”置き配とタブレット” 追論6   (普通部OB 船津於菟彦)

斎藤さんのご意見についての感想です。
新型コロナウィルス蔓延旋風は確かに置き配に繋がったと思いますが、必ずしも「南米大河」などの配送業者の都合だけではなく、選挙でもいちいち鉛筆を代えるなど、神経質までの感染防止から来ている物、つまりなるべく人と人が直接触らないという事から来ていると思います。配送業者は門前まで来ることには代わらないので合理化には成りませんね。「麦茶」を出すのは確かに素晴らしいのですが、彼らも寸秒を争い搬送しているようで、私の住んでいるマンションではそんな余裕は無い様です!偶にはお菓子をあげますが(後でヒマの時に食べられるもの)。
犬猫の糞や尿の件についてのご観察には異論があります。
この件は日本は断然優れていると思っているのですがどうでしょうか。錦糸公園でも滅多に「ウン」は落ちて居らず、みな袋を下げて拾って帰ります。又、水も掛けて居る方だ多いですね。外国では「フン」を践むのは当たり前的なところもありますし、狂犬病の予防接種などはいかがでしょう。野犬はまず居ませんし、野猫は見当たりますが矢張り少ないですよね。犬の吠え声の苦情はあるでしょうがこれは狭い日本ですからしかたがないこともあるし、欧米は大きな犬が主流で余り吠え無いですが日本は住居が狭くて小型犬が多くキャンキャン五月蠅いことは確かですね。
もう一つの話題ですがタブレットによる注文とか非接触型の決済が多くなると想います。コンビニでも今やお金は自分がレジに入れおつりも自分が取る方式になったり、病院でカード払いの場合、カードを自分が差し込み読み取り自分が抜く方式が多くなりました。ユニクロは値段表にICタグが付けられ、買い物籠ごとレジに置くと自動計算してクレカを入れれば決済完了。一切人は触らない。
マイナカードの保健証の連携で益々病院では非接触型に成ると思います。その関係でしょうが先生も昔の様に直ぐ聴診器を当てる先生は少なくなり、顔色もろくに見ず、ディスプレーで診断するのは抵抗があります。先日久し振りに聴診器で観てくれる先生に会いました。これは医者は仁術ですから、顔色とか話し方なども含めて診断して欲しいです。
その内に「タブレット診断」になるなんてのはご免です。
(編集子)本件、犬猫問題に予想外の関心があるようだが、原文の趣旨は日本の文化というものが歴史に与えてきた事実を改めて見直してはどうか、ということだった。このことについては現在、百田尚樹 の ”日本国紀” を読んで、多少感じるところがある。