今の場所に引っ越して以来、すっかりなじみになっていた本屋が閉店するというので名残惜しくなって立ち読みに寄った時、偶然、タイトルにつられて買った本である。アマゾンで調べて原書も手に入れることができた。
この本、表紙に書かれている賛辞によると素晴らしく考え抜かれたミステリ、という事なので期待して読み始めた。シカゴで長い間荒っぽい警官生活を勤めた主人公が引退近くに離婚し、アイルランドで全く違った環境でゆっくり余生を過ごしたいと見知らぬ田舎町に家を買う。古い家なのでいろいろと手を入れなければならず、隣人のアドバイスも受けながら大工仕事をやっているところへ、見知らぬ少年がやってきて、いなくなった兄を探してくれと頼んでくることから始まる。原書にしてほぼ400頁の作品なのだが、期待しつつ読み進むうちになんとなく違和感みたいなものがでてきた。200頁を過ぎても一向ミステリらしい雰囲気にならないのだ。話はともかく兄の結末を見届けるところで終わるのだが、主人公が一度、闇討ちに遭って怪我をする以外、アクション描写もなければ悪漢も出てこないし悪女も現れない。ほぼ400頁の間、主人公は村人に会い、山を歩き、また人に会う。そしていつの間にか、探していた少年を探し当てる。どこがミステリなんだ、と思っているうちに終わってしまった。子供が一人、行方不明になる訳だから、それなりの騒動があってもいいのだが、警察も一切でてこない。それがアイルランドとシカゴの違いなんだ、と納得してみても、どうも読み終わった満足感がないのだ。
この主人公は料金も払ってもらえない子供の願いをかなえてやろうと、そのコミットメントに愚直なまでにただ歩き回り、行動する。難しい理屈も不満もとなえない。違和感が消えないままとにかく読み終わってから、待てよ、これはまさに ハードボイルド文学 の原点なのではないか、という気がしてきた。報酬にも世間の評価ももとめず、ストイックに自分の意思をもちつづけることだけが原理であり、話が終わればまた、自分の生き方にもどっていく。”長いお別れ” でマーロウは友人だと思っていた男と別れ、その足音が遠のいていくのを黙って聞く。出会いがあり別れがある、それだけ。
ニューヨークの批評家がなんといおうと、これはミステリじゃない。これはシカゴやサンフランシスコの裏街ではなく、草深いアイルランドを描いた、優れたハードボイルド文学だ、というのが読後感であった。