国連の安全保障理事会(「安保理」)のメンバーは、拒否権を持った常任理事国が5か国(米英仏ロ中)と非常任理事国10か国の合計15か国です。常任理事国は航空機でいえばファーストクラス、非常任理事国はビジネスクラスに例えられることがよくあります。常任理事国は、常にイスが用意されており、決議の採決に際し拒否権があるという大きな特権を持っていますが、それ以外は両者にそれほど大きな差があるわけではありません。むしろ、両者とも、安保理のメンバーでない大多数の加盟国(エコノミークラス)との間に、甚大なギャップを有しています。国際の平和と安全の維持のため、日々神経をとがらせて対策を審議しているのが、安保理の常任(ファースト)及び非常任理事国(ビジネス)です。
日本政府は、1994年に、河野洋平副総理兼外務大臣が国連総会で、日本が安保理常任理事国として責任を果たす用意があると表明して以来、一貫してこのファーストクラスたる常任理事国への仲間入りを目指す国連改革を提唱してきました。それからもう30年にもなりますが、国連改革は遅々として進展せず、その間、ファーストクラスを望む日本政府の立場は、全然変わっておりません。総理、外務大臣、外務次官、国連担当の外務省幹部の顔触れは次々と変わり、国連改革については、毎年同じことを繰り返して、ただお茶を濁すだけで済まされてきた感がします。この問題の停滞と閉塞感ゆえに、日本の世論の国連に対する好感度が、他の先進国に比べて極めて低いのではないかと思われます。2023年夏の米ピューセンターの国連への好感度調査では、欧州勢は軒並み6,7割以上、米国ですら58パーセントが肯定的なのに対し、日本は40パーセントでしかありませんでした。この日本の低い数字は、近年常態化しています。
30年前、日本は堂々たる世界の大国でした。1968年にドイツを抜いて世界第二位の経済大国となったあと、世界のGDPに占める日本の割合は、1980年に約10%に、1995年には17.6%にまで跳ね上がり、経済大国としての地歩を固めました。1990年代、日本の国連予算の分担率は上昇を続け、2000年には、米国の25パーセントに次ぐ第2位で、20%強にまで増大しました。政府開発援助(ODA)は、世界第一位。まだバブル経済の余熱が残っている時代でした。世界保健機関(WHO)のトップには中嶋宏氏、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)のトップには緒方貞子さん、そして国連本部では明石康氏が活躍していました。1994年のカイロでの国連人口開発会議の際の光景が思い出されます。人口問題を議論するパネルの壇上には、WHO, 国連人口基金、国際保健議員連盟の幹部が並んだのですが、それぞれ中嶋宏、安藤博文、中山太郎とすべて日本人でした。そして、日本政府は、1997年に京都で地球温暖化防止会議を主催します。
あれから一時代が過ぎて、日本の世界におけるプレゼンスは、様変わりしました。2010年に中国に抜かれて世界第三位となった日本の経済力は、現在では世界のGDPの約5%しか占めるにすぎなくなり、2023年中にはドイツに抜かれて世界第四位の地位に落ちた模様です。一人当たりのGDPでは、2023年中に、韓国、台湾に追い抜かれたと推測されます。政府開発援助(ODA)の2023年度予算額は、1,1兆円を超えたピーク時(1997年度)に比べて半額以下の状況です。日本はもはや、世界の大国の地位から転落しつつあるといってもよく、これからは中堅どころの国々の仲間入りにはいりつつあると認識すべきでしょう。わたしのような高齢者には、経済大国としての日本のイメージが強くて、そのノスタルジアに浸りがちなのですが、今の若い人たちは、そのような幻想を持っていないように見受けられます。
安保理のファーストクラスの座を狙うために、日本は、同様のドイツ、インド、ブラジルといわゆるG4グループを組んで、グループとしての決議案作りや閣僚会議を開催してきました。このうち、ドイツは、言わずと知れた欧州連合(EU)の雄であり、確固とした欧州諸国の地盤があり、経済力でも日本を上回りつつあります。インドは、最近世界第一位の人口大国となり、経済力も近く日本に追いつかんとする、右肩上がりの昇り龍です。ブラジルは、豊富な資源大国であり、人口も日本の2倍近くの「将来の大国」です(いつもそういわれ続けて、ブラジル人は期待しているのですが、なかなかその「将来」がやってこないのが悩みのタネのようです)。こうしてみると、右肩下がりのわが国と、これら三国との間には、れっきとした差があるのが分かります。このG4グループは、少なくとも日本の観点からは、「持続可能」ではないのです。
日本としては、そろそろファーストクラスを目指すのをやめて、ビジネスクラスでいいではないかという声が、国連に関係した外務省OBからも次々と上がっています。2015年に、「ビジネスクラスに乗りますか?」と外務省関連の会誌に寄稿文をのせたのは、2021年に亡くなった大島賢三元国連大使です。ビジネスクラスという言葉を初めて使ったのがこの大島大使でした。彼は、「ビジネスクラスが数席できれば、貢献能力の高い国で多数の再選支持が確保できる実力国には、100パーセントの確証はなくても、”事実上の常任性”への道が大きく開かれることになる」と主張しました。吉川元偉元国連大使も、2022年4月19日付けの日経新聞に、「準常任理事国創設へ国連憲章改正を」との寄稿文を掲載しています。最近では、神余隆博元国連次席大使、元ドイツ大使も、日本がファーストクラスを得られる見込みはなく、政策を転換して、反対の少ないこのビジネスクラスたる「準常任理事国」の創設を目指すべきとの主張をしています。不肖わたし自身も、国連事務次長を退任した2012年の外務省の幹部会で、そのような声を挙げました。
「準常任理事国」案というのは、現行では、非常任理事国は連続再選ができず、任期も2年にとどまるのを、国連憲章を改正して、非常任理事国数を増やし、その任期を数年程度延長するとともに、連続再選を可能にするものです。これだと、選挙で選ばれさえすれば、かなりの長期間にわたって、非常任理事国として安保理のメンバーでいることができるようになります。すでに2005年の段階で、当時のコフィー・アナン事務総長は、「メンバー国にとっての選択は、10年、20年かかっても完璧な解決を追求するか、準常任理事国の線でいま妥協の道を探求するかである。後者であれば合意形成は可能であると確信する」と述べていました。当時のアナン事務総長案の、ビジネスクラスだけを増やすB案であれば、実現する可能性はあったのです。
安保理改革に熱意のあったコフィー・」アナン事務総長の案が出てから、もうすぐ20年がたとうとしています。コフィー・アナンを継いだバン・キムン事務総長は、韓国の外交政策を反映してか、安保理改革には極めて消極的でした。毎年年初には、国連職員の幹部会でその年の国連にとっての優先事項を決めるのですが、2008年ごろだったでしょうか、その草案に安保理改革が含まれていないのを見つけてわたしが加筆方修正を提案したのですが、バンキムン事務総長は、「メンバー国がむにゃ、むにゃ」と口を濁して、加筆に応じませんでした。
日本政府は、いつまで実現しそうにない夢を追い続けるのでしょうか?みんな、安保理改革については総論賛成ですが、各論になると動きがパタッと止まってしまいます。そろそろ目を覚まして、実現性の高い改革を目指すべき時が来ました。この問題については、政治家にも、外交官にも、国連幹部にも、強いリーダーシップが求められます。ことは、日本の国益、外交的な利益、国際的プレゼンスの向上、日本の声の国際的な発信力に大いにかかわることです。安保理のメンバーでいることと、安保理の蚊帳の外にいるのでは、月とスッポンほどの違いがあるのです。ニューヨークの日本の国連代表部に勤務していた折、このビジネスクラスとエコノミークラスの差をまざまざと見せつけられました。ビジネススクラス入りを果たした東南アジアの外交官は、エコノミーにいるわたしたちとのランチの席上「忙しい、イソガシィー」といいながらも、世界の大問題に毎日追われる仕事の充実感を顔色や素振りに見せておりました。安保理の中にいるのと外では、外交官の顔つきが変わるのです!
2023年と2024年の2年間は、日本はこの安保理の非常任理事国としてビジネスクラスに乗っています。報道によれば、この後は、アジアグループの多くの国が立候補を予定していますので、日本がふたたび非常任理事国に立候補するのは、2032年になるようです。それでは、少なくとも8年間は安保理の蚊帳の外の、エコノミークラスに甘んじなければなりません。これからの日本の将来を見通すとき、もはや猶予は許されません。一刻も早く、これまでの政策の転換を図り、早期の安保理改革を実現してもらいたいと思います。「ビジネスクラスでいいではないですか」というのが、今回の話のタネです。ご賛同いただけますでしょうか?