僕とオーディオの縁  (44 安田耕太郎)

ブログ(オーディオシステムとやらについて)を遅ればせながら拝読。僕の名前も登場しているし、「オーディオ」で飯を食ったのも事実なので追稿。
僕はと言えば、40年間以上オーディオ業界で禄を食んだとはいえ、オーディオが好きでこの業界に入った訳でもなく、楽器は何も弾けず、歌はオンチとくれば、この業界に入ったのは間違いだったのか? 2年間に及ぶ世界一周の旅から帰国後、大学6年目で4年生となり東京で再び下宿探し、4年生への再編入手続きなどで忙しく、浦島太郎状態で帰国も遅れたこともあって青田買いの就職戦線には大幅に乗り遅れていて、門戸は狭く、極論すると、どこでも空きがあって引き受けてくれる会社であれば、「お世話になります」といった状況だった。だが、人生を送る上での価値観のパラダイムシフトを旅を通して感じていて、余り深刻には受け止めていなかった。「人間万事塞翁が馬」とも感じていた。そして結果として同じ業界に40数年所属したことになった。
Project Everest DD66000

オーディオと音楽に大きな興味を抱いていてなく飛び込んだ業界だったが、否が応でも音楽を聴く機会(生のコンサートも再生音楽も)が増え、音楽やオーディオの専門的なことまで学ばねばならず、気が付けば次第に音楽を聴くのが大変好きになった、趣味の一つになった。怪我の功名だろうが感謝すべきだと思っている。また、技術屋の知識・能力は持ち合わせてはいないが、新製品計画においては詳しい技術論はさておき、戦略的な製品の方向性・コンセプト面の議論には、それが大変興味深く、積極的に加わり、リードを執って製品

Project K2 S9900

企画に励んだ。山好きが昂じてJBLの高級製品に”Everest”と ”K2” シリーズと銘打って登場させたこともあった(現在も販売されている)。 両シリーズとも’80年代に市場導入し、数年おきにデザイン変更を行って新製品として販売してきた。世界第1位と第2位の高峰2つの山の名を冠したのは僕のアイディアである。