おはようございます。雨上がりの晴れの朝です。
朝の気温は6℃。日中の気温は11℃。北風が強めで昨日より寒く感じます。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(船津)グレースケリーの綺麗さとあの服装。かっ
1920年代当時、映画全盛期のハリウッド映画において、女優の
大ヒット映画、『ローマの休日』(1953年)のアン王女役の衣
アルフレッド・ヒッチコック監督はイーディスのデザインセンスを
(河瀬) 金藤さんのご案内で今日、NHKBSの映画「裏窓」を初めて見ま
(金藤)「裏窓」 よかったですね!
(菅原)この映画、本当のことを言えば「覗き見」映画。それは別として、公開時、高校2年の小生がとんでもない衝撃を受けたのが、妻殺し。前にも言ったかも知れませんが、親父がオフクロを殺すなんて想像すら出来なかった。これは何度も言いますがスゴイ衝撃でした。
『裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1954年のアメリカ合衆国のサスペンス映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はジェームズ・ステュアートとグレース・ケリーなど。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)による同名の短編小説(原題は『It Had to Be Murder』)を原作とし、事故で車椅子生活を送る男がアパートの部屋の裏窓から目撃した事件の顛末を描いている。現在、パブリックドメインとなっている。AFIが選出した「アメリカ映画ベスト100」では42位にランクインした。Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ヒッチコックはこの傑作でサスペンスの才能を存分に発揮した。」であり、76件の評論のうち高評価は99%にあたる75件で、平均点は10点満点中9.2点となっている。 Metacriticによれば、18件の評論の全てが高評価で平均点は100点満点となっている。
(編集子)本稿で船津が触れているエディス・ヘッドのことだ。慶応高校の新聞 ハイスクールニューズでは、毎夏、新人(2年生)に取材編集を任せて力量を図る目的で、いわばサブ版として ジャーミネータ(発芽試験機という意味だそうだ)というのを発行していた。昭和30年(1950年)8月1日発行のジャーミネータは映画特集というページを作成した。この面を主に担当したのが船津於菟彦で、かれの直筆は左下にある 流行を作り出す という欄である。此処ですでに彼は (小生など聞いたこともなかった)エディス・ヘッド、なんてのを論じている(虫メガネで判読できればいいのだが)。 このころからエーガの論評を楽しんでいたというわけだ。栴檀は二葉より匂うのか、三つ子の魂百までか知らないが。小生この版では論説調のぐんと硬いテーマでっ文化祭の在り方、なんてのをエラソーに書いてる。ま、若き日のことですな。
(船津)
このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。
この映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6
(菅原)ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、
テレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「
2023年第1回目の「月いち高尾」を、2月28日、実施。 朝は冷え込んだものの、日中は春の様なポカポカ陽気の中、今年一年の健康と安全、更には、世界平和等々を各人なりの願いを込めて「薬王院」に参詣し、山頂から霊峰「富士」を拝む事を主題に参加者を募り、総勢23名が京王線「高尾山口」に集まった。 リフト+4号路経由のシニア―・コースといにしえの参拝者が登った古道の金毘羅台コースに分かれ、鮮やかな「真白き富士の峯」が遠望できた山頂に集結した。
<以下、敬称略>
(シニア―・コース) 36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、38/町井、39/蔦谷、41/相川、47/伊川、平井、田端 <10名>
(金毘羅台コース) 39/岡沢、40/藍原、41/久米(和)、43/猪俣、44/安田、46/村上、47/水町、関谷、48/佐藤、福良、51/斎藤、中里、BWV/大場 <13名>
金毘羅台コースは登山者も少なく、ポカポカ陽気の中、汗をかきながら、マスクを外せる開放感に浸りながら、和気あいあいとダベリング(死語?)しながらの登りだった。 <登り:2時間>
下りは、稲荷山コースから、途中で6号路の琵琶滝コースに入り、下山。稲荷山コースは一部整備工事中で閉鎖されていることもあり、このコースを利用する登山者も少なく、快調な下山だった。 <下り: 1.5時間>
高尾駅近くの「テング飯店」での反省・懇親会に21名が参加。当会の新年会も兼ね、一角では、WBCに始まりラグビー・トップリーグ、話題のテレビドラマ、更には大相撲からキャバクラ、キャバレー、ナイトクラブの違いはとの取り留めのない話題で大いに盛り上がった。 そう云えば、皆、未だ「コロナ禍」の渦中にあるのを失念! 反省、反省!
(久米)天気にも恵まれ,薬王院にて今年一年の家内安全と共に健康に過ご
おまけに天狗でも久しぶりにビールのおいしさを味わい幸せな一日を過ごすことができました。
お世話役の皆様に感謝の気持ちで一杯です。沢山の写真もありがとうございます。次の機会を楽しみにしております。
(藍原)最近めっきり体力が衰え、登れるか危惧しておりましたが、皆さまが私のペースに合わせてくださったので、辛うじて登ること
(斎藤)昨日はお疲れさまでした。天候に恵まれ暖かい一日で良かったですね。
(編集子)いつもどおり頂上へのエスケープルートで坊の裏へ回ったおり、今まであることは知っていたが入ったことのない、洞穴にまつられた弁天様に参拝。こういう自然と合体している信仰を見るたびに日本人の宗教観というのか感覚が好もしく思えてくるから不思議だ。
「怒りの荒野 1967」はジュリア―ノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン。公ジェンマ(スコット・マリー)に対決するのが、リー・ヴァン・クリーフ(
父親がはっきりしない娼婦から生まれたジェンマは糞尿処理しかさ
その10ヶ条とは、 1.人に頼み事はするな。2.誰のことも信用するな。3.銃と的の間に立つな。4.殴
この10ヶ条に基ずきながら、ジェンマは成長して行くのだが、そクリーフに会う前からいろいろ面倒
結論的には、クリーフの超絶なる個性の存在が、ジェンマという華
(編集子)エーガ愛好会投稿第200号はドクター西部劇で決まった。この企画、第一号は2020年5月15日、小生の ”赤い河を巡って” である。
ラオール・ウオルシュ監督、ゲーリー・クーパー主演の西部劇と来
スーパーヒーローのクーパーともなれば、20本を超える西部劇に
1840年フロリダ地方はアメリカがセミノールインディアンと7
フロリダ地方の湿地地帯の美しきロケ撮影や水中カメラ使用による
(保屋野)小泉さんの完璧なコメントに付け加えるところはな
感想を記します。
舞台がフロリダで、小泉さんの云われるように西部劇らしからぬ西
大昔観て面白かった記憶があったので期待して観たのですが、どう
(グーグルから転載)この映画は、ある“音”で映画ファンに愛され、親しまれています。それは兵士がワニに襲われて叫ぶ声。効果を高めるためにアフレコで製作された音なのですが、この作品以降、ほかの映画でも同じ声が使われているんです。「スター・ウォーズ」(1977)で、ダース・ベイダーの深い呼吸やライトセーバーなど、さまざまな音を製作した音響デザイナーのベン・バートは、西部劇「フェザー河の襲撃」(1953)でも使われたこの声を“ウィルヘルムの叫び”と名付け、「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」のシリーズに使用。さらに、ほかの音響デザイナーにも広まり、「バットマン リターンズ」(1992)や「キル・ビル」(2003)など、400本以上の映画やアニメ、そしてテレビゲームでも、主に男性のキャラクターが吹き飛ばされたり、倒されたりする場面であえて、この叫び声をリスペクトをこめて使っているということです。映画史上の名作。“音”にもご注目ください。
(編集子)山岳展望の放映をきっかけにここ数日、KWV仲間ではその話題が集中している。現地を歩いてきたドクターからの情報である。36年卒の仲間でエヴェレスト展望へ出かけてすでに四半世紀!
アンナプルナは我々が真近に見ることのできる唯一のヒマラヤ80
(安田)河瀬さんの素晴らしいアンナプルナ実撮の写真が届きました。ありがとうございます。実物を見た人でなければ感じ得ない臨場感の迫力があるのでしょうね。
(菅原)
山と言えば、青山、代官山、大岡山などにしか登ったことのない小生が、アンナ・プルナと言う名前を聞くと青春時代が蘇る。
1950年に、フランス隊が8000m級の初登頂を果たし、その経緯を隊長のM.エルゾーグが「処女峰アンナ・プルナ・・・」として出版した本が、1953年、近藤等の翻訳で白水社から出され、これを何故か小生貪り読んだ(小生の普通部時代)。今にして思えば、次から次に降りかかる危難を不屈の闘志で掻いくぐって行くところが、冒険小説が好きだった小生の嗜好にピタリとはまったからではなかったか。下山の際の悲劇、登頂したエルゾ-グ、ルイ・ラシュナルが凍傷で、足指20本、手指10本を失ったと言うからその下山は、常人には想像も出来ない凄まじいものだったのだろう。
アンナ・プルナとは「豊穣の女神」と言う意味だそうだが、写真を見ても悪さをする山とは思えない。しかし、ネットを見たら、2012年3月時点で、登頂者191人に対し、死者61人と言うから誠にオソロシイ女神だ。写真を見ているだけで充分に満足。
全日本クラッシックカメラクラブと言うフィルムカメラの愛好者の
小生2022年秋のAJCC春の写真展には1952年発売の東独ドイツ製のMIR-1(平和)37㎜F=2.8で
1935年製造のコンタックスⅠ型で湯島天神の梅が満開の佳き日メラをと言うライバル意識満点のカメラで。その操作のし難さ
黄色がフィルム巻き上げ。赤が高速用シャッターダイアル。ブルー
(三橋) このあたりで英国ミステリーのもうひとつの別の流れを追ってみよう。冒険小説・スパイ・スリラーの系譜である。そもそも英国にはダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』、ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』といった冒険物語の伝統があったが、まだ19世紀には“外套と短剣”という言葉に象徴される古風で通俗的なスリラー小説が流行していた。(中略) また、冒険小説の方面では、『孤独なスキーヤー』や『キャンベル渓谷の激闘』など苛酷な自然条件と英国人の“ジョンブル魂”を描き、この分野を牽引したハモンド・イネスがいた。アリステア・マクリーン、ジャック・ヒギンズ、デズモンド・バグリイ、ギャビン・ライアルらの活躍は、イネスが切り開いた道があってこそのものであった。
小生がこの 冒険小説 というジャンルにひかれたのは、引退後に英語を忘れないようにしようと始めたポケットブック原書版乱読ジャーニーの第一号が、ジャック・ヒギンズの 鷲は舞い降りた だったことだ。ヒギンズは多作で知られる売れっ子作家になってしまい、最近の作品は粗製乱造というか、およそ見るべきものがないのが残念だが、この記念碑的作品の舞台になっている、第二次大戦の秘話というべき初期の作品をいわば芋づる的に読んで行って、小説もさることながらその実態を知りたくなって何冊かのドキュメンタリや記録物に挑戦することになった。この 鷲 は、史実ではあるが実現しなかった、ヒトラーによるチャーチル暗殺計画の話だが、この作品が特に注目されたのは、それまでの小説も映画も当時のドイツ軍人をいわば悪人あつかいしかしてこなかったのに、ヒギンズは彼らの人間性とかあるいはヒューマニズム、というファクタを盛り込んだことだ。同じような背景で書かれた 狐たちの夜 はストーリーの面白さ、という意味では一番だと思っているのだが、欧州戦線で敵味方に分かれはしたが戦前は英国で学んだ知識階級のドイツ青年が国策と個人の間に挟まれてしまうという、同じ時期に勃発した太平洋戦線での日米両国の場合とは全く違う事情がよく描かれている。同じようなテーマだが、よりフィクション性の高いいくつかの作品 双子の荒鷲 反撃の海峡 ウインザー公略奪 なども面白かった。いずれにせよ、現代史の勉強という意味もあるが、戦争とは全く違った、三橋氏の言われる意味での冒険小説、というカテゴ
リでのヒギンズは何といっても 脱出航路 に描かれる海との戦いと再び国境を越えたヒューマニズムだろうか。ヒギンズにはもう一つ得意なテーマがアイルランド紛争にまつわるエピソードであるが、中でも 非情の日 はヒギンズ本人も好きだと言っているらしく、心に響く作品だと思っている。ヒギンズのものはデビュー当時からさかのぼって20冊以上読むことになったが、小生のお気に入りは 廃墟の東 という中編である。全体に漂う虚無感の様なものが自分の心の周波数に合致するように思うのだが、一般受けはしなかったようだ。
ヒギンズのいわば先輩筋にあるアリスティア・マクリーンにも素晴らしい作品が多い。中でも 女王陛下のユリシーズ号 は冒険小説、というジャンルにとどまることのない傑作だと小生は思っていて、絶望の淵に追い詰められた男たちの振る舞いと猛烈な嵐、訳者はマクリーンの原文をどう日本語にすればこの本の神髄をつたえられるのか、自分の能力のなさを嘆いた、と告白したくらいの圧倒的迫力がある。良く知られたのはグレゴリ・ペックの ナヴァロンの要塞 、やはり映画化された 荒鷲の要塞 とか 八点鐘の鳴る時 なども歯切れのよい作品だ。
イギリス文化の根底にある海洋へのあこがれ、といったものがテーマになっているのが バーナード・コーンウエル という作家で、ロゼンデール家の嵐 嵐の絆 などはヨット愛好家ならば別の意味でも面白い作品だと思う。三橋氏のコメントにもあるが ギャヴィン・ライアル については先に 深夜プラスワン ちがった空 について書いたが、より現代的なテーマでの傑作が多いし、同氏が触れておられる ハモンド・イネス は徹底して大自然の中での話で、その描写が素晴らしい。多少なりとも山、とか雪、に馴染みのある我々にはより親近感を覚えるテーマが多い。
80年代になると映画でもアピールした トム・クランシイ の レッドオクトーバーを追え に始まる軍事ものが盛んになってきて、昨今では軍事スリラー、というような用語も目に付くし、アマゾンで買うと、その原題に THRILLER というサブタイトルがつく本が多くなってきた。こうなると 冒険小説 の定義そのものも再考されるべきかもしれないのだが、同じ副題がついても、最近小生がはまっている C.J.ボックス のテーマはすべて米国ワイオミングとかノースダコタの荒れ野が背景の、個人対自然のかかわりあい、という部分が多いので同じアメリカ発ではあるのだが、よりおおらかな男の闘いは快い読後感にさわやかさを残す。調べてみるとこの人の和訳はだいぶ以前に出されていて、その後の復刊を聞かない。しかし英文は非常に簡潔だし分かりやすいので、原文をトライされたら如何だろうか。
”冒険小説” といっただけで、ハイブラウな読者、純文学志向の人たちにはおよそ見向きもされない、いわば裏街道筋とでもいうべきジャンルがなぜ心をひきつけるのか。評論家の関口苑生氏は、”冒険小説の主人公は愚直なまでに頑固なおのれの倫理観を持つ”、とし、”その主人公がさらに成長し、自己を獲得していく過程” を描くものを冒険小説である、と定義している。ただ単に暴れまわって破壊行動を繰りかえすだけのものは決して冒険小説ではない、というのだ。このあたりの言い方は、ハードボイルドを語るときにもよく出てくる。グーグルでは (ハードボイルドは、文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう)と言い切っているが、決して暴力・反道徳的内容がその定義の必要要素ではあるまい。同じことが冒険小説の定義にも当てはまるので、そういう意味では関口氏の定義には同意する。
ハードボイルド派についてはまた稿を改めるとして、とにかく、年齢的ハンディが日々積みあがっていく毎日、心の憂さの晴らし場所、くらいに考えて、諸兄、せめて 鷲 か ユリシーズ でも読みたまえ。