”空母いぶき” を見て考えたこと

全くの偶然で、CSで放映されていた 空母いぶき という映画を見た。原作はマンガの世界では高い評価があったようだが、映画の世評はよろしくない。グーグルに拾ってある投稿もどれ一つ好意的なものはない。たしかにエーガ、という枠をはめてみると素人の小生にもなんだかなあ、という程度の作品だった。グーグルによれば、自衛隊が本作品の支援には消極的だった、とか、技術面での描写のずさんさ、解決の唐突さ(最後は五か国の潜水艦が突如援助にきて救われる)などという指摘があり、そのあたりには同意する。大分前に、”亡国のイージス” というのはもっと真剣に見たものだが。

作品の出来栄えについては小生も落第点をつけるが、その背景としてあらわれる、”平和国家“を標榜している我が国の政治判断の難しさ、例えば、戦闘はするが戦争はしない、といった禅問答みたいなやり取りとか、防衛出動をなぜださないのかという議論などは、自国が侵略されているという現実に際した、ほかの国ではまず起きえないだろうと感じたし、首相を演じた佐藤浩市の苦悩については同感するところがあった。特にラストで “この、なんでもない生活を守る、これが政治なんだよな” という佐藤の自嘲気味なセリフはむしろ賞賛したい気持になった。日本の政治、政治家のありよう、といったものの実像のようなセリフだったと思ったのだ。

所謂識者といわれる人々や海外事情に詳しいとされる人たちは、なにかと日本の政治や政策を海外諸国に比べれば、と批判するのが常である。その論調を聞いていると、そうか、俺達の日本ってそんな三流国なのか、というコンプレックスに陥ってしまう。本当に俺たちの、 “この、なんでもない生活” はそんな程度の価値しかないものなのか?

小生の読み違いというか記憶違いならお許しいただきたいが、ローマ文化についての泰斗、塩野七生さんの作品の解説に、ローマ皇帝の務めは市民にパンとサーカスを提供することだった、という一節があった。歴史だけをひろい読むする分には、やれシーザーだアントニウスだという事ばかり頭に残るが、ローマ帝国にあっても、第一のことがらは “この、なんでもない生活” を維持することだったはずだ。世界史にいう栄光のギリシャ・ローマは、片方では “この、何でもない生活“ を成り立たせるためには奴隷を必要とし、それを得るためには他国との残忍な戦争に勝たねばならなかった。その犠牲になった人々がどれだけいたか、歴史書にその記述はない。

わが日本はどうか。以前、本稿のどこかで触れた気がするが、ここで絶対的事実として、1945年以降今日まで80年にわたって、我が国はただ一人の若者も戦争では死なせていない、という事実を思い起こそう。ウヨクがどう言おうと、共産党がさかしらに論じようと、はたまた主婦連のおばさま方が声高にわめこうと、これはわが国の政治の結果である。およそ一国の政治はその結果によってのみ評価される。その間、ほかの国々(政治体制では違うとしても絶対主義の国も含めて)の、数多くの未来ある若者が戦地に散っていき、彼らの家族や友人や恋人たちの ”このなんでもない生活” は失われた。その理由や背景について今更議論をするのは避けるが、我が国が、何はともあれ、外敵に侵されず、若者を戦争という悲劇で死なせずに ”この何でもない生活“ をここまで保って来たのは、なんだかよくわからないこと、うんざりすることが数多くあるとは言え、わが国の政治の結果であることは厳然たる事実ではないのか。これが憲法九条があるためだ、という浮世ばなれした論議はもう通用しない。つまり、

”・・・人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・・”

なる、我が憲法前文が高らかに謳った世界諸国の善意、なんてものが存在しないことはすでに事実が証明してきたからだ。それでも日本が外敵の侵入を受けていないのは、言うまでもないが米軍の保護があったからであって、夢想的な平和国家論ではない。米国にしてみれば、究極的には地政学上、自国防衛のための砦として日本列島と友好関係にあることは絶対的に必要だ。この事実を冷静に(むしろ冷酷にというべきか)判断し、かたや理想とする平和国家主義をかかげ、欧米諸国には理解できないであろう韓国や中国との歴史的関係、さらにはロシアの暴挙などの間をかいくぐりつつ、左翼勢力のためにするとしか思えない論調やいわゆるインテリ層の論議やマスコミの罵詈雑言にもかかわらず、ともかくも80年間の平和が保たれてきた。これを政治の結果と言わずに何と言えばよいのか。1945年生まれ、いわゆる終戦っ子と呼ばれた世代の人々は同時に ”戦争を知らない子供達” のままに成長していく。我が日本はそういう ”この何でもない生活” が保たれている国だということを改めて認識すべきなのではないだろうか。

僕は確信しているのだが、僕らがいなくなって何世紀か後、歴史書はこの、今僕らが息をしているこの時代を、日本の黄金時代とよぶだろう。領土は狭く,資源にとぼしく天災は絶えないこの列島国家に、“この、何でもない生活” を維持し続けた政治をその歴史書はなんと評価するだろうか。

”空母いぶき“ は映画としては落第ものだったが、それがきっかけで多少、物事を考える機会にはなった、というのが今年の小生の連休だった。

(HPOB 天堀)ボクは自分と自分の世代のことを「高度成長の食い逃げ」と思っています。「平和」についても しかりです。食い逃げの意味は 「ボクは大丈夫 次はアブナイ」という意味です。ロシアと中国 北朝鮮を三つ巴で隣国とする国は ニッポンだけですからね。

八ヶ岳南麓-初夏です    (グリンビラ総合管理HPより転載)

今日も良い天気!暖かくて調子が上がってきました!さて、昨日家に帰ったらカウンターにタケノコがドーン!と置かれておりました。。。

今年も主人が頂いてきた様です。早速アク抜きしましたので今夜はタケノコご飯にしようかと思います。帰たら近所の山に山椒を摘みに行かねば!

そういえば、我が家のミニ家庭菜園でもニンニクや玉ねぎが育ってきました!

肥料のタイミングを逃してしまったのですが、今年は暖かいせいか大きくなってきています。

今から収穫が待ち遠しいです。

(武藤)

 

コロナ脱却の現状について(2)    (34 船曳孝彦)

さて、5月8日から5類へ移行しました。感染拡大を抑えてきた大方針が一番大きく変化するのは、入院勧告外出自粛要請などがなくなり、感染者の就業制限もなくなります。感染症法5類は無症状感染者へは適応されません。自己責任が重んじられ、もしやと思ったらまず検査キット(国の承認済みのもの)を購入して自分で検査し、陽性と出ても症状が軽ければ自宅療養を、高リスク者や症状が重い人は医療機関を受診します。この対応機関は自治体が公表することになっています。診療側では診療時間や人件費に見合った報酬が無ければ手を挙げないでしょう。欧米と異なり診療側のキャパシティが小さいままで、診療を受け入れ難く、たらい回しも起きかねません。

医療費は自己負担が原則となります。保険診療は予防には適応されず、治療面のみにしか適応されませんので、コロナとはっきりするまでは検査キットの購入など自費払いが原則です。コロナと判れば、抗ウィルス薬などの高額治療薬代などを対象に9月末まで公費支援が継続されます。入院費は自己負担に上限を設ける高額療養費制度が適応されます。ワクチン接種も9月までは無料です。しかし公費補助が時限的であり、発症前は自己負担制度であることから検査も受けなくなり、発病しても治療に高額な治療薬を使うことは拒否する人が増えることが懸念されています。

本来一般の疾病とこのような疫病(伝染病)は医療費を同じレベルで考えてよいものでしょうか。疫病は個人の病気であるばかりでなく、社会を巻き込んだ疾病でもあるのです。常に蔓延する危険を考えねばなりません。保険医療に公費補助をすればいいだろうでは済まされません。

これまで7日間の外出自粛要請(発症後7日のウィルス残存は24%)だったものが、発症から5日間の外出自粛推奨へと変わりました。学童の登校停止も5または症状軽快後+1日となります。濃厚接触者という特定もなくなります。

予防面では、人込みの多い場所でのマスク着用(特に高齢者などリスクの高い人)、換気、手洗い、うがいが推奨されています。これは是非守ってください。

一番の心配は第9波、もしくは新しいウィルスによる感染症(パンデミック)に対する備えです。新型ウィルスインフルエンザ(H1N1)に対して2010年に総括報告書が出されました。①危機管理体制 ②医療体制 ③公衆衛生対策(学校など)などの見直し ④PCRなど検査体制強化 ⑤水際作戦強化 そして⑥ワクチンの接種体制確立とワクチン製造ならびに開発の促進 まで及ぶ立派な報告であったにも拘らず、日本における死亡率が低かったという理由で、10年間何一つ検討、制度化されなかったばかりか、ワクチン開発などに出していた補助金をストップしてしまったのです。続けていればワクチン製造一流国となっていたでしょう。00過去に学ぶことの無い日本の政治の欠陥です。この過ちを繰り返してほしくありません。

 

表面に出てこないのですが、病院入院患者や高齢者施設での面会制限も解除されるべきだと思っています。

コロナ禍で出来上がった葬儀の縮小など誤った風習も元に戻すべきだと声を大にして主張します。

とにもかくにも、実質収束宣言で、脱コロナです。世界の傾向でもあります。

日本は反科学的政策、不十分な対策や統計の下でも、当初Japan Miracleとよばれた低死亡率(それでも死亡者はついに7万人超え)に恵まれ、感染者数が世界で最も多い(中国を除き)時期があったりしながらも、次々と変異するウィルス株も日本流行した亜株は悪性度が高くなく、しかもウィルスの自壊があったりして、諸外国と比べれば軽く乗り切れたといえるでしょうか。

とはいえ、世界を震撼させた新型コロナウィルスは、まだ続いています。しかもXBB,BA型変異株が増えています。今後再びより大きな第9波が来る可能性もあるというのに、なんとも淋しい政治ではないかと感じます。決して終息ではありませんが、ここらが一つの転機には違いありません。

 

訃報 ー 原 尞

たった今、帰宅して開いた新聞で原尞の急逝を知った。これはショックだった。

寡作で知られた人だが、そろそろ、次の作品が出るころだと、ここのところ馴染みの本屋へ行くたびに探していたのだが。

結局、14年ぶりに上梓されたその 第五作 それまでの明日 がこの寡黙なハードボイルドライターの遺作になってしまったわけだ。そして夜は甦る で知って以来、レイモンド・チャンドラーの我が国での継承者、と思っていたのだが。ただ合掌あるのみ。

 

コロナ脱却の現状について(1)    (34 船曳孝彦)

いよいよ政府が新型コロナ感染症を投げ捨てる日がやってきました。

終息宣言(またはそれに近い言葉)で、感染症法上の特2類を5類に下げ、諸種規制を緩和するので、国民の皆さんは気を付けながらも経済活動を再開せよということになります。此処で今までコメントしてきた点をまとめてみましょう。

3年前、クルーズ船内感染から始まり、当時のコロナ情報では

PCR検査の不足 国の機関しか行わないというとんでもない過ちはいくら 何でも改善されましたが、PCRを制限する傾向は未だに続いています

全て保健所・帰国者センターを通す :それまでは保健所を縮小しようとしていたので、保健所機能がパンクしました。 後に拡充されましたがとても追いつかないままでした。

医療者側を含めた国の拡大委員会を組織すべき :ウィルス学、感染症学、救 急医学、内科小児科医学、公衆衛生学、疫学、ゲノム医学、推計学、遺伝統計学などの専門家の意見が反映されねばなりません。科学者の意見を無視して小中学校一斉休校、アベノマスクが行われました。

政府は専門家の意見を十二分に吸い上げる必要がある :今日に至るまでそ の姿勢に変わりがありません。

自宅待機 :仮設病院、ホテルなどを含め収容施設を早急に手配すべきでしたが、後に第6波となった時に入院できずに自宅死亡者続出に繋がりました。

これらはいずれも2020年5月までに指摘した問題点です。

PCR検査数は諸外国と2桁違う施行率で、しかも陰性数の登録がないため陽性率が分からず、政府の対策会議副座長が6月の国会で「感染者数は10~20倍かもしれない」と答弁するに至っては、三~四流国との誹りをまぬかれません。

医療崩壊病床確保 :感染者数が増加し波が来るたびに、政府、自治体、マスコミが声を大にしてきた。しかし感染病床を拡げることは容易なことではありません。清潔・不潔のゾーン分けのスペース、医師、看護師を始めとする人手の対策はお金をかけても急速に実現することは出来ず、機械・器具の問題もあります。政治家は票確保のためのような発言が多く、何の根拠もありません。外国では医療者に拍手や音楽のプレゼントがあったのに、日本ではボーナスの減額迄報じられました。

Go-To-Travel政策 :科学者たちが反対しても、落ち込んだ経済を活性化させようとして巨額をつぎ込み、大キャンペーンを行い、感染拡大へと繋がってしまいました。  しかもその後、それを政権交代後も再度行ったことは明らかに誤りと言えます。

ワクチン購入 :一国の首相がアメリカまで出かけて交渉しなければならない程、製薬会社に見くびられたのは悲しい恥ずかしい出来事でした。

ワクチン接種 :接種優先順位の明示、ワクチン接種者リストの管理、接種実務者確保、接種場所設定、接種予定と予約方法、2社のワクチンの扱いの分離、これにいち早く取り掛からねば大混乱になると指摘したのは、21年1月のことです。 しかし無策のまま医療従事者からボチボチと始まり、4月に般人の高齢者接種予約が始まったものの、実施は自治体に丸投げ。自治体によってはパソコンでの予約という老人相手では最悪の方式でした。国やマスコミの不熱心さを反映したかのように、接種率が上がらず、オリンピックが迫っても接種率が世界で100位以下でした。因果関係は証明できませんが、オリンピックが始まって爆発的蔓延が起こりました。

仮設病院 :その頃から仮設病院ないし病院的収容施設の設置が検討されました。私は医療施設の分かりやすい業務分担を提案しました。重症者用の病院から、予防注射だけには協力する個人開業医迄8段階に業務分担し、国民に明示するものです。

21年9月頃から感染者数が減り始めます。菅内閣は全くラッキーでした。デルタ株の変異亜株が自壊作用を起こしたようで、皆さん収束に向かったと感じていたと思います。その頃東京新聞川柳欄に投稿したのが採択されました。

第六波今でしょ対策立てるのは

年が明けるころから第6波が目立ってきましたが、対策に特段の変化はなく、強い第7波へと移行してゆきます。第5波に倍増する感染者でしたが,医療従事者の感染多発や患者の流れが確立していないことなどから医療逼迫が進行し、屋外での検査で熱中症が出て問題視されました。

感染自己届け制度 :感染者の自己申告制度が始まり、軽症ないし無症状者は感染者とされる不利益から届け出ず、実態の把握が難しくなりました。嘗て科学立国などと言われた国が、三流国へと滑り落ちてゆきます。

やがて第8波に移行し、昨年12月にはコロナ感染者数が世界ワーストワン(世界の15%)となってしまいました。ゼロコロナに失敗した中国は全数全く不明で含まれておりません。ゲノムで見ると欧米とは大きく異なります。

今年に入り、致死率は依然として低いものの、累計死亡者は6万人を超えました。しかし、発表感染者数が減少している(前述したように届け出数は益々不確かなものになっている)ことから、アメリカのBA-5系の変異株が流入する危険があるのに、感染症分類の2類から5塁への格下げが本格化してきました。5類に下げるのではなく、新たな2.5類を設けるべきだと考えますが、既に事態は進んでしまっています。

メジャーリーグ野球の変化   (普通部OB 田村耕一郎)

米国での野球は今、変化の波に洗われている。事情に詳しい友人からの情報をご参考まで、お届けする。

マックス・シャーザー

カウントダウンが進むのを横目でチラチラと確認しながら、何度も首を振った。サインが合わない。投げる球が決まらない。 残り3秒。もう間に合わない―。大リーグ・メッツの先発投手、マックス・シャーザーはたまらず投球板から右足を外した。タイム。慌てて駆け寄る捕手にいらだちを抑えきれず怒鳴った。

4月10日、米ニューヨーク。パドレス戦の一回1死一塁、フルカウントの場面だ。最優秀投手賞の「サイ・ヤング賞」を3度受賞している38歳は、「ピッチクロック」に明らかに苦しめられていた。 ピッチクロックは、大リーグがファン離れを防ぐための改革の一環として今季から導入したルールだ。投手は原則として走者がいない場合は15秒、走者がいる場合は20秒以内に投球動作に入らなければ、ボールが宣告される。

「試合のペースが遅い」「選手がプレーしていない時間が長すぎる」。こんな懸念が10年以上も前から大リーグ各球団のオーナーの間で飛び交っていた。テレビの前のファンはすぐにチャンネルを変えてしまう。2015年に大リーグ機構(MLB)のコミッショナーになったロブ・マンフレッドは就任後、試合のペース改善に取り組んできた。投手が投げないまま打者が四球になる申告敬遠や首脳陣がマウンドに駆け寄る回数の制限、ワンポイント登板の廃止……。多少の効果はあったが、劇的な変化は生まれていなかった。

大リーグで取材していると「我々はエンターテインメントのビジネスだから」との発言をよく聞く。球団幹部から選手まで、だ。大リーグが愛されてきた理由
ファンを楽しませることを意識した、わかりやすい真っ向勝負。大リーグが愛されてきた要素の一つである。私が子どものころから大リーグを好んできた理由でもある。 打席での勝負や試合には当然勝ちたい。でも観客が喜んでくれるプレーも大事だ。だから、たとえ打者が直球を待っているのがわかっていても、力でねじ伏せにいく投手がいる。極端な守備シフトを敷いて野手のいる方向に打たせようと配球してくるのなら、野手がいない場所にではなく、頭上を越える本塁打を打てばいい、と豪語する打者もいる。

しかし、この10年ほどで大リーグは大きく変わった。結果と勝敗を優先したデータ重視の管理野球が主流になった。全30球団の本拠に高性能カメラや高性能弾道測定器が設置され、投球や打球の回転数や速度、軌道などが計測できるようになった。選手が投球動作やスイングなどの再現性を求めやすくなった一方で、首脳陣は選手の不調や苦手意識の理由を可視化できるようになった。
打者の打球方向の特徴にあわせた守備位置の変更などプレーの前の準備が重視されようになった結果、プレー以外の時間が長くなった。ひらめきで動くプレー
は減り、選手が高い身体能力を発揮できる機会も少なくなったように思える。

その結果、「最近はつまらなくなってきた」という話も多い。
成績を残さなければ、選手も球団幹部も職を失う。代わりはいくらでもいるのだ。勝利優先は仕方のないことでもある。だが、その結果、野球は複雑化し、プレー時間以外での駆け引きが増えた。取材現場でも「最近の野球はつまらなくなった」という意見を頻繁に聞くようになった。

前田健太

選手はその日の調子よりも、過去のデータに基づく判断で交代させられるようになった。わかりやすい例が17年、ドジャース時代の前田健太(現ツインズ)だ。調子が良くても、球数が少なくても、相手打線が2巡すると交代させられる。1、2巡目と比べて被打率が明らかに悪くなるというのが理由だった。
20年のワールドシリーズ第6戦では、ドジャース打線を5回まで1安打9奪三振に抑えていたレイズの先発ブレーク・スネル(現パドレス)が六回1死から安
打を許すと、直近のデータに基づき、交代させられた。代わった中継ぎ投手が打たれ、レイズは2勝4敗で敗退した。この交代は、ファンの間で物議を醸した。

「データに偏りすぎている」との批判が増えてきた。「野球の衰退」とすら話す選手や監督、球団幹部も出てきた。 分析に基づくチームづくりで一目置かれているレッドソックスの最高編成責任者ハイム・ブルームでさえ「勝つための方法が、必ずしもおもしろくはなく、視覚的に魅力的でもないことは認める」という。

MLBの今季の改革は、失われつつあったエンターテインメント性を重視し、野球をおもしろくする方向を追求している。安打を増やすため、打者の特徴に応じ
て一、二塁間に野手3人が並ぶような極端な守備シフトを禁止した。盗塁も増やそうと、本塁を除くベースを大きくし、塁間の距離を短くした。

開幕からまだ約1カ月だが、効果は出ている。4月22日時点での大リーグ公式サイトによると、打者が引っ張ったゴロが安打になる確率は昨季より19%増えた。1試合の平均時間は2時間37分で、前年比で27分短縮された。

ネルソン・クルーズ

42歳で通算462本塁打の強打者ネルソン・クルーズ(パドレス)は「試合が30分早く終わるなら1週間(7試合)で210分。グラウンドにいる時間が減れば体力的にもかなり楽になる」と話す。極端な守備シフトの禁止にも賛成だ。「特に左打者で、安打性の打球がシフトで阻まれ、成績を落としてつぶれていく選手を何人も見てきた」。選手寿命が長くなることが期待できるという。

大幅に改革した大リーグ。だが、まだ道半ばなのかもしれない。 MLBが提携している米独立リーグのアトランティック・リーグは先月、試験的に導入するルールを発表した。新ルールの目玉は「指名代走」だ。控え選手をいつでも代走で起用することができ、代走を送られた選手は攻撃終了後、再び試合に戻ることが許される。足の速い選手を生かして得点を増やそうという狙いが明確だ。

このまま変化は続くのだろうか。フィリーズ球団編成本部長のデーブ・ドンブロウスキーはこう擁護した。

「私が子どもだった1960年代は今のように多くの得点は生まれなかった。野球界は(得点を増やすため)マウンドを低くして打者が打ちやすくするなどの変
化を受け入れてきた。NFL(米プロフットボール)やNBA(米プロバスケットボール)も、エンターテインメントを意識し、よりよい形を求めて(MLBと)競合してきた。人々は新しいものに触れたがる。野球界も変化を歓迎するべきだ」

日本ハムとソフトバンクでも活躍した先発投手、ニック・マルティネス(パドレス)も理解を示す。「日本のプロ野球もそうだけど、投手が『間』を使ったチェスのような駆け引きは芸術だと思う。なくなるのはとても残念。でも、対応しなくてはいけない。野球への関心が低いファンを魅了する方法は大事だ」

既存のルールの下で技を磨いてきたベテラン選手には、急なルール変更は酷かもしれない。改革の評価は今後も分かれるだろう。ただ、野球をおもしろくしようとする意図はくわかる。新たなファン層獲得の可能性も十分感じる。MLBには「エンターテインメントだから」の精神を常に忘れないでもらいたい。

健康はまず自分の努力から ー 脈拍の話  (普通部OB 篠原幸人)

皆さんよくご存じの様で、あまりご存じでない脈拍の話です。ご自分の脈を自分で測ったことはありますか? 貴方の一分間の脈拍数は大体いくつですか? 答えられない方の多くは、多分正しい脈拍のチェック方法も存じないのかもしれませんね。 通常、前腕の手のひら側で親指側、手首から2-3㎝ぐらいの場所に、反対側の手の人差し指・中指・薬指の3本の腹側(3本の指の手掌側の先)を揃えて当てれば脈拍は自分で測れます。やってみてください。ドキドキする拍動が感じられるはずです。60秒間、その数を数えればそれが貴方の一分間の脈拍数です。もしそれが規則的でなく、不規則ならば不整脈があるかもしれません。

でも上手く出来ないとおっしゃる方も多いでしょうね。一番簡単な方法をお教えします。60歳を過ぎたら、上腕に巻く自動血圧計ぐらいは自前で買って、毎朝起きたら血圧を測り記録に残す習慣をつけるべきと思います。自動血圧計では上下の血圧の他に一分間の脈拍数も自動的に出てきます。朝起きた直後の血圧は多くの人で一番高いことが多い。その値にビックリせず、深呼吸でもして、すこし落ち着いて、2回か3回までは測り直してください。

その時に血圧の値ばかりでなく脈拍数にも注目してください。若し2-3回、測り直している間に一分間の脈拍数が10近くも違ったら不整脈がある可能性があります。また毎朝の脈拍数が日により10-20も違ったらこれも不整脈の可能性アリです。但し運動直後や、昼間や夜の脈拍は朝の脈拍数とは大きく異なりますので、朝の起床時直後など同じ条件下で何時も測ることが必須です。

不整脈には比較的心配ないものと、60歳を過ぎていたら塞栓症の可能性のあるものや、すぐに治療すべきものなど多種多彩です。脈拍の異常に気づいたらすぐかかりつけの医師に相談してください。人間ドックや定期検診で医師に異常を見つけてもらう前に、いつも言う事ですが、自分の健康は自分で守りましょう。

エーガ愛好会 (215) シャレード     (42 河瀬斌)

60年ぶりにこの懐かしい曲を聴きながら、ヘップバーンとケリーグラント扮する1963年製作の「シャレード」を本日見ました。私は1970年以降は夜昼のない多忙な仕事に打ち込んだため、40年間一切の映画を見ませんでしたので、筋は覚えていませんでした。しかし学生時代に聞いたこの曲は私の脳裏にも刻まれています。
 舞台はスイス。夫と離婚を考えていたレジーナは旅行中突然自宅がもぬけの殻で競売になり、自分の夫が死体で発見されたことを知らされる。売られた金25万ドルの行方を巡って未知な男性3人が現れ、金を渡さないと貴方も同じ運命にある、と脅される。米国大使館に呼ばれてその金は国から盗んだものでCIAから追われていたことを知る。旅行中知り合った男ジョシュアが介在し助けようとすると、彼女は彼を次第に好きになってゆく。しかし彼も偽名を使って脅しのグループの一味のような振る舞いを見せ始める。脅した人は次々と不明の死を遂げる。 不明の25万ドルはどこに行ったのか、殺されそうな窮地のレジーナはどうなるのか、偽名を繰り返し使って助けるように見える男の最終目的は金か、果たして何者か?
筋書きを覚えていない私は返ってロマンと複雑な筋書きを楽しめました!この時代のシネマは大人のロマンに満ちたセリフ、ウイット、じれったさを感じさせますし、米国映画のせいか死体の場面も生々しくありません。ヘップバーンの大きな眼と裏腹にズバッと発する言葉から出る感情とそれを受けるグラントのやや冷たいセリフと行動も、現代のベタベタする恋愛映画と違って楽しい。私は生々しい場面を日常見ている外科医のせいか、西部劇や現代の激しく戦う映画よりもこの時代の映画が好きです。それとも私もやはりその時代にあったレトロな人間なんでしょうかね。
(船津)まぁオードリーのジバンシィの洋服の素晴らしいこと。タイトルも斬新ですね。タイトルデザインをモーリス・バインダー。ヘンリー・マンシーニ作曲のテーマ曲も良いですね。
主演のグラントは、共演するヘプバーンとの年齢差(グラント59歳、ヘプバーン33歳)を気にしており、観客にどう見られるか不安を抱いていた様ですが、そんな心配ナーシでしたね。
しかし、あの可憐なオードリーもややいだけない感じしましたが、あの色男ケリーグランドとの何とも不思議なやりとりがこのエーガのキモでしょうね。
結末のネタばらしは内緒にした方が良いというかどうでも良い感じの映画ですね。その良さは河瀬斌医師のご感想の通りですね。面白い。こう言うエーガ好きです。

シャレードってどういう意味ですか? 映画のタイトルになっていますが・・・シャレード(charade)は、身振り手振りで言葉あてをする遊びです。 ジェスチャー・ゲームのひとつです。 映画・ドラマ・舞台(芝居)では、台詞によらない描写です。

 

 

エーガ愛好会(214)  ガンファイターの最後  (34 小泉幾多郎)

5月27日(金)BSP放映「ガンファイターの最後 Death of Gunfighter 1969 」は、アラン・スミシー監督、リチャード・ウイドマークと歌手でもあったリナ・ホーン主演なのだが、アラン・スミシーとは、1968~1999年にかけて使われた架空の映画監督の名前というから驚いた。全米監督協会による審査認定の許に使用されたとのこと。撮影中、当初のロバート・トッテン監督とウイドマークが対立、途中からドン・シーゲル監督に代ったが、二人ともクレジットに名前を表記されることを拒否したとのこと。個人的には、無責任極まりないと思うし許されてよいものとは思えないが、これ以降、何作も続いたとのこと。

冒頭、棺を載せた荷馬車が横切ると、正面から蒸気を上げながら列車が到着する。歌手リナ・ホーンが唄う「甘いリンゴのような愛。あの頃を忘れることはない。笑みをこぼすことは二度とないだろう。愛する人が去った今となっては」。最初で最後、棺を乗せた列車はリナを乗せ何処ともなく走り去る。

物語は、あるテキサスの小さな町の昔気質の保守的な保安官ウイドマークが、旧い価値観のもと町の平和を守り抜いてきたが、鉄道が開通し産業が発展した時代になると、彼のやり方に反発する町の有力者達によって用無しとばかりに追い詰められて行く。ウイドマークの味方と言えば、慕ってくれる仲良しの青年マイケル・マグリーヴィーと恋人のリナだけで、殆んどの町民がウイドマークを嫌っているのはあまり合点がいかない。ウイドマーク自体は、年齢を重ね哀愁と渋み、その表情は何とも格好いいと思うのだが、彼が撃てば撃つ程に状況が悪化し、泥沼にはまり込んで行く様は全く居心地が悪い。切羽詰まったところで、恋人リナと結婚するのも唐突。結婚式の神父が、あのジョン・フォード映画の常連ハリイ・ケリイJrとは驚き。対抗馬の積りで連れて来られた郡保安官ジョン・サクソンとは過去の恩義を理由に数少ない和みの関係で、サクソンも格好いいところを見せる。

終幕は、不条理な運命を受け容れ、何発もの銃弾を浴び最後を迎えるが、何ともやり切れない。群集心理の恐ろしさは、先週の「牛泥棒」の比ではない。

(編集子)セーブゲキではないが、いっときもてはやされたニューシネマとやらの一つ、バニシングポイント のラスト、道路ブロックにかりたてられた巨大なブルドーザの、銀色に光る刃に微笑を含んだまま激突して果てるラスト。バリー・ニューマンの最後の、満足しきった顔が忘れられない。あれとおなじ、まさに小泉ドクのいわれる不条理の世界に共通する、一種の一体感みたいなもの、これは何だろうか?

平野・サンデル討論を聞きました    (42 河瀬斌)

懇親会に参加の敵わない平井愛子さんに代わって平野啓一郎とマイケル・サンデルの討論を聞かせていただきました。ご示唆ありがとうございます。
 大筋の趣旨をまとめますと次の通りです。現在の日本にとって経済格差が拡大していますので、大変重要なテーマだと思います。
1)平野:日本人はそれは自己責任で多くは本人の問題と捉えている。これをどう考えるか?
サンデル教授の意見:(大谷翔平の例をあげて)成功者になるか否かは主に長期的な本人の努力や才能による。しかし必ずしもそうではなく、経済的に豊かな環境にいてそのような機会が得られたか、そして社会が偶然それ(野球文化など)を望んでいたか、などの運にも左右される。
 成功者は従って社会にその一部を還元する寛容さが必要である。日本の累進課税はそれを擁護する税制で、支持できる。良い社会を保つためには成功者が寄付の文化に貢献することも重要でしょう。

2)平野:金融投機による利益をどう思うか?

サンデル教授の意見:現在の日本では会社の経営を安定させる目的で投機に向かう理由もある。しかしAIなどの会社など巨大な資金を持つ会社や個人が有利になりがちな、投機による利益を制限すべきである。高齢者の貯金を投機に向けようとする動きにも問題がある。
3)平野:実質的に社会に貢献している労働者が利益を得られるようにするにはどうしたら良いか?(例えば保育士の給与が相対的に低く、社会貢献度に見合っていない)
サンデル教授の意見:現在就労している職種だけでなく、それ以外の潜在的能力を総合的に評価し、それに見合った給与を与えるシステムが必要である。
(河瀬の意見)
大筋でサンデルさんの意見に賛成ですが、下記の日本の独特な状況があります。
1)人に負けない才能を得るために努力を惜しまないのは「自己責任」の賜物です。日本には『銭より責任を持つ仕事が大切』と教えられた時代がありました。運も時には「先を見る千里眼」が運を運びます。しかしその成功者は「累進課税」への貢献だけでなく、社会の面倒を見る「寄付文化」にも貢献すべきでしょう。日本では松下幸之助がその先人ですので、昔の良さを取り戻しましょう。
2)日本の経済格差は土地などの不動産によるものが多いこれは一種の金融投機で、バブルの時に問題になりました。これが最近形を変えて再燃しているのです。特に東京近郊では土地の値上がりで得た近郊農家の相続者や高級タワーマンションの暴騰で得た都会周辺の「働かざる利益者」と、兎小屋の自宅を得るための重いローンに苦しむ「サラリーマン」や「コロナ下で崩壊した零細企業」の間で大きな経済格差を生じている、と思います。
 不動産の値上がりは、新しくできた公共交通によるものが大きいので、その不動産利益をもっと厳しく制限し、そのコミュニティーに住もうとする人たちにその利益を還元できる(国の税金収入ではなく、ふるさと納税のような)システムを作れば、より良い街が作れると思います。現在この方式は人口の減少している地方で行われるようになりましたが、都会周辺でも構築すべきでしょう。
3)日本人には独特の『職人気質』があり、それが昭和までの国を支えてきました。その人たちが次第にいなくならないような給与体系を今、根本的に見直す必要があります。加工職人だけでなく、国の発展に必ず必要な、学校の先生、保育士、医療介護士、研究者も割に合わない給料から至急救われるべき職業でしょう。