先回本稿で書いた ”西洋の敗北” の著者、エマニュエル・トッド博士の論文が文芸春秋5月号に紹介された。現在論争の火種になっているトランプ外交についての解説として非常に明快なものだ。
今回の寄稿はホワイトハウスでの、ゼレンスキーとトランプ・ヴァンスの首脳会談を、”前代未聞のショー―一つの文明のルールが崩壊した場”という衝撃的なイントロで始まっている。トッドはこれをさらに、米国の新たな ”野蛮さ” が露呈した歴史的瞬間で、破廉恥にも全世界に生中継され、欧州にとってはまさに ”文明の衝突” とも言える事件だった、とし、”トランプ政権の首脳陣が揃って欧州への憎悪と軽蔑をあらわにした”、とも書き足している。
この論文はウクライナ問題をめぐっての話だが、もともとウクライナは自力でロシアと戦えるはずはなかったのが、米英の支援によってロシアが脅威と感ずるほど増強された。その上の支援を受けてもロシアに勝てないのは明確になった今、停戦を論議することは正しい。しかし起きていることは勝者のロシアと敗者としての米国プラスウクライナ、であるのに、あたかも米国はウクライナよりも上位にいる仲裁者、とみせかけている茶番劇である、と断言し、これによって彼のいう ”西洋の敗北” が具体的な事実となるだろう、というのだ。それがどのように起きてくるかはまだわからないが、現時点で確実に言えることは、トランプの行動は不確実で予測もできないが、プーチンの冷静な言動は一貫した論理に基づいたものだ、と書いている。ウクライナへの侵攻は決して突然起きたことではなく、以前からNATOがウクライナを包含する、と宣言した時点で、それは絶対に許さない、とプーチンは明言していた。このようにして起きてしまった、有言実行のロシア vs 予測不能なアメリカ という図式の結果、アメリカを信用したジョージアは結果として領土の2割を失い、ウクライナもその轍を踏むであろう。そしてその不確実性、はいまやトランプ体制のもとでさらに悪化している、というのだ。
”西洋の敗北” は本来欧州の中心にあるべき国々、特にイギリス、ドイツとフランスの迷走によってますます激化し、彼らが理論と行き過ぎた理想論から導き出したEUが、実は国民レベルに大規模な混乱を引き起こしている。それに比べた時、プーチンの指導力と実行力に支えられたロシアの優位は揺るがないものである、と言えるようだ。
EUという体制が実現する前夜、当時編集子は大学で社会思想史に興味を持っていた。この分野とくに欧州思想史の泰斗であった故平井新教授はこの動きを知って、”君たちはこのような歴史の転換を目の当たりにできる時代に生きている。この事実をよく理解したまえ”、と言っておられたものだ。あのころの高揚感にくらべて、いまの西洋の敗北、をだれが予想しえただろうか。
そのトランプの政治姿勢は今やアメリカ経済を支配している一連のIT企業オーナーのスーパー富豪たちが牛耳る形になっているが、その背景や見通しについては、本書でトッド論文の次に掲載された前駐米大使富田浩司氏のトランプ外交に関する解説に詳しい。現在、トランプをめぐって論争が激しいが、文春掲載のこの二つの論文はトランプのみならず、アメリカの現実を理解する貴重な資料となるだろう。トランプ現象に興味を持たれる方のご一読をお勧めする。文春1冊、1200円は決して高くない投資と思うのだが。