日米戦争当時のアメリカ海軍の掃海艇で起きた叛乱事件を描いた作品である。上半身裸で艦長室で執務するという、風紀にいい加減だった前艦長の後任として赴任した新艦長は、全く反対で、乗組員がシャツの裾をズボンから出したままにすることさえ許さないという、細かいことに厳しい人であった。
そして、着任早々、「当艦の乗組員は、全員が、平均点以上の成績を出さなければならない。」と訓示する。これを聞いて、これは絶対破綻する、と直感した。何故なら、あらゆる人間の組織に見られるとされる「一割現象」という法則に反するからである。「一割現象」とは、軍学者兵頭二十八氏が提唱するもので、人間のいかなるグループ、団体でも、上部一割の優秀者、下部一割の落ちこぼれ、中間8割の平凡人に分れるという「法則」である。同氏は、このことを、自衛隊にいたとき発見したとのことである。或る艦の乗組員の全員が平均点以上の成績を出すということは、この法則に反していて、無理なことなのである。
新艦長の異常な、偏執狂的言動は積み重ねられ、ついに、台風に遭遇したときの操船方法をめぐって争いとなり、艦長の命令は無視され、部下によって拘束される。この事件が、台風を乗り切った後、軍法会議にかけられる。ところで、例えば、東大生といえば全員優秀な人に違いないと思いがちであるが、決してそうではなく、ここでも、この「一割現象」は厳然として存在する、らしい。「さもありなん。」という気がする。そうであるなら、弁護士の業界、弁理士の業界(そして、裁判官の世界)にも、この法則は当てはまると思われる。
世界的に見ても、当事務所は、約50ヶ国の現地代理人と取引があるが、スピード感、緊張感、責任感をもって仕事のできる人は、やはり、一割程度しかいないように思われる。養老先生が、「まともに考え、自分の言葉を持っている人間は、十人に一人いるかどうかだろう。」と言っているのも、この「一割現象」の一面であろう。
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(編集子)ミッキーも懐かしい顔に出会えたようで、よかったね。小生は中学1年の時に翻訳者は誰だったか忘れてしまったがこの本に出合った。不運なくじをひきあてた副長のマリックに大いに同情したものだった。何十年か経って、映画の締めくくりになるなったサンフランシスコはマ―ク・ホプキンスホテルを尋ねる機会があり、このシーンだっただろうと思う広間でへへえ、と思ったりした。
なお、ミッキーはキースがケイン号を選んだ、と書いているが、原作では実は母親が頼りにしたコネが働かず、いやいやながらの着任だったのだ。そうしないとこの作品の背景が違って見えてくるので、付け加えておこう。
小生には負けを覚悟で正義感から弁護士役をひきうけたホセ・ファーラーが印象に残っている。この弁護士はユダヤ系で両親をナチに惨殺されたという経歴を持つ。職責上、艦長を糾弾するが、(こういう男たちがいたからこそ、、ナチは撲滅できたのに)という葛藤にさいなまれ、最後に祝賀会に招かれざる客として現れ、爆発する。この映画の真骨頂はこのアイロニーをぶちまけたことにあるのではないか、と思うのだが。