懐かしのSPレコードのこと    (大学時代クラスメート 飯田武昭)

最近になって20数年間聞く機会の無かった手持ちのポップス系のLPレコードを聞き直していました。

その中に埋もれていた2枚の78回転のSPレコードをもう一度は聞き直したいと思って、CD化をしてくれる業者をネットで検索したところ新潟県と埼玉県にそれぞれ一件の業者と兵庫県は隣の西宮市に一件見つかりましたが、前2社は78回転SPはお断りと注記あり、後者の西宮市の業者に電話してみました。電話口では多分出来るでしょうと言ってくれたもののSPレコードプレイヤーは注文も略無いので格納中とのことでした。先日、2枚のSPレコードを持って行くと、≪最近は一年に一回くらいしか注文が無く、前回は廣澤寅蔵の浪曲のSPレコードのCD化注文だった≫とのことで笑ってしまいました。 一週間くらいで出来ると言ってくれたのが3日目に電話あり、直ぐにピックアップに行きました。 完成したCDを昨日からJVC(ケンウッド)とSONYのPersonal Audio Systemで聞いて、ちょっと満足しているところです。

2枚の78回転SPレコードは次の分です。

  • 映画「ピクニック」からTheme from “PICNIC“ & MOONGLOW and Theme from“ PICNIC“(DECCA-レコード)(テイチク(株))
  • 映画「わが心に君深く」からOverture&Serenare(MGM-レコード)

映画「ピクニック」は主役の風来坊ウイリアム・ホールデンが村娘のキム・ノヴァックを誘って提灯の下がる川面のステージで踊るダンスシーンで流れる曲の“ムーングロウ“ですが、この曲はジャズのスタンダード・ナンバーとして多くの演奏家が演奏しています。この映画ではジョージ・デューニングが音楽を担当し、モーリス・ストローフ指揮のコロンビア・ピクチャー・オーケストラの演奏によるもので、この映画シーンには他に比類を見ない見事な演奏と大変に気に入っています。

映画「わが心に君深く」はアメリカのポップス及びミュージカル分野で活躍した作曲家シグムンド・ロンバーグ(1887年~1951年64歳没)の半生を描いたミュージカル映画で主演はホセ・ファーラー。ミュージカル・ショウの場面で歌い踊るスターの顔ぶれがローズマリー・クルーニイ、シド・チャリシー、ジェーン・パウエル、ハワード・キール、ジーン・ケリー、アン・ミラー、トニー・マーティン、ヴィック・デーモン等が次々と登場する豪華さも印象に残りました。 劇中の歌曲もDeep in My Heart(わが心に君深く)やSerenade(セレナード)、Drinking Song(乾杯の歌)などの心に沁みる名曲が多いと思っていますが、劇場公開以外のテレビ放送ではお目にかかったことが無い幻の名画です。

私にとっては忘れられない映画のワン・シーンと一本の映画です。

(関谷)私も探したらMario LanzaのThe Student Prince のEPアルバムがありました。60年前、1963年7月にロンドンで入手したものです。飲酒できる年齢でもなかったのに”Drink, Drink, Drink”とやっていたのでしょうかね!

又、断捨離を免れた、坂本九の「上を向いて歩こう」のイギリスでの初盤レコードも出てきました。最近、Beatlesの古いレコードが高値で落札されたとか! お宝になりますかね!

(飯田)1963年と言えば、私がドイツに最初1年間(海外研修生として)行った年が丁度、昭和38年(1963年)でした。関谷さんは確か10歳ほどお若いはずでしたから、〇〇歳くらいでしたね。
それにしてはThe Student Prince のEP盤(Drink,Drink,Drink・・・・)を買って歌うのはさすがにイギリスの学生、日本人的には可なりマセていたのですね

坂本九のEP盤も珍しいですが、何でも鑑定団の検定人としては、ちょっと状態に難がありあまり高値は付かないのでは?Beatlesの古いレコード盤で高値が付くのは、本来のレコード・ジャケットの上に別の写真を張り付けてある分で、その本来の写真その物がえげつない写真の分だったと記憶しています。

エーガ愛好会 (268) 荒野の用心棒  (34 小泉幾多郎)

マカロニウエスタンは、黒沢 明の「用心棒1961」をセルジオ・レオーネ監督が独自に解釈、西部劇に焼き直した1964年に始まったと言える。60年代だけでも約300本が作られたという。その派手なアクションとどぎつい残虐描写、シニカルな主人公のキャラクターが世態にマッチし瞬く間に世界中を席巻した。クリント・イーストウッドが主人公の髭ずらに葉巻を咥えたポンチョ姿がマッチした一匹狼のふてぶてしさの姿で乾坤一擲イタリア西部劇に活躍の場を見出した。

魅力的なのは、巨匠エンニオ・モリコーネの音楽、カンツオーネの伝統を受け継いだ数々のサウンドが心地よく、イーストウッドの動きに反映する。このマカロニウエスタンの原点たる作品の大ヒットに続き、この三者によるドル3部作が、同じ監督、主演、音楽の三者で「夕陽のガンマン」「続夕陽のガンマン」が作られた。

物語は、メキシコ国境に近い町に流れ者ジョー(イーストウッド)が現れる。酒場の主人カルロス(ホセ・カルヴォ)棺桶屋ビリベロ(ヨゼフ・エッガー)と知り合う。この町では、ロホ兄弟とモラレス家が対立し血なまぐさい争いを繰り返していた。ジョーは町民の苦しみを知り、両者を戦わせ自滅させようとした。ロホの弟ラモン(ジャン・マリア・ヴォロンテ)はマモラレス家に焼き討ちをかけモラレス家を壊滅させるという事件を起こす。またラモンがマリソル(マリアンネ・コッホ)という子持ちの女を自分のものにしようと監禁していることを知ったジョーは手下を始末し母子を逃がしたが、ラモンに見抜かれ、激しいリンチを加えられる。このジョーへのリンチ、モラレス家の焼き討ちたる残酷描写がマカロニウエスタンの特徴と言われた。その後ジョーは、やっとの思いで身を隠せたが、酒場の主人カルロスが通りの真ん中でリンチを受けていることを知り、町の広場へ姿を現す。

黒沢用心棒との違いを詮索する程の余裕はないが、この母子を逃がすきっかけとして子供を使った人情噺への仕立て上げや最後のジョーとラモンの決闘シーンがオリジナルを超越した様相を見せる。相手の射撃の正確な狙いを見越して使われた防弾チョッキによる至近距離からの一斉射撃をものともしないジョーの大逆転勝利へのからくり、ポンチョをとるとそれが現れる。平和を戻した町をジョーは静かに去る。こうして「荒野の用心棒」はマカロニウエスタンの原点となった。

初夏の草原ー”郷愁” という感覚



この写真はなにか。その道のエキスパートであるコイズミ、とかフナツ, とかヤスダ、なんて連中がよこすプロ裸足のシャシンに対抗しようなんて気持ちなんかあるわけもないし、またおスタとかズン六に (この花の名前教えて!)なんて言って(またですかあ? ったく!)なんて怒られるためでもない。

写真の上部に写っているのはこの一角の6キロほど北(画面右側になる)の、今は住宅地になっている窪地からわき出した水がこの先1キロばかりで多摩川にそそぐ小川で、大栗川という。今は多摩市と呼ばれるこのあたりは、明治天皇の行幸があり、野点を楽しまれたあたりには明治天皇ゆかりの場所として聖蹟記念館という施設があり、記念館回りは見事な桜の名所として古くから親しまれていた。京王電鉄が大栗川が裾を洗う台地に住宅地を開拓したとき、それまでは古い地名で関戸、とよばれていたあたりに聖蹟桜ヶ丘、という地名をつけた。小生がその一角に越して来たころは、京王線の駅からこのあたりはこの写真にあるような、草花一杯の草原だった。さきごろ祖母になった長女は駅から、今はスターバックスなんて無粋な奴が幅を利かせてるあたりから、蓮華を積んで帰ってきたこともあったし、大学生の父親になりたての長男が、抱えるのがやっとの大きさの見事な鯉を捕まえて興奮して帰ってきたのはこの大栗川でのことだった。

色々な事情で現在の場所に引っ越してもう10年になる。どういう縁があったのか、今の場所も京王電鉄が開拓した初めての住宅地で、落ち着いた雰囲気のいい街になっているし、なんといっても食品スーパーにコンビニに郵便局に歯医者に内科医にスポーツジムにおまけに交番まで自宅から5分以内にあり、娘一家とは隣あわせ、数寄屋橋まで45分で行ける便利さもあるという万事ラッキーな場所で、理髪店もそのサークルの中に実に4か所もあるのだが、整髪だけは今でも月1回、桜ケ丘まででかける。かの地に越して後、はじめて訪れたときは写真の手前側、田んぼの中にあった小山理髪店はその後、川を越えた場所(写真で言えば左上の位置)に移り、絵にかいたような職人肌の親父さんが他界した後、現在は2代目の通称よっちゃんが長男のたかちゃんと二人で運営している。時間がかかろうが何だろうが、ほぼ半世紀、カリフォルニアにいた時期は別として、コヤマ以外で整髪したことは2回しかない。バーバーコヤマ、なんて気取ってるが多摩訛りむき出しのよっちゃんとの会話が何とも言えず楽しいし、ともかく桜ケ丘、という場所がなんともなつかしいのである。

この流れを越えて坂を5分も登れば、縁あって現在の場所へ越すまでは終の棲家、ときめていた家の前に出る。設計の初期からかかわり、納得し満足していた家だから、懐かしい気持ちは大いにある。だがこの10年間、よっちゃんには毎月会いに来るのだがこの坂を上ったことは一度もない。実は親しくしていた人から、門の前に植えてあったメタセコイアの樹が切られてしまった、という話を聞いたからである。まだ日本人の海外渡航が難しかったころ、ロシアを訪れた父が種を持ち帰り、自分で育てたものを移し替えてくれた、自分にとっては想い出深い木だった。それが切られてしまった、ということが、誠に自分勝手な思い入れとわかってはいても口惜しいというのか寂しいというのか、もやもやしたものがあるからである。ジョニー・キャッシュの Green green grass of home  の歌詞に there’s an old oak tree that I used to play on …..という一節があるのを思い出したりすると切なさというのかなんというのかわからないがそういう気持ちが増すようだ。

いわゆる 故郷、と呼ぶべき地をもたない小生にはこの土地はそれに最も近い土地である。こういう感情がもしかすると郷愁、というものかもしれない。郷愁、という単語を確認しようと例によってウイキペディアをひもとけば、(異郷のさびしさから故郷に寄せる思い。ノスタルジア)と定義が載っている。

生意気盛りの中学3年のころだったとおもうが背伸びしてヘッセの 郷愁 に挑戦したものだった。この本の原題は Peter Kamenzind  で、主人公の名前である。これに 郷愁 という訳を充てたのがだれだったのか、小生は知らない。ヘッセはドイツ教養主義文学の代表的存在とされていて、この本もまた主人公の人間的成長を描いたものだ。主人公は確かに最後に故郷に戻ってはいくのだが、それが (異郷にいて感じる寂しさ)からきたものだとは思えない。なぜこういう訳を充てたのか、今となっては調べるすべもない。

僕の中にわだかまっている感覚というか感情はむしろ、藤村の”千曲川旅情の歌” の雰囲気なのかもしれない。

 小諸(こもろ)なる古城のほとり
 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
 緑なす蘩蔞(はこべ)は萌(も)えず
 若草も藉(し)くによしなし
 しろがねの衾(ふすま)の岡辺
 日に溶(と)けて淡雪(あわゆき)流る

          あたヽかき光はあれど
          野に満つる香(かおり)も知らず
          浅くのみ春は霞(かす)みて
          麦の色わづかに青し
          旅人の群(むれ)はいくつか
          畠中(はたなか)の道を急ぎね

 暮れ行けば浅間(あさま)も見えず
 歌哀(かな)し佐久の草笛
 千曲川(ちくまがわ)いざよふ波の
 岸近き宿にのぼりつ
 濁(にご)り酒(ざけ)濁れる飲みて
 草枕しばし慰む

 

 

港の見える公園 の薔薇です   (34小泉幾多郎)

先日、イングリッシュガーデンの薔薇に魅せられ、再び図に乗り、昨日港の見える丘公園の薔薇を観てきました。こちらは無料ながらも、横浜港を眺められる絶景の地での薔薇群を堪能しました。

(編集子)耽美派の小泉センパイには申し訳ないが、小生には ”港の見える"とくれば、小学校時代一世を風靡した、あの ”港が見える丘” のメロディが先ず頭に浮かぶ。当時の流行歌(というジャンル分けがされていたのだ)ならば、”湯の町エレジー” とか、シベリア抑留から帰還した作者がNHKのど自慢に応募出演という形で全国にあっという間に広まった、”異国の丘” なんかが思い出される。ジャンルは違ったが、”みかんの花咲く丘” も流行ったな。小泉さん、不肖の後輩の述懐をお許しいただきたく。

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港が見える丘」(みなとがみえるおか)は、東辰三作詞・作曲、平野愛子歌唱による歌謡曲。1947年(昭和22年)、当時新人歌手であった平野が歌った、終戦直後流行歌である。

歌詞には具体的な地名は一切登場せず、この曲の舞台となる「港」がどの港であるかは定かではない。横浜市にこの歌のタイトルを冠した「港の見える丘公園」があり公園内には歌碑もあることから横浜の歌として親しまれているが、作者の東辰三(あずま・たつみ)の出身地である神戸の歌としても親しまれていて、東の息子である山上路夫は、「どこが歌の舞台なのか、よくわかりません。(神戸と横浜)二つの港町のイメージをだぶらせて作ったのではないでしょうか」 と述べている。

(編集子) 演歌の三大要素は 涙、北国、それと港だそうだ。小生の愛唱歌、”北へ” も確かに港、で始まる。本人は船は苦手で、したがって港、にもおよそ縁がない。港が見えるからなんだ、というくらいの気持ちなんだが。

傘寿記念合宿です (42 保屋野伸)

16日~18日と同期22名~家族含む)にて「傘寿記念合宿」を白馬東急ホテルで行いました。(シモさん夫妻、河瀬夫妻も参加)好天に恵まれ、新緑の白馬周辺を大いに楽しみました。17日は「黒部アルペンルート」で室堂往復、18日は「岩岳マウンテンリゾート」に行きました。

添付写真は岩岳山頂からの白馬三山の眺望です(有名なブランコから)。

河瀬さんから写真が送られてきました。愛好会「三バカトリオ」の写真を追加添付します。室堂から奥大日岳方面を撮ったものです。

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認知症予防についてのあれこれ

編集子の数多い友人の中でも博識博学の士のひとり舩津於菟彦は、彼が数十年にわたって書き続けている仲間内の語録のコピーを小生にも送ってくれている。その最近号でかれは認知症の恐怖について語り、その原因である脳の機能から説き起こしてその予防についてまとめている。あまりに長文なので本稿では紹介しないが、その方法についてのべたところで、非常に重要なポイントとして、社交性の維持、ということ、つまり気の置けない仲間との交流、をあげているが、このエッセイに関して、仲間内のドクターのコメントを紹介している。

(認知症にならないための予防法、素晴らしいですね。本職の私も脱帽の文です。特に、「光輝高齢者は好奇心を先ず失わないこと。そして大事なのは仲間。人と話すと嫌なこともありますが、それを乗り越えて対話することが脳への刺激になるのかと思います。 これはとても大切な結論です。
ただし、「光輝高齢者」とありますのは「後期高齢者」の誤字でしょうか?それとも「認知症にならずに輝く高齢者」の意味でしょうか?          ギャグを理解していない  Dr.X )

自分も高齢者の仲間入りをした、と意識した時点から船津は 後期 という語感をきらい、光輝 という当て字を使っているのだが、いずれにせよ、その背景はとわず、多くの友人を持っている我々は誠に幸運だとつくづく感じることが最近とみに多くなってきた。自分にとっては、”社中” と言う福沢諭吉伝来のイズムをいただく学校のOBであること、社会人になって35年間働いた職場がいずれも人間性、という事を大事にする社風の会社であったこと、この二つの幸運に恵まれて数多くの友人を得たし、その多くとは今尚、何らかのつながりを失わないでいられる。このような環境で老後を養える人間がこの日本の中にどれだけいるだろうか。

もちろん、身体能力の劣化に伴って、物理的に友人に会う機会が減少していくのはやむを得ない必然である。しかし、このIT文化の時代、時空を超えて、とは言えないがすくなくとも 空 の部分は、たとえばコロナ以来普及したテレビ会議方式やらメールのやりとりやら、それを補う手段はある。何度か書いたが、気難しいことで有名だった故平井新教授にほめていただいた自分の卒論のテーマであった、社会の在り方として忌避しながら容認しなければならない、と容認した、 大衆社会 の不安は現実になった。そういう基礎認識があるので、昨今のなんでもデジタル、の風潮に迎合することだけは避けようとする意識はもちつづけたいと思い、自分限りのレベルでの抵抗はしているのだが、その恩恵まで無視するほどの頑固者ではない。

船津よ、おれの認知症予防は以下の通り。

朝起きてからの散歩またはジムでのサイクリングマシン30分、1日2杯、チーズを肴にワイン(最近好みのシャルドネから赤、いまはシラーズ)を飲むこと、最低1時間、ミステリを英文で読むこと、大体半日、中学時代から断続的にだがやってきた真空管アンプやラジオつくりに費やすこと、それと貴兄並びにDr.Xのアドバイス通り、社交性の維持、のため、とにかく毎日、ブログの編集を続けること、最低月1回はワンゲル仲間との軽い山歩きと2次会で若い仲間とおだをあげること。

Dr.Xの御診断も仰ぎたいものだけど。

初夏の夕方はカクテルで (3)  (バーアンノウン 川島恭子)

第三弾: パナシェ

IMG_7924.jpeg私が大学生の頃、パリに留学していた友達に会いに行った時、カフェでビールを飲むよりオシャレだと教えてもらった思い出のカクテルです『混ぜ合わせた という意味』、もともとはビールとレモネードを同量(1対1)で割ったカクテルのことですが、ただし、ビールとソーダやキリンレモンのような炭酸飲料を混ぜ合わせたものもお勧めです。ソーダの場合はレモン果汁(ポッカレモン)をティースプーン1、お好みでハチミツ少々を入れると本格的な味になります。

作り方

大きめのタンブラーに、レモン果汁とハチミツを入れよく混ぜ、タンブラーの半分の量の炭酸飲料を静かに注ぎます。残り半分にビールを注ぎます。ジンジャーエールと半々で混ぜると「シャンディーガフ」になります。

シャンディガフはもともとイギリスのパブで親しまれてきたカクテルで、黒いビールにジンジャーエールを合わせて飲んでいたようです。現在では普通のラガービールを使う方が一般的ですが、黒ビールでも美味しいです。

イングリッシュガーデンの薔薇 (34 小泉幾多郎)

ゴールデンウイークも終わりましたが、何処にも出掛けずに過ぎ、先日の土曜
日、重い腰を上げ、今バラが盛りというローズガーデンたるイングリッシュガーデンを訪問してきました。横浜駅から無料バスが出てました。

入場料1500円也でしたが、入口のローズトンネルから、色とりどりのローズの種類の多さ、所々適所に椅子が適所に置かれ、年寄りにも配慮され、それだけの価値はあったと思いました。