タレントとアーティスト

読売新聞のコラムに ”タレント” という用語についての疑問がとりあげられていた。外国語とくに英語をいわば日本語化して、本来の意味とは違う使い方が蔓延してしまう例は数多くある。英語の基礎知識を持ち合わせている人は日本語での使い方が原語本来のものと思い込んでしまい、英語会話が必要となった場合に自信満々でつかってみたが全く通じない、という喜劇はよく耳にする。

会社時代、仕事のために来日した日本好きのアメリカ人の一人が、cold という単語の日本語を サムイ と覚えていて、冬のある日、喫茶店に入って、サムイミルク クダサイ と注文した。彼はつめたいミルクを注文したつもりなのに、あたためた牛乳がでてきたのだそうだ。いろいろ聞いてみると、表は寒い、だからミルクを飲みたい可哀そうなガイジンがいる、と思って親切にもミルクをあたためて持ってきたものと思われる。この種の間違いが笑い話で済んでいれば問題ないが、深刻な問題になることもあり得るのではないか。

読売のコラムが指摘したように、talent は本来、才能、資質といったことを表す単語であって、辞書のどこを探しても芸能人を指し示す使い方はない。おそらく、だれかが、有望な新人を売り込むために 彼女にはたぐいまれなる資質がある、といった程度のことをタレントにめぐまれた、というような使い方をし、その後、歌にせよ演技にせよ、世の中に認められるには才能=タレントが必要なのは当然なのだから、その持ち主を指すようになり、現在では本来才能・資質と言われるものとはかけ離れて、芸能人全般を指すようになったのだろう。

此処まではまあ、笑い話で済ませられる程度の誤用というか転化だと納得できるのだが、小生どうしても抵抗するのが昨今のテレビ番組でめったやたらに使われる アーチスト という単語である。この用語は今やほとんど上記の タレント の同義語というような意味になってきている。talent と art は正統的な日本語で言えば、才能 と 芸術 という、共通点がない概念になるはずだ。英語の辞書でも art の訳語に日本語でいう芸能に近い言葉はみつからないし、talent には芸術を意味する訳語は当然、無い。 現在すこしばかりかじっているドイツ語であってもこの二つの概念は die Kunst と片方は die Fahigkeit  或いは,die Begabung という女性名詞、あるいは das Talent という中性名詞 であらわされるし、その行為者は artist か Kunstler であって、そのどこにもここでいう日本製英語の アーチスト にあたる使い方はない。それに該当する原語は entertainer であり Unterhalter であろう。ただしいて言えば、ドイツ語で芸能人、と辞書をひくと後ろの方に Kunstler der Unterhaltungsbranche , 訳してみれば 芸能分野における達人、という解釈がある。日本で言えば文化勲章を受章するに値する俳優、というようなニュアンスであろうか。

もしアーティスト、という単語が今後、今通りの意味で日本語として定着してしまうと、サムイミルク的な喜劇ではすまないことになりはしないか。タレント、までは、まあいい、としよう。もう後戻りができないほど日本語になってしまったのだから。しかし今使われている アーティスト=芸能人 という使い方はどうにも我慢できない。言ってみればハイフェッツと北島三郎が同じくくりで語られるのが日本の文化程度なのだ、と言っていると同じだからだ。せめて天下のNHKくらいは 芸術家と芸能人を区別してもいいのではないか。 どうしても英語がつかいたいなら、エンタテイナー という立派な用語があるではないか。得意がって話す本人の教養が疑われることのないようなことのほうが、現在進行加速中の英語授業強化(多少英語を使う場を経験してきた身で言えば、天下の愚挙だとしか思えないのだが)などよりよほど大切なのではないか、とおもうのだが。

(菅原) 100%、同意。もっともらしい英語を使うより、きちんとした日本語があるんだから、英語ではなく、日本語を使って欲しい。
小生が最も気に入らないのは、例えば「チケットをゲットしよう!」。これを聞くと虫唾が走る。 それにしても、タレントとアーティストがごまんといる日本は、何と幸せなことだろう。

(船津)タレントは海外からの接客業のお嬢様を言う事が多いみたい。何の芸も無いですが一応「タレント」とと言う名目で来るようですね。