10月6日陽気に誘われ、墨堤を歩いてみました。しかし、
神社の境内には、隅田川七福神のうち「恵比寿」・「大国神」
平安時代円仁の開山により創建されたとも、慶長年間(1596年 – 1615年)に創建されたともいう。
ビルとオブジェは、フランスのデザイナー、フィリップ・
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
新型コロナの世界的流行は経済を麻痺させ、オリンピックをはじめ、色々な集会に甚大な影響を与え,世界では大戦並みの死者を出しています。日本の経済は立ち直る事が困難かもしれません。しかし日本人にとって、これは悪い影響だけではありません。コロナが今までなかなか改革できなかった日本人の生活習慣を見事に改善してくれているのです。その例を挙げてみましょう。
日本では一世代前の働き蜂より家庭が重んじられるようになりましたが、共稼ぎが多く、夫婦とも不在はよい家庭とは言えません。しかしコロナ禍では残業の帰りにちょっと一杯、という生活は不可能になり、また東京では62.3%の企業がテレ(リモート)ワークを実施したため通勤が減り(注1)、その分家庭にいる時間が増えました。それに伴い自宅で飲みながら家族と話し、家庭の大切さを実感するようになった人が多いことでしょう。これはアメリカ、ドイツでは実現しているテレワークを日本人がやっと手に入れ始めた事にほかなりません。共稼ぎ家庭では親と話す時間が少なかった子供へのスキンシップも改善される事でしょう。現在テレワークが可能な職種は限られていますが、今後はどんどん増加する事でしょう。今後の課題はどう会社が環境整備をするか、テレワーク下でどう連帯感をつくるか、どう仕事の適正な評価をするか、にかかっています(表1)。
日本人の好む室内での遊びやインドアスポーツは換気の点で敬遠され、自然の中でのキャンプ,釣りやゴルフなどのアウトドア派が今増加しています。最近の都会の戸建住宅は敷地が狭いため一本の木も植えていません。共稼ぎでは植木の世話も重荷なのでしょう。しかし緑の無い環境から時に脱出したくなるのが人間の生理です。私も都心のマンションに住んでいた時は緑を求めて毎週末ドライブに行きましたが、帰路いつも車の渋滞に悩まされた覚えがあります。そのため自宅を身動きのとれない都会から郊外に買い替えようとする人も増えているようです。これはテレワーク可能な人が通勤という都会囚人の足かせから開放され、ワーケーション(働きながらバケーション)の世界に魅力を感じているからでしょう。自然が近い環境では週末に郊外へ行く必要がないので,テレワークが進めば必然的に郊外へ移住する人が増えるでしょう。都心の企業もオフィスをより賃料の安い郊外へ移すことも増えているようです。
日本人は握手、ハグなどの習慣が無く、マスクも抵抗ありませんでしたので、それで西洋人より圧倒的に少ない感染数で済んでいました。コロナ以前は車内やデイスコでの三蜜や手を洗う事には無関心でしたが、最近はレストランも席の間隔を空けてパリのように屋外に席を出しはじめ,アルコール消毒も完備して欧州並みになりました。今後は過密で不衛生なレストランやパブがなくなるのは目に見えています。コロナ下二年に及ぶ現在の衛生習慣はきっと日本人に根をおろすことでしょう。そのためか、インフルエンザなどの他の感染症の流行が今全く陰を潜めているのです。
お役所でのAIの普及は菅総理の政約です。世界に遅れていたお役所仕事、「印鑑は?」「あそこの部署、役所に行って下さい」も次第に少なくなり、簡単なことは自宅からオンラインで済むようになるでしょう。それに合わせて役所の台帳をAIに変えるまで3年位かかるかもしれませんが、色々な契約書もオンラインでハンコ無しとなれば、テレワークもやり易くなるでしょう。今後病院も再診、投薬など単純な業務はオンラインで出来るようになるでしょう。それにしてもマイカードをAIT改革やワクチンパスポートにもっと役立つようにしてもらいたいものです。
日本ではおつきあいの為の無駄な会合や冠婚葬祭が多く、その為の支出や贈答品がばかになりませんでした。家計を削ってまでそちらに回す必要もあったでしょう。コロナはそれらの無駄な会合を削減する良い機会になりました。その分を家庭や子供の教育の支出に回せば、豊かな家庭生活が送れる事でしょう。一方中止を余儀なくされた日本の世界に誇るべき文化、地方の祭りや日本画,日本舞踊などの芸術を保存することは最も重要です。日本各地の祭り、花火などは外国にない素晴らしい文化です。今、これらの文化が存亡の危機に直面しています。文化芸術は廃れた場合は回復するのに30年はかかるのです。ワクチンが行き渡りましたら、その分をこちらの方にまわして楽しむと同時に、日本の大切な文化芸術を保存しましょう。
(提言)コロナウイルスは変異を繰り返していますが、幸い今のmRNAワクチンは多少の変異にも効果があるようです。しかしいずれはワクチンも効果が薄れ、変更する必要が来るでしょう。それに応じて新しいワクチンを繰り返し接種する必要があるので、ウイルスと人間は5年間は共存(競存)することになるでしょう。その長期戦の中でウイルスを悪者と見る事に終始せず、「自己の生活を刷新するため神が送った使者」と考え、自らを前向きに変えてゆく事が、コロナ禍を乗り切る秘訣ではないでしょうか。いじめや引きこもりなどの子供の問題,親の運動不足による肥満、そして離婚の増加や子供の虐待などはそのほとんどが都会病です。日本は世界一緑豊かな国ですので、この機会に今の生活を見直し健全な家庭を築きましょう。社会も変革するであろう、その5年後はあっという間に来るものです。
注1:2020年度ニッセイ景況アンケート調査結果による
表1:テレワーク体験者の評価(GPTW ジャパン報道発表から)
リモートワークを肯定的に感じた人の理由(上位5項目)
会社が働き易い環境整備をしている 57.0% コミュニケ ーションが活発で人間関係が良好 29.7% テレワーク下でも連帯感を感じる 24.1% 会社の将来性を感じる 22.8% 必要以上の監視,管理がない 18.4%
テレワークを否定的に感じた人の理由(上位5項目)
組織の連帯感が感じられない 41.9% 会社の将来性を感じられなくなった 25.8% 公正に扱われていない 17.2% 適切に評価されていない 17.2% 仕事で自分の成長を感じられない 15.1%
芸術の秋!錦繍の秋、味覚の秋 の中から今日は「横尾忠則展」@東京現代美術館に行ってきました。都心を東西に横切り地下鉄で1時間乗り継いで、江東区の清澄白河まで。船津さんのお宅から近いのでしょうか?帰りには清澄庭園に立ち寄り、散策。江戸時代の豪商・紀伊国屋門左衛門の屋敷だと伝えられ、明治初めの岩崎家(土佐出身の三菱創業者)が買い取り、現在に続く庭園にしたとのこと。松尾芭蕉の住居からも近く、「古池や蛙飛びこむ水の音」の石碑が庭園内にありました。
写真撮影はNG。600点を超える膨大な作品群に
度肝を抜かれ圧倒されました。S11年生まれの今年85歳。いまだ現役で制作中。数年前、六本木の国立新美術館で開催された草間彌生(当時87歳)の展覧会2017年にも魂消ました。横尾忠則は40年前にNY近代美術館(MOMA)でピカソ展に触発され画家への転身を決意。今月3日にNHK日曜美術館で彼の特集番組を見て、こりゃあ、展覧会に行かねば~と、思った次第。アンリ・ルソー、ダリ、アンディ・ウォーホル、荒木経惟、ジャクソン・ポロック、ピカソなどからの影響があるように感じられました。三島由紀夫と親しくなり、彼を題材として描いた絵画が幾枚かありました。
ヒマに飽かせて、季節の花とか、花に立ち寄る虫たちを撮っています。
今回は、初秋の花に立ち寄る虫たちのスナップです。
1.キバナコスモスとシマアブ
キバナコスモスは夏から秋まで多くの花を付けてくれます。
キバナコスモスは普通のコスモスが盛んに咲くやや少し前に、種を沢山つけて、花期を終えます。シマアブは9月~10月ごろキバナコスモスを訪れます。
キバナコスモスは前述したとおり、夏から秋まで咲いています。
キアゲハはシマアブとほとんど同じ時期にキバナコスモスに寄ってきます。丁度ヒガンバナが咲く時期と一致します。
キアゲハはキバナコスモスがとまると重量で花が下を向いてしまうので、羽根をばたつかせながら(花びらが上を向いている状態で)蜜を吸います。羽根の羽ばたくサイクルが少ないのでホバリングとは云えませんが、花が大きく揺れるので撮りにくい場面が続きます。
センニチコウは花期が長い花ですが、花の取材に行ってたまたまウラナミシジミの写真が撮れました。自宅には無い花なので観察不足ですが、ご近所さんの庭を覗いて見ると、かなり長い間しおれずに咲いているようです。
ハギは近くの禅寺の参道にあるハギで、例年花の写真を撮るのが年中行事です。
ウラナミシジミも多分他の花から花へと移ってきてハギにたどり着いたに違いありません。アクロバチックな形で風に揺れるハギにしがみついています。
小さな虫たちが懸命に生きているのに勇気づけられます。
5.ユリオプスデージーとヒメヒラタアブ
ユリオプスデージーは花期の長い木で、真冬と真夏以外は花を付けています。重宝な菊の灌木ですが、小さく仕立てることは可能です。
一方、ヒメヒラタアブは1センチに満たないアブで、ホバリングしながら蜜のある花を探します。
ホトトギスは関東地方では9月~10月に咲く花です。
けばけばしい花で、蜜は花の奥の場所にあるので、口先が長い虫しか蜜を吸いにやって来ません。
ホウジャクは涼しい時期になると飛来します。、気温が20℃を下回らないと活発に活動しません。我が家に廻ってくるホウジャクは、朝もしくは夕方の薄暗い時間帯に飛来します。ホウジャクは花に止まると花が重く垂れ下がるので、ホバリングしながら蜜を吸います。ブーンという音がします。
朝だと日の出寸前とか、夕刻だと薄暗くなってからです。
(編集子)61年度卒業の小生のクラスは、博士級大秀才から尺八の名人に俳人にレスラーにピアニストにと枚挙にいとまがない才人秀才の集まりだった。毎日、部室には必ず行くが教室には必要最低限しか顔を出さなかった小生には多少居心地のよくないところもあったが、その中で名をはせた硬骨漢(論客であった飯田武昭ともいい勝負だった)が、当時の印象とはかけ離れて花鳥風月の日々を送っているらしい。かれの主宰するブログもご覧いただければうれしい。以下、関連情報。
私は自分のホームページとブログは共にハンドルネーム(ペンネー
ています。ホームページは「ひろさん」、ブログは「善人閑居」と
です。
ブログの URL は https://blog.goo.ne.jp/micky33
ひろさんの旅枕 の URL は
http://www5.airnet.ne.jp/hirom
です。
。
皆さまご存知かとは思いますが、かつては法曹三者(裁判官、
>>はい。やっぱり教養って大事だと思います。極端な話、
法律家は、
そして、これから勉強に限らず、幅広く社会経験も積みたいです。
いい大人でも舞い上がりそうな状況なのに19歳にしてこの自覚が
大槻凛くんは幼稚舎から慶應なので、中学〜
ジョン・フォード騎兵隊三部作の第一作。軍人の精神の鑑として扱
騎兵隊とインディアンの抗争の一番の理由が、インディアンに連発
後日、新任の隊長として、記者会見に臨んだヨーク大尉が言う「我
(編集子)ダコタ州ブラックヒルズで金鉱が発見されたのは1874年であるが、このあたりは先住民族との間の協定で彼らの居住区となっていた。貪欲な資本家に押された政府は協定を無視したため、この地域に白
人の山師たちが集中して、金鉱発掘ブームとなる。これに激怒した先住民側は部族を超えて団結,強力な抵抗運動を始める。1876年、カスター将軍は周囲の反対にもかかわらず自分の率いる第七騎兵隊のみで地域に進攻し、圧倒的な兵力差の下で全滅した。これを映画化したのが小泉解説にある 壮烈第七騎兵隊でカスターを当時人気の高かった
エロール・フリンが演じた。添え物の女優役はやはり絶頂期にあったオリヴィア・デ・ハヴィランド。この戦闘がきっかけとなって、小康状態にあった西部地域が先住民族との激闘に巻き込まれる。名高い酋長にジェロニモという男がいて白人たちの恐怖の的になった。”駅馬車” のトップシーンは電信線を破壊されて重要な情報が届かなくなる場面から始まるが、電信手が最後に受信した単語が ジェロニモ! だということでその場に恐怖が走ったのをお気づきだったろうか。ただ、こういう史実を知ってみると、こういう国に、ウイグル人問題などで正義を振りかざす資格なんてあるんだろうか(だから習近平が正しいというのではもちろんないが)と思ってしまう。所詮、歴史は勝者だけのものなだろうが。
さて、いよいよジョン・フォード騎兵隊三部作、の登場である。アパッチ砦で若き大尉だったウエインは リオグランデの砦 では妻(モーリーン・オハラ)と別居を余儀なくされた中年の役を演じる。結局元の鞘に収まるきっかけは一兵士となってウエイン部隊に配属された息子(クロード・ジャーマン・ジュニア)の
活躍になるのだが、この息子の後ろ盾となるのが同じ兵士仲間の ベン・ジョンソン、ハリー・ケリー・ジュニア。彼らの指導役の軍曹になったヴィクター・マクラグレン、グラント・ウイザース、チル・ウイルス、キャロル・ナイシュ、ワード・ボンド、ペドロ・アルメンダリス、などを加えた面々がいわゆる フォード一家、と呼ばれた人々である。ハリー・ケリーの父親はフォードと同時代に名プロデューサー兼俳優として尊敬されていた人で(赤い河 では締めくくりに登場してクリフトから牛を買い付ける紳士を演じている)、フォードは彼に対する敬意もあってジュニアをよく登場させた。三部作最後の 黄色いリボン はすでに老齢に達したウエインが引退を前にして若い士官たちを助けて、夕陽の中を去る。ただ、最後の最後に大統領令で彼はもう一度、”スカウト” として隊へ呼び返される。
この通知を持ってカリフォルニアへと落ちていくウエインを呼び戻すのが、小生のお気に入り、ベン・ジョンソンである。三部作のうちで最も好ましいこの作品、機会があればお見過ごしなきよう、おススメしておく次第。なお面白いことにウエインの演ずる大尉が前2作ではヨーク、なのに黄色いリボンではブリトルズと名前が変わっている。なぜだか、わからないが。
三部作、のほかにフォード一家の登場する映画は数々あるが、三人の名付け親 という名画は、話の筋から言ってあまり多くの人物が登場せず、ウエイン、アルメンダリス、ケリージュニアにワード・ボンド、この4人だけのつまりフォード一家の映画といってもいいものだ。この連中のほか、女優でよく出てきたのがミルドレッド・ナトウイック。大物ではジェイムズ・スチュアートとリー・マーヴィンもフォードのお気に入りだったらしいが(この二人が主演したのが リバティバランスを射った男 である)、一説によるとウエインとマーヴィンは犬猿の仲だった、という裏話もある。
時々話題になる、作家というか、くせものリポータ広瀬隆に ジョン・ウエインはなぜ死んだか という一冊があり、彼の言うところによればウエインの死因となった癌に感染したのは、彼が数多くの西部劇映画撮影の場所としたネヴァダ州の砂漠地域が、実は同州で数多く行われた原爆実験の場所だったからだ、という。この本によれば 三人の名付け親 で共演したペドロ・アルメンダリスも癌の宣告に絶望して自殺したのだというのだ。この作品で、砂漠の放浪の果て、アルメンダリスはこれ以上歩けなくなった、と知り、コヨーテに食われるよりは、と言って、ウエインが背を向けたときに自殺してしまう。なんだか不気味な話ではないか。
も一つ、関係ない話だと思うが、僕らの高校時代に華やかだった歌手、ドリス・デイに、日本語の題名はわすれたが Take me back to the Black HIlls という曲があった。歌詞に ……Black HIlls of Dakota という一節があるので、同じ場所のことだと思うのだが、映画でも活躍した金髪の、誠にこれぞアメリカンガール、と感じさせた風貌はまだ瞼に鮮やかである。もっと無関係なことでいえば、Secret Love なんてのもあったなあ。も一つ余談だが、昨晩の夕刊にニューミュージック170曲、というCDの広告があった。数えてみたがちょうど1割17曲しか知らなかった。歌は世につれ、だろうな。
(中司)ワイフが大河ドラマを見ている間に散歩してきた。
(中司)有為転変 往事茫々 驚天動地 階前の梧葉既に秋声 嗚呼古城何をか語り 岸の波何をか語らん 受験英語なら time really flies, というやつよ。
香港、ミャンマー、アフガニスタンとここのところ政変が相次いでいる。表面的には安定しているように見えるトルコだとか、ウクライナなどでも国内事情はいろいろと波乱含みのように見える。そして共通に語られるのが民主主義の危機、というテーマである。だいぶ前にフランシス・フクヤマという政治学者が書いた 歴史の終わり という本が有名になった。この本は今や世界の国々は民主主義を基盤にする段階に到達し、イデオロギー論争は問題でなくなった、と主張し、民主主義は変わらずに存続しつづけるだろうと断じた。しかし現時点において、彼の主張はどうやら誤りか、もしくは時期尚早な結論であったのではないか、と思い始めていたので、散歩帰りによったいつもの本屋で、(例によって)衝動買いしてしまったのが本書である。
本書はトランプ政権が誕生した米国の社会事情についての考察から始まっている。一部の人々はトランプによってアメリカの民主主義が破壊された、と主張するが、著者は米国の民主主義そのものはトランプ一人によって破壊されるほど脆弱ではない、と断じたうえで、一方、トランプのいかんにかかわらず、民主主義そのものは壊れかけているのだ、と主張する。それはどうしてか、なぜか、という考察がこの本の主張である。著者は民主主義、という考え方を定義して、個人の尊厳と社会の長期的利益を両立させる政治思想であるとする。その意味で言えば、中国は長期的利益は上げているものの個人の尊厳を重視しない社会であるから(当然だが)民主主義とは言えないことになる。西欧諸国をはじめとする民主主義国はこの二つの原理の追求をしてきているわけだが、その思想そのものが次の三つの事象、すなわち、
(1)クーデター (2)災害などの大惨事 (3)テクノロジー
によって、崩壊の危機に瀕しているのだ、というのが本著の文脈である。
1のクーデターの最もわかりやすい例は最近起きたミャンマーの件などがあるが、著者は街に戦車が侵入してくるような事件だけがクーデターではなく、現実問題として起きているのは、政治の世界で表面に暴力行為は現れないものの、勢力の交代のような形で、現実の政府の意向がすり替えられてしまうことも含まれている。我々には事情が複雑すぎてよくわからないのだが、たとえばトルコで起きていることはそういう意味ではクーデターが起きたのと同じことなのではないか、といったことである。
2では大規模の自然災害や環境破壊などの結果、社会の安定性が復活せず、当面の対策の連鎖の中で、本来の民主主義とはあいいれない結果が生まれてしまうことを指している。有名な ”沈黙の春“ という環境問題をとりあげたカーソンはこの本によって破壊されつつある自然に対する社会的反応を呼び起こし、政府に必要な規制強化を促したが、これは実は民主主義の世界だったからこそ可能になった。しかし昨今では化石燃料によって大規模な経済成長を可能にした国々の抵抗や、先進国のビッグビジネスの利益を確保するためのロビー活動などの結果、現実に起きていることは民主主義の基本倫理には合致していない。
3についての著者の見解は、インタネットを基盤として爆発したテクノロジーが与える影響である。トランプ大統領はツイッターを利用して、直接国民に訴えることで個人の意見が政治に直結する、これが民主主義だという誤った印象を与え、個人の意向にそぐわない政治が行われるのは目に見えない何者かが政治を動かしている、といういわゆる陰謀論を惹起し、米国の分断に拍車をかけた。著者は特にフェイスブックのいわば跳梁に極めて厳しい見方をしている。
本書の主張する3ポイントの中で特に興味を持ったのが テクノロジーの影響という項目である。僕は高校3年の時に授業で読んだエリッヒ・フロムの 自由からの逃走 という本に影響を受けて、大学では経済学部ながら社会思想史のゼミに加わり、卒業論文にこのフロムを選び、彼が主要な論客のひとりとされていた 大衆社会論 という考え方に共鳴した。自由からの逃走 は巧妙に作られたナチの世論操作によってドイツ人がヒトラーの狂信思想のわなに陥ってしまった事実を取り上げ、そこから導かれた 匿名の権威(anonymous authority) という考え方を提示した。具体的に言えば、マスコミュニケーション(当時は新聞が主力であり、テレビはまだ始まったばかりであった)が読者に対して与える影響である。マスコミが結果的に伝播させてしまう考え方や思想、それが決して権力者や主導者といった明確な意識を読者に持たせずに社会の意識や行動を左右してしまう。その結果社会の動きがいつ、だれが主導したかも気がつかないうちに作られてしまう、という現実をフロムは主著 Sane Society (正気の社会) のなかで鋭く指摘したのだ。僕自身、昨今のネット社会の現実を見て、彼が主張した大衆社会、という現実がすでに起きてしまった、と考えているので、たまたまフェイスブックだけがランシマンの指弾を受けているが、大きな意味でかれが民主主義を破滅させるだろう要因としてテクノロジー、という項目を取り上げたのに全面的に同意するのである。
ほかに本書の中で面白いと思ったのは、著者が日本を彼があげた民主主義のもたらすべき長期の成果・安定という意味ではほかの西欧諸国からみて一時の成果を上げたけれども結果的には失敗した国だ、と明言していながら(確かに数字だけ見ればそうなるかもしれない)、別の個所では後世、21世紀の日本という国は素晴らしい国だったとされるだろう、といわば矛盾した観察をしていることである。これは彼の言う第一の視点、個人の尊厳、ということを指しているともとれるが、なぜ日本が一転して成功例となるのか、説明はない。長期的利益、が単なる数字だけでは測れない、ということなのだろうか。もしそうなら、彼の前提となる民主主義の定義そのものも変わってしまうのだが。
(船津)「民主主義」とは?戦後、米国は日本の占領政策で「菊と刀」を深読みし過ぎ、
(小川) ブログの「民主主義の壊れ方」面白く読みました。乱読とはいうもののこのトシになって凄い読書家ですな、畏れ入ります。最近では新聞読むのも苦痛になってきてYouTubeやテレビで何とか世の中に付いて行っている小生とは大違いです。最もマスコミに支配される種族に自分がなってしまっております。
なるほど「テクノロジー」で民主主義が壊されるという見方は面白かったです。最後の21世紀の日本に対する見方についてはいささか皮肉が混じっているかも。新しい資本主義を唱えているわが国の首相(安部傀儡)政権の評価を聞かせて下さい。
(菅原)共産主義、社会主義、民主主義、共和主義、現実主義、などなど、Feminismも含む、全てイデオロギーです(要するに、何とかism)。唯一の例外は、現実主義。従って、イデオロギーは、それにそぐわないことを無視、黙殺、敵視します。民主主義もその例外ではありません。だから、壊れるんでしょう。一度、現実主義に立ち戻るべきではないでしょうか。これは、我が尊敬する、司馬遼太郎の思考の受け売りです。
新宿から出る京王線の車窓は仙川あたりを過ぎると、いかにも昔で言う”郊外電車”的な雰囲気を漂わせるようになる。歴史のある調布や府中のあたりになると駅名も飛田給、武蔵野台、というように武蔵野を意識した名前に変わってくる。国領、という駅もそのひとつで、地名にも歴史が潜んでいるような、ごくさびれた感じの駅だった。
しかし京王線が一部の地下化をはじめ、国領も地下駅になってしまうと、期を一にしてこのあたりに現代的な高層マンションなどの建設が相次ぎ、よくあるようにそれまでの古き良き、という感じを一新してしまって、りゅうとしたベッドタウンに変貌してしまった感がある。楽しいやら、寂しいやら、妙な気持がする。
しかしこの駅はもうひとつ、その存在意義を主張する。かつて日本映画、特に活劇映画の主役を演じていた日活のホームグラウンド、というプライドのようなものだ。新しく、機能的に、ということはかつての暖かさが少しばかり減退してしまったということでもあるのだが、駅構内に展示されている、かつて日活の黄金時代をささえた俳優たちの手形がその意識を支えている。裕次郎、三枝はあたりまえとしても、川内民夫だとか鮎川いづみだとかといった懐かしい名前もある。
ホームで電車待ちの間に流れる駅メロは、ここでは裕次郎軍団の全盛期、テレビの強力番組のひとつだった、あの 西部警察、のテーマである。ほぼ日課にしている夜のウオーキングの終点はこの駅にすることが多いのだが、駅前の自販機で(北杜市の!)水を買って、ベンチでこのメロディを聴きながら一休み、というのも結構いいものだ、と思うようになった。
それとなぜだか知らないが、この駅周辺にはこじんまりとしたイタリア料理店が結構ある。レストラン、といえるまでの規模でもなく、いわばピッゼリア、くらいだろうか。そのうち、試してみよう。
(菅原)昭和40年前後の国領って知ってるかい?多分、知らないだろう。記憶に間違いがなければ、駅以外は何もなかった。その経緯は以下の通り。
小生、一介の会社員だった頃、東京で営業をやらされて、ミシンを中心とした精密工業を担当していた(写真機製造会社を除く)。その一件が、東京重機(今のJUKI)。本社が国領にあって、少なくとも一週に一度は行っていた。営業所が室町にあったから、三越前から銀座線で渋谷に出、井の頭線で明大前に出て、京王線で国領。ところが、急行が止まらないから、仙川で降りて鈍行待ち。すげー不便なところだった。結果はどうだったかと言うとホロニガ。情けないかな、日立にひっくり返されてしまった。だから、国領と言うと嫌な思い出ばかり。それにしても50年以上も経っちゃってるから、貴兄のブログからも、その変貌は凄まじいものがありそうだ。JUKIは2009年に本社を多摩市鶴牧に移して、今は国領には何もないようだ。当時も何もなかったけれど。
ついに19都道府県の緊急事態宣言も全面解除ですか? 何故、最近こんなに急にコロナ患者が激減したのか不思議ですね。オリンピック・パラリンピックで皆さんがTV観戦に夢中になり出かけなくなったせいとかオリパラ賛同者はいっていますし、無論ワクチン接種の普及効果もあるでしょうが、原因はまだまだ不明です。11-12月に次の波が必ず来るとか言っている専門家もいますが、私は次回は必ずしも大きな波にはならない可能性もあると思っています。全くの仮説ですが、ウイルス自体が何らかの原因で(多分生き残りをかけてでしょうが)感染力を少しづつ低下させるような変異をしている可能性もあるかと思っています。無論、希望的観測ですが。
さて。最近、Brain(脳)Fog(霧)という言葉を聞いたことがあるでしょう?
Brain Fog とは、「最近、考えをまとめようとしても頭がボーッとして纏まらない」、「根気がない」、「光がいやにまぶしい」、「昼間でもねむたい」、「疲れやすくて仕事にならない」などの症状のことで、鼻水・微熱・軽い疲れやすさなどしかなかった軽症のコロナ患者でも、10-20%後遺症としてみられるという報告がありました。頭がなんとなく、ボーッとして考えがまとまらなく、ねむたいなんてことは、「毎日、以前からあるよ」と威張っている声も、「うちの主人はコロナが出てくる前からBrain Fogよ」とおっしゃる声も聞こえてきそうですが。
この原因はウイルスに抵抗するためにできた免疫細胞が体の中で作った異常タンパク質が、脳細胞を犯すとか言われていますが、まだよくわかっていません。そんなことが有名になるとワクチン接種でもこれが起こるのではと心配して、また接種の拒絶反応が増えそうですね。しかし、ワクチン接種でそれが起こることはないようです。Brain Fogに対して、特別外来を開設している病院も出始めました。本当にコロナっていやなウイルスですね。