エーガ愛好会 (280) 今度はジョン・ウエインで

数日前、ドクターセーブゲキこと小泉さんからメールが来た。ここのところ、テレビ放映が再放送、再々放送ばかりでの嘆きを共有した。今回は少し前に放映された アラスカ魂 のことで、だいぶ以前、本稿で取り上げた紹介記事を種になにか書いてみないかとのお誘いであった。ご指摘の記事はこの作品とよく似たしあがりの スポイラース と、小生がアラスカ物として紹介した 世界を彼の腕に (西部劇ではなく、主演が グレゴリー・ペックとアン・ブライスという当時人気のあった組み合わせの作品で、米国もロシアもそんなことが起ころうとは夢にも思わないでアラスカ地方をロシアから新興国アメリカが買い取ったところ、なんと大きな金鉱が発見されたという、いわば歴史に残る大バーゲンの話)についてふれたものだ。この2作品はジョン・ウエインの作品群の中では異色で、”準”セーブゲキ、だと僕は思っているのだが、ちょうど、読みかけていた A.J.クイネル のシリーズもののひとつ Message from Hell の後半でジョン・ウエインについての面白い会話があってなるほど、と思っていたところだったので、最近新登場の島田君の好評イーストウッド論の向こうを張ってみようか、と思い立った。

このクイネルというのは実は知る人ぞ知る高名な作家のペンネームらしいのだが、その正体がわからない、言ってみれば覆面作家、ということになっていて、海兵隊からフランス外人部隊に投じ、いわゆる ”戦争の犬” と蔑視される傭兵の主人公の話だ。ほかにも数多くあるスーパーヒーローではなく、陰のある人物で、東南アジアでの汚い戦争を共に戦った旧友たち(彼らはすべて正業を持つ一般市民になっている)とが登場する。調べてみた範囲では10冊、書かれているらしいがその中の一つがこの本(和訳のタイトルは地獄からのメッセージ)で、面白いと思ったという会話は、国自慢のなかでフランス人がWhat has America given the world ,except John Wayne ?” とからかう。アメリカ人はほかの場所で、”The only things the French know are how to make Bearnaise sauce and reide a bycycle” とやりかえすのだ。僕が付き合った連中だけでの話だが、この二つは ”アメリカ人” という概念についての米欧人の相互理解というか抜きがたい感情として変わらないように思える。”アメリカ人” とは何か。

1979年、ウエインが一度は立ち直ったものの癌が進行し、最後の時を迎えようとしていると知り、彼に名誉を与えるために特別の金メダルを鋳造しようという議案が上院に提出され、時のカーター大統領もその立法を支持した。そのとき、親友のモーリン・オハラは ”私たちが感謝し、愛していることを彼に見せてあげましょう。彼はヒーローなのです” と涙声で語ったという。勲章の表には彼の肖像と、”ジョン・ウエイン、アメリカ人” と刻まれたが、この文句はそのモーリン・オハラが提案したもので、裏には多くの作品が撮影された、あのモニュメントバレーの風景が刻まれた。この議会名誉勲章を贈られたのはジョージ・ワシントン、トーマス・エジソン、ライト兄弟ほか83人であるという。この事実がすべてを語っているということなのか、彼の墓に墓碑銘はないそうだ。

(彼が癌に侵された遠因はネヴァダの砂漠地帯でのロケで残留していた放射能に侵されたからである、という説は、”ジョン・ウエインはなぜ死んだか” という本に詳しい)

リオグランデの砦 のウエインとオハラ

ウエインが出演した作品はドキュメンタリなどへの出演を除き、153本あり、そのうち103本が日本でも上映された。僕はそのうち40本(小学生のころ兄貴に連れられてみたものがまだあるはずだがはっきり覚えていない)をみているが、うち29本が西部劇である。

ウエインの西部劇、となると誰でもが第一に挙げるのが 駅馬車 (1939年)だろう。ウエインが撮影所の下働きをしているとき、ラオール・ウオルシュの目に留まり、Big Trail の主役に抜擢された、というよく知られた話から 駅馬車 でヒットを飛ばすまで、実に9年かかっているが、jこれ以後は順調にスター街道に乗り、今回のきっかけになった スポイラース では マレーネ・ディートリッヒという大女優と共演。ここでランドルフ・スコットと演じた乱闘シーンはのち、(あのスポイラースのような)と引用されるほどになった。アラスカ魂 での乱闘もなかなかのものではあるのだが。

しかし何といっても 駅馬車 に始まるジョン・フォードとウエイン、という組み合わせの作品がウエインの真骨頂であることは間違いない。アパッチ砦 リオグランデの砦 そして 黄色いリボン、の騎兵隊三部作三人の名付け親,捜索者、騎兵隊、そして リバティ・バランスを射った男。これらの作品に共通のテーマというかバックグラウンド、一本気でフェアプレイを貫き、世間の目は構わずとにかく本懐を遂げるまで戦う男、というのが、世にいう”アメリカ人” というイメージを作り上げたのだろう。そしてその結果がフォードの監督ではないが、名作 赤い河 に集約されたのではなかろうか。

”遠すぎた橋” は第二次大戦欧州戦線で、連合軍がイギリス軍主導で実行した大規模侵攻作戦の話だが、冒頭から独善的な英国軍指導に対するアメリカ側の不満が描かれる。大陸侵攻前夜の会合で、エドワード・フォックス演じる指揮官がこの作戦を、(圧倒的な敵に囲まれ、最後の時を迎えようとしている人たちを救うために騎兵隊が駆けつける、アメリカ映画の、あの騎兵隊が俺たちなんだ!)とぶち上げるシーンがある。駅馬車 の上映が 1939年、いわば大戦前夜だったわけだから、フォックスの脳裏にあった騎兵隊、というのが、あの映画を有名にした一つの要因だった、砂塵を巻き上げて駆けつける騎兵の、あの突撃シーンであったろうことは想像にかたくない。このあたりが当時の英国人のアメリカ人観だったのではないだろうか。

西部劇以外でのウエインの作品(日本上映についてのことだが)には、アイルランドへの郷愁を描いた 静かなる男 をのぞけば、第二次大戦ものと警察ものが多い。僕が見た中では、これでもか、というくらい大物俳優をならべた 史上最大の作戦 でいい役を演じたウエインよりも、硫黄島の砂 で戦死してしまうウエインの悲痛な顔が印象にある(なお、映画でウエインが死ぬのは、日本で公開された中ではこれと ラストシューティストだけのはずである)。西部劇以外では ドノバン珊瑚礁 のようなコメディもあるし、マックQ だとか ブラニガン なんていう現代警察ものもあるが、なにもウエインが出るまでのものでもなかろうか、という程度の印象であった。

老熟期に出た リオ・ブラボー エルダー兄弟 エルドラド チザム など一連の作品は、いずれも一歩引いて若い連中の面倒を見ている、というような雰囲気と、軽いユーモアが感じられる見やすい作品だ。リオ・ブラボー の中でディーン・マーティンが歌った My Rifle My Pony and Me は僕の愛唱歌になった(追記したレッドリバーについての記事もご参照ありたい)。

と、ここまで気の向くまま云々、と書いてみたものの、きっかけのはずの、小泉兄のいわれた アラスカ魂 vs スポイラース 論にはどうも付け加えることはなさそうだ。先輩、すみません。

長くなりすぎた。最後に一応、(俺の言うベスト・ウエイン)をあげておくことにすれば、やはり 赤い河 になるだろうか。僕が高校時代、おととし旅立ってしまった関根達郎からもらった、ふるいレコードを ”電蓄” にかけて覚えた、いわば俺のもひとつの愛称歌、が RED RIVER VALLEY なのとは無関係なのだが。

思い出した。ウエインの死後、カリフォルニアはLAに近いオレンジカウンティがウエインに敬意を表して、市空港の名前をジョン・ウエイン空港、と改名した。このことをいち早く知ったのはHP時代の親友、佐藤敬幸でかれもウエイン好きだった。そのあと、パロアルトへ出張した時、新空港へ行って写真を撮ってきた。ビジネスの用件があったはずはないので、そのためだけに往復したのだと思う(経費をどうやってごまかしたかも忘れてしまったし、なんとその写真がどうしても見つからない、というお粗末なのだ)。

さらに追記。Red River についてはブログの検索コラムを red river で検索していただければ多少のリサーチをしてあるのでご参照のほど。