ワクチン接種、特にブースターは自己免疫をかなり下げることになり60歳以上の効果はほとんどないと言われているアメリカの記事 を読みました。そして自己免疫破壊による自己免疫疾患の心配もあ ります。ワクチンの副反応ではなく、ワクチン接種後の症状で高齢 者の1番は胸の痛み、腰痛、筋力低下、動脈硬化、リウマチ、 ギガンバレーだそうです。2回目接種から少しでも以上の症状があ ったら3回目は避けた方がいいかもしれません。心配です。 オミクロンは90%がもしかかっても軽症だそうで、3回目はオミ クロンに効かないとか言われてるし打たなくてもいいかなと話して います。もちろんコロナにかかるのは心配です。ただかかるより自 己免疫疾患ぎりぎりにもなりかねない高齢者はもっと心配だと考え てメールしました。 欧州連合(EU)の医薬品規制当局は11日、
新型コロナウイルスワクチンのブースター(追加免疫) 接種を頻繁に行うと免疫反応に悪影響を及ぼす恐れがあると警告し た。 欧州医薬品庁(EMA)は、4カ月ごとのブースター接種を繰り返 すと最終的に免疫反応が低下する可能性があると指摘。各国はブー スター接種の間隔をより空け、インフルエンザ予防接種戦略で示さ れた青写真のように寒い季節の到来に合わせるべきだとの見解を示 した。
乱読報告ファイル (18) ペンバリー屋敷の闇 (普通部OB 菅原勲)
T.H.ホワイトの「ペンバリー屋敷の闇」(「Darkness at Pemberley」1932年。小林晋訳。私家版)を読む。当時としては、構成が誠に斬新だったし、現在でも充分に読むに値する。
これはROM(Revisit Old Mystery)と言う同好会があって、未訳の探偵小説をROM叢書として、会員に私家版で出しており、これが18巻目となり、市販は全くされていない(以前、お伝えした「マクシミリアン・エレール」は13巻目にあたる)。
全体の1/3ほどで、警部が当たりを付けていた犯人、これが殺人狂で、3人を殺した詳細を自白される。しかし、証拠が全くなく(当時の英国では、自白は証拠にならなかったのか)、逮捕できない。それに愛想をつかした警部は辞任する。ところが、数年後、ひよんなことから親しくなった准男爵とその姉に、事件の顛末を語ったことから、話しは動き始める。これを聞いた准男爵がその殺人狂の住まいまで乗り込み、「お前を殺してやる」と言ったことから、逆に、殺人狂から狙われる羽目になる。つまり、1/3が推理小説、後半の2/3がスリルとサスペンスと言う、当時としては極めて斬新な構成となっていた。1932年と言えば、A.クリスティーの「オリエント急行の殺人」の2年前、まさに英国の本格探偵小説の黄金時代に、早くも変革探偵小説が書かれていたことになる。
最後は屋敷の煙突での追っかけっこになるのだが、小生の貧しい経験では、煙突と言えばブリキのものしか思い浮かばない。英国の屋敷の煙突は、真っすぐは勿論、横にも移動可能なものらしい。勿論、最後は、警部が殺人狂を射殺し、その姉とのハッピー・エンドで終わることになる。
Wikipediaで調べたところ、テレンス・ハンベリー・ホワイトは、アーサー王物語を題材にした小説「永遠の王」を書いており、その翻訳は創元推理文庫に収められている。また、ペンバリー荘と言う名前は、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」から借用したらしい。探偵小説ではあるが、英国ものは、英国の色々なことを知悉していなければ、その面白みを充分に味わうのは至難の業のようだ、宗教も含め。
(編集子)つも感心するんだけど、
(菅原)ジェフ・カーソンなんて全く知らなかった。貴兄こそ、日本で殆ど知られていない、面白そうな本を良く探して来るね。英語に堪能か否かの違いだな。大昔、神田の古本屋で、日本語に未翻訳のペイパー・ブックを買い漁ったのが懐かしい。今は、「ルアンダ中央銀行総裁日記」を遅ればせながら読んでいる。まだ1/3ぐらいしか読んでいないが、著者の服部正成は、月並みだが、正に、「凄い日本人がいた」、にピッタリだ。今の日本人は、勿論、例外はあるが、どうも金の亡者になり果ててしまったようで、行き先が案じられ、誠に情けない限り。
起業家の倫理について を論じる
(普通部OB 船津)「商い屋」は何処にいても人が欲しがるものを探し、作ったり、流
ワイン、ウィスキーは今や日本製が人気になってきている。求める
(普通部OB 菅原)ブロッグ、「起業家の倫理」拝読。非常に乱暴ですが、一言で言ってしまえば、「気に入らないものは、飲まなきゃ良い、食べなきゃ良い、見なきゃ良い、聴かなきゃ良い、読まなきゃ良い」などと言うのが、ボンクラな小生が愚考するところです。
(44 安田)遊びは自由な行為であり、
エーガ愛好会 (111) 去り行く男
あまり興味を惹かれる作品がなくしばらくBS劇場にご無沙汰していたが、この映画だけは見るつもりでいた。グレン・フォードだからである。
今の標準で言えば早死にしてしまった小生の兄は、彼の友人が ”アンタ、ほんとに哲の弟かい?“ と僕に尋ねたほど、小生とはかけ離れた賢兄だった。努力、冷静、寡黙、頑固。旧姓高校出身の色濃く、読む本はといえばゲーテでありシラーであり、音楽といえばたとえばシューマンなんかを好んで聞いていたといえばその懸隔がわかるだろうか。しかし大学進学の年に肋膜炎を患い半年以上病床にあった。当時の医療といえば自宅静養しかなかったが、その間布団の中でラジオを聞いて英語を猛勉強していたのを当時小学生だった小生もよく覚えている。就職後, 海外留学奨学金に応募し、プログラムの最終選考まで行ったが、この健康上の不安が理由で合格しなかった。しかし成績はよほどよかったのだろう、同情した委員会の口利きでハワイ大学への留学をしたという、まさに おめえ、ほんとに弟なんだろうな、と彼の親友に疑われても仕方のない誠実な秀才だった。
なぜこんなことを書いたか、といえば、グレン・フォードのイメージがその兄を彷彿させるものだからだ。さらに偶然といえば偶然だが、兄はたしか新婚旅行中のことだったと思うのだが、日本にきていたフォードとレストレランで行き合わせた、と嬉しそうに話をしていたものだった。例によって合理的な説明はないのだが、それ以来、グレン・フォードには親しみというのかうまい言葉がみつからないが、そういう感情をもっていろんな作品を見てきたが今回のこの作品には縁がなかったのである。
そんなある種の気概?をもって、コイズミ節や人間グーグルヤスダからのメールが届く前に感想を書こう、と思って今朝早くPCをあけたら、この時早くかの時遅く(逆だったかな)、すでに2通とも到着しているではないか。朝っぱらからこの二人の日課がどんなものか見てみたいもんだ。そんなわけで、解説は結局ご両兄にお願いすることになったが、ま、エーガにはこういう付き合い方もあるのかな、と思ったりしている。
(34小泉)インディアンに新しい光を当てた「折れた矢1950」の監督で、
ワイオミングの山々に囲まれた背景の中、崖から落ちて気を失った
こうなると4回も映画化された「郵便配達は二度ベルを鳴らす1939,194
ある日、西へと旅を続ける狂信的な宗教団体(モルモン教?)の幌
殺してしまう。しかしピンキーに重傷を負わされたメイの証言で、経緯が判明。
最後が少々あっけなく終わり、スッキリしないが、牧場主夫人メイ
た人間模様の西部劇である。
(44 安田)印象深い2点だけ述べる。

甲州街道アーメンコーナー

甲州街道を新宿から走ってきて調布市に入りかけたところに旧甲州街道への分岐路がある。このY字路の少し手前左側が調布警察署だが、ここの一角のことである。警察署敷地の真ん前に甲州街道を挟んでBMWの販売店があり、その隣にビル一つを隔ててホンダがあり、その向かい側にマツダの国領店が、その筋向いがトヨタ、すぐ隣がスズキ、3軒先にフィアット、その先はミニクーパーのショウルームがある。つまり交差点を中心に半径200メートル以内に6つの自動車販売店が密集していることになる。おまけにÝ字を左に京王線国領駅へ入る、旧甲州への
アプローチには、お定まりの国籍不明カタカナ名前の億ションの麓(文字通りそういう感じなのだ)にもうひとつ、メルセデスベンツ のショウルームが控えている。ここにないのは日産くらいだろう。
マーケティング理論はまずマーケットセグメンテーションという章から始まることが多い。もちろんここでいうセグメンテーションという意味は全く違うのだが、この一角にこれだけ同業者の出店がまとまっているとなんだか調布市のカストマ―をセグメントしているような気持ちになってくるから面白い。同業者が密集して存在するというのはもちろん理由があり企業の戦略があるわけで、たとえば秋葉原の通称電気街なんかはその典型だろうし、セブンイレブンがあればすぐ近くににローソンがあるとか、マックのならびにフレッシュネスがあるとかい
うのはよく見る風景だ。このように同業が隣接していることで価格に大きな差は存在しえないから、顧客はたとえば店のたたずまいとか、店員の態度とか、経済理論だけでは説明できない理由から店を選ぶことになるだろう。そういう意味では限られたスペースに同業店があるというのは顧客にとっても望ましいことになる。
そのあたりのことはわかるのだが、自動車というような価格が高く選択に時間を要するような商品の場合、顧客が次から次へと店を見て歩くというような行動パターンは当てはまらないように思える。またこのあたりは調布の中心地からははずれているし、駐車スペースも限られている。どうもこの地域というよりも地点にこれだけの同業者が密集する理由がよくわからない。そういう意味で、興味を引く地点だと思っ
てきたのだが、僕にとって別の意味を持つ地点でもある。
八王子方面から来ると新宿つまり小生が住んでいるつつじが丘方面へ行くには左斜めにカーブする必要があるのだが、この屈曲点からすぐのところに、横断歩道したがって信号機が並んでいて、その間隔は30メートルくらい しかない。警察署の敷地の両端なのだが、正面玄関にはいるのに都合がいいという位置でもないし、なぜ二つも信号を作らなければならないのか、はっきりした理由がわからない。
数年前のこと、中央高速を降りて家へ帰るとき、この信号の一つ目が黄色に変わりかけたとき、その直近にさしかかった。たしかに道交法によれば黄色信号になった時に該当交差点に進入することは禁止されているが、その変わり方というかタイミングから、数メートルくらいだと、多少引け目はあっても人や車がいなければ進行してしまう、という行動は誰でも経験したことがあるだろう。この場合もそうだったし、その先30メートルでいずれとまらなければならないのは知っていたので、あまり罪悪感もなしに、すんなりと進んで次の信号で停止した。ところがそれが青に変わって発進した途端、背後にパトカーがぴったりくっついてきたのに気がついた。それまでどこにも見えなかったのだから、小生の通過と同時に警察署から飛び出してきたのは明らかである。左へ寄って停止。お定まりのお小言があって罰金、この場で長きにわたって保持してきたゴールド免許証はなくなった。
もちろん法的にはぐうの音も出ない。しかしまさに待ち構えていたとしか思えず、気分がよくない。後で考えてみたのだが、この時乗っていたホンダは山梨ナンバーだったことに気がついた。県外車取り締まり、というのはたぶん検挙率競争では有利なのだろうし、それでも腹が立つ。こっちが悪いだけに余計だ。関係ないんだが、そんな警察を取り囲むようにクルマやがならんであたかも警察にすり寄ってるような気がして、しかもその中にいつでも調子のいいことを言っているホンダ営業所の真ん前で捉まえられたことで余計腹が立った。
それ以来、小生はこの交差点をアーメンコーナー、と呼ぶことにした。散歩コースで我が家からちょうど30分の位置にあるこのY字分岐に来ると全く合理性もへちまもないのだが心の平安が波立つからである。

「アーメンコーナー」とは、ゴルフの4大メジャーの1つ、マスターズの舞台となるアメリカ・ジョージア州のオーガスタナショナル・ゴルフクラブの11番、12番、13番ホールの3つの難ホールのこと。池やクリークが絡み、風を読むのが難しいこの3ホールでトーナメントの行方が大きく左右することでも知られ、「アーメン」と神に祈らずにはいられないほど難しいといった意味で使われます。
起業家の倫理 (大学時代クラスメート 飯田武昭)
昨日のNHK朝の「おはようニッポン」のニュース番組で経済ニュースとして、クラフト・ビールならぬ、クラフト・ウイスキーが日本各地で沢山立ち上がっていて、その内の1社を取り上げて約10分間ほど紹介していました。何でも、埼玉県かどこかの起業家が立ち上げた結構、大掛かりなクラフト・ウイスキー会社でしたが海外の20~30社程のウイスキー会社を事前に見学して起業家したと解説していました。今後は輸出にも力を入れていくと胸を張っていました。同様の会社が日本各地に乱立し始めている模様です。
私はこのニュースを見て嫌な感じがしています。
ウイスキーはスコッチとバーボンの産地に任せておけば良いと思っています。何でも平準化して、世界需要という一定のパイを取り合ってはどこも太刀打ちできない競争になってしまう!!真似しい!!の中国がこれほど巨大化してしまったのも、それを教えた当時の先進国であるアメリカであり日本であると思っていますので・・。
クラフト・ウイスキーまで国産をジャンジャン作るようになって、スコットランド人は陰て泣いているのでは?と思っています。精々、国産ウイスキーはサントリーとニッカに留めておくべきではないでしょうか?それとも競争社会だから特許侵害が無ければジャンジャンやるべしなのでしょうか?起業家倫理なるものは最早、現代社会には残っていないのかも知れません。
もう一つ、ヴォーカルグループでSIX TONESという男性ヴォーカルが紅白歌合戦を始めやたらとTV画面で踊って歌っています。The Plattersの歌う「16トン」は大好きな曲ですが、似たようなグループ名でそれも先ず気に障りました。
私はこのグループは確かに下手ではないし上手いと思いますが、約20年前に人気があって現在でも活躍しているISSAをリーダーにしたDa Pumpのグループとよく似た殆ど変わらないように見えます。何故、このように同じようなグループを沢山マスコミは育てるのでしょうか。他にも無数の男性、女性のヴォーカルグループがLIVEにTVに踊り歌っていますが、本当に区別がつかないような乱立状態に見えます。それぞれにファンが沢山ついている社会はクラフト・ウイスキー会社の乱立と似ている気がします。
起業するにしても一時的に儲かれば良いのではなく、もっと自分たちにしか出来ない事で研究心をもって人生を送れないものでしょうか。
(編集子)競争のもたらすプラスマイナスについてはそれこそ百家争鳴のテーマだと思うし、独創力の重要さもまた重要なテーマになるだろう。小生は飯田説には多少の違和感を持つものである。各位のコメントを待つ。
エーガ愛好会 (110) プロフェッショナル (34 小泉幾多郎)
文芸作品を得意としてきたリチャード・ブルックス監督作品。西部
メキシコ風味の音楽に載せ、リー・マービンからエキスパート4人拠点での戦いの結果、クラウディアとバランスは、も
まあ物語としては、若干スッキリ感がなく、
(編集子)パランスといえばシェーンでの劇的なデビューの衝撃が大きいのだが、本作では違った一面がよくわかった。ほかにも グッドガイ を演じたものがあってへえ、と思ったものだが、タイトルが思い出せない。バッドガイ・グッドガイの連想で言えば、本作とは無関係だが、いつでもフォード西部劇では善玉と相場が決まってるベン・ジョンソンが ゲッタウェイ で演じた悪役はなかなかよかった。この系統の話で言えば、御面相からして悪役、ときまっているネヴィル・ブランドが トラトラトラ で重要な下士官役を演じたのとか、ジョン・アイアランドが さらば愛しき女よ で演じた警部とか、悪役ナンバーワン、ブライアン・ドンレヴィにもあったような気がするが思い出せない。
雪の日の過ごし方
閑人会 吉例七福神めぐり ー 七つの喜び (44 吉田俊六)
S44卒の閑人会は正月明けは例年七福神巡りをしていて(去年はコロナで中止)、今年は7日(金)に元祖山手七福神を巡りました。これまでに 谷中、隅田川、浅草名所、深川、柴又、新宿山ノ手七福神を巡ってきました。参加者は、浅野(三)、内村、岡田、渋谷、大江、安田、山中、吉田の8名。
JR目黒駅を出発、全行程6km、15,000歩のコース、目黒駅 → 蟠竜寺 → 瀧泉寺 (目黒不動) → 大円寺→ 妙圓寺 → 瑞聖寺 (布袋尊) → 覚林寺 (清正公) → 白金高輪駅 ・・・神田(懇親会)
1.末広がりの八人で、目の黒いうちに巡り合えている喜び。
2.上述、1万5千歩を(1本の)休みもなく徘徊し続け達成した喜び。行人坂下 八百屋お七井戸前、名残の紅葉の健気さ.。口数が歩数を上回り、<若き日の武勇伝、恐妻・感謝の歴史、入院・手術・克服の戦い、等。
お寺詣で終活話:墓じまい・室内墓システム、また『戒名100万円!!』とか…。>
七草ならぬ道草で「天恩山五百羅漢寺」天恩山五百羅漢寺 (rakan.or.jp)
へ、羅漢さん一体毎の添え書きにも心洗われました。
3.メンバー各々の関心領域に応じた「願掛け」機会を得られ,笑顔に“後光”が差して、喜ばしいことでした。未来の年もお礼と参拝を繰り返したく思いました。金沢の鈴木大拙記念館の庭を彷彿とさせる 瑞聖寺(布袋尊)
4.「妙見」さんの御導き…、七福神の多様性を再発見でき、喜びました。(俊六こと、ズン六メは7月7日生まれの77歳。七夕の星のもとに生まれ)、
妙円寺の「福禄寿尊&壽老人尊」:南極星と「妙見大菩薩」:北極星それぞれ神格化させての星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素混交の名残を覚知。
5.仏教に帰依し、守護する「天竺出身の3“天”」と「唐・和系の4“尊・神”・さん」を識別した喜び。七福神の中に、弁財(才)天・大黒天・毘沙門天 と「天」のつく3柱あり。毘沙門天は四天王のうち北方を担当する最強の「軍神」とされ、上杉謙信「毘」の幟にも用いられ、清正公との相性もむべなるかな。

覚林寺(清正公)仏教世界のヒエラルキー、「仏」>>「如来」>「菩薩」・「明王」>>>「天」。
七福神の諸神は「神」であるが、われわれ「人間道」の衆生と最も近い“守護神”役で
「天」の部に位する。だからこそ、現世利益のお願いをしやすい…とか。ちなみに、“天”竺ならぬ「唐・和系の尊・さん」神々も親しみやすい。道教系の「福禄寿尊」・「壽老人尊」は仙人の出自。一方、「布袋尊」は実在した禅僧で、“堪忍”袋で度量を“視える化”された由。「恵比須さん」は唯一、日本国産の神様。希少・貴重な有難い尊在?古刹目黒不動の明王を守護。①西宮に代表される「えびす」信仰および、②大黒さまの子供で最初に魚釣りをした神様…の流れがあざなえる由来・・・幅広いご利益!目黒不動 三福堂 恵比須さんメデ鯛デカ!
- 現世利益…スッポン鍋三昧の愉悦!!
「8人で一連の卓上に2つのスッポン鍋を囲み堪能し、喜びました。
場所は名代・神田鳥千、私達ばかり、美味しい思いをしてしまって申し訳なく思いますが…、“眼福”ご賞味願い上げます。隅から隅までずい~っと…、照覧あれ。本年もよろしくお願い申し上げます。
7.寛大にも“鼻たれ”のS44「閑人会」プラン報告など“他生の縁”あり?のグループ・個人にプラットフォームを開放下さる先輩方を尊崇させて頂ける・・・喜び!KWVS44「閑人会」同期限りでの閑居不善(独断暴飲暴食・・妄言等々)を甘えて、賀詞を装い、(文責:ズン六で)本年も奉納仕りますㇽ。
(編集子)久方ぶりの図ン六節、健在で嬉しい。今後も健筆を期待。できれば写真は2M以内に収めてもらえると助かります(今回は最後の1枚を修正しなければなりませんでした)。
スキーだと? チキショーめ!
(小田) 明日から、スキーのお供で赤倉等に行きます。入社1年目の冬、
(編集子)赤倉でのスキーには小生にとってはいろんな(甘酸っぱい、
(小川) スキーの話になったら黙っておられない、皆さんお目出とうございます。オミクロンの爆発的な感染者急増で市中は賑やかですが重症化は少ないとか、こうやって数年掛かってコロナはインフルエンザのように沈静化していく段階に入ったと思っています。皆さんは百戦錬磨、罹患しても大したことない、マスコミの過剰な情報に惑わされず、ウイズ・コロナの生活をご計画になったらと思っています。
スキーは昭和25年(1950年)中学3年冬、中・高校の恩師に案内されて、オヤジにイタヤの単板スキーを買って貰い、関温泉に連れて貰ったのが初体験、信越本線関山駅に早朝到着したときは凄い積雪にまず驚き、部落を出て関温泉まで続く元高田師団の練兵場後に出た途端、スキーを履かないと歩行できない状態で、おそらく3m近い積雪だったとは思いますが、スキーの扱い方も全く無知の状態で、何とか履いたものの全く一歩も前に歩けず、悪戦苦闘しながら4時間掛かって関温泉朝日屋旅館に到着したのが午後、途中まで旅館のオヤジが迎えに来てくれていましたが、旅館到着の頃にはスキーの初心者テクニックは既に身について居ました。この旅館の息子さんはオリンピックで活躍した久保選手の実家ということを後で知りましたが、兎に角旅館の二階から出入りする豪雪にビックリするばかり、ツララの太さ・長さにも驚くばかりでした。日本最古のスキー場ということですがリフトもなく数日教えて貰い、5日目ぐらいにオヤジが燕温泉から赤倉に連れて行ってやるということで何とか悪戦苦闘して付いて行きました。赤倉の上部から明るい展望を眺め、快適にゲレンデを滑り降りていき、リフトなんてものに初見参したのも思い出されます。帰りは夕闇のなか燕温泉の七曲りを雪明かりで輝く高田の街の灯りの美しさが強烈に印象に残っております。ボーゲンの繰り返しで何とか旅館に辿り着き小生のスキー初体験は強烈な思い出となって未だに残っております。
夏山は恩師のお蔭でアルプス銀座から槍ヶ岳、それに白馬大雪渓と、慶応入学式当日にはワンダーフォーゲル部入部を申請したのが我がKWV入部の経緯です。在学当時の山行は下宿生活の諸事情により非常に不本意でしたが、夏冬の合宿だけはすべて参加しております。 以上思い出すまま懐かしい思い出を記しましたが、何といっても食事事情の悪い1950年から1958年までの記録ですから悪しからず・・・。
(金藤)初めてのスキーで旅館まで4時間かけて到着!? 大変でしたね!残念ながら 赤倉でスキーをした事はありません。野沢温泉 志賀高原スキー場へ行っていましたが、最後の方には奥志賀高原でタラタラ・スキー、
(保屋野) 赤倉ですか・・オミクロンはまだ大丈夫えしょう。私も24日から
(編集子)3シーズン前、涙を呑んでスキーを捨ててしまった身として、周りの連中のことだけがやけに気にかかるのであります。ワンゲル同期のスキーフリークもひとりまたひとり、スキーシーンからいなくなったが、この男だけは健在なのがなんとも癪に障る。
しかもトマム、なんてしゃれ込みやがって。ただ小生にスキーの履き方を赤倉で教えてくれたのはこの男だったのである。浅海昭、山でもしつこく強い。酒もつよく、女性には常に気を配るのでいつもうけがいい。あ、右端にいるほうです。
(編集子追記)我々がKWVに入部したあたりから、スキーシーンが変わったのではないかと思う。高校時代初めてスキーを経験し、1年のシーズンスポーツでは当然ながらスキーを選択。発哺でアルペンスキーの名手と言われた関さんから、“ア・ペル・ロタシオーン” なんてフレンチメソードの基本を教わり、うまくなったつもりで志賀から五色温泉まで夜行を乗り継いで合宿に参加したら、こんどはオーストリーメソードとやらに大変換をさせられた。その次のシーズンにはかの ”黒い稲妻” で大興奮して同期翠川のひきで燕温泉へ行き、同行した飯田昌保なんかとあらためて指導を受け、いっぱしのスキーヤーのつもりでいたものだ。当時我々が実際にお付き合いいただいた先輩の中では、フレンチメソードの体現者というか、上級者だけが会得していた くらげ の名手前田さん(33年卒)と、スピード感あふれる、完璧な滑りが神業に見えた尾崎さん(35年卒)の二人にはただただあこがれていたものだった。国体選手だった三枝先輩(32年卒)のスキーは残念ながら拝見したことがない。OBになってから数多くの後輩たちとお付き合いさせてもらった中では、基礎の出来具合が違うと感心させられた笹田君(50年卒)と、もうひとり、華麗な滑りという意味では第一と思うのが本稿でおなじみ保屋野君である。笹田君や44年の浅野君(44年卒)たちの豪快さもいいが、華麗な、という意味では彼のヴェーデルンは右に出るものがない、と思っている。ミッキーややっこに見せたいものだが(浅海と一緒で、どういうわけか女性軍に人気のあるのが気に入らないけれど)難しいだろうな。ミッキー、もちろんあなたさまのダンナも名手の一人と尊敬してますぜ。