乱読報告ファイル (55) 女流探偵小説家、見参 (普通部OB 菅原勲)

「霧の中の虎」(1952年。翻訳:山本俊子、2001年11月出版、早川書房)。「殺人者の街角」(1958年。翻訳:佐々木愛、2005年6月出版、論創社)。

英国の三大女流探偵小説作家は、A.クリスティー、ドロシー・L・セイヤース、マージェリー・アリンガムと言われている。ニュージーランドのN.マーシュを含めて四大と呼ばれることもあるようだ。

その一人であるアリンガムの本を読んだわけだが、何故、読んだかと言えば、単なる犯人探しの本格探偵小説ではなく、スリルとサスペンスに満ち溢れた傑作と喧伝されていたからに他ならない。その内容は、いずれも、「犯人はわかっているがなかなか捕えられず、早く捕えないと甚大な被害が及ぶような事態」(Wikipedia)を描いたものだ。

なかでも、「霧・・・」については、英国の識者が「アリンガムの最高傑作」と謳っていることから、それこそ、米国のW.アイリッシュの「幻の女」(1942年)の如きスリスリ、ハラハラ、ドキドキを大いに期待していた。ところが、結果は、スリスリのスの字の欠片もない、期待外れの駄作、愚作だった。題名の「霧」はロンドン、「虎」は殺人犯を意味するのだが、この殺人犯が小物で、まるっきりのチンピラと来ては、感情移入など出来るわけがない。しかも、のっけから「霧は氷水に浸したサフラン色の毛布を思わせた」と言う表現が使われているように、単刀直入な表現でなく、持って回った言い回しが至る所にちりばめられ興をそぐこと甚だしい。つまり、犯人の魅力に極めて乏しいこと、加えて、回りくどい表現が頻発することなど、これがサスペンスとは到底言えないシロモノなのだ。

二冊目の「殺人者・・・」は、確かに、殺人者に魅力があり(良い人と言っているわけではない)、人物造形に格段の進歩が見られたのは間違いない。加えて、持って回った言い回しも少なくなって読み易くなっている。こちらの方が、「霧・・・」より遥かに面白かった。でもスリスリ位で、ハラハラ、ドキドキとまでは、到底、行かなかった。

しかし、ここでよくよく考えて見ると、英国の三大とは言いながら、面白さと言う点では、他の二人より、クリスティーがずば抜けていることが良く分かる。探偵小説は、所詮、娯楽に過ぎない。面白いことが絶対に必要だし、何も文芸臭などと言うイカガワシサなど不必要だ。その点で、クリスティー(1890年―1976年)は、同じ英国の女流探偵小説作家、ウェクスフォード警部シリーズで有名なルース・レンデル(1930年―2015年)に「人物造形や社会性の浅薄なクリスティー」とまで軽蔑され、バカにされているが、じゃー、レンデルは面白いかと言えば、その点では、レンデルはクリスティーの足元にも及ばない。例えば、そのレンデルのウェクスフォード警部ものは、本国では1964年から2011年まで23冊が刊行されているが、日本では最初の18冊は翻訳されているものの、残りの5冊は、未だに未約であることでも証明されるだろう。また、探偵役一つを取って見ても、お馴染みのH.ポワロに始まって、J.マープル、トミーとタペンス、P.パイン、H.クィンなど、多士済々であることでは他の追随を許さない。

アリンガムを語って、最後にはクリスティー礼賛になってしまったが、これからクリスティーを凌ぐ、敢えて言う、男女を問わず、探偵小説作家が果たして出て来るだろうか。

(編集子)推理小説、てえのはそれを生みだす国民性というか社会環境という、そういうものの産物なんじゃないだろうか。クリスティの時代、1930年代の社会にはまだ階級意識みたいなものが残っていて、英国では上流階級のたしなみみたいなものだったようだし、米国に渡ったとはいえ、ヴァン・ダインにしてもクイーンにしても、雰囲気は英国文化をそのまま持ち込んだ東部のエリート臭がぬけていない。アメリカでブラックマスク誌に影響されてハードボイルド文学が出現するまで、伝統的なミステリ分野ではクリスティを越える作家はでてこなかった、ということだろう。

 

 

金沢・福井の旅   (44 安田耕太郎)

金沢大学卒の高校時代の友人の案内で金沢・福井を訪れました、2泊3日の旅。

各地桜が満開で先週の東京に続いて「江崎のグリコ」宜しく2度美味しい満開を愛で、楽しめました。能登半島地震により落ち込んだ観光需要を喚起する「北陸応援割」(実施期間: 3/16 〜 4/26、GW後も継続検討中) の恩恵で「金沢日航ホテル」宿泊料金が大幅に割り引かれ、1泊朝食付き8千円で泊まれたのはラッキーでした。

金沢では「金沢城」「兼六園」「ひがし茶屋街」「武家屋敷跡」「近江町市場」「21世紀美術館」を散策。インバウンド観光客の姿が目立ちました。

(編集子)普通部時代からの親友のひとりに朝倉実がいる。昭和30年代の中学では、殴り合いだの鉄拳制裁なんてのは日常茶飯事だったたが、だれが見ても強そうな奴に挑む馬鹿はあまりいなかった。同期生では、エーガ愛好会メンバーの菅原勲なんかはなんせでかくて強そうで、低音でうなる聲がすごくて、だれも手出しをしなかった。今となっては誰も信じないだろうが、小生はそのころ、すでに現在と同じくらいの体躯だった(なので ジャイアント、略してジャイ、のあだ名ができたのだぞ)ので、なにかあっても勝ち組だった。朝倉は体躯はそれほど大きくなかったが、形容しがたい凄味見たいのものがあって、彼に挑戦するのは度胸が必要だった。その朝倉は大学卒業後、大手金融機関で現役時代はKWVOBの妹尾さんとともに要職にあったのだが、何を隠そう、朝倉義景公から17代目の直系にあたる。つい先日、同期会で久しぶりに会ったので、安田君の写真をみせたところ、コメントをくれた。本人の承諾を得てメールを転載しておく。

(これは 一乗谷城下の 朝倉遺跡の 正門です。門の 表の門表は 朝倉家の 三もっこ ですが 裏の 門表は 侵略した 信長の 門表に 成ってます。朝倉一族は 信長秀吉の連合軍に 滅ぼされて 壊滅してますので 私が 居るのは 史実によれば 全く おかしな事なのです)

彼によれば朝倉家の菩提寺は福井市内の心月寺だそうだが、歴史書にある史実がおかしいのではないか、という朝倉本人の言は重大である。先日、今は学者なのかタレントなのかわからなくなっている磯田道史の ”日本史を暴く” という本を読んだばかりだ。彼の指摘を磯田に売り込んだらひょっとしたら新史実が現われて大売れすれるかもしれない。そしたら、印税の分け前を要求して金沢の美酒でも飲もうか、どうだ、朝倉。

(小田)皆様からの桜の写真の数々楽しく拝見致しました。

私も以前、白川郷、五箇山、越中おわら風の盆、兼六園、近江町市場など観光し、小松空港から戻ったことがあります。花を楽しめる春もよいですね。

クリスマスローズが花をつけました  (41 齋藤孝)

桜が満開になりましたが軽井沢はまだ冬です。

「クリスマスローズ」だけが「花咲か爺」を迎えてくれました。花々は下向きで控えめで、決して顔を上げてくれません。はずかしいのか、内気なのか、その昔のおしとやかな日本女性のようです。

深い落ち葉の柔らかな褥から目覚めて、寝起きの顔を恥ずかしそうに隠しています。

エーガ愛好会 (263) テレビ再放送番組も結構なもんです

ここのところ、BS劇場に見たい作品があまり出てこない。CSチャンネルをなんとなく探していたら、一昔前のことになるがその時には見ることもなかったミステリもので、本では結構固めて読んだ、西村京太郎原作 ”十津川警部” 番組の再放送にぶち当たった。懐かしさもあって、以来、昔読んだ時を思い出しながら放映は逃さずに見るようになった。たまたま出会ったのは渡瀬恒彦主演のシリーズなのだが、このシリーズの後編ともいうのが内藤剛志主演であること、さらには船越英一郎主演ものなどにも出くわしたので、待てよ、と例によってググってみると、今まで十津川を演じた俳優は16人いることが分かった。そもそも時間的に一番早かったのが三橋達也で、夏八木勲、宝田明、天知茂に神田正輝に高島忠夫に若林豪などなど、これまた懐かしい名前がずらりと出てきた。

原作者の西村京太郎は多作の作家として知られているが、作品数は600作を越えるそうで、グーグルには ”本気で読むならこの順番にしなさい” という記事があるほどだ(昔は大分読んだものだ、などとうそぶいたのが誠に恥ずかしい)。その作品群のなから代表作の十津川警部ものはトラベルミステリ、と呼ばれたように主に鉄道に関しての著者の蘊蓄を発揮した作品である。テレビ作品として、シリーズ化されたものも多いので、毎回出てくる助演陣にも親近感を覚えてくる。渡瀬シリーズでは、いわばホームズもののワトソン役の亀井刑事を伊東四朗が勤めているのだが、調べてみるとこの役には、歴代、どういうものか愛川欣也、坂上二郎、い かりや長介、高田純次、犬塚弘、とコメディアンとして名を成したひとが充てられていることが多い。本を読んでも、亀井刑事は実直なたたき上げの刑事で、コミカルな要素が要求される役どころではないのだが、当時、コメディ畑のひとの転身が流行っていたのか、そのあたりの事情は分からない。しかし目下、放映されている渡瀬主演版の伊東四朗、内藤版の石丸健次郎、船越版の門野卓造と、いずれもベテランらしい、抑えた、落ち着いた役作りである。

そういうわけで、ここのところ、テレビを見る時間が増えているのだが、BS でも CS でも、いわゆるミステリ物の多いことに驚く。しかしポワロやホームズあるいは金田一恭介といった、いわゆる名探偵ものはほとんどなく、より現実的なストーリーを追う結果、警察ものの数が多いが、いっとき世を風靡した裕次郎の 西部警察 のような現実離れしたものでないのがいい。そういう意味では、これも存在したことさえ知らなかったのだが、村上弘明と加藤剛のコンビで語られる森村誠一の 刑事の証明 は抜群の出来である。十津川シリーズが物語、であるとすればこの村上作品は引き締まった、社会性のある重厚な作品だ。ただ残念ながらわずか9本しか作られておらず、DVD化もされていないのが誠に残念なことである。

再放送の作品群、たしかに時代背景は古くなっているが、満足できる作品が多いのは俳優陣が見慣れたもので、同じシチュエーションでも実感を伴わない洋画とは違って、いわば ”懐かしき日々” を再現してくれるからなのだろうか。

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西村 京太郎(にしむら きょうたろう、1930年9月6日 – 2022年3月3日)は、日本推理小説家。本名は矢島 喜八郎(やじま きはちろう)[3]。人気シリーズである十津川警部シリーズ[1]や、トラベルミステリーで知られる。

日本中にトラベルミステリーというジャンルを示すきっかけとなったヒット作『寝台特急殺人事件』から全面的にトラベルミステリーに移行する。西村が考えた、鉄道などを使ったトリックやアリバイ工作は、そのリアリティが功を奏し根強い人気がある。

(もりむら せいいち、1933年昭和8年〉[1]1月2日[2] – 2023年令和5年〉7月24日)は、日本小説家作家。元ホテルマンであり[3]、ホテルを舞台にしたミステリー作品を多く発表している[4]江戸川乱歩賞日本推理作家協会賞など数々の推理小説の賞を受賞した[3]

年代の作家として大藪春彦と交遊があり、森村は大藪の葬式で弔辞を読み上げた。また「思想の違い」を乗り越えて、角川春樹とは同志的連帯感があり[16]、角川が麻薬事件で逮捕された時は、「角川書店の将来を考える会」を自ら主導して結成した。その記録を『イカロスは甦るか―角川事件の死角』として出版した。

 


 

こんどは咲いてた  (34 小泉幾多郎)

3月末恒例の花見は桜なしの花より団子で終わりましたので、近くの鶴見川畔の新横浜寄りの一角にある、散り始めの赤い横浜桜、咲き始めの白い染井吉野を眺めてきました。とても飯田さんや安田さん達の京都哲学の道や砧公園等には比較にならない桜ですが。

(編集子)昨日、わがパートナーから深大寺の桜見ようよ! と声がかかったが、一昨日の普通部同期会の疲れが出て気分が乗らず、彼女は一人で出かけて行った。すばらしかった、そうだ。小生の今年の花見は京王線仙川駅前広場で終わった。花より団子、は毎年のことだが。

慶応普通部卒業70年の集い

              檄!

歳月人を待たず、階前の梧葉既に秋声。
古の賢哲いわく 人生は川の流れ 人の最期にのこるべきは 想い出なり、と。

天現寺の茅屋に会し、土埃濛々日吉の庭に燃やしたるわれらが青春、慶応義塾普通部の日々、これをもって至上の想い出とすわれら至上の幸福者ならざらん。

あまたの朋友、すでに境を越え、会すること能わずとは言えども 彼らが童顔哄笑 いまなお脳裏にあり。

我ら齢傘寿を迎え、最終コーナーに挑むとき、その心意気たる普通部伝統のスピリットを共にせんと、同志つどいて卒業70周年同期会を画したり。

乞う、京橋に会せよ。

2024年4月6日、京橋 ”モルチェ” に昭和29年卒業同期生合計51人集い歓を尽くす。桜満開が告げられたこの日、首都東京はうすら寒かったが俺達の心はあたたかだった。

(伊藤俊明)こころあたたまるまた元気をもらえた会でした。普通部に学べた幸せをかみしめています。

(吉原治彦)昔懐かしい旧友に再会し楽しい一時を過ごせました。お礼申し上げます。我々もよるとしなみには逆らえず体力の衰えを感じますが気力で補いまだまだ頑張りましょう。又会う日まで。

京都では桜がありました   (大学クラスメート) 飯田武昭

例年に比べ開花が遅れた今年の桜ですが、やっと開花の後、雨勝ちの天候になり、鑑賞する時期がなかなか難しかったですが、平日でまずまずの天候を狙って、本日(京都も本日、満開宣言をしました)京都の「哲学の道」の桜を鑑賞してきました。

「銀閣寺」の庭園を先ず鑑賞した後に、圧倒的なインバウンド観光客に混じって「哲学の道」を散策しましたのでご笑覧ください。

桜なしの花見   (34 小泉幾多郎)

総持寺仏殿

ようやく桜も満開。3月27日高校クラスOB、3月29日大学KWV同期 の恒例の花見は続きましたが、今春は桜の開花が遅く、3月での花見はとても無理。幸い今年の幹事のプランは、花より団子に近く、当初から、花見は諦め 別の楽しみは満喫出来ました。
高校の方は、クラスが1年だけ男女共学でその時の担任の故寒川先生の名をつけサムチャン会と名付け、今回で25回目。男5女6計11名参加。場所は、神奈川県鶴見にある総持寺。今年は偶々寺の開祖である瑩山(けいざん)禅師が亡くなられて七百年に当たるとのこと。今回初めて知ったのですが、元旦の地震で大打撃を受けた能登の総持寺が大本山だったとのこと。広さ15万坪あるそうで、12もの諸堂が繋がっていて、案内に従って拝観するのに、10時半から12時まで1時間半程かかり、年寄りには歩くだけで疲れました。精進料理を食べて解散。
大学は、KWV同期男4女2妻帯3計12名、場所三田キャンパス北館ファカルティクラブ。29日は高尾山中止の日で朝から風雨、やっとの思いで辿り着く、午後は晴れたが、会食のみ。ナフキンにパレスホテルと印字があり料理は美味でした。帰り旧図書館で大学高校日本一の優勝旗を拝見。

第24回 KWV三田会ゴルフコンペ報告   (51 齋藤邦彦)

恒例の「KWV三田会ゴルフコンペ(第24回)」が4月4日(木)府中カントリークラブ開催されました。

この大会は令和元年に開催されて以来、コロナ禍や悪天候のため中止が続いていましたが、当クラブ会員の田端さん、副幹事の藍原さんほか幹事団皆様のご尽力により5年ぶりの開催が実現しました。幹事の私も長年の任から解放されてほっとしています。

この日の天候は長期予報では雨90%となっていましたが、これ以上は延期したくないという気力で天気は奇跡的に持ち直し「薄曇り20度」という絶好のコンディションのなかで七分咲きの桜の花を愛でながら最高のラウンドをすることが出来ました。参加者は23名の腕自慢が揃い、上位はわずか3打差の中に8人が集中するという大激戦で、これを制したのは水町さん、準優勝は0.2打差で吉井さんでした。特筆されるのは最年長のドテ先輩が並み居る飛ばし屋を押さえて堂々とドラコン賞を獲得されたことです。60歳代・70歳代の若手も大いに触発され、まだまだ頑張らねばと意欲を新たにしました。

優勝者(=次回幹事)からは来年以降もこの大会を継続するよう取り組むという力強いお言葉があり、和気藹々の雰囲気の中で無事に散会となりました。

 

 

マンション理事長の日記  (41 齋藤孝)

「交通誘導員ヨレヨレ日記」、「派遣添乗員へとへと日記」など、
低調な出版界で今、汗と涙のドキュメント日記シリーズが好評である。
これまでのタイトルを並べると、読者を引き付ける泥臭いコトバが続く。

「非正規介護職員ヨボヨボ日記」
「ケアマネジャーはらはら日記」
「コールセンターもしもし日記」
「バスドライバーのろのろ日記」
「大学教授こそこそ日記」

 どちらかと言えば日陰の仕事。ブラック業界で働いた苦労人の生々しい話ばかり。好んで飛び込んだ業界ではなく、生きていくために、やっと得た生業の体験談といえる。「ヨボヨボ」「はらはら」「もしもし」「のろのろ」など「オノマトペ」が目立つ。
酒を飲むと気持ちが「ホンワカ」となり、血液の流れも「サラサラ」になる。
いつも腹の虫が「ゴロゴロ」と泣く。こんな「オノマトペ」は未開な幼児コトバなのだ。

「大学教授こそこそ日記」

「こそこそ」は、見つからないように密かに励んで教授まで昇りつめた成り上がり学者の実話。 関西KG大学で「こそこそ」と教えてきた三流学者の漫談。まるで私の体験談と似ている。

「マンション理事長ヨボヨボ日記」
82歳になり小さなマンションで理事長に選ばれた。「花咲か爺」ならば信頼できると勘違いされたからだ。「花咲か爺」から「デジタル爺」へ変身。熱烈に改革を述べた。   マンションのデジタル化を推進しよう !! これがイケなかった。

    

デジタル化は大反対された。もともと桃源郷のようなアナログマンション生活。

マンション住民にはプライバシーを危うくするようなホームページは好まれない。わけありのカップルは明るみにされたくない。メールアドレスを露見するなど裸体を晒すようなもの。 GPSで愛の隠れ家を探索される。3度目の離婚や再婚までもバレル。まるで芸能人のように反対意見を述べられた。
豪勢な億ションに住む芸能タレントと同じ気分なのか、ぼろ長屋ではないか。

「デジタル爺」から「花咲か爺」へと再び戻る。そのうち、「マンション花咲か爺のヨタヨタ日記」を書こう。

薔薇のつぼみは膨らみ始めた。今宵はイタリア・ピエモンテ産の「バローロ」を選ぼう。赤ワインは失意の「デジタル爺」を慰めてくれるだろう。まもなく5月。「花咲か爺」は眠れない薔薇の日々が続く。

(編集子))ITだのデジタルなんて言葉が日常化するはるか以前、”電子計算機” がこれからのビジネスを変える!なんて勇ましい言説が出だしたころ、(大学では運動部活動でキャプテンをやってました)の一点張りで入社面接をクリアした小生は、(マー、人事だろうな)くらいに気軽に出社したものだ。新人研修が終わって配属先につれていかれたのがなんと ”機械統計課” なる職場だった。課長に挨拶し終わって顔を上げたら、(今からすぐ、新宿のIBM教育センターへ行ってくれ。あとは向こうで待ってるから)ということ、何が何だかわからないまま、”IBM1401講習会” というのにぶち込まれた。それからほぼ1か月、会社の門をくぐることがなかった。そして初めて自分が プログラマー という仕事をやるんだ、ということを知ることになる。この初体験は結局、自分のサラリーマン人生を決定した。そういう意味では、もっとデジタル人間でなければならないのだが、実はカメのいうアナログ人間のひとりである。彼と違うのは落ち込んだときに飲むのが赤ワインでなく(傍にうるさいのが、KWVならミツョシ、なんてうるさいのがいると一応 ”ブラントンある?” なんて言ったりするけど、ブランドは何でもいいんだ、実は)バーボンというくらいのようだ。