エーガ愛好会 (202)  砦のガンベルト   (34小泉幾多郎)

1876年11月23日騎兵隊により逮捕されたアラバホ族酋長ハヌーによって語られたクレンテノン砦襲撃を聴取するシーンから始まり、その数日前の11月17~18日に遡る。それはアラバホ族に攻め込まれ駐屯騎兵隊が全滅した日でもある。この映画は絶望的な状況に置かれた兵士たちとインディアンの死闘を描くも爽快感のない物悲しさが残るという結末が異彩を放つ。原作はリチャード・ジェサップという人で脚本まで書いているということは自分でも気に入っているのだろう。監督は勧善懲悪の西部劇を作ってきたゴードン・ダグラスだけに珍しい作品だ。

酋長聴取のシーンが終ると雪の残る山岳地帯を流れ者のガンマンが歩く。これが主人公、原名Chuka(チュカ)の登場。ヒッチコックの「鳥」で主人公を演じたロッド・テイラーが扮する。偶々子供を葬るハヌー以下アラバホ族数人に会った際親切心から食料を渡す。これが最後まで、生き残れる布石になっているのだった。その後車の外れた馬車を発見、それを援助するが、その中に、元カノ役のメキシコの貴婦人ベロニカ(ルチアナ・バルッツイ)とその姪ヘレナ(アンジェラ・ドリアン)が乗っていた。馬車はアラバホ族に襲われるが、チュカの顔を見ると去って行き、馬車は無事クレンテノン砦に到着した。

其処は、バロア大佐(ジョン・ミルズ)が指揮する騎兵隊の駐屯地。早速歓迎のパーティが開かれるが、部下を口汚くののしるばかり。チュカはバロア大佐に見込まれ、アラバホ族の偵察等に行くものの、鬼軍曹と言われるハンスバーク(アーネスト・ボーグナイン)以外は、バロア大佐を反目して統率がとれないまま、アラバホ族の襲撃を受けることになり、チュカが横腹に矢を受け、一緒にいたヘレナの二人を除き全員が戦死。砦からは食料や銃弾薬等全てが持ち運ばれたが、墓が一つとピストル一丁だけが残されていた。これは酋長ハヌーが食料を貰った
チュカに対するささやかなお礼か。

そもそもアラバホ族に対する食糧融通を無視してきたこと。その後も必要食料を渡せば、こんな悲劇にならないで済んだ筈。それとバロア大佐の頑迷さ、インド駐屯の頃、酒のため連隊を全滅させたことやハンスバック軍曹の生命を救うため捕虜になり去勢されたこと等が明らかになり、これが頑迷なる大佐の理由なのかどうか。冒頭申し上げたようにスッキリしない爽快感なき西部劇。

(編集子)辺境の砦が全滅したあと、その経過が明らかになるという筋立てはほかにもあるかもしれないが、小生にとっては西部劇ではないがクーパーとまだ端役のスーザン・ヘイワードがきれいだった ボージェスト が何といっても一番。少し違うが同じような人間関係の凝った筋立ての西部劇では、ペックの 勇者のみ (同じ邦題の作品がある)が思い出される。小泉さん同様、やはり西部劇には爽快感を期待してしまうので、あまりぱっとしない時間だった。わき役でボーグナインはいつも通りだが、ジエームズ・ホイットモアに(久しぶりい!)と言いたいところだった。

(アラパホ族)

元々はミシシッピ川より東部、ミネソタ州北部のレッドリバーバレー流域の森林地帯でトウモロコシやカボチャ、豆などを栽培しながら暮らしていたが、白人入植の影響で、18世紀にそこから南西に移動し、ノースダコタ州及びサウスダコタ州の平原地帯を領域とした。そして19世紀頃にさらに南下して移動し、プラット川沿いのワイオミング州とオクラホマ州の2つのグループに分かれて行った。1863年合衆国政府と平原インディアンとの間で起きたコロラド戦争に参戦。1864年サンド・クリークシャイアン族とアラパホ族の野営地がアメリカ陸軍の攻撃を受け、女子供などを中心に数百人が死亡。1876年リトルビッグホーンの戦いスー族、シャイアン族らと共に参戦し、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊を破った。

エーガ愛好会 (201) 裏窓 

(船津)グレースケリーの綺麗さとあの服装。かって映画の服装について高校新聞に書いた記憶があり美人の?衣装に興味在りです。映画衣装デザイナーの大物イーディス・ヘッドがデザインした、ゴージャスな衣装やドレスを、グレース・ケリー演じるリサが着る。
1920年代当時、映画全盛期のハリウッド映画において、女優の衣裳はきらびやかに飾り立てた華美なもの、という考えが主流であった。しかし彼女は、映画衣裳の世界に初めてシンプルな美しさとファッションセンスを持ち込んだ。1981年に死去するまで58年間にわたりハリウッドの衣裳デザインの第一人者であり続けた。駆け出しの頃は、セシル・B・デミル制作の映画作品での衣裳の仕事が多く、当時は「アイデアに困ると、何でも金ピカにしたり鳥の羽を付けるとデミルは喜んだ」という。
大ヒット映画、『ローマの休日』(1953年)のアン王女役の衣裳や、『麗しのサブリナ』(1954年)のサブリナ役の衣裳などは、主演のオードリー・ヘプバーンの可憐さを際立たせ、彼女の女優としてのイメージを決定付けることとなった(サブリナがパリから帰国するシーンから後半はジバンシーが担当)。
アルフレッド・ヒッチコック監督はイーディスのデザインセンスを大いに気に入り、『裏窓』(1954)以降ほとんどの映画作品の衣裳を任せた。クール・ビューティな女優グレース・ケリーのセクシーな魅力を余すところなく引き出すために、彼女はこの仕事に全精力を傾けたという。彼女は、デザイナーとして自分の理想的女優であったグレースを生涯気に入った。

(河瀬) 金藤さんのご案内で今日、NHKBSの映画「裏窓」を初めて見ましたが、ジェームススチュワート、グレースケリー主演の昔の(1954)映画ならではのヒッチコックのゆったりとしたロマンとラストのスリルを感じました。ありがとうございました。

(金藤)「裏窓」 よかったですね!

僕の一番好きな画面です(安田)

(菅原)この映画、本当のことを言えば「覗き見」映画。それは別として、公開時、高校2年の小生がとんでもない衝撃を受けたのが、妻殺し。前にも言ったかも知れませんが、親父がオフクロを殺すなんて想像すら出来なかった。これは何度も言いますがスゴイ衝撃でした。

 

 

裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1954年アメリカ合衆国サスペンス映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はジェームズ・ステュアートグレース・ケリーなど。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)による同名の短編小説(原題は『It Had to Be Murder』)を原作とし、事故で車椅子生活を送る男がアパートの部屋の裏窓から目撃した事件の顛末を描いている。現在、パブリックドメインとなっている。AFIが選出した「アメリカ映画ベスト100」では42位にランクインした。Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ヒッチコックはこの傑作でサスペンスの才能を存分に発揮した。」であり、76件の評論のうち高評価は99%にあたる75件で、平均点は10点満点中9.2点となっている。 Metacriticによれば、18件の評論の全てが高評価で平均点は100点満点となっている。

(編集子)本稿で船津が触れているエディス・ヘッドのことだ。慶応高校の新聞 ハイスクールニューズでは、毎夏、新人(2年生)に取材編集を任せて力量を図る目的で、いわばサブ版として ジャーミネータ(発芽試験機という意味だそうだ)というのを発行していた。昭和30年(1950年)8月1日発行のジャーミネータは映画特集というページを作成した。この面を主に担当したのが船津於菟彦で、かれの直筆は左下にある 流行を作り出す という欄である。此処ですでに彼は (小生など聞いたこともなかった)エディス・ヘッド、なんてのを論じている(虫メガネで判読できればいいのだが)。 このころからエーガの論評を楽しんでいたというわけだ。栴檀は二葉より匂うのか、三つ子の魂百までか知らないが。小生この版では論説調のぐんと硬いテーマでっ文化祭の在り方、なんてのをエラソーに書いてる。ま、若き日のことですな。

(船津)
このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。エキザクタは旧東ドイツのドレスデンですが、オランダ資本のイハゲー社は例外的に高い品質を維持したそうです。使いにくいカメラです。何故かシャッターは左側にあったり使い勝手の悪いカメラですが、当時としては最先端。その後日本のカメラメーカーがライカのM3には勝てないと判断して、一斉に一眼レフカメラを開発して今や世界一となったというわけです。
Heinz-Kilfitt-Fern-Kilar-400mm-F5.6-1024x682-1.jpegこの映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6のは今で見ても相当明るいです。その大きさからも納得できます。当時は相当高価だったと思います。

(菅原)ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、犯人役を演じたR.バーだ。先ず、裏窓越しのトイメンの室内は、当然、音もなく不気味。加えて、そのバーのやっていることは、妻殺しであり、世にも恐ろしい犯罪だ。世の中には、こんな奴がいるのかとかなり衝撃を受けた。安田さんのバーの写真、その恐ろしさとバレたやばさを見事に写し取っている。ただし、「陽の当たる場所」に地方検事で出ていたらしいが、全く記憶にない。

ura2.jpgテレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「弁護士ペイトン・プレイス」と誤って表記しているが、人間「グーグル」であっても間違えることはある。別の意味で、「ペイトン・プレイス」の方が面白かったが)、車椅子の「鬼刑事アイアンサイド」など良く見たものだが、バーの代表作は、この「裏窓」だろう(しかし、バーはゲイだったと言うから、いささか吃驚仰天だ)。

 

23年度第一回 月一高尾報告    (47 関谷誠)

2023年第1回目の「月いち高尾」を、2月28日、実施。 朝は冷え込んだものの、日中は春の様なポカポカ陽気の中、今年一年の健康と安全、更には、世界平和等々を各人なりの願いを込めて「薬王院」に参詣し、山頂から霊峰「富士」を拝む事を主題に参加者を募り、総勢23名が京王線「高尾山口」に集まった。 リフト+4号路経由のシニア―・コースといにしえの参拝者が登った古道の金毘羅台コースに分かれ、鮮やかな「真白き富士の峯」が遠望できた山頂に集結した。

<以下、敬称略>

(シニア―・コース) 36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、38/町井、39/蔦谷、41/相川、47/伊川、平井、田端  <10名>

(金毘羅台コース) 39/岡沢、40/藍原、41/久米(和)、43/猪俣、44/安田、46/村上、47/水町、関谷、48/佐藤、福良、51/斎藤、中里、BWV/大場  <13名>

金毘羅台コースは登山者も少なく、ポカポカ陽気の中、汗をかきながら、マスクを外せる開放感に浸りながら、和気あいあいとダベリング(死語?)しながらの登りだった。 <登り:2時間>

下りは、稲荷山コースから、途中で6号路の琵琶滝コースに入り、下山。稲荷山コースは一部整備工事中で閉鎖されていることもあり、このコースを利用する登山者も少なく、快調な下山だった。 <下り: 1.5時間>

高尾駅近くの「テング飯店」での反省・懇親会に21名が参加。当会の新年会も兼ね、一角では、WBCに始まりラグビー・トップリーグ、話題のテレビドラマ、更には大相撲からキャバクラ、キャバレー、ナイトクラブの違いはとの取り留めのない話題で大いに盛り上がった。  そう云えば、皆、未だ「コロナ禍」の渦中にあるのを失念! 反省、反省!

(久米)天気にも恵まれ,薬王院にて今年一年の家内安全と共に健康に過ごせることを祈念することも叶い、真白き富士の山嶺を眺めることもできました。
おまけに天狗でも久しぶりにビールのおいしさを味わい幸せな一日を過ごすことができました。
お世話役の皆様に感謝の気持ちで一杯です。沢山の写真もありがとうございます。次の機会を楽しみにしております。

(藍原)最近めっきり体力が衰え、登れるか危惧しておりましたが、皆さまが私のペースに合わせてくださったので、辛うじて登ることができました。もう少し余裕を持って登れるよう、体力の回復に努めようと思います。

(斎藤)昨日はお疲れさまでした。天候に恵まれ暖かい一日で良かったですね。

(編集子)いつもどおり頂上へのエスケープルートで坊の裏へ回ったおり、今まであることは知っていたが入ったことのない、洞穴にまつられた弁天様に参拝。こういう自然と合体している信仰を見るたびに日本人の宗教観というのか感覚が好もしく思えてくるから不思議だ。

 

エーガ愛好会 (200) 怒りの荒野   (34 小泉幾多郎)

「怒りの荒野 1967」はジュリア―ノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン。監督が「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」でセルジオ・レオーネの助監督を務めたトニーノ・ヴァレリ。音楽が「世界残酷物語」の主題歌モアでアカデミー賞ノミネート等イタリア映以外でも各種賞を受賞しているリズ・オラトラーニ。主人公ジェンマ(スコット・マリー)に対決するのが、リー・ヴァン・クリーフ(フランク・タルビー)。「真昼の決闘」以降本場の西部劇では悪役専門のちょい役だったが、マカロニウエスタンに出演と共に、主演級に昇格し、特にこの映画では、ジェンマが師と仰ぐ射撃の名手に扮し、その渋い眼力と表情が素晴らしい。
父親がはっきりしない娼婦から生まれたジェンマは糞尿処理しかさせてもらえない最低辺の若者が、ガンマンのクリーフに出会うことから、クリーフを師匠として仰ぎ、ガンマンとして成長して行く姿を描く。婚外子として生まれたジェンマが、クリーフを父性への思慕と感じたのかも知れない。その若者が、疑似親子的関係が骨子となり、それに加えて、クリーフから「ガンマン心得10ヶ条」が提供され、それが能書きでない、生き様の掟として画面が進んで行き、最後に至り、ジェンマがそれを実践することにより終焉となるのだった。

その10ヶ条とは、 1.人に頼み事はするな。2.誰のことも信用するな。3.銃と的の間に立つな。4.殴られるのも弾と同じ、一発食ったら最後だ。5.撃つなら必ず殺せ、自分が殺される。6.撃つタイミングを逃すな。7.縄をほどくなら銃を取り上げろ。8.必要以上に弾を渡さぬこと。9.挑戦を受けない奴はその時点で負けだ。10.殺すと言ったら、後へは引くな。

この10ヶ条に基ずきながら、ジェンマは成長して行くのだが、その成長度は早過ぎる感もあるが、力を持つと人間関係は一変する。片やクリーフの方は、過去仲間だった銀行頭取、酒場経営者、牧場経営者等に復讐し、このまま進めば善玉で終わりそうだが、悪玉は悪玉。ジェンマはクリーフに会う前からいろいろ面倒をみてもらっていた元保安官ウオルター・リラ(マーフ・アラン・ショート)とクリーフのどちらにも恩を感じ、身動きが取れなくなるが、クリーフの暴力的やり方、街を自分のものにしようとすることに加え、新保安官となったリラがクリーフに撃たれたことが引き金となり、決闘でジェンマがクリーフを倒す。しかも瀕死のクリーフをガンマン心得第5条通り、とどめをさすのだった。決闘シーン中、勇壮なリズムが躍動し、エレキギターが哀愁の調べを奏でるとトランペットが高らかに吹き鳴らされる。ジェンマは街のために何かしてやろうなんて考え方は毛頭なく、その帰属意識のなさはマカロニウエスタン主人公の素養として必須。また珍しいのは、ジェンマが判事の娘アンナ・オルソ(アイリーン)と恋仲でありながら、全然進展せずに終わってしまったこと。

結論的には、クリーフの超絶なる個性の存在が、ジェンマという華やかさが程良く抑制された駆け出しガンマンの成長過程が描かれ、またガンマン十戒が実践されながらの銃撃戦の数々を経ながら、師匠と弟子のクライマックスへの対決の構成が巧みに描かれ楽しむことが出来た。

(編集子)エーガ愛好会投稿第200号はドクター西部劇で決まった。この企画、第一号は2020年5月15日、小生の ”赤い河を巡って” である。

エーガ愛好会 (1) “赤い河” をめぐって

事の始まりは月いち高尾の帰途、川名君との会話から始まった、”エーガ” 談義である。たまたまこの記事が小泉さんの目に留まり、お互い,懐かしいエーガ(どうも映画、という気がしない)の時代の話を始めた。小泉さんとは小生にとっては鬼の3年生、現役時代、ワンデルングで何回もご一緒しているのだが、エーガファンであることは全く知らなかった。

以下、区切り区切りの投稿は

第5号  めまい (安田)

第10号 懐かしきオールド西部劇(小泉)

第50号 夕陽のガンマン (小泉)

第100号 100号回顧 (中司)

第150号 ペンタゴンペーパーズ (安田)

新メンバーも加わり、今後一層の賑わいが楽しみだ。250号は誰になるか?

エーガ愛好会 (199)  遠い太鼓(34 小泉幾多郎)

ラオール・ウオルシュ監督、ゲーリー・クーパー主演の西部劇と来れば、面白いことこの上なしと言いたいところだが、それ程には感動しなかった。先ず舞台がフロリダとなると西部のカラッとしたドライな雰囲気とは正反対のじめじめした湿気と水の多いエキゾチックな変った雰囲気の歴史的戦争映画と言っても良いのかも知れない。

スーパーヒーローのクーパーともなれば、20本を超える西部劇に出演しているが、この映画や「北西騎馬警官隊1940」「征服されざる人々1947」といった西部劇らしからぬ西部劇もある。フロリダ州エバーグレーズ国立公園で美しきロケ撮影が行われ、スペイン統治の17世紀建立の米国本土最古の石造要塞サンマルコス砦も含めフロリダの景観が映し出される。

1840年フロリダ地方はアメリカがセミノールインディアンと7年間苦闘を続けていた。フロリダ地域の防備に当たっていたテイラー将軍(ロバート・バラット)はクインシー・ワイアット大尉(ゲーリー・クーパー)のもとへリチャード・タフト中尉(リチャード・ウエッブ)と偵察兵モンク(アーサー・ハニカット)を送り出す。ワイアットは味方のインディアンのクリーク族の酋長の娘と一緒になり子供をもうけるものの、白人に妻を殺されるという過去を持つ。40人の部下と共に、任務のセミノールを襲い、砦を破壊することに成功し、捕虜になっていたジュディ(マリ・アルドン)等男女を救った。その後はその一隊のセミノールからの逃避行が、沼地の中を鰐や蛇等が暴れ回る中続く。最後は、セミノールの酋長とワイアットの水中でのナイフでの決闘で決着。セミノール族は退散、ワイアットとジュディは結ばれ、エキゾチックな西部劇は終演。

フロリダ地方の湿地地帯の美しきロケ撮影や水中カメラ使用による決闘場面の迫力ある撮影は良かったものの何となくてんこ盛りで全体的に時代の緩さを感じるのだった。また特記すべきは、兵士が鰐に襲われ水中に引きずり込まれるシーンでの叫び声が音響素材として使われた最初のものと言われている。その後、音響デザイナーのベン・バートが「フェザー河の襲撃1953」で使われた矢で射られたウイリアム二等兵の声にちなみ、その声を「ウイルヘルムの叫び」と名付け、その後の映画やTVに音響素材として利用されたとのこと。

(保屋野)小泉さんの完璧なコメントに付け加えるところはないのですが、一言
感想を記します。
舞台がフロリダで、小泉さんの云われるように西部劇らしからぬ西部劇モドキ映画でした。(インディアンは出てきましたが)ストーリーもただインディアンから逃げるだけの単調な「逃避行」、G・クーパーが主演にしては期待外れのエーガでした。
大昔観て面白かった記憶があったので期待して観たのですが、どうも別のエーガだったようです。

(グーグルから転載)この映画は、ある“音”で映画ファンに愛され、親しまれています。それは兵士がワニに襲われて叫ぶ声。効果を高めるためにアフレコで製作された音なのですが、この作品以降、ほかの映画でも同じ声が使われているんです。「スター・ウォーズ」(1977)で、ダース・ベイダーの深い呼吸やライトセーバーなど、さまざまな音を製作した音響デザイナーのベン・バートは、西部劇「フェザー河の襲撃」(1953)でも使われたこの声を“ウィルヘルムの叫び”と名付け、「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」のシリーズに使用。さらに、ほかの音響デザイナーにも広まり、「バットマン リターンズ」(1992)や「キル・ビル」(2003)など、400本以上の映画やアニメ、そしてテレビゲームでも、主に男性のキャラクターが吹き飛ばされたり、倒されたりする場面であえて、この叫び声をリスペクトをこめて使っているということです。映画史上の名作。“音”にもご注目ください。

アンナプルナ遠望   (42 河瀬斌)

(編集子)山岳展望の放映をきっかけにここ数日、KWV仲間ではその話題が集中している。現地を歩いてきたドクターからの情報である。36年卒の仲間でエヴェレスト展望へ出かけてすでに四半世紀!

アンナプルナは我々が真近に見ることのできる唯一のヒマラヤ8000m峰ですね。2012年2月にインドで頼まれたライブの脳腫瘍手術と講演の後、家内とネパールのポカラに寄りました。アンナプルナはポカラの町からも見えますが、郊外のダンプスという丘へ金色に輝くアンナプルナの夜明けを見に行きました。地元で神の峰と言われる鋭鋒マチャプチャレも素晴らしい。カトマンズからポカラへ行くフライトは、少々危ないのですが、素晴らしいヒマラヤ観光ができます。ただし帰りの便に乗れるか保証はありません。

(安田)河瀬さんの素晴らしいアンナプルナ実撮の写真が届きました。ありがとうございます。実物を見た人でなければ感じ得ない臨場感の迫力があるのでしょうね。

(菅原)

山と言えば、青山、代官山、大岡山などにしか登ったことのない小生が、アンナ・プルナと言う名前を聞くと青春時代が蘇る。

1950年に、フランス隊が8000m級の初登頂を果たし、その経緯を隊長のM.エルゾーグが「処女峰アンナ・プルナ・・・」として出版した本が、1953年、近藤等の翻訳で白水社から出され、これを何故か小生貪り読んだ(小生の普通部時代)。今にして思えば、次から次に降りかかる危難を不屈の闘志で掻いくぐって行くところが、冒険小説が好きだった小生の嗜好にピタリとはまったからではなかったか。下山の際の悲劇、登頂したエルゾ-グ、ルイ・ラシュナルが凍傷で、足指20本、手指10本を失ったと言うからその下山は、常人には想像も出来ない凄まじいものだったのだろう。

アンナ・プルナとは「豊穣の女神」と言う意味だそうだが、写真を見ても悪さをする山とは思えない。しかし、ネットを見たら、2012年3月時点で、登頂者191人に対し、死者61人と言うから誠にオソロシイ女神だ。写真を見ているだけで充分に満足。

クラシックカメラご案内     (普通部OB 船津於菟彦)

全日本クラッシックカメラクラブと言うフィルムカメラの愛好者の団体で次第に消えかかりつつあるフイルム絶滅危惧種救済団体で1900年より前のカメラで綺麗に撮影した作品など一人一点自薦でPrintも自分で行い出展です。「2023年春のAJCC写真展-クラッシックカメラで撮る楽しみ-展 2月27日月曜日から3月3日土曜日まで銀座で開催致します。今激戦地と成って居るウクライナキエフ-キーウィ-で作られ会員がキーウイーへ行かれ撮影した写真とか1900年以前のカメラで綺麗に撮れている写真等展示されています。

小生2022年秋のAJCC春の写真展には1952年発売の東独カールツアイスイエナが世界初のミラー式一眼レフの「コンタックスD」でレンズはウクライナ紛争が早く終わり「平和」になりますことを念じて東ドイツ製のMIR-1(平和)37㎜F=2.8で今年の銀座撮影会の折りにウインドーの写りに銀座の喧噪をと撮影致した物を展致しました。コンタックスDはメカがコンタックスらしく複雑でやや扱いにくく、今のミラー式一眼レフと違いシャッターを切ると画面がミラーが揚がるためブラッツクアウトしてしまいます.2023年春のAJCC春の写真展は小生が生まれるより前に作られたカメラ。
1935年製造のコンタックスⅠ型で湯島天神の梅が満開の佳き日に撮影した物を出展致します。またまたコンタックスですが、此方はライカに負けじとツアイスイコンが総力をあげて、ライカとは違うカメラをと言うライバル意識満点のカメラで。その操作のし難さはヤレヤレです。非常に凝った操作で暫く使わないと忘れてしまうぐらいです。何故かフィルム巻き上げダイヤルとシャッターダイヤルが同軸しかも前面についていて、シャツターもライカの布製の横走りのタイプと違い縦走りでしかも鎧戸のようにメタルです。まぁこんな複雑なメカニズムのカメラを1930年代に作ったなぁと思います。
黄色がフィルム巻き上げ。赤が高速用シャッターダイアル。ブルーが低速シャッターダイアル。と言う複雑さでしかも操作手順にお作法があり、間違うと故障のおそれ在りという具合です。レンズも当時作られたデッサーで今でも見劣り致しません。ツアイスイコン・イエナで造られていたモノです。その後ソ連に接収され東独でコンタックスは作られましたが米軍が一夜にして技術者とか設備を西ドイツオーバーコッヘンに移動して新生ツアイスイコンとしてコンタックスⅡ型製造されました。なにやら今のウクライナみたいなことが在ったんですね。2022年秋の出展のコンタックスD型はドレスデン-東独-で造られたモノです。

キミは 鷲は舞い降りた を読んだか? ー 冒険小説へのお誘い

(三橋) このあたりで英国ミステリーのもうひとつの別の流れを追ってみよう。冒険小説・スパイ・スリラーの系譜である。そもそも英国にはダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』、ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』といった冒険物語の伝統があったが、まだ19世紀には“外套と短剣”という言葉に象徴される古風で通俗的なスリラー小説が流行していた。(中略) また、冒険小説の方面では、『孤独なスキーヤー』や『キャンベル渓谷の激闘』など苛酷な自然条件と英国人の“ジョンブル魂”を描き、この分野を牽引したハモンド・イネスがいた。アリステア・マクリーン、ジャック・ヒギンズ、デズモンド・バグリイ、ギャビン・ライアルらの活躍は、イネスが切り開いた道があってこそのものであった。

小生がこの 冒険小説 というジャンルにひかれたのは、引退後に英語を忘れないようにしようと始めたポケットブック原書版乱読ジャーニーの第一号が、ジャック・ヒギンズの 鷲は舞い降りた だったことだ。ヒギンズは多作で知られる売れっ子作家になってしまい、最近の作品は粗製乱造というか、およそ見るべきものがないのが残念だが、この記念碑的作品の舞台になっている、第二次大戦の秘話というべき初期の作品をいわば芋づる的に読んで行って、小説もさることながらその実態を知りたくなって何冊かのドキュメンタリや記録物に挑戦することになった。この 鷲 は、史実ではあるが実現しなかった、ヒトラーによるチャーチル暗殺計画の話だが、この作品が特に注目されたのは、それまでの小説も映画も当時のドイツ軍人をいわば悪人あつかいしかしてこなかったのに、ヒギンズは彼らの人間性とかあるいはヒューマニズム、というファクタを盛り込んだことだ。同じような背景で書かれた 狐たちの夜 はストーリーの面白さ、という意味では一番だと思っているのだが、欧州戦線で敵味方に分かれはしたが戦前は英国で学んだ知識階級のドイツ青年が国策と個人の間に挟まれてしまうという、同じ時期に勃発した太平洋戦線での日米両国の場合とは全く違う事情がよく描かれている。同じようなテーマだが、よりフィクション性の高いいくつかの作品 双子の荒鷲 反撃の海峡 ウインザー公略奪 なども面白かった。いずれにせよ、現代史の勉強という意味もあるが、戦争とは全く違った、三橋氏の言われる意味での冒険小説、というカテゴ リでのヒギンズは何といっても 脱出航路 に描かれる海との戦いと再び国境を越えたヒューマニズムだろうか。ヒギンズにはもう一つ得意なテーマがアイルランド紛争にまつわるエピソードであるが、中でも 非情の日 はヒギンズ本人も好きだと言っているらしく、心に響く作品だと思っている。ヒギンズのものはデビュー当時からさかのぼって20冊以上読むことになったが、小生のお気に入りは 廃墟の東 という中編である。全体に漂う虚無感の様なものが自分の心の周波数に合致するように思うのだが、一般受けはしなかったようだ。

ヒギンズのいわば先輩筋にあるアリスティア・マクリーンにも素晴らしい作品が多い。中でも 女王陛下のユリシーズ号 は冒険小説、というジャンルにとどまることのない傑作だと小生は思っていて、絶望の淵に追い詰められた男たちの振る舞いと猛烈な嵐、訳者はマクリーンの原文をどう日本語にすればこの本の神髄をつたえられるのか、自分の能力のなさを嘆いた、と告白したくらいの圧倒的迫力がある。良く知られたのはグレゴリ・ペックの ナヴァロンの要塞 、やはり映画化された 荒鷲の要塞 とか 八点鐘の鳴る時 なども歯切れのよい作品だ。

イギリス文化の根底にある海洋へのあこがれ、といったものがテーマになっているのが バーナード・コーンウエル という作家で、ロゼンデール家の嵐 嵐の絆 などはヨット愛好家ならば別の意味でも面白い作品だと思う。三橋氏のコメントにもあるが ギャヴィン・ライアル については先に 深夜プラスワン ちがった空 について書いたが、より現代的なテーマでの傑作が多いし、同氏が触れておられる ハモンド・イネス は徹底して大自然の中での話で、その描写が素晴らしい。多少なりとも山、とか雪、に馴染みのある我々にはより親近感を覚えるテーマが多い。

80年代になると映画でもアピールした トム・クランシイ の レッドオクトーバーを追え に始まる軍事ものが盛んになってきて、昨今では軍事スリラー、というような用語も目に付くし、アマゾンで買うと、その原題に THRILLER というサブタイトルがつく本が多くなってきた。こうなると 冒険小説 の定義そのものも再考されるべきかもしれないのだが、同じ副題がついても、最近小生がはまっている C.J.ボックス のテーマはすべて米国ワイオミングとかノースダコタの荒れ野が背景の、個人対自然のかかわりあい、という部分が多いので同じアメリカ発ではあるのだが、よりおおらかな男の闘いは快い読後感にさわやかさを残す。調べてみるとこの人の和訳はだいぶ以前に出されていて、その後の復刊を聞かない。しかし英文は非常に簡潔だし分かりやすいので、原文をトライされたら如何だろうか。

”冒険小説” といっただけで、ハイブラウな読者、純文学志向の人たちにはおよそ見向きもされない、いわば裏街道筋とでもいうべきジャンルがなぜ心をひきつけるのか。評論家の関口苑生氏は、”冒険小説の主人公は愚直なまでに頑固なおのれの倫理観を持つ”、とし、”その主人公がさらに成長し、自己を獲得していく過程” を描くものを冒険小説である、と定義している。ただ単に暴れまわって破壊行動を繰りかえすだけのものは決して冒険小説ではない、というのだ。このあたりの言い方は、ハードボイルドを語るときにもよく出てくる。グーグルでは (ハードボイルドは、文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう)と言い切っているが、決して暴力・反道徳的内容がその定義の必要要素ではあるまい。同じことが冒険小説の定義にも当てはまるので、そういう意味では関口氏の定義には同意する。

ハードボイルド派についてはまた稿を改めるとして、とにかく、年齢的ハンディが日々積みあがっていく毎日、心の憂さの晴らし場所、くらいに考えて、諸兄、せめて 鷲 か ユリシーズ でも読みたまえ。