昼飯を食い終わって、テレビを何気なしに見始めたのだが、寡聞にして、座頭市シリーズで、座頭市の勝新太郎と「用心棒」の三船敏郎が共演していたなんて全く知らなかった。加えて、滝沢修(小生、芝居は滅多に見ないのだが、T.ウィリアムスの「セールスマンの死」でセールスマンを演じた滝沢が、舞台の上で、青年から老人へと瞬時に肉体改造をやってのけたのには驚いた)、中村斉加年(小生の記憶に間違いがなければ、大河ドラマ「三姉妹」の桐野利秋は、大変、良かった)、嵐寛寿郎(名にし負う鞍馬天狗)、若尾文子(勇気がなくて映画を見られなかったが、「十代の性典」のポスターで憧れた)などが出ているから、世に言われるオールスターキャスト映画なのだろう。1970年の作品で、監督は、「独立愚連隊」(これは面白かった記憶がある。なかでも、主演の佐藤允が良かった)などの岡本喜八、製作は勝新太郎。これは、確かに、総天然色映画なのだが、むしろ、黒白の方が見栄えがしたんじゃないかと言う程に、色付きにする必要は微塵もなかった。
話しは、他愛ないもので、金に目がくらんだ連中のみっともない奪い合いに座頭市も用心棒も参戦する。別に面白くも何ともなく、これは勝を、勝だけを見て満足する映画だろう。果たして、勝、三船は並び立つのか。結局、最後は、両者の果し合いになり、勝は血みどろとなり、三船は左腿を勝の仕込み杖でやられるなど、互角の勝負、いずれかを勝者にすることは出来ず(そりゃー、そうでしょう。勝と三船だったら、どっちかを勝者、どっちかを敗者にするわけにはいかないでしょう)、従って、引き分けに終わってエーガも終了する。
これを見ていて、一言で言ってしまえば、勝は確かに手練れの役者、しかし、三船は相当な練馬大根。要するに、三船は勝の引き立て役になってしまったから、三船はツマラン映画に良くもでたもんだなと感心するしかない。逆に言えば、三船は、黒沢明によって始めて大俳優になったと言えるのだろう。
確かに、勝はあくは強いし、その演技も向こう受けする代物で、好き嫌いは大いにあろう。でも、観客を面白がらせると言う点では、勝は三船を遥かに上回っている。また、この映画そのものが理屈ぬきで、楽しませる典型的な大衆娯楽映画なのだ(実際に、勝と三船が共演すると言うことで、大量の観客を動員することが出来たらしい)。と言っても、勝を除けば、前述のように、たいして面白くはなかったのだが。そして、例えば、確かに、どんぶり飯をガツガツ掻き込むところなんか勝らしいのだが、この映画では、三船に遠慮してなのか、いつになく大人しいのがいささかながら不満が残った。
その他に、誤って息子役の細川俊之に肩口を切られ、幽鬼のようにのたうち回って行く、生糸問屋、滝沢の大熱演。そして、紅一点の若尾は、当時、37歳(1933年生)になっていたが、なかなか可憐そのもの。と言うことは、あの「十代の性典」で憧れていた若尾文子が今年で92歳!まー、こっちも馬齢を重ねて、四捨五入すれば、年齢は似たようなものなのだが。
確かに、勝には、例えば、パンツ事件など、様々な醜聞があったが、映画俳優としては、日本映画史上、稀代のエンタテイナーだったのではないか。現在に至るも、映画俳優として過小評価されているのが誠に残念でならない。
(ウイキペディア抜粋)
「座頭市」は、小説、映画、テレビドラマなどで知られる、盲目の按摩の旅人である。特に映画シリーズでは、勝新太郎が演じたことで有名である。元々は盲目の琵琶法師の座頭を指す言葉で、江戸時代には盲人への施策として「当道」という組織に所属していた者たちのことを指していた.
- 座頭(ざとう):
江戸時代に盲人の階級の一つで、琵琶法師の座に所属する者たちを指す.
- 座頭市:
盲目の按摩の旅人である。小説「座頭市物語」を原作とし、勝新太郎が演じた映画シリーズで有名になった.
- 当道(とうどう):
江戸時代に幕府が認めた盲人組織で、盲人たちが音曲などを学ぶために所属していた.
- 映画「座頭市」:勝新太郎主演で人気を博した映画シリーズで、盲目の按摩の旅人座頭市を主人公とする.