システム障害という災害

僕が今使っているPCはソニー製の VAIO というやつである。会社を辞めて、初めて自分でPCというものを買った時の興奮というか夢と言えば大げさだが、まだ PC そのものが今ほど常識化されていなかったころだったから、それなりに大きなものだった。第一号はモデル名は忘れたが富士通製の、外観もスマートなコンパクトなものだった。その後、今まで、富士通、DELL, 最後にHPと乗り継いできた。

かたや、やはり会社を離れ、社有車、という恩恵が無くなったために急に自身の問題になったクルマについてはダットサンの中古から始まって、日産、三菱、ホンダ、いすず、スバルと乗り継いだがトヨタだけは乗っていない。例によって合理性もへちまもないのだが、なんせ、最大手、というものになびくのが嫌いだかららしい。

ソニーは今更言うまでもなくエレクトロニクス業界のジャイアントだが、ことPCにかけては業界においてはフォロワーの位置にある。なんでこの機種なのか、と言うとそれはクルマのときの天邪鬼的発想からではなく(しいて言えば、NEC製を使ってこなかったのはHP時代、どう考えても売れるはずのないHP150なんてものを担ぎ、行く先々で我々を足蹴にした憎きPC98の影があったかもしれないが)、近くにあって何かと言えば頼りにしている ”PCデポ” のエンジニア S君の意見に共鳴したからだ。

何台目かに乗り換えたいと相談したところ、彼のアドバイスは ”PCについては、”おカネのある大メーカー製はお勧めしません” という奇妙なものだった。(これは街の人たちのご相談やらトラブルシュートに専念してる人間の狭い了見ですけど) と彼は言うのだ。”大手メーカーはお金があるから、基本ソフト(OS)の共通性は維持したいがそれに自社に都合のいい改良をくわえて最終製品の高度化をはかろうとします。それに比べるとソニーはお金がないから(彼が言ったので、小生が言ったのではない)そういう冒険はしません。そうすることで、最終的な製品が多少劣っても、OSの更新があった時の対応は、それに手を入れていませんから大手の場合に比べて易しく確実になりますからね。なんせ、いくつあるかわからないアプリのメーカーが着実にその更新に対応していなければならないわけですから” というのが彼のァドバイスだった。

S君の見方は、一時、今とは比較にならないほど単純なものではあったけれどプログラム開発、それにともなうトラブルの追求、という事をやったことのある自分には十分納得できる論理だった。自分が対応しなければならなかったものはあくまで自分か、あるいは共同開発をやった仲間のアルゴリズムを追っていく事にすぎなかったが、いまではいろんな意味での共通化が図られた、そのメリットの逆で、多くのソフトメーカーが書いたものの集積で一つのシステムができる。それはいいのだが、ひとたび,その一部が更新されたり誤動作をしてしまった時、その改修作業は大変なものになるだろうことは言わば肌身に感じることができた。まして、我々街の素人が購入した、通称アプリ、と呼ばれる、メーカーからすれば他人の作ったシステムでトラブルが発生したとき、それの追求は複雑、かつ広範にわたってしまうことが多いはずだ。

(その点、)と彼は言うのだ。(”お金のないメーカー” はOSに手を入れるなんてことはしませんから、もっぱら第三者の書いたアプリの問題に直面するものの立ち場から言えば、対応がしやすいんです)。関連技術にたけた人ならば笑ってすますであろう ”街のエンジニア” の正直な述懐が、またまた天邪鬼精神、に共鳴して、小生は彼の言うとおり、”おカネのないソニー” 製品に乗り換えて、今日まで満足しているというわけだ。

何でこんな話をしたか、と言えば、昨日今日と新聞テレビをにぎわしている世界的規模のシステム障害のためだ。マイクロソフトの技術が最深部にあり、その上に幾重にも重なったソフトウエアの壁のどこかであいた小さな穴が、そもそもはプラスに働くべき相乗効果のゆえに、解決が困難になった、その典型的な例だろう。同じ影響を受けている航空業の世界では、日本はそれなりに解決したという。それならなぜ、同じことが起きているはずの欧米では解決しないのか。何重にも重なった、”アプリの層” のどこかで、発生したトラブルに対応する仕掛け、というのが国や地域での特殊性を反映して同一的に対応できないからではないのか。それは (お金がある)ところと(お金のない)ところの差か?

今回のことは、現在のIT社会が根源的に持つ(というより持たされてしまった、と言うべきだろう)脆弱さ、とほうもない危険を惹起しかねない恐ろしさ、を露呈した、というか、全世界に投げかけた警告、なのだと僕は思うのだが。

(HPOB 安斎)別会社になる前のSONYのVAIOは他のお金のある大会社と同様にプラスアルファの余計なことをOSやハードでやっていたのでそれなりに使いにくかったことを思い出しました。別会社になってお金が無くなってからは使いやすいPCになってきましたが・・・

4千メートルの神風アタック  (42  河瀬斌)

小田さんのユングフラウヨッホ旅行の写真を見て、昔そのヨッホからメンヒへ登ったのを思い出しました(メンヒはアイガーとユングフラウの間の山)。
時は医学生5年の56年前(1968)8月初旬です。宿泊はグリンデルワルトのユースホステルでした。
アイガー直下のクライネシャイデックのホテルベルビュー、デスアルペス(今でも健在でしょうか?)。この頃日本人クライマーがここからアイガー北壁に何度もチャレンジし、「カミカゼ」という日本語が通用していました。
ホテルベルビュー隣のWyss-Conzettスポーツ店(名ガイドシュトイリの甥にあたる夫妻経営ー写真)で杉浦(工学部:シンスケ)と河瀬(医学生:やぶたま)は記念のピッケルを買った。ガイドを雇ったりロープを買う金はなかった。
岩と氷の急斜面、標高差600mををロープなし、ピッケルとアイゼンだけで登った。転ぶと遥か下にクレバスが待っているのだ。
頂上までは両側が切れ落ちた雪庇となり、滑らないようそれを跨ぐようにして頂上に達するまでは二人とも死ぬ思い!
メンヒ山頂からは後方の雲の切れ間にあのアイガー(3970m)が何とすぐ下に!見下ろせた。
鋭く黒い岩壁を持つSchreckhorn(4078m)、グリンデルワルトからあれほど高く見上げたWetterhorn(3701m)が左下に黒く小さく見下ろせた。
この登山は二人とも生まれて初めての4千メートルで、その翌週に計画したツエルマットからモンテローザ(モンブランに次ぐ高峰4618m)へ登る準備登山のつもりでした。「標高差600mならいける!」と思ったが、しかしそれは肝試しを通り越し、下山後ピッケルを買ったスポーツ店に行くと我々も「カミカゼ」と言われました。
(編集子)ドクター河瀬がピッケルなしで雪稜を這い上っていた1968年、安田耕太郎は世界一周旅行の始まりで船の上だったというが、この年は小生の滞米2年目でようやく落ち着いたころ、出社途中だったと思うのだが(記憶は確かではなく、昼食によったダイナ―であったかもしれないが)ロバート・ケネディの暗殺が報じられた。ベトナム戦が膠着した後、米国そのものが大きく揺れ始めた年だったように思える。アルプスが温暖化の結果、消滅しようかという今、目下の大統領選に出馬がうわさされるのはRFKジュニア。歴史、というもの、時の流れというものを肌に感じる気がするのはコロナの後遺症か?
(飯田)私は登山や山岳散策体験でなく、単に山岳風景が好きでベルナーオーバーラント地方(アイガー、メンヒ、ユングフラウ3山と麓のグリンデルワルト)には3回か4回行ったことがあります。最初は昭和39年(1964年)に、海外研修制度で1年間ドイツに生活した時で、帰国前に10日間程フリータイムを貰ったので先ず行った先です。独身時代に一人旅でのモノクロ写真ですが、ご笑覧ください。

認知症は予防あるのみ、です! (普通部OB 篠原幸人)

年をとってくると、「物忘れ」が多くなりますね。当然です。小学生のお子さんやお孫さんとトランプの「神経衰弱」をやってごらんなさい。まず、負けますよね。おそらく人間の「物忘れ」は25歳とか30歳ぐらいから始まっているのではないでしょうか? 認知症で最も多い症状は確かに「物忘れ」ですが、病的な「物忘れ」と年齢相応の「物忘れ」は区別して考えるべきで、一人で悶々と「物忘れ」を心配することはやめてください。

先日、厚生省は今後20年ぐらいの間に、日本人高齢者の3人に1人は、何らかの認知障害を発症するだろうと報告しました。3人に一人ですよ。怖くありません?確かに医学は毎年進歩を続け、がんの早期発見や生活習慣病の治療も大きく変わりました。そこで、今後は高齢とともに起こる認知障害が、医療の最大の目標になるでしょう。

がんや生活習慣病は早期発見でかなり治せます。私自身もすでにもう3種類もの「がん」を克服できました。急性白血病・胃がん・前立腺がんです。 しかし認知症はなってしまうと、原因にもよりますが、早期発見でも完治させることはまず不可能なのです。最近、レカネマブ(商品名レケンビ)という新薬が大々的に発売されました。立川病院でもすでに10名以上の患者さんがこの治療を受けられています。しかし、この薬でも、従来の治療法と比較しても増悪(注)を半年ないし1年ぐらい延ばすのが精いっぱいというのが現状なのです。だから、認知障害は早期発見よりも、その前段階で「発症させない」ことが最も大事なのです。これがガンや心臓病・脳卒中と大きく違う点です。

それでは、必ず年をとっていく我々はどう対応したらいいでしょうか?認知症や軽症認知障害(MCIといいます)の大部分はなってからでは遅いのです。繰り返しになりますが、早期発見よりも、もっと早期に「ならないようにする=予防」のが最も大切なのです。認知機能障害はなにも「物忘れ」だけとは限りません。むしろ「物忘れ」は20歳過ぎからはじまりますから、軽度なら心配することもないのです。

「急に方向音痴になる」、「お金の計算を間違える」、「今までしていた仕事の手順を間違える」、「誰かが自分のものを隠したと騒ぐ」、「料理の手順を間違えた」などから始まることもあります。でもその時にはもう手遅れかもしれません。毎日の話し相手がいない、毎日同じことしかしない、高血圧・糖尿病・悪玉コレステロールが高い方などは皆さん、将来の認知症候補生なのです。

私は、自分では普通に生活していると高を括って方々の中から、将来認知症になる可能性があること方々を、現段階ではその危険がどのくらいあるかを判定し、その発症予防を目的する特別外来の開設を考えています。無論日々の生活習慣の改善・生活習慣病の治療も大切ですが、単に脳の検査をするばかりでなく、勉強会(皆で集まって話を聞くあるいは議論する)・運動指導(リハビリ)・趣味の発展と知識の交換・食生活の指導・音楽療法などを定期的に繰り返し行い、最大の危険因子の一つとされる「孤独」をさける方法も考える「認知障害予防外来とその対応外来」を、開設することを考えていますが、保険診療の壁にさえぎられて未だ遅々とした歩みです。

皆さん、とにかく、他人と頻回に接することが大切で、一人あるいはパートナーとだけの独自の世界を作ってしまうことだけはやめてください。何か、目的を持って、生きていきましょう。

(注)認知症はほっておけばドンドン進行します。その進行を半年ないし1年ぐらいは延ばせるという意味です。

(編集子)そうすると、”OB会日帰り” とか “日平会” に ”月いち高尾” とか ”アンノウンの会” さらには ”エーガ愛好会” なんてのは、お互い、人助けをしてるわけだ。はやくコロナ後遺症から脱却せなあかんな。シモムラあ! 次の予定はいつだっけ?

 

日本の旅 鵠沼・蓮池  (41 齋藤孝)

まるでチューリップみたいな花姿。
大きなツボミは夜明けに開いてくれる。幻想的な蓮池。徒歩2分の近場にある。

ピンク色した蓮の花が「蓮池」に群生している。
水面に浮いている大きな葉もあるが長い茎をピット伸ばしている。
重い花を水中の蓮根(れんこん)がシッカリと支えている。
お釈迦様は、右の手の平に一輪の蓮の花をのせて説法された。

「蓮池」にピンク色した蓮の花が浮かんでいた。大きな葉っぱの表面は輝いている。その名は「舞妃蓮」(まいひれん)と呼ばれる。華麗なお妃さまのお名前である。私は書き間違えて「舞悲恋」とした。これの方がロマンがありそうだ。

蓮池は悲しいエピソードも伝えてくれる。

2005年7月7日午後に雷が鳴り夕立が湖面に激しく降り注いだ。 ピカと稲妻がヒカリ、天空から木々を抜けて池の水へ走り抜けた。松の木陰で雨宿りしていた二人の女性が落雷死された。 岡崎昌子さんと娘さんにとり蓮池散歩中の事故だった。先輩親子の御冥福を心から祈った。

(編集子)岡崎昌子。旧姓橋本からおはし、と高校時代はよばれていたのだろうが、KWVでは 箸、すなわち部での用語として使われた ”武器” ということから ブキ、というニックネームで親しまれていた。山に強く、快活な性格でだれからも好かれ、同期ではこれも事故死してしまった総務細田を支え、女子部員の中心にいた人である。落雷による事故死、などという結末は誰も考えてもみなかった悲劇だった。小生がワンデルングで同行した最後は、八甲田合宿再現、というテーマで当時を知るOB仲間たちで東北を旅したときだった。帰りのバスでたまたま隣席になり、彼女の隣に座った町井(旧姓舟橋)かをるとの長話を(うるせえ、早く寝ちまえ!)なんて思いながらうつらうつら聞いていたことを思い出す。クメキチこと久米吉之助令夫人の通称コブキは、彼女が岡崎を彷彿させるからであると承知している。合掌。

氷河特急の旅 (後編)  (HPOB 小田篤子)

7/4にザースフェーからグリンデルワルトに移動。途中土砂で壊された車や中まで泥の入った家の近くを通りました。死者も1人出たようです。グリンデルワルトでは部屋からアイガーの麓に箱庭のように広がる景色が眺められ、朝夕の移り変わりにうっとりしました。

ひと駅手前に、商業施設、ゴンドラ、電車、バスの発着所を備えた大きな《TERMINAL》が出来ていました。7/5にはここからゴンドラで、Eigergletscher(2320m)まで行き、新しく整備された「アイガートレイル」を歩きました。
(これは、ちょっと威張れるよ…と夫に言われましたが)アイガーに登った人達が利用した、山のふちに沿った道で、所々残っている雪で少し怖い思いをしました。
1614mのAlpiglenまで下り、温かい、紫色のスミレ?の浮かんだにんじんスープを飲み、電車で戻りました。
翌6日はMannlichen(2227m)にゴンドラで行き50年ぶりのWengen(1224m)まで、花畑がとても綺麗ですが、急な道を必死で降りました!
登る人にはよく会いましたが、降りる人は2~3人程でした。
7日はお天気もいまいちで疲れていましたので、Meiringenへ。ここはシャーロックホームズがモリアーティ教授と争い、落ちた滝(Reichenbachfall)で有名で、博物館がある所です。滝は博物館の入口から望遠鏡で見るにとどめ、行きは電車で、帰りは山道をPostBusを乗り継ぎ一周する形で戻って来ました。

(河瀬)Mannlichenは今はスキーの中心地だそうですね。Wengenにはケーブルでも降りれるようですが、高山植物の花畑を見るなら大変でも徒歩で降りるのが一番です。Wengen村はラウターブルンネンの谷の反対の山上にあるミューレン村とともに素晴らしい花の村です。そのミューレン村の上には、007の映画の舞台になった「シルトホルン」がありますが、ケーブルの中間駅から15年前に家内と一緒に小田さんと同じように花畑を歩いて降りたことがあります。

 小田さんの写真に花畑がありませんでしたので、代わりに私がその時に撮った花畑の写真を添付させていただきます。背景の山は左からアイガー、メンヒ、ユングフラウです。


(36 田中)懐かしき 昔の想い!!

(保屋野)お帰りなさい。傘寿を迎えた、某大学出のキジン氏とのスイスアルプス旅行、うらやましい限りです。グリンデルワルドは1993年と2007年に行きましたが、メンリッヘン、やバッハゼーへのトレッキングは、まさに「至福の時」でした。ちなみに、メンリッヘンからクライネシャイデックへ下る道に咲いていた「アルペンローゼ」は、あの上品な赤が印象的でした。

(編集子)生来の天邪鬼が邪魔して、OBになっての ”黄金の10年間”、同期の連中がヨーロッパ旅行だのスキーだのと誘ってくれた回数は数知れないが、(みんなが行くなら俺は行かねえ)と全く非合理的な理由で参加しなかった。2009年、HP時代、国際事業総括をしていたHP社副社長と日本HPの甲谷社長(32年)、両夫妻に随行して初めてアルプスの端っこへ行った。HP親玉の別荘は庭から真正面にモンブランが見える文句のつけようのないロケーションで、なんだか知らないが世界最高のもんだ、と言われてもっともらしいワインなど最高のもてなしを受け、いちおうの観光ルートをこなし、あさってから(ま、ここまで来たんだ、行ってやるか)などとうそぶいてパリ、という夕方、なんと二人で出かけた小ハイクでわがパートナーが転倒骨折してしまい、パリ大旅行はパリ寸前引き換えし旅となった。それからは前にもまして天邪鬼となり今日まで来た。何度も書いたがフランスで行きたい処はただ1か所、”史上最大の作戦” でロバート・ミッチャムが主役を張ったオマハビーチだけなんだが、今頃コロナにかかっていてはそれも出来そうもない。ところで平井さん、お元気ですか。

 

”AI” の拡大について

AI、というコトバがあっという間に広がってきた。コンピュータ、というものが一般人のものになった60年代、コンピュータ、すなわち 計算機械にすぎないものの過大評価の一つでこれを 人工頭脳 などと言いはやすことがマスコミの報道に著しかった。しかし現実が理解されるにつき、(やはりコンピュータは与えられた資源を使うものの意思に従って高速かつ忠実に処理する機械なのだ)という正解に落ちついた。その延長線の上に、早晩、現実化するだろうと言われていたのが Artificial Inteligence  だった。当時、米国でエレクトロニクス関連技術センター的な位置づけになっていたシリコンヴァレーはいち早くその出現に反応し、小生が勤務していたHPなどはその代表的存在で、(これからはAI)ムードに支配され、”AI担当部署”がおかれ、トップマネジメントを巻き込んだ一大啓蒙運動が起きた。

しかしその熱狂はいつの間にか冷めてしまった。これはPCの高度化とインタネットの出現で、データ処理の質と量が飛躍的に改善されたこと、かつては専門家のものだった環境が一般家庭でもいとも簡単に実現できるようになったことと、そもそもInteligence とは何だろうか、という基本的な問いかけが起きたからだと小生は考える。データ処理はあくまで作業であり、それ自身が価値を創造することはあり得ない。Inteligence, とは人間が下す価値判断そのものであるからだ。

最近、NHKのニュース番組の これから後はAIによる自動音声でお伝えします というアナウンスメントに疑問を持った。目下、ここで言っているのはニューズの原稿を自動的に音声に代えてアナウンサーの負荷を軽減する、という一連の動作なのだろう、というのが友人仲間での合意である。もし、その原稿になるニューズそのものを選択するのがいまいう AI と呼ぶ(どこまで行ってもこれは高度化されたソフトウエアにすぎないのだが)仕掛けであるならば、(人に変わって価値判断を行う)という小生なりの定義に合致するし、天下のNHKのアナウンスメントにケチをつける気持ちはさらさら、ない。

最近、同じメル友グループの一人、菅井康二が仲間のひとり、平井愛子のフランスの政治に関する投稿を多とし、その良き理解に、ということでGPTを使って欧州の現状のサマリを作成してくれた(7月13日付本稿)。結果は見事なサマリであり、菅井の目論見通りの結果がうまれつつある。今回のような使い方が現状でのGPTの有効利用としては理想的なものだと思う。結論を急ぐつもりではないのだが、このような使い方が、現状の AI, というメカニズムの限界を示すものでもある、とも感じる。逆説的に言えば、これでいいのだ、という気もする。

もし、本当の意味での Inteligence, すなわち人間の持ちえる知性の集約,であるならば、今度の菅井リポートはその結論として(現状はこのとおりだが、こうあるべきではないか)というところまでいくはずのものであるがそこまでは行っていない。それでいいのだ。つまり、どれだけ高度化が進み、事実の正確な記述が出来たところで、その最終判断まで、Artificial  な知性にゆだねる、という事は人間そのものの放棄だ、と思うのだ。

ところが昨日、読売新聞に出た記事はそういう意味で僕の楽観論、というか希望論、に冷水をかけるものだった。友人のいない(その理由そのものが問題なのだが)少年が心のよりどころ、として選んだのがAIとの対話だった、というくだりである。人との交わりによって世界を作っていくのが人間、という生物がほかの生き物との違いなのに、それを ”AI” という仕掛けが代用する。そういうことか。

記事によればこういう例はすくなくなく、なかには結果に満足を得られず自殺した例まであるというのだ。”人生相談” とか、あるいは ”XX相談室” という善意の組織は古くからあって、それなりに人助けをしてくれていることはありがたいことだ。その助言や忠告は回答者の人生で得られた、絶対に正しいという保証はないかわりにその人の人生観に基づいたもののはずであり、”人間” の知性がこたえたものだ。しかしこの少年の場合、その対応を ”Artificial” な仕掛けがしていてくれる、というのか。

この記事のきっかけになった少年がなぜ人との付き合いがないのか、それはわからない。生まれつきの性格なのか、家庭状況なのか、病気なのか。最終的には其の少年の人生が決めることなのだが、人との交わり、友人がない、という事がどれだけ恐ろしいことなのか。そう考えて見ると、数多くの友人があり、この年齢になって尚、若い人たちから世の中を学ぶことが出来る、そういう環境のなかにいる自分が途方もなく幸運であると改めて感じた。ありがたいことだ。

 

 

 

キリコ展へ行ってきました  (普通部OB 船津於菟彦)

上野都美術館で「デ・キリコ展」開催していますので暇人は酷暑の中拝見に参りました。館内撮影禁止故図版から借用致しました。

ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, イタリア語: [ˈdʒordʒo deˈkiːriko])1888年7月10日 – 1978年11月20日)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。姓は「デ・キーリコ」と表記される場合もある。
初期の頃は自画像とか静物画を描いていた。第一次世界大戦に出兵し麻薬の影響を受けた事もあり「形而上絵画」に謎めいた感覚で描く様になった。

「形而上絵画」とは何か。
形而上学(けいじじょうがく、英: metaphysics)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟で認識しようとする学問ないし哲学の一分野世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超越したものについて考える。対する用語は唯物論。他に、実証主義や不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場や、ヘーゲル・マルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法。
中国では文化大革命において、毛沢東語録の一部として「形而上学」という語彙が「唯心論」という意味合いで新聞などで多用された。その影響により、「形而上学」は今日に至るも中国では一般的には貶す言葉として使用されている。
形而上絵画とは ”実際には見ることができないもの(現象・景色)を描く絵画”と描写されている。

欧州の政治状況―平井リポートの背景 (HPOB 菅井康二)

ヨーロッパの移民問題と極右の台頭ということに関して、ChatGPTと対話を試みました。少し長いですが平井さんのリポートと合わせて、欧州の天地で何が起きようとしているのか、理解の参考までにまとめました。

Q:現在(2024年)、ヨーロッパで移民問題などに端を発して、右派・極右派が国民の支持を受けている国々を教えてください。

ChatGPT:2024年時点でヨーロッパにおいて、右派や極右派が国民の支持を受けている国々としては以下のような国々が挙げられます:

フランス – ナショナル・ラリー(旧国民戦線)が右派・極右派の支持を集めています。移民問題や国民主義を重視する政策が支持されています。

イタリア – フランチェスコ・ベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリアなど、右派・極右派政党が議会で影響力を持っています。移民問題や経済政策が争点です。

ハンガリー – ヴィクトル・オルバン首相率いるフィデス党が、国民の支持を受けています。移民に対する厳格な姿勢や国民主義的な政策が特徴です。

ポーランド – 法と正義党(PiS)が右派・極右派の支持を受けており、移民問題や国家主義を主張しています。

これらの国々では、移民問題や国家主義が選挙や政治の主要な争点となっており、右派・極右派政党がそれに応じた政策を推進しているため、国民の支持を集めています。

Q:オランダはどんな状態でしょうか?

ChatGPT:オランダにおいても、右派・極右派の政党が国民の支持を集めています。具体的には、以下のような状況があります:

自由党(VVD): オランダの中道右派政党で、現在の首相であるマルク・ルッテを輩出しています。VVDは経済自由主義を掲げ、移民問題に対しては一定の制限を支持していますが、他の一部の右派・極右派政党ほど厳格ではありません。

フォルトゥイン・フォークスパルテイ(FvD): フォルトゥイン・フォークスパルテイは、右派ポピュリスト政党で、特に移民問題やオランダの伝統文化の保護を主張しています。FvDは急成長し、議会で影響力を増しています。

自由民主民主党(PVV): ゲルト・ヴィルダース率いるPVVは、極右の立場から移民の制限やイスラム教への批判を行い、一定の支持を得ています。PVVは過去にも議会で影響を持ったことがあります。

オランダでは移民問題やイスラム化に対する懸念が、右派・極右派政党の支持を後押ししています。また、EUに対する批判や国家主義的な要素も政治の争点となっています。ただし、オランダの政治環境は多様であり、他の国々と比べると中道右派の影響力が大きいとされていますが、右派・極右派の政党も一定の支持を保持しています。

Q:イギリスのBrexitはEU内(主にポーランドなど東欧圏)からの移民問題が切っ掛けの一つになったと言われておりましたがあのときに盛り上がった右派の現在の勢いはどうなっていますか?

ChatGPT:イギリスにおいて、Brexitの過程で右派政党や右派的な立場を取る勢力が盛り上がった影響は、その後も続いていますが、具体的な政治的勢力や党派の状況は変化しています。

保守党(Conservative Party): ブレグジットを推進したのは保守党であり、その後も保守党は移民制限や国境管理を重視する政策を推進しています。ボリス・ジョンソン首相率いる保守党は、移民政策については厳格な姿勢を示しており、右派的な立場を維持しています。

英国独立党(UKIP): ブレグジットの主要な推進者であったUKIPは、その後の選挙で影響力を失いつつありますが、一部の政治的な影響力は残っています。移民問題や国家主義的な主張が中心です。

労働党(Labour Party): 労働党もブレグジットにおいて移民問題や労働市場の観点から異なる立場を取っていました。現在はリーダーシップや政策の変化がありつつも、移民の労働市場への影響などを考慮して政策を検討しています。

移民問題が主要な原因とされていたBrexit後の右派勢力の状況は、保守党が主導する中で右派の立場が政治的に主流となっています。ただし、選挙ごとに政治的な状況は変化し、各党の政策も適応しています。

Q:イギリスは現在のフランスのように左右(中間派も含めて)対立が先鋭化していないように感じますが、その理由は?

ChatGPT:イギリスが現在のフランスのように左右の対立が先鋭化していない理由はいくつか考えられます:

ブレグジットの実施: ブレグジットにより、イギリス国内の主要な政治的論点はEU離脱に集中しました。この過程で左右の対立が深まった一方で、EUとの関係における論点が優先されたことがあります。

Q:メルケル政権が移民に対して寛容な政策をとっていたドイツの現状はどうなっていますか?ネオ・ナチのような勢力の政治に対する影響力は?

ChatGPT:ドイツにおいては、移民に対する政策やその影響力について以下のような状況があります:

移民政策の変化: アンゲラ・メルケル政権下での移民に対する寛容な政策は一部見直されています。特に2015年の難民危機以降、ドイツは移民の受け入れに関して制限を設けるなど、政策が変化しました。これは国内の政治的な議論や社会的な圧力を反映したものです。

極右勢力の影響力: ドイツにおける極右勢力、特にネオ・ナチのような過激な政治的グループや政党は、一定の影響力を持っていますが、主流派政党としての影響力は限定的です。例えば、Alternative für Deutschland(AfD)は右派ポピュリストの立場を取り、移民やイスラム教に対する強硬な姿勢を示していますが、国政での影響力はまだまだ限られています。

政治的対立の現状: ドイツの政治的状況は多様であり、左派から中道派までの政党が存在し、それぞれが異なる立場を取っています。移民問題や国家主義的な主張は一部である程度の支持を得ていますが、大衆の支持を集めるには至っていません。

総じて、ドイツでは移民問題が政治的な議論の一部ではありますが、現在の政府や主要な政党は中道から中道右派の立場を取っており、極右勢力が主導するような状況にはなっていません。

Q:オーストリアでの右派の台頭状況はどのようになっていますか

ChatGPT:オーストリアにおける右派の台頭状況について、以下の点が挙げられます:

自由党(FPÖ)の影響力: オーストリアの右派政党である自由党(FPÖ)は、移民問題や国家主義的な主張を中心に政治的な支持を広げています。特に1999年から2017年までの間、FPÖは連立政権に参加し、大きな影響力を持ちました。その後も影響力を保っていますが、2019年の国民議会選挙での得票率はやや低下しています。

移民問題と国家主義: FPÖは移民問題に対して厳格な姿勢を示し、国境管理の強化や移民の制限を主張しています。これにより、特に経済的な不安定感や文化的な保護主義を求める有権者から支持を受けています。

他の右派政党の影響: 他にもオーストリアには右派の政治勢力が存在しますが、FPÖが最も影響力を持つ党とされています。例えば、Identitäre Bewegung Österreichs(IBÖ、オーストリアのイデンティティ運動)などの極右団体も一部で注目されていますが、政治的影響力は限定的です。

政治的な変遷: 2020年代に入り、オーストリアでは中道右派のオーストリア人民党(ÖVP)が主導する政府が形成されていますが、FPÖの影響力は議会での位置を保っています。右派の政治的影響は依然として存在し、一部の選挙で強い支持を示しています。

総じて、オーストリアにおいて右派の政治的台頭は、特に移民問題や国家主義的な論点を中心に議論され、FPÖを中心に影響力を持つ一方で、政治的な均衡を保つ努力も行われています。

Q:スイスでは移民制限をする法案が通ったようですが、極右の台頭や極端な外国人排斥などの問題が起きていない理由があれば教えてください。

ChatGPT:スイスにおける移民制限や極右の台頭があまり顕著にならない理由には、いくつかの要因が考えられます:

政治的な均衡: スイスは政治的に中道を重視し、連邦政府は複数の主要政党から構成されています。連邦議会や連邦評議会では各党の代表が議席を分け合い、多党制によって極端な政治的立場が台頭しにくい状況があります。このため、極右の台頭が抑制されています。

直接民主制度の影響: スイスは直接民主制度を採用しており、国民投票が重要な政治的意思決定の手段となっています。移民や外国人に関する政策も国民投票によって決定されることが多く、議会での議論や合意形成が国民の意向に合わせて行われることが、極端な外国人排斥を防ぐ要因になっています。

経済的な必要性とバランス: スイスの経済は国際的な労働力を必要としており、多様な分野で外国人労働者が働いています。経済活動や社会構造のバランスを維持するために、労働市場での外国人の受け入れや移民政策が慎重に調整されています。

文化的な寛容性: スイスの社会は一般的に文化的な寛容性が高く、多文化共生を重視する傾向があります。この文化的背景が、極端な外国人排斥運動が台頭するのを抑える要因となっています。

以上のような理由から、スイスでは移民制限を含む政策が国民の支持を得つつも、極右の台頭や極端な外国人排斥運動が起きにくい状況が維持されています。

Q:第二次大戦後、EEC,EU設立などでドイツとフランスは戦前とは違い緊密な協調をしてEUを支える大国の役割を果たしてきました。フランスの極右勢力の伸長によってこの関係に変化が起こるでしょうか?

ChatGPT:フランスにおける極右勢力の伸長がドイツとの緊密な協調やEUの支える大国の役割にどのような影響を与えるかについては、以下の点が考えられます:

外交と安全保障の協調: フランスとドイツはEU内で重要な外交・安全保障のパートナーです。極右勢力の台頭により、フランスの政策が国内向けに保守的な方向にシフトする可能性があっても、EU全体の安定と統合を支える視点での協調は維持される傾向があります。

経済と財政政策の調整: ドイツとフランスはEUの経済政策や財政政策の重要な立案者です。極右勢力の台頭があっても、EUの経済・財政政策を調整し、欧州経済の安定を図るために協力する必要性は変わりません。

価値観と移民政策の調整: 極右勢力が移民や多文化主義に対する批判を強める場合、フランスとドイツの価値観の違いや移民政策の調整が課題となる可能性があります。しかし、EU全体の移民政策は各国の国内政治だけでなく、EU全体の利益や法的な枠組みに基づいて決定されるため、両国間での協議が重要です。

EUの進展と統合の推進: ドイツとフランスはEUの深化や統合を進める中心的な役割を果たしています。極右勢力の影響を受けても、両国がEUの進展を推進する意志を持つ限り、協調関係は維持されるでしょう。

総じて、フランスにおける極右勢力の台頭がドイツとの関係にどのように影響するかは、具体的な政治状況や選挙結果によって異なります。しかし、EU全体の安定と統合の利益を考慮すると、ドイツとフランスは協力関係を維持しつつ、内部の政治的変動に対応していくでしょう。

Q:フランスとドイツは行政レヴェルでの協調がかなり密だと言われていますが、フランスの極右の台頭で両国関係に変化は起こるでしょうか?

ChatGPT:フランスにおける極右勢力の台頭がフランスとドイツの行政レベルでの協調にどのような影響を与えるかについては、以下のような考察があります:

外交と安全保障の協調: フランスとドイツはEUの外交政策や安全保障政策で密接に協力しています。フランスにおける極右の台頭があっても、EU全体の安全保障や外交政策の課題に対応するために、両国は協調を維持する傾向があります。ただし、特定の外交政策や国際問題に関して極右が反対する場合、調整が必要になることも考えられます。

経済と財政政策の調整: ドイツとフランスはEUの経済政策や財政政策を共同で調整しています。極右勢力の台頭があっても、経済の安定や欧州統合の推進に向けて、両国は協力して政策を進めるでしょう。ただし、移民や社会的問題に関する政策で意見が異なる場合、調整が難しくなる可能性もあります。

EUの進展と統合の推進: フランスとドイツはEUの深化や統合を推進する重要な役割を果たしています。極右の台頭があっても、EUの進展に向けて両国は協力関係を維持し、必要な改革や政策の実施を進めるでしょう。ただし、特定の政治的課題で対立が生じる可能性も考えられます。

総じて、フランスにおける極右の台頭がフランスとドイツの関係に影響を与えるかどうかは、具体的な政治的状況や問題の内容に依存します。しかし、欧州統合の利益やEU全体の安定を重視する観点から、両国は協調して対応策を模索すると予想されます。

Q:伝統的に移民に寛容だった北欧諸国の現状はどのような状況でしょうか?特に移民受け入れが犯罪増加の原因といわれているスウェーデンの現状はいかがでしょうか?

ChatGPT:北欧諸国、特にスウェーデンにおける移民政策やその影響についての現状を以下にまとめます:

移民受け入れの歴史と現状: スウェーデンは長年にわたり移民に対して比較的寛容な政策を取ってきました。特に1970年代から1990年代初頭にかけて、多くの難民や移民を受け入れました。移民は労働力としても活用され、スウェーデンの経済成長に貢献しました。

移民政策と社会問題: 近年、スウェーデンでは移民政策が社会問題と結びつくことが増えています。一部では移民の増加が犯罪率上昇の一因と見なされることがありますが、これに対する正確な統計的な証拠は複雑であり、移民と犯罪の因果関係を明確に示すことは困難です。

政治的な対立と移民問題: スウェーデンでは移民政策に対する政治的な対立が存在します。右派政党は移民の受け入れ制限や統合政策の見直しを主張し、一方で左派や中道左派の政党は移民の人権と多文化主義を支持しています。この対立は議会での争点となっています。

統合政策と社会結 cohesion: スウェーデン政府は移民の統合を支援する政策を進めていますが、課題も多く残っています。言語教育や労働市場への参入支援、住宅政策の改善などが取り組まれていますが、実効性や成果には時間がかかることが多いです。

総じて、スウェーデンの移民受け入れは多様な社会的、経済的課題を引き起こしていますが、政府は統合と社会的包摂の促進に努めています。移民と犯罪の関連については様々な議論がありますが、客観的なデータをもとにした議論が求められる状況です。

Q:>一部では移民の増加が犯罪率上昇の一因と見なされることがありま

これは数字的なエヴィデンスに基づくというよりも、国民の皮膚感覚によるものでしょうか?

ChatGPT:移民の増加が犯罪率上昇の一因と見なされる議論は、しばしば国民の皮膚感覚や個人的な経験に基づいています。具体的な数字や統計に基づいた客観的なエビデンスによって支持されているわけではありません。以下にその理由を詳しく説明します:

感覚と現実のギャップ: 国民の一部は、移民の増加が社会問題や犯罪率の上昇に寄与していると感じる場合があります。しかし、感覚や個々の経験は客観的なデータとは異なる場合があります。例えば、メディアの報道や一部の政治家の発言が、このような感覚を強化することもあります。

統計的なデータの複雑さ: 犯罪率や移民の統計データは複雑であり、因果関係を正確に示すことは難しい場合が多いです。移民集団の組成や地域差、経済的背景などが犯罪率に影響を与える要因として挙げられます。単純に移民の数が増えれば必ずしも犯罪率が上昇するとは限らないのです。

研究と分析の必要性: 移民と犯罪の関係については、学術的な研究や詳細な分析が必要です。多くの研究では、移民の統合度や経済的地位が犯罪にどのように影響するか、また移民と国内の犯罪者との比較などが行われています。これらの研究は、単純な関連性を超えて、実際のメカニズムを理解するための重要な役割を果たしています。

したがって、移民の増加が犯罪率上昇の一因とされる議論は、しばしば感覚や個人的な経験に基づいており、客観的なエビデンスによる支持を受けているわけではありません。社会的議論や政策決定においては、統計的なデータと科学的な分析が重要な役割を果たすことが求められます。

Q:現在のハンガリーは他のEU諸国とは異なり、左右対立は既に終わり国民多数の支持を受けた右派(極右?)が政治の主導権を握っており、この状況はしばらく続くのでしょうか?

ChatGPT:現在のハンガリーの政治状況については、以下のような点が考慮されます:

右派政権の台頭: ハンガリーでは、ヴィクトル・オルバン首相率いるフィデス党が右派の政権を形成し、2010年以降連続して政権を維持しています。フィデス党は国民の支持を集め、議会での過半数を持ち続けています。

政治的対立と批判: フィデス党は極右ではないものの、一部では右派・保守的な政策を採用しており、EU内外からはその姿勢に対する批判があります。特に移民や欧州連合への反対姿勢が強調されています。

内外の影響: ハンガリーの政治状況は内政だけでなく、欧州連合との関係にも影響を与えています。EUとの対立や規範に対する異議申し立てがあり、これがハンガリーの将来にどう影響するかが注目されています。

将来の展望: ハンガリーにおけるフィデス党の支配が将来どのように進展するかは、国内外の政治的および経済的状況によって大きく左右されます。国内の反対勢力やEUからの圧力、経済的な課題などが影響を与える可能性があります。
総じて、現在のハンガリーにおける右派政権の主導はしばらく続く可能性が高いと見られますが、将来的には様々な要因によって政治的な状況が変化する可能性もあります。

(編集子)内容についてすべて理解したとは言えないが、昨今問題化しているGPTをはじめとするいわゆるATの使い方の模範解答の様な報告である。このリポートは、問いかけるほうが論点を整理して利用すれば、的確な解答が得られるという基本的な使い方を示唆しているといえる。コージ兄、many thanks  !

カメ・ヌーヴォー にご期待あれ    (41 齋藤孝)

ボトル三本のワインが飲めるかも・・・・ ? 。

今年のブドウは豊作になるだろう。マンションの小さなテラスにブドウ棚を作って10年。可愛らしいブドウの房が元気に鈴なりになっている。

デラウェア、ナイヤガラ、山ブドウそしてヤマ・ソーヴィニヨンなど10本を栽培してきた。昔のブドウ農園や片瀬山のブドウ棚の生き残りである。残り物には福がある。ホームメイドのワインが秋には飲めそうだ。

ご機嫌になり漢詩をつぶやいた。 

葡萄の美酒、夜行の杯
飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す。
酔うて砂上に臥すとも君笑うことなかれ。 

想い出が詰まった密造ワインが生まれるだろう。「カメ・ヌーボー」に乾杯 !!