スイスでの氷河崩落のこと  (44 安田耕太郎)

今年5月スイスで前例のない規模の氷河崩壊が起きた。グリンデルヴァルドの南西30〜40km、ユングフラウ峰の南西方向、レーチェンタール渓谷で発生した。

氷河崩壊による地滑りで露出した山肌。ブラッテン村が埋まった谷底には土砂や水がたまっている=スイス・バレー州で2025年8月9日、高橋由衣撮影

アルプス山脈の名峰がそびえるスイス南部バレー州。レッチェンタール渓谷とその周辺一帯は、世界自然遺産に登録される風光明媚(めいび)な土地だ。アルプス最大のアレッチ氷河(約78・5平方キロ)に代表される山岳氷河群を抱え、自然の雄大さから「魔法の谷」とも形容される。
その美しい谷に張り付くように歴史ある家々が軒を連ねていたブラッテン村(標高約1540メートル)を5月、悲劇が襲った。谷の上流にある氷河の一つが崩壊し、水と氷混じりの真っ黒な土石流が人口約300人の村をのみ込んだのだ。

州当局などによると、5月28日午後、村から標高にして1200メートル以上の差がある上流のバーチ氷河で大規模な地滑りが発生。周囲の岩石や土砂を巻き込み、平均時速200キロで一気に流れ下った。解けた氷河と土砂の総重量は推定約2000万トンに及んだという。 村があった谷底には、深さ最大数十メートル、長さ2キロにわたって氷や土砂が堆積(たいせき)し、村の9割が消えた。

氷河崩壊の一因として考えられるのが地球温暖化だ。アルプスでは気温上昇に敏感な山岳氷河の後退が多数確認されている。スイスの永久凍土監視ネットワーク「PERMOS」の観測点では、2015~24年のわずか10年間で、深さ10メートルの永久凍土の温度が最大1・1度上昇。氷の融解を招いている。

現在ブラジルで第30回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP30 )が開催されているが、トランプは温暖化を認めておらずアメリカの関与は消極的で政府代表は不参加。民主党の加州知事が個人資格で参加。世界の足並みは揃っていない。現在生活している70億人が皆いなくなる100年後の地球は果たしてどうなっているのか?

(42 下村) 我々同期のがにまたメンバーも、フランスの氷河メールドグラスの大幅な溶解・減少により大変難儀をしたことがあります。

 60年ほど前に現地に行ったことがある河瀬さんをリーダに、2013年にホヤノさんを含む仲間10数名でフランスアルプスにトレッキングに行きました。
 ケーブルカーをモンタンベールで下り、氷河へ向かおうとしたところ何とその氷河は大幅に溶けて体積が減少、遥か下の方まで後退していたのです。岩壁に取りつけられている鉄梯子を氷河面まで50~60mも下りたのですが、がにまたの奥様連中も何名か同行していてとても怖い思いをしたものです。
 河瀬さん曰く、昔はケーブルを降りたら氷河まで水平に歩いて行けたんだがなぁ・・・と。

.(42 河瀬) ユングフラウの地図を久しぶりに広げて見ました。そこにはBietsch Horn(3934m)という高山が聳え、Blatten村に直撃する位置のBurch氷河(添付図黒矢印)を見つけました。送られた写真では左側の谷がその氷河ですが、氷河の下部と村は土砂に埋まっています。上に見える峰がBietsch Hornでしょう。右の谷も地図に載っている氷河は溶けて上部しかありませんね。

 この位置で氷河と土砂に襲われたら、村はひとたまりもないでしょう。
それでただ一人の行方不明者は幸いですね。
  下村さんが言うように私もモンブラン氷河の驚く消退(45年で厚さ50m消失)を見ていますが、今後は急峻なユングフラウの麓でも雪崩が起こるかもしれませんね(16年前の写真)。

 ”霧の山稜”   (33 金井隆儒)

 

(金井)私の背番号はS33Pですが、奇しくもワンゲルの誕生と同じで今年、90歳になります。今回の90周年記念パーティで諸先輩をはじめ、メンバーの元気な姿を拝見して嬉しい限りでした。

実は私の二番目の兄が明治大学のワンゲルに在籍していましたが、彼に加藤泰三さんの本 ”霧の山稜” を勧められ、一読して感動したものです。

私が好きだった場所は奥秩父やすすきの美しい玄岳、南アルプスでいえば忠兵衛小屋当たりでした。ほかには秘密にしていましたが、黒部欅平に戦時中に掘削して作られたエレベータがありました。今はどうなってしまったかわかりませんが。

(編集子)金井さんは小生入学時点で4年生、いくつかのプランでご一緒させていただいたが、中でも初夏に奥秩父金峰を中心としたエリアに連れて行っていただき、秩父の雰囲気に浸ったことが忘れられない。黒いベレーをかぶっていつも笑みの絶えない、温厚な先輩だった。奥秩父での感想を正直にうちあけたら、そうか、秩父が気に入ったのなら、この本が好きになると思うよ、と紹介していただいたのが、表題にした ”霧の山稜” という本だった。

1年の夏、立山から槍まで9日間雨、雨、雨、の縦走でのことなどの記憶もあるが、文中で ”好きな場所” として挙げておられる玄岳(くろだけ)には心ひかれて都合3回ほど通った。いまは高速道路を通すためにあたりは一変してしまったのが悔しいが。

”霧の山稜” を読んだことが、KWVでの小生のありようを決めてしまったように思える。だれにも ”この一冊” というような出会いがあるのかもしれないが、僕の ”この一冊” は間違いなくこの本だったし、金井さんとのいくつかのワンデルングであるようだ。

*****************************

小生の心のふるさとであり続けるKWVも90年の歴史を刻んだのだが、創部間もなく太平洋戦争に突入、先輩方の多くが戦火に倒れられる悲劇となった。終戦後、復員された先輩方多くのご努力で復活したKWVだが、祖国が立ち直り、キャンパスが復興していった昭和30年代になって、多くのご努力が実り、現在の部の在り方が定まったのだ。そのいわば第二の出発点にいあわせたわれわれには、その頃の部のありようを後輩諸君たちに伝える義務があるだろう、といいうことを記念式典で改めて思ったことだった。

いろいろなやり方があるだろうが、本稿では各時代、時代にいあわせた人達にそれぞれが遭遇した ”KWV”の一面を伝えるエピソードをつづっていただき、 いわば ”俺たちのころのKWV” 点描を掲載して、わがKWVの時代を超えたありようを知ってもらう一助としたいと思い立った。とりあえずは36年組にとって大兄貴、だった金井先輩の一文をお届けする。今後、各代各代でのありようのご投稿を、引き続き期待したい。

 

年いち上高地 (HPOB 小田篤子)

皆さんそれぞれの場所で綺麗な紅葉を楽しまれていますね。

私は先週、例年の閉山直前の上高地に出かけて来ました。
今年はいつもの年より、紅葉が残っていました。
それに反して、雪が早く降ったため、大正池にうつったり、河童橋から見える穂高が青空に映え、とても綺麗でした。
上高地にも9月に熊が出たとかで、梓川沿いの歩道にはあちこちに紐をふり鳴らせる熊ベルが立っていました。しかし、なぜか昨年は田代橋付近に20匹ちかく集まっていたり、ホテル周辺でも見かけた猿に、全く会いませんでした。熊の出没が怖い?
東南アジア系の人が多く、7割くらいいたでしょうか。
毎年乗る始発の次のバス停からは、今年は補助席しか空いていませんでした。
(編集子)マー、よく出かける人だねえ。小田家の年間交通費を知りたいものだ。

秋の日平(ひびら)会    (普通部OB 船津於菟彦)

岡野名幹事の采配で開催。 高山さんは閉会直前に、飯泉さんは電話で参加されました。約25年前に日高さんの提唱で始まりました「日平会」は、我々の普通部卒業後、70年が経過しても懐かしく続いて居ます。このメンバーが中心になり普通部卒業50年、60年、70年と同期全クラスの同窓会も開催して参りました
今後も人生100歳時代を謳歌していくために3月・6月・9月・11月の第三木曜日を原則に開催することとなりました。本日も皆々様近況報告でいろいろ参考になる人生の生き方を教えていただきました。 元気でまた集いましょう。

今回の出席は岡野・中司・水木・日高・田中宏幸・田村・亀田・加藤武男・河野・高山・蓮井・佐藤

(編集子)慶応普通部昭和29年卒同期有志の集まりだったが、今までクラス別にやってきたクラス会も人数の減少で開催が難しくなってきたので、同期全員の集まりにしようということになった。ご関心ある向きは岡野(A組)または船津(C 組)まで連絡されたし。

 

 

 

月いち高尾ー晩秋の陣馬山     

 

(42 保屋野)昨日、月イチ高尾の会で、陣馬山に登ってきました。藤野駅→(バス)陣馬登山口→(一ノ尾根)陣馬山→陣馬高原下→(バス)高尾駅

このプランには当初、シモさん、久米(コブキ)さん、チビ太も参加予定でしたが、シモさんはコロナ、コブキさんはドタキャン, チビ太は何故か高尾山コースに変更・・・と結局年寄りは私だけとなってしまいました。しかし、何とか標高差550mを2時間半で登頂でき、晩秋の紅葉ハイクを楽しむことができました。

(42 下村)素晴らしい紅葉ですね。参加出来なかったのは本当に残念。 コロナには私の把握しているだけでも、同期のT君、39年卒のお二方など。90周年式典の会場は大きな部屋でしたが、やはり350名はちょっと密だったかも。

(HPOB 金藤)陣馬山も美しい紅葉ですね。素敵なお写真をありがとうございました。お一人だけ半袖の方が写っていますが、寒くなかったのでしょうか。

馬のモニュメントがあるのですね。   半世紀前、私が中学2年の時に担任の先生とクラスメートたちと陣馬山に登ったことは覚えているのですが、写真の馬はありませんでした。   いつからあるのでしょう?

(44 安田)陣馬山、集合時間が5時起きが必要なのでスキップして高尾山にしました。稲荷山コースが再開され、下りは4号路・6号路で併せてドアtoドア2万歩 総距離14km、充分歩きでがあり楽しめました。好天に恵まれ紅葉最盛期、ウイークデイにもかかわら大勢の人ひとの波。

(編集子)会社生活を無事終えて、さあ、これから天下晴れて遊ぶぞ! と張り切って、夫婦ふたりW第一号が陣馬だった。高尾はしっかりと稲荷尾根から陣馬まで、当時使っていた5万分の一の地図で、左下の隅から右上の隅まで(逆だったかな)天気も良く快適な1日!になるはずだったが、バスの時間を調べないで行ったため、結局陣馬高原下(だったと思う)までバス道を延々と歩く結果になってしまった。はじめての陣馬山はKWV入部の年、34年卒の田前さんのプランで行ったのが初めてだった。都合4,5回は登っているがあのバス道あるきだけが印象に残っているというお粗末。

/

須磨離宮公園 (大学時代クラスメート 飯田武昭)

温暖な好天の今日、神戸から少し西寄りの須磨離宮公園に薔薇と紅葉を期待して見に行きました。紅葉は未だ若干早かったですが、薔薇は好天に良く映えて綺麗でした。

須磨離宮公園は山陽電車の「月見山駅」から「バラの小径」と銘名された曲がりくねった住宅街のやや上り路を10分ほど進んだ先にある公園と隣接する植物園とが合わさっています。“バラの小径“を“茨の小径“だとか冗談を言いながら辿り着きました。

公園内のレストランで食べた淡路島地鶏のチキンカレーライスは結構美味しかったです。

(船津)秋薔薇が綺麗ですね

(編集子)小生、生を受けた場所は当時鐘紡の工場があった須磨、であるとは知っているがまだ訪れたことはない。KWV150周年ワンデルングの時、本籍(その後転籍したが)大島郡安下庄町、というところの直近を歩きながらなにかと気が進まず、訪問に絶好の機会を生かせなかった。

別に 過去は振り返る意味がない、などとハードボイルド風を吹かすわけではないのだが。

広徳寺の紅葉   (HPOB 金藤泰子)

秋日和の昨日、今年も五日市の広徳寺へ大銀杏の紅葉を見に行ってきました。

お天気も良かったので、今年も素晴らしい紅葉を見ることができました。昨年11月の29日頃に行った時は黄色い絨毯が一面に広がっていましたが今年は黄色の落ち葉の絨毯はまだまばらで、銀杏がたくさん落ちていました。

この大銀杏の樹齢ははっきりとは分からないようですが、300年以上は経っているようです。帰りに、いつも寄るお蕎麦屋さんで、ざるそばと天麩羅盛り合わせを頼んで美味しく頂いたのですが、お隣の席のご年配の女性と息子さんでしょうか?みんな美味しいけれど、この銀杏は本当に美味しい、美味しいとずーっと言いながら食べていらしたので、来年は別注品の銀杏の天ぷらも絶対に注文しようと思いながらお店から出てきました。寒椿が咲き始めていました


(保屋野)広徳寺は以前チビ太氏のメールで知り、何時か行きたいと思っている場所です。素敵な写真ですね。今年は、我が団地の紅葉も例年より奇麗みたいで、来月、高幡不動の紅葉狩りを楽しみにしています。なお、、18日は月イチ高尾の会で「陣馬山」に、12/2は同期の「鎌倉アルプス」に行く予定ですが、紅葉はどうでしょうか。

(船津)今年は異常気象の影響で紅葉とか菊の花が咲くのが遅くなったり、色々ですが素晴らしい銀杏ですね。因みに亀戸天神菊祭りの咲いて居る物 懸崖とか大作りの鉢は未だ一部蕾。 七五三のお参りで我が子を思う天神様の細道には山茶花のお花、そこに

七五三御用写真師老いにけり  後藤比奈夫

因みに我が縦長長屋から見た錦糸公園 紅葉です。 時は巡ります。四季では無く三季に成りましたね。

古寺に 灯のともりたる 紅葉かな

千山の 紅葉一すぢの 流れかな

ちる紅葉 ちらぬ紅葉は まだ青し

奥深き 杉の木の間の 紅葉かな   正岡子規

日の暮の 背中淋しき 紅葉哉

夜神楽や 焚火の中へ ちる紅葉

渋柿も 紅葉しにけり 朝寝坊    小林一茶

エーガ愛好会 (349)  URL GRINGO 西部劇 のこと

(HPOB 金藤泰子)
西部劇をYouTubeで見られる西部劇専門のストリーミングサービス「Grjngo (グリンゴ)」というサイトがありましたのでURLを貼らせていただきますが、 どんなサイトなのか詳しく調べていません。

<https://www.youtube.com/@GrjngoJapanese>
https://www.youtube.com/@GrjngoJapanese

登録して会員にならなくてもYouTubeは視聴することができるようですから、初めは登録せずにご覧ください。

(34 小泉幾多郎)                          先日金藤さんから頂いた西部劇のURLのうち、「ローンレンジャー」とマカロニウエスタン「荒野の棺桶」「荒野のライフル」を除く、「復讐の谷」と「ハンナズ・ローダッジ・シティの決闘」を見ましたので、その感想を送ります。

 「復讐の谷 Vengeance Valley 1951」は、牛集めや牛追い等季節毎のカウボーイの仕事が描かれている。バート・ランカスターの初期の主演作で、共演にヒッチコックの「見知らぬ乗客」等で異常性格者を演じたロバート・ウオーカー、「黄色いリボン」のジョアン・ドルーを配しているが、ストーリーは、ランカスターとウオーカーのコロラドの大牧場の兄弟の確執が描かれる。ウオーカーは、ジョアンを妻に娶りながら、街の女サリー・フォレストに子供を身ごもらせたりして、その女の兄弟ジョン・アイアランド等が敵討ちに現れる。ウオーカーを庇うランカスターを逆に身ごもらせた犯人に仕組む等、ウオーカーの目鼻立ちくっきりながら、精神的に不安定な異常性格的な様相が役に嵌っていた。最後は、牧場を自分のものにしようと画策するウオーカーはランカスターによって撃たれ終焉。単純ながら牛追いに絡む西部劇らしさは堪能した。

 「ハンナズ・ロー ダッジ・シティの決闘 Hannah’s Law 2012」 監督レイチェル・タラレイ、主演サラ・カニング共に女性という珍しい西部劇。

フランク・マクマフィー(ジョン・パイパー・ファーガソン)一味に家族を殺された女性ハンナ(サラ・カニング)が12年後、育ての親で戦い方を教えてくれたアイサム・ダート(ダニー・グローヴァ―)のお蔭もあり、ダッジ・シティで、豪腕の女賞金稼ぎとなっていた。ハンナはマクマフィーへの復讐を誓うが、相手も強力な敵、当時ダッジ・シティ在住の若きワイアット・アープ、ドク・ホリディ、ステージコーチ・メアリーが、ハンナに手を差し伸べることになる。有名なる人物だが、若き日ということもあり、今まで見て来た有名俳優による人物とは、あまりにも貫録がなさ過ぎて、呆気にとられてしまった。2000年代の西部劇となると監督、俳優ともに知らぬ人ばかり、唯一知っていたのは育ての親になった黒人のダニー・グローヴァ―のみ。女性プラス有名人対悪漢の戦い、他愛ないが、一応最後まで楽しみました。

(金藤)小泉さん「復讐の谷」と「ハンナズ・ローダッジ・シティの決闘」ご感想ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたのでしたら、ひと安心です。

追記:  YouTubeをテレビの画面で見る方法

すでにご利用になっていらっしゃしゃるかと思いますが、ご自宅のテレビがスマートテレビの場合は、パスワード   Wi-Fi環境  設定・管理が必要ですが、簡単にテレビの画面でYouTubeを見ることができるようになります。  詳しくは  GoogleやYahoo!などの検索エンジンで「YouTubeをテレビで見る方法」等と検索ワードに入れて、検索してご覧ください。  スマートテレビだけではなく従来型のテレビに繋ぐ方法も出てきます。

スマートテレビとは:インターネット接続機能、端末間連携機能、✻アプリケーション・コンテンツの提供機能が加わったインターネットを通じて機能拡張が可能なテレビのことです 。 インターネット環境Wi-Fiが必要です。

✻アプリケーション・コンテンツ:  テレビのリモコンにYouTubeのボタンがある 又は テレビの電源スイッチ を入れ、リモコンのホーム ボタンを押す
と テレビ画面にYouTube、 prime video、NETFLIX  等 アプリのアイコンが表示されます  (テレビに戻るには、リモコンのテレビボタン)。

(編集子)ロバート・ウオーカーは ”見知らぬ乗客” でのイイメージが定着しているので、西部劇というのはちょっと想像しにくかった。ジョン・アイアランドはいつも通りの役柄ですか。YTまで追っかけるなんて、小泉さん、獲物を追いかける執念を感じますなあ。

(小泉) YouTubeで観られる映画があることは知っていましたが、西部劇専門のストリーミングサービスサイトがあるなんて知りませんでした。言われるまでもなく、西部劇は多種多様数多くの作品があり、監督ジョン・フォードにしろ、主演ジョン・ウエインだけでも。またその他作品でも、終戦以前のものは、殆んど日本で封切りされていませんし、未知のものは多数ある筈です。しかし、この歳になり、インターネットを漁って観るだけの余力は残っていないようです。まあ気が向いた折に、観たいものを探して、のんびりと楽しむようにいたします。この度は、YouTubeでの映画検索方法につき、詳細ご紹介を賜り有難うございました。

 

 

36年同期 ”ナンカナイ会” 秋の集まり

(別にこの店に義理があるわけではないが、当日写真を撮るのを忘れたので会場の紹介をしておく。あんぱんという近代日本のソウルフードはこの店で開拓されたということをご存じだろうか)

36年卒同期の会(ナンカナイ会)は故翠川幹夫と横山美佐子のふたりが長期にわたって定期の会合を企画運営してくれていて、新年会、夏の集まり、という年中行事が定着していた。二人が他界した後もその路線を継続してきたが、今年はあまりもの猛暑だったので、夏、を秋、に置き換え、場所もアクセスのことを考えて銀座で手ごろな場所、ということから4丁目木村屋のレストランで開催した。宣伝をするわけではないが、場所、費用ともOB会の会合にはまことにいい、と好評であった。会合場所に苦労しておられる幹事諸氏にはお勧めする次第だ(食べ残したパンはそのまま持ち帰ることができる、というのもなんともワンダー的ではないか)。

参加は大塚、鮫島、遠藤、吉牟田、岡、阪田、飯田(茂子)、前田、浅海、深谷、高島、栗田、高橋、中司夫妻と吉牟田夫妻、というメンバーで、屈託ない時間を楽しんだ。次回は3月を予定。

(浅海)鮫島 さん、貴兄はナンカナイ会の永久カメラマンに任命されております。来春以降撮影宜しくお願い致します。

(鮫島)まことに申し訳ありません。帰りの電車の中で。自分の役割忘れていたのを思い出しました。

・・・・ということで。