“秋葉原の半日” 読みました  (HPOB 安斎孝之)

私も小学校のころからの秋葉原通いを思い出しました。当時大宮に住んでいたので30円の硬券を握りしめて秋葉に通っていました。当時子供料金で30円ぐらいでした。まだ自作の真空管ラジオは失敗ばかりでしたがそれなりに部品集めや主にジャンクに漁りが目的でした。

ジャイさんと同様に中学時代にアマチュア無線を始めましたがちょっと自作まではいかずFD-AM3という当時の井上電機(いまのICOM )の名器を手に入れて夜遅くまでもっぱらラグチューに夢中になっていました。それでもアルミシャーシの加工用にリーマーやハンドニブラー、真空管時代の80Wのはんだごてなどいろいろ持っていました。最近は自作なんて全然できませんが一応半導体用はんだごてとはんだは常備しています。もちろんテスターも。

いつもラジオデパートは上から地下までくまなくパトロールです。なのでシャッターだらけの今は本当に寂しいです。もはや秋葉原は電気街ではなくオタクの街になっているので。若松通商や秋月通商までの道のりで多くのメイドさんに声をかけられる(最近はさすがに爺なので少ないですが)がなんともです。今でも真空管にチャレンジされているジャイさんは素晴らしいし、うらやましいです。最近は自宅の家電も半田ごてで治せるものがないのがさみしいです。