KWV 三田会 新年会開催

コロナのとばっちりで見送られてきたKWV三田会新年会が3年ぶり、今年は先回までとは場所を変更し、大崎ニューオータニインで開催された。今回参加者のうちの最高齢、32年卒中村弘先輩(ダンブさん)の音頭での乾杯、年男年女各位による鏡割り、と恒例の行事など、時代は変わっても変わらないよきKWVの伝統を味わい、また感謝する半日であった。卒年別参加者は 30年代35人、40年代34人、50年代19人、60年代以降3人で、最も若かったのは平成30年組の川上友輔、高田蒔子両君。現役を代表して山荘担当の土井君が参加して現役の状況などを披露してくれた。現在の現役部員は1年生26(うち女子5)、2年生18(5)、3年生16(5)、4年生14(3)合計74人とのこと、我々(36年卒)のほぼ3割くらいだが、毎週ほぼ2本見当のプランが消化されているという。何をするにもちょうどいいサイズなのではないかと思われる。今後の健闘を期待する。

新年会の開催方法などについては時代の流れもあり、いろいろと議論もあるだろうが今回の参加者の年齢分布をみると、昭和60年以降ほぼ30年のレンジで出席者がおられないのはなんとも寂しい限りである。社会人生活を経て初めて分かることだが、日本の社会では企業で働く人にはその範囲での交流はあっても、それ以外のいわば地元社会での付き合いはほぼないと言っていい。編集子はアメリカでの経験しかないが、かの地でできた友人の多くは会社以外にも教会とか、地元の活動とか慈善活動とかいろいろな面で広い付き合いがあり、会社を離れれば別人のように生き生きとしていて、会社での行動などからは想像もできないくらい、友人たちの尊敬を集める存在だったりした例をたくさん知っている。

わが国にはなかなかこういう地元社会での交流が育つ機会がない。特に東京ではいわゆる下町の風情や人情が希薄になり、隣は何をする人ぞ、が当然になる。企業や学校でのOB会というものがなんとか懐かしい時代を思い出させることはあっても、それは一時的なものにすぎない。また体育会系の場合は常に勝った負けたの世界だから、学生時代の戦績によって付き合い方が決まってしまい、上下の付き合いが発展しにくい、という問題があるようだ。

KWVはその点、それまで単なる名前だけにすぎなかったOB会が 34年卒妹尾先輩と彼を補佐した学年横断的なスタッフのご尽力で、学生時代の交流を一期一会とするのではなく、新しい活動母体として現在のKWV三田会ができた。編集子の例をとると、毎日受信しているほぼ30通くらいのメールの半分以上はこのOB会メンバーからのものであり、それもこの三田会ができて初めて知遇を得た、という人が大半である。パーティの席上,どのテーブルに行っても誰か、知り合いがいた。すべてこのOB会活動で知り合った、それがなければ知ることもできなかった後輩諸君である。山歩きにせよスキーにせよ飲み会にせよ現役時代には全く知らかった先輩後輩との付き合いがしょっちゅうあり、そのおかげである。これはもう、OB会、という回顧の団体ではなく、新しい行動領域であって、特に昨今残念ながら日々,痛感する老い、の現実とそれが惹起しかねない無気力な老境への誘惑を断ち切ってくれる、なにか、なのだ。

上記したようにこの活動というか存在に関わることの少ない平成時代の若手OB各位にはぜひともご一考いただきたいことである。。。。というのが本稿の年頭所感、であろうか。