エーガ愛好会 (210)  アルカトラズからの脱出  (普通部OB 菅原勲)

「アルカトラズからの脱出」(1979年)、久し振りに痛快無比な映画を見た。

1962年6月、米国はサンフランシスコ湾にあるアルカトラズ連邦刑務所から脱走に成功した実話だ。監督は、「ダーティー・ハリー」(1971年)のドン・シーゲル、主役は、そのシーゲルの弟子でもあるクリント・イーストウッド。彼は、アカデミー賞受賞作品「許されざる者」(1992年)を、作曲家のS.レオーネと共にシーゲルにも捧げている。

脱出は真夜中に行われたから、その過程を描く画面は暗く鮮明ではない、と言う見にくさは、若干、ある。しかし、シーゲルは、そこを恰も記録映画の如く、至極、淡々と描き、却って、脱獄が成功するまで、終始、スリスリハラハラドキドキの連続となった。その映画作りは、職人芸と言っても決して言い過ぎではないだろう。

脱獄犯は、知能指数133のフランク・モリス(C.イーストウッド)を先頭に、ジョン(フレッド・ウォード)、クラレンス(ジャック・テイボー)のアングリン兄弟、アレン・ウェスト/映画ではチャーリー・バッツ(ラリー・ハンセン)の四人だが、三人だけが成功し、残った一人(バッツ)は脱出を断念。彼が全てをゲロしたことから、その逃亡の全貌が明らかになった。ただし、この三人は、自作のボートに乗って島から抜け出したものの、その後の行方は、溺死したものか生存しているものか、杳として知れない。

役者の顔触れを見ても、イーストウッドが中心となるが、そこでキラリと光るのが敵役とも言うべき、冷徹無比な刑務所長役を演ずるパトリック・マクグーハンだ。彼は、主なところでは、A.マクリーン原作の映画「北極の基地/潜行大作戦」(1968年)にR.ハドソンと共に出ていたようだが、小生の記憶には全くない。

脱獄劇の面白さは、善人(例えば、刑務所長)が悪人/敵役に、悪人(例えば、殺人犯)が善人になって、本来、善人である筈の悪人の鼻をまんまと明かすことにある。話しが、いつのまにか善と悪が転倒し、本来、悪である脱獄が成功することに胸を撫でおろす、一種の爽快感だ。つまり、脱獄は本来犯罪になるのだが、そんなことは鼻から忘れて、不可能を可能にする行為を終始後押しし、成功の暁には大喝采を送る。良く考えると、何だか変だが。

脱獄の映画と言えば、例えば、S.マックィーンの「パピヨン」(1973年)があった。また、W.ホールデンの「第十七捕虜収容所」(1953年)、マックィーンの「大脱走」(1963年)などの脱走劇もその類いの映画だろう。

なお、アルカトラズとは、1775年、スペインの海軍士官が、サンフランシスコ湾を測量して海図を作成した際、La Isla de los Alcatracesと名付けたことに由来する。当時、ペリカンでもいたのか、スペイン語でペリカンの島と言う意味だそうだが、それが英語風に訛ってAlcatrazとなった。また、この連邦刑務所は老朽化が甚だしいため、当時の司法長官ロバート・ケネディー(その後の1968年6月、暗殺される)の指示によって、翌年の1963年、完全に閉鎖された。

(安田)言い得て妙な「善と悪の逆転」の視点、不可能を可能にした勇気ある行動と、手練手管を駆使した脱獄成功に大喝采・・・の解説。爽快感を味わう。この映画随分前に観ましたが、また痛快感が蘇ってきました。脱獄は成功したと思わせるストーリー展開であるが、脱獄が本当に成功したのかどうかは映画は明らかにせず、脱獄者も顔を出さず映画は終わる。なかなかにドン・シーゲルはやるわい、と思った。

アルカトラズは1963年に刑務所の役目を終え閉鎖、そして観光名所として一般公開されたのは21年後の1984年。その間、映画「アルカトラズからの脱出」を観たし、アルカトラズ島を湾の沖合2.4kmの至近に望むサンフランシスコ市内のフィッシャーマンズワーフの桟橋から島を度々眺め、いつかは足を踏み入れたいものだと思ったものだ。何といってもアル・カポネが収監されたアメリカ合衆国連邦刑務所だったし、クリント・イーストウッドの映画も観ていて興味を惹かれていたからだ。後年、念願の訪問は実現したが、訪れてみると実物と幾つかの映画で描かれた刑務所のありさまが交錯して、妙な感覚に襲われたものだった。アルカトラズを舞台にした映画で観たのは、「アルカトラズからの脱出」に加えて「ザ・ロック」、アルカトラズ島を占拠した元アメリカ海兵隊の英雄率いるテロリストと、制圧する特殊部隊の攻防を描いている。主演はショーン・コネリー、ニコラス・ケイジ、エド・ハリス。「告発」、アルカトラズ刑務所で行われていた過剰な虐待を告発し、同刑務所を閉鎖に追い込んだ実話を基にした映画。クリスチャン・スレイター主演、「ヒトラーから世界を救った男」でチャーチル役を演じたゲイリー・オールドマン共演。これら3本の映画を観て、島を実際訪れると、刑務所は既に1963年の閉鎖されていて残骸を目の当たりにしたのだが、映画から受けた臨場感と緊迫感がまざまざと蘇ってきたのをはっきりと覚えている。