最近の報道で、アメリカの指導層の中から、AI開発に歯止めをかけるべきだという主張が出ていることを知った。その主張がマスクとかウオズニアックなど,財界や業界の著名人のものと知って、意外に思うと同時に快哉を叫ぶ気持ちだった。昨今のIT万能の風潮に危惧の念を持ちながら、ひょっとすると単に時代に取り残された人間のひがみかも、と思う気持ちもあるものの、今話題になりつつある ”チャットGPT” なるものに危惧の念を禁じえなかったし、AI 全般についての過度な期待に不安を抱いていたからである。
本稿でも何回か触れたが、現在の社会は、政治形態のいかんを問わず、つまり民主主義国家であろうと権威主義国家であろうと,社会思想学の分野でいう ”大衆社会“ すなわち個人の論理や感情が好むと好まざるを問わず、氾濫する情報によって支配される社会に変貌してしまっている。この社会の在り方を左右する情報の力、それは発信する側にそのような意図があろうとなかろうと、結果として、受け手である個人を支配してしまう。この目に見えない力はアメリカの社会学者 エリヒ-フロムによって ”匿名の権威”、と呼ばれるようになった。それは現在のIT構造が出来上がる以前から、マスコミが作り出してしまう力として意識されていた。しかしそれを伝達する機構が新聞やラジオにとどまっていた時代には、その情報を個人が自分の持つ論理や倫理観によって取捨選択する余地が残されていた。しかしその手段がテレビとなり、映像という手段によって人間の情緒に訴えるようになっていくと論理判断や倫理観が入り込む隙間が激減してしまう。
情緒だけによって人間の行動が支配され、社会が支配されるようになって起きた典型的な例はアメリカにおけるトランプ大統領以来の混乱だろう。トランプ氏の唱える論理や政治論理そのものに問題があるわけではない。その論理を展開し、国民の賛同を得るのが民主主義社会のあるべき姿であろうが、今のトランプ支持者たちを支配しているのは感情であり、感情に訴える限りその反発もまた感情に訴えるものに行きつく。そしてその過程を支配するのが情報の氾濫であり、その価値や真偽のほどを確かめることは誰にもできまい。つまり ”匿名の権威“ そのものだと言える。
チャットGPTをはじめとして現存するITのメカニズムを使えば、この力はますます強大になる。その根源にある情報そのものの真偽や価値を個人が判断することなく、膨大なデータを、まさに機械的にすなわち人工的に作り出すしかけを支える力としてAI技術が野放図に拡大することに、今回のいわば当事者の判断はまことに正鵠を得たものだと思う。
4月9日の新聞では、日本政府がチャットGPTの使用について制限を設ける意向だという。ぜひ適切に運用し、これからの若い世代が自分で考え、判断するということの意義を問い直し、”匿名の権威“ に左右されない社会を守り続けてほしいと思う。
(船津)チャットGTP成る物小生もジィヤのため使ったことありませんが
人はそれを咀嚼する力があるはず。まぁ老人は見ていれは良いのか
(菅原)小生、これまで、「チャット・・・」なんぞ全く知らなかった。それで、色々、調べてみたら(以下、皮相的な理解だが)、どうやら大変便利な道具らしい。そして、例えば、原稿書きなんかは、不必要となりそうな雲行きだ。であれば、こんなものぶち壊してやろうか(産業革命の時に、こんなことがあった。英国のラッダイト運動)。
結局、機械(AI)が人間以上に利口になれば、人間は必要なくなる。その時、初めて地球に終わりが訪れるのか。まー、「チャット・・・」は便利なんだろうけれど、それを野放図には出来ず、歯止めが必要なんだろう。すると、それを掻いくぐる奴が出て来るわけだ。これからの世の中は、益々、複雑怪奇、魑魅魍魎の世界か。これからの子供たちは大変だ。
(小田)朝刊の2/3面を割いて、チャットGPT『