江戸の秋を味わう     (普通部OB 船津於菟彦)

向島百花園」 文化元年(1804)、佐原鞠鵜(骨董商の北野屋平兵衛)によって開かれた梅園。開園当初は、大田南畝(幕臣、戯作者1749 – 1823)や加藤千蔭(国学者1735 – 1808)などの文人墨客が集うサロンでしたが、秋の七草などの詩歌にゆかりの深い草木類を多彩に植え込み、やがて、江戸の町人文化爛熟期の文人趣味豊かな名園として、庶民に親しまれるようになっていったようです。臥竜梅で名高い亀戸の梅屋敷に対して、新梅屋敷、花屋敷とも呼ばれた。茶店では、庭でとれた梅干が茶うけに出された。戦災で総て失われ再建された物です!石碑などとか庭園の配置は昔通り再現しているようです。
小さな庭園ですが四季折々の草花が何時も見られ、「我の写場」邸内には各所に石碑に刻まれた句碑が建っています。
「春もやや けしき ととのう 月と梅」 芭蕉
「織りたらん 草の錦や 花やしき」柘植黙翁
「こにやくの さしみもすこし 梅の花」はせを(松尾芭蕉)
「今日の月 さても惜しまぬ 光かな」金令舎道彦(鈴木道彦
「朧夜や たれをあるしの 墨沱川」其角堂永機
「限なき そらの要や 望の月」最中堂秋耳
「何事も かかる浮世か 月の雲」七十二峰庵十湖
「水や空 あかり持あふ 夜の秋」北元居士
「うつくしき ものは月日ぞ 年の花」寶屋月彦
百花園で一句 せいこ (我が神さんです)。
葎-むぐら。 瓢-ふくべと読むそうです。むぐらは雑草がざっぜんと茂っている様を表す俳句用語のようですね。
土橋越え萩の葎り洞まで
百花園古リて瓢の実二つ
わが丈を越ゆる尾花も撫子も庭井戸の滑車古リたり小鳥くる

写真の説明はありません。
写真の説明はありません。
名園に妻装いて敬老の日  (写真はよその方です! )
因みにこの庭園の片隅に茶店が在り佐原鞠鵜の子孫の方がお店に居られます。久し振りにかき氷を食べました!350円でした。ツーンと頭にきました。
どうやら今年も秋へ向かう感じですが、生臭い権力闘争や、プロ野球・相撲の行方も今月中にはケリが付きます。神様が皆出雲にお集まりに成る神無月ですね。

(承前) 語彙の問題について

畏友飯田武昭が昨今の日本語の乱れというか、語彙のことで書いてくれた。悪乗りして小生も一つ問題提起をしてみたい。

はじめの話題だが、最近(いつから始まったかわからないが)テレビの番組紹介などの場面で、アナウンサーが 主に歌手あるいは音楽バンド、といったジャンルのプレイヤーのことを アーティスト と呼ぶのがいつの間にか通例になっていることだ。辞書を引けばわかるが、Artist という単語の定義は例えば手元のジニアス英和によれば

1.芸術家、(特に)画家、彫刻家                                                2=artiste(フランス語)                        3.名人、達人,・・・・通

となっている。2番目のフランス語には、同じ辞書の該当項目に、確かに芸能人(歌手、俳優。ダンサーなど)という英語にはない解釈がある、と書かれているが、名人、達人、という意味は共通である。小生フランス語は全く解さないが、電子辞書の発音例ではこの単語は アルティ と読むようだから、誰だか知らないが言い出しっぺというか使いだしっぺが(まずその可能性はないと思うが)フランス語に詳しければ、アーティスト、という読み方はしなかったはずだ。それでは英語でいう アーティスト に、この使い方で表現しようとしている人たち(小生の造語だが誤称されている人たち)が該当するかといえばイエスという答えはまず出てこないだろう。これまた世界に冠たるジャパニーズイングリッシュの一つだと思う。坂本勇人のインサイド撃ちは芸術的だ、などという言い方はよく聞くが、これは上記でいえばきっちり辞書にも書かれている用法である。だから、ここで紹介する人たちが、名人、達人、のグレードだ、という論議ももちろん成り立つだろうが、あまり詳しくはないが、彼ら ”アーティスト” のパフォーマンスが日本野球史上最高のショートストップのわざに匹敵する、と考える人はあまりいないのではないか、と思うのだが。

もちろん言語は社会や文化によって変わっていくものだから、そういってしまえばそれまでなのだが、僕が引っかかるのは、多くの人たちが アーティスト という単語で連想するのは、上記の用例で1,および3,だろうからだ。ロダンだセザンヌだベートーヴェンに葛飾北斎だというイメージを持っているはずの一般人に、あるいは人間国宝として尊敬されるいろんな分野の達人たちが、アーティスト、と聞いてどう感じるだろうか、何を連想するか、である。

断わっておくが、小生は決してこのような ”アーティスト“ と誤称される人たちを蔑視しているわけではない。多くの人たちに(わがワイフもそのひとりだ)テレビを楽しめる場を提供していることはそれなりに意味があると思っている。ただ、彼らは広い意味で芸能と呼ばれる分野で活動しているのだから、芸能人、アナウンスの恰好がつかないというのなら、エンターテイナーあるいはプレイヤーと呼ぶべきで、そうすれば彼らの貢献に対しての敬意も保たれるのではないだろうか、とおもうのである。各位のご感想やいかに。

も一つ、これは用語の問題どころでなく本当にいらいらするのだが、特に政治家と呼ばれる人たちがめったやたらに不要な丁寧語を乱発することである。

“…….ということを決定しました” といえば100%正しい日本語なのに、なぜ ”……..ということを決定させていただきました“ などというのだろうか。我々視聴者が ”……..してください“ と依頼したことがあって、それに対する返答であれば、多少大げさではあるが違和感はなかろう。言ってみれば勝手にやっておいてそれがあたかも頼まれたのでやらせていただいた、とてでも言い募るのはおかしいのではないか。

振り返ってみると、政治家連がこの種の馬鹿丁寧実な言い方を始めたのはかの落第総理大臣鳩山某以来ではないかと思う。”少なくとも県外“ なんてまともな日本人なら絶対信用できないような発言で沖縄の人に却って迷惑を及ぼしたり、”コンクリートから人へ“ などという中学生なみのうたい文句で工事を中断させて、結局は多くの地元の人たちを混乱させただけで何もできなかったダム問題とか、はたまた後継者の責任とは言え党の力不足があらわになった東日本大震災の不手際対策とか、思い出したくもないほど腹立たしい人物である。この人の馬鹿丁寧さに引っかかったのかどうか、一時とはいえ健全野党の実現を信じて一票を投じた自分が腹立たしい。

衆院選挙もまじかであり、今の政権に不安不満は多々あるけれども、結局、仕方ねえなあ、やっぱり自民か、という日がまたやってくる。いつになったら二大政党政治が出来上がるのだろうか。俺には残された時間はあまりないんだが。習い覚えた英語でいえば My days are numberd,  というところだろうか。この言い方なら今の気持ちを誤解される機会は少ないようだ。

寺家村には秋が来てます   (39 堀川義夫)

久しぶりの寺家ふるさと村 もう、秋ですね。

素晴らしい天気になったのでトレーニングに寺家ふるさと村へ行きました。すっかり秋模様になっていて、梨や葡萄は終わっていますがこれからはこの辺は柿が美味しいです。田んぼは正に実りの秋、まもなく稲刈りが始まるでしょう。畦道に咲くこの紫色の花は直径2cmほどで名前を聞いて教えて貰ったのですが、、、家に帰ったら忘れてしまいました。 路傍には曼珠沙華が鮮やかな色を放っていました。

(菅原)全く知らなかったし、これをジケと読むなんて日本語は何時まで経っても難しいな。下の写真を見ると無暗に懐かしさが込み上げて来るのは、歳のせいなのかな。

お名前!と適切な評価語彙     (大学クラスメート 飯田武昭)

「日本人のお名前!」を読んだが、“一昔前は、中原ひとみのナカに司葉子のツカサに青山恭子のキョウですとやって、結構面白かったが、昨今はいい方法がない。キョウは、ある時どこかの店で女子店員に教えられて深田恭子のキョウとやれば通じることが分かった” というくだりが特に気にいりました。

名前のことでは自分もご飯のハンと田んぼのタ、武士のブに昭和のショウと言ってきましたが、近年になって、武士のブと言ってはいるものの、武士は江戸時代まで遡る違和感があって、コロナで有名になった武漢のブとか大相撲の阿武咲(おおのしょう)のノと言ってやろうかと密かに思っている次第。さすがに阿武咲(おおのしょう)を漢字で直ぐに思い出せる日本人は100人中何人居るかと思いむしろクイズ問題かと思うレベルになりますね。

この所、皆さんの話題がジャン=ポール・ベルモンドの死去から「勝手にしやがれ」やトニー・ザイラー主演作などに展開していく間に、ちょっと再見したい映画を脈絡なく選んで観て、そこでの新たな感想です。

1)「白銀に踊る」(1961年)トニー・ザイラー、イナ・バウワー主演ですが、何といってもラスト15分で演じられるアイスショーは、そのレビュー構成、豪華な舞台装置、衣装などフィギュアスケート人気の現代に観ても楽しめるエンタテイメントだと感じました。惜しむらくは多分ストーリー展開の面でショーの演技を十分に映画で見せることに重きを置かずに、次々とカットを重ねている点が残念で、もっと見たいと思いました。

2)「草原の輝き」(1961年)監督エリア・カザン、ナタリー・ウッド、ウオーレン・ビーティ主演ですが、時代が1920年代後半の世界大恐慌前後のカンサスシティとイエール大学を舞台にした青春もので、エーガ愛好者なら監督がエリア・カザンだと分かってしまうくらい演出手法が明らかに前作の「エデンの東」に似ていているが、ナタリー・ウッドの綺麗さは「ウエストサイド物語」以上の佳作と思いました。

3)「ノックは無用」(1952年)リチャード・ウイッドマーク、マリリン・モンロー主演のサイコスリラーで、モンローが精神病を病む役回りなので、モンローファンにはあまり見たくない向きもあるが、この映画はマンハッタンの一流ホテルを舞台にしているだけに、アン・バンクロフト演じる歌手(リン・レズリー)がホテルのバーで歌う乗りの良い曲 “Manhattan”とバーカウンター周辺の感じが、当時のN.Y.の雰囲気を十二分に出していて改めて感心した。この曲“マンハッタン”はイントロが“ナイヤガラを巡る旅”で始まり、“マンハッタン、ブロンクス、スタテン島にも行ける、動物園も楽しいわ”と続く気持ちよい名曲です。

4)「現金に手を出すな」(1954年)ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチェラ、ジャンヌ・モロー主演で、意外にアクション場面が少ない佳作。ドロンとベルモンドのフレンチ2大スター時代より少し前の、眞にフレンチ2大スターと呼ぶに相応しいギャバンとフィリップ時代の代表作の一つ。

ところで、このような映画作品の評価の表現で、名作、傑作、秀作、佳作、などの呼び方がありますが、都度、どの表現が適切かと文学的表現力、語彙力に乏しい私は時々迷ってしまいます。秀作、佳作は割と使い易い表現ですが、傑作はちょっと違う感じがするし・・・・。

もう一つ、この際に知っておきたい私の長年の疑問に、近年の日本語に何とも不思議な単語が普通に使われていることがあります。

その一つはリベンジという単語。私の学生時代は確かRevenge(復讐)と英単語試験用に覚えてしまって応用動作が利かない単語の一つでした。またAthlete(スポーツや他の運動能力に長けた人)とこれも丸暗記した単語が、今や2語共に少し違った意味も含んで日本語として使われていて、覚える必要のある英単語がどんどん減っていく日本社会に違和感を感じながら生活しているのは私だけか、という疑問です。どなたか適切な解釈をして頂ければ有難いです。

(編集子)Revenge というのは日本人には使いにくい単語のようである。同じような意味で Avenge  というのがあって、”復讐” という行為を描写するには使い分けが必要になる。手元の辞書の例文を引用する。

He took up arms to revenge his deceased brother.

At the last moment Hamlet avenged the murder of his father,

つまり revenge は自分以外の誰かのために仇を討つ、という意味なので、忠臣蔵なんかを想起する。一方 avenge は、いわばこの野郎思い知ったか的場面で使うので、ワイアット・アープが弟ジェイムズ殺しでクラントンを射殺する、なんてシーンはいかがだろうか。かの松阪がプロデビューしたとき、たぶん高校時代果たせなかった夢の再現、というような意味でリベンジ、といい、能天気なマスコミは松阪の売り出しにと思ったのだろうかこのことを偉く好意的に報じたのは奇妙であった。有名なバミューダトライアングルで世界に誇る米国空軍の雷撃機小隊が消失してしまうという、現在までなお解決されていない事故があった。”未知との遭遇” ではこのパイロットが年を取らないまま(アインシュタインの相対性原理の結果とか何とか)帰還する。この雷撃機の名前は Avenger であった。Revenger では米国でなくほかの国のために敵艦を雷撃する、という妙なことになるわけだ。これまた、名前のお話。

 

 

 

 

 

エーが愛好会 (89)  裏窓―カメラの話から始めましょう (普通部OB 船津於菟彦)


「裏窓」観ました。出てくるカメラについてのトリビアをひとくさり。

このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。エキザクタは旧東ドイツのドレスデンですが、オランダ資本のイハゲー社は例外的に高い品質を維持したそうです。使いにくいカメラです。何故かシャッターは左側にあったり使い勝手の悪いカメラですが、当時としては最先端。その後日本のカメラメーカーがライカのM3には勝てないと判断して、一斉に一眼レフカメラを開発して今や世界一となったというわけです。
この映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6のは今で見ても相当明るいです。その大きさからも納得できます。当時は相当高価だったと思います。

 

グレスー・ケリー綺麗ですね。あの衣装が凄い。衣装はイーディス・ヘッド、当時の洒落た映画は殆どが彼女のデザインでした。素晴らしいの一言に尽きます。

 

(HPOB 菅井)イーディス・ヘッドはヘップバーンが主演した「ローマの休日」「麗しのサブリナ」でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞しました(35回ノミネートされて8回受賞)。彼女は主演女優を華美な衣装で飾り立てるというよりはそれぞれの個性を引き立てるシンプルなデザインを志向したようで女優には非常に人気のあるデザイナーだったそうです。
ドイツとオーストリアがルーツのドイツ系ユダヤ人として19世紀末にカリフォルニアに生まれ、UCバークレーとスタンフォードの大学院を卒業したという当時としては異例ともいえる高学歴なインテリ女性でした。

(44 安田)今回久し振りにみて一番印象に残ったシーンは、グレース・ケリーが不審な男の部屋に、彼の留守中、無謀にも忍び込むがその男が戻って来て鉢合わせる。彼が戻る前に行方不明の妻の結婚指輪を見つける。ますます男が怪しいと睨む。ケリーを心配してステュアートは機転を利かせ警察を呼ぶ。警察が到着してケリーは間一髪助かるが、その際、見つけた妻の指環を妻殺害の疑いのあるその男から隠すため自らの指にはめ、その手を背中の後ろに持ってきて、中庭を挟んだ対面のアパートの裏窓から、その男の部屋をのぞき込みながら心配げに待機しているステュアートに知らせる場面だ。その時、ケリーの隣にいた、その男は彼女が庭を挟んで反対の部屋に合図を送って知らせていることに気づいたシーンだ。ケリーの仕草から、彼の疑い深げに鋭い目線を追う一連のシーンが緊迫感を盛り上げ、この映画の白眉だと思う。

舞台はほぼ全編にわたって部屋の室内。場所はニューヨークのグリニッジ・ビレッジとある。マンハッタン島の南西部、lower Manhattan と呼ばれる地域にある集合アパート。舞台がほぼ室内の設定は、後年1967年、ヴィクター・ヤング監督、オードリー・ヘプバーン主演の映画「暗くなるまで待って」(Wait Until Dark)が酷似している。ヒッチコック作品では「ロープ」がそうであった。「裏窓」撮影は全てステュアートの部屋から撮ったという。登場人物は全員アパートの住人で、彼らの生活が一連の流れになったおり、それを可能にするため、「全編スタジオセット撮影」という方法で行われ、窓の外の隣近所のアパート部屋との距離、見える角度、アパート隣人たちの多種多様さ、車道を通過する自動車の種類、台数、タイミングなど、全てが完璧に計算されていたという。ヒッチコック作品の中でも特に作り込みの細かい作品と評価が高い。

(普通部OB 菅原)「裏窓」は日本公開時(1955年1月)に見たから、小生、高校生の時代だ。

ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、犯人役を演じたR.バーだ。先ず、裏窓越しのトイメンの室内は、当然、音もなく不気味。加えて、そのバーのやっていることは、妻殺しであり、世にも恐ろしい犯罪だ。世の中には、こんな奴がいるのかとかなり衝撃を受けた。安田さんのバーの写真、その恐ろしさとバレたやばさを見事に写し取っている。ただし、「陽の当たる場所」に地方検事で出ていたらしいが、全く記憶にない。

テレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「弁護士ペイトン・プレイス」と誤って表記しているが、人間「グーグル」であっても間違えることはある。別の意味で、「ペイトン・プレイス」の方が面白かったが)、車椅子の「鬼刑事アイアンサイド」など良く見たものだが、バーの代表作は、この「裏窓」だろう(しかし、バーはゲイだったと言うから、いささか吃驚仰天だ)。

原作は、米国の探偵小説作家、コーネル・ウールリッチの短編「It had to be murder」だが、映画の題名「Rear Window」の方が遥かに事を言い当てている。ウールリッチ(または、ウィリアム・アイリッシュ)には、「黒衣の花嫁」(1940年)、「幻の女」(1942年)など、小生が夢中になって読んだ長編が多々あるが、今は、もう忘れられた存在のようだ。

ヒッチコックは短編小説を膨らませて、一本の映画に仕立て上げる点では他の追随を許さない(例えば、「めまい」)。これもそのとうりで、辻褄が合わないなどイチャモンをつけている人がいるようだが(例えば、殺人の証拠がないなど)、それは野暮ってもんだろう。

(編集子)スガチューのメモにあわせてペイトンプレースのうまい写真を探したが見つからなかったので, 出演者の中からボクの大好き女優を思い出してもらうことにした。ドロシー・マローン、なんとも魅力的なスターでしたな。

 ”幻の女” は、最後のどんでん返しの見事さにうならされた名作、その点ではクリスティの ”アクロイド殺し” に匹敵する名作だと思っている。

コロナごもりですることのない人、こういう時こそ、ぼくらのおすすめするミステリを試したまえ。2冊とも気の利いた本やなら、文庫本の棚には必ずあるはずでっせ。

 

 

満月を巡って

(HPOB 菅井)雲の切れ間に…

(34 小泉)菅井さんの素晴らしい中秋の名月の写真を見て、恥ずかしながら、「雲の切れ間に・・・」の言葉に触発されました。月見団子もススキもありませんが、マンションから眺めた中秋の名月です。中秋の名月が満月になるのは8年ぶりとのこと。丁度横浜球場でのヤクルトDeNA戦をTVBS1で観戦していたら、初回に村上が満塁ホームラン、そのあと雲の切れ目に何回か月を写してました。セパとも久し振りに優勝争いが面白いです。

(44 安田)満月の中秋の名月は8年振りだったそうです。僕の家からは直接見えず、近くで撮った写真は雲に遮られて今いち。

(普通部OB 菅原)菅井さんの写真も素晴らしいが、小泉先輩の二番目の写真も大層乙なもんです。ところで、西洋では中秋の名月なんてあるんですか。

(その2枚目の写真、がこれ)

(安田)知る限り西洋では月はどちらかと言えば不吉な存在。古代ローマ(多神教時代)では月の神はルーナ(Luna)。英語で“lunar” は “月の” という形容詞。lunaticは「狂気の」という意味。「狂人」という意味もある。西洋では月(luna)は人を狂わすと信じられてきた。中秋の名月を祝うというような習慣 しきたり があったとは思えません(要確認)。人の生き血を吸うドラキュラは満月が苦手。狼男は逆に月の光を浴びると、突然、恐ろしい狼男に変身して人を襲う。イングランドの職工・チャールズ・ハイドは満月の夜になると性格が一変して凶悪犯罪を繰り返した。彼をモデルにした小説が「ジキル博士とハイド氏」だ。ことほど左様に、西洋では中秋の名月はおろか月を愛でるとはとても考えられません

(編集子)先月旅立ってしまった川内三千雄が持ち込んだ、たしかフランク永井の持ち歌だった 初恋の山 はたちまち同期の愛唱歌になった。その歌詞は 月の静かな山小屋で 二人で歌ったアベマリア という文句で始まったような気がする。我々が3年の秋, 涸沢集中W の最後の夜、穂高の稜線をすっぱりと区切る見事な満月の下で、川内がこの歌を独特のハスキーな声で歌い、みんなしんみりと聞いていたものだった。

ひとそれぞれにいろんな満月があるのだろうが。

9月のたわごとです    (39 堀川義夫)

今夏は自分でもあきれるほど頑張って山に行きました。そこで9月は完全休養月として、山には一切行かないことにしてひたすら体力の回復に専念しています。

そんな折に、北海道の幌尻岳に同行したSさんから待ちに待ったカジカの骨酒用に乾燥して燻製にしたカジカを送って来てくれました。このカジカは、幌尻岳登頂後に立ち寄った札内川園地キャンプ場(帯広の南約15km)で私と孫が遊びで釣り上げたものです。Sさんが旅行中もこまめに乾燥させ大阪に帰り完成して送って来てくれたものです。

酒は辛口が良いというので秋田の高清水にしました。じっくりと温めて味わいました。ぬる燗より少し熱燗目の方が香りも良く、味わいも良いように思いました。孫と夏の思い出を話しながら楽しい時間を過ごすことが出来ました。Sさん。本当に山でもご迷惑を掛けましたが、こんな素晴らしい思い出をさらに演出してくれてありがとうございました。

今日の肴は、かつをの刺身、へしこ鯖、寄せ豆腐、ポテトサラダを用意しましたが、カジカの骨酒にはへしこ鯖がぴったりの感じでした。

 

台風の後は秋ですね       (普通部OB 船津於菟彦)

今日の錦糸公園の夕方の散歩では彼岸花・桔梗。百日紅の落花など「風立ちぬ」秋到来の感じですね.

(小田)私も歩いていましたら、あちこちに、(我が家の庭にも)彼岸花を見かけました。明日の雨風で倒れないと良いのですが。

(安田)僕の故郷の田舎(米も作っていた)ではあぜ道に彼岸花を植えていました。根に毒があるのでモグラやネズミなどを近づけないため。姿の華奢な美しさからはとても想像できません。桔梗、百日紅の写真もありがとうございます。孫に百日紅の読み方を教えなくては。
(編集子)19日、八ヶ岳南麓ではヤマモミジのてっぺんがちょっと色づいていた。なんとなくカッコつけて撮ってみた庭の端っこの風情。
‘PS 船津兄の引用した 風立ちぬ はこの本かい、それともアニメ?
(小田)夫は大学時代は岳文会(山&文学)というサークルで、何年か前、若い後輩に”堀辰雄”と言ったら、”え!掘りごたつですか?”と言われたそうですが、これからの人は”掘りごたつ”も分からないかもしれませんね。

 

日本人のお名前!

サラリーマン生活引退後、外資系企業勤務の間に多少は使えるようになった英語をなんとか無駄にしたくないと思い、会話學校へ通ったりいろいろやっているのだが、たまたま、偶然の機会から読んでみたジャック・ヒギンズの The Eagle has landed (鷲は舞い降りた) の印象と読後の一種の充実感とから、ビジネス文

この道に誘い込んだヒギンズ。30冊くらい読んだ中でおすすめは East of desolation (廃墟の東)である

書では得られなかった英語の面白さにいわばはまってしまった。そのころ読んだある本に、ポケットブックを百冊読めば英語の達人になれる!と書かれていたのにうまうまとのってしまい、それに挑戦しようと思い立った。 この本の著者は百冊を1年でこなせというのだが、これはとてもできないとあきらめた。年に百冊、となれば1年を50週として1週に2冊、つまり3日に1冊は読まねばならぬとわかったからだ。そこで目標をもう少し長期にとって、目が黒い間に10万頁、読んでやろうと思い立った。ペリカンなど一般的なポケットブックは1冊300頁くらいのものが多いので、ま、300冊読めば何とかなるという勘定である。

ヒギンズをアマゾンで徹底的に探し、20冊くらい読み終えてから、思い立って読書の記録を取り始めたのが2013年3月13日読了のリー・チャイルド “Killing Floor” という、トム・クルーズ主演の映画 アウトロー の原作、主人公ジャック・リーチャーシリーズの第一号作品である。以後、ハードボイルド中心のミステリ、英国伝統の海洋冒険ものなどを読み、その結果、特に第二次大戦(欧州戦線)の戦史に興味が湧いてきて関係する記録文学など(これらはポケットブックには入っていない単行本)を中心に今月すなわち2021年9月まで、ちょうど8年で256冊累積82,178頁を読み終えた。今年は無理だが来年中には9万の大台に乗りそうで、これなら何とか初期の目標は何とかなりそうな気がしている。

読んでいる対象がやれドストエフスキーだフォークナーだなどという世間体のいいものではないし、そもそも動機がそういう意味では不純?なので、興味も妙なことに行く。今面白いと思い始めたのが物語に出てくる人物の名前である。ミステリだとか冒険小説だとかいうジャンルの作品の主人公は、エラリー・クイーンにはじまってエルキュール・ポアロにせよ明智小五郎にせよ、大体変わった名前のものが多い。間違っても中村一郎だとか山本太郎なんていう名前は出てこないし、ポケットブックにしてもやれスミスだのブラウンなどという探偵にはお目に書かれない。前に述べたリーチャー、という名前は著者がどうしようかと夫人に相談しながら、棚の上の本に手を伸ばした(reach した)とき、夫人が、ああ、それ、reach がいいなじゃない?といったのでReacher という主人公が誕生したのだそうである。いずれにせよ、著者にはそれぞれの思惑があるのだろうが、主人公はともかくとして、なんといってもミステリ物はいわば人間関係が主題の本だから、登場人物は数多い。筋が込み入ってくれば混乱も起きる。特にロシア人とかアラブ系の名前は満足に発音さえむずかしいのが多いのでなおさらである。だからどうしても名前、に注意がいかざるを得なくなるのである。

一体、どんな名前が多いか。このあたりは当然グーグルの出番になる。検索結果の一部を転載してみよう。

アメリカの名字ランキング

1位~10位

順位英字カタカナ表記由来
1位Smithスミス鍛冶屋
2位JohnsonジョンソンJohn(ジョン)の息子
3位WilliamsウィリアムズWilliam(ウィリアム)の息子
4位JonesジョーンズJone(ジョーン)の息子
5位Brownブラウン黒い髪の人
6位DavisデービスDavid(デービッド)の息子
7位Millerミラー粉屋
8位WilsonウィルソンWilliam(ウィリアム)の息子
9位Mooreムーア沼沢地・高地の荒野に住んでいる人
10位Taylorテイラー仕立屋

ほんの初級レベルだが、恐る恐る読み始めたドイツ語(前記のページ数には3冊ばかりドイツ語のものも入っている)で言えば、第一位がミュラー、以下シュミット、シュナイダー、フィッシャー、メイヤー、ウエーバー、シュルツ、ワグナー、ベッカー、云々となるそうだ。                    これら人名の文章の中での現れ方だが、英語ではご承知の通り、固有名詞は大文字で始まるので、パターン認識といえば大げさかもしれないが、ページを開いた時に人名と地名が無意識に頭に入る。ところがドイツ語はすべての名詞は初めの文字を大文字で書く、という厳格なルールがでんと居座っているので、そういう意識が働かない。ぱっと見たときには文面のイメージがえらくごちゃごちゃしている。いわばパターン認識が難しいのである。

日本語ではどうか。日本人の苗字の代表は周知のとおり佐藤が第一位はゆるがず、以下、鈴木、高橋、田中、伊藤、渡辺、ついで山本、中村、小林、加藤となり、吉田、山田、佐々木、山口、松本、井上、木村、林、云々となっている。だいぶ以前(僕らが高校のころ)、“おーい中村君” という歌が流行ったことがあった。この時点では中村姓が日本人の代表だったらしいのだ。だがいずれにせよ、これらの名前がほかの品詞と混乱することはまずない。大文字で表記されなくても、また100%とはいえないまでも(地名もあり得る)人名だということはとっさに認識できる。かな漢字交じりの文面は混乱しているようでもあるが、この意味では混乱することがない。

さて、この “日本人のお名前“ で言うと、代表的な姓がほとんどすべて、環境とか植物とか日本という国の自然を表す文字を含んでいることに気がつく。上記したいわば代表もそうだが、とっさに思いつくだけでも、山、川、原、岡、林、森、木、沼、田, 野、水に沢、さらに松、竹、梅,藤といった日本固有に近い植物の名前が使われるケースが圧倒的に多いように思える。これが英語では、たとえば Woods なんて例もあるが、一般的には人名はそれ自身、一つの体系というかルールというようなものを持っていて、ほかの名詞から隔絶した存在を主張しているように思える。もちろん、歴史を先史時代までさかのぼれば、名前というものは世界どこでも同じようなやり方で発生し、それぞれの国や地方の歴史とともに変わってきたのだろうが、何らかの形で自然とのかかわりあいを持ち続ける日本人の名前には、やはり自然との共生をよしとする民族性がつながっているのではないだろうか、と想像する。日本に生まれはぐくまれてきた、すべての自然に神が宿る、とする宗教観、逆に言えば特定の唯一の神のみを信じる狭隘なものの見方にこだわらない思想、という背景につながるのではないか、と感じるのである。

ところで、自分の苗字は珍名とは言わないまでもあまり多いほうではない(山口県や広島県あたりでは決して珍しくない)が、関東地方では少ないほうなので、時として特に電話などでは聞き返されることがしばしばある。英語ならば、戦争映画なんかによくでてくるフォネティックコードというやつで、ノヴェンバー、アルファ、云々とやればいいのだが、日本語では漢字を説明しなければならないうえ、このコードのように標準化されたものがない。一昔前は、中原ひとみのナカに司葉子のツカサに青山恭子のキョウです、とやって結構面白かったが昨今はいい方法がない。キョウはある時どこかの店で女子店員に教えられて、深田恭子のキョウ、とやれば通じることが分かったのだが苗字については目下研究中。

また日本びいきのアメリカ人は何にでも興味があって、名前が持つ意味は何だ、という連中が多かった。いろいろやったが、中は central, 司は administer,  恭は respectful 、という意味だから、俺の名前の意味は Respected Central Headquarters だ、どうだ、とやって喜ばれたものだった。

潜水艦物の始まりはやはりレッドオクトーバーを追え!だった

ところで今週読んでいるのは現在売り出し中のジェラルド・バトラーが主演した映画、ハンター・キラーと同じ著者の書いた潜水艦物語で Arabian Storm という本だが、当然とはいえ発音に苦労するアラビア人とか、著者の趣味なんだかどうだか知らないが潜水艦の乗り組みにやたらとヒスパニック系が多い本で、またまた名前に苦労しそうだ。次はあまり名前に苦労しなそうな本がいいのだが、さすがのアマゾンもそこまでのインテリジェンスは持ち合わせていないようだ。

コロナ対策ーまとめ   (34 船曳孝彦)

 

前回、医者であり科学者として、菅退陣に際しての「コロナ対策に専念するために総裁選には出馬しない」という声明に敢えて正面から、ではどう総決算するのかと問いただしました。政治については、ここでこれ以上述べませんが、総決算に当たってコロナ対策に限ってその失政は追及しておきたいと思います。

当初の観光船感染でも、水際作戦として不十分でしたが、ウィルスが上陸した後も、感染症予防法にこだわり、PCR検査をあたかも国の特権のごとく、発熱者に絞り、限定した検査しかしなかったことが第一の失敗です。この時から広範に徹底的に検査をしていれば、感染者数はずっと少なく抑えられたはずです。

予防策として、マスク着用、3密対策が柱となったのは良かったと思いますが、感染者激増の第2、3,4,5波に対して、緊急事態宣言、さらに蔓延防止対策が施行されました。しかしその期間中に政府首脳や官吏たちの飲み会、会食がバレて、政府に本気度が感じられず、次第にオオカミ少年のごとく只々発令中というムードとなってしまいました。さらに信じられない政策がGo-Toキャンペーンです。一方で感染抑止政策を採りながら、蔓延促進政策を採るという矛盾した策で、感染者増加に拍車を掛けました。人流と感染者数は完全に比例します。連休、お盆、正月などと関連し、大きなダメージとなりました。オリンピック・パラリンピック開催にも医療側からの強い反対があったにもかかわらず、開催ありきで突っ走りました。

感染者対策で、政府、メディアはすぐに病床確保を叫びます。格好いいですから。しかしこれまで何度も指摘してきましたが、コロナ専用病棟が右から左に出来るものではありません。さらにコロナ発生前の厚労省の基本政策は病床削減で、別の病院を無理やりくっつけて減床させるほどのことまでやっていました。減床、取り壊しが遅れていて、今回たまたま間に合ったという病院もありました。一方で、非コロナの一般病棟を圧迫して非コロナ患者の死亡率を上げてしまうことは許されません。

医療側も国と協議し、前回《27》で述べたような住み分けをキチンと表明すべきだったと思います。最大のポイントは自宅待機患者です。原則としてあってはならない対応です。家庭内感染のもとですし、単身者では発見時死亡していたという不幸が潜んでいます。これはまさに医療崩壊です。

生命線として頼ったのがワクチンです。ワクチン担当大臣が生まれましたが、彼はワクチン接種に貢献したでしょうか。接種開始に当たっては予め接種計画を立て、人材面、資材面、施設面、予約面、接種記録面、など全てに早急に対策を立てねばならないと、今年初めに私は指摘しましたが、何一つなされず、自治体に丸投げされ、高齢者にネットで申し込めなどという無理強いの自治体が大部分でした。日本の選挙人名簿は世界一だそうです。それに従い高齢者には通知すれば済むことです。またワクチンの実際の供給にも支障をきたしました。これでは担当大臣として失格です。 さて、ここへきて感染者数は減少してきました。政府の発言も急速に緊張感が解けているように感じます。確かに実効再生産数が1を割っていますので、この勢いで行けば収束へ向かうはずです。しかし、デルタ株ばかりでなく、ミュー株(ワクチンの効果が1/7と怖い)、ベータ株、イータ株などに対するチェックはどうやら手付かずのようです。第6波となりかねません。

新型コロナウィルスは、当初考えられたよりエアロゾル感染(空気感染に近い)が主体のようで、デルタ株では特にウィルス量が多いようです。不織紙マスクを隙間なく着けての外出が必須となります。換気が最も重要になってきました。ミュー株が流行ってこない限り、ワクチン2回接種者の感染の可能性はありますが、重症化は少なく、それほど問題にならないでしょう。