乱読報告ファイル (55)「タクトは踊る」:風雲児、小澤征爾の生涯 (普通部OB 菅原勲)

「タクトは踊る」副題:風雲児、小澤征爾の生涯(著者:中丸美繪/ヨシエ。発行:文藝春秋、2025年)。

小澤は、音楽の指揮者だ。従って、その音楽だけを語ってくれたら良いんであって、音楽以外の余計なこと、例えば、その生涯は、一切、関係ないと言う人もいるだろう。しかし、彼が、もっと言えば、彼だけが、何故、これだけ無条件に人を惹きつける音楽を紡ぎ出すことが出来たのか、は大いに知りたいところだ。中丸は、逆に、小澤の音楽には殆ど触れずに、その生涯を語っている。

小澤は成城学園中学時代、「にいちゃん、俺、指揮者になりたい」と彼の兄に言っていたそうだから、並みの子供ではない。普通、音楽の取っ掛かりは、先ずはピアノだと思う。それをいきなり指揮者だとは、恐れ入りましたと言うしかない。とにかく、この小澤と言う人は、後に、米国の指揮者、バーンスタインをして「セイジ、きみはいったいどこの惑星から来たんだい?」と言わしめた、外国人から見ても途轍もない人物だったのだ。

中丸に言わせれば、「ダメでもともと。失敗を失敗としない。恐るべき胆力があった」と述べている。小生に言わせれば、これだけ何事に対しても全くビビルことを知らない人は見たことも聞いたこともない。

ここに興味深い挿話がある。小澤はなんとか海外に行きたかった。行き先はどこでも良かった。そこで、フランス政府給費留学生試験(ただし、小澤はこれをフルブライト奨学金制度と間違えているぐらいだから、全くいい加減だった)、それでも、最終審査まで小澤を含め二人が残った。しかし、選ばれたのは、小生の2年先輩の加藤恕彦/ヨシヒコ(慶應幼稚舎、普通部、高校、大学中退のフルート奏者)だった。余談だが、加藤は将来を大いに嘱望されていたが、その後、フランス人と結婚し、モンブランに登山中、夫妻ともに消息を絶った。享年、26歳。

閑話休題。加藤との徹底的な違いは語学だったらしいが (江戸京子に言わせると、英語でもその文法は滅茶苦茶だったらしい)、こんなことでメゲル小澤ではない。金もないが、桐朋学園時代に知り合ったピアニスト、江戸京子の父、三井不動産社長の江戸英雄を通じて、それを調達、三井汽船の貨物船に無賃で乗船、マルセイユで下船し、スクーターでパリに向かう。これは、小澤が書いた「ボクの音楽武者修業」に詳しい。実は、パリに向かったのは、パリでピアノの勉強をしていた恋人の江戸京子に会いたいが為だった。彼女は、後に、小澤の妻となったが(江戸英雄は音楽家同士が夫婦になることに大きな疑問を抱いていた)、離婚してしまう。結局、小澤が再婚したのはモデルだった入江美樹となる(父が白系ロシア人、母が日本人)。

70歳を過ぎてからの晩年は、病気との闘いだった。帯状疱疹、食道癌、大動脈弁狭窄症。それでも、治癒する都度、舞台に立ち続け、指揮をした。指揮者には定年がないとは言え、極めて過酷な最後の十数年だったのではないだろうか。でも、カラヤンやバーンスタインを虜にしたあの人懐こさとか底抜けの明るさは健在だったようだ。小沢が亡くなった2月6日のほぼ2週間前の1月23日、江戸京子も亡くなっている。

小生、小澤の生演奏は、2/3回しか聴いたことがない。いずれも、新日本フィルを指揮したものだったが、なかでも最も印象に残っているのは、モーツァルトの最後の三つの交響曲である39/40/41番を演奏した時だ。あとは、マーラーの交響曲4番、それにストラヴィンスキーの「春の祭典」。そこで、小澤ってなかなか聴かせるじゃないかってんで、早速、缶詰(当時はLPだったと思う)のマーラーの交響曲1番(スタジオ録音)を贖い、聴いてみた。ところが、中丸がいみじくも「スタジオ録音がどこか精彩を欠いて感じられるほどである」と言っているように、小澤の音楽は、聴衆がいる時といない時とでは、その面白さと惹きつける力に雲泥の違いがあることが分かった。中丸は、「彼の音楽は、大勢の聴衆に囲まれることによってその凄まじさが一層発揮される」とも言っている。その意味で、小生が最も感銘を受けたのは、松本で、サウトウ・キネン・オーケストラを指揮したブラームスの交響曲1番だ。これは、YouTubeで聴けるが、それを何回、聴いても、このブラームスは、小生にとっては最高のブラームスだ。これも余談だが、もう亡くなってしまったが、小生の音楽の師匠であった友人は、「お前が小澤は良いって言うのは、あの踊るような指揮ぶりに幻惑されたんじゃないの」と揶揄われたのが懐かしい思い出となっている。

(編集子)文中で触れている加藤さんとは編集子も接点があった。普通部時代、わけもわからないまま、”文学”だとか”詩歌”なんてものにあこがれた時期があって、僕らの時代の名物教諭だった香山さんの主宰する ぶどうの会 というのに首を突っ込んだ。そこで出会った加藤さんはとても1年上、なんてもんじゃなく、及びもつかない大人だったし、彼の話なんてほとんど理解できないレベルで、なまじっか頭でっかちだった自分の幼さに気がつぃてえらくへこんだものだ。アルプスでの遭難事故と知って、なんとも言えない衝撃を受けたことを,気が付かないほどの長い時間を経て、しんみりと思い出す。スガチュー、Thanks.