皆様、ご存知のように、すんでの所で、
今回の選挙では、左派連合、マクロン中道派、極右RN が同じくらいで、左派連合が一番議席数を獲得したのですが、
(船津)早速に仏蘭西の現地も矢張り胸をなで下ろしているようですね。ヤ
(菅原)小生、ルペンの肩を持つわけではありませんが、油断は禁物。
(河瀬)平和な国の象徴であるフランスが移民過剰のため、
(安田)フランスの人口は5830万人。移民人口は総人口の10.3%、
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
皆様、ご存知のように、すんでの所で、
今回の選挙では、左派連合、マクロン中道派、極右RN が同じくらいで、左派連合が一番議席数を獲得したのですが、
(船津)早速に仏蘭西の現地も矢張り胸をなで下ろしているようですね。ヤ
(菅原)小生、ルペンの肩を持つわけではありませんが、油断は禁物。
(河瀬)平和な国の象徴であるフランスが移民過剰のため、
(安田)フランスの人口は5830万人。移民人口は総人口の10.3%、
数日前にひさしぶりに出掛けた大阪の南(難波界隈)の道頓堀商店街にあるおでん屋「たこ梅(本店)」(大阪の北(梅田界隈)の「たこ梅」分店は贔屓の店です)の黒板メニューに“箸やすめ”と書いてあって、数品の品がチョーク書きされていました。ちゃんとした和食では有るが、おでん屋でもそんな気取った品書きがあのか、芝居で言えば幕間、映画で言えば休憩(Intermission)のような・・・。それに似た気分転換になりました。
ところで、道頓堀川界隈は日本の大阪か中国の上海かまごつくほどの雑多な看板の氾濫でちょっと離れた心斎橋筋とは相当に違ってしまっていました。ニュースで時々流れる道頓堀川へ飛び込む(禁止されています)「戎橋」での、御上りさん状態(私)のスナップをご笑覧ください。
80歳になった夫の氷河特急に乗りたい…でスイスを旅しています。
6/22、ドバイ経由でチューリッヒに入り、広いチューリッヒ中央駅で苦労し、サン・モリッツに着きました。サン・モリッツはシャンパン気候とかで、高級感のある綺麗な所。食べ物も高い!です。ベルニナ急行、そして氷河特急に乗り、ツェルマットに今日(6/28)は居ます。
氷河特急はツェルマットまでなのですが、少し前に降った雨により通行止めの箇所があり、車と電車の振り替えとなりました。ここは昔から電気自動車、電車以外は入れないので、マウンテンバイクが多くみられます。嬉しい事にお天気が良く、マッターホルンがくっきり見られ、ケーブルで途中のSunneggaから2時間歩き、降りて来ました。スイスの野原は私が好きな真っ白な花、レースフラワーでしょうか?がいっぱいです。
(編集子発信のメールより一部転載してコメントに代える)
……..同じ考えるならもっとコージのことなんかよりもっとましなことが
先々週、ドクター篠原から ”コロナはまだいるよ!” という警告があったけれど、(マー、俺にはかんけーねえや)くらいの気持ちしかならなかった。それがなんと、わがパートナーが(夏風邪だと思うんだけど)と出かけたクリニックでコロナの宣言を受けて帰宅。勤めて接触のない数日を送ったが同じ茅屋にあっては当然というべきか、小生も被弾。5日分のキットをもらって暑さの中、悶々の1週間を過ごした。
いまやかの悪病も薬局でもらった薬を飲んで自宅で治る、という事態にあって、あらためて感じたのは (あのとき、この薬ができていればあいつは今でも元気だったのにな)という衝動的な感覚だった。普通サイズの倍はあるカプセルをしかも4つ、一口に飲みながら (これがなけりゃ俺もあいつと一緒になるところか)という事に思い至った。大げさに言えば、自分の死生観というのか覚悟の具合を試されているような瞬間だった。
神田光三。
普通部時代、同じクラスの知識人だった鈴木庚三郎と陽気な大越康徳なんかの奔走でラグビー部が復活、時あたかも全国制覇を成し遂げた当時の高校から、宮島(みやきん)さんとか、木野(ぶんかい)さんとか、多くの一流プレイヤーにしごかれた。神田は左バックロー(当時フランカという言い方はしなかったと思う)、俺は左フッカー、毎回 (もっと腰を低く!)(押しが足りねえ!)なんてやられていた仲だ。社会人になって大手銀行のホープとされていたが銀行の仕組みそのものに飽き足らず退社、文字通り徒手空拳、コトバもわからないスイスに修行に出て、はるかに若い少年たちと一緒にチョコレートの作り方をきわめて帰国、白金にだした ”ショコラチエ エリカ” は今や東京名店にかぞえられようかという成功をおさめている。
(ちょっと父が具合悪くて)と長男の光教君から連絡があってからわずか数日、コロナ蔓延の絶頂期、他界した。ご家族との面会もできなかった、悲劇的な最期だった。そんなことどもがつぎつぎに思い出された5日間の闘病、そのうえ、その5日目はパリで客死した同期のエース、西脇順一の日本での葬儀にも顔が出せなかった。
慶応高校の入学式では,学内進学の代表と入試組の代表が塾旗を掲げる儀式があった。普通部の代表は西脇、”おめえは西脇が風邪ひいた時のスペア” といわれて当日、(野郎、風邪ひかねえか?)と念じながらあいつのそばに立っていたものだ。そんな(あのころ)の感傷を吹き飛ばしてしまったのもまた、このコロナだった。ま、不徳の致すところか。
米国の映画から、ひとの温もりは、一体、どこへ消えてしまったのか?
飯田さんが指摘されたいくつかの映画、「グレン・ミラー物語」から「学生王子」まで通底して流れているのは、一言で言えば、ひとの温もりです。それは、夫婦のそれであり家族のそれであり友人のそれであり、そして、見知らぬ人同士のそれです(でも、「見知らぬ乗客」なんてオソロシイ映画もありました)。その代表監督は、全編を流れる温もりに満ちた「黄色いリボン」で代表されるJ.フォードでは無いでしょうか。一方、テレビであれば、「パパは何でも知っている」(日本テレビ 58年8月―64年3月。米国・NBCテレビ:54年10月― 60年9月)がその代表でしょう。米国の国として黄金時代であり、聖林の黄金時代でもありました。
でも、1970年代後半、マイケル・チミーノの「ディア・ハンター」(1978年)、F.フォード・コッポラの「地獄の黙示録」(1979年)などが公開されるに及んで、特に「ディア・ハンター」は、ロシアン・ルーレットの悍ましさもさることながら、夫婦、家庭、友人など人の温もりが喪われて行くさまを、極めて的確に描いていました。これを境に、最近はトント新しい映画など見ていないから大層なことは言えませんが、以後、ひとの温もりなど殆ど見当たらなくなりました。勿論、例外はあるでしょう。逆に、今、そんなことを正面切って描こうものなら、惰弱、軟弱などの非難が浴びせられるご時世です。繰り返しになりますが、今は皆目「ひとの温もり」など全く見当たりません。
「映画は時代を写す鏡」だ、と言われています。結局、その根本原因は、ヴェトナム戦争で、土人(土着人)に成すすべなく惨敗し、75年4月、サイゴン(現ホーチミン)が陥落した後遺症の成せる業ではないでしょうか。米国は、土人(土着人)を虐殺し、その土地を収奪して出来上がった国です。従って、ここで見事なしっぺ返しを食らったことになるわけです。
結局、昔は良かったの類いの話しになってしまうのですが、やっぱり、昔は良かったのだ。温もりが無くなったら、映画が映画でなくなるだろう。いや、映画どころか人生だってどうなるか分からない。
そして、これは牽強付会かも知れませんが、マルクス五兄弟に始まって、ローレル/ハーディの極楽コンビ、アボット/コステロの凸凹コンビ、ホープ/クロスビーの腰抜けコンビ、ルイス/マーティンの底抜けコンビ、が、底抜けを最後に底が抜けてバカバカシイ映画がなくなったのも、そのせいかも知れません。ひとの温もりあってこそのバカバカシサでしたから。
(安田)温もりの欠如が顕著になったのは、暴挙)を描いた「キリング・フィールド」
歳を重ねてきて感性が鈍ったのか、
わが谷は緑なりき ー How green was my valley.
6月18日からスコットランドとウェールズに行き,北ウェールズはコンウェイで、あの ”我が谷” の場所に行ってきた。
名女優「モーリン・オハラ」は大家族の娘役だった。勝ち気な女性役は彼女に適役なのだ。その映画は、ウェールズの炭鉱町を舞台にしていた。
“Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and days of auld lang syne ?”
“旧友を忘れ 思い起こすことがなくても良いのか?昔懐かしい日々を忘れても良いのか?”亡き友のためにもう一杯、モルトの杯を酌み交わした。
(編集子)モーリン・オハラ。俺達の青春時代の一つのあこがれでもあった。ジョン・ウエインが癌で命旦夕に迫ったとき、そのオハラが、”あの人を救う手立てはないのでしょうか!” と議会に訴えた、という話は胸に響いたものだ。いろんな作品で彼女にお目にかかっているが、彼女が最も美しい、と感じたのは別居を余儀なくされた妻の役で彼女が騎兵隊の砦をおとずれる、”リオグランデの砦” 、あの作品のあるシーンで、オハラの横顔がアップされたカットだった。
人間グーグルの異名をもつKWV44年卒安田耕太郎君が仲間内に披露した、彼の若き日に書いたという、カサブランカ の感想文を巡って賑やかな論戦になった。ま、いくつになっても男はロマンを追う夢を捨てきれないようだ。
(大学クラスメート 飯田)「カサブランカ」の感想文を拝読しました。ところで、「カサブランカ」に匹敵する恋愛映画の名作として挙げられている、「哀愁」と「ローマの休日」にも全く異議はありませんが、3本共にモノクロ映画なので、彩を添える意味でもカラーの恋愛映画の名作にも時には、思いを馳せたいと思います。思い付きですが「めぐり逢い」(1957年、デボラ・カー、ケイリー・グラント)、「愛情物語」(1956年、タイロン・パワー、キム・ノヴァック)辺りを是非入れたいと思います。
「めぐり逢い」は分別の備わった大人の男女のストーリーで、デボラ・カー、ケイリー・グランドの美男美女が主役ですし、「愛情物語」はピアニスト・エディ・デューティンの半生を描いた映画ですが、大根役者と言われていたタイロン・パワーと一世を風靡したキム・ノヴァクなのと2本ともに音楽も良いと思います。私はタイロン・パワーは「壮烈カイバー銃隊」「長い灰色の線」「陽はまた昇る」で存在感があって、決して大根役者だとは思っていないのですが・・・。
(普通部OB 船津)どれも確かに悲恋・恋愛エーガですね。ローマリ休日はローマ観光
(安田)確かに、「めぐり逢い」「愛情物語」「慕情」
。そこで出演時のヒロイン女優の年齢を調べてみました。
(安田)確かにアカデミー主演女優賞最多(4回)
(菅井)アリダ・ヴァリの本名はAlida Maria Laura, Freiin Altenburger von Marckenstein-
「第三の男」は彼女の代表作でジョセフ・
彼女は1964年にフランス芸術文化勲章、
主題歌である「三つの小さな音符」(Trois petites notes de musique)を歌っているコラ・ヴォーケール(
甑島(こしき島)ってご存知ですか。鹿児島の西30kmにある(国定公園)甑島列島です。4年前に下甑島と中甑島が「全長1500mの甑大橋」で結ばれ、上甑島含め3島が繋がったことで、人気が高まった隠れた超穴場観光地です。同期の(島ハンター)大場君に誘われて夫婦4人で(線状降水帯のかかる)21日から2泊で行って来ました(クラブツーリズム~12名)。
川内港から高速船で下甑島に上陸、2日目に下甑島観光・・・高さ120mのナポレオン岩→高さ55mの観音滝→高さ200mの鹿島断崖(添付)等、素晴らしい景観と「鹿の子ゆり」(添付)や「カンゾウ」、「合歓」、「浜木綿」、「紫陽花」等の花も奇麗で、充実した1日を楽しみました。
ただ、3日目は海が荒れ高速船が運休となってしまい、急遽、上甑島の観光をあきらめ、朝のフェリーで串木野に向かい、幕末の薩摩藩英国留学生(五代友厚、森有礼等)記念館や大谷の兜で有名になった「甲冑工房丸武」等の見学をして夜の便で帰りました。天気は(予想外に)まあまあで、3日間一度も傘をささずに済みました。
(42 河瀬)思い立ったらすぐ行けるのは元気なワンゲルご夫婦の典型。
(薩摩川内市案内文)
鹿児島県薩摩半島から西へ約30キロ。東シナ海に浮かぶ上甑島・中甑島・下甑島と縦に3島を連ねる甑島は、国定公園にも指定された風光明媚な離島です。 東京から鹿児島空港へ飛行機で約2時間。その後、甑島へは本土の港(川内港ターミナル・串木野新港)から船で向かいます。高速船甑島(川内港ターミナル発着)で約50分、フェリー(串木野新港発着)で約75分の船旅も、これから始まる大自然あふれる甑島への旅路を彩ります。 青い海、緑の山々、新鮮な海の幸、そして素朴で人懐っこい島人が皆さんをあたたかくお出迎えします。上甑島・中甑島・下甑島と縦に3島を連ねる甑島列島。 地形などの違いから各島で違った表情を楽しむことができます。 古くは8000万年前(白亜紀)の地層から形成された断崖や巨岩は圧巻です。
(ウイキペディア解説)甑は、古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。需とも。竹や木などで作られた蒸籠と同じく蒸す調理のために用いる。
漸く、以前から気になっていた「アメリカ交響楽(1945年製作
小泉さんが、そもそも≪ラプソディ・イン・ブルー≫及びガーシュ
この映画「アメリカ交響楽」に出て来る音楽演奏シーンは、ざっと次のような順番で、この種の音楽家の半生を描く伝記映画と
・アル・ジョルスンがステージで歌う “Swanee”
・ステージショウの “S.Wonderful”
・男女のボードビリアンが歌いタップダンスする “Somebody loves Me”
・ステージショウ “Blue Monday Blues”
(ブロードウエイでヤッシャ・ハアイフェツ、ジェローム・カーン
・エオリアン・ホールでフルバンド演奏(約14分) “Rapsodie in Blue”
・パリのクラブで女性歌手(ヘイゼル・スコット)の弾き語り “The Man
I Love “&”“グランド・カリフォルニア・ヤンキー・ドウドルドウウ”(ラヴェルとカフェで談笑&ピアノ演奏)
・オスカー・レヴァント&ガーシュインの掛け合い “Somebody Loves Me” “Someone to Watch over Me“
・巴里の雑踏の映像&N.Y.カーネギーホール演奏 “An American in Paris”
・父親の死の直前に “キューバ序曲”
・ガーシュインとレヴァントとの弾き語りで “??“
・ブロードウエイで歌劇 “ポーギーとベス”公演
・ロスアンゼルス・フィルと “ピアノ協奏曲ヘ長調 ”
・ニューヨーク演奏会場でオーケストラとオスカー・レヴァント演
“ピアノ協奏曲”&“Rapsodie in Blue(約5分)”
ジャズ系の音楽家の半生を描いた映画若しくはジャズ音楽そのもの
******************************
(余計なことだが例によってウイキペディア解説いわく)
アメリカ交響楽ロバート・アルダジョーン・レスリーアメリカ合衆国が生んだ偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィンの生涯を描いた傑作伝記映画。ニューヨークのレミック楽譜出版社にある日ジ ョージ・ガーシュインという若者がピアノ弾きとして雇われてきた。彼の仕 事は朝から晩までこの店の楽譜をお客に弾いてきかせることだった。まもなく彼の作曲した「 スワニイ」はブロードウェイの人気者アル・ジョルソンに認められ、ジョルソ ンの「シンバッド」で唄われたこの曲は作曲家ガーシュインの名とともにたちまち全 米を風靡した。 レミックの店で知り合った歌手ジュリイも彼の「本当に素晴らしい」を唄 って人気をたかめ二人の間は急速に親しさを増していった。やがて彼に注目したボ ール・ホワイトマンは、ジャズ交響楽の作曲を依頼した。彼は3週間を費やしてひとつの曲を作り上げた。 ついにアメリカ音楽史に1頁を画する記念すべき日が訪れた。1924年2月12 日、不朽の傑作「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏が終わったときエオ リアン・ホールを埋めつくした聴衆の拍手と歓呼は場内をゆるがせた。音楽 を愛し、命の限り情熱を注いだジョージ・ガーシュインの生涯を描いた傑作。
件名は、ちょっと前ですが、12日(水)の日経夕刊の第一面にデカデカと載っていた見出しです。
ところが良く考えてみると、小生が会社に入った当時(1961年)。営業(要するにセールスマン)を仰せつかって営業所に配属されましたが、営業もSEもCE(修繕屋)も全部男性。女性は秘書、事務などに散見されるだけ。この状態が暫く続き、日本は、E.ヴォーゲルに「Japan As No.1」と煽てられる程の成長を遂げました。確かに、人口が増えると言うボーナスがあったにせよ、この高度成長は、それこそ、ジェンダー・ギャップ(男女平等)云々とは縁も所縁もない男尊女卑のなせる業だったのではないかと愚考します。しかし、西洋から輸入した「ジェンダー・ギャップ」が云々されればされるほど(例えば、役員の何割を女性にせよ!)、日本は低成長路線を悼走りに走っている。
この調査では、アイスランドが一位(男女平等が最も進んだ国)だそうですが、アイスランドは、一体、世の中の為に何か役立つことをしたんでしょうか。こりゃー、単なる自己満足に過ぎないのではないかとの疑問を抱かざるを得ません。
一事が万事、西洋発のロクデモナイ横文字(ここで言えば、ジェンダー・ギャップ)は非常に胡散臭い。ところが、これに素早く飛びつくやつがいて、これが日本の良さを滅ぼす亡国の輩。こんな横文字に一々付き合っていたら、日本が日本では亡くなってしまう。と言う危機感は、ジャイ兄が6月12日のブロッグで指摘していた通り。
(44 安田)菅原さん、同感です。
下位(100位以下)に位置する日本は、世界でも5本、否、
「男女平等」の評価については日本はまだ時期早尚で、
(小川)成程、一考させられました。
(高橋)日本における男女間格差が世界のなかで118というのはいささか驚きである。アイスランドが一位というのは経済的規模が小さく社会改革がやりやすいという点があるにせよ、現在の大統領は女性というのも見上げたものである。
我が国ではやっと男女間格差の是正の方向に風が吹き出したところだ。働く女性、家庭における妻等々の存在は経済的にどのように評価されていくのか女性問題にやっと目が向けられるようになった。これからも注視していきたい。
(中司洋子)個人的な経験としては、
出羽守現象歓迎の立場です。
(編集子)多数の投稿をいただき感謝。スガチューは ”アイスランドはなにをしてくれたのか” という素朴?な問いかけをしたが、北欧の社会は ”西欧” という中でも一味違うように思っていた。グリーンランドの開拓の歴史をちょっとかじったことがあるが、想像を絶する自然の暴力のまえには男女の区別なく働き続けなければならないという現実が男女差別がない、という文化をつくりあげたのだろう。温和な国に住む日本人とは全く違った結果が出来上がって、というのは理解できる気がする。上記末尾に記載した記事は編集子の姪のものだが、長くノルウエイ大使館に勤務し、北欧文化に触れる機会の多い立場にあった。参考になると嬉しい。
最後にずっと不思議に思っていることをひとつ。”レディファースト” とか、”女性専用車” などと言う事象はどのように解釈すべきであろうか? 明快な解答を期待する。