3月20日から約1か月間日本へフランス人グル-プのツア-
長い旅で、果たして最後までやり切れるかしら?
(河瀬)今年は桜の満開が遅れたのが何よりでしたね。評判のいい、
(安田)愛子さん引率のフランス人グループの日本旅行に因み、
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
3月20日から約1か月間日本へフランス人グル-プのツア-
長い旅で、果たして最後までやり切れるかしら?
(河瀬)今年は桜の満開が遅れたのが何よりでしたね。評判のいい、
(安田)愛子さん引率のフランス人グループの日本旅行に因み、
5月5日はこどもの日。こどもの日が法律で定められた祝日であるのに対し、端午の節句は
端午の節句の起源は、2300年前の中国です。もともと5月5日
鯉のぼりは、江戸時代の武士が玄関に飾っていた幟や旗指物が由来
世界では11月20日の「世界子どもの日」は、1954年、世界
生きる権利や成長する権利、暴力から守られる権利、教育を受ける
児童憲章
児童は、 人として尊ばれる。
児童は 社会の一員として重んぜられる。 児童は よい環境のなかで育てられる。
しかし、児童の生活権や学習権の保障、児童の心身の保護などにつ
ユニセフ協会によると推定4,500万人の5歳未満児が消耗症(
しかし、日本の家庭では以前は子供が4人から6人程度居るのが当
婚姻件数は、第 1 次ベビーブーム世代が 25 歳前後の年齢を迎えた 1970 年から 1974 年にかけて年間100 万組を超え、婚姻率(人口千人当たりの婚姻件数)も概ね 10.0 以上であった。その後は、婚姻件数、 婚姻率ともに低下傾向となり、1978 年以降 2010 年まで、婚姻件数はおおよそ年間 70 万組台で増減を 繰り返しながら推移してきたが、2011 年以降、年間 60 万組台で低下を続け、2018 年に初めて 60 万組 台を割り込んだ。2021 年は 50 万 1,138 組と過去最低を更新した。婚姻率も 4.1 で過去最低となり、1970 年代前半と比べると半分程度の水準となっている。
我が国の年間の出生数は、第 1 次ベビーブーム期には約 270 万人、第 2 次ベビーブーム期の 1973 年には約 210 万人であったが、1975 年に 200 万人を割り込み、それ以降、毎年減少し続けた。1984 年に は 150 万人を割り込み、1991 年以降は増加と減少を繰り返しながら、緩やかな減少傾向となっ
合計特殊出生率は、第 1 次ベビーブーム期には 4.3 を超えていたが、1950 年以降急激に低下した。 その後、第 2 次ベビーブーム期を含め、ほぼ 2.1 台で推移していたが、1975 年に 2.0 を下回ってから再 び低下傾向となった。1989 年にはそれまで最低であった 1966 年(丙午:ひのえうま)の 1.58 を下回 る 1.57 を記録し、さらに、2005 年には過去最低である 1.26 まで落ち込んだ。その後、2015 年には 1.45 まで上昇したものの、2021 年は 1.30 となった。2023年の合計特殊出生率は、1.20程度になる見
我が国の人口は、江戸時代末期には3,400万人程度であったと
戦後は、海外からの引揚げとそれに伴う第1次ベビーブームによる
平成14年(2002年)の総務省の人口推計では、我が国の人口
https://www.mhlw.go.jp/content
日本全体の将来推計人口が国立社会保障・人口問題研究所から20
さらに、今後の人口動向が超長期に続くなら、100年後の日本の
婚姻率の低下と出生率の低下はだだ経済的な理由だけでは無いと思
テレビ「ポッンと一軒」は興味深い。以前は沢山の集落だったのが今は一軒。老人が頑張って人生を謳歌しながら生活している
子供の日にふと考える。人口減少問題はエネルギー問題・食糧不足
シャーロック・ホームズのシリーズには、後年、幾人かの作家によって続編が書かれ、翻訳も出版されていて、質的にも評価されている。HBの古典(であると勝手に小生が思い込んでいるのだが)レイモンド・チャンドラーの 長いお別れには、現代アメリカンミステリの代表的作家 ロバート・パーカーの プードル・スプリングス物語 という作品があり、ほかにも短編は数多く書かれている。続編ものの代表作ともいえる プードルスプリングス物語は、原作でほのめかされていた話が現実化した形をとって主人公マーロウがリンダ・ローリングと結婚してから、物質的には恵まれるのだがそれにあきたらず、また私立探偵稼業をはじめる、という筋で、主人公以外には原作とのつながりはあまりない。パーカーの場合は彼自身がつくりだしたスペンサーという主人公のイメージが読者の間に浸透しすぎているので、この作品をストレートにチャンドラーの続編ととらえるにはどうしても違和感があるように思える。
(ウイキペディア解説)
『プードル・スプリングス物語』(Poodle Springs)は、アメリカの作家レイモンド・チャンドラーの未完の遺稿をロバート・B・パーカーが完成させたハードボイルド小説。1989年に刊行された。私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第8作となる。『長いお別れ』で出会った富豪の娘リンダ・ローリングと結婚し、プードル・スプリングスの豪邸に住むことになったフィリップ・マーロウ。だが、妻の金で暮らすことを潔しとしないマーロウは町はずれに探偵事務所を開いた。最初の依頼人は、借金を返さない男を捜してほしいというカジノ経営者だったが、一見単純な依頼はやがて殺人事件へと発展する。
これに対して、今回、またまた例によって立ち読み中に発見して買ってきたベンジャミン・ブラック(浅学にして小生は知らないのだが、英国ブッカー賞作家、ジョン・バンヴィルがミステリ執筆時だけに使うペンネームだそうだ)の作品は、マーロウはもちろん、チャンドラー作品に登場するおなじみの脇役がしっかり出てくる。終盤近くにギャングがつけ狙う(何かが―ま、麻薬だろうと想像は出来るのだが―が入っている)スーツケースの外観が、”お別れ” でテリー・レノックスがマーロウにあづけていた ”英国製の豚皮の素晴らしいスーツケース” と分かるので、ははーん、と膝を打つとラストにはそのレノックス本人が登場する。”長い別れ” をしたはずのテリーのほか、グリーン警部やバー二イ・オールズ検事も出てくるし背景に暗躍するギャング筋も同じ名前が出てくる。そういう意味で、変な言い方だが、続編らしい続編、と言える仕上がりになっている。
面白いことはときどきつづけて起きる。この本は、書棚に並んでいる本のカバーに チャンドラー という文句があったので見つけたのだが、その時、無意識に目の端に入った本にも、そのカバーに チャンドラー という文字があるではないか。こちらは全く知らない著者のものだが、(チャンドラーをしのぐ傑作!)というような刷り込みだったことがわかり、いつもの衝動買いの癖で買ってしまった。この本はこの後の話になる。
同じ続編でも、プードルのほうはパーカーが宣言して書いた、となるとそれなりに身構えて読んだのだが、この黒い瞳、のほうは、エーガの話で考えてみると、ジョン・フォードの西部劇の名作(これも小生の思い込みなので勘弁してほしいのだが)騎兵隊三部作、がウエインだけの魅力ではなく、毎回登場する脇役陣に感じる親近感で支えられているのと同じような親近感を覚えながらあっさり読んでしまった。ミステリーである以上、筋書きを描くわけにはいかないが、推理小説としての質、というか出来栄え、については評価は分かれるかもしれないが。
この映画、≪ナポリのアデリーナ≫≪ミラノのアンナ≫≪ローマのマーラ≫というそれぞれ独立の話を1本の映画に収めたもので、この当時に流行ったオムニバス映画(数人の監督の製作した別々の物語を1本の映画に収める)と似た構成でした。主演はソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニというイタリアを代表する2大スターですが、監督がヴィットリオ・デ・シーカという点で注目されます。
監督デ・シーカは、映画「道」の他10本ほどの名作・注目作を作ったフェデリコ・フェリーニ監督ほどにはイタリアの監督としては注目されていないかも知れませんが、日本の映画ファン史では「靴みがき」(1946年)、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日 今日 明日」(1963年)、「ああ結婚」(1964年)、「ひまわり」(1970年)と、それぞれの時代に強烈な印象を与えて来た監督と思います。「自転車泥棒」はエーガ愛好会では評価しない人も居たと思いますが、「ひまわり」は同じ主演のソフィア・ローレンとマストロヤンニで大いなる悲劇で、殆どの人が名作と認める映画だと思います。「終着駅」はモンゴメリー・クリフトとジェニファー・ジョーンズのローマ中央駅(テルミニ)での密会の恋愛物ですが、大きなスクリーンの暗い劇場で観るのと、今日のお茶の間やリビングで観るのとは違った印象があると思いますが、初めてローマを訪れた時にどうしても「終着駅」の舞台になったテルミニをこの目で見たいと思って時間を割いて歩き回ったものです。
「昨日 今日 明日」はイタリア人気質を少し誇張して、更に滑稽に脚本が作られていると思いますが、少し前に書いたように喜劇の製作は中々難しいもので、この作品はくすくす笑いではありますが、上手く出来ている作品と思います。又、製作者がカルロ・ポンティというソフィア・ローレンと結婚した巨匠で、この映画は愛妻を自由自在に演技させている感じが出ていて、ソフィア・ローレンの代表作の1本(勿論マルチェロ・マストロヤンニの代表作の1本でもありますが)でもあると思います。
(保屋野)掲題イタリア映画観ました。久しぶりの洋画鑑賞でした。ソフィア・ローレンとマストロヤンニ主演の(三話)オムニバス映画です。内容等は飯田さんの(完璧な)コメントに付け加えることはありません。
三話とも「強い女」に翻弄される「弱い男」をコメディータッチに描いた作品で、感動はしないが、そこそこ面白いエーガでした。そして、やはり、上記イタリアを代表する男女俳優(特にロ-レン)の魅力は見応えありました。
(安田)フェリーニ、
(’飯田)監督のヴィトリオ・デ・シーカは「武器よさらば」他にも出演し、アカデミー助演賞候補にノミネートされていますね。端正な顔で俳優としても通用する気がします。もう一人、監督であり俳優としても出演作が多かったのは監督ジョン・ヒューストンですね。監督として「アフリカの女王」「赤い風車」「白鯨」などの名作を演出する一方で俳優としても、「枢機卿」でアカデミー助演賞にノミネートされ、「天地創造」(1966年)ではノアの箱舟のシーンで延々と説教するシーンが印象に残っています。「007/カジノ・ロワイヤル」にも出演しています。彼の場合は、どちらかというと一癖ある顔つきなので役柄が広い気がしますが・・・。
(編集子)自分で出てきた監督、なら、必ず冒頭に現れたヒッチコックのことを思い出す。”禁じられた遊び” 以降、テーマが深刻な欧州映画は見ないことにしているが、”自転車泥棒” は記憶にある。エーガと直接関係ない話だが、愛読書のひとつ、北方謙三の ”ブラディドール” シリーズで、”ひまわり” のことがフィーチュアされている作品がある。なんとなく引用されている雰囲気にマッチしてる、と思ったことはあるが、エーガそのものは見ていない。
急遽思い立って、日帰りで「浜松花博」へ行ってきました。~品川→浜松は自宅→品川より(時間的に)近いのにビックリ。
品川発8:10→浜松着9:27→(バス50分)浜松フラワーパーク(2時間滞在)→(バス30分)浜名湖ガーデンパーク(2時間滞在)→(バス15分)舞阪駅→(電車2駅)浜松(4000円のうな重を食べて)浜松発17:17→ 品川着18:35
20年ぶりの浜松花博でしたが、丁度藤が見頃で、春の花満載の「2万歩の目の保養旅」でした。
*3枚目の写真は、ガーデンパークのデイジー(後ろに「ネモフィラ」)が写っていますが、ある歌を思い出しました。森山良子の「遠い遠いあの野原」~デイジーやパンジー咲いていたあの野原、という歌詞が印象的でした。聴いたことがあると思いますが、ぜひユーチューブでお聴きください。
なお、花博は6月16日まで開催しています。お暇な方はぜひ。(ガーデンパークから浜松駅行のバスは80分もかかるので、上記「舞阪駅」経由が便利です。)
*1枚目、2枚目の写真はフラワーパークです。
(「浜名湖花博2024」の期間を6月16日までとお知らせしましたが、これは「はままつフラワーパーク」の会場だけで「浜名湖ガーデンパーク」会場の方は6月2日まででした。もし行かれる場合は注意してください。 *浜松花博→浜名湖花博でした)。
日本に恋した6ヵ国語(母語・伊語の他、日・英・西・独・葡)
著書のタイトル「イタリア女性が沼った ジワる 日本語」は僕も本を手にして、「なんだ?
一昨日、昨日と東京へ行く用事があったので、往復の新幹線と余暇の時間に読みました。本の内容は安田さんが充分紹介されている通りです。
私は著者の年齢や国籍やこれまでの略歴を事前に知ることなく、唯々読み進みましたが、読む前は日本語の表現の多彩さや美しさを、日本での実体験を通して賛美しているのかと勝手に想像していましたが、実際にはその部分もありますが、一体この人は誰れ、どんな経歴の人?と途中から興味が沸いてくる内容でした。オーストラリアのシドニー生まれで、どうやらイタリアの片田舎に両親と住んでいた家族で妹と兄がいる、自分は南米コロンビアに留学していたと思えば、5~6歳の時に家族でインド旅行をしている。イギリスのケンブリッジ大学カレッジで難関の日本語のコースに通り、日本に来て、上智大学に一時席を置いたと思っていたら、東京は高円寺の上げ下げ出来る雪見障子のある古民家を借りて住んでいると思えば、鹿児島-福岡-大阪-京都-名古屋-岐阜-石徹白-福井-金沢-横浜-東京とヒッチハイクとカプセルホテル等で旅をする、鹿児島の小値賀島のイルカゲストハウスが気に入って、少々長く滞在した記述があれば、北海道に旅行に行っている、初めて母親を日本に呼んで大阪の街中の銭湯へ何の説明も無しに連れて行き日本の大衆浴場を経験させたり日本の脱毛サロンの経験をして驚いたことや髪を丸坊主にしたりと、まあ、びっくりする行動力と感性の豊かさが溢れていると思いました。
読了後に著作の日付を見ると2024年4月1日(出版は2024年5月5日)と今月だったことに改めて驚きました。著者は “顔が小さいが顔は広いそして鼻が高い27歳のお嬢さんだ“ ということが分かりました。旅行記でもない、イタリア人か見た日本語でもない、ジャンルの分らない著作ですがまあ凄い人が居るものだ、過去には沢山のバイトを経験しているし、日本ではあまり気の進まない英語の先生やテレビ・カメラマンのアシスタントを経験したりで、これからどんな人生経験を送るのかと好奇心をくすぐるには充分の読み易い本でした。
アメリカに住んでいる私の娘と孫娘に送るかもと思って、事前に概略紹介した時に
娘からは≪昔読んだ日本人の知らない日本語、とかダーリンは外国人、とか面白かったのを思い出しました≫と言ってきたので、さて送ろうかどうしようかと迷いながら多分送ります。
先日飯田さんから喜劇物にお目にかかれないとの嘆き節が聞かれたが、それを若干とも補う西部劇が放映されたのでご紹介。
バート・ケネディ監督、ジェームス・ガーナー主演「地平線に立つ
渓谷を走る蒸気機関車が鉱山の町パーガトリーに着くとラティゴ・
ザー)から逃げるように下車する。其処は顔役のバートン(ハリー
ラティゴは、吞兵衛のジャ
短気でアバズレな性格。また
(飯田)私も「地平線から来た男」を初見でみました。ご紹介頂いた「地平線に立つ男」「夕陽に立つ保安官」などは観て
ところで、ガンマンスイフティ役のチャック・コナーズですが
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そのウイキペディア解説:『地平線から来た男』(Support Your Local Gunfighter、もしくはLatigo)は、1971年に公開されたアメリカ合衆国の映画。映画『用心棒』とそのリメイク『荒野の用心棒』をパロディ化し、コメディとして描いた作品。監督はバート・ケネディ。出演はジェームズ・ガーナーなど。多くのスタッフやキャストが共通する映画『夕陽に立つ保安官』の姉妹編と呼べる作品である。
(大学クラスメート 飯田武昭)
映画に名作は多いですが、その殆どは悲劇物、恋愛物、西部劇などであり、喜劇物は世の東西を問わず中々お目に掛かることが出来ないのであり、近年は特に喜劇物の作品は乏しいです。
抱腹絶倒、呵々大笑と言った大笑いを表す日本語の表現がありますが、凡そこの表現に当たる場面は旧交を温める懇親会での雑談中くらいで、映画やライブの舞台などでは、最早ほど遠い社会になったのかと思うことが少なくないです。すっと以前にはチャップリンは別格としてもアボット・コステロ、バスター・キートン、ボブ・ホープなどが近い存在だったと思うのですが・・・。
ミュージカル映画が好きな数人の「エーガ愛好会」の方々が居られますが「雨に唄えば」「オクラホマ」「ウエストサイド物語」「掠奪された七人の花嫁」などダンスシーンの優れた作品は中々望めない時代になっていて、バレエの演技はそれらを補って余りあるものと、近年は好んでバレエ公演を観ています。GW期間は人出も多いし、自宅に蟄居することを決め込んでの雑感です。
(HPOB 小田篤子)蟄居はじめですけど、録画しておいた2つの野球映画を観ました。
(脚注)野球選手が2度も銃撃されることなどあり得ないとは思うのですが