lエーガ愛好会 (343)  ファスター怒りの銃弾 (34 小泉幾多郎)

題名からすると、西部劇かと思いきや、現実に強盗罪による10年の刑期を終えて出所したドライバーと呼ばれる男(ドウエイン・ジョンソン=ロック様と言うリングネームでのプロレス出身)が、かっての仲間たちと強盗を成功させて、金を奪うも、別のグループの襲撃に遭い、兄を殺され自分も瀕死の重傷を負い、如何にこの日を切望し、襲った連中を次々と抹殺して行く復讐劇だった。

出所後用意されていた車を飛ばし、革ジャンを着て、拳銃と弾丸を確認し、通販会社で電話中の男(コートニー・ゲインズ)を射殺したのが一人目。二人目は老人(ジョン・チリリアーノ)と言う具合だが、警察側も警官コップ(ビリー・ボブ・ソートン)と相棒の女刑事シセロ(カーラ・グギノ)が担当し、後で判るのだが、コップが雇った殺し屋キラー(オリバー・ジャクソン=コーエン)もそのコップに雇われ、ドライバーを狙う。その中で、ドライバーは3人目パフォメット(レスター・スパイト)を殺す。4人目は、福音伝道師(アドウエール・アキノエ=アグバエ)敬虔なる神への祈りに感じ入り、殺すのをためらうことに。

以上が10年間じっくりと熟成された憎悪を発現させた経過だが、そのドライバーと対立してきた警察側と殺し屋側の関係が詳しく描かれているのが意外だった。警察側では、コップが息子と仲良くし、妻とも別居を解消するとか。
殺し屋キラーはリリー(マギー・グレイス)と恋仲。良く言えば、ドライバーと刑事と殺し屋の3人が並列で描かれた群像劇になっており、単なる復讐劇で終わっていないところが異色作と言えるかも知れない。

ドウェイン・ジョンソン(Dwayne Douglas Johnson、1972年5月2日 – )[1]は、アメリカ合衆国俳優、声優、映画プロデューサー実業家プロレスラー[2][3][4][5]リングネームザ・ロック(The Rock)としても知られる[2][3]。プロレスラー時代は絶大な人気を誇り[3]2022年の年収は約2.3億ドル(約300億円)[5]となり「世界で最も稼いだ俳優」1位にランクインした[4][6]。近年は自主ブランドのエナジードリンクテキーラなども販売し莫大な利益を上げている

移民政策について考えた   (44 安田耕太郎)

人口減少・人手不足対応の経済優先移民政策と社会秩序・安全・安寧優先の反移民政策の二律背反の難しい問題は今後の日本社会の模様を大きく左右する可能性が高いと予見される。移民政策を間違えば、基本的にhomogeneous 同種同質な日本は、その国家社会観が揺らぐ方向へ向かう可能もあるやにみえる。

理念・倫理感と世界の潮流に沿った感のあった、前ドイツ首相メルケルが採ったドイツ国内に於ける積極的な移民政策は国内的には大きな問題を惹起して、彼女の政治生命にも大きな負の影響を与えたのは周知の通り。理念や倫理観では測れない社会に及ぼす現実的な負の問題の大きさは予測を遥かに超えていた。
北欧のスエーデンは戦後長らく社会福祉を徹底させ裕福で平和安全な国として知られていた。ところが、国是を積極移民受け入れ政策に転換した結果、今日では犯罪が急増し今や平和で安心安全な国家ではなくなった。.一人当たり人口の銃による殺人事件発生率はヨーロッパ最大(最悪)になった(2020年英国Financial Times統計による).

 

 

他にもヨーロッパ域内では、ドイツにおけるトルコ人移民、フランスにおける旧植民地北アフリカイスラム教徒移民による社会の分断と、それがもたらした負の側面は枚挙にいとまがない。スイスの一人当たりGDPは今や日本の3倍近くに達し、世界でも最富裕国の一つだが、スイスへの移民(2024年には17万人、スイス人口は約9百万人)の主たる目的は就労で、その内の95%はEU出身者、すなわち基本的に宗教は同じキリスト教、歴史的にも古代ギリシャ・ローマの何らかの根を共有する可能性も高し、言語にしても、スイスはドイツ語・フランス語・イタリア語を国語とする国で、英語はほぼ国民全員が話す状況下では移民の多くはEU出身者となれば、コミュニケーション・文化・価値観の共有などの面で、社会の中に異物が入り込んできて問題化する可能性は低いと考えるのが妥当だと思える。スイスへの移民出身国は多い順に、イタリア(14%)、ドイツ(13.4%)、ポルトガル(10.6%)、フランス(6.8%)が続く。
スイスは国民皆兵の世界でも数少ない国の一つだ。国民の義務としての兵役を務めるに当たっては、政府と行政は当然ながら、移民としてスイスに居住する者の出自・生活振り・経済状態・税金支払い義務履行・犯罪歴の有無などを詳しく把握しているはずだと推察されます。このことで、社会の分断、犯罪発生を未然に防ぐなどが助長されると思われる。
貧国や発展途上国 ー キリスト教ではない、生活様式・価値観が異なる、経済的に裕福でない ー からの移民には厳しく入国審査を実施しているに違いなく、入り口の段階で、移民がスイス国内で問題の火種になる可能性を排除していると考えられはしないだろうか。

翻って日本の移民政策を観るとき、憂慮せざるを得ない。2024年現在の移民人口は340万人で漸増傾向にある。日本の総人口漸減傾向とは真逆で、一旦移民として日本国内に住み付けば子孫を残し永住する確率が高い。生活習慣・宗教観・文化的価値観の面でhomogenousな社会の構成要素には成りようはなく、社会の分断の火種となる可能性が高い。そして、それは固定化し永続する厄介な問題となっていく可能性大である。今日既に犯罪増加を含め火種が発火していて社会の不安定要素になっている(益々深刻化する可能性大)のはマスコミ等が報せる通りである。将来のより深刻な「覆水盆に返らず」事態を招く移民政策は避けねばならないと思う。かくの如く、軽々しく経済優先の移民増加に舵を切るべきでは決してない、と強く思う。木を見て森を見ない愚を犯さないように。

エーガ愛好会 (342) べートーヴエン捏造    (HPOB 小田篤子)

NHKドキュメンタリーを観て、ベートーヴェンの耳が不自由になってからの秘書(1822年から)、シンドラーとのやり取りを書いた《会話帳》に、改ざんした個所が発見され、楽譜にも不審な点があることから、現存する139冊をドイツで調査中…と知りました。その後、偶々見かけた、かげはら史帆著の「ベートーヴェン捏造」を読み、先日映画化され上映中…のCMをパッと発見!観に行ってきました。

ストーリーは、だいたい本と同じ。ベートーヴェンを崇拝していた、バイオリンニスト、シンドラーは秘書となり、会話などは『会話帳』(400冊)に殆ど書いて行っていました。ベートーヴェンやまわりの親しかった人々が亡くなると、会話帳を焼却したり、不都合な個所を改ざんし、1840年に伝記を出版します。
伝記は売れ、出版された英語版を読んだベートーヴェン好きなアメリカ人ジャーナリストがいました。色々な人の書いた伝記を読んでいた彼は、それらとの違いに気づき、ウィーンのシンドラーを訪ねる。ベルリンにも寄り、残された139冊の『会話帳』を閲覧。それからは、ドイツ語を勉強し、健康を害するほど毎日通って、手書きで写しながら、不審な点を調べていきました…。
*やはりお笑い芸人、バカリズムさんの脚本。音楽室の写真とは全く違う、古田新太がベートーヴェン役! 初め違和感がありましたが、耳の聴こえない状態での指揮のシーンは迫力がありました。銅像の顔が古田新太なのには、可笑しくなりました。
弟、ヨハン役は小澤征悦、それに遠藤憲一、生瀬勝久、(ジャニーズV6)井ノ原快彦のちょっとふざけた?配役と、オール日本人同士が、「ヨハン…」「ホルツ…」「ショパン…」と呼び、会話の中に入れるのが不自然だけれど面白く感じました。又、シンドラー役の山田裕貴を、放課後、中学の音楽室に忘れ物を取りにきた生徒にこの「……捏造」の話を聞かせる音楽教師役にもしたのはお笑い芸人、バカリズムらしい気がします。
(編集子) 昨日は急に思い立って、 ”カントリーのベートーヴェン” すなわちハンク・ウイリアムズをかけっぱなしで日曜大工に励んでいた。こちらは米国南部の敬虔なクリスチャン、世界中のCWファンに愛され続けて僕の知る限り道を踏み外した話がない。新しい世代の中心だったジョニー・キャッシュのほうは映画になったくらいでいろいろとトラブルがあったようだが、改心(?)して、映画のタイトルにもなったが I walk the line  なんて曲を書いたりしてる。トランプにも少しはまねてほしいくらいだ。今日はミッキーの話でその気になって、久しく聞かなかった ”皇帝” でもかけようか。久しぶりの青空でもあるし(かんけーねーか)。

世界の旅 カザフスタン 「放浪の民の国」  (41 斉藤孝)

気分転換としてカザフスタンに行って来ました。カザフ人は「自由の民」でした。

 

なだらかな緑の草原の彼方に荘厳な雪山が連なっていました。紺碧の湖は、まるで上高地の大正池のような風景です。広大な砂漠の彼方にも天山山脈の雪山が見えました。「カザフ」はパミール高原に広がる壮大な大自然の世界です。 

「カザフ」とは、放浪の民を意味します。

そして「カザフスタン」とはトルコ系の「放浪の民の国」となります。余談ですが類似した「コサック」はロシア系の放浪の民といえます。カザフとコサックに共通することは辺境にすむ「自由の民」なのです。遥か遠い緑の草原でカザフの鷹狩の戦士は奏でました。

 

飛べよ鷹

飛べよ果てしない空を

天山の山に影を落として

自由のため死ね”

(編集子)毎回感じるんだが、まあ、よーやるよなあ、の感嘆に尽きる。好漢、益々のご活躍を祈る。

俺が知ってるのはナポリタン。これは戦後間もないまだ日本が不自由だったころ、横浜で誕生した新しいメニューということだから、ま、自由、を感じるべきなんだろうな。

エーガ愛好会 (341) アウトロー 

テレビの再放送ものを見直した。同じ題名の現代もの、トム・クルーズがシリーズキャラクタのリーチヤーを演じた作品はいたって簡単明瞭な, リー・チャイルド初期の作品の映画化で、原作を読んでいたこともあって気楽に楽しめたのだが、こちらの アウトロー  にはちょっと違和感があった。

冒頭、主人公のイーストウッドが家族を殺され、家を焼かれるところから始まり、悪漢たちが赤いゲートルを履いている集団であることが示される。その後、そのあとのいくつかの場面を通じて、時代が南北戦争終結寸前の混乱期だということが観客にわかってきて、赤いゲートルの一味は北軍にあった悪名高いクアントレルゲリラを模したものだろうということも推察できる。復讐心に燃える主人公が独力で拳銃の腕を磨き、北軍に身を投じるが敗戦処理の過程で(なぜこうなったのかが説明されないのも不満)起きた騒動で兵士と戦い、多くをガトリング銃を駆使して殺し、一転、追われる身になる。その後はいくつかのエピソードが描かれ、また一人になった主人公が結果として凄腕のガンマンとして今に伝えられている、というのがあらすじだ。

同じような筋立ての作品は過去にもあったが、それらとくらべてこれは製作者(イーストウッドなのだが)の見方というか発想ばかりが空転しているようで(彼の活躍時期がいわゆるニューシネマ勃興期だたことも関係しているかもしれない)、結果として見終わっても(だからなんなんだ)という感じが残っていて釈然としないし、もっと単純に言えばセーブゲキの持ち味の爽快感とか没入感がない、中途半端な出来上がりだと感じた。ま、そういうレディメードの感想を求めないのが二ューシネマなる作品群が求める成果なんだろうから、それはそれでいい、ともいえるんだが。

ところがグーグルで調べてみて驚いたのは、この作品が批評家筋では高く評価され、作曲賞を得ているほか、永久保存すべき作品として遇されているというのだ。曰く、当時の現地に住む人たちの境遇や考えがよく描かれているとか、無法者のもつ寂寥感とか、そういうものの描写がすばらしい、というのが理由らしい。ローハイド時代を経て、西部劇の数々、テレビならダーティハリー、そのほか多くの佳作、例えばグラントリノなんかは特にそうだが、小生ごひいきのクリントさんよ、そうかなあ、というのが率直な感想なんだが。

コロナの予防接種 まだやるの? (普通部OB 篠原幸人)

先日、コロナの新変異株 ニンバス のことを書いたところ 熱心な読者の某君から「予防接種はどうなっているの」という質問がきました。ご尤もな質問ですね。政府も厚生省も もうお金も手間もかかる予防接種には関わり合いになりたくないようですが。

新しい接種は65歳以上の高齢者(高齢者はいまや75歳以上だけどね)か、基礎疾患(糖尿病・高血圧の治療中とか、呼吸器疾患・脳卒中・心臓病やがんにかかっている人など)のある60歳以上の方が対象です。これらの方々に接種に対し国からは補助が出ませんが、住んでいる自治体から多少の補助は出ると思います。住民税の高い地域ではかなりの補助が出るのかな? 大体接種の費用は1万5千円以下になるでしょう。この点は、かかりつけの先生か、近くの保健所で確かめてください。住んでいる場所により大分違うと思います。接種の対象外の方でも受けられますが、多分全額自己負担になるでしょうね。10月1日から来年3月まで出来る筈です。

今、5種類のワクチン(ファイザー・モデルナ・第一三共・武田・明治製菓ファルマ)が用意されていますが、接種する施設によって何が用意されているのかも尋ねる必要があります。

先日話した「ニンバス」にも効果があると厚生省は言っていますが、どうも最近の役所のいう事は当てになりませんがね。でもやらないよりは良いでしょう。 心配な方や、持病のある方、以前の接種で特に目立った副作用が出なかった方には、お勧めだと思います。私自身は 機会を作って接種しようと思っています。患者さんに医者がコロナを移しては申し訳ないからね。

追伸;最近の研究で、同じワクチンを打っても、効果が持続する人(耐久型)と効果がすぐなくなる人(脆弱型)、抗体は急速に上がるが直ぐに低下してしまう人〈急速低下型〉があることが分かってきました。人によって、またワクチンによってその効果は異なるようです。はやくその全貌がわかれば皆さんもワクチンを打ちやすくなるのにね。まだこれは研究段階です。

 

日平会 秋の会合 今回はこじんまりと開催

慶応普通部昭和29年卒仲間の会合 日平会 例会を9月18日、銀座三田倶楽部で開催。今回は猛暑の関係だろうか皆足が重く、9人という少人数だったがいつもの通り懐旧談の花が咲いた。新規参加を希望のむきは 岡野または船津までご連絡ありたい。

写真後列左から船津、亀田、水木、日高 前列 河野、蓮井、田中(ゴンべ)、中司、岡野。

三田倶楽部は帝国ホテルから転居。銀座六丁目,ヤマハビルの裏、吾妻通側に入り口がある。

エーガ愛好会 (340)15時17分 パリ行き2018   (34 小泉幾多郎)

9月17日ドジャースの大谷がフィリーズ戦に先発し5回をノーヒット、ノーランに抑え、打者としても50号ホームランを放ちながら、6回から登板の投手が打たれ逆転負け。試合終了後の14:15から、エーガ「15時17分、パリ行き2018」が放映された。西部劇「決断の3時10分1957」をリメイクした「3時10分決断の時2007」と題名が似ていること、監督がクリント・イーストウッドであることを知り、続いて見てしまいました。

 「15時17分、パリ行き2018 The15:17 to Paris 2018 」の感想 2015年アムステルダム発パリ行きの特急列車内で起きた無差別テロ事件の真実を実際に事件の当事者3人の若者を主演に据えるという驚きの手法で映画化したとのこと。この事件に至るまでの、この3人の生い立ちが描かれ、青年時代から、一度子供時代の学校での腕白時代に戻り、校長室に何度も呼ばれたり、親に迷惑をかけたり、学校に馴染めない状況や軍隊に入っても脱落の繰り返しが描写されるが、過去の話は蛇足に見えて仕方がなかった。最後に若者3人がアメリカから欧州旅行へ出かけることになるのだが最後運命的に凄いことを成し遂げたが、其処に至るまでの物語は、何処にでもある青春ムービーで、自撮りをしたり飲んで踊り明かすだけの描写で、最後だけの格闘では、イーストウッド監督の西部劇に見られるスリルやアクションやサスペンスを期待した老人には期待外れのエーガでした。

陸上競技の ”再現力” ということ  (普通部OB 菅原勲)

 

進行中の世界陸上での日本人選手についての観察である。

9月16日の男子110mH

大会前の今季自己最高記録は、優勝したティンチ(米国)が今季世界最高記録の12秒87、村竹が今季世界2位の12秒92で、その差は0秒05に過ぎなかった。従って、本人自身も日本のマスゴミも、やれメダル獲得だ、その果てには金メダルだと大騒ぎ。ところが、肝心の12秒台をティンチが、追い風参考記録を含め4回も記録していたのに対し、村竹はこの僅か1回に過ぎない。この再現力の大きな違いが、決勝でティンチの12秒99に対し、村竹は13秒18で6位、その差0秒19の大差となった。要するに、村竹の実力は未だ12秒台には達していなかったことになる。再現力の違いが如実に表れ、事を分けた。蛇足だが、村竹は試合後のインタビューで大泣きした。小生、これを見て、村竹(父はコンゴ、母は日本の混血)の精神構造は典型的な日本人だと思った。外人は、少なくとも公衆の面前ではこんな恥知らずなことはしないだろう。

閑話休題。

男子走高跳(9月16日)

また、同日、行われた男子走高跳での日本人同士の同様の例を挙げる。大会前の今季自己最高記録は、10位になった瀬古が2m33、8位の赤松は2m26、その差は7センチもあった。しかし、今季、2m25以上跳んだ試合は、瀬古の2試合に対し、赤松は4試合。結果は、赤松が2m24で8位、瀬古が2m20で10位。これも、大会前の今季自己最高記録の差はともかく、肝心の試合での再現力の違いが現われたと見て良い。

最後に、17日が予選、18日が決勝の男子槍投を見てみよう。

今季、87m以上投げた5人の選手の85m以上投げた試合数を見ると、

91m51  J.ヴェバー(ドイツ)     8試合

91m00  L.ダ・シルヴァ(ブラジル)4試合

90m23  N.チョプラ(インド)      5試合

87m76  C.トンプソン(米国)        2試合

87m16  崎山(日本)                1試合

これを見た、小生は、ヴェバーとチョプラの一騎打ちと見る。85mを1試合でしか超えておらず、再現力の乏しい崎山の実力は、やっと8位までの入賞程度だろう。ただし、槍投は一発大投擲が飛び出す可能性もあるので、例外が起きる可能性は充分に有る。

結論を言うと、再現力の高い選手が圧倒的に有利となるのは間違いない。勿論、物事には例外がある。しかし、それは、飽くまでも例外であって、それが常に起こるとは限らない。逆に言えば、極めて稀少なそんな例外に頼って物事を判断するのは途轍もなく危険だと言うことになり、事の判断を見誤ることになる(日本のマスゴミは、日本の選手の再現力の乏しさを指摘すべきであるにもかかわらず、読者に媚びるためなのだろうか、常に、例外に頼る間違いを犯して来た。だから、所詮は、マスゴミか)。

最後の最後。日本の選手に再現力が乏しいことは分かったが、例外となりそうなのが、男子400mの中島(父がナイジェリア、母が日本の混血)だ。予選で、これまでの自己記録44秒84を44秒44(新たな日本記録)に短縮、準決勝で44秒53と再現力が高い。そして、それに加えて彼の持ち味は、最後の直線に入ってからの途轍もない追い上げだ(競馬で言う末脚)。いずれも、これまでの日本の選手が持っていなかった特徴であるだけに、18日の決勝が待たれる。

またひとつ、星が落ちた

今朝の朝刊でレッドフォードの逝去を知った。また一つ、星が落ちた感じがする。このブログをおっかなびっくり始めてみたころ、グレン・キャンベルの訃報に接して書いた一文を一部、コピーした。
いろんなエーガのなかで、クーパー、ウエイン、スチュアートなんかが僕の好みだったけれど、それはあくまで ”エーガ” での思い出である。
キャンベルのことで書いたが、この二人にまつわる思い出は、同時に僕の短かったが、”古き、良き時代のカリフォルニア” への郷愁とともにある。レッドフォードがまだ売り出し中のころで、たまたま勤務していたオフィスの受付のおばさんがファンだと知って、エーゴの勉強、とばかりにつたないジョークなんかひねり出していたころ、サンフランシスコの街がヴェトナムの後遺症におかされはじめていたころの懐かしいカリフォルニア、の思い出である。
レッドフォードのどの作品がどうとか、そういう感傷は沸いてこない。キャンベルのことで書いた,すこしばかり気障なしめくくりになるようだ。
ありがとう、ロバート。
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(2017年8月11日投稿記事の一部)

By the time I get to Phoenix

8月10日、朝の読売新聞がグレン・キャンベルの訃報を伝えた。1937年生まれ、ということだから僕と同い年である。新聞記事では”カントリーソングの大御所”、と書かれていたが、僕にはそういうありきたりの形容詞には収まり切れない、特別の感情がある。

1967年、生まれて初めてアメリカの土を踏み、2週間モーテルでの仮住まいのあと、新聞広告で探し当てたデュープレックス、日本でいう二軒長屋に落ち着き、船便で送った家財道具が何とか届いて、どうやら生活が始まったちょうどそのころ、あの, By the time I get to Phoenix を聞いた。初めて聞いたのがラジオだったのかテレビだったのか、今では記憶がないが、とにかく心にしみるメロディーだった。この曲があっという間に大ヒットし、一躍有名になって、ラジオの定番になっていた大きなシリーズ番組(エド・サリバンショウだったか?)でキャスタが夏休みのあいだ、その代理に彼が抜擢されたことを覚えている。