二人のジミー:70年代の名優たち     (大学クラスメート 飯田武昭)

金藤さんの映画「ララミーから来た男」の主演、ジェームス・スチュワートの名前がヒントで、思い付いた事です。ご承知のように、アメリカ人はファースト・ネームで人を呼ぶ習慣が強く、ジェームスは愛称(ニックネーム)ジミーですが、俳優でジミーと言えば先ずジェームス・スチュワートの事です。それほどに彼は沢山の映画、それもジャンルを問わず略40年間にスクリーン上で活躍した俳優は多分、彼しか居ないと思います。
ご参考までにリストを添付しますが、もう一人のジミーは、言わずと知れたジェームス・ディーンです。

こちらは「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の3作品(1955年&56年製作)のみで、24歳で、この世を去った悲運のスターです。こちらも映画公開当時はジミーと言えばジェームス・ディーンでした。

ジェームス・スチュアートは又、役柄に悪役が無い善良な役ばかり、それが気に入らない人もいるかも知れませんが、20世紀の男優3人の大スター、ゲイリー・クーパー、ジョン・ウエイン、ジェームス・スチアートは何れも悪役を演じられないスターだったのではと改めて思い起こします。善悪、どちらも演じ分けたハンフリー・ボガートやリチャード・ウイッドマークなどの方が個性があって好きと言う人も多いと思います。

20世紀には「白熱」など、今ではテレビでは見られないジェームス・キャグニーのようなあくの強い悪役ばかりの名優もいました。

NO.36製作年タイトル番号
1、1938年我が家の楽園
2、1939年スミス都へ行く
3、砂塵
4、1940年フィラデルフィア物語
5、1946年素晴らしき哉、人生!
6、1948年ロープ
7、1949年踊る熱球
8、1950年ウインチェスター銃’73yes
9、折れた矢yes
10、1952年地上最大のショウyes
11、怒りの河yes
12、1953年裸の拍車yes
13、グレンミラー物語yes
14、1954年裏窓yes
15、遠い国yes
16、1955年戦略空軍命令yes
17、ララミーから来た男yes
18、1956年知りすぎていた男yes
19、翼よ!あれが巴里の灯だyes
20、夜の道
21、1958年めまいyes
22、媚薬
23、1959年ある殺人
24、連邦警察
25、1961年馬上の二人yes
26、1962年リバティ・バランスを射った男yes
27、西部開拓史yes
28、1963年シャイアンyes
29、1965年シェナンドー河yes
30、飛べ!フェニックスyes
31、1966年スタンピード
32、1970年テキサス魂
33、1974年ザッツ・エンターテイメント
34、1976年ラスト・シューティストyes
35、1977年エアポート’77/バミューダ

(編集子)小生が見たものは上記リストにアスタリスクをつけてみたが、結構よく見た、という感じがする。一番深い印象があるのは 34 ラスト・シューティストだ。映画の上でもそうだが、ウエインがこれが最後、と思い詰めたであろう傑作に出演、その演技から(相棒、これが最後だよな)というような、脚本には表れない気迫みたいのものが感じられたものだ。同じ時期の同僚だったローレン・バコールもよかった。

もう一本、リバティ・バランスを射った男 は、ストーリーもそうだが今度は役の上でもウエインに花を持たせた作品で、エンドマーク近く、ウエインの葬儀帰りの夫婦の会話が身に染みる、スチュアート作品の代表みたいな佳作だった。このエンディングの伏線になっているサボテンの花、見てみたいものだが日本では無理だろうな。

博識の飯田兄には無用のことと思うが、悪役、の代表はなんといってもブライアン・ドンレヴィだと小生は思っているし、顔が出てきただけで役どころがわかってしまったのがネヴィル・ブランドだったな。彼が、たしかトラトラトラだったと思うのだが、日本軍の奇襲の情報を知り、上官に伝達しようとするのに苦労する下士官を演じたことがあった。”悪役でない” ブランドはほかではお目にかかっていない。ほかの敵役で名の売れているということならご存じリー・マーヴィンとかアーネスト・ボーグナインやらヴィクター。ジョリーなんかかな。