(三嶋)正直に言って 9月13日~16日です。いや~本当は 書きたく無かったんです。宣言中で後ろめたさもありましたので。
(編集子)いろんないいぐさがあるよね。

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(三嶋)正直に言って 9月13日~16日です。いや~本当は 書きたく無かったんです。宣言中で後ろめたさもありましたので。
(編集子)いろんないいぐさがあるよね。
百田尚樹と聞けば、似通った考え方の石原慎太郎、ケント・ギルバート、渡部昇一、田原総一郎、江藤淳、花田紀凱(元月刊Will編集長)、安倍晋三などの名前が頭に浮かぶ。最近亡くなった石原慎太郎と何年か前に対談した百田は石原に「今日の対談のタイトルは “新旧暴言サムライ!” で決まりだ」と言われたと述懐。先輩である「暴言サムライ!を失って寂しい・・・」と百田は石原との思い出を振り返り、「新版・日本国紀」を読んでもらいたかった! それが心残りだ、と石原の死を惜しんだ。
菅原さん仰るように、江藤淳ととても似た、或いは非常に近い考え方の持ち主だと思う。江藤淳の著作は1970年代に「海舟余波」次に「海は蘇る」を最初に読んだ。「海は蘇る」は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に続いて読んだ、19世紀の開国から日露戦争の日本海海戦まで、帝国海軍の父と呼ばれる山本権兵衛の半生を中心に、近代国家としての日本の黎明期を壮大なスケールで描いた本。それ以来、彼の専門分野の文芸評論以外では、月刊雑誌「諸君」「SAPIO」「文芸春秋」などに載った彼の持論などにも親しむようになった。彼は「忘れたことと忘れさせられたこと」、「閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」、「一九四六年憲法―その拘束―その他」を著わし、GHQによる戦後日本のマスコミへの検閲、GHQの呪縛から脱皮できない戦後民主主義を鋭く批判している。日本人の在り方についても積極的に発言し、アメリカを代表する占領軍当局によって、日本は実質的に独立国家ではなくなっていると主張。また、アメリカ政府が極秘で日本弱体化計画(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム 「War Guilt Information Program」)を進めていたと主張し続けた。まさに、百田尚樹の主張と同じだ。未だ読んでないので何とも断定的なことは言えないが、ある意味、「新版 日本国起」は我々国民に「自虐史観からの解放」を結果としてもたらす効果がありそうな気がする。或いは、もたらしたい欲求に突き動かされて著したのかも知れない。マスコミ代表のひとつ「朝日新聞」の評価と存在意義などにももっと真剣な論議をしてもらいたいとも思う。
江藤は愛妻を癌で亡くしてからは気力を失い、最後は自らを「形骸」とし鎌倉の自宅で自殺した。月刊・文芸春秋に江藤が癌と闘う妻に寄り添う自らの看病生活と心情を縷々語る特集記事を投稿した。その記事を読んで深く感慨に浸っている頃、江藤の自死が報じられ仰天したことを鮮明に覚えている。
寡聞にして充分な知見を持ち合わせてない、日本の天皇制、明治維新とは、第二次世界大戦における日本のアジア植民地解放の真実、GHQの本性・役割・影響、真珠湾攻撃に至るアメリカの遠慮深謀戦略(ハルノート、アメリカ世論を参戦賛成に誘導する必要性)、極東裁判、WGIPの本質、日本憲法、日本の真の独立、日本の民主主義などについて、もっと詳しく正しく知り、あるべき姿とは何かについても思慮したいと思う。「新版 日本国紀」がその端緒を開く助けの一つになれば幸いだ。
日本国紀はまだ読んでいない。そこで、早速、図書館に予約を入れた。ところが、待ちが、上巻は35人、下巻が29人。図書館の最大貸出期限は2週間だが、面倒なのでひとり10日間と計算しても300日前後だから、借りられるのは10ヶ月後の年末年始か。
そこで、War Guilt Information Program(以下、WGITと省略)だが、この件に関し江藤淳がやったことが極めて過小評価されているのが、誠に残念でならない。江藤は1932年生まれで、塾の文学部英文科を出た文芸評論家だ。ただし、1989年暮れ、妻が癌で亡くなり、翌年、手首を剃刀で切って自死している。その著作は数多あるが、例えば、「小林秀雄」とか「漱石とその時代」などがある。1979年、米国で、占領下の検閲事情を調査し、米国の大学教授からWGIPの写しを入手。「忘れたことと忘れさせられたこと」(1979年)、「1946年憲法―その拘束」(1980年)、「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(1989年)などで、初めてその存在を明らかにし、日本国の憲法が米国によって押し付けられたことも含め。つまり、我々は、体よく洗脳されてしまったわけだ。ただし、江藤は文芸評論家であって歴史家ではない。従って、所謂、専門家からは等閑視されたのも無理からぬことではある。百田がその江藤に言及しているかは寡聞にして知らない。
(編集子)俺たちの年齢で10ケ月先に何が起こるか、
(菅原)そりゃー、そうだな。「カサブランカ」で、酒場の女に「今晩、どう」と誘われたボガートが「そんな先のことは分からない」って言ってるぐらいだから。喜んで拝借する。
西部開拓時代南北戦争の南部の生き残りの荒くれ男たちを纏め上げ
西部劇とはいうものの、英雄的ガンマンの活躍、痛快な西部の犯罪
冒頭から最後
ジェシーは「地獄への道」のタイロン・パワーに感じられた情熱も
殺しの場面、自
蛇足ながら、ジェシー・ジェームズ登場の映画で日本公開されたも
「ジェス・ジェームス1927」「地獄への道1939」
「復讐の
(編集子)小生が見たのは 地獄への道 ワイルドガンズ ロングライダース の三作、いずれも セーブゲキ の王道?を踏んだ作品だ。ドクター小泉のプロ裸足の眼からご評価は高いようだが、審美眼を持ち合わせていない小生には、ご指摘の列車が近づいて来る場面を見たとたん、どうもこれは 王道セーブゲキではないな、という直感があった。先般のカンパ―ビッチの作品もプロの評価は非常に高いようだが、いずれも映画作品としての評価であって、小生ごときが云々することはないのだが、セーブゲキ を見たい人間にはどうもすっきりと心に落ち込んでこなかった。
結論から言う。この本は一読に値する。必読、だとすら感じる。日本史のおさらい、という意味もあるが、何となくわかっていなかったことにそれなりの解答があった、という事と、全く知らなかった事実を確実な物証とともに提示されたことに新たな感動がある。
なんとなく思っていたことに確信を持たせてくれた記述はふたつあった。一つは先般、置き配とタブレット という事で書いた、日本のこの文化はどこから来たのだろうか、という事について、自分なりにそうではないか、と思っていたことを裏書きしてくれる記述である。日本という国のはじまりを邪馬台国の存在という事で納得してきたのだが、考古学の専門的知見に加えて、日本という国の地理的条件が育んできた文化のありよう、それの延長として万世一系の天皇という存在についての考察などは非常に明快であり、中国の先進文化を取り入れながら、その中核思想であった、易姓革命、という思想だけは取り入れなかったという史実、その後世への影響、という視点はわかりやすいし、平安から鎌倉、戦国時代にあって、なぜ天皇家が存続したのか、という説明である。また昨今問題になっている女系天皇論にもわかりやすい解説になっている。
もう一つは明治維新という屈曲点を経て、わずか数十年の間に世界列強に並ぶ国ができたのはいったいなぜだったのか、という疑問に対する示唆である。何となく想像していたことをいろいろな物証で説明してくれる、その過程は明確でありかつ説得力があると思う。
全く知らなかった事実は占領下の日本において、GHQの政治の基盤が結局、アジア人種に対する差別意識だったのだ、という指摘である。同じ立場にあったはずのドイツの処理と日本での措置がなぜ違ったのか、という素朴な疑問に対して著者の説明は明瞭であるが、その過程において、WGIP というものの存在をこの本で初めて知り、愕然としながら、なるほど、そうだったのか、と納得することがあった。WGIPとは、War Guilt Information Program の略で、日本国民に戦争責任を考えさせる、戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画、という、誠に身勝手な、恐ろしい政策だった。この計画の存在は想像ではなく、公式な文書があることがすでに確認されているのである。その中身がどうであったかは本書を読んでもらうとして、納得がいったのは、この計画の実施に参画した日本人が多くいて、事情も背景も知らない、アメリカの若造(だったと思う)学者の暴論を崇め奉ってGHQにすり寄り、そういう連中が政府機関よりも大学をはじめとする教育界に影響を及ぼして来た、という指摘である。そして小生がまさに国を危うくすると思っているいわゆる知識層、というものが形成されたのもここに原因があると知った。このあたりは本書にいろいろな物証とともに記述されているのでこれ以上はふれない。
それに伴って、日本がアジア諸国を侵略した、と今では事実化されてしまっていることにつぃてである。日本が地理上アジア諸国において戦争をしたのは間違いないが、その時戦った相手はアジア諸国ではなく(第一当時の諸国はすべて植民地であり、その国の軍隊というものそのものが存在していない)、その国を支配していた欧米の軍隊であった、という事実を言われてみて初めてそうだと理解した。それらの軍隊と戦い、その結果としてアジア諸国は植民地という立場から抜け出すことができた。これもまぎれもない事実である。こういう論説は今まで、特に左翼系のメディアや学者たちによって、日本の侵略だったのだ、という、まさにこのWGIPの罠にはまった論説によって片付けられてきた。このあたりの史実をこの本は鋭く突いている。そして何よりもそういう教育を受けてきた人たちが今の日本の政治にむきあっているのが現実なのである。ドイツでは、たしかにナチの追求は厳しく行われてきたが、強制であろうとなかろうと、その体制を受け入れた当時のドイツ国民を覚醒するためにこのようなプログラムがあったとは聞かない。白人にはそういう必要はないということだったのか。
歴史にはいろいろな解釈が成り立つ。専門家でないわれわれにはひとつひとつの史実の真偽を明らかにする能力はない。しかしこの本が書いているように、今の我々が直面している問題、憲法改革の是非から安全保障の問題、そういうことの根本にあるのがGHQなる正義の味方であったはずの機関が行政の結果であり、同理屈をつけようがその根底には、当時ぬきがたくあった人種・民族差別であった、という解釈には納得する。そしてまた、良くも悪くも、日本の文化というものがその背景にあった、という著者の主張に改めて賛同する。
今まで、やれミステリを読めとかハードボイルドがいいとか、勝手な熱を吹いてきたが、それはさておき(間違っていると思うのではない)、このコロナ蟄居の有効利用として、まず、この本を読んでほしい。
「植村直己・夢の軌跡」(2014年。文芸春秋)を読んだ。植村が消息を絶ったのは1984年だから、それからほぼ40年が経っている。今更、植村なのかと言う疑問をお持ちの方は数多おろう。しかし、小生は、彼が誰もやったことのない単独の犬橇行をやったこと、そして、アラスカで行方不明になったことぐらいしか知らない完全な植村音痴だ。だからと言って、ここでWikipediaに載っているようなことに屋上を重ねるつもりは毛頭ない。
著者は湯川豊。何社かが植村を支援していたが、その一社である文芸春秋の窓口が湯川だった。従って、この本は植村讃歌となるが、抑制の効いた文章となっており、過度に褒めているわけではない。
ここで思い出したのが、南極大陸を探検した白瀬中尉(明治時代の話し)、それに、本田勝一(彼が、朝日の夕刊一面に連載した「カナダ・エスキモー」は毎日夢中になって読んだものだ)。

つまるところ、植村は冒険家だった言うとことのようだが、小生は稀代の快男児だったと思っている。明治大学は、杉下とか星野とかの学校だとばかり思っていたが、阿久悠あり、植村直己ありなど多士済々だ。
植村については、一家言ある方がわんさかおられるのではないか。討論を期待したい。
”トム・ホーン” をスティーブ・マックイーン主演という事でしたので、観ましたが マックイーンが歳をとってしまったというのが、
私も見たくなかったです。 遺作「ハンター」1980年 も実在した元賞金稼ぎのラルフ・ローソンの半生 だそうですから、斎藤さんのご意見についての感想です。新型コロナウィルス蔓延旋風は確かに置き配に繋がったと思いますが、必ずしも「南米大河」などの配送業者の都合だけではなく、 選挙でもいちいち鉛筆を代えるなど、神経質までの感染防止から来ている物、つまりなるべく人と人が直接触らないという事から来ていると思います。 配送業者は門前まで来ることには代わらないので合理化には成りま せんね。「麦茶」を出すのは確かに素晴らしいのですが、 彼らも寸秒を争い搬送しているようで、私の住んでいるマンションではそんな余裕は無い様です! 偶にはお菓子をあげますが(後でヒマの時に食べられるもの)。 犬猫の糞や尿の件についてのご観察には異論があります。この件は日本は断然優れていると思っているのですがどうでしょうか。錦糸公園でも滅多に「ウン」は落ちて居らず、みな袋を下げて拾って帰ります。又、 水も掛けて居る方だ多いですね。外国では「フン」 を践むのは当たり前的なところもありますし、狂犬病の予防接種などはいかがでしょう。野犬はまず居ませんし、野猫は見当たりますが矢張り少ないですよね。犬の吠え声の苦情はあるでしょうがこれは狭い日本ですからしかたがないこともあるし、欧米は大きな犬が主流で余り吠え無いですが日本は住居が狭くて小 型犬が多くキャンキャン五月蠅いことは確かですね。 もう一つの話題ですがタブレットによる注文とか非接触型の決済が多くなると想います。コンビニでも今やお金は自分がレジに入れおつりも自分が取る方式 になったり、病院でカード払いの場合、 カードを自分が差し込み読み取り自分が抜く方式が多くなりました。ユニクロは値段表にICタグが付けられ、 買い物籠ごとレジに置くと自動計算してクレカを入れれば決済完了 。一切人は触らない。 マイナカードの保健証の連携で益々病院では非接触型に成ると思います。その関係でしょうが先生も昔の様に直ぐ聴診器を当てる先生は少なくなり、 顔色もろくに見ず、ディスプレーで診断するのは抵抗があります。先日久し振りに聴診器で観てくれる先生に会いました。 これは医者は仁術ですから、顔色とか話し方なども含めて診断して欲しいです。 その内に「タブレット診断」になるなんてのはご免です。