乱読報告ファイル (56)蝶と人と 美しかったアフガニスタン (普通部OB 菅原勲)

「蝶と人と 美しかったアフガニスタン」(著者:尾本 恵市。発行:朝日選書、2023年)。

この本は、蝶にいささかでも興味のある方にとっては必読の書だ。何故なら、幻の蝶と言われるアウトクラトール(皇帝)・ウスバシロチョウの捕獲記であるからだ。しかし、小生、蝶のことは全く知らないし、興味もない。では何故この本を読んだのか。それは、日経は土曜日の読書欄に「一周遅れの読書術」と言うコラムがあり、そこで岡田暁生がこの本を紹介していたからだ。このコラムは一周遅れと謳っているように、小生にとって知らなかった昔の本、と言っても比較的に最近の話しなのだが、を紹介してくれるからであり、もう一つは、岡田が音楽では信用のおける人であるからだ。確かに、この本は面白かった。しかし、残念ながら蝶については、モンシロチョウは知っているが(最近、自宅の近辺では蝶など凡そ見かけなくなった)、ここで述べられている様々な蝶については、終始、何が何やらさっぱり分からなかった。

さて、この本の著者、尾本だが、その原点は、3-4歳ごろの昆虫少年から始まっており、専門は人類学、集団遺伝学で、蝶の収集家としても有名であり、膨大な標本が東大総合博物館に収蔵されている。彼は1933年の生まれだから、現在、92歳であり、この「美しかったアフガニスタン」は、半世紀以上も前の1963年、彼が30歳の時に訪れた当時を、その時の詳細な日記を基に語っているものだ。従って、同じアフガニスタンと言っても、その後、ソ連が侵入し、米国が侵入し、そして、イスラム教原理主義のタリバンが支配している現在とは雲泥の違いがあるわけで、それを、彼は、美しかったアフガニスタンと言う懐旧の念を込めて表現している。ここで余談になるが、アフガニスタンと言えば、かのシャーロック・ホームズが後にその活動の記述者となる元軍医のワトソン博士と初めて面談したおり、その風采を見ただけで、貴方はアフガン戦争の復員軍人でしょうと見抜いたのが、このアフガニスタンだった。それは、1881年の話しだから、以後、特に、北から南に下って来るロシア、それを食い止める英国が衝突する場と化してしまっていただけに、アフガニスタンは西洋列強の恰好の餌食になってきたわけだ。

尾本は、自分のことを、人類学と蝶類学の二刀流と言っているが、蝶に関しては趣味と言った方が相応しいだろう。このアフガニスタン訪問の目的は、上述した極めて珍しい蝶を捕獲することにあった。その切っ掛けとなったのが、知人であり、蝶の収集では当代随一と言われた英国人コリン・ワイアットから一緒に行かないかと誘われたからだ。ドイツのミュンヘンからアフガニスタンのカーブル(彼は、カブールではなくカーブルが正しいと述べている)に飛び、富士山より高い4000m級の高山蝶の産地であるヒンドゥークシ山脈に分け入り、4例目となる珍しい蝶の捕獲を中心に蝶を捕りまくった。そして、この本には、自身が撮ったそれらの蝶や美しい山々、アフガニスタンなどがカラー写真で撮影され、満載されている。

彼の行為は、何やら、観賞用植物の新種を求めて世界中を飛び回ったプラント・ハンターを思い起こさせる。アウトクラトール探査行を終えたあと、彼は、カーブル博物館、バーミーヤンの仏教遺跡なども見学している。

小生にとって、何が面白かったと言うと、世にも珍しいものを、困難に立ち向かって探しに行く行為、一種のロマンを掻き立てられたからだ。従って、小生にとってその対象が必ずしも蝶である必要はなかったと言うことになる。

前述のとおり、小生、蝶のことは全く知らないし、興味もない。従って、ここでは蝶について言及しないが、その唯一の例外が、ロシアの探検家、プルジェワリスキー・ウスバアゲハの盗難事件だ。1884年、彼の第二次チベット探検の途上、中国青海省山脈で三頭の美麗なウスバアゲハ(パルナシウス)を捕獲し、それがドイツの博物館で陳列されていた。それを名前が伏せられているある日本の実業家が200万円で故買屋から購入する(たかが蝶一頭に!因みに、尾本によると、蝶は一匹、二匹などではなく一頭、二頭と数えるらしい)。結局、尾本を通じてドイツに返還されることになるのだが、蝶に全く興味のない小生から見ると、チョウごときに数百万円の値段が付き、しかも、それを実際に購入する人がいるとは俄かには信じられない、その辺で舞っている蝶ではないにしても。蝶好きの人にとっては命の次に大切なものなのだろうか。

最後に、読み終わって疑問に思ったのは、何故、1963年の誠に貴重な体験が、半世紀以上も経ってから、やっと本になって出版されたのだろう。その経緯について、著者はいささかも触れていない。

朝から不愉快(改題:不機嫌)なのだ

世界情勢がぐらついているこの時期、日本にとってはある種の(言い方はおかしいかも)正念場であろう参院選が始まった。今度は新しい政党がいくつか登場し、その一つに興味を持っていて、候補者のポスターを見に行った。大体ポスター一枚の情報で個人を特定すること自体無理があろうが、すくなくとも比例区に党名を書こうか、位の関心があったからだ。

しかしこのポスターの中の該当する1枚を見て愕然としてしまった。この候補者j自身の確信なのか党是なのか、大きく ”これ以上日本を壊すな” という1行である。いまの日本は壊れているのか?

小生は昨今一種のはやり言葉になっているような ”失われた30年” というフレーズに以前から疑問を持っている。この論者の言い分は、乱暴に言えば、この30年の経済指標なかんずく賃金の上昇がみられない、というあたりが論拠のようだ。共産党だのレーワなんだのあたりにいわせると大企業が利益をため込んでいる、それを吐き出せばいいのだ、というまことにわかりやすい論議にいきつく。確かに企業の内部利益はかつてないレベルである。共産党の言うような(前時代的な概念の)資本家による策謀、であるのかどうか知らないが、これが強欲な外資による買収や干渉を防いでいることは事実だろう。USスチールやGEやそのほか、かつて世界の覇権を握っていた米国企業が危機に直面したのはこういう基本的な動作をわすれて短期の数字だけに狂奔してきたからではないのか、と思うのだ。この30年は失われた、どころか、日本を守り切った30年だったのではないか。

ま、経済学者やいうところの経営エキスパートの人たちに歯向かうつもりはないが、今の日本は壊れている、のか? 80年間の平和を維持しているこの国が壊れているというのか?これ以上壊すな、だと?

ポスターにかかれた1行の文句を、この候補者(偶々当選挙区では女性だが)が信じているのなら(個人名は別にきめてしまっているのだが)、俺はこの政党には投票しない。してやるもんか。

偶々今朝、このポスターを丹念に見る気になったのは、涼しいうちに用事はかたづけようと駅前のATMへ行き、行きつけの店で朝飯を済ませようと立ち寄ったらお目当てのクロワッサンがまだ焼きあがらず、コーヒーもアメリカンはまだ上がっていません、と言われてしぶしぶほかのメニューにせざるを得ず、せっかく来てやったのに、と不機嫌だったからだ。このポスターのことでさらに機嫌が悪くなった。

(普通部OB 船津)でも、史上最高のボーナスとか大企業は良いようですが、写友などの中小企業の社長は四苦八苦のようです。

良いか悪いか知らないけど、「我々の時代」は何しろ働きました。ナーも無いから。総て無から作るときでしたから。今のように物はあふれ何か欲しいものがあれば何でも作られている。時代は大きく変わりましたね。
農業政策もかっての「農協頼り」から自主的な農業へ転換しているのかも知れません。しかし、あの日本原風景の棚田はどうなるでしょうか。
物は売り手は高く、買い手は安く。これを連日対峙してきた我が身。三方何とかとかかっこよく言いますが、価格は難しいですね。

八幡製鉄の稲山さん等が中国へ手取り足取り製鉄のイロハから教えた國が今や世界一。いこわれてはいないが成長が止まっているのはではと。あのソニーがウオークマンを開発したりした精神は何処へやら。マンガとかのビジュアルの世界では伸びている。「ネタ」未だ未だ在る。頑張ろうニッポン。

(44 下村) もちろん日本は壊れていませんよね。 「壊すな」というフレーズ。単に目をひくための浅薄なキャッチフレーズと断言できます。

 もっとも国と地方自治体の借金がGDPの2.5倍にも膨らんでいることから、油断すると破綻するリスクは抱えていますよね。だから石破さんも野党からの減税要求に対して簡単にイエスと言えなかったのでしょう。この点では私は石破さんを支持します。ポピュリズムに負けるなと。
 「失われた30年」。バブル崩壊後、確かに経済活動は停滞し賃金も上がらず、就職氷河期を迎えてパートや派遣など非正規社員が増加してきたこの30年間。でも昭和初めの恐慌期に比べれば、企業の倒産や失業者もごくわずか。まして娘の身売りなどという悲劇も生じなかった30年間でもあります。
 どうもテレビも新聞も前向きなニュースより、リスクや危機の到来を報じたがる傾向がありますね。その方が視聴率が上がり発行部数を維持しやすいからでしょう。
 日本が壊れることよりも、むしろ私が心配しているのは「歴史は繰り返す」ということ。 世界各国が保守化し、ポピュリズムに煽られて自国第一主義に走り、戦前のような不安定な国際社会に入ってわが国が戦争に巻き込まれはしないかということです。

(42 河瀬)「失われた30年」は医師の目から見ると「不用意な規制に翻弄された時代」だったのです。

 1990年は日本が最も豊かさを感じ、医療もオリンパスが内視鏡でドイツと世界を競っていました。しかし厚生省は医療の進歩よりも安全性を重視し、全ての薬に治験を科すようになり、さらに世紀末には『新しい医療機器を作成、改良する場合も、薬と同じ治験を適応する』という規制を作ってしまったのです。
 薬の治験は何百億という大企業の資金が必要ですが、医療機器の会社の多くは手仕事で作る零細企業ですから、それらを負担することは不可能でした。そこで医療機器会社は先進的な医療機器の改革を全てストップさせてしまったのです。その一つにテルモが手がけ始めたカテーテル治療器があったのです。私は『カテーテルは今後の血管治療法』と考えていましたので、ことある毎に厚生省役人にその規制で日本の先進医療はストップする、と訴えたのですが、お役人はその後20年間「安全第一」を堅持して譲らなかったのです。
 その20年間にドイツではオリンパスを追い抜き、テルモは手をひき、米国ではカテーテル治療会社が急成長しました。今では全ての血管の病気(脳動脈瘤、脳血管狭窄、狭心症、大動脈瘤、心臓弁膜症など)をカテーテルで治療できるようになり、そのほとんどを米国から輸入しなければなりません。現在は日本の健康保険がその支払いに追われています。
日本と米国との違いは何だったのでしょうか?それは1)日本の役人は医療を「大金がかかる厄介な支出」、米国は「いずれ収支が取れ輸出もできる収入源」という考えの違いなのです。
 日本の健康保険制度は安く安全で世界に冠たる医療制度で国民の幸せを守ってきました。米国の『貧者を切り捨てる医療』とは違います。しかし現在では健康保険の支払いが十分でないために、沢山の大病院や大学病院が大赤字で危機に瀕しています。その世界に誇る健康保険制度を陰で支えてきた医療従事者の「働き方改革」も赤字の原因になっています。そして崩壊を起こす原因の一つに高額なカテーテルや抗がん剤の輸入があるのです。
「失われた30年」は、技術革新を目指す日本の企業を不用意な規制で止めた時代でした。

(44 安田)日米関税交渉に於ける日本側の赤澤亮正担当大臣は既に渡米7回して交渉しているが、トンネルの出口は見えていない。ステークホールダーの外野席に陣取る我々には交渉の進捗状況・争点・妥結への道筋の詳細は明らかにされず、両国は今奈辺にいるのかが分からない。交渉過程のビデオテープを是非観たいものだ。MLB大谷翔平の試合より面白いと思うのだが。

日本側はトランプの逆鱗に触れることを避けて交渉しているのだろうか?例えば自動車の両国間の輸出輸入量は消費財である以上、民間の国民が購買の決定権を有する。政府が介入してアメリカ車の輸入を抑えている事実はない。非関税障壁は最早存在しない。単純にアメリカ車が日本には合わない・魅力がない(燃費・サイズ・アフターサービス体制の問題など)だけのことだ。

この事実の正論を日本側はトランプにぶつけているのだろうか?トランプの反応は?トランプはそんな事実は百も承知でアメリカの日本車輸入量に匹敵する量のアメ車を日本は購入すべきだと、敢えて脅しているのだろうか?
とても先進2国間の高尚且つ真摯なレベルの交渉とは思えない。「海老(自動車交渉)で鯛(貿易赤字是正)を釣る」トランプ式ディールなのであろうか?敵は本能寺の作戦でディールの他の利を得ようと陽動作戦を展開しているのだろうか?
だから交渉過程をビデオで見てみたいものだ。

いずれにしてもトランプが日本車輸入関税を35%にすれば、自動車業界のみならず日本経済にとっても一大事となろう。安全保障面でアメリカの傘の下にある日本はアメリカには抗えにくいので、アメリカはそれを盾に理不尽な貿易面での要求もゴリ押しして来ているのだろうと思う。

ブーメラン現象でアメリカに多大なマイナスが追って発生することを予期しないのであろうか?遠慮深謀が欠けたトランプの戦略・施策と言わざるを得ない。が、そのとばっちりを避けることが出来ない日本の舵取りは短期的には難しい。
日本政府には泣き寝入りせず威風堂々とトランプアメリカと相撲を取ってもらいたいと思う。

(編集子)いつの間にか、小生の原文の”不愉快”が”不機嫌”に入れ替わってしまった。このほうが正解らしい。参院選のこともあるが、この”国難”に今の政権がどこまで対処できるのか。言っても詮無いことではあるが、安倍内閣だっらどんな対応をしただろう、ということもあるな。ここ数日、新聞の報告だけの話だが、どう見ても今のトランプ政治は長続きしそうもないようにも思えてきた。

ジョン・ヤングさん 逝去

John A. Young, the pioneering executive who succeeded founders Bill Hewlett and David Packard as CEO of Hewlett-Packard, passed away peacefully at home with his family on May 26, 2025, at the age of 93.

A transformative force in technology and business, John helped shape the trajectory of Silicon Valley, modern computing, and U.S. industrial policy. As CEO of HP from 1978 to 1992, he led the company through extraordinary growth – transforming it from a pioneer in test and measurement equipment into a global computing powerhouse. During his tenure, HP’s annual revenue grew from $1.3 billion to $16 billion. (US版 Google より抜粋転載)

横河ヒューレット・パッカード (YHP) の創業にかかわった僕らの世代にとって、 ”ジョン・ヤング” という名前はおなじみであった。ヒューレット、パッカードの創業者二人の後継者として、誰でもが認めていた存在だった。HPが押しも押されれもしない世界企業になった時期、”Bill and Dave” をついで経営手腕はもちろん、控えめながらことにおいて断固とした姿勢をみせた、理想の経営者だったと思う。いまはただ、ご冥福をいのりたい。

編集子は縁あって、日の目は見なかったがHP本社がかかわる大規模なプロジェクトの日本側の責任者を務めた関係で、親会社トップマネジメントと直接の接点が生まれ、ジョン(HPの伝統としてファーストネームでよぶ)と個人的にも接触があった。温厚な紳士であった。

アメリカを代表する企業のトップでありながら、景気対策で経費節減、が課題になると、海外出張の旅行に当たってはファーストクラスから直ちにビジネスクラスに切り替えて率先するような人物だった。その後、鳴り物入りでトップにスカウトされた女性社長がアメリカンドリームの体現を図ったのかどうか知らないが、自家用機にボディガードをつけて帝国ホテルの最高級ルームに美容体操用のセットまで運ばせた、そういう場面にも親会社のトップの接遇を命じられた経験と引き比べて、暗然としたものだった。予想にたがわず、”俺たちのHP” は名前だけの存在になってしまったが。

トランプ騒動 = ”群盲象を撫でる” か?

(菅井)【スマホにハゲたアメリカ副大統領J・D・ヴァンスのミーム画像を保存していた観光客がアメリカ入国を拒否される – GIGAZINE】

https://gigazine.net/news/20250626-us-refuse-tourist-jd-vance-meme/

Facebookにこの記事をリンクした成毛眞(元マイクロソフトK.K.社長)が以下のコメントを付けていました。

「子どもがアメリカ留学中とかの人とか、外資系社員とか、アメリカに出張に行かなければならない人は、ほんとトランプだのキリスト教だのワクチンだのについて、FBであろうがインスタであろうがいいも悪いも書いたらだめだよ。基本SNSに書かないほうがいい。いまなら入国拒否だが、そのうちに国外退去になるかも。ほんと面倒。基本SNSに書くことはトランプアメリカマンセーがいいと思う。さもなくばイミグレで面倒なことになるかも。いまのアメリカイミグレーションは何年も遡って、たとえ皮肉であってもトランプやその関係者の悪口を言った人の入国は許さないかもしれない。」

(飯田)7月に入り関税交渉の先行き見通しも五里霧中から更に、日本には書簡を送って済ませるというトランプ大統領の発言もあり、可成り暗雲が立ち込めてきた感じです。

現時点で個人的に感じていることは矢張りトランプ大統領の論理思考が一貫性を欠いていて分かり難いこと。全ての物事を自分中心に、時には感情的に良不良の2択で捉えて取引に持ち込む手法が交渉相手として難しい。

どうやらはっきりしてきたことは、自動車については日本からの対米輸出が多く、アメリカからの対日輸出が少なく過ぎることで不公平の故、高関税は引き下げないという方針のようです。日本が自動車の輸入に非関税障壁を設けていると未だに思っている節があります。

大統領は第1期目の2017年の安倍総理時代に日本訪問をしており、天皇陛下との会見やゴルフ、大相撲観戦をしていますが、残念ながら日本の街で走っている車については、殆ど見ていないのではないかと愚考します。日本では日本車以外にヨーロッパのベンツ、BMW,VW、ポルシェやアウディのドイツ車、プジョー、ルノーのフランス車、フィアット、アルファ・ロメオ、フェラーリのイタリア車など沢山走っています。アメリカ車だけに非関税障壁を掛けたりして輸入障壁を作っていることではない、燃費を含む日本人の嗜好に合った車でないことが、今のアメリカ車の日本での不振であることを自分の眼で先ず見て欲しいと思っています。

(菅井)この人の辞書(それもあるかどうか疑問ですが)にはLogical Thinking(論理思考)という言葉は無いように思われます。
従って、そもそも無いものを変えることは出来ないのではないでしょうか?

(船津)皆様、入国禁止だなぁ。まぁ4年辛抱。やらしておけー。それにしても「格下」はパシリナーンも役にも立たないのが腹立つ。自動車も売れなくならない.高く成るだけ。日本製鉄もどうするかですね.技術だけ盗まれないように注意ですね。
クリスマス商戦にはナーも無い米国になるのでは。まあ時間の問題ですから相手にしないで静閑。我慢の子が一番みたい。かまうとまたやってくる。後どもの廉価は横から見ているに限る。日本のダメ虎勝ったぞーぉ。。関係無いかぁ.中司親分が怒りしんとうかなぁ。22日の日本の選挙が問題ですね。トラさんどころでは無い。

(編集子)我々横丁老人の心境慨嘆、同感。ただこういう時に、(トランプの一見めちゃくちゃに見える行動に、もしかすると一貫性があるのかもしれない)、と逆の発想をしたのが先日紹介した自衛隊OB横山氏の一節だ。

ユダヤ社会の金で動いている以上、イスラエル問題は人権などの問題は別にすれば、歴史的にくりかえされてきた憎悪の繰り返しだから、ま、部外者には何をすることもできないし、トランプ先生も引っ込みがつかないんだろうと想像はできる。ウクライナのほうも言ってみれば旧ソ連国の間の内輪もめが原因だ。それにくらべると、この横山理論は、思想的バックアップをだれがやっているのか、MAGAの連中がこぞって敵視した ”闇の政府” が今度はサイドチェンジして出てきたのか知らないしどこまで正しいのか、誰にも分らないだけに空恐ろしいものだ。

小生の思うところ、貿易摩擦は長続きせず、民衆の反抗が激化して終息するだろうが、もし、横山氏の大胆な仮説が正しいとすれば、この種の争いは不得手なわがトヨアシハラミズホノク二はどうすべきか、という関心のほうが問題だ。ま、万事ラッキーに過ごしてきた俺たちの時代、なんとかなるたあ思うんだが。

“TACO” とは?    (普通部OB 田村耕一郎)

先日のブログで話題になっていた TACO というジョークについて知人からの話を転送します。

TACOという言葉が、ウォール街に飛び交っているのを読者の皆さんはご存じでしょうかTrump Always Chickens Out(トランプは結局、最後におじけづく)。まずは威勢のいいことをぶち上げ、その後、相手の反応を見ながら調整するというトランプ氏の交渉スタイルを揶揄(やゆ)する造語だそうです。しかし、今回のイランへの軍事攻撃は、その不名誉なレッテルを、力ずくで剝がしにきたようにも見えます。果たしてこれは、これまでの行動パターンからの完全な決別なのか。それとも、これもまた予測不能な「ディール」に過ぎないのか。冒頭の記事で、専門家は彼の衝動的な側面や、周囲に影響されやすい危うさを指摘しています。

乱読報告ファイル (55)「タクトは踊る」:風雲児、小澤征爾の生涯 (普通部OB 菅原勲)

「タクトは踊る」副題:風雲児、小澤征爾の生涯(著者:中丸美繪/ヨシエ。発行:文藝春秋、2025年)。

小澤は、音楽の指揮者だ。従って、その音楽だけを語ってくれたら良いんであって、音楽以外の余計なこと、例えば、その生涯は、一切、関係ないと言う人もいるだろう。しかし、彼が、もっと言えば、彼だけが、何故、これだけ無条件に人を惹きつける音楽を紡ぎ出すことが出来たのか、は大いに知りたいところだ。中丸は、逆に、小澤の音楽には殆ど触れずに、その生涯を語っている。

小澤は成城学園中学時代、「にいちゃん、俺、指揮者になりたい」と彼の兄に言っていたそうだから、並みの子供ではない。普通、音楽の取っ掛かりは、先ずはピアノだと思う。それをいきなり指揮者だとは、恐れ入りましたと言うしかない。とにかく、この小澤と言う人は、後に、米国の指揮者、バーンスタインをして「セイジ、きみはいったいどこの惑星から来たんだい?」と言わしめた、外国人から見ても途轍もない人物だったのだ。

中丸に言わせれば、「ダメでもともと。失敗を失敗としない。恐るべき胆力があった」と述べている。小生に言わせれば、これだけ何事に対しても全くビビルことを知らない人は見たことも聞いたこともない。

ここに興味深い挿話がある。小澤はなんとか海外に行きたかった。行き先はどこでも良かった。そこで、フランス政府給費留学生試験(ただし、小澤はこれをフルブライト奨学金制度と間違えているぐらいだから、全くいい加減だった)、それでも、最終審査まで小澤を含め二人が残った。しかし、選ばれたのは、小生の2年先輩の加藤恕彦/ヒロヒコ(慶應幼稚舎、普通部、高校、大学中退のフルート奏者)だった。夫人はコンセールヴァトワールへの留学生仲間だった英国人オーボエ奏者のマーガレット・キングさん。将来を大いに嘱望されていたが、旅行中、モンブランで遭難。加藤さんのご遺体はその後に発見されたが夫人のご遺体は未だに発見されていないという。享年、26歳の若さだった。

閑話休題。加藤との徹底的な違いは語学だったらしいが (江戸京子に言わせると、英語でもその文法は滅茶苦茶だったらしい)、こんなことでメゲル小澤ではない。金もないが、桐朋学園時代に知り合ったピアニスト、江戸京子の父、三井不動産社長の江戸英雄を通じて、それを調達、三井汽船の貨物船に無賃で乗船、マルセイユで下船し、スクーターでパリに向かう。これは、小澤が書いた「ボクの音楽武者修業」に詳しい。実は、パリに向かったのは、パリでピアノの勉強をしていた恋人の江戸京子に会いたいが為だった。彼女は、後に、小澤の妻となったが(江戸英雄は音楽家同士が夫婦になることに大きな疑問を抱いていた)、離婚してしまう。結局、小澤が再婚したのはモデルだった入江美樹となる(父が白系ロシア人、母が日本人)。

70歳を過ぎてからの晩年は、病気との闘いだった。帯状疱疹、食道癌、大動脈弁狭窄症。それでも、治癒する都度、舞台に立ち続け、指揮をした。指揮者には定年がないとは言え、極めて過酷な最後の十数年だったのではないだろうか。でも、カラヤンやバーンスタインを虜にしたあの人懐こさとか底抜けの明るさは健在だったようだ。小沢が亡くなった2月6日のほぼ2週間前の1月23日、江戸京子も亡くなっている。

小生、小澤の生演奏は、2/3回しか聴いたことがない。いずれも、新日本フィルを指揮したものだったが、なかでも最も印象に残っているのは、モーツァルトの最後の三つの交響曲である39/40/41番を演奏した時だ。あとは、マーラーの交響曲4番、それにストラヴィンスキーの「春の祭典」。そこで、小澤ってなかなか聴かせるじゃないかってんで、早速、缶詰(当時はLPだったと思う)のマーラーの交響曲1番(スタジオ録音)を贖い、聴いてみた。ところが、中丸がいみじくも「スタジオ録音がどこか精彩を欠いて感じられるほどである」と言っているように、小澤の音楽は、聴衆がいる時といない時とでは、その面白さと惹きつける力に雲泥の違いがあることが分かった。中丸は、「彼の音楽は、大勢の聴衆に囲まれることによってその凄まじさが一層発揮される」とも言っている。その意味で、小生が最も感銘を受けたのは、松本で、サウトウ・キネン・オーケストラを指揮したブラームスの交響曲1番だ。これは、YouTubeで聴けるが、それを何回、聴いても、このブラームスは、小生にとっては最高のブラームスだ。これも余談だが、もう亡くなってしまったが、小生の音楽の師匠であった友人は、「お前が小澤は良いって言うのは、あの踊るような指揮ぶりに幻惑されたんじゃないの」と揶揄われたのが懐かしい思い出となっている。

(編集子)文中で触れている加藤さんとは編集子も接点があった。普通部時代、わけもわからないまま、”文学”だとか”詩歌”なんてものにあこがれた時期があって、僕らの時代の名物教諭だった香山さんの主宰する ぶどうの会 というのに首を突っ込んだ。そこで出会った加藤さんはとても1年上、なんてもんじゃなく、及びもつかない大人だったし、彼の話なんてほとんど理解できないレベルで、なまじっか頭でっかちだった自分の幼さに気がつぃてえらくへこんだものだ。アルプスでの遭難事故と知って、なんとも言えない衝撃を受けたことを,気が付かないほどの長い時間を経て、しんみりと思い出す。スガチュー、Thanks.

 

 

いま、そこにある危機!  (グリンビラ総合管理HPから転載)

現在の温度は25度、今日も日中は気温が上がり連日の暑さとなりました。最近お話したオーナー様が「クーラーを設置しようか?真剣に考えちゃうよ」と!

先週からが玉ねぎの葉が倒れ収穫のサイン!お昼休みに抜いて日干し中!

(編集子)今を去る20年前、退職金をはたいて念願の セカンドハウス(別荘、という用語はどうも気に入らない)を八ヶ岳南麓、標高1100メートルのあたりに建てた。毎夏、ここでほぼひと月を過ごし、ほかにもほぼ毎月、深い森から染み出てくるフィトンチッドあふれる空気を楽しみに何日かを過ごしてきた、”俺の城” である。夏場を外れた3月だったか、早朝にはマイナス20度を経験したこともあり、もともと多雪地帯ではないので、 ”狐の皮の襟巻をたなびかせて入り口まで滑り込む” (尾崎喜八の本のどこかにあった)夢はあきらめていたがそれなりに雪の生活も楽しんできた。あわせて、10年ほど前に再開したアマチュア無線では、身分不相応だったが全高20メートルのアンテナも立て、500ワットの出力を送り込んで地球規模での交流を楽しんだ場所でもある。

開発業者のセリフでは、 (このあたりは夏は涼しく健康的で地盤もよく、地震もありません)ということだったが、かの東日本大震災の時、定住している隣人によれば、(道路がめくれ上がった)というので、やはり日本にいる以上、地震がないなんてのを信じたほうが悪かったのだが、避暑が売りの場所でクーラーの話が出るとは想像もしていなかった。地球温暖化、その危機が今や目の前に姿を見せた気がする。

このページを書き終わったあと、新聞を見て放映を知り、ハリソン・フォードの ”いま、ここにある危機” の録画をした。こういう偶然もセレンディピティ、なんていうのか?

乱読報告ファイル (54) トランプ帝国のネオ・パクスアメリカーナ

 

一見支離滅裂に見えるトランプ政権の行動に世界中が振り回されている現状だが、自衛隊幹部だった著者によれば、それは外見だけであって、実はしたたかな計算に基づいた、一貫性のある政策なのだ、という議論である。軍人らしい大胆な解釈だが、なるほど、と思わせた書である。

司馬遼太郎の大作、坂の上の雲で、主人公の秋山真之は米国留学の機会に当時注目されていた思想家、アルフレッド・マハン の教えを受ける、帰国後の行動の根底にはマハンの主著 海上権力史論 に説かれたシ―パワー の理論が根付いていた。現代において、再びこのシーパワー理論を実践実行しようというのがトランプなのだ、というのが著者の解釈である。

ウイキペディアによると、マハンはこの著書の中で、地理的位置、海岸性の形態、領土の範囲、人口、国民性と政府の性格などがその国のシーパワーに影響を及ぼす要素である。これらから構成されるシーパワーは生産、海運、植民地の連鎖とこれを保護するための海軍のそれぞれのバランスのとれた海洋政策によって国家の力となると主張した。

トランプの一枚看板、America First  という極めて分かりやすい主張からすれば、われわれはそれが外国のことから手を引いて、自国第一の、内向き志向、という感覚を持ちがちだが、それは実は アメリカが世界を制覇することすなわち パクスアメリカーナの再現であり、”Make America Great Again” の、その実現にむけた行動が実は一見無秩序に見えるトランプの行動なのだ、というのが福山の主張である。第二次大戦後実現したアメリカのもたらしたものがパクスアメリカ―ナだとすればそれはすでに崩壊してしまった。トランプの主張が実はその延長なのだ、と読み切って,ネオ、と付け加えているのが本著である。われわれ門外漢にとってみれば、なぜグリンランドなのか、パナマなのか、と首をかしげることも、軍事の専門家から見れば、これからの地球規模の変化によって大国間の交通路になるのが明確な北極海と、アジアへの出口である太平洋への海軍の進出路を確保する、という狙いは明確であり、”アメリカファースト” が決して内向きの思想ではなく、実はふたたびアメリカ帝国の実現を目指しているのだ、ということが、いくつかの資料を論拠に展開される。そしてもう一つ、隠された意図として中国を完全に抑え込むことがあり、さらに言えば、その底流には明治初期に展開されていた、黄禍論、も見え隠れする、とも言っている。この論議に当たっては、AIの解釈もトライしたということで、その解答も付記されているのも面白い。

”アメリカのポチ” と揶揄・侮蔑されこともある現代日本の在り方だが、小生はそれを否定しない。この本の著者の見解では、このあり方の根本にある “不戦” という国是は、そもそも日本を占領したGHQが押し付けたもので、これをめぐっての議論は果てしないが、なんといわれようと、戦後は寸土といえども国土を失うことなく、国民をただひとりも戦争で失わず、80年間の絶対的平和、が実現しているのはこの政治姿勢にあるのは疑い得ないからだ。しかしもしアメリカが再び帝国として君臨することを望む、ということになってしまえば、その時、我が国の立ち位置はどうあるべきか。わが国土が戦場となり、攻撃され、再び焦土と化す可能性が高まることを、著者は軍人の立場からそのことを論じ、憂えているのは明らかである。

トランプがどれだけの人物なのか、まだまだ疑問はあるが、この本は一読にあたいする。

 

アルフレッド・セイヤー・マハンはアメリカ合衆国の海軍軍人・歴史家・地政学者。最終階級は海軍少将。アメリカ海軍の士官であるだけでなく、研究者としても名を馳せた。その研究領域は海洋戦略・海軍戦略・海戦術などに及び、シーパワー・制海権・海上封鎖・大艦巨砲主義などに関する研究業績がある。

 

(ウイキペディア)パクス・ロマーナとは、古代ローマ帝国が地中海世界を支配していた時代に実現した、約200年間の平和な時代のことです。アウグストゥス帝の時代から五賢帝時代までを指し、ローマの圧倒的な軍事力と政治力によって、内乱や外敵の侵入が少なく、商業や文化が栄えました。しかし、この平和はローマの支配によるものであり、被支配地域では搾取や不平等も存在していました。パクス ブリタニカ(Pax Britannica)とは、19世紀のイギリスが圧倒的な経済力と軍事力で世界の平和を維持したとされる状態を指し古代ローマ帝国の「パクス・ロマーナ」に例えられ、「イギリスの平和」を意味します。パクス・アメリカーナ(Pax Americana)とは、第二次世界大戦後、アメリカ合衆国が主導し、国際社会に安定をもたらしたとされる秩序のことです。

 

第101回 ”第四世代” 月いち高尾報告  (51 斉藤邦彦)

 

先月5月12日に第百回記念山行を終え新たに第四世代としてスタートとなった今回の山行。夏至の一日前でしたが真夏を思わせる強い日差しのもと大勢の参加者で賑わい、新次元のプラン第一号がスタートした。

1.日時:令和7年(2025)6月20日(金)

2.コース別の山行記録(敬称略、()内は昭和卒年)

(1)シニアコース

<参加者(8名)世話人:村上祐治>

鮫島弘吉郎(36)中司恭(36)町井かをる(38) 多田重紀(39)武鑓宰(40)保屋野伸(42)村上裕治(46)平井利三郎(47)

<山行記録>

〇往路 ケーブルコースには36鮫島、38町井、39多田、47平井        6号路から稲荷山コースには40武鑓、42保屋野、46村上

稲荷山コースは危険木のため通行が規制されておりとても静かな山行を楽しむ。

〇復路

4号路からケーブル駅
38町井、42保屋野                            町井さんは下山ルートに躊躇なく「みやま橋」のある4号路を選ばれスキー風のストックさばきで軽快に下山。

・4号路から病院坂                           40武鑓、46村上                            富士道から1号路を経てケーブル駅 36鮫島、39多田、47平井

シニアコースは平均年齢82歳と超ベテラン揃いだったが、蒸し暑さにも負けず快調な山行を楽しんだ。

(2)一般コース

<参加者(14名)世話人:斎藤邦彦)

赤荻卓(44) 安田耕太郎(44)吉田俊六(44)徳尾和彦(45 福本高雄(47)福良俊郎(48)五十嵐隆(51)斎藤邦彦(51)石倉周一郎(54) 後藤眞(59) 鈴木一史(60)木谷潤(62) 齋藤伸介(63)大場陽子(BWV)

<山行記録>

上野原駅8:50⇒(富士急バス飯尾行き18分)⇒9:08尾続(オヅク)バス停

尾続バス停9:15⇒(45分)⇒10:00尾続山538m10:15⇒(45分)⇒11:00コヤシロ山11:05⇒(45分)⇒11:50要害山536m12:30⇒(45分)⇒13:15新井バス停13:44⇒13:59上野原駅14:07⇒(JR中央線18分)⇒14:25高尾駅

予定通り全員が飯尾行きのバスに乗車、尾続バス停でミーティングと体操を済ませて山行を開始する。尾続山までの登りは蒸し暑い気候の中、竹林や樹林帯の中を黙々と進む。コースタイムより早く尾続山に到達し頂上でゆっくりと汗を拭く。苦しい登りはここまででこれから先は風通しの良い樹林帯の尾根道を上り下りしながら5つの小ピーク(①尾続山(オヅクヤマ)②実成山(ミナシヤマ)③コヤシロ山④風の神様⑤要害山)を辿る。残念ながら曇り模様で富士山の景色は望めなかったが西に扇山、権現山を望みながら歩く。

要害山(ヨウガイサン)は戦国時代に甲斐・相模・武蔵の国境に大倉砦が築かれたことから要害(小さな城)の山と名付けられており、頂上付近には空堀や土塁跡が残っている。頂上からは南側に展望が開け石老山、高柄山、九鬼山などが望まれた。頂上の木陰のベンチ周辺でそれぞれ昼食を摂るが今回も大場さんからレモンケーキが振舞われそのおいしさに舌鼓を打ち大満足な時間を過ごした。

下山後にバスの待ち時間が30分あったので新井バス停前のデイリーヤマザキに立ち寄る。ここはは「近江屋、長岡酒店」の経営で我々は大歓迎を受けエアコンの効いた店内で立ち飲みを許して貰った。この地域の名物でジャガイモを触媒に作った「せいだ焼酎:芋大明神」を買って帰り天狗飯店に持ち込みで飲んだ。

(3)懇親会

今回初参加の赤荻卓(44)石倉周一郎(54)の両氏からご挨拶を頂いた。特に赤荻さんには茨城県の牛久からのご参加で都内に前泊での山行とのこと。ちなみに初参加にも拘らず一般コースの最高齢であった。また、石倉さんには今後幹事団の一角を担ってもらえることになった。

(4)フォトアルバムは以下のURLを参照されたい。なお、期間限定でのアップですので必要な写真はダウンロードのこと)

https://photos.app.goo.gl/qQ6hyeWCCVgdNJzj9

3その他の伝達事項

次回102回は9月30日(月)を、詳細は別途お知らせする。

乱読報告ファイル (53)袋小路   (普通部OB 菅原勲)

「袋小路」(著者:G.シムノン/1938年、翻訳:臼井美子、発行:東宣出版、2025年)。

ベルギー生まれのフランスの作家、G.シムノンは、メグレ警視ものの探偵小説(75冊)で有名だが、彼は、実はロマン・デュール(硬い小説、日本で言えば純文学)の作家である自負が甚だ強く、その著作は117冊にも及んでいる。これは、東宣出版からシムノン ロマン・デュール選集として出版された二冊目にあたる。

自宅から近い高輪図書館は近着の本であっても、まだ貸し出されていなものは近刊本の棚で閲覧に供しており、この本は、そこを覗いて見つけ出した。しかし、読後、大変、大変、失望した。まー、こんな酷い本は誰も借り出さないんだろう。

主人公は、友人である35歳のブリニ(本名:ゲオルギー・カレーニン)と共に、ロシア革命によってフランスに亡命した白系ロシア人、38歳のウラディーミル(プーチンと同じ名前だ)・ウゴフ。こいつが、コート・ダジュールは、カンヌとアンティーブの中間地点に位置する港町、ゴルフ=ジュアンで、金持ちの夫人が所有するヨットの船長となり、同時にその夫人の愛人となるのだが、無為徒食の生活を送り、朝から近くの店で酒浸り。ところが、実際に船の世話をしているブリニが、船に泊まっている婦人の娘と懇ろとなり、それに激しく嫉妬した彼は、夫人の大事な宝石を盗んで、それをブリニに擦り付け、罪に陥れて、ブリニを追い払ってしまう。小生、先ず、こんな下劣な行為を行う男は軽蔑するし、況や、感情移入なんて出来るわけがない。そして、確かに、罪の意識と後悔の念に苛まれはするが、飽くまでも自己中心の彼は、自分が今の悲惨な環境下に置かれているのは夫人のせいだと思い始める。そして、遂に、機会を見つけて夫人を絞殺する。そして、最後の行を見て欲しい。「ウラディーミルは満足だった。すべては順調に進んでいる!」。これには唖然とするばかり。一体、どう言うことだ!シムノンよ、貴兄は何の取柄もない殺人犯人を野に放つのか。確かに、実人生ではこういうことが起こり得るかも知れないが、であれば、小説の上での結末は、なおさらの事、勧善懲悪に徹すべきではなかったのか。そうか、ここでメグレ警視が登場していれば、それこそ間違いなくウラディーミルを捕まえて、勧善懲悪で終わっていたに違いない。そもそも、シムノンがロマン・デュール(純文学)なんて変な色気を出したのが間違いのもとなのだ。

こんなことを得々として書いているシムノンは、Wikipediaによれば、13歳以来、約1万人の女性と交合い、その内の8000人が娼婦で、残りの2000人が素人だったそうだ(自分でこんなことを公言したのだろうか)。これは「袋小路」とはあんまり関係ないが、その余りの酷い出来具合から、いささかシムノンの悪口も言いたくなる。解説を書いた瀬名英明は、「シムノン、おまえは、天才だろ」とこの本を絶賛しているが、馬鹿者!バカも休み休み言いたまえ。

 

ジョルジュ・シムノンGeorges Simenon1903年2月13日 – 1989年9月4日)は、ベルギー出身のフランス語で書く小説家推理作家。息子のマルク・シムノンフランス語版(1939 – 1999)は映画監督で、女優ミレーヌ・ドモンジョの夫。

103編ある、ジュール・メグレ警視(Jules Maigret, 後に警視長)が登場する一連の推理小説で知られる。

世界中で最も読まれたフランスの作家は、ヴィクトル・ユゴージュール・ヴェルヌについでシムノンであるとの説がある位、シムノン文学は世界各国で好評を博した(シムノンはベルギー生まれだが、ほとんどのフランス人は彼のことを同国人と考えている)。その売上のほとんどはメグレものだが、シムノン自身はメグレを主流な仕事とは考えておらず、あくまで自分を純文学の作家とみなしており、そのメグレ以外の代表作の一つ、『雪は汚れていた』(“La neige était sale”)はアンドレ・ジッドフランソワ・モーリアックから絶賛された。