猛暑が続きいていますが、夏野菜は元気に育ち、連日食卓は夏野菜…田舎あるあるですが、キュウリやナスピーマンetcとれたてで美味しいのですが、食べ飽きるんですよね。北杜の里では葡萄畑でも一番出荷が早い「涼香」と言う品種の色づきが進んでいます。


旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
先週、信州の諏訪湖周辺を数日間うろついてきました。さしたる目的地もなく、諏訪湖の観光花火を観て、諏訪大社の8月1日の遷座祭(お舟祭)※の前々日に、
春宮と秋宮に参拝し、甲州道が中山道と交わる地点などを散策して、老舗そば屋「山猫亭」で天ぷら蕎麦を賞味しました。
翌日は天候が良さそうで気温も左程高くならないことを確認し、霧ヶ峰にバスで登り八嶋湿原の板道をゆっくり散策し、可憐に咲く草花や蝶を見て楽しみました。その次の日は諏訪湖岸の間欠泉の温泉玉子を食べながら、北澤美術館での特別展(エミール・ガレ没後120年記念)とサンリツ服部美術館を鑑賞するなど、猛暑を避けて屋内で過ごす時間を増やしました。
とてもKWV諸兄の北アルプス連峰の旅とは比べ物にならないのんびり無害な旅でしたが、2度夕食に出掛けた「すみかまど」のメニューはどれも手ごろな値段で美味しく、サービスも控えめで丁寧と、やたらと居酒屋が多いこの街ではラキーな出会いでした。
関西では“びわこ(琵琶湖)”という単語をしょっちゅう使うので、今回は“すわこ(諏訪湖)”という単語が直ぐに出て来なくて、ついつい、“びわこ“と先ず間違えて言ってしまうことが多く、後期高齢をしみじみ感じました。
※(2月1日に春宮にお遷しした御霊代(みたましろ)を神幸行列を以て再び秋宮へ御遷座する神事です。この遷座の行列 に次いで青柴で作った大きな舟に翁媼の人形を乗せた柴舟が御頭郷の氏子によって春宮から秋宮へ曳行されます)
(編集子)本稿の解説を読んで思い出したのが、最近読んだミステリ小説、”アマテラスの暗号” である。この本は、以前本稿で紹介したことがあるが、高木彬光の傑作(と勝手に思っているだけかも)”成吉思汗の秘密”、古くは英国推理小説黄金時代に書かれてこのジャンルの嚆矢といわれている ”時の娘” と同じように、故事を現時点で史実或いは事実としてわかっている事物と比較し、別のテーマを追求したものである(その結果、小生は高木に賛成して成吉思汗は平泉の館から脱出してシベリアにわたった源義経の後身だと信じている)。この本は高木の作品とは比較にならないほど多くの史実、写真、文献を提示して、天照大御神に始まる我が国創立の過程にユダヤ教にまつわる史実が重なることを説いた本であり、衝撃的なものだった。例えば、僕らのレベルでわかることで言えば、京都のある古刹の家紋(というのか、要は其の寺の印)が、あのダヴィデの星(ナチ支配下のドイツでユダヤ人が常に身に着けることを強制された、あの印)である、と言ったような数多くの事実がこれでもか、というくらい写真などとともに明らかにされる。また、飯田兄が言われているものではないが諏訪の有名な神事がユダヤ教で行われるプロセスと全く同じであるとか、遷宮という儀式がそっくりそのまま、ユダヤ教のしきたりと同じである、と言ったことが列記される。この本自体は一応ミステリの形をとってはいるが、全く異種の読み物として、知的興味満々、一読に値するものだった(正直 気味が悪くなった)。寝られない猛暑の夜、お勧めの1冊である。琵琶湖にはこういう話はないのだろうか。
強烈な読売・巨人ファンのご意見を伺いたい。
先程YouTubeで「大谷の日テレ出禁問題」を見て感じたこと、報道業界・プロ野球でのナベツネの圧力も世界の大谷に屈したかという快挙です。日テレの代表的な夏恒例の「24時間テレビ」にどうしても出させるように、ナベツネが強烈な圧力を日テレ幹部に掛けていたようです。「たかが選手が…」という彼本来の考えです。
それに対して大谷と共にドジャーズ球団も完全に拒否しています。昔からナベツネの政界にまで及ぶ圧力に非常に憤慨していました。巨人以外の球団も随分泣かされたでしょう。 恐らく日テレは視聴率が強烈に落ちると思います。ナベツネという嫌な存在が大谷の力で葬られた快挙と小生は喜んでいますが、
(42 下村)『実ほど首を垂れる稲穂かな』ですね。彼も入社したてのころは真面目で仕事一筋。若くして頭角を現したようですが、周囲に意見をする人がいなくなってからは独裁体制の様相。ビッグワン、小林製薬に限らずトップに何も言えない会社はいずれダメになりますね。
お陰様でわが家はカミさんがうるさいほど口を出してくるから大丈夫!!
(編集子)事情は良く存じませんが、快挙ですね。ナベツネの傍若無人ぶりについては、
昨夜は「麻布学園OBオーケストラ演奏会2024」
どの本だったか忘れてしまったのだが、上高地について触れた文章で覚えているのがふたつある。
一つは上高地、という呼称を聞いて、”かの 神河内 を 上高地、などという俗称にしてしまったのか” という、日本アルピニズム黎明期、この地をまさに神の宿るところ、とまで激賞した先人の嘆きであり、もうひとつはウエストンが日本を去る直前、徳本峠で “さよなら、ホタカ” と夫人の肩に涙した、という一節である。
現役時代から僕の記録に穂高の想い出はあまり現われない。縦走の終わりにピリオドとして訪れたとか、秋の定番であった涸沢BCで一般ルートをたどったほかは、卒業して間もなく、山岳部OBだった山川陽一からロープワークの実地訓練をうけながら北尾根を上り、グリセードでテントへ戻る、といういわばクラシックな登行を経験させてもらった程度だ。
2年の秋、涸沢から徳澤に下って来た時、徳澤山荘の前に大きな板看板が張り出してあって、”氷壁、完結” と書かれ、主人公魚津恭太の最後のことが簡単に書かれていたことがあった。この小説の背景にいつも意識されるのが涸沢だし、山に夢を賭ける人たちの ホタカ への想いがずんと胃の中に落ちた気がしたのを思い出す。卒業して間もなく、八方尾根山麓のヒュッテ 白い小屋 に通い始めてから、ストーヴのそばでの、オーナー大野さんのとつとつとした回顧に出てくる穂高、がすべて、僕なんかがわかる由もない滝谷のことと知って、また違う感覚を感じたものだった(なお”氷壁”、未読の方はぜひ一読をお勧めする)。
僕の ホタカ はこの岩稜を真に愛する人たちからすれば、ありきたりの、傍観者の勝手な思いにすぎないのだが、それでもいつか、それでも自分なりに青春の一部であった山々に ウエストン のむこうをはって、あばよ、ホタカ くらいは言いたい、という気持ちがあった。もうひとつ、社会人になった2年目の晩秋、当時関西で工場勤務をしていた田中新弥と落ち合って我々夫婦と3人、岳沢から前穂の秋、としゃれこんだことがあったのだが、その時に河童橋を渡ろうとしたら、なんと向こうから、今でも記憶にあるのだが見事な紅葉をバックに、同期の宮本健(ガン)が歩いてきたのと遭遇するという、誠にエーガ的な出会いをした。快晴の山麓の秋色のなかでのこの遭遇が、僕の ”河童橋” にまつわる想い出だ。現役時代は川内三千雄との名コンビで不死身といわれた宮本だが、宿痾には勝てず、こののち数年を経ずして旅立ってしまった。あの時のガンが歩いてきた、あの橋はどうなっているのか、という思いもあった。
今度のKWVOB会夏合宿が上高地の奥座敷、平湯集中で、なかに上高地散策というプランがあるのを知り、この地を訪れるのも たぶん、行けば今回が最後になるような気がして、参加させてもらうことにした。つまり今度の上高地散策はいい年をしてのセンチメンタルジャー二イ、のつもりだったのだ。古手の同行は同期の高橋良子、1年あとになるが親しくしていた加藤清治、国府田信雄。加藤は同期で三国山荘の主と誰もが認めていた故小林章悟の一番弟子、ミスター山荘と言われた職人肌の男である。
しかしながら、雲は岳沢の雪渓をちらつかせただけで稜線を動かず、穂高を見ることはかなわなかった。焼岳は2度ほど登ったことはあるが、あまり魅力のある山ではない。ただ、大学4年時、所属していた平井ゼミの夏旅行を企画する立場になったので、同学年にいた翠川幹夫としめたとばかり上高地旅行というプランを立て、本来ならば平井先生などと毎日同行すべきところだったが、知らぬ顔で奥又白の池へ行ったことがあった。その時、一応幹事面をして大正池とか焼岳、なんてのを案内したことが思い出され、大正池の澄んだ水と、泰然とした焼岳、親友との想い出をかみしめることになった。
此処まではよかったのだが、好ましい林間の散歩道をへてやってきた河童橋の、いわば惨状とさえいえる現状には声も出なかった。
オーバーツ―リズムとはまさにこれか。人が多いのはシーズンだし想像どおりだったがなんでこんなところにこんなものを作るのか、という気持ちだった。自然保護、という事では先駆者的な行動をとった地元の人たちがいたのに、大正池にホテルを造り河童橋を渋谷まがいにしてしまったのは、やはり欲望か。“神河内” の堕落を嘆いた先達たちに申し訳ない気持ちすら覚えた。
そんなわけで、今回のセンチメンタルジャー二イは消化不良のままに終わってしまった。ただ合計なんと百人という規模で集合し、年代を越えて語り合うことのできる、参加された船曳さん(34年卒-米寿、おめでとうございます)の言葉通り、この日本にふたつとないであろう、最高の同窓会に参加し、その一部であることが誇りに思えた。志賀のスキー合宿に森田先輩が持ち込まれた ”俺達の青春はまだ終わらない” という(タイトルもシンガーも忘れてしまったがいい歌だ―ご存じの方があればぜひ教えてください)、あの歌の通りの週末がただ、うれしかった。幹事各位に改めて感謝し、我々を見守ってくれた桑原、関根両兄に改めてお礼申し上げる。なお合宿の全体報告については別途ご紹介することにし、パートリーダの桑原君のメモの一部を付記する。
(平湯温泉集中夏合宿第一班 リーダー 桑原克己) この度は、夏合宿1班 上高地のんびり散策プランにご参加頂き、誠に有り難うございました。お陰様で天気にもコースにも、また、メンバーにも恵まれ、事故もなく、のんびり楽しく安全にプランが実行できました事、皆さまのご協力のお蔭様と、感謝申し上げます。
エディット・
(編集子)これはKWVのOB連中にしか通じない話題だけど、38年卒の岩木義明が酒席でいつもこの歌を微醺を帯びながらいい声で歌ったものだった。頑健そのもの、小樽潮陵高校出身にふさわしく豪快な滑り、常にジョークを連発するまことに楽しい男のことを思い出す。
やっこがイメージする 愛の賛歌 とはおよそ似つかわしくない、でもどこかやさしい、そういう後輩のことだ。
五輪は29日まで日本が金メダル6個を獲得し、地元のフランスを上回り幸先の良い出足を切ったようです。翻って8月1日から始まる陸上はどうでしょうか。恐らく出る選手出る選手次から次へと予選落ちとなって行くのは間違いありません。勿論、例外はあるでしょう。
何故なら、こう言うカラクリがあるからです。五輪に出場できる選手は、
1. 世界陸上の設定した各種目の参加標準記録を突破した選手(期間限定)。例えば、男子100mは10秒00で、これを突破した日本の選手は、サニー・ブラウン・アブダル・ハキムただ一人。
2. 世界陸上のランキング(これも、期間限定で、試合の質、記録、順位などから得点付けして総合的に順番付けをする。詳細は省く)で出場人数枠内にある選手(例えば、男子100mでは、日本陸連は、37位の東田、52位の坂井を代表に選んだ)。
つまり、2.は世界陸上の単なる頭数の数合わせであって、オナサケでの出場となるわけです。なお、英国は今回から1.の選手には8位までに入賞の可能性はあるが、2.の選手にはそれはないと判断し、2.は代表に選ばなかった。小生は、1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。確かに、一方では、「五輪は参加することに意義がある」そうですが。でも、次から次に落選また落選では見るに値しないでしょう.
(菅井)1.のみにして、2.は撤廃すべきだと思っています。とするならぱ各競技連盟の世界選手権があれば事足りるので、
(金藤)2. について全く知りませんでした。貴重なお話ありがとうございました。
(編集子)陸上競技の結果は単純明快、スガチューには怒られるかもしれないが、戦略も作戦もあまり意味はなく、要は選手個人生まれながらの身体能力で決まるものだと思うんだがどうだろうか。豊芦原みずほの国のたおやかな自然を愛し、裏山に鹿の声が聞こえれば、取って食うより人の世のあわれの歌にするような環境で育まれたわがヤマト人の体の出来というのか、遺伝子というのかが、昨日までライオンとかけっこをしていたような環境で育った連中のそれとは基本的なところで違いがあるんじゃなかろうか。つまり陸上競技などでは、(純粋に生物学的意味で)人種による選択がすでに決まっているのではないか。チームワークとか、微妙きわまりないテクニックが要求される競技で我が国がメダルに湧くのとは基本的に違う。スガチューが期待するサニーブラウン君も国籍は日本人だが (再度言うが生物学的意味で)純粋なヤマト人ではない。そういう意味で冷静に見ればいいんで、結果にあまり熱くなることもないのではないか?
例によって、”みんながやってるこたあやりたくねえ” 症候が発症し、パリの番組には背をむけてテレビはもっぱらなつメロミステリー(目下、吉永刑事シリーズ、ってのにはまってる)だけしか見ない小生(わがパートナーはそうではない、彼女の名誉のために言っておく)にはあまり興味はないトピックだけど。
(ついでにスガチューに教えてほしいんだが、水上競技にアフリカ系の人の参加が少ないのはやはり構造的なというか政治的思惑なんかがあるんだろうか。身体能力なら、やはり人種的遺伝的能力で行けば陸上と同じようになるんじゃないか、と思うんだが)
西部劇とSFとの融合ということは事前に分かっていたが、配役
追う相手は当初の相手よりもっと悪い下半身の無いド
アン2011」があるが、どれも
(編集子)だから ”三人の名付け親” を見ろって言ってんじゃんけ !