船津さんに遅れること何日か,こちらヨコハマ大倉山公園。
大倉山梅林、今年も梅の季節到来。コロナ禍で中止していた地域振
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
船津さんに遅れること何日か,こちらヨコハマ大倉山公園。
大倉山梅林、今年も梅の季節到来。コロナ禍で中止していた地域振
今日、何気なくテレビをつけたら、スーパーボウルの中継番組に行き当たった。
小生はフットボールには関心がないので、いつもならほかのチャネルにしてしまうところだったが、ゲームの開始にあたってのセレモニーだったので何気なく見ていたら、アメリカ国歌が歌われる場面になり、出場選手たちがこれを聞いている場面になった。我が国とは違って、顔だけを見てもいろいろな人種がいるのだなあと改めてアメリカという国の成り立ちを改めて感じた。そのうち、ひとりが黙って聞いていながら涙をながしているのが大写しになった。
彼がなぜ涙を流しているのか、もちろんわからない。この場に参加できるまでの努力とか苦労を思い出していたのかもしれないし、なにかもっと個人的な感激だったのかもしれない。しかしそれが 国歌吹奏の時だ、ということに感動した。勝手な想像だが、彼は自分がこの国に生まれ、多くの仲間たちと一緒にその国歌を聞く、という当たり前のことが改めてどんなにすばらしいことなのか、それに思い当って感激したのではないか。
人種間の対立やら異文化のはざまの問題とか極端な経済格差とか銃暴力とか、我々日本人には理解できない障壁を抱えながら、なお、”自分たちの国” という感情がこの国の人たちにはずっと強いのではないか、という気がした。はじめて米国の地を踏んだ時、いろいろな場所場所に米国旗がひんぱんに翻っているのに驚いた。その時はかなり自分の考え方もひねくれていて(国旗でもない限り自分の国という感情が湧かないんだろう)などと考えていた。ちょうどヴェトナム戦が問題になっていた時期でもあったかかもしれない。しかし今日、すんなりとこのシーンに感激したのは、簡単に言えば愛国心というのかもしれないが、僕らがなんとなく口に出しにくくなっているごくごく素朴な気持ちをこの選手は素直に表していたのではなかったのか。
この種の発言をすればやれウヨクだのなんだのという雑音が聞こえ、建国記念日に国旗を掲げるなんてこともなんとなくはばかられるような、現代日本というのはどんな国なんだろうか。そんなことを思った。名前ももちろん知らないこのアメリカ青年の素直な感情が温かく伝わってきて、彼のゲームでの健闘を祈る気持ちになった。いろんなことが起きている国ではあるが、その原点を支える人たちの善意を改めて感じたことだった。
(船津)日本人とて同じだと思います。
つまり、米国は、絶対王政を選択すべきでした。しかし、歴史は戻ってやり直すことは出来ません。米国は、もしかしたら、例えば、永遠にUnited States of Aの実現に向かって行く、常に青春であり続ける国なのかもしれません。
(編集子)常に青春であり続ける、か。なるほど。スガチューの喝破で一件落着、のようで。
車は生活圏で…と決め、小型車を1月に頼んだのですが、
本名ジェームズ・バイロン・ディーン1931年2月8日~
18歳の時に州政府主催のスピーチ・
1952年、レストランのアルバイトで生計を立てる一方、
ディーンは各種新人賞に輝き、
後年、事故現場には「James Dean 1931 Feb 8 – 1955 September 30 PM5:59 ∞」の字が刻まれたモニュメントが建てられた。彼が残した言葉として、「優しさこそ、
原題Giant (単数形)に対して邦題「ジャイアンツ」は何故か複数形。5億バレル以上の巨大油田の事を業界ではジャイアント(級)と呼ぶとのこと。1バレルは約160リットル。5億バレルは800億リットル。日本の石油消費量は年間2,000〜3,000億リットル。ジャイアントの巨大さが理解できる。これが映画の題名の由来であった。もっと大きい油田はelephant(級) エレファント・象と呼ぶそうだ。舞台は1920年代のテキサス。アメリカではテキサスはカルフォルニアと並んぶ油田地帯。ロサンゼルス近郊でよく目にした、原油を採掘するために使う井戸である陸上の油井(ゆせい)では、地上から油層(原油を含有する地層)にボーリング穴を穿ち、パイプが入れられる。原油は、このパイプを通じて掘削機で取り出される。映画にも登場した多くの掘削機が林立する様は壮観だった。
南北戦争当時のジョージア州を舞台にした「風と共に去りぬ」、1,870年代のテキサスを舞台にした「大いなる西部」などと共に、テキサス州の牧場に住む家族の30年にわたる有為転変の人間模様の物語を時代の変遷と共に描いた大河ドラマだ。人間社会のパラダイム・シフトを予見させるような視点で描かれた映画でもあると思った。
59.5万エーカー(50km x 50km ほどの広大さ)の大牧場を経営するロック・ハドソンは東部の名門の娘エリザベス・テイラーを妻に迎える。ハドソン経営の牧場で働く使用人ジェームス・ディーンを交え3人の絡みを中心に物語は展開する。東部出身のせいかテキサスの空気に馴染めないテイラーの役柄は、やはり東部出身で苦労した「大いなる西部」のグレゴリー・ペックの役柄と合い通ずるものを感じさせる。だが両映画では両者とも、次第に地元にしっかりと根を張る逞しい生き様が描かれる。映画では主役3人のクレジットは、テイラー、ハドソン、ディーンの順で登場するが、映画を観てもテイラーが一番の主役だと頷けた。当時23歳のテイラーの美しさが際立っていた。娘役キャロル・ベーカーの実年齢は何とテイラーより1歳年長!60歳近い婦人まで演じるには少し若く綺麗すぎるきらいはあったが、それも致し方ないだろう。
ハドソン牧場のひねくれの若い牧童ディーン(当時24歳)が油田を掘り当て、黒い原油が地表高く噴き上がり彼が油をかぶり歓喜雀躍の感情を露わにするところ。物語が180度展開するきっかけとなった場面だ。
牧場の後継を拒絶して医者になる長男役のデニス・ホッパーは「
ディーンは、密かに想いを寄せる憧れの人妻テイラーを彼の掘っ立て小屋に招いて、貴重な紅茶でおもてなしをする静謐なシーンは好きですね。両者とも実年齢は23〜24歳頃。ディーンの演技は嫌味もなく、テイラーの凛とした人妻の気高さと、にじみ出る優しさが素晴らしい。好い場面だった。
監督のジョージ・スティーヴンスは、「陽に当たる場所」に続いてテイラーを起用し、「シェーン」「アンネの日記」など秀作を演出した巨匠だ。音楽は巨匠ディミトリー・ティオムキン。枚挙に暇がないほど馴染みの曲が思い浮かぶ。「ローハイド」「ナバロンの要塞」「北京の55日」「アラモ」「OK牧場の決闘」「リオ・ブラボー」「真昼の決闘」「老人と海」「見知らぬ乗客」「赤い河」「西部の男」「不思議な国のアリス」など。「ジャイアンツ」の主題曲もテキサスのスケールの たおやかさ を醸し出していた。
ハドソンの姉は東部出身の義理の妹テイラーに冷たいが、使用人のディーンには優しく親切であった。しかし急逝する。少しばかりの土地をディーンに相続したが、家族は現金で買い戻そうとするがディーンは拒絶する。ブームに成りかけていた油田採掘の運に賭けたのだ。時代の波に乗り、油田を堀り当て石油成金の大富豪になったディーンは、ハドソンを凌ぐ金持ちになった。富を得たことで野望を果たしたが、ディーンは満足感・幸福感を持てなかった。憧れの女性テイラーは他人の妻で如何ともし難い。空虚感に苛まれ自暴自棄になって生活が荒れるのである。そして悟るのだ。富では幸せは得られないことを。
家族の不和、長男の後継者拒否とメキシコ女性との結婚、そして孫の誕生、娘の仕事選択にまつわるゴタゴタなど、人種問題や女性の社会に於ける立ち位置、人生の価値観と幸福感をテーマにしたような物語になっていく。最後は老いたハドソンが立ち寄ったレストランで黒人がサービスを拒否される現場を目撃して店主と殴り合いの喧嘩をする程のリベラルな人に変わっていく。夫婦は紆余曲折を経て、辿り着いた安寧と充足感に満ちた姿を見せるのであった。
(保屋野)掲題、久しぶりに観ました。西部を舞台とした(西部劇ではない)
そして、あの主題歌とラストの名曲「テキサスの黄色いバラ」も良
主題歌は確か小坂和也が「山よ谷よ・・・」と歌ってましたね。
「幸せは金で買えない」のは事実ですが、「金は幸せの大きな手段
新型コロナの感染者数が毎日発表され、先週と比べどの位少なくなったと報道されています。私には信じられないことですが、TVに登場する医師たちも含めて、感染者数の信憑性についてのコメントはありません。もちろん彼らも届け出ない、報告されない、ないしは検査すらしていない患者を含めると、この発表数よりはるかに多い感染者数であることは分かっているのに批判もしないでいるのは何故なのでしょう。後追いのコロナ終息宣言のための地ならしに加担しているとしか思えません。
では、本当はどうなのでしょう。減っているのでしょうか。発表数の減り方から見て、多分減ってはいると思いますが、言いきれません。何故なら死亡者数がどんどん増えていることを解析する必要があるからです。悪性度が高まっておらず致死率に変化がないとすれば、患者絶対数が増えれば、分子となる死亡者数が増えます。ただここで分母の感染者数のデータがないのです。国の威信を賭けて、なるべく近い推計値を算出すべきですが、サボっています。実は死亡数は急増しているのです。岸田政権になって丁度1年4か月。一昨年10月に死亡累計数は1万8千人だったものが、昨日は7万1千人と3.9倍に増えています。今の政府が死亡に直結する政策を採っているとは言いませんし、この増加を説明せよとは申しませんが、首相は少なくとも死亡者数増加に一言も触れておりません。死亡者の大部分が高齢者・ハイリスク患者です。ここでも先日述べました高齢者に冷たい根本姿勢があると思われます。
感染症分類5類への移行、イベント規制の解除、飲酒会食開放、そして海外からの入国推進など、コロナ卒業へと世の中は進んでいます。このムードに乗って終息宣言をしたいと、それだけしか考えていないのではないでしょうか。
後追いで収束(終息でなく)に向かうことは、もはや規定事実化しており、反対はしませんが、政府としては今やらねばならないことが山積しています。
①患者数の推計上の把握
②海外からの流入も含めて新変異株の動向(ゲノム分析まで)
③ワクチン開発
④第9波となった時の対策
⑤今後のワクチン接種方針
など、“先進7か国”などというには、欠かせないことだらけです。この時期にこそ官民の壁、省庁間の壁を排除し、知識、技術、データを一本化し、世界に示せるようにせねばなりません。
今後のワクチンの打ち方は年1回定時にという案が米FDAから提案されましたが、日本として専門家が検討したうえで方針化すべきです。そしてファイザーなどに馬鹿にされないよう新ワクチンを自国開発すべきで、国がそれを保護育成すべきです。新変異株に対応する新ワクチンを開発するのです。変異株が外れても開発費を保障する(大流行しなかった分良かったと考える)こともいいでしょう。今はむしろチャンス到来なのです。週刊誌ではネガティブキャンペーンすら始まっていますが、いわゆる5回目の2価ワクチンは有効です。2価のうちのオミクロン株からXBBなどBA系をターゲットとして新ワクチンを作るのです。応用可能なmRNAワクチンなので今からでも間に合います。ワクチン作成への流れを始動しておくべきです。さらに世界では、先進的にもっと違った次世代ワクチン開発(黒木)も始まっています。軍事予算のことを考える前にすべきことだと思います。 5類に移行すれば、患者としての受診が難しくなるなど、新たな問題が出てくることも予想されます。
すでにコロナ規制は社会的に崩れてしまっているとも言えますが、リスクを抱える人は慎重に行動してください。総感染者数累計は3,300万人です。ヴィルス自体は蔓延しています。人込みを避け、避けられないとき(電車など交通機関、デパート・スーパー、イベント等)は必ずマスクをしてください。皆さんもうこの3年ですっかり身についた処し方を変える必要はありません。
清浄な空気のもとで、仕事上を含めて、友人・知人と、直接逢って会話、飲食をし、交流を深めて人生を楽しみましょう。そうですコロナ前のような生活に段々と戻して行きましょう。
先日、エーガ愛好会の各位には、BS放映の オリエント急行殺人事件 をお勧めした。もちろんミステリ作品として完成されたものではあるが放映されるバージョンの俳優の豪華さ、というエーガの観点からのおすすめでもあった。残念ながらあまり話題にもならなかったので、再度、ミステリへのご招待というつもりでの、偏屈親父からの投げ文である。
ミステリというのか推理小説というのかわからないが、文学に推理という要素を取り入れた領域を創設開拓したのは、エドガー・アラン・ポー であることになっている。 アッシャー家の没落 の一種独特な雰囲気は専門筋ではゴシック文学というらしいが、黄金虫 は暗号を解くという意味では推理がメインであるし、推理小説の源泉、とされている モルグ街の殺人 には、確かにその後のこのジャンルの基本的要素が素人にもわかる。この分野の専門家、三橋暁氏はグーグルで次のように述べている。
シャーロック・ホームズの誕生と英国の近代史は、切っても切り離せない関係にある。初めてホームズの物語が書かれた19世紀ビクトリア朝の英国は、産業革命による近代化の途上にあって、勧善懲悪の社会システムともいうべき近代的な警察組織の整備が急速に進められつつあった。(中略) いっぽう、この国には、ブロンテ姉妹の『ジェイン・エア』や『嵐が丘』などに連なるゴシック・ロマンスという恐怖小説の伝統があって、この系譜は大西洋を挟んだアメリカへも飛び火し、影響を受けたポーは『モルグ街の殺人事件』などを発表した。ディケンズがミステリーの趣向もある『荒涼館』を世に問うたのもこの時代である。
同じグーグルでに記載されている記事によると、史上最良の推理小説、とされるのはジョセフィン・ティの書いた 時の娘 だそうだ。以下、第二位はレイモンド・チャンドラーの 大いなる眠り、ついでル・カレの 寒い国から帰って来たスパイ と続き、第五位がアガサ・クリスティの アクロイド殺人事件 である。時の娘 では病院生活を送らなければならなくなった探偵が助手の力を得て資料をあつめ、英国王室のなかで暴君とされてきたリチャード三世が、実は名君であったことが立証される。このベッドサイドディテクティブという着想が非凡であるし、英国史に詳しい人ならば一段と興味が湧くだろう。日本では高木彬光が同じ手法で、彼のシリーズキャラクタである神津恭介を入院させ、(それじゃあ 時の息子 でも書くか)という羽目にしておいて書いたのが、成吉思汗の秘密 という作品でこれは一部の人に知られている 源義経は死なず、シベリアから蒙古にわたって成吉思汗になった、という伝説を真面目に立証したもので、小生は一読してこの説の信者になった(実は今でも真剣に信じている)。壮大なロマンとしてでも一読の価値があると思うのだが。
三橋氏の解説にもあるが、推理小説というジャンルは、ビクトリア王朝から現代へかけての英国の文化人の一種の高等な趣味としても発展したとされていて、たとえば G.K.チェスタートン(ブラウン神父シリーズ)、A.E.W メイソン(矢の家)、ニコラス・ブレイクという筆名を使った桂冠詩人セシル・ルイス(野獣死すべし)、 熊のプーさん の原作者、A.A. ミルン(赤い館の秘密)などが優れた作品を残し、ほぼ同時代に登場したアガサ・クリスティなどとともに本格派推理小説、というジャンルが完成する。ミステリの女王、と愛されたクリスティのそして誰もいなくなった やアリバイ崩しが得意だったクロフツの 樽 などがこの時期の代表作として挙げられるが、この ”文化人の手すさび” という気質が当時発展の途上にあり、英国とのいわば覇権争いを始めたアメリカに伝染し、S.S.ヴァン・ダイン(本名はウイラード・ライトという美術評論家)や本格派のニューヨーク版ともいえる作品を書いたエラリー・クイン(従兄弟二人の合作の筆名)などが現れる。その代表作としてはクインの傑作とされる Yの悲劇 や ギリシャ棺の秘密 フランス白粉の秘密 などの国名シリーズ、これに対抗した 僧正殺人事件 や グリーン家殺人事件 など、ダインの十二冊 と言われる、一連のファイロ・ヴァンスものがある。
これらの作品はいずれも犯人あてのための仕掛けに緻密な工夫が凝らされていくが、トリックの創出合戦がこれでもか、というようになってくると、時として追いかけて理解するのに疲れてしまう。またダインの作品には著者の自己顕示欲というか、美術をはじめとした衒学趣味がありすぎて嫌味と感じられる時もある。このいわば爛熟というか乱発気味になった推理小説に一種のルール、を提供したのが ノックスの十戒 と言われる主張(ロナルド・ノックスはイギリスの聖職者・神学者で推理作家)である。いわく、
御大クリスティの代表作 アクロイド殺人事件 はこのルール破りだ、というのが定説である。さらに第五項は当時の世相を反映していて、現在には通用しないのは明らかだ。いろいろ長くなったが、要は、ミステリというものが食わず嫌いの人も多いようにお見受けしますが、一度読んでみませんか、というのが趣旨である。難しい理屈はともかく、なんといってもミステリの醍醐味は犯人の意外性、というショックにつきる。そういう意味で、ま、だまされたと思ってクリスティの アクロイド殺人事件 アイリッシュ の 幻の女、読んでみませんか。
エーガの楽しみは尽きないが、そのエンディングシーンは作品の印象とともに心に残るものだ。愛好会メンバーのやり取りの中で、ワイオミング州に位置するグランドティトン国立公園のことが取り上げられた結果、話がこのエンディングに飛んだ。
(中司)グランドティトンとは僕にとっては シェーン のラストシーンでアラン・ラッドが去っていくカットが撮影された場所、であります。
(小田)グランドティトンでお泊まりになったホテルは、《ジャクソンレイク ロッジ》ではないかと思います。
(安田)僕の映画エンディング・シーンBest 4です。
(中司)シェーンの有名な ……..Shane, come back ! という ブランドン・ウイルドの声が響くこのカットの後、
(小田)美学か分かりませんが、ラストシーンが印象的な映画…