争で瓦解!

今は「日本人の愛の有る主義」か。求められて復古調に戻る懸念もある。世界はトランプが投げた「自国主義」に向かっている様だ。
中司さんが投げかけた、「乱読」のカケラは世界に問われるべき問題だと思う。どうすれば、みんなが普通の幸せを得て生活できるか?昔の「民主主義」は変容しよと踠いている。「乱読」有難う御座いました。いまや「マスゴミ」とメディアも軽んじられている。さてさて!

(小川) ブログの「民主主義の壊れ方」面白く読みました。乱読とはいうもののこのトシになって凄い読書家ですな、畏れ入ります。最近では新聞読むのも苦痛になってきてYouTubeやテレビで何とか世の中に付いて行っている小生とは大違いです。最もマスコミに支配される種族に自分がなってしまっております。

 なるほど「テクノロジー」で民主主義が壊されるという見方は面白かったです。最後の21世紀の日本に対する見方についてはいささか皮肉が混じっているかも。新しい資本主義を唱えているわが国の首相(安部傀儡)政権の評価を聞かせて下さい。

(菅原)共産主義、社会主義、民主主義、共和主義、現実主義、などなど、Feminismも含む、全てイデオロギーです(要するに、何とかism)。唯一の例外は、現実主義。従って、イデオロギーは、それにそぐわないことを無視、黙殺、敵視します。民主主義もその例外ではありません。だから、壊れるんでしょう。一度、現実主義に立ち戻るべきではないでしょうか。これは、我が尊敬する、司馬遼太郎の思考の受け売りです。

 

京王線国領駅あたり

新宿から出る京王線の車窓は仙川あたりを過ぎると、いかにも昔で言う”郊外電車”的な雰囲気を漂わせるようになる。歴史のある調布や府中のあたりになると駅名も飛田給、武蔵野台、というように武蔵野を意識した名前に変わってくる。国領、という駅もそのひとつで、地名にも歴史が潜んでいるような、ごくさびれた感じの駅だった。

しかし京王線が一部の地下化をはじめ、国領も地下駅になってしまうと、期を一にしてこのあたりに現代的な高層マンションなどの建設が相次ぎ、よくあるようにそれまでの古き良き、という感じを一新してしまって、りゅうとしたベッドタウンに変貌してしまった感がある。楽しいやら、寂しいやら、妙な気持がする。

しかしこの駅はもうひとつ、その存在意義を主張する。かつて日本映画、特に活劇映画の主役を演じていた日活のホームグラウンド、というプライドのようなものだ。新しく、機能的に、ということはかつての暖かさが少しばかり減退してしまったということでもあるのだが、駅構内に展示されている、かつて日活の黄金時代をささえた俳優たちの手形がその意識を支えている。裕次郎、三枝はあたりまえとしても、川内民夫だとか鮎川いづみだとかといった懐かしい名前もある。

ホームで電車待ちの間に流れる駅メロは、ここでは裕次郎軍団の全盛期、テレビの強力番組のひとつだった、あの 西部警察、のテーマである。ほぼ日課にしている夜のウオーキングの終点はこの駅にすることが多いのだが、駅前の自販機で(北杜市の!)水を買って、ベンチでこのメロディを聴きながら一休み、というのも結構いいものだ、と思うようになった。

それとなぜだか知らないが、この駅周辺にはこじんまりとしたイタリア料理店が結構ある。レストラン、といえるまでの規模でもなく、いわばピッゼリア、くらいだろうか。そのうち、試してみよう。

(菅原)昭和40年前後の国領って知ってるかい?多分、知らないだろう。記憶に間違いがなければ、駅以外は何もなかった。その経緯は以下の通り。

小生、一介の会社員だった頃、東京で営業をやらされて、ミシンを中心とした精密工業を担当していた(写真機製造会社を除く)。その一件が、東京重機(今のJUKI)。本社が国領にあって、少なくとも一週に一度は行っていた。営業所が室町にあったから、三越前から銀座線で渋谷に出、井の頭線で明大前に出て、京王線で国領。ところが、急行が止まらないから、仙川で降りて鈍行待ち。すげー不便なところだった。結果はどうだったかと言うとホロニガ。情けないかな、日立にひっくり返されてしまった。だから、国領と言うと嫌な思い出ばかり。それにしても50年以上も経っちゃってるから、貴兄のブログからも、その変貌は凄まじいものがありそうだ。JUKIは2009年に本社を多摩市鶴牧に移して、今は国領には何もないようだ。当時も何もなかったけれど。

 

 ブレイン フォッグ (Brain Fog) って知ってますか?  (普通部OB 篠原幸人)

 ついに19都道府県の緊急事態宣言も全面解除ですか? 何故、最近こんなに急にコロナ患者が激減したのか不思議ですね。オリンピック・パラリンピックで皆さんがTV観戦に夢中になり出かけなくなったせいとかオリパラ賛同者はいっていますし、無論ワクチン接種の普及効果もあるでしょうが、原因はまだまだ不明です。11-12月に次の波が必ず来るとか言っている専門家もいますが、私は次回は必ずしも大きな波にはならない可能性もあると思っています。全くの仮説ですが、ウイルス自体が何らかの原因で(多分生き残りをかけてでしょうが)感染力を少しづつ低下させるような変異をしている可能性もあるかと思っています。無論、希望的観測ですが。

さて。最近、Brain(脳)Fog(霧)という言葉を聞いたことがあるでしょう?

 Brain Fog とは、「最近、考えをまとめようとしても頭がボーッとして纏まらない」、「根気がない」、「光がいやにまぶしい」、「昼間でもねむたい」、「疲れやすくて仕事にならない」などの症状のことで、鼻水・微熱・軽い疲れやすさなどしかなかった軽症のコロナ患者でも、10-20%後遺症としてみられるという報告がありました。頭がなんとなく、ボーッとして考えがまとまらなく、ねむたいなんてことは、「毎日、以前からあるよ」と威張っている声も、「うちの主人はコロナが出てくる前からBrain Fogよ」とおっしゃる声も聞こえてきそうですが。

この原因はウイルスに抵抗するためにできた免疫細胞が体の中で作った異常タンパク質が、脳細胞を犯すとか言われていますが、まだよくわかっていません。そんなことが有名になるとワクチン接種でもこれが起こるのではと心配して、また接種の拒絶反応が増えそうですね。しかし、ワクチン接種でそれが起こることはないようです。Brain Fogに対して、特別外来を開設している病院も出始めました。本当にコロナっていやなウイルスですね。

コロナ罹患者の話    (42 下村祥介)

 このところコロナ患者が連日減少し曙光が見え始めていますが、緊急事態宣言解除の2週間後の感染者数はどうなるでしょうか。人流が増えても感染者が増えなければ多少安心できそうですが・・・。

ところで先日、取引先で知り合った知人がコロナに感染したとのこと。40代半ばの人です。感染者の体験談に接することはあまりありませんので、ご参考にお知らせします。

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8月下旬に感染。職場の同僚が3日ほど前に感染し、濃厚接触者にあたる職場全員(7~8名)がPCR検査を受けた。陰性の人も何人かいたが自分は感染していることが判明。ホテルに隔離され治療に入ったが、治療と言っても放置されたままだった。何日間か39度ほどの熱が出たが何の薬を与えられるわけでもなく、1日3回保健所と連絡を取るだけで自然治癒を待つだけだった。家族とも離れて1人でのホテル療養で連日気分がすぐれず不安の毎日だった。途中で気絶して倒れたようだが自分ではどれぐらいの時間倒れていたのか分からない。気がついたら倒れていた。自分で気がつかなければほったらかしの状態になるところだった。9月半ばに退院できたが、感染してからもう1か月以上たっているのに今だに食欲がなく痩せてしまった。コロナには絶対にかかるべきではない。

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医療関係の知人の話によると、変異して急速に増えるウイルスは、消滅するのも早い。第5波で感染者が急速に減っている理由はこのためだ(緊急事態宣言で人流が減っているからではない)。但し、ウイルスの根が残っているので、いつぶり返してくるか分からないとのこと。

また今のウイルスは空気感染であり、接触や飛沫を避けるだけでは防御にならず、フェイスシールドやアクリル板などはほとんど意味がない。空気中の水の分子にウイルスが付着して浮遊し、それを吸い込むことによって感染するからだ。手やテーブルの消毒よりは不織布マスクを鼻の両脇やほっぺたに密着させてつける方がはるかに効果がある、とも言っています。1日から緊急事態宣言が解除されていますが、小生は引き続きマスクと人混みを避ける対策を続けるつもりです。

我が家にも秋がきました   (33 小川義視)

ジャイさん、宣言解除で来春のシニアワンダラーズの新年会は開催されますか? 開催なれば上京するつもりです。愛好会の皆さんのご尊顔を拝見できないのは残念ですが、解除されて余り羽根を伸ばさないようにご健勝を祈っております。

*玄関脇のキンモクセイ、素敵な秋の芳香と秋バラの開花一号, の写真を添付しておきます。

(編集子)相変わらずお元気なご様子、心強いです。シニアワンダラーズ会のほうはまだ何ともわかりません。しかし昨年企画してできなかったエーガ愛好会の会合はぜひやりたいと思っています。ご都合を最優先に考えますので、ぜひともご上京いただきますように今からお願いしておきます。