こっちは大倉山       (34 小泉幾多郎)

白加賀

船津さんに遅れること何日か,こちらヨコハマ大倉山公園。

淡路枝垂

大倉山梅林、今年も梅の季節到来。コロナ禍で中止していた地域振興を図る観梅会が、今年は2月25日(土)26日(日)に、地元商店街による出店、箏曲等の演奏、舞踊のステージ 等が三年ぶりに開催されることで、久しぶりに賑わうことでしょう

野梅

スーパーボウルで感激したこと

今日、何気なくテレビをつけたら、スーパーボウルの中継番組に行き当たった。

小生はフットボールには関心がないので、いつもならほかのチャネルにしてしまうところだったが、ゲームの開始にあたってのセレモニーだったので何気なく見ていたら、アメリカ国歌が歌われる場面になり、出場選手たちがこれを聞いている場面になった。我が国とは違って、顔だけを見てもいろいろな人種がいるのだなあと改めてアメリカという国の成り立ちを改めて感じた。そのうち、ひとりが黙って聞いていながら涙をながしているのが大写しになった。

彼がなぜ涙を流しているのか、もちろんわからない。この場に参加できるまでの努力とか苦労を思い出していたのかもしれないし、なにかもっと個人的な感激だったのかもしれない。しかしそれが 国歌吹奏の時だ、ということに感動した。勝手な想像だが、彼は自分がこの国に生まれ、多くの仲間たちと一緒にその国歌を聞く、という当たり前のことが改めてどんなにすばらしいことなのか、それに思い当って感激したのではないか。

人種間の対立やら異文化のはざまの問題とか極端な経済格差とか銃暴力とか、我々日本人には理解できない障壁を抱えながら、なお、”自分たちの国” という感情がこの国の人たちにはずっと強いのではないか、という気がした。はじめて米国の地を踏んだ時、いろいろな場所場所に米国旗がひんぱんに翻っているのに驚いた。その時はかなり自分の考え方もひねくれていて(国旗でもない限り自分の国という感情が湧かないんだろう)などと考えていた。ちょうどヴェトナム戦が問題になっていた時期でもあったかかもしれない。しかし今日、すんなりとこのシーンに感激したのは、簡単に言えば愛国心というのかもしれないが、僕らがなんとなく口に出しにくくなっているごくごく素朴な気持ちをこの選手は素直に表していたのではなかったのか。

この種の発言をすればやれウヨクだのなんだのという雑音が聞こえ、建国記念日に国旗を掲げるなんてこともなんとなくはばかられるような、現代日本というのはどんな国なんだろうか。そんなことを思った。名前ももちろん知らないこのアメリカ青年の素直な感情が温かく伝わってきて、彼のゲームでの健闘を祈る気持ちになった。いろんなことが起きている国ではあるが、その原点を支える人たちの善意を改めて感じたことだった。

(船津)日本人とて同じだと思います。

戦後、古橋が1500㍍自由形で世界新記録を出して日章旗が揚がった時とか、そして最近ではサッカー・ラグビー・オリンピック・そしてWBCで多分泣くのでは。けして右翼とかでしないのではと思いますが、星条旗と日章旗の成り立ちが違うこともあるかと思います。
星条旗は独立戦争以来、あの騎兵隊も星条旗を掲げ先住民を追い払い象徴に成って居ましたね。そしてあの硫黄島。 これは演出だったとかの説もあるが米国人の心にある星条旗だと思います。
(安田)以心伝心」「沈黙は金」があまねく通用し、尊んできた日本の文化感性とは真逆なアメリカの特徴が表れているのが、国家を象徴する国旗と国歌に対してunitedする、国民の姿勢と向き合い方だと感じる。独立した1776年以来、国民は国旗と国歌の下にアメリカ人としてのアイデンティティを自然と求めるようになったのだと思う。スーパーボウル選手の態度もその典型的一例ではないでしょうか。
(菅原)先ず、米国は独立するに当たって政体の選択を見事に間違えました。現在、米国は分裂しているとか分断されているとか言われています。これは今に始まったことではなく、独立した時点からそれはありました。だから、国名は、単にAmericaで良かったものを、態々、こうありたいと言う願いを込めて、United States of Aとしたわけです。それは国旗も同様で、テキサスじゃないけど統一されていればLone Starで良かったわけです。現実にはそうじゃなかったので、ここでもそうありたいと言う願いを込めて全州を一つの旗に載せたわけです。また、国歌だって、一つの歌の基に一緒になってるんじゃなく、一緒になろうってな意味が強いんじゃないか。

つまり、米国は、絶対王政を選択すべきでした。しかし、歴史は戻ってやり直すことは出来ません。米国は、もしかしたら、例えば、永遠にUnited States of Aの実現に向かって行く、常に青春であり続ける国なのかもしれません。

(編集子)常に青春であり続ける、か。なるほど。スガチューの喝破で一件落着、のようで。

小海線の旅    (HPOB   小田篤子)

車は生活圏で…と決め、小型車を1月に頼んだのですが、部品がなく、5月の連休の頃納車になるとか。ご近所の方は、7月に車検が切れるのに11月の納品で、社用の大型の車は3年待ち…とおっしゃっていました!

列車では初めて小淵沢で乗り換え日本一高い駅《1,345.67m》と覚えやすい高さの野辺山に行って来ました。駅近くには又《グレイス》ホテルの看板が…。
野辺山駅は最近は《High Rail=入れる》から滑り止めの砂を出したり、受験生に人気の場所のようです。
スノーシューの目的で行ったのですが、必要もなく、美鈴池や八ヶ岳高原ヒュッテ、音楽堂を歩き回りました。車窓から、一番高い南岳が真ん中に位置する青空に浮かぶ雪の八ヶ岳は、Giさんのお好きなグランドティトンの山々のように見えました。
*写真はヒュッテと、凍った美鈴池。誰もいなく静かでした。

エーガ愛好会 (198) ジェイムズ・ディーンのこと (普通部OB 舩津於菟彦)

主演映画はたった3作。1955年 映画「エデンの東」。「理由なき反抗」。大作「ジャイアンツ」1956年。わずか1年のスターダムだったにも関わらず、現在もジェームズ・ディーンが好んで履いていたジーンズが復刻されるなど圧倒的な人気を誇る伝説のスターである。「ジャイアンツ」の撮影終了から1週間後の1955年9月30日。午後5時59分、カリフォルニア州コレーム近郊の州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横から出てきた大学生のフォードと時速135キロで衝突し、ディーンは即死した。

本名ジェームズ・バイロン・ディーン1931年2月8日~1955年9月30日はアメリカの俳優 身長175cmジミー・ディーンとも呼ばれた。インディアナ州マリオンで生まれる。9歳の時に母が病気になり農場を営む姉夫婦に彼を預け育てられた

18歳の時に州政府主催のスピーチ・コンテストでディケンズを朗読し優勝。卒業後、ロサンゼルスのカリフォルニア大学UCLA演劇科に進んだ。俳優業の修行の為大学を中退してニューヨークに移った。

1952年、レストランのアルバイトで生計を立てる一方、ディーンは名門演劇学校アクターズ・スタジオに応募者1000人、150倍という凄まじい競争率を突破して、歴代最年少の21歳で入学したディーンだがスゴ腕の女性エージェントに実力を高く評価され、彼女がテレビ界に売り込んでくれた。1954年23歳にブロードウェーの「背徳者」で若きアラビア人・同性愛者を演じて喝采を受けた。

ディーンは各種新人賞に輝き、その天賦の才に驚いた脚本家ポール・オズボーンは、自身が脚色を手掛ける新作「エデンの東」の主役にディーンを推薦した。「ジミーは私の演出でキャルを演じたのではなく、ジミー自身がキャルそのものだった」(エリア・カザン)。初出演の長編でアカデミー賞にノミネートされたのはディーンを含めて5人しかいない。
ニコラス・レイ監督は「エデンの東」を撮影中のディーンの演技に感動し、彼を主役にした映画を撮るために「理由なき反抗」の原案を自ら執筆。この作品でもディーンは等身大の苦悩するティーンエイジャーを演じ、1950年代の若者たちの象徴となった。
①「エデンの東」
一番だと思う。監督のエリアカザンが素晴らしい。1954年23歳にブロードウェーの「背徳者」で若きアラビア人・同性愛者を演じて喝采を受けた。

ディーンは各種新人賞に輝き、その天賦の才に驚いた脚本家ポール・オズボーンは、自身が脚色を手掛ける新作「エデンの東」の主役にディーンを推薦した。

原作はジョン・スタインベックの同名小説で、その後半部分をポール・オズボーンが脚色した。
1955年 映画「エデンの東」が完成し、映画では父親の愛に飢え苦しむ繊細な息子を鮮烈に演じきった。父母との愛。兄弟の愛。キリスト教徒でなくても感じる「愛」の映画だ。旧約聖書のカインとアベルをモチーフにして扱っているとおり、キャル(カイン)は兄、アーロン(アベル)は弟、とするのが正しい。しかし映画公開後、日本語文化圏ではキャルを弟、アーロンを兄として翻訳されている。原文では「お互い名前で呼び合う」「ブラザー(兄・弟の区別はない)と語る」「ふたりは双子である」ということを考慮して、字幕を訳し直した太田直子は、「兄・弟の区別を一切つけなかった」としている。
キャル役は観客に大きなインパクトを与え、アカデミー最優秀主演男優賞にノミネートされる。
②「理由なき反抗」
ジェームズ・ディーンの「ひねくれモン」の性格を最も強調された映画だ。あの下から見上げる様な「愁い在る顔」彼しか出来ない演技。
そしてプレイトウ少年(サル・ミネオ)の好演が光る。最後がどうも納得いかないなぁ。
③「ジャイアンツ」
保屋野さんの曰く:
ストーリーも面白かったけど、やはりE・テーラーの美しさが際立つ作品ですね。もちろん、R・ハドソンやJ・ディーン等の脇役も魅力的でした。
そして、あの主題歌とラストの名曲「テキサスの黄色いバラ」も良かった。
主題歌は確か小坂和也が「山よ谷よ・・・」と歌ってましたね。
「幸せは金で買えない」のは事実ですが、「金は幸せの大きな手段」というのも事実、まあ、何事も「ほどほど」なのが一番ということでしょうか。
保屋野さんご指摘の通りエリザベステーラーの映画だ。しかし、「ひねくれモン」ジェームズ・ディーンも負けては居ないが後半やや捻くれすぎては。保屋野さんご指摘の「お金では買えない物がある」からか。女流作家エドナ・ファーバーが12年の歳月をかけ執筆したベストセラー小説を映画化した大河ドラマである。
ドラマの中心となるベネディクト家は、移り行くテキサスを映す鏡である。監督のジョージ・スティーヴンスは、その日常的な細部を克明に悠然たるテンポの演出で描くことによって、雄大なテキサスのエピックを完成しようとした。リアリズムを基調として、澎湃たるテキサスの発達史を描きだそうとしたわけで、野心的な試みである。また、女性の自立の問題や人種問題など、21世紀になった現在でも直面している問題に対して、先駆的な問題意識を観客に届けている。
1955年9月30日。ディーンは銀色のポルシェ550スパイダー、ポルシェ初の市販レーシングカーでカリフォルニア州サリナスで行われるレースに向かった。彼自身、半年前に西海岸パーム・スプリングのレースで2位に入賞している。この新車は当初トレーラーで運搬される予定だったが、ディーンが慣らし運転をする為自らハンドルを握った。
夕刻、速度違反で切符を切られたが、その後も疾走は続いた。そして2時間後の午後5時59分、カリフォルニア州コレーム近郊の州道46号線と41号線の東側の分岐点で、横から出てきた大学生のフォードと時速135キロで衝突し、ディーンは即死、同乗者自動車整備士ラルフ・ウッタリックは車外に投げ出され、骨折したものの生命に別状はなく、大学生も軽傷だった。ディーンは故郷フェアマウントの公園墓地に埋葬された。
死後、「理由なき反抗」「ジャイアンツ」が公開され、人々は若き名優の夭折を惜しんだ。ディーンは「ジャイアンツ」でもアカデミー賞にノミネートされた。
「エデンの東」「ジャイアンツ」と、没後2年連続してノミネートされたのは、ハリウッドの歴史上ディーンただ1人である。

後年、事故現場には「James Dean 1931 Feb 8 – 1955 September 30 PM5:59 ∞」の字が刻まれたモニュメントが建てられた。彼が残した言葉として、「優しさこそ、ほんとうの強さだ」、「永遠に生きるつもりで夢を抱け。今日死ぬつもりで生きろ」などがある。

日本人でジェームズ・ディーンの関連の資料などの収集家として世界的に大西清太氏は神戸の実業家は、世界のオークションなどで彼の記念的な写真などを収集し、コレクターとして世界でも有名だったが、最終的に「アメリカで生まれたものは、アメリカに戻す」として、現地の博物館などに寄贈し、さらに自費で、世界的な彫刻家水井康雄にジェームズ・ディーンの記念碑として150トンの巨大作品(13m x 4,5 x 1.2m)の彫刻壁「希望の壁」を制作依頼した。
(グーグルより転載ー希望の壁)
1985年(昭和60年)ハリウッド映画界の神話と言われたジェームズ・ディーンのファンの大西清太が、アメリカの事故現場カリフォルニアのコレームにメモリアル彫刻を設置する意向で、《希望の壁》Le mur de l’espoir を依頼した。 水井は、3年間にわたって現地にも足を運び準備を進め、水井の住まいであるフランスのラコストの石灰岩を使用し、150トンの巨大作品(13m x 4,5 x 1.2)として完成したが、現地の土地の所有者との折り合いが最終的につかず、現地設置には至らなかった。本作には、ディーンの死は多くのファンを悲しませた絶望であったが、残された彼の映画作品がその絶望を開くという意味がこめられている。裏側には往時のディーンの顔が彫刻されている。作品は2006年(平成18年)ディーンの事故死から51年後に、水井の住まいであるラコストの庭に野外設置という形でおさまっている。

エーガ愛好会 (197) ジャイアンツ  (44 安田耕太郎)

原題Giant (単数形)に対して邦題「ジャイアンツ」は何故か複数形。5億バレル以上の巨大油田の事を業界ではジャイアント(級)と呼ぶとのこと。1バレルは約160リットル。5億バレルは800億リットル。日本の石油消費量は年間2,000〜3,000億リットル。ジャイアントの巨大さが理解できる。これが映画の題名の由来であった。もっと大きい油田はelephant(級) エレファント・象と呼ぶそうだ。舞台は1920年代のテキサス。アメリカではテキサスはカルフォルニアと並んぶ油田地帯。ロサンゼルス近郊でよく目にした、原油を採掘するために使う井戸である陸上の油井(ゆせい)では、地上から油層(原油を含有する地層)にボーリング穴を穿ち、パイプが入れられる。原油は、このパイプを通じて掘削機で取り出される。映画にも登場した多くの掘削機が林立する様は壮観だった。

南北戦争当時のジョージア州を舞台にした「風と共に去りぬ」、1,870年代のテキサスを舞台にした「大いなる西部」などと共に、テキサス州の牧場に住む家族の30年にわたる有為転変の人間模様の物語を時代の変遷と共に描いた大河ドラマだ。人間社会のパラダイム・シフトを予見させるような視点で描かれた映画でもあると思った。

59.5万エーカー(50km x 50km ほどの広大さ)の大牧場を経営するロック・ハドソンは東部の名門の娘エリザベス・テイラーを妻に迎える。ハドソン経営の牧場で働く使用人ジェームス・ディーンを交え3人の絡みを中心に物語は展開する。東部出身のせいかテキサスの空気に馴染めないテイラーの役柄は、やはり東部出身で苦労した「大いなる西部」のグレゴリー・ペックの役柄と合い通ずるものを感じさせる。だが両映画では両者とも、次第に地元にしっかりと根を張る逞しい生き様が描かれる。映画では主役3人のクレジットは、テイラー、ハドソン、ディーンの順で登場するが、映画を観てもテイラーが一番の主役だと頷けた。当時23歳のテイラーの美しさが際立っていた。娘役キャロル・ベーカーの実年齢は何とテイラーより1歳年長!60歳近い婦人まで演じるには少し若く綺麗すぎるきらいはあったが、それも致し方ないだろう。

ハドソン牧場のひねくれの若い牧童ディーン(当時24歳)が油田を掘り当て、黒い原油が地表高く噴き上がり彼が油をかぶり歓喜雀躍の感情を露わにするところ。物語が180度展開するきっかけとなった場面だ。

牧場の後継を拒絶して医者になる長男役のデニス・ホッパーは「理由なき反抗」に続いての出演で、15年後の「イージー・ライダー」の円熟に比べて初々しい姿が眩しかった。彼は周囲の反対を聞かずメキシコ人女性と結婚する。この人種に関わる物語展開は映画が描く重要なテーマの一つだった

ディーンは、密かに想いを寄せる憧れの人妻テイラーを彼の掘っ立て小屋に招いて、貴重な紅茶でおもてなしをする静謐なシーンは好きですね。両者とも実年齢は23〜24歳頃。ディーンの演技は嫌味もなく、テイラーの凛とした人妻の気高さと、にじみ出る優しさが素晴らしい。好い場面だった。

監督のジョージ・スティーヴンスは、「陽に当たる場所」に続いてテイラーを起用し、「シェーン」「アンネの日記」など秀作を演出した巨匠だ。音楽は巨匠ディミトリー・ティオムキン。枚挙に暇がないほど馴染みの曲が思い浮かぶ。「ローハイド」「ナバロンの要塞」「北京の55日」「アラモ」「OK牧場の決闘」「リオ・ブラボー」「真昼の決闘」「老人と海」「見知らぬ乗客」「赤い河」「西部の男」「不思議な国のアリス」など。「ジャイアンツ」の主題曲もテキサスのスケールの たおやかさ を醸し出していた。

ハドソンの姉は東部出身の義理の妹テイラーに冷たいが、使用人のディーンには優しく親切であった。しかし急逝する。少しばかりの土地をディーンに相続したが、家族は現金で買い戻そうとするがディーンは拒絶する。ブームに成りかけていた油田採掘の運に賭けたのだ。時代の波に乗り、油田を堀り当て石油成金の大富豪になったディーンは、ハドソンを凌ぐ金持ちになった。富を得たことで野望を果たしたが、ディーンは満足感・幸福感を持てなかった。憧れの女性テイラーは他人の妻で如何ともし難い。空虚感に苛まれ自暴自棄になって生活が荒れるのである。そして悟るのだ。富では幸せは得られないことを。

家族の不和、長男の後継者拒否とメキシコ女性との結婚、そして孫の誕生、娘の仕事選択にまつわるゴタゴタなど、人種問題や女性の社会に於ける立ち位置、人生の価値観と幸福感をテーマにしたような物語になっていく。最後は老いたハドソンが立ち寄ったレストランで黒人がサービスを拒否される現場を目撃して店主と殴り合いの喧嘩をする程のリベラルな人に変わっていく。夫婦は紆余曲折を経て、辿り着いた安寧と充足感に満ちた姿を見せるのであった。

(保屋野)掲題、久しぶりに観ました。西部を舞台とした(西部劇ではない)家族の物語。ストーリーも面白かったけど、やはりE・テーラーの美しさが際立つ作品ですね。もちろん、R・ハドソンやJ・ディーン等の脇役も魅力的でした。

そして、あの主題歌とラストの名曲「テキサスの黄色いバラ」も良かった。
主題歌は確か小坂和也が「山よ谷よ・・・」と歌ってましたね。

「幸せは金で買えない」のは事実ですが、「金は幸せの大きな手段」というのも事実、まあ、何事も「ほどほど」なのが一番ということでしょうか。

 

コロナは終息したのか?   (34 船曳孝彦)

新型コロナの感染者数が毎日発表され、先週と比べどの位少なくなったと報道されています。私には信じられないことですが、TVに登場する医師たちも含めて、感染者数の信憑性についてのコメントはありません。もちろん彼らも届け出ない、報告されない、ないしは検査すらしていない患者を含めると、この発表数よりはるかに多い感染者数であることは分かっているのに批判もしないでいるのは何故なのでしょう。後追いのコロナ終息宣言のための地ならしに加担しているとしか思えません。

では、本当はどうなのでしょう。減っているのでしょうか。発表数の減り方から見て、多分減ってはいると思いますが、言いきれません。何故なら死亡者数がどんどん増えていることを解析する必要があるからです。悪性度が高まっておらず致死率に変化がないとすれば、患者絶対数が増えれば、分子となる死亡者数が増えます。ただここで分母の感染者数のデータがないのです。国の威信を賭けて、なるべく近い推計値を算出すべきですが、サボっています。実は死亡数は急増しているのです。岸田政権になって丁度1年4か月。一昨年10月に死亡累計数は1万8千人だったものが、昨日は7万1千人と3.9倍に増えています。今の政府が死亡に直結する政策を採っているとは言いませんし、この増加を説明せよとは申しませんが、首相は少なくとも死亡者数増加に一言も触れておりません。死亡者の大部分が高齢者・ハイリスク患者です。ここでも先日述べました高齢者に冷たい根本姿勢があると思われます。

感染症分類5類への移行、イベント規制の解除、飲酒会食開放、そして海外からの入国推進など、コロナ卒業へと世の中は進んでいます。このムードに乗って終息宣言をしたいと、それだけしか考えていないのではないでしょうか。

後追いで収束(終息でなく)に向かうことは、もはや規定事実化しており、反対はしませんが、政府としては今やらねばならないことが山積しています。

①患者数の推計上の把握

②海外からの流入も含めて新変異株の動向(ゲノム分析まで)

③ワクチン開発

④第9波となった時の対策

⑤今後のワクチン接種方針

など、“先進7か国”などというには、欠かせないことだらけです。この時期にこそ官民の壁、省庁間の壁を排除し、知識、技術、データを一本化し、世界に示せるようにせねばなりません。

今後のワクチンの打ち方は年1回定時にという案が米FDAから提案されましたが、日本として専門家が検討したうえで方針化すべきです。そしてファイザーなどに馬鹿にされないよう新ワクチンを自国開発すべきで、国がそれを保護育成すべきです。新変異株に対応する新ワクチンを開発するのです。変異株が外れても開発費を保障する(大流行しなかった分良かったと考える)こともいいでしょう。今はむしろチャンス到来なのです。週刊誌ではネガティブキャンペーンすら始まっていますが、いわゆる5回目の2価ワクチンは有効です。2価のうちのオミクロン株からXBBなどBA系をターゲットとして新ワクチンを作るのです。応用可能なmRNAワクチンなので今からでも間に合います。ワクチン作成への流れを始動しておくべきです。さらに世界では、先進的にもっと違った次世代ワクチン開発(黒木)も始まっています。軍事予算のことを考える前にすべきことだと思います。 5類に移行すれば、患者としての受診が難しくなるなど、新たな問題が出てくることも予想されます。

すでにコロナ規制は社会的に崩れてしまっているとも言えますが、リスクを抱える人は慎重に行動してください。総感染者数累計は3,300万人です。ヴィルス自体は蔓延しています。人込みを避け、避けられないとき(電車など交通機関、デパート・スーパー、イベント等)は必ずマスクをしてください。皆さんもうこの3年ですっかり身についた処し方を変える必要はありません。

清浄な空気のもとで、仕事上を含めて、友人・知人と、直接逢って会話、飲食をし、交流を深めて人生を楽しみましょう。そうですコロナ前のような生活に段々と戻して行きましょう。

キミは ”オリエント急行殺人事件”を観たか? ー ミステリへのお誘い

先日、エーガ愛好会の各位には、BS放映の オリエント急行殺人事件 をお勧めした。もちろんミステリ作品として完成されたものではあるが放映されるバージョンの俳優の豪華さ、というエーガの観点からのおすすめでもあった。残念ながらあまり話題にもならなかったので、再度、ミステリへのご招待というつもりでの、偏屈親父からの投げ文である。

ミステリというのか推理小説というのかわからないが、文学に推理という要素を取り入れた領域を創設開拓したのは、エドガー・アラン・ポー であることになっている。 アッシャー家の没落 の一種独特な雰囲気は専門筋ではゴシック文学というらしいが、黄金虫 は暗号を解くという意味では推理がメインであるし、推理小説の源泉、とされている モルグ街の殺人 には、確かにその後のこのジャンルの基本的要素が素人にもわかる。この分野の専門家、三橋暁氏はグーグルで次のように述べている。

シャーロック・ホームズの誕生と英国の近代史は、切っても切り離せない関係にある。初めてホームズの物語が書かれた19世紀ビクトリア朝の英国は、産業革命による近代化の途上にあって、勧善懲悪の社会システムともいうべき近代的な警察組織の整備が急速に進められつつあった。(中略) いっぽう、この国には、ブロンテ姉妹の『ジェイン・エア』や『嵐が丘』などに連なるゴシック・ロマンスという恐怖小説の伝統があって、この系譜は大西洋を挟んだアメリカへも飛び火し、影響を受けたポーは『モルグ街の殺人事件』などを発表した。ディケンズがミステリーの趣向もある『荒涼館』を世に問うたのもこの時代である。

同じグーグルでに記載されている記事によると、史上最良の推理小説、とされるのはジョセフィン・ティの書いた 時の娘 だそうだ。以下、第二位はレイモンド・チャンドラーの 大いなる眠り、ついでル・カレの 寒い国から帰って来たスパイ と続き、第五位がアガサ・クリスティの アクロイド殺人事件 である。時の娘 では病院生活を送らなければならなくなった探偵が助手の力を得て資料をあつめ、英国王室のなかで暴君とされてきたリチャード三世が、実は名君であったことが立証される。このベッドサイドディテクティブという着想が非凡であるし、英国史に詳しい人ならば一段と興味が湧くだろう。日本では高木彬光が同じ手法で、彼のシリーズキャラクタである神津恭介を入院させ、(それじゃあ 時の息子 でも書くか)という羽目にしておいて書いたのが、成吉思汗の秘密 という作品でこれは一部の人に知られている 源義経は死なず、シベリアから蒙古にわたって成吉思汗になった、という伝説を真面目に立証したもので、小生は一読してこの説の信者になった(実は今でも真剣に信じている)。壮大なロマンとしてでも一読の価値があると思うのだが。

三橋氏の解説にもあるが、推理小説というジャンルは、ビクトリア王朝から現代へかけての英国の文化人の一種の高等な趣味としても発展したとされていて、たとえば G.K.チェスタートン(ブラウン神父シリーズ)、A.E.W メイソン(矢の家)、ニコラス・ブレイクという筆名を使った桂冠詩人セシル・ルイス(野獣死すべし)、 熊のプーさん の原作者、A.A. ミルン(赤い館の秘密)などが優れた作品を残し、ほぼ同時代に登場したアガサ・クリスティなどとともに本格派推理小説、というジャンルが完成する。ミステリの女王、と愛されたクリスティのそして誰もいなくなった やアリバイ崩しが得意だったクロフツの 樽 などがこの時期の代表作として挙げられるが、この ”文化人の手すさび” という気質が当時発展の途上にあり、英国とのいわば覇権争いを始めたアメリカに伝染し、S.S.ヴァン・ダイン(本名はウイラード・ライトという美術評論家)や本格派のニューヨーク版ともいえる作品を書いたエラリー・クイン(従兄弟二人の合作の筆名)などが現れる。その代表作としてはクインの傑作とされる Yの悲劇 や ギリシャ棺の秘密 フランス白粉の秘密 などの国名シリーズ、これに対抗した 僧正殺人事件 や グリーン家殺人事件 など、ダインの十二冊 と言われる、一連のファイロ・ヴァンスものがある。

これらの作品はいずれも犯人あてのための仕掛けに緻密な工夫が凝らされていくが、トリックの創出合戦がこれでもか、というようになってくると、時として追いかけて理解するのに疲れてしまう。またダインの作品には著者の自己顕示欲というか、美術をはじめとした衒学趣味がありすぎて嫌味と感じられる時もある。このいわば爛熟というか乱発気味になった推理小説に一種のルール、を提供したのが ノックスの十戒 と言われる主張(ロナルドノックスはイギリスの聖職者・神学者で推理作家)である。いわく、

  1. 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
  2. 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
  3. 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない
  4. 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
  5. 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
  6. 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
  7. 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
  8. 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
  9. サイドキック(注:ワトソン役を果たす人物))は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
  10. 双子一人二役は、予め読者に知らされなければならない。

御大クリスティの代表作 アクロイド殺人事件 はこのルール破りだ、というのが定説である。さらに第五項は当時の世相を反映していて、現在には通用しないのは明らかだ。いろいろ長くなったが、要は、ミステリというものが食わず嫌いの人も多いようにお見受けしますが、一度読んでみませんか、というのが趣旨である。難しい理屈はともかく、なんといってもミステリの醍醐味は犯人の意外性、というショックにつきる。そういう意味で、ま、だまされたと思ってクリスティの アクロイド殺人事件 アイリッシュ の 幻の女、読んでみませんか。

八ヶ岳南麓の朝です  (グリンビラ総合管理 ホームページから転載)

 

今日は晴天ですが、思ったよりも雪解けが進んでいないような・・・?明日も冷え込みが厳しそうなのでまだ暫く凍結には注意が必要です。

さて、先日お休みをいただいて白馬へスキー旅行をしてきました。長女と主人はゴンドラに乗り楽しそうに滑っていましたが私は次女の相手でソリをしたり、雪玉を作ったり背負って登ったり、抱っこして滑ったり・・大きなゲレンデを目の前に修行のような旅行となりました.まあ、唯一の楽しみ(?)の昼のビールは至福の時でしたが。。。(武藤)

エーガ愛好会 (196)エンディングシーンを語ろう  

エーガの楽しみは尽きないが、そのエンディングシーンは作品の印象とともに心に残るものだ。愛好会メンバーのやり取りの中で、ワイオミング州に位置するグランドティトン国立公園のことが取り上げられた結果、話がこのエンディングに飛んだ。

(中司)グランドティトンとは僕にとっては シェーン のラストシーンでアラン・ラッドが去っていくカットが撮影された場所、であります。社長のドライバー役でララミーから1日ドライブして、泊まったホテルの名前は忘れましたけど、おあつらえ向きにただただゴージャスな夕陽を見た場所、でもあります。あの夕陽の荘厳さに比べればイエローストーンなんてのはなんということも感じませんでした。その後、ユーゴ―・ウインタハルタの カナダの夕陽 がイージーリスニングでは 白い恋人たち とともに小生の大の愛聴歌になったのはたぶんこの夕陽のせいです。

(小田)グランドティトンでお泊まりになったホテルは、《ジャクソンレイク ロッジ》ではないかと思います。一面ガラス張りのレストランに掛かったカーテンを西日が当たる頃は閉めておき、夕陽が山にかかるとサット開け、皆拍手喝采!

(安田)僕の映画エンディング・シーンBest 4です。

(中司)シェーンの有名な ……..Shane, come back !   という ブランドン・ウイルドの声が響くこのカットの後、ラッドが雪の中を去っていくのが最後の最後ですけど、この時、ラッドは右手だけで手綱を持ち、左手はぶらりとさげていました。ジャック・パランスとの決闘(映画史上最速の早撃ちだったと言われてますね)で確か負傷していたはずなので、そのリアリティに感心したものです。

第三の男 のあまりにも有名なラストシーンですが、このカットのあとジョセフ・コットンを載せて帰ろうとジープで待っていたトレヴァァ・ハワードがコットンの気持ちを察してか、苦笑してそのまま去っていってしまう。このカットが僕にはジーンときましたね。男にしかわからない感傷でしょうが。
カサブランカ のラストは貴兄に同感。
荒野の決闘 はこのカットもいいですが、フォンダが馬上から(馬から降りなかったのがまた、いい)キャシイ・ダウンズの頬に触れて去っていく場面もよかった。降りて、ハグなんかしたらこの作品の後味はすっかり変わったでしょうか。
(菅原)去り行く美学なんて言葉あるのかな。「カサブランカ」は、その点で余り印象に残っていない。

(小田)美学か分かりませんが、ラストシーンが印象的な映画…で思い出すのは、皆様が挙げた他では;さらば友よ」(’68年)です。内容はあまり覚えていませんが、音楽が良かった事と、アラン・ドロンがチャールズ·ブロンソンにタバコの火を付けてあげるラスト シーンが有名になりました。

(安田)受け取り手によって“美学”になり得たり、或いは心寒しにも。映画にはそれらしきシーンは沢山ありそうです。例として挙げた映画に於ける去り方に加えて、「黄昏のローレンス・オリヴィエ役、「哀愁」のヴィヴィアン・リー役の去り方をどう捉えるか?
「カサブランカ」のハンフリー・ボカートの去り(別れ)方は物議を醸して当然。僕などの俗人は、君の瞳に乾杯!を貫徹して駆け落ちしたくなるかも。それも美学!
(中司)モロッコ の砂漠に残される靴のシーンとか、望郷 のジャン・ギャバンが去っていくミレーユ・バランを柵越しに見送るラスト、なんてのはいまや伝説なんだろうか。
思い出したけど、ジャン・ギャバン、てよかったよなあ。