“皇帝” を聴いてきた

先週の映画館行に続いて久しぶりに紀尾井ホールへでかけた。小泉先輩やら後藤三郎なんか筋金入りのクラシックファンには及びもつかないド素人だから、曲そのものよりもそれにまつわることのほうが先に出てくる。

小生の兄は8歳半年上だったから僕が中学生になったときはすでにサラリーマン、およそ正反対の性格の真面目一方。フルブライト留学生試験にも合格したが体に問題あり(入学前に肋膜炎で1年寝込んでいた)ということでハワイ大学へ推薦されたり、銀時計ももらいかけたくらいの勉学一筋、当時のインテリの典型ともいえる性格で、その教養の一部としてクラシック音楽はいわば ”マスト” であると信じ込んでいた男だった。ちょうどLPレコードというのが出てきて、1枚買うと月給の四分の一がなくなる、という時代だったが、生真面目に買い揃え、日曜日などは僕を捕まえて、”お前もこのくらいは聞いておかねばならん”と畳に座らされたものだった。彼が買った最初の曲がベートーベンの”第七”で、その次がこのピアノ協奏曲5番、通称 ”皇帝” であった。

そんなことで、好きとか嫌いとか、ましてや鑑賞の仕方も知らず、耳だけで覚えている名曲もいくつかあって、折に触れて気が向けばCDを買ってくる、という程度のリスナーにすぎないが、亡兄の想い出でもあるこの ”皇帝” だけは特別な存在である。だいぶ以前、同期でヒマラヤトレッキングの時、”エベレストを観ながらこれを聴こう”と決め、まだCDなんかなかったからカセットを持参していった。無残なことに極度の高山病にとりつかれてどうしようかと心配する状況だったが、かろうじて窓ごしに山を観ながら朦朧としながら聞いたことだった。

そんなわけで今回のコンサートに出かけたのだが、もう一つ興味があったのは指揮者がピアノの演奏者でもあるという”弾き振り”とやらであった。有名な渡辺暁雄の長男であるご本人が最初に登場して演奏項目の解説をしてくれたが、古い表現でいえば六尺豊かの大男であることがわかり、始まってみると体格の大きい人でなければピアノ越しにタクト(もちろんこの場合は手指だが)が演奏者には見えないのではないか、ということに気が付いた。曲の流れは全部おぼえているので、聴くというよりそういうビジブルなものに興味がわく。自製、自慢の真空管アンプでは当然とはいえ再現できない実物の圧倒的なボリュームや広がりもそうだが、(あ、次はオーボエだがどの人かな)とか、CDだけでは気が回らないのだが、バイオリンが丁寧にピッキングをしているのを観たり、などと、本格的なリスナーには呆れられてしまうような聴衆であった。

帰り、50年前に二人で良く通った “清水谷茶房” がまだあるかなと淡い希望をもって夫婦でオータニから赤プリへと散歩したが、当然のごとくすでになく、第一赤坂プリンスホテル、という個体が存在しなくなっているのを初めて知った。四谷駅までもどり、”アントニオ”というオヤエ推薦の店で食事。最中になんと妹尾(ちび)からスマホに着電。持ってはいるがほとんどオンにしていない小生にはこれまた椿事というべきか。

 

 

一足早く桜を (34 小泉幾多郎)

一足先に桜を観ようと昨春同様、横浜地下鉄の新羽駅下車5分の西方寺を訪ねました。早くも参道の中日桜が満開、何処から飛んでくるのか、桜の蜜を求めて、ヒヨドリが飛び回っていました。

小泉さん、あいかわらずアクティブで脱帽です。来月の月いち高尾月例ワンデルングは満開(のはず)の花見です。ぜひお目にかかりたいです。高尾の桜と横浜の花を観て、春,来る!ですね。今月は小下沢梅林の梅を満喫できましたし。

 

 

 

 

19年3月 月いち高尾 (39 堀川義夫)

小下沢梅園は満開

2019年の3月の月いち高尾はこの季節にありがちな2つ玉低気圧、俗にいう爆弾低気圧の襲来で、開催が危ぶまれましたが、ぎりぎりの判断で決行することにしました。幸いにして予想通りの天気となり、当日、キャンセルも出ましたが参加者17名予定通りの景信山とこの下沢のワンデェリングを楽しみました。特筆すべきは新たに相川さん、柏木さん、保屋野さんが初参加してくれました。また、梅も満開で今年も迎えてくれました。昨年は少し味気なかったので、今年は甘酒を用意してみました。結構、好評でした。てんぐ飯店は18名の参加でした。

日 時 2019年3月11日(月)

参加者 楽々コース 中司、鮫島、遠藤、平松、町井、堀川 6名

定番コース 後藤、翠川、河合、藍原、武鑓、相川、柏木、久米行子、保屋野、川名、岡沢 11名

常連が数人不参もニューフェースで大部隊

全員時間までに高尾北口に集合して小仏下までのバスに乗車。下車後、全員で歩き始める。約15分で小仏峠への道と景信山直登の分岐で楽々コースと定番コースに分かれる。

楽々コース 6名でゆっくり登り始めたが結構の急登で始まった。一歩き始めて40分、一息ついて順調に頂上を目指す。ほぼ、コースタイム通りの時間で12時5分ごろに景信山頂上。結構展望も予想以上に良く、雲があるものの遠望が楽しめました。直ぐに定番組も小仏経由で到着。集合写真撮影後、一箸先に12時35分に出発。昨夜来の雨で道が滑りやすく、慎重に木下沢の作業小屋へ下山。その後、

高曇りだったがいつもの遠望がひらける

定番コースと同じ。

定番コース 当日は午前中雨の予想もあり、実施が危ぶまれたが、堀川さんの予想によると10時には雨も上がり、次第に晴れるとのことで、決行することになった。予想はドンピシャリ当たり、家を出るころは雨が降っていたが、電車の中では雨上がりの綺麗な虹も見え、高尾駅に着いたら晴れ間も出た。

小仏までバスで行き、景信山を目指した。バス停から約900mほど先で「らくらくコース」と「定番コース」の2班に別れた。定番コースのメンバーは岡沢さんをリーダーに11名。雨上がりの澄んだ空気の中快適に登り、小仏峠で一本、次の一本で景信山の山頂(727m)に12時少し過ぎに着いた。36年卒組が先頭を歩いたが、相変わらずペースが早い。若干遅れ気味の人もいたが、ほぼ揃って無事到着出来、何よりでした。

先に着いていた楽々コース組と合流し一緒に昼食。茶店は2軒あったが、人が居ず、ビールが飲めなかったのはちょっと寂しい。頂上の展望は素晴らしい。空気が澄み、都心からスカイツリー・東京湾・館山の鋸山まで見渡せた。下りは小下沢コースを登山口まで一気に降り、さらに2km林道を歩いて梅林に到着。

初登場は甘酒

堀川さん持参の甘酒を温めて賞味、コーヒー紅茶を飲み、かぼさん・コブキさん持参のお菓子を頂きながら、満開の梅を鑑賞。最後に天狗で打ち上げ会。終始極上の気分で一日が終わりました (藍原記)。


初参加した相川です。 雨支度をしていたのが、暖かい春日和となり、久しぶりの山靴歩きを楽しみました。
腰痛を忘れました。 甘酒もいただき、お世話になりました。

「ボヘミアン・ラプソディー」の話がでましたが、始まったばかりの 「運び屋」 お薦め と言えそうです。
クリント・イーストウッドが、90歳(実年齢89歳)の気骨あるドラッグ運び屋に。 最後に流れる~老いを迎え入れるな~という歌も 印象的でした。

今回初めて「月いち高尾会」に参加させていただきありがとうございます。
久しぶりの景信山と素晴らしい梅林そして美味しい中華等十分楽しむことができました。甘酒とコーヒー・・堀川さんと藍原さんに感謝
4月以降もなるべく参加したいと思いますので、よろしくお願いいたします。  42年 保屋野

昨日は、素晴らしい天気予報、昼頃「霧のような雨」までぴたりと当たり、敬服しております。おかげで、すばらしいてんきのなか、会う人も少なく楽しい山行が出来ました。また甘酒、コーヒーと大変お世話のなりました。ありがとうございます。  鮫島
 

昨日は堀川さんの素晴らしい判断で「月いち高尾」が決行されましたが予想どうりに歩き始めから天候が良く楽しい山行をすることができました。素晴らしい梅林に甘酒コーヒー迄ご用意頂きましてありがとうございます。甘酒、大変おいしかったです。

帰途、ご一緒致しましたがさすがにお疲れのご様子どうぞ暫くごゆっくりなさってください。 三郎さん早速に写真お送り頂きましてありがとうございます。  久米行子

その写真―天狗のおやじさんにシャッターを切ってもらった

俺も見たよ

高橋良子からのメールがきっかけになって、昨晩,八恵子と調布に新設されたシネコンで話題の ボヘミアンラプソディー を観た(翠川夫妻の住んでいる西東京市とはやはり住民の文化への関心が格段に違うと見え、座席は完売であったし、ポプコーンをポリポリしてる人もあまり見かけなかった)。

率直に感想を言うと、ま、映画のストーリーはこの種の映画によくあるパターンだったので、多少意気込んでいたが肩透かしを食った気がしないでもない。しかしたとえば、あの ”グレンミラー物語“ だとか、最近でいえばカントリーの大物ジョニー・キャッシュの苦労話である ”アイ・ウオーク・ザ・ライン“ には、何はともあれ、背後には基本的に楽天的なアメリカ文化というかアメリカ観が横たわっていた、つまり最後にはハッピーエンディングが予感できるのに対して(ミラーは飛行機事故で不帰の客になるのだが、愛妻ジューン・アリソンの受け止め方なんかが実にアメリカ的)、このエンディングにはこの、いわば アメリカ的 な救いがない(最後にフレディが現実にAIDSで亡くなってしまったという事実が表示されるが、そのことは別にして)。

ぼくもエンディングに歌われる We are the Champions には感動した。人種を越えて人々が共感する、音楽の力というのか、そういうものを素直に受け止めることができた。しかし、スクリーンに投射される訳詞に、自分たちは笠雲の影におびえて生きている、というフレーズを観て、なるほど、と思った。正直言えば映画そのものの鑑賞というよりそのことのほうを強く感じた2時間であった。

世の中、東西を問わず、戦争という残虐行為に反抗するのは若人の常であろう。僕らの時代ではその象徴は “花はどこへ行ったの Where have all the flowers gone ” であったし、少し遅れてやってきたフォークソング時代では、“戦争を知らない子供たち”や、“坊や大きくならないで” なども思い出される。これらのメロディを好んだ僕らの世代にとって”戦争“というのは身をもって体験した人間世界の”悪“であり、何らかの実態というか存在を自分で感じたり、少なくともそれから類推できる範疇のものだったが、いっぽう、それはあくまで国家間の悪事であり、人間の英知なり理性なりで制限し、あるいは根絶ができるものと思われてきた。だが、日本人にとってみれば、国土の中で戦われた行為は、現地の人たちには申し訳ないが、沖縄でしか見聞きしていない。というかしないで済んだ。第一次大戦では勝利国のひとりでさえあった。

しかし自分の国土が敵国によって踏み荒らされ、軍政と傀儡政府による醜悪な事実に2度も直面したヨーロッパの人たちの戦争観というものはまた違うのではないか。そしてそれが今度は、陸続きの、文化文明や宗教の多くを共有する隣国が核兵器を持ち、おそらく絶えることのない人種問題や一神教同士のせめぎあいを目の前にしているヨーロッパ人にとっては、この ”笠雲“の恐怖、核戦争の可能性が日常化している度合いは、現在の日本とはまた違った切実さがあるのではないだろうか。若者が抱く不安、無力感、虚無観といったものは日本の若者よりさらに深いのではないだろうか。

現実の世界に若者が抱く不満不安幻想は世の常であり、それをどのように考え、発想発散し、ある時には具体的に行動する。その形の一つがその時代に共感を呼ぶことのできる文学作品であり、映画であり、音楽やそのほかの形式が存在する。僕は音楽について多くを語る資格はないが、考えてみれば、”ロックミュージック“ という定義そのものをビル・ヘイリーの Rock around the clock で知り、プレスリーに衝撃を受けた記憶は確かにある。しかしそれはあくまで 音楽というジャンルのなかで解釈できるものだった。

We are the champions は、その意味で、音楽、なのだろうか。核の恐怖、が日常生活の一部として存在するヨーロッパの若者が共感し(余談だがあのラストの群衆シーン、当然CGで作ったのだとは思うが、現実に感じられた。これが映画としての実力だろうが)、AIDSという共通の問題解決への貢献につなぐ。これはむしろ宗教に近いものなのかもしれない。この映画を見て味わったことであった。

ボヘミアンラプソディーって、みましたけど (36 翠川幹夫)

翠川幹夫・紀子です。

今日午後、家から車で15分程で行ける大泉学園駅近くのシネマコンプレックス「TジョイSEIBU大泉」で鑑賞して来ました。ご紹介、ありがとうございました。

観客も疎らで、ポップコーンを食べながらボンヤリと観ていたので良子さんの「心に残る」ような感想を述べることは出来ませんが、知らない世界の片りんを見た感じでした。

中仙川遊歩道

僕が住んでいる地域は行政区画上では調布市だが、ほんの数十メートル歩くと三鷹市になり、もう少し歩けば世田谷区になる、いわば入会地みたいなところである。面白いことに(最近知ったのだが)わが家のある 西つつじヶ丘 の、それも 2丁目 だけが、NTTの都合なのだろうが電話局番が03である。甲州街道まで100メートルもないが、それを越えれば042になる。こういう意味でも面白い辺境?かもしれない。

この地域には、世田谷のほうから順に仙川、入間川、野川という3本の川が流れている。野川はハイキングコースになるくらい立派な”川”だが、入間川(埼玉県境の大河とはちがう)はほぼ暗渠になっていて注意しないと存在がよくわからない。仙川は野川ほどではないがあちこちに散歩道があったり、暗渠部分があったりと都市の河川の様相そのものだが、その一部なのかあるいは(多分)入間川の上流なのかが甲州街道とほぼ平行して流れていて、三鷹市との間が”中仙川遊歩道”として保存されている。無機質なコンクリートなどではなく敷石状の舗装がしてあり、多くの樹木が保存され、夏には涼を求める散歩客もいる。甲州街道とぶつかるところにその入り口の標識があるが、僕が時々歩くルートはその途中の坂の下から始まる核心部である。

歩き始めて10分くらいは左側が樹木を植えこんだ崖状、右側にその借景?を意識したのだろうが好もしい小住宅がゆっくりと建っている、一番”遊歩”というイメージに近い。甲州街道に直交するバス道を横断すると、今度は家家の並び方が一変して、いわば ”三丁目の夕日” 的な、違う感覚だが懐かしい雰囲気のある一角が続き、それをぬけるとまだ ”生産緑地” という名目で枯れたキャベツなどがうら寂しく残っている畑地になって、中央高速をくぐる寸前で暗渠が終わり、遊歩道の終点になる。

ここへ引っ越した当時はよく歩いたものだがしばらくご無沙汰していたので、朝飯前に歩いてみた。今まで全く気が付かなかったのだが、立ち並ぶ小住宅のうちの一軒の表札が 小八重 さんとあるのを見つけた。わがワイフの愛称は おやえ であり、こやえさんなのかおやえさんなのか、伺ってみたい気もするのだが、ストーカーと間違われても困るので、遠くから表札の写真を撮った。そこからほんの数件で、今度は 玉虫 さんという表札、そのすぐさきに 春 さんというのがあった。NHKのプログラムに紹介したいようなものだ。

ま、春の便りのある朝、おやえさん に 春 が来れば、これまた結構、という結末であろうか(彼女が ”え” の字がちがう!というのは織り込み済みだが)。往復して帰り道にファミマへ寄って、ほぼ50分の散歩になった。気まぐれにたどってみた京王線地下化あとの漫歩と同様、多少は運動不足解消になっただろうか。

次回の高尾W月例は景信山、天候がうまくはまればいいのだが、どうもCL堀川君は天候運のいいほうでないので、心配である。”春” が来ていることを祈るとするか。

今、思い出したのだが、わがジャイアンツのレジェンド、王さんの夫人の旧姓が小八重さんだったのではなかったか?

“ボヘミアンラプソディー”考  (36 高橋良子)

今日本で話題になっているこの映画を観に、映画館に足を運ばれた方も
多いのではないかと思いますが、私もそのうちの一人です。

音楽といえばクラシック以外に興味がなく、ましてやロックバンドの「クイーン」などの存在すら知らなかった私が、何故「ボヘミアン・ラプソディ」に魅了されてしまったか。

この映画について、新聞等に書かれている記事や寄せられている声によると、「クイーン」のボーカリスト」であった主人公フレディ・マーキュリーが生前抱えていた移民、宗教、容姿、同性愛への差別偏見による苦悩や孤独感に、見ている人が自分も何かしら抱えるものを重ね合わせていると云うのです。1985年のライブエイドでの感動的なライブコンサートの場面でその感情は最高潮に達し、観客に圧倒的な高揚感とカタルシスを与えると。映画はこのライブのシーンで終わります。

あとで知ったのですが、クイーンのメンバー全員かなりのインテリであると。
出自が移民であるフレディをファミリーの一員として受け入れ、共に後世に残るロックバンド「クイーン」を創り上げたのも、フレディの力ばかりではないと思います。
「ボヘミアン・ラフソディ」は人を殺したという告白で始まる驚くべき歌詞であるに拘わらず、英国の国家的ソングになっているそうですが、何と不思議なことでしょう。この歌にはフレディの人生哲学が投影されているように私には思えるのです。

「人生は芝居だ、なにやら喚きたてているが終わりには何の意味もありはしない」

シェイクスピアの言葉ですが、彼はそのようにこの世を去っていきました。
でも、人を勇気づける歌も残していきました。

We are champion いろいろ失敗しても、また頑張れば誰でもチャンピオンになれる、と最終シーンで熱唱しました。私はこれに元気づけられ映画館をあとにしました。

馬場花木園の梅 (34 小泉幾多郎)

梅とメジロ

近くの大倉山梅林の観梅会は、2月16日17日 の2日間開催され、例年のように、幼稚園児の踊りや日本舞踊や和楽の演奏をはじめ、各種の屋台の出店が立ち並び賑わいました。

 

枝垂れ梅

 

今年は大倉山梅林以外の場所を探したところ、大倉山と鶴見の丁度真ん中あ
たりの場所に、馬場花木園(ばばかもくえん)という和風庭園を見つけました。こじんまりとしてはいますが、池あり、竹林ありで、古いあずまやもありましたが、拡張工事とかで其処だけは入れませんでした。梅も結構咲いていて、本数は大倉山の梅に敵いませんが、大きさでは負けていませんでした。

梅と竹林

梅と池

 

帆足進一郎絵日記拝見しました (34 小泉幾多郎)

(編集子の横河電機同期入社の仲間のひとりが美術に詳しく、自身でもブログを書いていることがわかり、見せてもらってその内容に驚嘆して、とりあえず絵に詳しいと思っている仲間に紹介した。そのうち小泉先輩からの一文を紹介する。なおブログ名は 帆足進一郎絵日記 である)

 ご紹介の帆足進一郎絵日記を拝見しました。先ずは、絵の多いこと、その中でも、山を描いた絵の多いことに驚きました。gisanとの交流から?と思いましたが、自分で50名山を選らばれるくらいですから、本当にお好きなのでしょう。事例として故郷の大分県の山は別として、指名された14の山のうち、明神岳を除き登っていることもあり、その山を見ながら、夫々感慨に耽ることが出来ました。60の手習いとはよく言ったもので、60歳から絵をデッサンから習われた由、小生も会社を辞めた時からでも、何か一つのことに打ち込むべきだったと後悔しても既に遅し。帆足さんが絵を描いているところをカメラでパチパチするぐらいが関の山。そう言えば、ワンダーの仲間にも、後藤三郎君をはじめ、29年卒の先輩宮田澄男さんも山では、スケッチ専門でした。同期の片岡陽一君は百名山を油絵で全てを描く計画をたて実行した筈です。

 絵画は勿論ですが、音楽への傾倒にも感心しました。先ずは鑑賞する道具が違う。真空管アンプでの音響装置は、普通の音とは違う次元の異なる音の世界に違いない。名盤を聴いても、鑑賞する力量が異なるから、指揮者カラヤン、アバドや管弦楽団のベルリンフィルやウイーンフィルとの団員まかせをけなせるという音楽評論家でも言えないセリフで切り捨てる能力には恐れ入りました。語学が堪能でなければ、歌曲の素晴らしさに目覚めることは出来ないし、故郷の背景に、R.シュトラウス「最後の四つの歌」が聴こえてくる心境にはなれない。

 先日、マーラーの先駆者とも言えるハンス・ロットの交響曲第1番が、2月9日にN饗と神奈川フィルとが定期演奏会で、同時に演奏されという珍しい出来事があり、小生は神奈川フィルを聴き、N饗の方は、いつかTV放映されるはずだが、聴き比べて、どちらかに軍配を挙げよと言われても,小生は判断出来ないだろう。

 後藤君が、フォンオッターへの言及で、アンネ・ゾフィー・ムターが出てきましたが、その夫であったアンドレ・プレヴィンが2月27日89歳で亡くなりました。結婚当時34歳も歳が離れているので驚いた記憶がありますが、4年で解消。その前にも女優ミア・ファローやジャズ歌手ベティ・ベネット等とも結婚歴がありました。プレヴィンは、ジャズピアニストから映画音楽に関係した後、ロンドン交響楽団の指揮者N饗の名誉客演指揮者にもなり、自身のピアノで、モーツアルトの協奏曲やラフマニノフの交響曲等々、批評家には、通俗的と言われたりもしましたが、そのスマートな心地よい演奏は大好きでした。晩年は椅子に座っての指揮にもなりましたが、若々しい演奏は不変でした。

同好の士ー奇遇からの接点

先日、まったくの偶然から編集子の会社時代の親友とKWVとの接点?が生まれたという楽しい話を書いた。その続きである。

(中司―後藤)

サブちゃん、先日、横河電機同期仲間の舟橋君との奇遇がありました。18人入った仲間はそれぞれに個性豊かな連中ばかり、いまでも味の濃いつきあいですが、中に帆足君というアーティストがいます。数年前、湯沢の高橋さんの展示があってご一緒したとき(示現会)、偶然彼の作品を見つけてそのことを話したと思いますが、舟橋兄にメールした時、僕のblogのことを触れておきましたら、今日、帆足君から連絡があり、かれの素晴らしいブログを拝見しました。質、量ともに圧巻、絵のこともともかく、彼のクラシックに関する造詣の深さにも感銘しました(ワンゲルでいえば小泉先輩にも脱帽ですけど)。一度、ご覧になることをお勧めします。URLというかブログ名は  帆足進一郎絵日記  です。

(後藤―帆足、中司)

早速、帆足様の絵日記を見せてもらいました。素晴らしい作品が沢山あり貴兄が趣味の広い良い友達を大勢持っておられることを改めて認識しました。フォン・オッタ―と言うメゾに関しては聴いたことがないのですが世の中にはあまり我が国で知られていない歌手は結構昔からおりましたので素晴らしい方なのでしょう。私もSPレコードからEP/LP、更にCDまでかなりのコレクションがあるので終活の一貫としてどう処理するべきか聊か困っています。小学校時代からお小遣いを貯めて集めたもので貴重なVictorの旧盤の赤盤だけでも100枚以上あります。花巻にある野村胡堂の記念館(彼が世界でも有数のレコード収集家であったので現在、彼が持っていた1万枚ほどのSPレコードを定期的に演奏する会があり私も会員ではありますが中々行く機会がありません)に相談して可能ならば納めさせて貰うことも考えています。私も68歳から本格的に声楽を習い始めて13年、今週末も春のコンサートで歌うので目下、必死の練習中ですがスキーと同様そろそろ打ち止めかなと思っています。お互いに色々な友人が人生を豊かにしてくれ本当に感謝あるのみですね。いずれまた、

(帆足―後藤、中司)

私のブログを色々見て頂いたようで有難うございます。 また、お友達にも過分に紹介頂き恐縮です。 ここのところ、月1回のペースになっていますが、冬と夏は季節に合った絵があまりなくて苦労しています。 何とか絵を描ける健康状態を保ちたいと念じています。

(中司―後藤、帆足)

喜んでいただけたようでうれしく思います。次回から示現会の展示会では高橋さんのほかにも楽しみが増えますね。

趣味のある、なしでは引退後の世界に大きな違いがあるようですね。小生高校1年の時に始めたアマチュア無線に引退後3年ほどしてカムバック(このような人が大勢いるのはやはり同年代の連中だからですね)、44年浅野三郎君(彼はこの道ではタイガー・ウッズと尾崎将司を混ぜたような大物であるのですから世の中面白い)の指導を受けて一昨年くらいまで遠距離通信(DXとギョーカイでは呼びます)をやっていましたが少し熱が冷め、今はオール真空管による自作無線局の開設を夢見て、スクラップアンドビルド(と言えば聞こえがいいが、要は何回やっても満足しないということです)を楽しんでます。何しろ目は見えない、指は震える、ですからビスとナットが合わないとか終わったはずのはんだ付けがしてなかったとか、ヒューズがを飛ばすこともしょっちゅうありますが、そう、いつかこの部品のがらくたを始末しなければと思うと恐ろしくなります。

ま、我々3人とも、いい趣味を持たせてくれた両親・家庭に感謝しなければなりませんね。ご両所、お元気にお過ごしありたし !
帆足兄あて追記
後藤君は特にオペラとかドイツリードなどが好きで、自分でも歌います。小生の理解範囲を超えていますが。
舟橋兄あて追記
今回の楽しい遭遇の機会を作ってくれたことに感謝します。次回会合を楽しみに待ちます。