内海哲也引退 ー 巨人の星がまたひとつ去った

今朝の新聞は西武に移籍していた内海哲也の引退を報じた。小生がジャイアンツ戦のテレビ放映を見始めたのはまだ ”実況放送は越智正典、解説中沢不二夫” のころ、小生は高校2年。当然白黒テレビで画面構成もシンプルなもので、浅海昭なんかと一緒に観ていたりした記憶がある。当時の若者のスポーツは野球がほとんどだったが、自分自身で積極的にやったわけではなかったし、実際にジャイアンツを当時の後楽園に見に行ったのは一度だけ、仲の良かった平光清が主審をつとめた対カープ戦を見に行った経験しかない。当日はごひいきの淡口憲治がホームランを撃ち、試合終了で引き揚げる平光と座席から挨拶をしあって満足して帰宅したものだった。

その後もテレビ専門での一ファンにはすぎないが、2000年度最終日、同率で迎えた対中日戦、土壇場の9回裏に 4-0から満塁とし、江藤がドラマチックに満塁ホーマーで同点、興奮がまだ渦巻いている間に二岡が右翼席に決勝弾を撃ち込んだゲームとか、坂本の初ホームランとか斎藤の初登板(リリーフ)などというようなファンにとっては意味のある場面も見ている。その中で内海を初めて見たのがどういう場面だったかは覚えていないのだが、アナウンサーが(このピッチャーはどんなもんでしょうか)と聞き、解説が(まあまあじゃないですか)と無難

山口引退のときのシーン

に答えたのだけはどういうものか覚えている。その後ごひいきにしたのは山口鉄也で、この ”ふたりテツヤ” が活躍したころは見るほうでも納得することが多かった。

プレーヤーとしての技量をうんぬんする能力は小生にはないので意見は差し控えるが、テレビ画面からも伝わって来る人柄の良さ、温厚な中に秘めた闘志、というようなものがとても好きだった。そういう意味ではいくら勝とうが好きになれなかったのが沢村であり上原だった。

スポーツ観戦、というのはもっとゲームとかプレーとかに集中すべきだと思うので、人柄、などをうんぬんするのは邪道だとは承知の上の回想である。好漢、今後の健闘をいのるや切。

 

 

 

 

エーガ愛好会  (167)燃える平原児

全く偶然に放映を知り、そのまま見続けてしまった。小泉論文が届く前に一言書いてみようか。

プレスリーの映画はかの ブルーハワイ 以来、見たことはなかった。エレガント志向なのに田舎のあんちゃん的雰囲気が好きで、カントリーソング系はずいぶん聞いたが、映画人としてはイメージがわかなかったからだ。

出てくれば大体悪役が多いジョン・マッキンタイアが珍しく善玉の見本みたいな

, John McIntire

役で、またいろんな作品で2列か3列目の助役しか見てこなかったスティーヴ・フォレストが実質的な主演というような位置づけの、いくつかほかにも例のある先住民族対白人、というアメリカ西部特有の禍根がストーリーの主軸になっている作品だ。同じ人種差別と言っても白人対黒人、という場合が黒人が未開地から、初めから奴隷としてつまり劣等人種としてとらえられてきた結果でいわば表面化がしにくかった(つまりつい昨今まで、人種間の現実の戦闘行為はなかった)のに対し、

Steve Forrest

先住民族の場合は当初は恩恵を受けていながら白人種が一方的に敵視に転じ、”フロンティア開拓” などという一方な政策の結果、血みどろの戦闘を生みそれによる生死の遺恨がある、という歴史がある。その間には有名な ウーンデッド二― の悲劇やかずかずの、白人が引き起こした数々の史実は明らかにジェノサイドであり、今日米国が振りかざす人権意識など、いわば (良く言うよ!)と思えてくる。ここのところ、安倍氏暗殺事件がきっかけとなったのか、また原爆記念日のこともあって、前大の回顧記事が頻繁に報じられる。アメリカがもし相手がドイツだったら決して原爆は投下しなかっただろう、とはよく言われることであるが、そんなことまで思いを馳せてしまった、小生にとってはある意味で後味の悪い映画だった。セーブ劇、としての爽快感もないしガンファイトの場面なども月並みの、小生の眼からは二流の作品だった。もちろん、わが ”エルヴィス“ くんに(それほどの)落ち度があるわけではないのだが。

ウーンデットニーの虐殺

1890年、アメリカの騎兵隊によって約350人のインディアンが虐殺された事件。インディアンの組織的抵抗の最後となった。 1890年12月、アメリカ中西部のサウスダコタ州、ミシシッピ川の支流ホワイトリヴァーの河畔のウーンデットニー Wounded Knee (傷ついた膝)で、アメリカ合衆国騎兵隊によって、スー=インディアンの約300人が虐殺された。1830年のインディアン強制移住法に始まるアメリカ合衆国によるインディアンに対する殲滅作戦はほぼこれで終結し、インディアンはその後、各地の居留地に収容されて生活を続けることとなる。これは、アメリカにおけるフロンティアの消滅を意味している。

(小泉)エルヴィス・プレスリーが、主演した西部劇。先日公開された映画「エルヴィス」で再び歌手としての名声が呼び戻ったが、映画出演も生涯33本にも及んでいる。本人は当初演技派を目指し、映画内の歌には興味がなかったというが、制作する方は、ミュージカル風の明るい青春映画で挿入歌付きのもの「GIブルース1960」「ブルーハワイ1961」「ラスベガス万歳1963」や「エルヴィスオンステージ1970」「エルヴィスオンツアー1972」等といったコンサートのドキュメンタリー的に記録したものが多かった。しかし出演した西部劇3本「やさしく愛して1956」「燃える平原児1960」「殺し屋の烙印1969」は歌よりも演技に力が入っていた。特にこの映画は、あのクリント・イーストウッドを開眼させた「ダーティ・ハリー1971」の監督ドン・シーゲルの作品らしく、硬派な作りで、無駄のない構図と編集で緊張感がみなぎる。

白人の父、カイオワインディアンの母から生まれ、両方の血を受けた次男ベイサー(エルヴィス・プレスリー)の葛藤と覚悟を人情劇というよりも、根深い差別をテーマにしたアイデンティティという視点で描いている。一家の長としての存在感を示す父バートンをジョン・マッキンタイヤ、インディアンの母ネディをメキシコの大女優ドロレス・デル・リオ、白人の前妻との長男クリントをあのダナ・アンドリュースの弟スティーヴ・フォレストとその婚約者ロズリンをバーバラ・イーデンと脇役陣を演技派で固めている。

イントロの長男クリントの華やかな誕生パーティシーンから一転、隣家がインディアンに襲われるシーンは白人の頭をかち割り、火矢で家屋が炎上する。タイトルから流れる主題歌Flaming starとパーティでギター片手に唄うカントリー・ウエスタン調の曲のみがエルヴィスの歌唱で、俳優業に専念したいという意思の表れがその演技の中に表れている。酋長が白人との戦いを決意したバッファロー・ホーン(ロドルフォ・アコスタ)に代ったことから、白人とカイオワ族との和平を探るベくペイサーと母ネディが部落へ出向き折衝するも不調、その帰り、白人に母が撃たれるも、医師の派遣を拒んだ白人たちをペイサーは恨むことになる。また父バートンは一人牛を運ぶ途次、酋長の意に逆らったカイオワ族の戦士たちに撃たれてしまう。母の仇として白人を憎み父の仇としてインディアンを憎んだ男が最後には、白人の兄への希望を託し伝承通り死んで行く。

原名Flaming Star光り輝く星とは、インディアンは死を迎えるときに輝く星を見るという言い伝えから来ており、母親も、ペイサーも輝く星を見たことで死んで行く。白人と結婚したことで同族からも蔑視された母親。ペイサー最後のセリフ、「いつか偏見のない時代が来る筈だ。死の星が迎えるのを見た。丘へ行って死ぬよ。」この映画を観ていて、白人とインディアン両者の立場を公平に描いている点は評価するが、どうにも、善悪どちらの肩を持つのか、出来ないのは辛い。スッキリしないのだ。エルヴィスとしては、人種間の誤解や不寛容さに若者特有の悲しみをたたえた表情で苦悩する青年を渾身の演技で表現していたといえるのではないか。

(小田)歌のシーンが多く、女の子に囲まれてニコニコしているエルヴィスと違い、25歳の若々しく、真剣に演じているエルヴィス……素敵です。お兄さん役の《スティーブ·フォレスト》も知的な感じで良いですね。

荒涼とした西部とエルヴィスのビシッと決まったヘアスタイルはちょっと不自然な気もしますが…。エルヴィスの歌はロックより、映画の挿入歌が好きですので、《Flaming Star》はよく聴いています。
(安田)エルヴィスが34本も映画出演したとは知りませんでした。25歳のエルヴィス初々しく溌剌として、俳優一本でも大成したのでは。ミッキーさんの “西部の荒野と彼のリーゼントスタイルのアンバランス” 言い得て妙です。同感です。
白人と先住民との混血役ピッタリ。考え抜いた末の邦題でしょうが、彼の歌う主題曲「Flaming Star」は良かった。

乱読報告ファイル (27)  朝井まかて と鴎外  (普通部OB 菅原勲)

ここのところ女流作家、朝井まかてに入れ込んで、「白光」(イコン画家、山下りんの伝記小説)、「類」、「福袋」(短編小説集)と続けざまに読んだ。この「類」と言うのは、森鴎外の子供たち、オットー、マリー、アンヌ、フリッツ(夭折)、ルイの末っ子、類のお話し。

鴎外の先妻の子であった於莬は、長男らしく医者になったが、この類は、何も職を持たず、相続した鴎外の印税を食いつぶした高等遊民。しかし、世の中よくしたもんで、奥さんは極めて出来た人で、自分の嫁入り道具を質に入れるなど典型的な糟糠の妻。それが亡くなったら、直ぐに後妻を娶る。この辺から、ボンクラな小生、主人公に感情移入するのが苦しくなった。結局、類は「鴎外の子供たち」(小生、読む気は全くありません)って本を書いて、兄弟のことを赤裸々に描いてしまい、それまで極めて仲が良かった杏奴からは終生、絶交状態。

どうも於莬と鴎外の後妻とは仲が良くなかったらしい。と言うより、後妻の志げが於莬を嫌っいたのが事の真相のようだ。でも、於莬は長男らしく、最後まで一家の面倒を見たようだ。

森鴎外は、林太郎が外人には発音しにくいことから、子供にオットー以下の名前を付けたそうだが、そこまで外人に阿る必要は果たしてあったのだろうか。例えば、RobertはBobだから、林太郎はRin/Linでも良かったんじゃないか。この辺はいささか納得できない。

そこで思い出してみれば、鴎外の作品は「山椒大夫」、「高瀬舟」しか読んでいない。そこで一念発起、「青年」を読み始めた。余り面白くない。と言うより、5歳も年長の鴎外が漱石の「三四郎」の向こうを張るなんて大人気ないとしか思えない。どうも鴎外は糞味噌だ。でも、巷では、日本を代表する大作家のようだ。

(金藤)森鷗外の作品、といっても私は現代国語で、近代日本文学の作家と代表作として                                 森鷗外   舞姫 高瀬舟    徳冨蘆花  不如帰 泉 鏡花  高野聖 二葉亭四迷 浮雲   などと作家の名前と作品名だけ覚えただけで、本は読んでおりません。

ただ森鷗外の子供達の名前は、授業中 参考資料に出ていて他にはどんな名前があるかしら? エミーとか?メイとか? リナ ルナは?などとお喋りしていました。 今では普通ですね。
 長男 於菟 おと オットー
 長女 茉莉 まり マリー
 次女 安奴 あんぬ
 次男 不律 ふりつ フリッツ
 三男 類  ルイ
この命名の仕方は森鷗外の孫たちにも伝わっていて、長男 於菟の子供の名前は
 長男 真章 マスク (鴎外 命名)
 次男 富  トム  (鴎外 命名)
 三男 礼於 レオ
 四男 樊須 ハンス
 五男 常治 ジョージ
森鷗外の愛娘 森茉莉の息子の名前もユニークでした。山田 𣝣 (父親と同じフランス文学者) じゃく と読むそうですがシャクとしか読めませんし𣝣の字も大(だいかんむり)です。 Jack ジャックからでしょうが、この孫の名前も森鷗外が命名したそうです。
(下村)既にご存じかもしれませんが、鴎外について最近知ったことです。
一つは夏目漱石が修善寺で血を吐き深刻な事態におちいった、いわゆる修善寺の大患のとき。それを知った陸軍軍医総監の鴎外が部下の医師を派遣し、見舞ったという話です。同時代に文豪と称される偉人が二人もおり、両者の関係はどうだったのかが気になっていたのですが、長いあいだ気になっていたことが氷解しました。
二つ目は明治期の軍隊、特に陸軍で脚気が蔓延しこれが原因で亡くなる兵士が続出したときの鴎外の対応についてですが、元気の元は白米にあり白米さえ食べていれば病気にはならないはず、脚気の原因を細菌によるものと頑なに自説に固執し、兵士の食事内容を改善しようとしなかった。このため陸軍では脚気で亡くなる兵士が続出し、献立に洋食を取り入れたり麦飯を組み入れた海軍ではほとんど脚気が発生していなかったといわれています。軍医の最高の立場にあって、部下の進言にも耳を貸さず、科学的な検証もせずにいたずらに自説にこだわり続け、解決を長引かせてしまった罪は非常に重いと言わざるを得ないと思います。
ある分野で卓越した業績を上げるとその人はすべての面で模範の人物として評価されがちですが、100%完璧な偉人はいないという証左でもありますね。

エーガ愛好会 (166) ひまわり   (44 安田耕太郎)

第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。

戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描いた、もはや古典ともなった悲恋メロドラマ+反戦映画の秀作。もの哀しくも美しいメロディーの主題曲は映画音楽を沢山手がけたヘンリー・マンシーニ作品の中でも最右翼に挙げられる名曲だと思う。現在ロシアに侵攻されている、ウクライナの首都キーウから500キロ南、クリミア半島のすぐ北のヘルソン地方の地平線まで埋め尽くされた“ひまわり畑”は壮観で美しい。その美しさと引き裂かれた夫婦の悲惨な好対照の光と影には理不尽な無情感が滲みでている。

イタリア・ナポリ女の真骨頂、情熱的なソフィア・ローレンと、
ソ連版「戦争と平和」で衝撃的なデビューを飾ったスラブ・ロシア人の可憐なリュドミラ・サバリーエワの好対照が映画のテーマを鮮明に際立たせ、見応えがあった。
結婚間もなくソ連の戦場に送られ、極寒の地で凍死寸前に地元の美しい女性に助けられたローレンの夫役はマルチェロ・マストロヤンニ。このイタリア人美男スターは二転三転する運命に翻弄される難しい役を見事に演じた。過酷な戦争体験で記憶を失った彼は異国の地で彼女と結婚、子供を授かり幸せな生活を送る。
一方、イタリアに残された妻ローレンは夫の生存を信じ、終戦から8年経てスターリンの死後(1953年)、少し解放されたソ連へと夫探しに出かける。苦労の末、夫が暮らす家を探し当てたが夫は留守。だがそこで結婚した妻と子供の姿を目にする残酷な体験をして、ソ連をあとにしてイタリアへ帰る汽車を待っていると、その汽車から夫が降りてきて二人は距離が離れたまま見つめ合う。
記憶も甦り引き留めようとする夫だったが、妻は振り向きもせず汽車に飛び乗りイタリアへ向かう。列車内では絶望に打ちひしがれ独り号泣する妻の姿があった。
駅で別れた後、夫は放心状態になりロシア人妻との生活も“心ここにあらず”となる。妻は夫に問う「もう愛していないのですか?」と。暫く経って、彼は妻にイタリアへ行って会って来ると伝へ、ローレンへのお土産の毛皮を持参して独り旅立つ。イタリアに着くと早速妻の居所を探し当て訪ねる。妻に、悲惨な戦争と瀕死状態のため記憶喪失に陥り助けてくれたロシア人女性と結婚した致し方なかった事情を説明する。ローレンは半信半疑で「言い訳でしょう」、と返す。彼は真剣な面持ちで彼女に訴えかける「二人で元の結婚生活に戻ろう」と。その時、家の奥から幼児の泣き声が聞こえて来て、彼は頭が真っ白になるが、全てを悟り、新しい結婚生活を始め子供もいる彼女の元を去り、ロシア人妻のもとへ戻る決意をしてミラノ駅に向かう。エンディングはミラノ駅の駅舎ドーム建物が大写しで映画は終わる。監督は「自転車泥棒」の名匠ヴィットリオ・デ・シーカ。彼は映画「終着駅」(1953年)ではジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフトの悲恋メロドラマをローマの中央駅(テルミニ・終着駅)を舞台にして描いた。
(船津)「ひまわり」を皆様は観たのではのではと思います。泣けますね。戦争は色々な悲劇を生み、決してやっては成らぬモノのハズですが、ウクライナで連日同じ事を繰り返しています。平和のありがたみを熟々感じます。恋人とか妻を斯様な事にならずに済んで何よりでした。

駄作 ヒットラーの最後の12日間」も観ましたがつまんないなぁ。ヒディ奴だぁ。

(保屋野)監督、俳優、音楽、シナリオの4拍子揃った名作だと思います。特に、チビ太の写真にもあった、ロシア人女優(リュドミラ・サバリーエワ)が魅力的でした。

「ソフィア・ローレン」はイタリアを代表する女優ですが、「クラウディア・カルディナーレ」は「山猫」で観ましたが、未だ未放映なのが「ジーナ・ロロブリジータ」、彼女の映画も観たい。また、美人ではありませんが、「ジュリエッタ・マシーナ」の「道」~ジェルソミーナ役も良かった。

あの,ニノ・ロータのテーマ曲をトランペットを吹くシーンは忘れられません。(ひまわり、のテーマ曲は「ヘンリー・マンシーニ」でしたね。) 飯田さんから頂いた「刑事」もそうですが、イタリア映画は俳優、音楽等ハリウッドとは違った魅力があります。

(下村) 「ひまわり」はもう何年も前に見たことがありますが、あまりにも切な過ぎて今はもうとても見る勇気がでません。貴兄の解説の途中からもう胸を締め付けられるような感じになります。 年とともに涙もろくなり、ストレスに弱くなっているような気がしています。

(編集子)小生たちの年代がはじめてイタリア映画を意識したのは 自転車泥棒だったのではないかな。”イタリアンレアリズモ” なんていうエラソーな言辞をもっともらしく聞いていた時代だった。この “ひまわり” という映画のタイトルが、名前が思い出せないが、北方謙三のHB作品の中で主人公の背景を書く小道具として使われていたのを思い出す。

八ツ南麓:夏はそろそろ終わりです(グリンヴィラ総合管理ホームページから転載)

火曜日から次女が発熱してしまい、お休みしている間に長女が宿題を少しずつ進めていました。牛乳パックで楽器を作ったり、夏休みの作品をつくったり・・・

海で拾ってきた貝殻を使って小さな砂浜を作成。誰に似たのか女子力高めの作品となっております。学校の作品展から帰ってきたらどこかに飾ろうと思います。

(編集子)今朝の気温は24度を割るくらい。コロナ騒ぎで二た夏遠ざかっていたあいだ、また一段と緑濃くなったミズナラの葉っぱから落ちる雨粒が冷たい。明日から来るという台風でまた秋が近くなるようだ。

エーガ愛好会 (165) サンダーボルト  (普通部OB 菅原勲)

「サンダーボルト」(Thunderbolt & Lightfoot。1974年)を見る。確かこれで二回目の筈。

監督と脚本は「ディア・ハンター」(Deer Hunter。1978年)のマイケル・チミーノで、彼の処女作。主な出演者は、クリント・イーストウッド(以下、東森と省略)、ジェフ・ブリッジス、ジョージ・ケネディーなど。女優は、銀行強盗する際のブリッジスの女装以外は見るべきものなしの女っけなし。

銀行の金庫を20ミリ機関砲で破壊すると言う独特の手口で名を馳せたサンダーボルトこと東森が主人公。ご多分に漏れず仲間割れし、ケネディー以下から、東森が体よく逃げ出したところで、運よくブリッジス(Lightfoot)に助けられる。一方のブリッジスは、根無し草な生活を送るコソ泥。格好よく言えば、つまり、犯罪に熟練した朝鮮戦争世代の中年男と、当時ようやく終結したベトナム戦争世代の若者との奇妙な友情を軸に、米国中西部(主にモンタナ州)を舞台としたロード・ムーヴィーの形式で当時の米国社会を描いている。

なかでも、コソ泥を演じるブリッジスが良い。特に、湖畔で東森から彼の犯罪歴を聴くくだりは誠に秀逸。この時、ブリッジスはまだ24歳(1949年生)。しかし、その後のブリッジスは殆ど見ていない。

最後は、金を手に入れるのだが、その車中で、ケネディーに殴られた後遺症でブリッジスは死んでしまう。この辺が、チミーノの独特のところだろう。ハッピー・エンドの万々歳ではなく、寂寥感を残して終わるところが。東森は犯罪者なのだが、格好良すぎて様にならなかったが、ブリッジスは東森を圧倒した。

(編集子) 正統派西部劇の代表作、”真昼の決闘”は大御所クーパーが汚れ役とは言わないが彼の代名詞だった勇敢な正義の男、というイメージとはかけ離れた役で、リアルな描写が心に残る作品だったが、あとふたりの脇役の印象も深かった。一人はケティ・フラド、もうひとりがロイド・ブリッジス。ジェフ・ブリッジスも昨今評判が高いようだが親父の印象のほうが強いのはひいき目のせいだろうか。だがスガチューの感想には同感。

”電力問題”についての私見  (44安田君友人  蜷川洋一)

  1. エネルギー問題全般

エネルギー問題は保守かリベラルかといった政治スタンスとは無関係なはずである。エネルギー政策はサイエンスに基づき、経済性、安全性、持続可能性を評価して成されるべきで、これらは政治スタンスとは独立してしかるべきである。しかし、日本では(海外先進国も)これが密接にリンクしている。エネルギー問題を議論するとき、まず論者の政治スタンスが問題とされ、純粋にサイエンスの立場からの意見に対しても、政治的背景が問題とされることが多いのは不幸なことである。

原子力火力再生可能エネルギー脱炭素
保守維持or推進徐々に縮小導入に慎重推進
リベラル縮小縮小積極的に導入強く推進
小生の意見縮小維持技術開発推進、FIT,FIP反対

未熟な技術での導入反対

反対
    以下、小生の考えるところをまとめてみる。
  • 地球温暖化は定性的にはその通りだが、定量的には問題にするレベルではない
    脱炭素(カーボンニュートラル)の動きには反対。
  • 原子力は技術的未熟さ(使用済み核燃料問題)と万が一のリスクがあり、縮小すべきである。温暖化より放射能の方が遙かに怖い。
  • 火力は維持すべき。大規模水力発電と並んで出力調整が自在な発電方式で主電源を問わずバックアップとして必要問題は地球温暖化ではなく資源の有限性。
  • 以上の観点から再生可能エネルギーは必須であって、本命は太陽光、技術的未熟なままで導入されたため、技術開発が停滞している。
    FIT、FIPに使う金を技術開発(発電効率向上、蓄電システム)に使うべきだ。

2.気候変動(地球温暖化)論
(経緯)

20世紀後半になって、炭酸ガスの温室効果により地球が温暖化している という学説が知れ渡るようになった。

これは大気に少量含まれる水蒸気と微量含まれる炭酸ガスが太陽から発せられる赤外線(6000℃相当の黒体輻射)は透過するが、地球から発せられる赤外線(15℃相当の黒体輻射)は吸収するスペクトルを持つということからきている。これらの温暖化ガスがなければ地球の平均気温はマイナス18℃程度と試算されている。温暖化効果は量的に多い水蒸気がメインで、諸説あるが、約90%が水蒸気の寄与と言われている。尚、大気の主成分である窒素と酸素はその赤外線吸収の特性から温暖化効果は持たない。

1988年にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が設立され、温暖化に対する科学的な研究が国際的に行われるようになった。以後、IPCCは気候変動のイニシアティブを執るようになる。1992年のリオデジャネイロサミットでの国連気候変動枠組み条約を経て、1997年には京都議定書が採択され、先進国は炭酸ガスの削減を義務づけられることになる。この頃は炭酸ガスによる地球温暖化については懐疑的な意見も多く、温暖化論者は「現時点では不明な点が多いが、温暖化は不可逆的に加速されるので、今対策を打たないと行けない」と主張していた。その後、クライメートゲート事件等の逆風もあったが、温暖化論は勢いを増し、2015年のKOP21においてパリ協定が合意された(発効は2016年)。IPCCは依然として予測に大きな幅を持たし、不確かな点を認めているが、主要国政府、環境団体、マスコミはカーボンニュートラルを金科玉条とし、今や宗教の感(教祖はグレタ・トゥーンベリ?)を呈している。この間、EUは一貫して温暖化対策に前向き、日本は京都議定書への不満もあって、当初は前向きなフリ、米国は京都議定書を批准せずと対応が別れていたが、パリ協定には米国も参加、新興国も含め多くの国が参加する世界的な協定となった。その後、米国ではトランプ大統領が「地球温暖化はフェイクだ」とパリ協定からの離脱を宣言、バイデン大統領になると直ぐに参加表明と政権によって大きく対応が別れている。日本では菅政権から2050年にカーボンニュートラルを目指すと宣言、前のめりになってきた。

(温暖化懐疑論)

温暖化論が広く知れ渡るようになるとそれに対する懐疑論も多く出されるようになった。日本では丸山茂徳(地球科学)、渡辺正(化学)といった気象学以外のサイエンスで優れた業績を持つ学者が懐疑論を発表、それに対して温暖化論者の気象学者が反論、数の力、マスコミの報道姿勢もあって懐疑論は劣勢にある。これら異分野での著名人とは異なり、IPCCで委員を務め、報告書にも名前を連ねている杉山大志氏は専門家として真っ向から異議(懐疑論)を唱えている。
地球の気温が温暖化ガスだけで決まるのであれば、ことは簡単であるが、気温に影響を与える因子は他にもある。特に大きな影響を与えるのは雲の存在で太陽光の反射による冷却化効果と地球放射の反射・吸収による温暖化効果を併せ持つ。特に大きな冷却効果を持つ低層雲の存在は温暖化危機を唱える論者にとってはやっかいな存在のようで、温暖化が進むと低層雲が消えるといったモデルも提唱されている。

(地球温暖化はフェイクか)

トランプの「地球温暖化はフェイクだ」と言うのは半ば当たっているところがある。その理由は「不確かなことをあたかも真実であるかのように言い、対策を要求している」ことにある。

Factは産業革命以降、炭酸ガスは増加し続けていること、地球の気温が僅かではあるが上昇していること、炭酸ガスは温室効果をもたらす赤外線吸収があることである。これらは疑いの余地はない。また、炭酸ガス濃度の上昇が続く限り、気温の上昇が続くこともほぼ確かだと思われるが、どのくらいの気温の上昇に繋がるかはFactから直接導き出すことは出来ず、Forecastによらざるを得ない。

Forecastは気候モデルを作り、Simulationによって未来を予測する。Simulationというのは経験者は誰でもわかると思うが、パラメーターをいじれば、結果が大きく変わる。言い方を変えれば、望む結論を導くためにリーズナブルな範囲でパラメーターをいじるのはよく行われているようだ。IPCCは未来予測に幅を持たせているが、マスコミ等では温暖化の最大値にフォーカスされることが多い。
気候モデルの上で、温暖化論者も懐疑論者も頭を悩まされているのが前述した雲の挙動である。

「炭酸ガスによる地球温暖化は事実だが、量的には小さく、温暖化危機はフェイクだ。」が小生の意見である。地球温暖化で何が困るのか、ということについてよく喧伝されているのは下記であるが、致命的なものは無いと思うからだ。

  • 海面上昇が起り、ツバル等の島嶼国が水没する
    海面上昇はその通りだが、ツバルの場合は珊瑚礁の隆起の方が大きく、国土は拡大している。
    水没の恐れがある全ての地域の護岸工事費は世界中が脱炭素にかける費用より遙かに少ないだろう。
  • 山火事が増え、規模も拡大する
    理屈の上ではその通り。近年の実績で、増えているのは米国西部。
  • 降水量の差が極端になり、干ばつと豪雨が増える
    これは気候モデル次第、近年になって干ばつと豪雨が増えたという客観的データはない。最低気温が上昇したというデータはある(気候はマイルド化?)。
  • ③の結果、農産物の収量が減り、食糧危機に繋がる
    これはフェイクに近い。世界の農産物の収量は増え続けている。炭酸ガス濃度の上昇で植物の生長が早まるのは常識。収量増加は事実で否定できないため、温暖化がなければもっと収量が上がっていたはずと言うのが食料危機論者の言い分。
  • 大きな経済的損失がある
    これは経済モデル次第。得失両面がある。明らかなのは温暖化対策が大きな経済的損失であること

尚、1970年頃までは未来の危機として地球寒冷化が語られていた。今のところ地球は温暖化傾向にあるのでその心配は杞憂かも知れないが、寒冷化は温暖化とは比べものにならない大きなリスクである。

3.再生可能エネルギー
再生可能エネルギーはタダのエネルギー源(太陽、風、水等を使うので)ので、コストは減価償却費とメンテナンス費が中心となる。初期投資額、耐用年数、稼働率にどの数字を採用するかで、経済性評価は変ってくる。恣意的にならないよう、現行技術の経済性については資源エネルギー庁のHPの数字を基にしている(そもそも資源エネルギーが恣意的だとの見方もあるが)。
また、発電システムを語るとき、異なるシステム間での効率の比較をしているのを見かけるが、これは意味を持たない。現状の効率と理論効率の間の差が意味を持つ(効率アップとそれによるコストダウンの余地がある)。

適切な再生可能エネルギーは地域(国)によって異なるが、日本を念頭に置いて技術的に目処が立ち、現時点で採用されている太陽光、風力、バイオマスについてコメントする。

(本命は太陽光発電)

再生可能エネルギーの中で、発電効率の向上の余地が最も高い。問題は2つ

  • エネルギー密度が低い(面積当たりの発電量が極めて小さい)
    これはモジュール、システムの改良により、向上の可能性がある(最大で現状の2倍程度か)。
    FITによる国家の補助により、本来は経済的に会わないレベルの太陽光発電(中国産がメイン)が溢れた。その結果、革新的技術の開発意欲が薄れた。
    発電素子は50年以上の寿命があることは確実だが、付帯設備の寿命が短いものがあり、導入20年程度で廃棄問題が発生している。また、景観を損ねると言うことから大面積の太陽光発電システムには反対も多い。
  • 意のままにならない。お日様任せで、人間の意思でコントロールできない。これの解決策は火力または水力によるバックアップ、もしくは蓄電システムである。
    太陽光、風力等の再生可能エネルギーを主電源とするとき、その気まぐれさを補うレベルの蓄電システムはかなりハードルが高い。また、どんな蓄電システムであれ、蓄電、放電時の変換効率とシステム構築の投資によって、主電源そのものの発電コストより大幅に高くなる。バックアップ電源にしても出力調整、間欠運転が必要となり、コストアップは否めない。
    蓄電システムの開発と蓄電によるコスト上昇をカバーできるだけの発電効率の向上が求められる。

(夢物語)

炭酸ガスの資源化(植物がやっていること)が出来れば、そのエネルギー源として太陽光の余剰電力、または太陽熱を使うという道がある。炭酸ガスは水と同様に最もエネルギーが低い状態にあり、資源化には外部からエネルギーを与える必要がある。時々、炭酸ガスを原料にして何か(大抵はポリカ-ボネート)を合成したという記事を見かけるが、必要なエネルギーについては触れられていない。

これが可能になれば、太陽光と火力で電力を補い、火力で生成した炭酸ガスは太陽光エネルギーにより資源化するという理想的なエネルギーシステムが出来上がる。小生の存命中には到底実現しないが。

(風力)

夜間発電が可能な点は太陽光に勝るが、意のままにならないのは同じ。
理論上の上限から考えて、発電効率アップの余地は少ないので、コスト低下の可能性は限られる。
ここに来て注目を浴びている洋上風力となると無理筋を感じる。陸上での適地が少ない日本で風力発電をするためにはこれしかないといったところか? 詳細は知るところではないが、建設費やメンテナンス費については陸上に比べ高くなるのは間違いないと思われ、FITやFIP等の補助無しに成り立つとは思えない。

(水力)

発電効率は高いが、向上の余地は殆ど無い。
現状の技術レベルでも経済的には適地さえあれば、新設でも成り立つが、ダム建設に対する根強い反対勢力の存在を考えると実現は困難か?
小規模水力は水利権を別にすれば経済性が最大の問題であろう。水力発電はスケールメリットが大きい。(太陽光、風力にもスケールメリットがあるがそれぞれの制約から水力ほど大きくない)。揚水発電は立派な蓄電システムであるが、量的にメインの蓄電システムとなることは難しいだろう。

(バイオマス)

バイオマス(発電)がカーボンニュートラルというのは半分フェイクである。
カーボンニュートラルであるためには以下の条件が必要である。
a.発電(燃焼)と同じレベル(量、時間)の植樹が行われること
量的なリンクは不可能ではないが、時間的なリンク(成長速度に合わせて燃焼)はあり得ない
b.伐採から燃焼までのプロセスでエネルギーを必要としないこと
これはペットボトル等のリサイクルが省エネになるのかという議論と類似

間伐材等、別目的で伐採されたものをエネルギー源として使うのはカーボンニュートラルと言える。伐採された木は燃やさなくても何時の日か炭酸ガス或いはメタンの発生源となる。

 

エーガ愛好会 (164) 馬上の二人  (34 小泉幾多郎)

ジョン・フォード監督晩年の傑作。これまで同監督が作ってきた西部劇映画の様々な要素を寄せ集めたように思え古く懐かしい香りがする。

冒頭から「荒野の決闘」でヘンリー・フォンダ扮する保安官ワイアット・アープと同じ姿勢で、ジェームス・スチュアート扮する保安官がポーチの椅子に足を伸ばしバランスをとって、にらみを利かせ賭博師を拒否したりしている。駅馬車がやって来ると「駅馬車1939」の馭者であったアンディ・ディヴァイン(ポージー軍曹)が馭者台から降りるとずいぶん太ったなあと冷やかされる。このように前に観たような画面が何回かあるように感じるのだ。

その保安官ガスリー・マケーブ(ジェームス・スチュアート)が、旧友のジム・ゲイリー中尉(リチャード・ウイドマーク)からの依頼で、数年前にコマンチ族にさらわれた白人の娘エレナ(リンダ・クリスタル)と少年ウルフ(デビッド・ケント)を救出する役目を負うことになる。いつもは善良な市民役を演じるスチュアートがカネにがめつく、酒場の女経営者ベル(アネル・ヘイズ)と出来て、売り上げの1割をはねるような役で、逆に悪党役の多いウイドマークは、軍人としての規律、正義感もあり、逞しさと堅実さを兼ね備える人物。開拓民の中のブロンド娘で、弟をコマンチ族に拉致されたマーティ・パーセル(シャーリー・ジョーンズ)もゲイリー中尉の方に好意を持つのだった。

マケーブはコマンチ族からの取戻しに1人につき500ドルの報酬を条件に引き受け、コマンチ族長クアナ・パーカー(ヘンリー・ブランドン)と折衝の結果、交換物件により、エレナとウルフの救出に成功する。エレナと5年間夫婦だった戦闘部族のリーダーのストーン・カルフ(ウディ・ストロード)を殺すことになる。しかし数年間白人社会から離れていたハンディはあまりにも大きい。粗暴な
少年ウルフを白人と認識する人はいない。或る日、過去に息子を失い、頭の異常なマッケンドレス夫人(ジャネット・ノーラン)が、「我が息子、我が息子!」と喚き乍ら近づずくことから、ウルフが夫人を殺してしまう。興奮した群衆は、私刑の場所へ。途中オルゴールの音に反応し「俺の音楽!」と叫び、姉であるマーティは驚いた。弟が愛用していたオルゴール!ウルフは弟だったのだ。だが既に遅し、刑は実行されていた。この場面、「牛泥棒1943」の私刑の場面を思い起こす

一方、エレナは、数年間、コマンチ戦士の妻だったことが開拓民から、何故自殺しなかったのかとか冷たい視線を浴びることになる。マケーブはエレナに自信を付けさせるべく、服装や髪形も変え、陸軍主催のダンスパーティに誘う。「アパッチ砦1948」のパーティを思い起す。席上ゲイリーは親密になったマーティにプロポーズするが、エレナは此処でも冷たくあしらわれる。いられなくなったエレナは哀しみのあまり一人カリフォルニア行の駅馬車に乗り込むと馭者台から、一緒に行くとマケーブが話しかけるのだった。

以上が概略のストーリー。性格の違う男のやりとり、ロマンスのほか、アンディ・ディヴァインのコメディリリーフ、ハリー・ケリーjrとケン・カーティスとのマーティの奪い合いといったフォードタッチもさりげなく見せる。人間は馬鹿が多いけれど、その中には強く真っ直ぐに生きて行こうという者たちもいる。集団に引き裂かれた個人の苦悩と人間の哀しみ傲慢さを鋭く描き、人と人との絆、失われた絆を最後に取り戻すというフォードの世界に浸ることが出来た。

(編集子)新聞で広告を見ただけで未見だが、最近、ジョン・フォードに関する詳細な評論が出たということだ。一連の傑作映画の監督、という以外にもいろいろな時代背景があるようで、ぜひ目を通してみたい。

(菅原)本日の日経夕刊の最終面に、「ジョン・フォード論」(文芸春秋)著した蓮実実彦さんと言う記事があり、「豊かな画面を見つめよ」と結んでいる。つまるところ、その内容はフォード礼賛と言うことのようだ。

ところで、彼は、「世界的なフォードへの否定的評価の流れが・・・」と述べている。勿論、彼は「とんでもない」と言っているが、そんなにフォードは否定すべき監督なのかね。全くトンチンカンだ。フォードに対する嫉みか。

心臓病予防について    (普通部OB 篠原幸人)

コロナ患者は東京でも4万人越え。医療ひっ迫が叫ばれている中で、相変わらず政府や都の対応はスローペース。菅内閣の反省が全く生かされていない。郵便局どころか病院も“人員不足のためしばらく休診”なんてところが出てきそう。

確かにコロナは“夏かぜ”のレベルに近づいているけれど、やはり罹りたくはないやね。私は4回目のワクチン接種を7月初めに、それも自分の所属する病院ではなく、近くの他の病院で受けました。自分は兎も角、拝見する患者さんにはこちらから移したくはないからね。但し、今回は医療従事者としてではなく、高齢者として受診せざるを得ませんでした。何故か? 今回は医療従事者へのワクチンは用意されなかったからです。従って、私の若い同僚とか娘や婿さんはまだ4回目は未接種。誰がこれを進言したのか? 学生時代にあまり成績が良くなかったり、血をみると気分の悪くなる体質で、仕方なく厚生労働省に採用してもらった元医学生かな? 自民党も維新の会も、こんなところでケチらないで、某宗教団体からの資金でもこちらに回したら?

さて暑い夏ですがこんな時にも病気は起こります。今回は熱心な読者のお一人、A君からの強い要望で心臓の血管の病気についてお話しします。脳・心臓・手足の血管は全て兄弟のようなものです。どこか一つに病変があれば、他の2か所にも病気がはじまっている可能性があります。小生も首の血管と足の血管には少し動脈硬化があり、心臓に血管にも病気が来ないかと心配しています。兄弟ですから、病気が起こる原因もその予防法にも共通点が沢山あります。血管病、特に心臓の血管病である狭心症・心筋梗塞の要因には次のようなもの知られています。

加齢

高血圧

糖尿病

肥満

喫煙

ストレス

うつ病

脂質代謝異常

多量飲酒

歯周病

脱水

他の部位の動脈硬化(首、大動脈、腎臓、手足の血管など)

その他

この中で貴方には当てはまるものがいくつありますか? まあ60過ぎればこのうちのいくつかは必ずあるよね。加齢はしょうがないとして、毎朝の血圧・脈拍は測ってください。上の血圧は1週間の平均が135以下、脈拍は日によってでも1分間に10-15以上は違わないこと。また、70歳以上なら健診の採血時HbA1cが6.9以下(若い人は6.0以下)でありたい。尿に糖が出ていないからなんて安心しないでください。脂質異常にはとくにLDL(悪玉)コレステロールの値に注目を。高い人はかかりつけ医に即相談してください。

この他で、特に注意して欲しいのはストレスです。もういい年の人は、イライラは禁物。カッカするな、あるいはさせるなって。仕事をまだ続けている人は若い人になるべく譲って。首や身体のどこかの血管に異常があるか心配な方は、相談できるかかりつけ医へ。通常のドック健診では見つからないことが多いので盲点になるかも。心臓は血管の塊のようなものですが、今日は狭心症・心筋梗塞だけにしておきます。なお、水分はトイレに行く回数をおそれず、室内でも十分とりましょう。

甲子園の話―夏目のこと    (普通部OB 田村耕一郎)

夏目兄と普通部時代の野球についてのメールを懐かしく拝読しました。

普通部の野球部で彼とバッテリーを組み、打順は3/4番、副主将/主将
として、共に野球に明け暮れた彼との親交を回顧したくなりました

普通部入学時に野球部は存在せず、3年になって漢文担当の若い麻布先生を中心に野球部が戦後に復活、C組仲間が多く、夏目、平光、松井、大倉、野口、山田正明、福本、松本、伊藤、田村が、野球に明け暮れました。ただし、C組の担任吉村先生は野球がお嫌いでした。

夏目は右投げ左打ち、鋭い打球を外野に飛ばす頼もしい3番バッター、冷静なキャッチングでホームベースを守リ大活躍。
夏の神奈川県中等学校野球大会ではこの年普通部がダークホースとして注目され期待を背負って初出場、一回戦で六会中学と対戦し6:?で惜敗、初めての横浜平和球場(DNA球場の前身)という大舞台で、我々はコチコチにあがり、ボール球を空振り空振りという惨敗でした。

試合後麻布監督の命令で普通部に戻り反省練習。今度は冷静になって鋭い当たりを飛ばすがあとの祭り!次年度は有能な2年生に託すべくこれから手助けしようと夏目と誓い合った真夏の一コマが思い出されます。

(編集子)当時のクラスの特色が懐かしい。C組が野球なら小生のいたE組はラグビーフィフティーンのうち11人が在籍、B組は大学では全国区で活躍したテニスの日高やラグビーでは俊足のセンターだった船津とかがいた。これに対してA組、D組は医学部へ行った人数とか、数学大得意のやつが固まっていたりして、運動会ともなるとまずはB組とE組が幅を利かせたものだった。もっともラグビー部の戦績は野球とあまり変わらず、成城と成蹊に対戦して2戦2敗、辛うじて対成蹊戦でウイングの長谷部が170ヤードの独走トライをあげたのがせめてものなぐさめだった。好漢長谷部、愛称坊主、もすでに不帰の客となって久しい。フィフティーン仲間からも浜野、長谷川、大森、神保、神田、加藤, 飯田なども旅立ってしまったし、船津(浩三)なんかも音信絶えて久しい。往事まさに茫々。

田村が云うように夏目は温厚で誠実な男だった。大学で同じクラスになった。人なつこい温厚な人柄は全く変わっていなかったけれど、こんな思い出もある。あの歴史的な早慶六連戦、最後に出てきて三振したのが夏目だった(渡海が一本打ってりゃ勝ったのに!とばかり言いあった来たがこれは覚えていなかった)、と畏友浅海昭はいうのだ。どうだったか、記憶は忘却の彼方だ。田村なら知っているはずだが。

(田村)早慶六連戦、最後に三振したバッターが夏目兄とは全く覚えがなく、又彼とも話題にしたことはありませんでした。高校/大学で夏目兄とバッテリーを組んでいた鶴岡兄に昨夜電話してみましたが彼も覚えていないと。
この六連戦は敵ながらあっぱれの安藤の粘投に惑わされ、やられた!との記憶は
生々しく残っており、鶴岡兄も同意見でした。(慶応のキャッチャーは夏目と田中、後輩の大橋でした、最後の試合に夏目が出場していたか覚えていません)

晩年夏目兄とは、電話のたびにゴルフをと言いながら、幻のゴルフになったことを悔やみつつ・・・

(大学クラスメート 飯田)大学で同級生だった小生の想い出グッズに、当時の夏目君のご贔屓スターが掲載されていました。小生、「エーガ愛好メンバーなので、その部分だけ引用します。
ジーン・ピータース、ロッサノ・ポデスター、山本富士子、ロバート・テイラーだそうです。