タレントとアーティスト

読売新聞のコラムに ”タレント” という用語についての疑問がとりあげられていた。外国語とくに英語をいわば日本語化して、本来の意味とは違う使い方が蔓延してしまう例は数多くある。英語の基礎知識を持ち合わせている人は日本語での使い方が原語本来のものと思い込んでしまい、英語会話が必要となった場合に自信満々でつかってみたが全く通じない、という喜劇はよく耳にする。

会社時代、仕事のために来日した日本好きのアメリカ人の一人が、cold という単語の日本語を サムイ と覚えていて、冬のある日、喫茶店に入って、サムイミルク クダサイ と注文した。彼はつめたいミルクを注文したつもりなのに、あたためた牛乳がでてきたのだそうだ。いろいろ聞いてみると、表は寒い、だからミルクを飲みたい可哀そうなガイジンがいる、と思って親切にもミルクをあたためて持ってきたものと思われる。この種の間違いが笑い話で済んでいれば問題ないが、深刻な問題になることもあり得るのではないか。

読売のコラムが指摘したように、talent は本来、才能、資質といったことを表す単語であって、辞書のどこを探しても芸能人を指し示す使い方はない。おそらく、だれかが、有望な新人を売り込むために 彼女にはたぐいまれなる資質がある、といった程度のことをタレントにめぐまれた、というような使い方をし、その後、歌にせよ演技にせよ、世の中に認められるには才能=タレントが必要なのは当然なのだから、その持ち主を指すようになり、現在では本来才能・資質と言われるものとはかけ離れて、芸能人全般を指すようになったのだろう。

此処まではまあ、笑い話で済ませられる程度の誤用というか転化だと納得できるのだが、小生どうしても抵抗するのが昨今のテレビ番組でめったやたらに使われる アーチスト という単語である。この用語は今やほとんど上記の タレント の同義語というような意味になってきている。talent と art は正統的な日本語で言えば、才能 と 芸術 という、共通点がない概念になるはずだ。英語の辞書でも art の訳語に日本語でいう芸能に近い言葉はみつからないし、talent には芸術を意味する訳語は当然、無い。 現在すこしばかりかじっているドイツ語であってもこの二つの概念は die Kunst と片方は die Fahigkeit  或いは,die Begabung という女性名詞、あるいは das Talent という中性名詞 であらわされるし、その行為者は artist か Kunstler であって、そのどこにもここでいう日本製英語の アーチスト にあたる使い方はない。それに該当する原語は entertainer であり Unterhalter であろう。ただしいて言えば、ドイツ語で芸能人、と辞書をひくと後ろの方に Kunstler der Unterhaltungsbranche , 訳してみれば 芸能分野における達人、という解釈がある。日本で言えば文化勲章を受章するに値する俳優、というようなニュアンスであろうか。

もしアーティスト、という単語が今後、今通りの意味で日本語として定着してしまうと、サムイミルク的な喜劇ではすまないことになりはしないか。タレント、までは、まあいい、としよう。もう後戻りができないほど日本語になってしまったのだから。しかし今使われている アーティスト=芸能人 という使い方はどうにも我慢できない。言ってみればハイフェッツと北島三郎が同じくくりで語られるのが日本の文化程度なのだ、と言っていると同じだからだ。せめて天下のNHKくらいは 芸術家と芸能人を区別してもいいのではないか。 どうしても英語がつかいたいなら、エンタテイナー という立派な用語があるではないか。得意がって話す本人の教養が疑われることのないようなことのほうが、現在進行加速中の英語授業強化(多少英語を使う場を経験してきた身で言えば、天下の愚挙だとしか思えないのだが)などよりよほど大切なのではないか、とおもうのだが。

(菅原) 100%、同意。もっともらしい英語を使うより、きちんとした日本語があるんだから、英語ではなく、日本語を使って欲しい。
小生が最も気に入らないのは、例えば「チケットをゲットしよう!」。これを聞くと虫唾が走る。 それにしても、タレントとアーティストがごまんといる日本は、何と幸せなことだろう。

(船津)タレントは海外からの接客業のお嬢様を言う事が多いみたい。何の芸も無いですが一応「タレント」とと言う名目で来るようですね。

 

 

 

 

 

 

 

エーガ愛好会 (186) 悪魔のような女  (44 安田耕太郎)

監督は巨匠アンリ=ジョルジュ・クルーゾー。同監督の世紀の名作1953年制作のイヴ・モンタン主演「恐怖の報酬」の2年後1955年制作のフランス映画サイコスリラーの傑作。クルーゾーはサスペンスやフィルム・ノアールの監督として有名。日本公開当時のポスター(写真貼付)には「映画史上とんでもない大作!!」なる刺激的な見出しが踊っている。

クルーゾーは、映画史上初めて世界三大映画祭(ヴェネティア・カンヌ・ベルリン)の全てで最高賞を受賞した監督でもある。また、ヌーヴェル・ヴァーグの生みの親とも言われている。「悪魔のような女」でシモーヌ・シニョレ(当時34歳)と共演したもう一人の主役を演じたヴェラ・クルーゾー(当時42歳)は監督の妻(1950~60年)で、「恐怖の報酬」に続いて夫の監督作品出演。

この映画公開から現在まで77年経ち、この類のスリラー映画は珍しくなくなったが、公開当時の衝撃の大きさはいかばかりかと想像に難くない。チャールズ・ロートン監督の1955年作品「狩人の夜」、ビリー・ワイルダー監督の1957年作品「情婦」、ルイ・マル監督の1958年作品「死刑台のエレベーター」、ヒッチコック監督の1960年作品「サイコ」などと並ぶサスペンス、サイコスリラーの傑作だと思う。モノクロ映像の光と陰そして音、更には鏡、酒、木箱などの小道具を巧みに使う監督の卓越した手腕が、映画ストーリーの不気味さと恐怖を駆り立てている。全編を通して謎と気持ち悪さが続き(不気味な音楽とモノクロ画面がより増幅させて)、最後までドキドキさせられる。

哀れな死に方をした不幸な妻を見事に演じたヴェラ・クルーゾーはこの映画の5年後、映画の結末のように亡くなる。享年46。1960年の映画「真実」のメガフォンを執った夫アンリ=ジョルジュ・クルーゾーは主演女優のブリジット・バルドーとの親しい仲が取りざたされ、それを苦にしたヴェラは神経衰弱に陥りパリのホテルの浴室で心臓麻痺を起こし急死。服毒自殺との説もある。

映画で元警視の探偵役を演じ事件の解決に一役買ったシャルル・ヴァネルは「恐怖の報酬」でイヴ・モンタンと共演し、カンヌ映画祭男優賞を獲得している名脇役だ。サイコスリラーの古典とも言うべき見応えのある面白い映画だった。

 

 

KWV 三田会 新年会開催

コロナのとばっちりで見送られてきたKWV三田会新年会が3年ぶり、今年は先回までとは場所を変更し、大崎ニューオータニインで開催された。今回参加者のうちの最高齢、32年卒中村弘先輩(ダンブさん)の音頭での乾杯、年男年女各位による鏡割り、と恒例の行事など、時代は変わっても変わらないよきKWVの伝統を味わい、また感謝する半日であった。卒年別参加者は 30年代35人、40年代34人、50年代19人、60年代以降3人で、最も若かったのは平成30年組の川上友輔、高田蒔子両君。現役を代表して山荘担当の土井君が参加して現役の状況などを披露してくれた。現在の現役部員は1年生26(うち女子5)、2年生18(5)、3年生16(5)、4年生14(3)合計74人とのこと、我々(36年卒)のほぼ3割くらいだが、毎週ほぼ2本見当のプランが消化されているという。何をするにもちょうどいいサイズなのではないかと思われる。今後の健闘を期待する。

新年会の開催方法などについては時代の流れもあり、いろいろと議論もあるだろうが今回の参加者の年齢分布をみると、昭和60年以降ほぼ30年のレンジで出席者がおられないのはなんとも寂しい限りである。社会人生活を経て初めて分かることだが、日本の社会では企業で働く人にはその範囲での交流はあっても、それ以外のいわば地元社会での付き合いはほぼないと言っていい。編集子はアメリカでの経験しかないが、かの地でできた友人の多くは会社以外にも教会とか、地元の活動とか慈善活動とかいろいろな面で広い付き合いがあり、会社を離れれば別人のように生き生きとしていて、会社での行動などからは想像もできないくらい、友人たちの尊敬を集める存在だったりした例をたくさん知っている。

わが国にはなかなかこういう地元社会での交流が育つ機会がない。特に東京ではいわゆる下町の風情や人情が希薄になり、隣は何をする人ぞ、が当然になる。企業や学校でのOB会というものがなんとか懐かしい時代を思い出させることはあっても、それは一時的なものにすぎない。また体育会系の場合は常に勝った負けたの世界だから、学生時代の戦績によって付き合い方が決まってしまい、上下の付き合いが発展しにくい、という問題があるようだ。

KWVはその点、それまで単なる名前だけにすぎなかったOB会が 34年卒妹尾先輩と彼を補佐した学年横断的なスタッフのご尽力で、学生時代の交流を一期一会とするのではなく、新しい活動母体として現在のKWV三田会ができた。編集子の例をとると、毎日受信しているほぼ30通くらいのメールの半分以上はこのOB会メンバーからのものであり、それもこの三田会ができて初めて知遇を得た、という人が大半である。パーティの席上,どのテーブルに行っても誰か、知り合いがいた。すべてこのOB会活動で知り合った、それがなければ知ることもできなかった後輩諸君である。山歩きにせよスキーにせよ飲み会にせよ現役時代には全く知らかった先輩後輩との付き合いがしょっちゅうあり、そのおかげである。これはもう、OB会、という回顧の団体ではなく、新しい行動領域であって、特に昨今残念ながら日々,痛感する老い、の現実とそれが惹起しかねない無気力な老境への誘惑を断ち切ってくれる、なにか、なのだ。

上記したようにこの活動というか存在に関わることの少ない平成時代の若手OB各位にはぜひともご一考いただきたいことである。。。。というのが本稿の年頭所感、であろうか。

 

 

 

 

 

 

 

エーガ愛好会 (185) セーブゲキ派から

飯田兄保有のDVDリストというものが出て(考えたら彼にはDVDを買っていない秀作がほかにもあるでしょうが)、エーガ愛好会仲間内が騒然としています。

余り欧州もの、文芸ものを観ずに馬齢を重ねたことを今さらながら反省しますが、われら絶滅危惧種、セーブゲキスクールも何か言わなきゃいけませんな。僕の選んだセーブゲキベスト10は下記の通りですがどんなもんでしょうか?

1.荒野の決闘                             2.大いなる西部                            3.黄色いリボン                             4.捜索者                                    5.シェーン                              6.ウインチェスター銃73                          7.シルバラード                                8.真昼の決闘                             9.駅馬車                                  10.大平原

(保屋野)私はあまり西部劇に詳しくありませんが、ジャイさんの挙げられた中では、「大いなる西部」「ウインチェスター銃73」「真昼の決闘」が良かった。後は「ダンス・ウイズ・ウルプス」「シマロン」「西部開拓史」「ヴェラクルス」が面白かった。また、「縛り首の木」は主題歌が秀逸。

「荒野の決闘」は私には、バート・ランカスターの「Ok牧場の決闘」の方が西部劇らしかった。「駅馬車」や「シェーン」は傑作だと思いますが、「黄色いリボン」「捜索者」はイマイチ。「シルバラード」はあまり覚えていません。なお、「大平原」はまだ観てません。

(飯田)大兄のセイブゲキ・スクールの一員として、私の選ぶベスト10も略、似たり寄ったりですが、シルバラードはTVで近年見た記憶がありますが、あまり覚えていない。平原児は劇場公開で観ていますがその後は再見していないのでベスト10に入るかどうか分かりません。他は異議なし!!

どこまでを西部劇に入れるか分りませんが、近年BSシネマ等で放映されたものを含めて、私なりに追加してみました。

「シンシナティ・キッド」「華麗なる賭け」「ネバダ・スミス」の3本はs.マックイーン主演。「縛り首の木」(G.クーパー)と J.ウエイン主演で「エルダー兄弟」「オレゴン魂」「戦う幌馬車」「ラスト・シューティスト」、「勇気ある追跡」「静かなる男」。

「許されざる者」(B.ランカスター、A.ヘップバーン)、「墓石と決闘」(R.ライアン、J.ガーナー)、「バッファロー大隊」「モホークの太鼓」「裸の拍車」(J.スチュアート)、「胸に輝く星」(H.フォンダ)「「襲われた幌馬車」(R.ウイッドマーク)。「ワーロック」「ガンヒルの決闘」「リバティバランスを射った男」「ワイアット・アープ」「ボンドー」「征服されざる人々」「OK牧場の決闘」「ジャイアンツ」。

追加ですが、”三人の名付け親” と ”シャイアン” などもありましたね。

(編集子)飯田兄、フォードの名作、三人の名付け親 を忘れてました! 自称ファンとしてお恥ずかしいかぎり。

フォードものの中でも一番感動を呼んだ作品でした。砂漠に逃げる3人のうち、ペドロ・アーメンダリスは運命を悟って自殺し、ハリー・ケリー・ジュニアも命尽きる。2人の幻影に励まされながらなんとか人里へたどり着いたウエインの前にまよったロバがあらわれる。砂漠の中でどこへ行こうかとまよった時、偶然手から落ちた聖書をひらくとそこに地名がでてくる。聖書に詳しい人ならば思い当たることなのでしょうが、信仰が荒野のなかで人を導く、というテーマが伏線でした。ワード・ボンドも心優しい保安官で出てくるし、捨てられた幌馬車にとりのこされた母親がミルドレッド・ナトウィック、つまりフォード一家総揃いでした。この作品の主演3人のうち、ペドロ・アーメンダリスはその後、自分が癌と分かって自殺したそうですが、”ジョン・ウエインはなぜ死んだか” という本によると、彼をはじめとして多くの名優の死因のなかでは、西部の砂漠での西部劇に出演した経験者が非常に多いそうで、著者はこれがアメリカ軍による核実験の場所(ネバダ)に近かったからではないか、と推測しています。セーブゲキ、はストーリーのなかでも、またエーガの撮影という後世の出来事にも、多くの犠牲を生んだ、という事になりますかね。複雑な感情ですが。

(小泉)セーブ劇の感想を時折書いている者として、セーブ劇ベスト10を無視する訳にはいかないと思いましたが、選ぶとなると難しい。Gisanはじめ皆さんのものと大同小異殆んど変わりありません。そのエーガそのものの好き嫌いか、監督か、主演者の好みか…等々選び方にもいろいろあると思いますが、小生としては、主演者の偏りがないような見地から、好きなエーガを選んでみましたら、ありふれたものに落ち着いたようです。

1. 駅馬車(ジョン・ウエイン)
2. 真昼の決闘(ゲーリー・クーパー)
3. 荒野の決闘(ヘンリー・フォンダ)
4. 大いなる西部(グレゴリー・ペック)
5. シェーン(アラン・ラッド)
6. ウインチェスター銃‘73(ジェームズ・スチュアート)
7. 昼下りの決闘(ランドルフ・スコット、ジョエル・マックリー)
8. 決断の3時10分(グレン・フォード)
9. 許されざる者(クリント・イーストウッド)
10.OK牧場の決闘(バート・ランカスター、カーク・ダグラス

蛇足:監督から見るとジョン・フォードは1と3。2はフレッド・ジンネマン監督がヒューマニズムの立場から英雄的な行動を問いかけ、クーパーが英雄でない普通のヒーローを熱演。4の「大いなる西部」のグレゴリー・ペックは「無頼の群」で復讐に凝り固まった牧場主を熱演したり、「白昼の決闘」「廃墟の群盗」「拳銃王」等で異色の人物を演じた。5のアラン・ラッドは「ネブラスカ魂」「烙印」「赤い山」等の西部劇にも出演したが、「シェーン」以上のものはなかった。6のスチュアートはアンソニー・マン監督のもと、これ以外に「怒りの河」「裸の拍車」「遠い国」「ララミーから来た男」の計5本、デルマー・デイビス監督との「折れた矢」でインディアンと白人の関係を逆転させた。7の「昼下がりの決闘」はサム・ペキンパー監督が、盟友二人の最後の哀愁を描写。7の「決断の3時10分」は「折れた矢」のデルマー・デイビス監督が、フォードに悪役を、「シェーン」の父親役ヴァン・へフリンと対決させ心理戦を見所とした。9の「許されざる者」はマカロニウエスタンから監督業に登り詰めたクリント・イーストウッドが、師と仰ぐ、セルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げ、最後の西部劇と公言した監督主演作。10の「OK牧場の決闘」はジョン・スタージェス監督の決闘三部作(他に「ゴーストタウンの決闘」「ガンヒルの決闘」)で西部劇のあらゆる魅力が詰め込まれた傑作。

 

乱読報告ファイル (37) 高峰秀子 ベストエッセイ  (普通部OB 菅原勲)

図書館の年末年始の連休明けに、早速、新刊と言うより新着の棚を覗いてみた。余り食指が動く本はなかったが、その中に一つだけ「おや」と言う本を見つけた。その文庫本は「高峰秀子 ベスト・エッセイ」(2022年、筑摩書房)とある。まー、エマヌエル・トッドよりは難しくなかろうってんで借りて来た。

ところで、高峰に関しては、小生、映画は「二十四の瞳」しか見ていないし、これまでさして興味ある女優ではなかった。従って、その随筆も読んだことはない。この「ベスト・・・」は、松山善三・高峰秀子夫妻の養女だった斎藤明美(元:週刊文春の記者)が、高峰が書いた数多ある随筆の中から編纂したもので、高峰の取っ掛かりとしては、それこそベストそのものだった。と言うのは、「食わず嫌いは損のもと」と言う言葉があるが、小生が正にそれを地で行くボンクラだったからに他ならない。しかし、面白くて面白くて、あっと言う間に読み終わり、こりゃーただものじゃーねーな、ってのが第一印象。月並みな表現だが、目から鱗。

話しは、彼女の父親の妹(高峰の叔母)が子をなさず、その間、貰うあげないなど色々ひと悶着があったようだが、最終的にその養女となる。この養母が最後まで、金銭面を含め、高峰の私生活の足を引っ張りまくることになるのだが、実は、活弁士をやっていたことがあり、その芸名が「高峰秀子」だったことから、平山秀子(本名)が高峰秀子になったと言うことのようだ。
兎に角、売れっ子で売れっ子で、5歳から撮影所に入り浸り、学校には殆ど行っていない、いや、行けなかった。後に「文化学院」に入学したが、禄に学校に行っていないことから、学長から、「俳優か、さもなくば、学校か」と選択を迫られ、即、俳優と答えたから、学歴は全くないに等しい。従って、読み書き算盤ではないけれど、例えば、字を読むことについても大変な努力をしたようだ。
出自が真面でないこと、学歴がないことなど、それが引け目で、ひねくれ、劣等感の塊になっても可笑しくなかったが、そうならずに済んだのは、超一流の人たちとの交流があったからではないかと勘繰っている。例えば、司馬遼太郎、志賀直哉、安野光雅、梅原龍三郎、黒沢明、越路吹雪、有吉佐和子、小津安二郎、池島新平、扇谷正造、などなど。また彼らとの交遊録がこのエッセイの白眉でもある。その一例を挙げるなら、松山善三・高峰秀子夫妻とはならず、クロさんこと黒沢明・高峰秀子夫妻となっていた可能性も充分にあったらしい。

「ベスト・・・」読了後、直ちに、高峰の処女作である「巴里ひとりある記」を読んだ。これは、1953年の出版だから、彼女が29歳の時。確かに、ミーハーのきらいがあるのは否めないが、それははじめの部分だけ。その内、直ぐに、高峰らしい視点で冷静に巴里を眺め、大いに楽しみ、そして、平山秀子を満喫している。だいぶ前に、林芙美子の「下駄で歩いた巴里」(1930年代)を読んだが、何か貧乏くさくて余り面白くなかった。しかし、巴里と言う街は、それほど人を惹きつけるものなのか。それは女だけには限らない、男でも、確か詩人の荻原朔太郎が「フランスへ行きたしと思へどもフランスはあまりに遠し・・・」。これもなんだか寂しいねー(これ、高峰の口調)。一言で言えば、知ったかぶりはしない、カッコー良くも見せない。つまり飾りっけの無さがその最大の美徳だろう。
今現在、高峰に入れ込んで、「わたしの渡世日記」から抜け出せず、この世のものとは思えないヒエロニムス・ボスは、暫しお預けだ。

 

ウクライナ戦争の行方    (普通部OB 田村耕一郎)

友人のジャーナリストから送ってもらった展望記事の一部をご紹介します。

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ロシアのウクライナ侵攻が始まってから2月で1年を迎えますが、停戦や戦闘の鎮静化 の兆しは見えません。電撃的勝利を達成できなかったロシアの目標はもはや曖昧に> なっており、プーチン大統領のこだわり一つにかかっている状態ですが、一方的に 「併合」した4州(とクリミア)を維持する意図だけは明確にされています。
ロシアがウクライナを「戦争」で打ち負かすことは、ほぼ不可能になったと言っても 過言ではありません。兵士と兵器は著しく消耗し、大規模な作戦を行うことは非常に 難しくなっています。新たに動員された兵士を前線に配備し、春に攻勢をかけること は不可能ではありませんが、兵士の練度も装備のレベルも低く、米欧からの軍事支援 を得てさらに強力になったウクライナ軍を後退させることはできないでしょう。

しかしロシアが引き下がることは想定できません。ロシアはウクライナの都市とイン フラへのミサイルとドローンによる攻撃を続け、ウクライナを疲弊させることができ ます。併合した4州の防備を固め、ウクライナ軍の奪還を食い止めることも十分に想 定されます。プーチンとしては、とにかく現状の戦闘状態を続ければ、いずれ米欧の 支援も止まり、ウクライナも音を上げざるを得なくなると踏んでいるのでしょう。

しかしウクライナが譲歩することも想定できません。ウクライナはロシア軍の完全撤 退(最低でも侵攻前のラインまでの撤退)を最低条件と考えており、その決意は国内 で一致しています。また現在の戦況は自分たちに有利であり、米欧の軍事・経済支援 はこれからさらに強化されると期待しているので、長期戦にも耐えられる(さらに有 利にもできる)と考えています。ロシアが何らかの譲歩を見せない限り戦いを続ける ということです。 実際、米欧の支援が今後減退することは、少なくとも今年いっぱいはないでしょう。

米国は十分な予 算と制度的な裏付けを確保しています。またロシアの軍事エスカレーション(核使用 など)のリスクが制御可能な範囲にあるとみて、兵器支援のレベルをさらに上げよう としています。この方向性は下院が共和党の支配下に入ったところで変わりません。 欧州は、たしかに各国には停戦に向けたスタンスに微妙な違いがありますが、独仏を 中心とするほとんどの主要国はロシアを根本的な脅威ととらえています。またロシア へのエネルギー・経済依存が結果的に否応なく解消されたことで(ロシア以外のパイ プラインとLNGによるガス供給の確保、国内のガス需要の抑制、石炭を含む他のエネ ルギーへの切り替えといった努力は実を結び、さらに記録的な暖冬にも恵まれ、少な くとも今年いっぱいは十分な供給を確保できる見通しになりました。想定以上に恵ま れた状況です)、ロシアの影響を受けなくなっています。

軍事支援も、独仏が軽戦車やパトリオットの提供に踏み切ったように、米国と歩調を 合わせるようにグレードアップしています。ただ新型・攻撃的兵器については、やは りNATO(米国)の主導が続き、副次的・補完的な役割にとどまるでしょう。経済支援 は、EUが主導して長期的・継続的なコミットメントを示しています(ただし「マー シャルプラン」の実現は加盟国の合意を得るのが困難)。ロシア制裁も、戦闘の継続 とともにさらなる強化が見込まれます(ターゲット制裁が中心ですが)。
欧州にとって、経済への悪影響は今後も重大な課題であり、特に今年、イタリア(メ ローニ新政権)、ハンガリー(オルバン長期政権)、スペイン(12月に総選挙)では EUとの関係の複雑化が予想されます。一方、政治的には、米国との大西洋同盟が強化 され、政治的アクターとしての欧州の存在感は高まり、EUの存在意義も評価されて、 ウクライナ侵攻はむしろプラスの影響を与えたとも言えます。

ウクライナ軍は、主戦場であるドンバスとヘルソン(それにザポリー ジャをあわせた「陸橋」エリア)において、春に攻勢をかけると予想されます。米欧
からの新たな兵器の供与もあり、兵士の士気・練度と装備の面でウクライナは優位に 立つでしょう。しかし、ハルキウとヘルソンのような大戦果は期待しがたく、小規模 な前進にとどまる可能性が高いと考えられます。ロシア軍が大幅な後退を免れること で、結果的に、ロシアの軍事エスカレーションのリスクは低いままになります。
ウクライナは、国内の主戦場のみならず、クリミアや近接するロシア領内へのドロー ンによる攻撃も行うでしょう。これがロシアに甚大な被害を与えれば、ロシアの軍事 エスカレーションのリスクを増大させる恐れがあります。しかし、米欧との関係の維 持のためにウクライナは過剰な攻撃に踏み切ることはできず、一定の抑制は保たれる と予想されます。
こうした状況が続く限り、和平や休戦に向けた交渉は期待しがたく、トルコをはじめ とする仲介国の出番も限られるでしょう。戦闘が一時的・部分的に落ち着けば、仲介 国の外交は活発になるでしょうが、ロシアが目標を修正する動きを見せない限り、戦 闘の停止に向けた外交が真剣に検討されることは想定できません。ただ、穀物輸出、 捕虜交換、軍事エスカレーションの抑止といった点では今後も成果が期待でき、トル コやインド(G20議長国)も重要な役割を果たすと予想されます

ニ十歳の市民の集いとZ世代    (普通部OB 舩津於菟彦)

成人式、から名前の代わったこの日、錦糸公園は12時に式典が終わった若人が沢山集まりそれぞれグループを作り歓談していました。女性は素晴らしい着物姿が殆どでしたね。不思議とカメラを持って写真を撮っている人は見当たりません。みな携帯電話で撮影ですが、この辺りの年代を最近はZ世代(ゼットせだい)と言っているようですね。

Z世代(ゼットせだい)、ジェネレーションZ(英: the generation Z)とは、アメリカ合衆国をはじめ世界各国において概ね1990年代中盤から2000年代終盤、または2010年代序盤までに生まれた世代のことである。生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代である。Y世代(ミレニアル世代とも)に続く世代であることから「Z」の名が付いている。
この言葉は2021年のユーキャン「新語・流行語大賞」のトップ10に選出された。芝浦工大教授である原田曜平が光文社新書から「Z世代~若者はなぜインスタ・TikTokにハマるのか?~」(2020年11月)という本のタイトルを発売し、メディアで広まった。

ミレニアル世代(Y世代)よりもさらに周囲のIT環境が進展しており、幼少期から“デジタルデバイス(機器)やインターネット、SNS含むソーシャルメディアの存在を前提とした生活”をしているデジタルネイティブ(ネットネイティブ、あるいはソーシャルネイティブ)世代である]。生まれた時からインターネットに接続するための基本的な端末であるパソコンや携帯電話が既に存在しており、インターネットを利用し始めた頃にはADSLやCATVなどブロードバンドによる常時接続環境、SNS含むWeb 2.0、さらにスマートフォンが普及し、個人の情報発信が身近となっていた。

2020年に始まった新型コロナウイルス (COVID-19) のパンデミックの影響で、義務教育と高等教育の両方で、全社会的に実施された遠隔教育(オンライン授業)を受ける最初の世代となった。2020年時点で世界人口の約3分の1を占めており、割合はミレニアル世代を上回る。少子高齢化が世界で最も進んだ日本においては、Z世代を2020年6月時点での10歳〜24歳(概ね1995年(平成7年)4月2日〜2011年(平成23年)4月1日生まれの世代に相当)と定義した場合、それに当たる人口は1752万人であり、総人口の7分の1弱と少なく、約13.9%となる

Z世代とミレニアル世代の違いは育った環境の違いが一番の違いかもしれません。Z世代は不況の時期に育っており、経済的なプレッシャーを受けている環境下で育つ人が多い存在しています。
ミレニアル世代は好景気の時代もあったため、そういった育った環境の違いがショッピングへの投資の仕方に違いが出たり、商品へ求める要素の違いに影響が出るようです。

また、Z世代は「貯金・貯蓄や支出を控える傾向」があり、買い物への意欲は「どれだけお買い得なのか」という点を重視する傾向があると言われています。
それに対してミレニアル世代は購入自体に興味を持つ傾向があり、育った時代の景気が影響していると考えられています。

我が20歳は「成人式」なんてやった記憶もありませんが、どんな時代だったのでしょうか。60年以上前のお話ですね。
日吉から三田へ移る時で新聞研究所に入所させてもらい、三田の研究所へ日吉から通って居ました。日に日に東京タワーが三田通りに伸びていったときでした。そんな主な出来事を拾うと日本の発展の礎が芽生え始めたときのように思えますね。「ソニー」の誕生。日劇のあの「ウエスタンカーニバル。富士重工の「スバル360」が発売。「神様仏様稲尾様」の野球時代。正田美智子さんがご婚約発表。
「エーガはやや冷めたもの、 死刑台のエレベーター(監督:ルイ・マル)• 灰とダイヤモンド(監督:アンジェイ・ワイダ)• めまい(監督:アルフレッド・ヒッチコック)などが思い浮かびます。

卯年の次の2035年はどうなっていますかね。今日の恒例のサントリーの広告「水のようにまぶしい君になれ」とか煽てていますが「何時か命の水で乾杯」は矢張り宣伝ですね。開高健時代のメッセージが懐かしい。

(編集子)サラリーマン初期、一人前にほろ酔で帰宅、テレビをつけると トリス爺さんのコマーシャルが ”なんにいたしやましょう” ”いつものやつよ” ”マテ二イですね?” ”そおおよお” テンテンテン ”ヘルメスジン!” なんてやってた、あれ, 開高健 のやつだよね? 道具仕掛けはデジタルの走りだったのだろうが、あのかおりは昭和のアナログ、だったなあ。

(菅原)柳原良平の「アンクル・トリス」、懐かしいーねー。

小生、最近、テレビは殆ど見ないけど、見てもそのコマーシャルは見るに値しない。誠にツマラン奴が、ただただ押し売りするだけじゃない。何の工夫もない。いまだに「アンクル・トリス」を凌駕するものはない。それにしても、今のサントリーは、恰も新浪剛史しかいないような印象だが、往時は、柳原に加えて、開高健、山口瞳、なーんてのがいたんだから、ツマンネー会社になっちゃったね。

(安田))寿屋からサントリーへ社名変更したのは1963年。横文字・カタカナ名にしたのがいけなかったのでしょうか? それにしても1950年代、一私企業から綺羅星の如く柳原良平、開高健、山口瞳などの逸材が輩出されたもんです。後にも先にもそんな会社は「寿屋」以外知りません。

 

物忘れが気に罹り出したら  (普通部OB 篠原幸人)

正月早々ですが、私と同年配の方々は、最近ちょっとした物忘れが気になりませんか? 毎日、眼鏡や携帯を大騒ぎで探したり、予約の予定をうっかり忘れたり、友人や有名人の名前が出てこなかったり、孫の名前を間違えたり、今日が何日何曜日か忘れて家族に訊いたり、でもこんなことは70歳を過ぎればよくあることです。会社に毎日行かなくなると、曜日が気になるのはテレビの番組探しの時だけだったりして。

でも自分で片づけた重要書類や印鑑・財布や、大事に隠しておいたへそくりの場所が分からなくなったり、更には水道の水を出しっぱなしにして家族に怒られたり、ガスの火を点けっぱなしにして忘れてその場を離れたり。トイレのあと流すのを頻回に忘れて家族に指摘されたり、今まできれいに使っていた洗面所に抜けた髪の毛が何本も落ちてそのままになっていたり、何時も通る道をうっかり間違えたりなどとなると、もう黄ならぬ赤信号ですね。記憶障害ばかりでなく、注意力低下も立派な認知機能障害なのです。

以前に本稿にも書きましたが、家族に同じことを二度続けて注意されたらまず黄信号と思いましょう。これらが始まったと自覚した人は、普通に日記帳をつける気持ちで、新年から「物忘れノート」をつけることをお勧めします。無論、毎日書く必要はありません。忘れものをした時だけ記入すればいいのです。毎日あるようならすぐ病院行きをお勧めします。年月日と何を忘れ、どう解決できたかをメモするだけでいいのです。これを書き溜めて、万一医師に相談する時には、そのノートも一緒に持って行って説明に利用してください。このノートは将来、貴方の健康維持のための財産になるかもしれません。

私も始めました。但しまだ年に数回のみです。これが毎月2回以上とか、立て続けに何回にもなったら、御懇意の医師に相談することです。但し、あまりそのことに無頓着な一般医師は、「お年のせいでしょう」と大体取り合ってくれないことも多いと思います。そんな時は比較的大きな病院の「物忘れ外来」または脳神経内科や神経科の医師に相談されたら良いと思います。

以前本稿でも「MCI」という物忘れの初期症状とその対処法をお話ししました。私の外来にも「軽い物忘れ」を気にして来られる方が沢山おられます。その約半数は検査の結果、「MCI(Mild Cognitive Impairment)」と診断されますが、少なくともその中の1/3以上の方は暫く経つとと良く成られます。但し他の1/3ぐらいの方はアルツハイマー病などの認知症の初期と考えざるを得ない場合があります。但し認知症が全て治りにくいアルツハイマー病ではありません。中には「Treatable Dementia(治療可能の認知障害)」と呼ばれる良くなる可能性のある認知症もあります。

「物忘れ」は年齢のためだけとは限りません。大きな病院では、MRIや脳血流検査、血液検査、神経心理検査やその他の方法を駆使して、物忘れの原因を詳しく調べることも可能です。是非、「物忘れノート」がエピソードで一杯になる前に、調べてもらってください。 もっともその「物忘れノート」を何処にしまったか大騒ぎして探すことにもなるでしょうが。

 

こっちは浅草で七福神めぐりでした   (44 安田耕太郎)

16日、KWV44年同期で毎年恒例となっている七福神巡りは今年は2目の浅草名所七福神に行きました。隅田川の右岸界隈を川向こうのスカイツリーの威容(異様かな)を見上げながら、その昔、花魁も行き来した往時の面影はない吉原のど真ん中を抜け、KWVS44年卒の仲間総勢12名で8kmの行程をノンビリ(というより速く歩けない)と、久し振りに会う仲間も多くお喋りを楽しみながら4時間かけて歩きました。数年前の前回とは真逆のコースを歩き、終点は夕闇迫る幕の内の賑わいを見せる浅草寺。場所柄でしょうか、外国人、艶やかな和服姿の女性も目立ち新年に相応しい風情でした。16,000余の徒歩数でした。