エーガ愛好会 (153) 大統領の陰謀

(船津)1972年6月17日、首都ワシントンD.C.のウォーターゲートビルで働く警備員のフランク・ウィルズ(演:本人)が建物のドアに奇妙なテープが貼られていることに気付き、ワシントンD.C.首都警察に通報。民主党全国委員会本部オフィスに侵入していた5人組の男は不法侵入の罪で逮捕された。
入社してまだ日が浅いワシントン・ポスト紙の社会部記者ボブ・ウッドワード(演:ロバート・レッドフォード)は、社会部長のハワード・ローゼンフェルド(演:ジャック・ウォーデン)から、民主党本部における不法侵入事件の法廷取材を命じられる。窃盗目的で押し入ったと思われていた容疑者たちの所持金が多額であった事と、所持品の中に無線機や35ミリカメラ等不可思議な物が含まれていたためである。予審が行われている裁判所に赴いたウッドワードは、共和党系の弁護士が傍聴に来ていることに不自然さを覚える。さらに容疑者のうちの1人、ジェームズ・W・マッコード・ジュニアが、CIAの警備官だったことを告白したとき、ウッドワードはこの事件が単なる物盗りの侵入事件ではないことを直感し、踏み込んだ取材を開始する。
一方、先輩記者カール・バーンスタイン(演:ダスティン・ホフマン)もこの不法侵入事件に興味を抱いていた。彼はウッドワードの書いた原稿を焦点が甘いと指摘し、推敲してみせる。ウッドワードは反発しつつもバーンスタインの手腕を認めざるをえなかった。2人の熱意を感じたローゼンフェルドは、ベテランの政治部記者に任せるべきだと主張する編集局長のハワード・シモンズ(演:マーティン・バルサム)を説得し、2人を担当記者にする。
当初は政府機関の厚い壁に阻まれ五里霧中の状態であったが、ローゼンフェルド、サイモンズ、編集主幹のベン・ブラッドリー(演:ジェイソン・ロバーズ)等、社の幹部の叱咤を受けながら取材を進めていく内に、僅かながら現れ始めた情報提供者や以前からのウッドワードのニュースソースである謎の人物ディープ・スロート(演:ハル・ホルブルック)からの助言・示唆により、現大統領リチャード・M・ニクソン再選委員会の選挙資金の流れの不自然さに行き着く。それによって侵入事件の全貌が次第に明らかになってきた。
事実関係の調査を済ませた記者たちは事件を記事にする。情報提供者たちの証言の裏が取れない内は断固として掲載を認めなかったブラッドリーもついに掲載を許可。記事が掲載されると、主幹のブラッドリーとワシントン・ポスト紙はニクソン政権から名指しで非難と冷笑を浴びる。さらには情報提供者にも証言を翻され、2人の記者は窮地に立たされてしまう。世間・一般市民の事件へ反応も薄い。そんな中ブラッドリーは編集会議で、あくまでも2人の記者を後押しするよう、幹部たちに厳命する。
ウッドワードはディープ・スロートからCIA、FBIなど諜報・捜査機関がニクソン政権に牛耳られようとしており、2人の記者のみならずワシントン・ポストの幹部も監視下にあると警告を受ける。深夜、自宅に来て状況を伝える2人に対しブラッドリー主幹は、合衆国憲法修正第一条で保証されている“報道の自由”を、そして“この国の未来”を守る為あくまで戦う事を告げ、そして二度とヘマをするなとハッパをかける。
1973年1月20日、再選を果たし、就任式で宣誓するニクソン大統領のテレビ中継が流れる中、ウッドワードとバーンスタイン両記者の打つタイプライターの音がワシントン・ポストの編集局に響く。2人が火を付けたこの事件の報道が端緒となって世論を動かし、やがて大統領の側近や政府高官を含める事件関係者たちは次々と起訴され有罪となる。ニクソンは1974年8月9日に大統領を辞任。ジェラルド・フォードが第38代合衆国大統領に就任した。

しかし、日本の西山太吉記者事件のように真実を報道するために取材すると、色々な個人的関係が入り込んでくる。これは情に通じる様な取材も同じ。真実を伝えるにはどんな努力も必要だが「取材源」だけは絶対に秘匿せねばならぬのが記者魂である。「大統領の陰謀」ではその描写が中々細かく描かれている。だが映画としてはやや入り組みすぎてわかりにくいところが多く、訴えるべき事項が霞んでしまう。同じワシントンポスト社を描いているペンタゴンペーパーズと比べると、方やベトナム戦争真っ盛りの1971年頃の情景、ウォーターゲート事件は3年後の1974年の頃で3年しか違わないが、スビルバーグは確りワシントンポスト社を復元して描いているのに対して、家具。器材など時代考証は「大統領の陰謀」は違う様で違和感がぬぐえない。

(関谷)愛好会の皆さんに釣られ、立て続けに「ペンタゴン・ペーパーズ」と

本日の「大統領の陰謀」を、雨読日でもあり、見てしまいました。聞屋さんの図々しさに、改めて、感心するとともに、気の弱い私では、絶対に務まらない職業だと痛感!「文春」の記者も似たようなものなのでしょうね!

ウオーターゲートビル

(保屋野)ウオータ―ゲート事件を映画化した作品ですが、(ペンタゴン・ペーパーズもそうでしたが)、巨悪に立ち向かう記者の奮闘ぶりはそれなりに楽しめましたが・・・ネットのコメントにもありましたが、何せ、登場人物が多すぎて、かつ電話のやり取りが多く、ストーリーを理解するのが中々難しい作品でした。私は、こういう複雑な事件は、映画より、NHKがよく放映している(解説付)「ドキュメント番組」の方が分りやすく、面白いのではないかと思います。D・ホフマンとR・レッドフォードの競演は見ごたえありましたが。

(安田)1972年6月17日のウォーターゲートビル内の民主党本部で起きた盗聴侵入事件発生からニクソン大統領の辞任の1974年8月9日までの2年2ヶ月間に及ぶぶ、ワシントンポスト紙の真実を掴み報道する自由を追求するジャーナリズムの信念に対して政治権力の相克を描いた映画である。

原題は「All the President’s Men」。先日、ブログにも載った映画「ペンタゴン・ペーパーズ」、更にウォーターゲート事件をFBI副長官の目線で描いた映画「ザ・シークレットマン」2018年制作、原題「Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House」、 これら3本の映画は1971年から74年に起こったアメリア政府中枢の腐敗とも呼べる権力の乱用と自己正当化の傲慢な動きに真向から挑んだジャーナリズムとFBI副長官の孤独な闘いを描いた、アメリカの良心と正義を担保した映画とも言える。

「ザ・シークレットマン」はFBI副長官マーク・フェルト、後にウォーターゲート事件の情報提供者として知られる「ディープ・スロート」本人(対外的には秘密)の政府の公的な組織人の立場と個人的な自由と正義を守る信条の狭間で悩む一個人を描いた秀作。彼が「ディープ・スロート」ではないかと‘70年代には目されたが、本人は認めたことはない。2008年に85歳で他界するが、死去の3年前の2005年8月に自ら公表した。映画の制作はマーク・フェルトが自らを「ディープ・スロート」と公表してから13年後、死後10年後に製作された。それだけ時間の経過が必要であったのだろう。スティーヴン・スティルバーグ監督映画「シンドラーのリスト」主役を演じた北アイルランド出身リーアム・ニーソンがマーク・フェルトを好演した。この映画はFBI副長官の知ってしまった公人の葛藤と苦悩を闘ったを見事に描いた映画。「大統領の陰謀」と併せて観ると、ウォーターゲート事件についての理解がより増すこと請負。

(編集子)ワシントンポスト紙社内のシーンが迫力があった。ああいう場で仕事をすることを夢見た時代もあったのだが。

キャトルドライブ、カウボーイ、スタンピード、ジョン・チザム (44 安田耕太郎)

映画「赤い河」1948年や「スタンピード」1965年では牛の群れの暴走・スタンピードのシーンがある。両映画を観て、掲題の諸点について興味をもった。キャトル・ドライブを描いたクリント・イーストウッドの出世作となってTVドラマに「ローハイド」(1959~65年)放映があった。 

キャトル・ドライブ(Cattle Drive)とは牛の群れを輸送すること。輸送といっても鉄道や車に乗せて運ぶことではない。19世紀半ば頃から、アメリカの大草原地帯で増えた牛の群れを数百キロから1千キロ以上離れた鉄道の出荷駅まで運ぶ作業をことである。調べたところアメリカには元々キャトル(牛)はおらず、入植してきた、肉を主食とするスペイン人が持ち込んできた。スペイン人が撤退後はメキシコ人がそれをついでテキサスあたりで繁殖させた。その地域はメキシコとなって、バケーロ(Vaquero)と呼ばれるメキシコ人の牧場労働者が管理していたが、牛肉を食べる文化はスペインのもので、アメリカに住んでいた英国やスコットランドやアイルランド系の人々は牛を食べる文化がなかった。

アメリカとメキシコの米墨戦争(1846~48年)の結果テキサスはアメリカに帰属(映画アラモなどでも描かれる)。その頃までには所有主のいない野生化したテキサスの牛(Texas Long Horn)が無数に増えてきて、放置されたままになっていた。南北戦争が1865年に終わると、人々が西部に入植していって開拓が始まる。東部は工業も発達し、移民も増えて、人口が増え、食料の需要も増える。そこで目をつけられたのが、テキサスの無数の牛だった。これを捕まえて、食肉として消費地のカリフォルニアや東部に送ろうと思いついた人々がいたのだ。そこで、テキサスから、鉄道の出荷駅があるカンザス州まで数百~数千頭の牛を運ぶ “キャトル・ドライブ”が始まり、その仕事に従事する人を“カウボーイ”と呼んだ。我々が西部劇映画で馴染んだいわゆる“カウボーイ”は牧場で牛を育てる牧童主などを指す場合はあるが、彼らは厳密な意味では“カウボーイ”ではない。

大量の牛肉の消費地であるカリフォルニアや東部へ運べばいい金になるということで、テキサスからオクラホマを経由して、鉄道が敷設された出荷駅のあるカンザス州までチザム・トレイル(Chisholm Trail)と呼ばれる道を通って牛を運ぶ仕事をキャトル・ドライブ(Cattle Drive)と言った。カンザス州アビリーンまで鉄道がのびた時,家畜商人のジョーゼフ・マッコイJoseph G.McCoy(1837‐1915)はここに牛を集め,東部へ運ぶことを思いつき,当時テキサスでは1頭4ドルだった牛を40ドルで買うと宣伝した。たちまちカウボーイたちは,テキサスから〈チザム・トレイル〉沿いに,1000マイル(約1600km)もの距離をものともせず,年間50万頭の牛をここまで追ってきた。鉄道が西へのびるに従い,ほかのトレール(牛追い道)も開発され,ロング・ドライブ(遠い牛追い)に従事するカウボーイは時代の花形となった。…

最終送り先は大きな畜産取引市場のあったシカゴ。黄金時代は1866~1886年の20年間。カウボーイ(Cowboy)というのは元々キャトル・ドライブという牛を運ぶ危険な仕事をする牛の管理・運搬をやった男達のこと。一万頭の牛を運ぶというのは、1頭が何らかの理由でパニックを起こせば次々に伝播して大量の牛が一斉に暴走する危険な「スタンピード」(stampede) を引き起こす。「赤い河」や「スタンピード」の映画でもスタンピードのシーンが出てくる。更に、テキサスとオクラホマの州境を流れるRed River (映画の題名 – 下流ではミシシッピ河となりルイジアナ州でメキシコ湾に注ぐ)を1万頭もの牛を渡らせるのは至難の業。そして辿り着いたオクラホマは、当時、南部から強制移住させた先住民を住まわせる居留地で、警察も何もない無法地帯で、犯罪者・荒くれもの・流れ物の巣窟で危険極まりない地帯。牛泥棒が待ち構えていた。しかも川には橋がかかっていない。牛を渡河させるのは非常に危険で、しかもスタンピードという牛の暴走が始まるかもしれない。1回のキャトル・ドライブで何人ものカウボーイが当たり前のように死んでいく、地獄の旅だったわけです。従って、カーボーイは拳銃を保持し必要とあればそれを使って闘うのは当たり前。カウボーイが1回のキャトル・ドライブで稼ぐ額は相当なものだった。トレイルの沿線宿場町には一攫千金を当てたカーボーイたちが金を落とす仕掛けの酒・女・博打が大普及するのも自然の成り行き。そこには西部劇の題材となる話がごまんとできても何ら不思議はない。(安田注:スタインベックの小説「怒りの葡萄」では瘦せた土地で生活できないオクラホマに住む家族が新天地カリフォルニアを目指した苦難の旅を描いている。それほどオクラホマは貧しい土地だったのだ。)

黄金時代の20年間(1866~86年)に幕が下ろされるきっかけは、有刺鉄線の導入・普及。長距離の牛の輸送は必要がなくなり、有刺鉄線の塀に囲まれた牛の世話をするのがカウボーイ(というより牧童)となり、ダイナミックにチザム・トレイルをキャトル・ドライブする本来のカーボーイの姿と全く変わってしまった。本来的なキャトル・トレイル時代のカーボーイは尊敬されるべき特別な勇気ある男たちであったのだ。

テキサスの牛は基本的には野生なので原価はゼロ。カーフ・ブランディング(Calf branding)という焼き印をすることで牛の所有権を主張できることになる。「赤い河」では、キャトル・ドライブの隊長トム・ダンソン役のウエインの焼き印は左上に大文字の「D」、横に二本の曲線が斜めに走った印。二本線はRed Riverを表す。ジョン・ウエインは「赤い河」以後の西部劇出演でもこの焼き印のベルトバックルを常に着用していたとのこと。その位、彼はキャトル・ドライブ隊長役トム・ダンソンと一心同体化していたとも言える。

(編集子)いわゆる”カウボーイ”(安田君の定義のいかんにかかわらず)の現実がレコードケースの表紙を飾るようなロマンチックなものでなかったことは想像できる。同期の大塚文雄(フミ)も小生と同じに英語好きだが、彼から ”ぜひ読んでみろ。ただしちいとばかり大変だけどな” と紹介されたのが Lonesome Dove という小説だった。まあとにかく買ってみるさ、と例によってアマゾンに依頼。まもなく到着した本の暑さを見てうなった。842頁、自分が標準として計算しているポケットブックのほぼ3冊分、挿絵もなければなにもなし、1ページ41行、びっしりつまっている。フミへの敵愾心もあって何とか読み終えるのに3か月かかってしまった。しかしこの内容はさすがに濃厚だった。ストーリーはともかく、描写される当時の西部の生活、キャトルドライブでもなんでもいいんだがその生活のすさまじさ、自然との闘い、飢え、なるほど、西部開拓とはこういうものだったのか、となっとくさせられた1冊だった。

映画 チザム。実在した開拓のヒーロー、ジョン・チザムをウエインが、その相棒をごひいきベン・ジョンスンが務めた娯楽ものだが、チザムそのものは筋の上では添え物で、ストーリーの中軸にあるのはビリー・ザ・キッドことウイリアム・ボニーが恩人タンストウールを殺された復讐のため射殺し逃亡、のち、チザムを通じて友人でもあった保安官パット・ギャレットに最後は射殺された(映画ではこの部分はない)という史実をとりまぜた話である。このビリーの復讐を含んだ一連の騒動は地名にちなんでリンカーン・ウオーと呼ばれる。安田君が述べているチザム・トレイルは、西部開拓の引き金になったのが有名なオレゴン・トレイルであるとすれば、その開拓の成果をあまねく広げたトレイルということだ。一度アイダホ州ボイジーへ行ったとき、オレゴントレイルの一部が保存されているところまで行ってみたことがある。映画にでてくるロマンなどとは程遠い、わだちの後にすぎず、日本だったらそれらしい看板の一つもたてる価値がある風景を想像していて落胆したものだった。

 

世代を越えて―友人を持つことの幸せを実感

(53 林)昨夜は遅くまでお疲れ様でした。久しぶりに美味しい鍋を囲み、居心地の良いバーでの歓談でした。リモートでは決して味わえない楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました。世代を越えた昨夜のような集まりがkwv三田会の良さと改めて感じ入りました。

(48 佐藤)楽しい会話と美味しい肉とお酒でした。ありがとうございました。帰宅後締めの一杯、では済まず結構やってしまいました。またの機会を楽しみにしています。

(47 関谷)私にとり、久々の、外飲み。楽しい一時をありがとうございました。無事帰宅。風呂に入って、最後の閉めの一杯をフロートでやっています! 又の機会に!

(編集子)日帰りWで久しぶりに顔を合わせ、以前からの計画を実行。小生と佐藤君はちょうど一回り、林君とも1.5回り違い。現役時代の仲間を越えて長く広い交流の楽しさと、もしOB会がなければ知り合うこともあり得なかった友人を持つ幸せを感じたことだった。このささやかなブログがきっかけで出来た”エーガ愛好会”も出発以来初めて、フェイスツーフェイスで会う機会を幹事役の安田君のお骨折りで今月末に開く。KWVOB, 小生会社時代の友人、顧客、それと普通部、高校、大学でのクラスメートと、世代と環境を越えた楽しい会合が待ち遠しい。これはSNS社会にして初めて可能になる交流だ。

 

エーガ愛好会 (152) スタンピード

(小泉) 原題名は「稀な品種」即ちセントルイスで行われる家畜売買会に英国からやって来た未亡人モーリン・オハラ(マーサ・エバンス、)とジュリエット・ミルズ(ヒラリー・プライス)の母娘が英国産の角のないアメリカでは人気のない品種の牛を競売に出品することから名付けられたが、地味なことからか邦名は、画中、牛の集団が悪役の銃弾により暴走する瞬間を捉えて題名としている。監督はアンドリュー・V・マクラグレンで当時ジョン・フォードの後継者ともいわれ本作から「チザム1970」「ビッグ・ケーヒル1973」に至り、古き良き時代の西部劇を見せてくれた。

主演ジェームス・スチュアート(サム・バーネット)が不器用ながら実直なカウボーイ、モーリン・オハラが男勝りの未亡人、ブライアンス・キース(アレキサンダー・ボウエン)が頑固一徹の牧場主に扮し繰り広げるドラマは、アクション、ユーモア、ラブロマンスが満載。フォード一家のベン・ジョンソンやハリー・ケリーjrをちょい役で出演させたりもして(フォード一家の)義理堅さも見せる。牧童頭のスチュアートがオハラとミルズの母娘と角のない牡牛をテキサスのキースが経営するボーウエン牧場に運ぶことになるのだが、途中牛の横取りを画策する悪人ジャック・イーラム(ディーリ・シモンズ)との確執やら牛のスタンピードや大自然の猛威等。邦名にしただけに、スタンピード場面は大迫力で馬車に突進してくるシーンは、まさかに人命が危険のように思われた。オハラに対するスチュアートとキースの恋の鞘当て、娘ミルズとキースの息子ドン・キャロウエイ(ジェミイ・ボウエン)との恋。連れてきた英国産牡牛は雪の中死体で発見されるが、それ以前のテキサスのロングホーンの牛との交配により子牛が誕生、品種改良による繁殖が成功したことからスチュアートとオハラも結ばれ
るのだった。
音楽が、あのジョン・ウイリアムス、昨今程の強烈なメロディではないものの心地よい気分にさせて呉れた。英国産牡牛が英国国歌が口笛で流れるとおとなしく動いて呉れたり、キースがオハラの気を引きたくて、スコットランドのバグパイプを弾く場面等洒落た趣向も多かった。

(安田)邦題の「スタンピード Stampede」は、動物の群れの暴走のこと。西部劇に現れるスタンピードは例外なく牛の暴走である。初めてスタンピードを知った映画はハワード・ホークス監督の不朽の傑作、ジョン・ウェイン主演の「赤い河」1948年制作。この映画の見どころを表現しているのでしょうが、原題は「THE RARE BREED」、つまり稀な品種ということで、この映画の主役(?)である牛を指しているようだ。時代は、明らかにはされないが、1870〜80年頃であろう。

アメリカには元々キャトル(牛)はおらず、入植してきたスペイン人が持ち込み、スペイン人が撤退後はメキシコ人がそれを継いでテキサスあたりで繁殖させた。19世紀半ば頃(アラモの戦いの頃)までには野生化した無数のテキサス・ロングホーン(Texas Long Horn)と呼ばれる牛を運搬する仕事はキャトル・ドライブと呼ばれ、テキサスからオクラホマを通るチザム・トレイル(Chiolm Trail)沿に、鉄道の通ったカンサス州まで行き、そこから鉄道でセントルイスやシカゴまで運び畜産取引市場で販売していた。牛を運ぶキャトルドライブの仕事をしていたのがカウボーイだった。牛肉の大消費地である東部の人々の胃袋を満たす需給関係と流通システムが成立していたのだ。「赤い河」はまさにこのキャトルドライブに携わるカウボーイ達を描いた映画

いちおう西部劇だが、派手な銃の撃ち合いなし、インディアンも騎兵隊も保安官も出て来ない、イギリスの母娘と牛が目立つ風変わりな映画。アイリッシュらしい気丈な女性役のモーリン・オハラ、闊達な娘役ジュリエット・ミルズ、牧場主役ブライアン・キース、57歳ながら殴り合い場面も頑張った老優ジェームス・スチュアート、皆それぞれに適役だった。それからもう一人、いや、一頭のヒーローは、新種の牛です。これが英国国歌の口笛で指示に従うという厄介な牛。スコットランドのバグパイプ演奏、こういう趣向がなかなか洒落ていた。気軽に観れた1時間40分だった。

(編集子)名画 ”駅馬車” の有名な主題曲は西部に古くから伝わったカウボーイ仲間の愛唱歌 Bury me not on the lone prairie である。良く覚えていないが原曲の歌詞に long-horned cow という一節があった。テキサスから延々と大西部を旅したのはこのテキサス牛だったのだ。

ジン・トニックがお好きなようですが   (会社時代友人 齋藤博)

(編集子)先日人間ドックへ行って、その結果万事問題なし、ただ体重のコントロールは必要で、アルコール制御といわれただけ、と自慢したら斎藤さんから警報が届いた。ご同様の環境の方も多いと思うので、私信ではあるがご承諾いただいてその一部を掲載する。トニック愛好者の小川先輩、斎藤警告にしたがってバーボンあたりに変更しますかね。

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検査項目中にHbA1cというのがあるのですが、これで1〜2ヶ月間の平均的な血糖の状況がわかります。ただし、体重が増えているということですので、HbA1cがいくら基準範囲内であっても、血糖の微妙な高値が続いているかどうかは、この値からはわかりません。高値が続いていると、体重増加し、認知症や脳卒中、パーキンソン病などを引き起こします。

トニックウォーターは問題ですね。砂糖水みたいなもんですから。100ml中、9gが糖質だそうです。ビールや、日本酒ガバガバ飲んで、呂律が回らくなっているのと、何ら変わらない状態になりえますね。

蒸留酒は、糖質を含みませんから、バーボンOK、ウイスキーOK、ブランデーもOKです。どういうわけか、ワインも辛口はOKです。糖質を含まないので、基本的には、体重増加とは無縁です。肝臓、膵臓は問題なさそうですが、糖質は他の臓器で色々な悪さをするので「色々な意味」で、控えないと苦しんで過ごす日々が待っているかもしれません(週刊文春的な情報ですが、元日本糖尿病学会の理事長も個人ではゆるく糖質制限実施していたそうですが、学会長としてはその事を言えずに、任期を全うしたそうですよ)。

 

エーガ愛好会 (151) ベニスに死す

(安田)映画の冒頭、主人公が船で干潟の間を縫って南東の方角からベニスに近づくと、運河の向こうにドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、などの姿が次第大きくなり、まさに「ベニスを見てから死ね」の気分の高揚を覚えた。映画の舞台ともなったリド島(ヴェネチア映画祭の開催地としても知られる)にはそこのユースホステルに1週間滞在したこともあり、なおさらであった。リド島はベニスでは最大の島で、アドリア海の1番外海側に位置している。

イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティが、美少年への思いを募らせたドイツ人老作曲家の苦悩を格調高く描いた文芸ドラマ。作曲家グスタフ・マーラーをモデルに描かれたトーマス・マンの原作を基に映画化。少年へ恋焦がれるあまりに破滅へと向かう作曲家の生き様と、その美少年を演じたスウェーデン出身のビョルン・アンドレセンの美ぼうも話題になった。マーラーの音楽と共に描き出される芸術的で退廃的な世界観が見どころ。

1911年、イタリアのベニス。静養に訪れたその老作曲家は、宿泊先のホテルで見掛けたポーランドから来た少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)に一目で心を奪われる。タジオへの思いが抑えられないだったが、折しもベニスではコレラがまん延し始め、彼は遂にはコレラに罹患してベニスに死す。

(船津)確かに船であのドゥカーレ宮殿、サン・マルコ広場の鐘楼、サン・ジョルジョ・マジョーが眼に入った時は「あぁ」と思いますね。
この映画は何度観ても分からん。「やはり美少年趣味」の耽美の世界を彷徨わないと———。其の後のベニスの貴族の館が凄いなぁとお身もって愉しみました。

(菅原)マーラーの番号付き交響曲は全部で10(ただし、10番は未完成)。その殆どが1時間以上と長い。しかも、二三の例外を除き、最後まで聴くのに大変な忍耐と我慢が必要だ。その例外は、1番、4番、それに、安田さんが言及された、5番第四楽章のアダージェットだ(その1/2/3/5楽章は、まるでつまらない)。このアダージェット、小生はアダージョみたいなもんだと思っているが(アダージョとは、「緩やかに」。アダージェットは「アダージョよりやや速く」と定義されているらしい)、アダージョの傑作は、これと並んで、ベートーヴェンの第九の第三楽章だ。第九は第四楽章の合唱が有名だが、小生、この第三楽章の方が好きだ。と言うわけで、興味のある方は、マーラーの第五番を聴いてみたら如何でしょうか。あっ、ヴェネツィアで食ったカルボナーラは絶品、これはマーラー以上だった。

(保屋野)正直、私の(普通人)の「鑑賞眼」には少々ハードルが高い映画でした。この手の映画は、面白いはずはないのですが、いくつかの見応え場面はありました。第一に、何といっても、あの究極の美少年、この世の人間とは思えません。彼の存在だけでこの映画は価値があると思います。私は、彼を見て、何故か「ラファエロ」を想起しました。彼の自画像だったか、彼が描いた「天使」だったか・・・

さて、音楽ですが・・・まず、「メリー・ウイドウ・ワルツ」(レハール)が流れてましたね。(私は「金と銀」だと勘違いしましたが)次に「エリーゼのために」が弾かれてました。ただ、マーラーは良く知らないので、もう一度音楽だけを聴いてみます。最後に、やはりベニスの風景ですね。リド島へは行ったことがありませんが、サンマルコ広場で演奏を聴きながら飲んだ「エスプレッソ」最高の(美味しい)思い出です。

(飯田)何回見ても難解な映画だなーとダジャレでも言いたいところですが、多分2回目です。強いて言えば、少し見るべきところは屋内の広間やレストランシーンのバランスよい多色の色彩感覚がヴィッスコンティ映画では「山猫」でも延々と続く舞踏会シーンでも感じられたこと。意味不明ともとれるロングのパン撮りの撮影シーンが度々出て来て考えさせられるが考えても何も思いつかない愚かな自分を感じること。

同じように分かりにくいイタリア人監督の フェデリーコ・フェリーニの「8-1/2」も似たようなロングパン撮りが沢山あったが、こちらは宗教的な意味合いを感じさせたように思う。淀川長治氏の評価を添付しておきます。彼は最後に“眞に凄い大美術品映画。ヴィスコンティの大名作です”と宣まっていますが、果たしてどこまで理解しているのかと思います。

 

されど我らが日々

ミサ、こと横山美佐子が不帰の客となった後しばらくして、夫君のヨコさんこと隆雄先輩から、(ミサが書いたものなどだが自分で整理すべきではない、処理を頼む)と送られてきた小包みがあった。かなりの分量のものだった。僕はヨコさんのメモを詳しく読まず、これだけ多くのものを書いていたのか、と長い付き合いだったが改めて彼女のことどもが蘇り、今日までひも解く勇気がなかった。今朝、思い切って開封してみたら、現役時代に作られたいくつかのワンデルング文集だった。

ロマンチスト金井先輩の主宰された清津峡めぐり。KWV史上初の積雪期Wとなった北沢BC,Lは今なお月一高尾の常連である平松さん。”KWVは山だけじゃなく、もっとロマンチックな ”旅” をしようと試みた、L田中新弥 小海線沿線ワンデルング。硬派の代表だった寺田捨巳が意外な面を発揮したスケッチワンデルング。それとこれは小生がやはり言い出しっぺだったのだが、詩文集の形でこころみて、企画に賛成した故細田佳嗣が装丁、命名した ”へのへのもへじ”。

参加者寄稿者の中にはすでに鬼籍にある仲間もいる。半世紀前、僕らはどんな気持ちでいたのだろうか。われら青春の日々、という気がする。今回いわば”発掘”された(なぜこれらがミサの手元にあったのかは永久にわからないが、いいではないか、それも歴史のもつロマンなのだし)4冊は、本日,各リーダーあて送らせていただく。参加した覚えのある向きは各リーダーにご連絡いただければと思う。

ヨコさん、ありがとうございました。

 

 

 

エーガ愛好会(150)  ペンタゴンペーパーズ   (44 安田耕太郎)

映画の原題 「The Post」はアメリカジャーナリズムの代表の一つワシントン・ポスト紙を意味する。WaPo と省略することもある。’70年代初め、ニクソン政権を揺るがした2つの事件の一つを描いた映画。もう一つは1年後に発生したウォーターゲート事件であり、ニクソン大統領辞任の原因となった。共にワシントン・ポスト紙が深く関わっている。監督は民主党支持のスティーヴン・スピルバーグ。

映画の時代はJFKと後継のジョンソン大統領によってベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の反戦や戦争に対する疑問の機運が高まっていたニクソン大統領政権下の1971年。ベトナム戦争を分析及び報告した国防総省(Pentagon)の最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)がニューヨーク・タイムズによってすっぱ抜かれる。当時の国防長官ロバート・マクナマラの指示でその作成に関わった軍事アナリストは、彼の勤務先のシンクタンク、ランド研究所から持ち出しコピー機で複写、それをニューヨーク・タイムズに渡し、ニューヨーク・タイムズが機密文書の存在をスクープする。だが、政府の機密文書をスクープしたことで、タイムズ紙は政府から記事の差し止めを要請される。機密文書には戦争の先行きは勝機が薄いことが説明され、戦争継続は敗戦の汚名を着せられたくない現政権の意向が強く反映されていたのだった。これが公開されれば、息子や夫を戦場に送っている市民の反感のみならず世論の反戦機運はより高まるのは必至であった。従って、権力側は機密文書は隠蔽し続けておきたかったのだ。

一方、ニューヨーク・タイムズ紙のライバルであるワシントン・ポスト紙の発行人(社主)のキャサリン・グラハム(メリル・ストリーム演じる)と部下で編集主幹のベン・ブラッドリー (トム・ハンクス演じる) は、極秘のルートで機密文書の入手を試みる。記事掲載を役員と法律顧問から反対され、記者達は彼らと舌戦を繰り広げる。文書を記事にすると自社を潰すことになるのではと危惧し、選択に苦悩するキャサリンは友人のマクナマラ国防長官にアドバイスを求め、その夜、電話でベン達から決断を迫られる。タイムズ紙のスクープの差し止め命令が下されればポスト紙での掲載もできないとキャサリンはベンに警告する。だが、これをチャンスと見たベンは、彼女の注意をよそに文書の入手を部下に命じる。ニューヨーク・タイムズの前例もあり、スクープ記事として新聞に掲載するか否かポスト紙社内でも幹部間で甲論乙駁の激論が交わされた。悩んだ挙句、彼女は記事の掲載を決断する。そしてニューヨーク・タイムズと時に争いながらも連携し、「戦争中における政府の機密漏洩」という事態そのものを問題視し、記事を差し止めようとする政府と裁判を通じて戦う決意を固める。ポスト紙の記事が掲載されると国内の他紙の多くが追随するに至り、キャサリン、ベンは喜びの感慨に浸る。

残された関門は、裁判における判決であった。ポスト紙社内で固唾をのんで社員が見守る裁判所における陪審員の評決は6対3でポスト紙の無罪であった。続いて、判事の読み上げられる判決文を社員の一人が電話で受け、声を上げて仲間の社員に伝える。「建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」(The founding fathers gave a free press. Protection we must have to fulfill the essential role of our democracy. Press was served govern, not governed.) 。

 

 

 

(船津)スピルバーグは当時のワシントンポスト社を再現するために!当時の事務機器とか印刷機械を取りそろえて、しかもデジタルカメラでは無くコダックのフィルムで撮影するという凝りようです。
あのコピーするゼロックスの機械を探すのに苦労したようです!確かにその昔会社で見た最先端のコピー機・ゼロックスでしたね。
(船津提供)

そして当時は未だ鉛を溶かして、組み版して紙版を作り鉛を流して、輪転機にかけて印刷したのでした。我々も全く同じ方法でやったことを懐かしく見て居ました。日本語の活字を職人さんが目にも留まらぬ早さで拾って当時の新聞は一段が15字でしたので15本揃えては次へ行くという工程でした。そしてゲラ刷りが出来て赤ペンで校正して、組み版する。輪転機が廻るまで可成りの時間がいる。

そんなインク臭い印刷所に籠もり記事を書き直したのいろいろしたことを思い出します。女性が真っ白の夏のワンピースを着て校正していたらインクがこぼれワンピースが台無しになってしまったこととか。徹夜して借りたトラックで出来上がったインク臭い新聞を三田の山と日吉まで運んだりもしました。
(船津提供)

 

エーガ愛好会 (149) リオ・ロボ    (34 小泉幾多郎)

昔懐かしの西部劇の味わい、勧善懲悪で安心して楽しめた。ハワード・ホークス監督ジョン・ウエイン主演で、グループを構成して戦う三部作「リオ・ブラボー1959」「エル・ドラド1966」「リオ・ロボ1970」の最終作で、ホークス生涯最後の作品ともなった。三作とも苦悩するヒーローの悲愴な心理的描写はなく、肉体的なアクションが純粋に捉えられている。

冒頭から素晴らしい出足。 イントロのギターの大写しによる演奏から始まる。音楽は、ジェリー・ゴールドスミス。出だしの少し暗くて物悲しい雰囲気の曲が全編を覆う。珍しく北軍の制服を纏ったコード・マクナリー大佐に扮したジョン・ウエインが現われ、南北戦争のエピソードをプロローグとする。北軍が列車で運ぶ金塊を南軍が奪うのだが、その南軍で強い役割を演ずるのが、ホルヘ・リベロ(ピエール・コルドナ)とクリストファー・ミッチャム(タスカロラ)。金塊の奪い方が、線路にグリースを塗ったり、列車を止めるために樹木に網を張ったり、車内にスズメバチの巣を投げ込んだりの工夫が為され、大いなる見せ場が作られる。直後終戦になり、ウエインは北軍の中に情報をリークした者がいて、金塊はもとより、親しかった直接の部下を死に至らしめたことから、敵討ちを心に決めていた。終戦は北と南という政治的な対立を超えて個人対個人の友情に結ばれ、南軍だったリベロとミッチャム、そのミッチャムの祖父フィリップたるジャック・イーラムを味方につける。偶然にもリオ・ロボの町の黒幕の中に裏切り者がいることが判り、その町を牛耳るボスや保安官たちと対立することになる。今回は三人の美女が出演、どうにも見分けがつかないが、結局はリベロを愛するようになるジェニファー・オニール(シャスタ・デラニー)、ミッチャムの恋人スサンナ・ドサマンテス(マリア・カルメン)、保安官に恋人を殺され、自身も顔を傷つけられ、その復讐に保安官を銃で撃ってしまうジュリー・ランシング(アメリータ)。物語の最後は、ボスのヴィクター・フレンチ(ケッチャム)を人質にとることに成功し、悪徳一味は滅び。めでたしめでたしで終演。

ジョン・ウエイン出演当時63歳。老いたるヒーローについて一言。リオ・ロボに向かう途中、ウエインと若者リベロと若い娘ジェニファーと野宿。ウエインは若い二人にに気を利かせて、先に寝てしまうが、朝起きるとジェニファーが自分の毛布の中にいるのを発見するとジェニファー曰く「あなたならお歳だから安心よ」に、ウエイン大いにくさる。最後の最後、ジュリー・ランシングとウエインが一緒になったとき、ジュリーが「あなたって…」ウエイン咄嗟に「安心するはやめてくれ!」女性の相手は異なるがオチになっていて、シリアスな問題をユーモラスに語っている。

(編集子)小泉さんのお気に入りらしいホークスの作品はウイキによれば下記の通りである。

ウエイン後半期の三部作は確かに代表作、たとえば 赤い河 や 捜索者 やもちろん 駅馬車 なんかに比べると、小泉さんご指摘のようにウエイン本人が楽しんでいる雰囲気があって、全体のトーンが同じような気がする。主題歌がいいのも共通。ホークス作品ではないが、小生としては エルダー兄弟 も同じような感じがして好もしく思っている。このトーンは ラストシューティスト では一転してしまう。ウエイン西部劇、というなかでこの作品があまり衆目を集めないのは誰もがウエインの遺作であることを意識してしまうからだろう。そういう意味ではこのホークス三部作は完全な娯楽映画として楽しむものなのだと小泉説に同調。