毎年恒例で上野・東照宮の冬牡丹で季節を味わっています。
エーガ愛好会 (185) セーブゲキ派から
飯田兄保有のDVDリストというものが出て(考えたら彼にはDVDを買っていない秀作がほかにもあるでしょうが)、エーガ愛好会仲間内が騒然としています。
余り欧州もの、文芸ものを観ずに馬齢を重ねたことを今さらながら反省しますが、われら絶滅危惧種、セーブゲキスクールも何か言わなきゃいけませんな。僕の選んだセーブゲキベスト10は下記の通りですがどんなもんでしょうか?
1.荒野の決闘 2.大いなる西部 3.黄色いリボン 4.捜索者 5.シェーン 6.ウインチェスター銃73 7.シルバラード 8.真昼の決闘 9.駅馬車 10.大平原
(保屋野)私はあまり西部劇に詳しくありませんが、ジャイさんの挙げられた中では、「大いなる西部」「ウインチェスター銃73」「真昼の決闘」が良かった。後は「ダンス・ウイズ・ウルプス」「シマロン」「西部開拓史」「ヴェラクルス」が面白かった。また、「縛り首の木」は主題歌が秀逸。
「荒野の決闘」は私には、バート・ランカスターの「Ok牧場の決闘」の方が西部劇らしかった。「駅馬車」や「シェーン」は傑作だと思いますが、「黄色いリボン」「捜索者」はイマイチ。「シルバラード」はあまり覚えていません。なお、「大平原」はまだ観てません。
(飯田)大兄のセイブゲキ・スクールの一員として、私の選ぶベスト10も略、似たり寄ったりですが、シルバラードはTVで近年見た記憶がありますが、あまり覚えていない。平原児は劇場公開で観ていますがその後は再見していないのでベスト10に入るかどうか分かりません。他は異議なし!!
どこまでを西部劇に入れるか分りませんが、近年BSシネマ等で放映されたものを含めて、私なりに追加してみました。
「シンシナティ・キッド」「華麗なる賭け」「ネバダ・スミス」の3本はs.マックイーン主演。「縛り首の木」(G.クーパー)と J.ウエイン主演で「エルダー兄弟」「オレゴン魂」「戦う幌馬車」「ラスト・シューティスト」、「勇気ある追跡」「静かなる男」。
「許されざる者」(B.ランカスター、A.ヘップバーン)、「墓石と決闘」(R.ライアン、J.ガーナー)、「バッファロー大隊」「モホークの太鼓」「裸の拍車」(J.スチュアート)、「胸に輝く星」(H.フォンダ)「「襲われた幌馬車」(R.ウイッドマーク)。「ワーロック」「ガンヒルの決闘」「リバティバランスを射った男」「ワイアット・アープ」「ボンドー」「征服されざる人々」「OK牧場の決闘」「ジャイアンツ」。
追加ですが、”三人の名付け親” と ”シャイアン” などもありましたね。
(編集子)飯田兄、フォードの名作、三人の名付け親 を忘れてました! 自称ファンとしてお恥ずかしいかぎり。
フォードものの中でも一番感動を呼んだ作品でした。
(小泉)セーブ劇の感想を時折書いている者として、セーブ劇ベスト10を
1. 駅馬車(ジョン・ウエイン)
2. 真昼の決闘(ゲーリー・クーパー)
3. 荒野の決闘(ヘンリー・フォンダ)
4. 大いなる西部(グレゴリー・ペック)
5. シェーン(アラン・ラッド)
6. ウインチェスター銃‘73(ジェームズ・スチュアート)
7. 昼下りの決闘(ランドルフ・スコット、ジョエル・マックリー)
8. 決断の3時10分(グレン・フォード)
9. 許されざる者(クリント・イーストウッド)
10.OK牧場の決闘(バート・ランカスター、カーク・ダグラス
蛇足:監督から見るとジョン・フォードは1と3。2はフレッド・
乱読報告ファイル (37) 高峰秀子 ベストエッセイ (普通部OB 菅原勲)
図書館の年末年始の連休明けに、早速、新刊と言うより新着の棚を覗いてみた。余り食指が動く本はなかったが、その中に一つだけ「おや」と言う本を見つけた。その文庫本は「高峰秀子 ベスト・エッセイ」(2022年、筑摩書房)とある。まー、エマヌエル・トッドよりは難しくなかろうってんで借りて来た。
ところで、高峰に関しては、小生、映画は「二十四の瞳」しか見ていないし、これまでさして興味ある女優ではなかった。従って、その随筆も読んだことはない。この「ベスト・・・」は、松山善三・高峰秀子夫妻の養女だった斎藤明美(元:週刊文春の記者)が、高峰が書いた数多ある随筆の中から編纂したもので、高峰の取っ掛かりとしては、それこそベストそのものだった。と言うのは、「食わず嫌いは損のもと」と言う言葉があるが、小生が正にそれを地で行くボンクラだったからに他ならない。しかし、面白くて面白くて、あっと言う間に読み終わり、こりゃーただものじゃーねーな、ってのが第一印象。月並みな表現だが、目から鱗。
話しは、彼女の父親の妹(高峰の叔母)が子をなさず、その間、貰うあげないなど色々ひと悶着があったようだが、最終的にその養女となる。この養母が最後まで、金銭面を含め、高峰の私生活の足を引っ張りまくることになるのだが、実は、活弁士をやっていたことがあり、その芸名が「高峰秀子」だったことから、平山秀子(本名)が高峰秀子になったと言うことのようだ。
兎に角、売れっ子で売れっ子で、5歳から撮影所に入り浸り、学校には殆ど行っていない、いや、行けなかった。後に「文化学院」に入学したが、禄に学校に行っていないことから、学長から、「俳優か、さもなくば、学校か」と選択を迫られ、即、俳優と答えたから、学歴は全くないに等しい。従って、読み書き算盤ではないけれど、例えば、字を読むことについても大変な努力をしたようだ。
出自が真面でないこと、学歴がないことなど、それが引け目で、ひねくれ、劣等感の塊になっても可笑しくなかったが、そうならずに済んだのは、超一流の人たちとの交流があったからではないかと勘繰っている。例えば、司馬遼太郎、志賀直哉、安野光雅、梅原龍三郎、黒沢明、越路吹雪、有吉佐和子、小津安二郎、池島新平、扇谷正造、などなど。また彼らとの交遊録がこのエッセイの白眉でもある。その一例を挙げるなら、松山善三・高峰秀子夫妻とはならず、クロさんこと黒沢明・高峰秀子夫妻となっていた可能性も充分にあったらしい。
「ベスト・・・」読了後、直ちに、高峰の処女作である「巴里ひとりある記」を読んだ。これは、1953年の出版だから、彼女が29歳の時。確かに、ミーハーのきらいがあるのは否めないが、それははじめの部分だけ。その内、直ぐに、高峰らしい視点で冷静に巴里を眺め、大いに楽しみ、そして、平山秀子を満喫している。だいぶ前に、林芙美子の「下駄で歩いた巴里」(1930年代)を読んだが、何か貧乏くさくて余り面白くなかった。しかし、巴里と言う街は、それほど人を惹きつけるものなのか。それは女だけには限らない、男でも、確か詩人の荻原朔太郎が「フランスへ行きたしと思へどもフランスはあまりに遠し・・・」。これもなんだか寂しいねー(これ、高峰の口調)。一言で言えば、知ったかぶりはしない、カッコー良くも見せない。つまり飾りっけの無さがその最大の美徳だろう。
今現在、高峰に入れ込んで、「わたしの渡世日記」から抜け出せず、この世のものとは思えないヒエロニムス・ボスは、暫しお預けだ。
ウクライナ戦争の行方 (普通部OB 田村耕一郎)
友人のジャーナリストから送ってもらった展望記事の一部をご紹介します。
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ロシアのウクライナ侵攻が始まってから2月で1年を迎えますが、
ロシアがウクライナを「戦争」で打ち負かすことは、ほぼ不可能に
しかしロシアが引き下がることは想定できません。ロシアはウクラ
しかしウクライナが譲歩することも想定できません。ウクライナは
米国は十分な予 算と制度的な裏付けを確保しています。またロシアの軍事エスカレ
軍事支援も、独仏が軽戦車やパトリオットの提供に踏み切ったよう
欧州にとって、経済への悪影響は今後も重大な課題であり、特に今
ウクライナ軍は、主戦場であるドンバスとヘルソン
からの新たな兵器の供与もあり、兵士の士気・練度と装備の面でウ
ウクライナは、国内の主戦場のみならず、クリミアや近接するロシ
こうした状況が続く限り、和平や休戦に向けた交渉は期待しがたく
ニ十歳の市民の集いとZ世代 (普通部OB 舩津於菟彦)
成人式、から名前の代わったこの日、錦糸公園は12時に式典が終わった若人が沢山集まりそれぞれグル
Z世代(ゼットせだい)、ジェネレーションZ(英: the generation Z)とは、アメリカ合衆国をはじめ世界各国において概ね1990
この言葉は2021年のユーキャン「新語・流行語大賞」のトップ
ミレニアル世代(Y世代)よりもさらに周囲のIT環境が進展して
2020年に始まった新型コロナウイルス (COVID-19) のパンデミックの影響で、義務教育と高等教育の両方で、全社会的
Z世代とミレニアル世代の違いは育った環境の違いが一番の違いかもしれません。Z世代は不況の時期に育っており、経済的なプレッシャーを受けて
ミレニアル世代は好景気の時代もあったため、そういった育った環
また、Z世代は「貯金・貯蓄や支出を控える傾向」があり、買い物
それに対してミレニアル世代は購入自体に興味を持つ傾向があり、
我が20歳は「成人式」なんてやった記憶もありませんが、どんな
日吉から三田へ移る時で新聞研究所に入所させてもらい、三田の研
「エーガはやや冷めたもの、 死刑台のエレベーター(監督:ルイ・マル)• 灰とダイヤモンド(監督:アンジェイ・ワイダ)• めまい(監督:アルフレッド・ヒッチコック)などが思い浮かびます。
卯年の次の2035年はどうなっていますかね。今日の恒例のサンり宣伝ですね。開高健時代のメッセ
(編集子)サラリーマン初期、一人前にほろ酔で帰宅、テレビをつけると トリス爺さんのコマーシャルが ”なんにいたしやましょう” ”いつものやつよ” ”マテ二イですね?” ”そおおよお” テンテンテン ”ヘルメスジン!” なんてやってた、あれ, 開高健 のやつだよね? 道具仕掛けはデジタルの走りだったのだろうが、あのかおりは昭和のアナログ、だったなあ。
(菅原)柳原良平の「アンクル・トリス」、懐かしいーねー。
小生、最近、テレビは殆ど見ないけど、見てもそのコマーシャルは見るに値しない。誠にツマラン奴が、ただただ押し売りするだけじゃない。何の工夫もない。いまだに「アンクル・トリス」を凌駕するものはない。それにしても、今のサントリーは、恰も新浪剛史しかいないような印象だが、往時は、柳原に加えて、開高健、山口瞳、なーんてのがいたんだから、ツマンネー会社になっちゃったね。
(安田))寿屋からサントリーへ社名変更したのは1963年。横文字・
物忘れが気に罹り出したら (普通部OB 篠原幸人)
正月早々ですが、私と同年配の方々は、最近ちょっとした物忘れが気になりませんか? 毎日、眼鏡や携帯を大騒ぎで探したり、予約の予定をうっかり忘れたり、友人や有名人の名前が出てこなかったり、孫の名前を間違えたり、今日が何日何曜日か忘れて家族に訊いたり、でもこんなことは70歳を過ぎればよくあることです。会社に毎日行かなくなると、曜日が気になるのはテレビの番組探しの時だけだったりして。
でも自分で片づけた重要書類や印鑑・財布や、大事に隠しておいたへそくりの場所が分からなくなったり、更には水道の水を出しっぱなしにして家族に怒られたり、ガスの火を点けっぱなしにして忘れてその場を離れたり。トイレのあと流すのを頻回に忘れて家族に指摘されたり、今まできれいに使っていた洗面所に抜けた髪の毛が何本も落ちてそのままになっていたり、何時も通る道をうっかり間違えたりなどとなると、もう黄ならぬ赤信号ですね。記憶障害ばかりでなく、注意力低下も立派な認知機能障害なのです。
以前に本稿にも書きましたが、家族に同じことを二度続けて注意されたらまず黄信号と思いましょう。これらが始まったと自覚した人は、普通に日記帳をつける気持ちで、新年から「物忘れノート」をつけることをお勧めします。無論、毎日書く必要はありません。忘れものをした時だけ記入すればいいのです。毎日あるようならすぐ病院行きをお勧めします。年月日と何を忘れ、どう解決できたかをメモするだけでいいのです。これを書き溜めて、万一医師に相談する時には、そのノートも一緒に持って行って説明に利用してください。このノートは将来、貴方の健康維持のための財産になるかもしれません。
私も始めました。但しまだ年に数回のみです。これが毎月2回以上とか、立て続けに何回にもなったら、御懇意の医師に相談することです。但し、あまりそのことに無頓着な一般医師は、「お年のせいでしょう」と大体取り合ってくれないことも多いと思います。そんな時は比較的大きな病院の「物忘れ外来」または脳神経内科や神経科の医師に相談されたら良いと思います。
以前本稿でも「MCI」という物忘れの初期症状とその対処法をお話ししました。私の外来にも「軽い物忘れ」を気にして来られる方が沢山おられます。その約半数は検査の結果、「MCI(Mild Cognitive Impairment)」と診断されますが、少なくともその中の1/3以上の方は暫く経つとと良く成られます。但し他の1/3ぐらいの方はアルツハイマー病などの認知症の初期と考えざるを得ない場合があります。但し認知症が全て治りにくいアルツハイマー病ではありません。中には「Treatable Dementia(治療可能の認知障害)」と呼ばれる良くなる可能性のある認知症もあります。
「物忘れ」は年齢のためだけとは限りません。大きな病院では、MRIや脳血流検査、血液検査、神経心理検査やその他の方法を駆使して、物忘れの原因を詳しく調べることも可能です。是非、「物忘れノート」がエピソードで一杯になる前に、調べてもらってください。 もっともその「物忘れノート」を何処にしまったか大騒ぎして探すことにもなるでしょうが。
こっちは浅草で七福神めぐりでした (44 安田耕太郎)
川崎桜本九福神 (34 小泉幾多郎)
恒例の七福神めぐりを長年続けてきましたが、寄る年波には勝てず、一

今年も一箇所で、と思っていたら、偶々川崎大師の近くに桜本

川崎駅から大師行きの

にすべく上を向いてい
疲れも感じず、さくらもと九
伊豆九島を臨む旅をしてきました (42 保屋野伸)

4日、5日と家内、娘、孫の4人で-伊豆旅行をしてきました。(といっても、踊り子号+下田東急ホテル宿泊というJRのプランです)
昨日は、伊豆下田駅前からロープウエイで寝姿山へ、そこから見えたのが、大島、利島、新島、三宅島、御蔵島、式根島、神津島でした。これって「伊豆7島」? 私の記憶では確か八丈島が入っていたはずなのに、とネットで調べたら、式根島は新島と行政が一緒ということで外されていました。実は伊豆諸島にはもう一つ青ヶ島も有人島で、正確には「伊豆9島」が正しいようです。
今日はタクシー観光で石廊崎と爪木崎に行きましたが、思わぬ発見がありました。私は石廊崎には行ったことがありますが、タクシーの運ちゃんが少し先の「奥石廊崎」に案内してくれました。いやー、まさに「絶景かな」・・皆さん南伊豆にご旅行の際はぜひ。奥石廊崎まで足をのばしてください。

(安田)あけましておめでとうございます。さすが、
多肉植物のアロエはメキシコの有名な蒸留酒テキーラの原材料・同じ多肉植物のアカベによく似ています。テキーラ酒を産出することからその場所をテキーラ村と呼んだのか、テキーラ村で産出するからその蒸留酒をテキーラと名付けたのかは分かりませんが、首都メキシコシティから北西へ500km離れた砂漠に近い場所をたまたま通りかかった村がテキーラで、一泊して初めてテキーラ酒を飲みました、1968年のことです。アロエの写真を見て思い起こしました。
(編集子)高校時代の恩師、片倉先生は生物学の専攻で、ダンゴムシの研究をライフワークとしておられた。その一環として、八丈島に研究対象があるのだが、というお話があり、当時のクラスメート(KWVの同期3人を含む)で初めてこの島へ行く機会があった。先生は古き良き時代のアルピニストで、1年の夏、僕らを白馬へ連れて行ってくれ、それが縁で大学で片倉学級から4人、KWVに入ったいきさつがあり、皆、恩返しのつもりもあって同行した。年も重ねて時として足元も定かではなく、少しばかり不安はあったが、田んぼや沼地を熱心に探索されて、その結果、みごと新種を発見、その後学会に報告して学名が登録された。当然ラテン語で中にたしか katakura という文字が入っていたはずなのだが、恩知らずのわれわれの中で一人だけ、その資料をもっていた田中新弥がそれをなくしてしまい、その名前をご紹介できないのが何とも残念である。
この旅行では見物を兼ねて八丈富士へ登って(たぶんKWVでは俺たちが最初だ)と喜んだものだ。KWVで登頂(というほどでもないが)経験お持ちの方があれば知りたいものだ。また島では車のナンバーが中央区だったのになるほど、と思った。保屋野君がいうようにこれは青ヶ島でもそうなのだろうな。(興味がないので知らないが、この山は日本百名山には入っていないのか?)
なお、片倉先生は慶応高校ワンダーフォーゲル部の創設者で、残念の極みだが早逝した田中トンべをはじめとしてKWVにもお世話になった仲間が多くいる。東京のこの南国へ行く機会はもうないだろうが、温厚な片倉さんとの思い出とあの海の蒼さが、俺達の高校生活、大げさに言えばパクスアメリカーナに包まれた、いい時代の甘酸っぱい記憶を思い出させてくれるようだ。
新年の青空です (普通部OB 舩津於菟彦)
東京は晴天続
「お雑煮」という名前は、さまざまな具材をまぜて煮合わせたこと
年神様へのお供え物には霊力が宿るとされ、そのお供え物を食べる
「祝い箸」は、箸の両端が細くなっており「両口箸」とも呼ばれ、
錦糸公園・朝の散歩 ポチポチ紅梅白梅が咲き初めました。春を呼ぶストックとか水仙・