九合目に到達!
富士山に登ったという話をしているわけではない。実は去る2022年10月6日、退職後の挑戦として始めたプログラムが、当初は東京オリンピックの時までに到達する予定だった90%のラインに到達したからだ。そのことを書きたい。
サラリーマンを卒業して、さて、これから何をするか、と考えたとき、まず一番に考えたのは、全くの偶然から外資系会社へ勤務することになった結果、一応のコミュニケーションには事欠かないレベルになった英語を理解する能力を、別に英語を生かして商売をする気もないのだが、維持していこうという事だった(それがどうした、と言えばそれまでだが、(なぜ山に登るのか)という問いと同じだ)。そこでとりあえず、肩の凝らない小説でも読もうかと行き当たりばったりに挑んだのがこの稿でたびたび引き合いに出してきたのだが、ジャック・ヒギンズの Eagle has landed だった。しかし読み始めて早々、自分で多少は自信を持っていた英語の能力が実は限られたビジネスの一部だけに通用するもので、小説一冊読むのにどれだけ無力なのかを悟らされた。意地になってヒギンズばかり10冊以上読んだところで、(ポケットブックを年100冊読めば英語の達人になれる)という説に行き当たった。なるほど、と思ったが、年100冊といえば週に2冊は読まなければならない。これは無理だという事は納得したがそれでも何か目標があれば、と考えた結果、(ポケットブックを10万頁読む)という目標を立てた。1冊がざっと300頁として300冊読むことになるから、上記の基準から考えても時間軸はちがうがそれなりの刺激にはなるだろう、と、それまで漫然と読んでいただけだったのを1冊ごとに記録をつけることにして、今まで、意地になって続けている。
記念すべき第一冊目を読み終わったのは 2013年3月13日、リー・チャイルドの Killing Floor (トム・クルーズ主演の映画 アウトローの原作)。10冊目は 5月30日、ジョン・ル・カレの The spy who came from cold (寒い国から来たスパイ)100冊目が15年8月24日 デヴィッド・バルダッチ の The Escape ,200冊目は スティブ・ハミルトンの The hunting wind ときて、以後、同じようなぺースで読み続けている。途中からポケットブックという限定をつけず、また内容もミステリ・冒険ものという制限を外し(とにかく英語なら何でも) にして、第二次大戦の参考書とか学生時代から興味を持ち続けてきた米国論なんかも加え、さらに範囲を広げて、3年ほど前から再挑戦をしはじめたドイツ語についても、いくつか読んだので、現在はとにかく外国語10万頁、に目標を再設定した。そしてメルクマールとしてきた9万頁、つまり九合目にに到達した。ここまでくれば、残り1万だから、3年あればなんとかなるだろうという事になったのだ。9万の大台を記録した本は、先日読後報告をアップしたばかりだが、”スリラー” の新人、ジャック・カーの第二作、True Believer 450頁、通算275冊め、累計90,132頁となった。
ここまでくると後は意地と体力の問題だが、幸い健康にもあまり問題はなさそうだから、後は気力あるのみ、か。”ミス冒” ものでも、有名なところではフォーサイズとかフランシスとか、全く読んでない作家もあれば今回のカーなども加わって、乱読の楽しみは当分つきそうもない。とりあえず一段落で、Makers Markでも飲もうか(斎藤さんのアドバイスというか警告を尊重してジントニックから変更)、などと思っている次第だ。
なお、この挑戦を後押ししてくれているのがかかりつけ医の、認知症予防の根本はとにかく脳の活性化であり、そのためには外国語を学ぶことが最も効果的だ、という一言だった。それが立証できればいいのだが。
コロナについての参考情報 (会社時代友人 齋藤博)
新型コロナワクチン接種とインフルエンザワクチン接種の副反応は
野中しんすけという元ER看護師の方が、
この表を見ると、39歳以下の方は、
オミクロン株では、
炭素文明論 その3 (会社時代友人 齋藤博)
前回の「炭素文明論 – その2 砂糖の起源と西欧への伝播」で、砂糖で蓄えられた富が、
誰が伝えたかは別として、他を調べてみると、756年、
砂糖が伝わって約7、800年後の頃、
その後、琉球をはじめ奄美大島、喜界島、徳之島などにおいて、
江戸時代の中期(18世紀)以降、さとうきび栽培は、
日清戦争(1894〜1895)後、
最盛期の1973年には、
乱読報告ファイル (31)ジャック・カー ”ターミナルリスト”
冒険小説、といえばロビンソンクルーソーやら十五少年漂流記などといったクラシックから始まって、僕の射程範囲でいえばアリステア・マクリーン(ナヴアロンの要塞・女王陛下のユリシーズ号)やギャヴィン・ライアル(深夜プラスワン)、ジャック・ヒギンズ(鷲は舞い降りた)などなど、世に知られた(大人向けの)冒険小説の傑作はすべて英国人作家のものしか思い出せない。推理小説ならば米国にもヴァン・ダインありエラリー・クインあり、さらにハメット、チャンドラーにマクドナルドなどHB物にも事欠かないのだが、どうも米国人の冒険マインドは常にウエスタンものにあるようで、ロマンの香りが高い冒険小説、というジャンルには思い当たるものがすくない。しかしトム・クランシーに端を発する軍事ものになると、今度はアメリカ勢の作品のほうがはるかに多くなる。しかし例えば レッドオクトーバーを追え を冒険小説と位置付けるのには多少の疑問があり、さらに最近立て続けに読んだ、ハンターキラーシリーズの潜水艦物などは読み物としてはよくできているがこれはなんというジャンルに区分するのか、迷っていたところ、いつもの夕方の散歩に立ち寄る立ち読み場のハヤカワ文庫の棚で見つけたのがこの本だ。解説を立ち読みするとなんでも凄い新人だ、というし、カバーについているいつもの推薦文が僕の好きなリー・チャイルド(ジャック・リーチャーシリーズ)だったのでアマゾンから取り寄せて読んでみた。その報告である。
まず、この本の持つ迫力、というか吸引力みたいなもの、の凄さに圧倒された。英語の本のお定まりの広告文句に pageturner という単語がある。息をつかせずページをめくっていく(ほど面白い)というやつ、あれを今回ばかりははっきりと実感した。それほど、面白かった。
ストーリーはSEALの優秀な少佐である主人公が派遣先で、従来とは違うルートで降りてきた命令に従ってテロリストのアジト殲滅に出陣するのだが、その動きが完全に読まれていて反撃を受け、救援に要請した部隊も巻き込んで全滅に近い打撃を受ける。なんとか主人公は帰還するのだが,隊長としての責任を問われ軍法に従って帰国させられてしまい、その上、重度の脳腫瘍があると宣言される。さらに帰国してみると我が家にたどり着く寸前、家を爆破され、妻と娘が犠牲になってしまう。それに妻は妊娠していたのだ。此処に至って、彼は彼と部下たちが何か巨大な陰謀の犠牲者だったのだと悟り、数少ない友人を頼って少しずつ、実態に迫っていく。そしてその関係者すべてを抹殺する覚悟を決め、実行に移していく。最後の一人を殺した後、自分を支えてくれた女性の計らいで外洋ヨットに逃れる。軍の規則を破り、軍の武器庫から武器を調達し、政府の要人や軍の上司を殺した自分にはいかなる法的保護もないし、重度の脳腫瘍があるのだ。それならば自分の死と対決しよう、と海へ出ていく、というところで終わりになる。
このラストは有名な英国詩人ニコラス・ブレイクが書いた推理小説の名作、野獣死すべし (大藪なんとかなどと一緒にしないでほしいのだが) の結末を思い出させるが、たぶん、この男(ジェイムズ・リース)は戻ってくるな、という余韻のある書き方が、やはり米国人の作品だ。実はその後、彼の電話に残されたメッセージが発見される。主治医から、脳腫瘍というのは誤診だった、喜んでほしい、という伝言だったのだ。
著者は米国海軍の特殊部隊SEALのえり抜きで20年のキャリアのあいだにスナイパーから始まっていくつもの難作戦で指揮官を務めた人だそうだ。したがって実践部分の叙述が迫力に満ち、技術面や作戦行動の描写などは当然素人の書くものとは隔絶した臨場感がある。その臨場感がどれだけホンモノか、は、序文で著者が ”この本の出版にあたっては軍当局の検閲を受けなければならず、その結果、原稿から削除を要求された部分がある、と告白していて、その部分は黒塗りされたまま出版されている。また、戦闘場面で使用されるさまざまな武器、情報ネットワーク機器、そのほか軍機密の事項を示す略号がいやというほど出てくるのだが、それの一覧表が文末に付記されているのが面白い。この検閲後の黒線は翻訳(熊谷千尋)でも同じ個所に掲載されていて、興味深々であるが、略号のほうは熊谷訳では一覧表ではなく引用のたびに原語の直後に示される。例えば
” ….ライフルには….暗視装置でしか見えないATPIAL (アドバンス・ターゲット・ポインタ・イルミネータ.・エイミング・ライトの略で、可視光線および….に照射する装置)…..”
という具合である。これが便利という人もあるかもしれないがとにかく数が多いので、原文のほうが結局読みやすかった。どんなものか知らないがなんせ銃だろう、くらいのことで読み進めたからだ。翻訳というのは因果な商売なのだなあと同情してしまうが、いずれにせよ、通常とは全く違った “軍”という社会の規律の中で、この個人の復讐をどうやってやりとげるのか(例えば上官だとか、次期大統領候補なども対象なのだ)?といった疑問とスリルがこの本を pageturner に仕上げているのだと思う。
ある意味で、僕がターゲットにしている ”冒険・ミステリ” 分野の作品であるかどうかよりも、ストーリーテラーとしての見事さに感心した一冊だった。あらためて翻訳の方も読むつもりで買ってはあるが、カーの2冊目がやはり出てきてアマゾンからすでに到着しているのでしばらくは手付かずになるだろう。ご希望があればお貸しできるのでご連絡をお待ちする。
(最後に思い出したのだが、原本の広告はこの本を THRILLER と表現している。この種の本については今後この定義を使おうと思う。スリラーはヒッチコックの専売ではなかったわけだ)
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Navy SEALs(ネイビーシールズ,英語: United States Navy SEALs)は、アメリカ海軍の特殊部隊である。SEALsという名称は、SEがSEA(海)、AがAIR(空)、LがLAND(陸)と、陸海空のアルファベットの頭文字から取られており、アザラシ(英: seals)に意味合いを掛けたものである。陸軍特殊部隊同様、“どこでも活動可能”を意味する。
至仏山 (43 保屋野伸)
ヌーヴェルヴァーグ概説 2 (普通部OB 舩津於菟彦)
先に書いた、ヌーヴェルヴァーグというジャンルに入るエーガのいくつかを紹介しておく。
①勝手にしやがれ
ヌーベルバーグの記念碑的作品であり、フランソワ・
ハンフリー・ボガートを崇めるミシェルは、
やがて一緒に逃げることを断念したパトリシアが警察に通報してし
ジャン=ポール・
アラン・ドロンとは、
2021年9月6日、フランスのメディアによって、
②大人を分かってくれない
フランソワ・トリュフォー監督の最初の長編映画。原題の「Les Quatre Cents Coups」(あえて直訳すれば「400回の殴打、打撃」)は、
12歳のアントワーヌ・ドワネルにとって、
そんな彼の楽しみは映画を観ることだけだ。しかしある日、
パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過
③去年マリエンバートで
『去年マリエンバートで』(きょねんマリエンバートで、L’
脚本のロブ=グリエ自身の言によれば、黒澤明監督の『羅生門』
ロブ=グリエがこの映画の仕掛けについて語っている。 それによると、黒澤明の『羅生門』がモチーフとなっており、
• 現在
• Xの回想(Xにとっての主観的事実)
• Aの回想(Aにとっての主観的事実)
• 過去(客観的事実→Mの視点)
の4本の脚本が作られ、それらをバラバラにつなぎ合わせて、
④二十四時間の情事 日本題名が良くないなぁ
Hiroshima mon amour ヒロシマ・モナムール)は、1959年の日本・
来日し、広島へ反戦映画のロケに訪れたフランス人女優が、
2人はともに第二次世界大戦で戦争による悲劇的な体験を有してい
日本のヌーヴェルバーグ映画については余白無くまた、
アントニオ猪木と糖尿病 (会社時代友人 齋藤博)

猪木さんは、かなり若いころから糖尿病だったようです。39歳で、血糖値はなんと590!一度の食事で、
猪木さんは2019年に国の指定難病にもなっている「
このアミロイドが沈着する原因は実際には完全にわかっていません
2型糖尿病のすい臓でもアミロイドの沈着が認められる場合があり
2型糖尿病、アルツハイマー病、
しっくりこない新聞記事について
最近、新聞記事(編集子宅では読売)を読んでいて何となく疑問というか違和感を感じることがいくつかある。
そのひとつがAI という用語の氾濫である。AI、とはなにか、といえば、日本語では人工知能、という用語があてられるがもともとは英語であるから、英語版のウイキペディアなどを見てみると、the theory and development of computer systems able to perform tasks that normally require human intelligence (通常は人間の知性を必要とする仕事を行うコンピュータシステムの理論と開発)あるいは intelligence demonstrated by machines, as opposed to the natural intelligence displayed by animals and humans(動物あるいは人間がおこなう固有の知的行動を機械が代わって行うこと)と定義される。またほかの文脈では discernability (識別能力)という用語も用いられている。
現代はITの時代であると言うときのIは information であり、その意味は情報、ではあるが知性、inteligence ではない。
コンピュータが企業などの実社会で使われ始めた時代には information のもとになる data という用語が用いられていた。現在ではどこの企業や組織であっても、コンピュータを扱う部署は情報処理課、とかIT部、などと呼ばれるだろうが、60年代まではデータ管理部とか、ズバリ電子計算機課、などという呼称がふつうであった。つまり生のデータを集めてあらかじめ定めた方式によって処理をするという人力作業の効率化高速化することから始まって、システムの高速化・大規模化によってその処理結果を高度化し、単なるデータの集積から人的判断処理の補助へと効果が、データではなく情報と呼べるものになってきた。そのプロセスがさらに高度化され、人間とのインターフェイスも数字や文字の羅列からグラフィック処理やシユミレーションなどが手じかになった結果、information technology ITという現実ができた、というのが現在の情勢だろう。しかしコンピュータのもたらす効果が intelligence というレベルになっているのは、言語処理とか翻訳とか医療行為の一部などといった限られた領域のそのまた一部である。コンピュータシステムの能力・効果はまだ information process というレベルであり、新聞記事に気安くAI によって処理をする、などと書かれていることの大半はまだまだ人間の discernabiility を置換するまでのレベルになっているとは思えないものがほとんどだと思われる。
僻目かもしれないが読者に誤った期待を抱かせないためにも AI という用語の使用にはもっと厳格である必要があるように思うのだがどうだろうか。もっともコンピュータの使用が一般化されはじめた段階でも電子頭脳、などという用語がまかり通っていたものではあるのだが。
僻目、という事でもう一つ、しっくりこないのが皇室に関する記事の書き方である。ただこれは小生が知らないだけで、メディア界にあっては何か統一されたノームがあると思うので、ご存じの方からご教示を期待して書いている。
今皇室の方々の一般の呼称は例えば常陸宮さま、とか、愛子さま、というように誰でもわかる尊称がつく。このことは皇室の方々にのみ使われるのであって、ほかの個人には絶対に使用されない。現在の国民の象徴、という立場からしても納得できる慣行である。小生が違和感を覚えるのはそのあとの書き方だ。せっかく宮様、という尊称を使っているのに、たとえば何かの会合に ”出席した” と書くが ”出席された” という敬語はもちいられない。文意が曲げられることはないが、どうもこの二つが違和感をもたらすのだが、これも昭和人の末席につらなる人間だからだろうか。
(船津)敬語は戦前の使い方からかなりかなり変わり、色々議論が有り、
(菅原)首件のブロッグ拝読。昭和13年生、諸手を挙げて賛成。
1.今の段階のAIってのは、正確には、まだまがい物だから、AIマガイ。 2.最近の記者は、敬語の使い方を全く知らないんじゃないの。それを咎めないデスクもどうしようもない。こうやって日本語が乱れて行くんだ。
(斎藤)そこいらへんで言われているAIと言う言葉は、
実は、コロナ前まで、データマイニング仲間が集まって、
今は、
エーガ愛好会 (171) 追跡 (34 小泉幾多郎)
この「追跡1947」の監督ラオール・ウオルシュは、西部劇から
冒頭ニューメキシコの岩峰がそそり立つ一角を女性一人馬を走らせ
主演ロバート・ミッチャムが若き頃から、その個性を発揮、テレサもう一人の
イナーが既成曲を効果的に使っていた。一家団欒のシーンで歌われた「ロンドンデリ
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”ラレドの通り” 「TheDyingCowboy」としても知られる「StreetsofLaredo」は、死にゆくレンジャーが別のカウボーイに物語を語る有名なアメリカのカウボーイバラード、アメリカ西部作家連盟のメンバーは、これを史上最高の西洋の歌のトップ100の1つとして選んでいる。
As I walked out in the streets of Laredo
As I walked out in Laredo one day
I spied a young cowboy all wrapped in white linen
Wrapped in white linen as cold as the clay
I see by your outfit that you are a cowboy
These words he did say as I boldly walked by
Come sit down beside me and hear my sad story
I’m shot in the breast and I know I must die
It was once in the saddle I used to go dashing
Once in the saddle I used to go gay
First down to Rosie’s and then to the card house
Got shot in the breast and I’m dying today