”日本旅行” をしてきました!  (在パリ 平井愛子)

3月20日から約1か月間日本へフランス人グル-プのツア-のガイドで行っておりました。出かける前は何せ、九州と西日本各地を回る旅で、私も行った事がない所を案内しなければならず、出かける前はその下準備、さらに1週間の下見を経て、3月27日に15名を福岡空港で受け入れ、28日からは大宰府に始まって、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、次いで広島、宮島、姫路、京都、奈良、妻籠、馬籠、高山、白川郷、金沢 東京、さらにオプションで富士山麓と19日間の旅をしておりまして、まあ、彼らはそれなりの年齢の方々ですが、タフですね。一番タフだったのが、80歳を超えていると思われるおばあちゃまで、毎日面白い事を見つけて面白い事を言うのです。

長い旅で、果たして最後までやり切れるかしら?と毎日が乗り切っていくのに挑戦という感じでした。結構準備したつもりだったのですが、地理や地質の知識まで必要な旅で、プログラムが時間的に無理があると気づいたら、変更などその場で判断しなければならず、まあスリル満点の旅でしたが、振り返ってみると意外に楽しんだ旅でもありました。日本の美しい自然に驚かされました。

九州というのは何か特別なエネルギ-のある場所ですね。フランス人たちからは、天皇と将軍のどちらが強いのか、天皇の今のポジションは?神道は哲学なのか?厳島神社は廊下ばかりでどこにつながるのかと思ったら出口にでた(笑)、日本の城は表は兎も角、中は鉄筋コンクリートでガッカリ(島原城)、これは姫路城の美しさと城郭建築の高度な技術を見て、やっと皆納得しました。忍野八海は全く面白くない(それで直ぐに山中湖に移動して、ドライバ-に頼んで富士山が最高に堂々と見えるところへ連れて行ってもらいましたので、皆納得)、地方の武家屋敷は大したことはない、兼六園は素晴らしい、等々、まあ色んな反応がありました。新幹線には皆結構興奮していました。でも色んな事をディスカッションして、面白かったですよ。

フランス人を纏めることは不可能ですから、説明などはバスの中や、見学の初めにして、集合場所だけ明確にして、自由行動にしました。それぞれリズムも違うし、必要なところはイヤ-フォ-ンを駆使して話しました。日本の失業率は?という質問に直ぐにインターネットで調べて2,6%だと答えると、マクロンを日本へ来させて日本のシステムをもっと学ばせたほうが良い などと声が上がりました。皆色んな所を見ながら意外なところを観察しているなあとも思いました。でも怪我人も病人も出ず、皆タフで大体上機嫌で非常に助かりました。

これは広島へ新幹線で着いて、その足で行ったお好み焼き屋です。駅前ビルの6階だかにある屋台が並んでいる一角です。皆神妙に無愛想この上ない突っ張り?姉さんのスペクタクルな焼き方を見つめています。美味しかったのですが、評判は今いちでした。と言うのは長年の使用で天井、柱、床など、油が染み込んでいる環境は、掃除は行き届いていても、ちょっとスノッブなフランス人には、ビックリなのです。後でちょっと普段から難しいある男性が、お腹の調子が悪いのは、あのキャベツのせいだ、と言ってきたのは驚きでした。まあそうなの❗でも他の人は大丈夫よ。と大げさに驚いて一笑に伏しました。

(河瀬)今年は桜の満開が遅れたのが何よりでしたね。評判のいい、良くない観光地は私もその通りだと思いますので、客はよく見ていますね!新幹線はフランスにもありますので、その時間の正確さに興奮したのでしょうか?

神道と天皇、将軍などの関係をそれぞれ考えの異なるフランス人に説明するのは難しかったでしょうね。九州の特徴の一つに広大な温泉旅館がいたるところにありますが、「温泉旅館」には泊まりませんでしたか?
失業率が低い、というのはフランスよりも良かった点なのですね。国民医療保険がそれを支えているのですが、次回どうやってそれらを日本は支えていられるのか?という点を説明するのは難しいですので、次回日本に再訪された時でしょうね。お年寄りがお元気、というのは何よりでしたね。とにかくお疲れ様でした。

(安田)愛子さん引率のフランス人グループの日本旅行に因み、外国人訪問客数受け入れ国別ランキング表を下記貼付します。コロナ禍直前の2019年代国連統計です。第1位のフランスが9千万人近く。日本は3千万強です。今年3月はコロナ禍前の数字を上回って3百万人を超えたそうです。近いうちに4千万人に達するのではないでしょうか。人気のあるヴェニス、フィレンツエ、京都などはオーバーツーリズムの弊害なども指摘されています。

 

人口問題を考える     (普通部OB 船津於菟彦)

5月5日はこどもの日。こどもの日が法律で定められた祝日であるのに対し、端午の節句は伝統行事であることが、大きな違いです。
端午の節句の起源は、2300年前の中国です。もともと5月5日は陰謀により国から追放された屈源という人物を供養する祭りの日でしたが、徐々に病気や災厄を祓う行事へ移り変わります。そして、奈良時代に無病息災を願う行事として中国から日本に端午の節句が伝わりました。端午の節句が男の子の成長を祝う日となるのは、江戸時代に入ってからです。端午の節句に関わる「菖蒲」と、武を重んじることを意味する「尚武」をかけて、端午の節句は武家の跡取りとなる男の子の成長を祈る行事となりました。
鯉のぼりは、江戸時代の武士が玄関に飾っていた幟や旗指物が由来です。その後、滝を上った鯉は竜になるという中国の登竜門伝説にちなみ、「川の流れに逆らって上昇する鯉のようにたくましい子に育ってほしい」という願いを込めて、武士以外の町人も鯉のぼりを揚げるようになったという言い伝えがあります。

世界では11月20日の「世界子どもの日」は、1954年、世界の子どもたちの相互理解と福祉の向上を目的として、国連によって制定されました。子どもの権利条約は、子ども(18歳未満の人)が守られる対象であるだけでなく、権利をもつ主体であることを明確にしました。子どもがおとなと同じように、ひとりの人間としてもつ様々な権利を認めるとともに、成長の過程にあって保護や配慮が必要な、子どもならではの権利も定めています。
生きる権利や成長する権利、暴力から守られる権利、教育を受ける権利、遊ぶ権利、参加する権利など、世界のどこで生まれても子どもたちがもっている様々な権利が定められた、この条約が採択されてから、世界中で、多くの子どもたちの状況の改善につながってきました。

児童憲章
児童は、 人として尊ばれる。
児童は 社会の一員として重んぜられる。 児童は よい環境のなかで育てられる。
しかし、児童の生活権や学習権の保障、児童の心身の保護などについて定めているが、法的拘束力はない。 

ユニセフ協会によると推定4,500万人の5歳未満児が消耗症(最も命を落とす危険性が高い栄養不良の形態)に陥っており、子どもの死亡リスクを最大12倍まで高めている。さらに、1億4,900万人の5歳未満児が、食事に含まれる必須栄養素が慢性的に不足していることが原因で、発育阻害に陥っている。一方で、3,900万人が過体重であることもわかっている。戦乱・貧困は先ず子供の悲劇に。

しかし、日本の家庭では以前は子供が4人から6人程度居るのが当たり前でしたが今や一人っ子が多くなり、人口が低下している。これは中国とか他の国のように國が政策で決めたわけでも無く、出生率が大幅に減少している。

婚姻件数は、第 1 次ベビーブーム世代が 25 歳前後の年齢を迎えた 1970 年から 1974 年にかけて年間100 万組を超え、婚姻率(人口千人当たりの婚姻件数)も概ね 10.0 以上であった。その後は、婚姻件数、 婚姻率ともに低下傾向となり、1978 年以降 2010 年まで、婚姻件数はおおよそ年間 70 万組台で増減を 繰り返しながら推移してきたが、2011 年以降、年間 60 万組台で低下を続け、2018 年に初めて 60 万組 台を割り込んだ。2021 年は 50 万 1,138 組と過去最低を更新した。婚姻率も 4.1 で過去最低となり、1970 年代前半と比べると半分程度の水準となっている。

我が国の年間の出生数は、第 1 次ベビーブーム期には約 270 万人、第 2 次ベビーブーム期の 1973 年には約 210 万人であったが、1975 年に 200 万人を割り込み、それ以降、毎年減少し続けた。1984 年に は 150 万人を割り込み、1991 年以降は増加と減少を繰り返しながら、緩やかな減少傾向となっている。 2021 年の出生数は、81 万 1,622 人となった。

合計特殊出生率は、第 1 次ベビーブーム期には 4.3 を超えていたが、1950 年以降急激に低下した。 その後、第 2 次ベビーブーム期を含め、ほぼ 2.1 台で推移していたが、1975 年に 2.0 を下回ってから再 び低下傾向となった。1989 年にはそれまで最低であった 1966 年(丙午:ひのえうま)の 1.58 を下回 る 1.57 を記録し、さらに、2005 年には過去最低である 1.26 まで落ち込んだ。その後、2015 年には 1.45 まで上昇したものの、2021 年は 1.30 となった。2023年の合計特殊出生率は、1.20程度になる見通し。

我が国の人口は、江戸時代末期には3,400万人程度であったと推定されているが、明治7年(1874年)に3,500万人に達し、明治45年(1912年)には、5,000万人を超えた。昭和11年(1936年)には7,000万人を超えたが、その後戦争による死亡や軍人・軍属等の海外流出とそれに伴う出生率の低下によって、人口増加率は大幅に低下し、昭和20年(1945年)には、人口減少を記録した。
戦後は、海外からの引揚げとそれに伴う第1次ベビーブームによる出生率の上昇によって、昭和20年(1945年)から昭和24年(1949年)までの間に人口は年平均3.2%で急激に増加し、昭和25年(1950年)には8,400万人に達した。その後、昭和42年(1967年)に1億人を突破したが、この間の増加率は年率1%程度で安定的に推移し、昭和46年(1971年)から49年(1974年)の第2次ベビーブーム期において、年率1.4%程度の高い増加を見せた。その後、増加率は低下を続け、近年は年率0.2%程度にまで低下している。

平成14年(2002年)の総務省の人口推計では、我が国の人口は、1億2,740万人。世界の総人口は約78億7500万人とされるが、正確な統計がない国もあるので、本当はもっと多いのではないかとも言われている。日本の人口は2021年では世界で第11位だが、これから日本の人口は減っていくのに対してアジアやアフリカの国々の人口が増えていく(現在は中国が世界で1番人口の多い国だがインドが中国を抜いて第1位になると予想されている)。

https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001093650.pdf

日本全体の将来推計人口が国立社会保障・人口問題研究所から2023年4月に発表された。それによると、日本では今後人口減少が加速し、2070年までに東京圏以上の大規模な人口が失われる。
さらに、今後の人口動向が超長期に続くなら、100年後の日本の人口は5,000万人を切り、アジア・アフリカの新興国だけでなく英国のような先進国も下回る。人口大国で経済大国という、現在の日本の国際社会での立ち位置は大きく揺さぶられよう。この人口減少の主因は、生産年齢人口が2070年までに4割減少することにある。つまり、生産年齢人口の大幅減少こそ、人口減少が本格化する日本の今後の大きな課題である。

婚姻率の低下と出生率の低下はだだ経済的な理由だけでは無いと思うが、やはり核家族になり子供を育て難くなっているがそればかりでは無く出生率は何故か低下している。結果、このまま進と日本は僅かの時間で労働力が大場に減少して高齢者ばかりの世になっていく。

テレビ「ポッンと一軒」は興味深い。以前は沢山の集落だったのが今は一軒。老人が頑張って人生を謳歌しながら生活している。自給自足でも心豊かな生活化できるという感じのする番組だが、日本全体がそうなるのかなぁ。

子供の日にふと考える。人口減少問題はエネルギー問題・食糧不足問題等は自然解消するのかなぁ。そしてAIとかロボットが人に変わって仕事をしてくれるのかなぁ。未来に夢ありかなぁ。

 

乱読報告ファイル (57) 黒い瞳のブロンド

シャーロック・ホームズのシリーズには、後年、幾人かの作家によって続編が書かれ、翻訳も出版されていて、質的にも評価されている。HBの古典(であると勝手に小生が思い込んでいるのだが)レイモンド・チャンドラーの 長いお別れには、現代アメリカンミステリの代表的作家 ロバート・パーカーの プードル・スプリングス物語 という作品があり、ほかにも短編は数多く書かれている。続編ものの代表作ともいえる プードルスプリングス物語は、原作でほのめかされていた話が現実化した形をとって主人公マーロウがリンダ・ローリングと結婚してから、物質的には恵まれるのだがそれにあきたらず、また私立探偵稼業をはじめる、という筋で、主人公以外には原作とのつながりはあまりない。パーカーの場合は彼自身がつくりだしたスペンサーという主人公のイメージが読者の間に浸透しすぎているので、この作品をストレートにチャンドラーの続編ととらえるにはどうしても違和感があるように思える。

(ウイキペディア解説)

プードル・スプリングス物語』(Poodle Springs)は、アメリカの作家レイモンド・チャンドラーの未完の遺稿をロバート・B・パーカーが完成させたハードボイルド小説。1989年に刊行された。私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第8作となる。長いお別れ』で出会った富豪の娘リンダ・ローリングと結婚し、プードル・スプリングスの豪邸に住むことになったフィリップ・マーロウ。だが、妻の金で暮らすことを潔しとしないマーロウは町はずれに探偵事務所を開いた。最初の依頼人は、借金を返さない男を捜してほしいというカジノ経営者だったが、一見単純な依頼はやがて殺人事件へと発展する。

これに対して、今回、またまた例によって立ち読み中に発見して買ってきたベンジャミン・ブラック(浅学にして小生は知らないのだが、英国ブッカー賞作家、ジョン・バンヴィルがミステリ執筆時だけに使うペンネームだそうだ)の作品は、マーロウはもちろん、チャンドラー作品に登場するおなじみの脇役がしっかり出てくる。終盤近くにギャングがつけ狙う(何かが―ま、麻薬だろうと想像は出来るのだが―が入っている)スーツケースの外観が、”お別れ” でテリー・レノックスがマーロウにあづけていた ”英国製の豚皮の素晴らしいスーツケース” と分かるので、ははーん、と膝を打つとラストにはそのレノックス本人が登場する。”長い別れ” をしたはずのテリーのほか、グリーン警部やバー二イ・オールズ検事も出てくるし背景に暗躍するギャング筋も同じ名前が出てくる。そういう意味で、変な言い方だが、続編らしい続編、と言える仕上がりになっている。

面白いことはときどきつづけて起きる。この本は、書棚に並んでいる本のカバーに チャンドラー という文句があったので見つけたのだが、その時、無意識に目の端に入った本にも、そのカバーに チャンドラー という文字があるではないか。こちらは全く知らない著者のものだが、(チャンドラーをしのぐ傑作!)というような刷り込みだったことがわかり、いつもの衝動買いの癖で買ってしまった。この本はこの後の話になる。

同じ続編でも、プードルのほうはパーカーが宣言して書いた、となるとそれなりに身構えて読んだのだが、この黒い瞳、のほうは、エーガの話で考えてみると、ジョン・フォードの西部劇の名作(これも小生の思い込みなので勘弁してほしいのだが)騎兵隊三部作、がウエインだけの魅力ではなく、毎回登場する脇役陣に感じる親近感で支えられているのと同じような親近感を覚えながらあっさり読んでしまった。ミステリーである以上、筋書きを描くわけにはいかないが、推理小説としての質、というか出来栄え、については評価は分かれるかもしれないが。

エーガ愛好会 (266)昨日 今日 明日  (大学クラスメート 飯田武昭)

この映画、≪ナポリのアデリーナ≫≪ミラノのアンナ≫≪ローマのマーラ≫というそれぞれ独立の話を1本の映画に収めたもので、この当時に流行ったオムニバス映画(数人の監督の製作した別々の物語を1本の映画に収める)と似た構成でした。主演はソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニというイタリアを代表する2大スターですが、監督がヴィットリオ・デ・シーカという点で注目されます。

監督デ・シーカは、映画「」の他10本ほどの名作・注目作を作ったフェデリコ・フェリーニ監督ほどにはイタリアの監督としては注目されていないかも知れませんが、日本の映画ファン史では「靴みがき」(1946年)、「自転車泥棒」(1948年)、「終着駅」(1953年)、「昨日 今日 明日」(1963年)、「ああ結婚」(1964年)、「ひまわり」(1970年)と、それぞれの時代に強烈な印象を与えて来た監督と思います。「自転車泥棒」はエーガ愛好会では評価しない人も居たと思いますが、「ひまわり」は同じ主演のソフィア・ローレンとマストロヤンニで大いなる悲劇で、殆どの人が名作と認める映画だと思います。「終着駅」はモンゴメリー・クリフトとジェニファー・ジョーンズのローマ中央駅(テルミニ)での密会の恋愛物ですが、大きなスクリーンの暗い劇場で観るのと、今日のお茶の間やリビングで観るのとは違った印象があると思いますが、初めてローマを訪れた時にどうしても「終着駅」の舞台になったテルミニをこの目で見たいと思って時間を割いて歩き回ったものです。

「昨日 今日 明日」はイタリア人気質を少し誇張して、更に滑稽に脚本が作られていると思いますが、少し前に書いたように喜劇の製作は中々難しいもので、この作品はくすくす笑いではありますが、上手く出来ている作品と思います。又、製作者がカルロ・ポンティというソフィア・ローレンと結婚した巨匠で、この映画は愛妻を自由自在に演技させている感じが出ていて、ソフィア・ローレンの代表作の1本(勿論マルチェロ・マストロヤンニの代表作の1本でもありますが)でもあると思います。

(保屋野)掲題イタリア映画観ました。久しぶりの洋画鑑賞でした。ソフィア・ローレンとマストロヤンニ主演の(三話)オムニバス映画です。内容等は飯田さんの(完璧な)コメントに付け加えることはありません。

三話とも「強い女」に翻弄される「弱い男」をコメディータッチに描いた作品で、感動はしないが、そこそこ面白いエーガでした。そして、やはり、上記イタリアを代表する男女俳優(特にロ-レン)の魅力は見応えありました。

(安田)フェリーニ、ヴィスコンティを加えて、ヴィットリオ・デ・シーカはイタリア三大映画監督の一人として名を連ねるのでしょうか?既観は「自転車泥棒」、「ボッカチオ‘70」(4遍の艶笑コネディ・オムニバス映画、フェリーニ・ヴィスコンティも参加監督。デ・シーカ編にはローレン主演)、更に「終着駅」、「ひまわり」を相当昔に観ました。やはり「ひまわり」が名曲主題歌と共に忘れ難い。これもローレン、マストロヤンニ共演。今は戦場になっているウクライナのひまわり畑の映像が強烈でした。ゲーリー・クーパー主演の1932年映画「戦場よさらば」(ヘミングウェイ原作小説)のリメイク版映画「武器よさらば」(ロック・ハドソン、ジェニファー・ーンズ共演)1957年公開にデ・シーカはイタリア人軍医役で出演。監督だけだと思っていたので驚いた記憶がある。調べると、監督と俳優の二刀流でしたね。

(’飯田)監督のヴィトリオ・デ・シーカは「武器よさらば」他にも出演し、アカデミー助演賞候補にノミネートされていますね。端正な顔で俳優としても通用する気がします。もう一人、監督であり俳優としても出演作が多かったのは監督ジョン・ヒューストンですね。監督として「アフリカの女王」「赤い風車」「白鯨」などの名作を演出する一方で俳優としても、「枢機卿」でアカデミー助演賞にノミネートされ、「天地創造」(1966年)ではノアの箱舟のシーンで延々と説教するシーンが印象に残っています。「007/カジノ・ロワイヤル」にも出演しています。彼の場合は、どちらかというと一癖ある顔つきなので役柄が広い気がしますが・・・。

(編集子)自分で出てきた監督、なら、必ず冒頭に現れたヒッチコックのことを思い出す。”禁じられた遊び” 以降、テーマが深刻な欧州映画は見ないことにしているが、”自転車泥棒” は記憶にある。エーガと直接関係ない話だが、愛読書のひとつ、北方謙三の ”ブラディドール” シリーズで、”ひまわり” のことがフィーチュアされている作品がある。なんとなく引用されている雰囲気にマッチしてる、と思ったことはあるが、エーガそのものは見ていない。

 

 

 

浜松花博 へ行ってきました (42 保屋野伸)

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急遽思い立って、日帰りで「浜松花博」へ行ってきました。~品川→浜松は自宅→品川より(時間的に)近いのにビックリ。

品川発8:10→浜松着9:27→(バス50分)浜松フラワーパーク(2時間滞在)→(バス30分)浜名湖ガーデンパーク(2時間滞在)→(バス15分)舞阪駅→(電車2駅)浜松(4000円のうな重を食べて)浜松発17:17→ 品川着18:35

20年ぶりの浜松花博でしたが、丁度藤が見頃で、春の花満載の「2万歩の目の保養旅」でした。

*3枚目の写真は、ガーデンパークのデイジー(後ろに「ネモフィラ」)が写っていますが、ある歌を思い出しました。森山良子の「遠い遠いあの野原」~デイジーやパンジー咲いていたあの野原、という歌詞が印象的でした。聴いたことがあると思いますが、ぜひユーチューブでお聴きください。

なお、花博は6月16日まで開催しています。お暇な方はぜひ。(ガーデンパークから浜松駅行のバスは80分もかかるので、上記「舞阪駅」経由が便利です。)

*1枚目、2枚目の写真はフラワーパークです。

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(「浜名湖花博2024」の期間を6月16日までとお知らせしましたが、これは「はままつフラワーパーク」の会場だけで「浜名湖ガーデンパーク」会場の方は6月2日まででした。もし行かれる場合は注意してください。  *浜松花博→浜名湖花博でした)。

石楠花が咲いた ー 八ヶ岳南麓の初夏

小淵沢のセカンドハウスへやってきた。庭に石楠花が咲いていた。10年くらい前に、隣家のEさんにすすめられてなんとなく植えて、そのままあまり見向きもしなかったのだが。

山道でみた石楠花は何年前になるだろうか、たぶん、三国峠から平標へと何人かでのんびり歩いていたときだった。観光客対策だとは聞いたが木道で囲まれてしまった今の平標にはなんの思いも感じないけれど。

(グリンビラ総合管理HP より転載)会社周辺の桜は葉桜となりました。新緑も始まりいい季節です。

乱読報告ファイル (56) イタリア女性が沼ったジワる日本語 (44 安田耕太郎)

日本に恋した6ヵ国語(母語・伊語の他、日・英・西・独・葡)を操るイタリア北部の小さな町トレント出身のイタリア人女性が溢れる好奇心で拾い集めた日本語たちと、日本・イタリア・イギリス道中膝栗毛の27歳の地図が、彼女の処女作著書「イタリア女性が沼ったジワる日本語」だ。日本語・日本人・日本を語る文化論としても読める。発行出版社: 亜紀書房。オンラインでも購入可。定価: 1700円+税。

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偶然遭遇した彼女(Tessa Rizzoli ー ニックネームはテシ、漢字表記は輝織)のYouTubeに興味を抱き、YouTubeを徘徊していたら、今月発行された著書に巡りあった。ケンブリッジ大学アジア・中東学部日本学科卒(4年間在籍)、学業途中一年間カリキュラムの一環として日本に留学(上智大学)、2020年4年生の時、英国で開かれた日本語弁論大会で優勝。日本語能力試験N1取得。N1は、日本語非母語話者としては最高レベルの日本語力を証明する。現在、日本外務省から発行された「未来創造人材ビザ」で再来日、2023年より東京都内(高円寺)の古民家に暮らす。
彼女曰く、日本語に魅せられたのは、オノマトペ(onomatopeia:擬音語と擬態語の総称)で、欧米言語には無い多種多様な表現だった。例えば、雨が降る際に使う、しとしと、ごーごー、ザーザー、ぽつぽつ、ぱらぱら、どしゃどしゃ、ぴちゃぴちゃ、など。更に、一人称の私(英語の”I”, 伊語の”io” のみ)は日本語では、私・あたし・うち・俺・僕・おのれ・自分・わし・拙者・吾輩・それがし(某)・小生・小職・あっし・身ども・わらわ(妾)・まろ(魔)、など驚くべき数の異なる表現がある。言語としての興味が尽きない。アルファベット文字を使いラテン語に源を持つ他のヨーロッパ言語とは全く異なる日本語をマスターする能力には魂消るばかりだ。
ケンブリッジ大学で卒論一位を取った好奇心と頭脳が見つけた、日本語・日本人・日本文化に触れながら旅を続けてきた現在進行形の滞在記録だ。
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著書のタイトル「イタリア女性が沼った ジワる 日本語」は僕も本を手にして、「なんだ?一体この本のタイトルは・・・」と 直ぐには理解(解明と云った方が正しいか)出来ず、少しく調べてみました。鍵になる言葉は「沼った」と「ジワる」の2つの言葉でしょう。最近、若者の間で使われ出した表現だと判明。言語は時と共に変遷していく事実を思い知らされました。

「沼った」は原形動詞「沼る」の過去形あるいは過去分詞形。それでは「沼る」の意味は?何かにハマってしまい、いつの間にか夢中になっている状態を指す。沼で脚を取られニッチモサッチモ行かない状態を沼るとも云うらしい。「沼る。港区女子高生」という題名のテレビドラマすら一年前日本テレビで放映されたそうです。全く知りませんでした。
「ジワる」はジワジワくるの短縮形で、次第に感情がこみ上げてくる様子を指す。例文として、「この犬、見れば見るほど、ジワるなあ」、「あのネタ、なんとなくジワるんだよなあ」。
「昭和は遠くになりにけり」と思わず感傷に耽りました。付いていけないです。20代の外国女子に先を行かれています。
著者のイタリア女子がハマってしまい、ジワジワとその虜になった日本語、という意味ですね。彼女のその経験、感情、思考を縷々著書に書き綴っています。日本人と違う文化土壌の視点と感性から物事を観察し、捉えて、分析し、思考し、表現するので、「おーっとー」と思わせられる、なかなか面白い表現に随所で出くわしました。
(飯田)安田さんの紹介された標記の著書を買い求めてあったのを、

一昨日、昨日と東京へ行く用事があったので、往復の新幹線と余暇の時間に読みました。本の内容は安田さんが充分紹介されている通りです。

私は著者の年齢や国籍やこれまでの略歴を事前に知ることなく、唯々読み進みましたが、読む前は日本語の表現の多彩さや美しさを、日本での実体験を通して賛美しているのかと勝手に想像していましたが、実際にはその部分もありますが、一体この人は誰れ、どんな経歴の人?と途中から興味が沸いてくる内容でした。オーストラリアのシドニー生まれで、どうやらイタリアの片田舎に両親と住んでいた家族で妹と兄がいる、自分は南米コロンビアに留学していたと思えば、5~6歳の時に家族でインド旅行をしている。イギリスのケンブリッジ大学カレッジで難関の日本語のコースに通り、日本に来て、上智大学に一時席を置いたと思っていたら、東京は高円寺の上げ下げ出来る雪見障子のある古民家を借りて住んでいると思えば、鹿児島-福岡-大阪-京都-名古屋-岐阜-石徹白-福井-金沢-横浜-東京とヒッチハイクとカプセルホテル等で旅をする、鹿児島の小値賀島のイルカゲストハウスが気に入って、少々長く滞在した記述があれば、北海道に旅行に行っている、初めて母親を日本に呼んで大阪の街中の銭湯へ何の説明も無しに連れて行き日本の大衆浴場を経験させたり日本の脱毛サロンの経験をして驚いたことや髪を丸坊主にしたりと、まあ、びっくりする行動力と感性の豊かさが溢れていると思いました。

読了後に著作の日付を見ると2024年4月1日(出版は2024年5月5日)と今月だったことに改めて驚きました。著者は “顔が小さいが顔は広いそして鼻が高い27歳のお嬢さんだ“ ということが分かりました。旅行記でもない、イタリア人か見た日本語でもない、ジャンルの分らない著作ですがまあ凄い人が居るものだ、過去には沢山のバイトを経験しているし、日本ではあまり気の進まない英語の先生やテレビ・カメラマンのアシスタントを経験したりで、これからどんな人生経験を送るのかと好奇心をくすぐるには充分の読み易い本でした。

アメリカに住んでいる私の娘と孫娘に送るかもと思って、事前に概略紹介した時に

娘からは≪昔読んだ日本人の知らない日本語、とかダーリンは外国人、とか面白かったのを思い出しました≫と言ってきたので、さて送ろうかどうしようかと迷いながら多分送ります。

エーガ愛好会 (265) 地平線から来た男  (34 小泉幾多郎)

先日飯田さんから喜劇物にお目にかかれないとの嘆き節が聞かれたが、それを若干とも補う西部劇が放映されたのでご紹介。

バート・ケネディ監督、ジェームス・ガーナー主演「地平線に立つ男 Latigo 1971」、同メンバーで5月10日「夕陽に立つ保安官 Support Your Local Sheriff! 1969」も放映予定。過去の喜劇調とは、やや異なったギャグや楽屋落ちで面白さを狙っているので、過去の作品等を知らないと笑えないかもしれない。主演のジェームス・ガーナーは、1957年にTV放映された「マーヴェリック」からアクション、コメディ両面で器用なところを見せてきたが、今回もタフなカウボーイから逸脱した風変わりなペテン師的役柄を器用にこなしている。「マーヴェリック」でルーレットを見ると有り金を発作的に全部を賭けてしまうパロディもある。

渓谷を走る蒸気機関車が鉱山の町パーガトリーに着くとラティゴ・スミス(ジェームス・ガーナー)は酔った勢いで婚約したゴールディ姐御(マリー・ウイン
ザー)から逃げるように下車する。其処は顔役のバートン(ハリー・モーガン)一派ともう一方の顔役エームズ大佐(ジョン・デナー)一派という鉱山主同志の争いが渦を巻くという「用心棒」とそのリメイク「荒野の用心棒」をパロディ化しコメディとして描いている。

ラティゴは、吞兵衛のジャグ・メイ(ジャック・イーラム)を有名なガンマン、スイフティ(チャック・コナーズ)に仕立てて両勢力に売り込んだりして、両勢力を混乱させる。この混乱の中、バートンの娘ペイシェンス(スザンヌ・プレシェット)とラティゴの仲が進展していくが、ペイシェンス(忍耐)の名前が逆に

American actress Suzanne Pleshette (1937 – 2008), circa 1965.

短気でアバズレな性格。またバートンとエームズの妹アビゲイル(エレン・コーピー)との老いらくの恋が進展し鉱山問題解決。最後近く本当の名うてのガンマンたるスイフティ(チャック・コナーズ)が登場するが、帽子を脱ぐと禿げ上がっている。ユル・ブリンナーを意識していることは、バート・ケネディは「続荒野の七人」を監督していることから明白。最後展望車のジャグ・メイ曰く ”これからイタリアへ行きマカロニウエスタンの大スターになる”。

 

(飯田)私も「地平線から来た男」を初見でみました。ご紹介頂いた「地平線に立つ男」「夕陽に立つ保安官」などは観てませんが、今回の映画は面白くみられました。「恋愛専科」のスザンヌ・プレシェットがどんな役柄で出るのかも興味を持ってみましたが、おなご肌の役柄を見事にこなしていたように思います。

ところで、ガンマンスイフティ役のチャック・コナーズですが、テレビドラマ「ライフルマン」を良く見ていた家内が直ぐにチャック・コナーズを言い当てたのですが、映画の冒頭並びにエンヂングのキャスティングにチャック・コナーズの名前が見当たらないので、ウイッキペディアを見たら、やっぱり無いのが不思議でした。

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そのウイキペディア解説:『地平線から来た男』(Support Your Local Gunfighter、もしくはLatigo)は、1971年に公開されたアメリカ合衆国映画。映画『用心棒』とそのリメイク『荒野の用心棒』をパロディ化し、コメディとして描いた作品。監督はバート・ケネディ。出演はジェームズ・ガーナーなど。多くのスタッフやキャストが共通する映画『夕陽に立つ保安官』の姉妹編と呼べる作品である

残雪の苗場-春のワークキャンプヘ行ってきました (37 加藤清治)

春のWCに行って来ました。桜満開の浅貝でした。

暖冬で筍山も雪は少なく苗場スキー場も3月10日で営業を止めたそうです。

浅貝は商店も無く閑散としていました。バブルの残骸のタワーマンも殆ど灯も点いて無くいずれは朽ちて行くでしょう。この国の行く末を暗示しているようです。

コメディ映画のこと

(大学クラスメート 飯田武昭)

映画に名作は多いですが、その殆どは悲劇物、恋愛物、西部劇などであり、喜劇物は世の東西を問わず中々お目に掛かることが出来ないのであり、近年は特に喜劇物の作品は乏しいです。

抱腹絶倒、呵々大笑と言った大笑いを表す日本語の表現がありますが、凡そこの表現に当たる場面は旧交を温める懇親会での雑談中くらいで、映画やライブの舞台などでは、最早ほど遠い社会になったのかと思うことが少なくないです。すっと以前にはチャップリンは別格としてもアボット・コステロ、バスター・キートン、ボブ・ホープなどが近い存在だったと思うのですが・・・。

ミュージカル映画が好きな数人の「エーガ愛好会」の方々が居られますが「雨に唄えば」「オクラホマ」「ウエストサイド物語」「掠奪された七人の花嫁」などダンスシーンの優れた作品は中々望めない時代になっていて、バレエの演技はそれらを補って余りあるものと、近年は好んでバレエ公演を観ています。GW期間は人出も多いし、自宅に蟄居することを決め込んでの雑感です。

(HPOB 小田篤子)蟄居はじめですけど、録画しておいた2つの野球映画を観ました。

☆ナチュラル(’84)
ちょっと大谷さんを思い出させるストーリーです。
主人公のロイ少年は小さい頃から父親に野球を教え込まれますが、父親は急死。
19歳の時、シカゴ カブスの入団試験を受ける為汽車に乗りますが、綺麗な女性の誘惑に負け、撃たれてしまいます。
15年後、34歳のロイ(ロバート·レッドフォードがとても素敵です)は庭の雷に撃たれ折れた木で作った、《ワンダーボーイ》と名付けたバットを携え復帰。
ホームランを連打したり、子供達の人気者になりますが、又々仕組まれた女性の誘惑に負け、成績は落ち、腹部を撃たれて入院。無理を押して、結婚を約束していた幼馴染みと息子の見守る球場でホームランを打ち、祝福されますが…。

(脚注)野球選手が2度も銃撃されることなどあり得ないとは思うのですが

この物語では主人公のロイが、活躍するのをよく思わない敵チームのバックにいる大物が、魅力的な愛人である女性を使い、1度目と2度目は少し意味が違ってくるのですが、銃で撃つのです。
☆プリティ·リーグ(’92)
こちらは、オレゴンの畜産農家の美人野球姉妹。姉の方が顔、野球他全て上。
まあ良いか…を含めた3人はスカウトマンと1943年、汽車でシカゴに行き、入団テストを受けて合格。戦地に行った男性の代わりにチョコレートの会社が作った、全米プロ野球初代女性チームです。全米各地から集まった、経歴もダンサー、女優など様々な女性達、というのも男性チームと比べ面白いですね。
男性達のアイディアで、ユニホームは短いスカート、ファウルボールを取った人にはキスを…等もあり人気が出ます。子供を何時も連れまわらなければならなかったり、夫が戦死したり、戦地から帰って来た為家庭に戻ったり、結婚で辞めたりしていきます。
何十年か経ち、皆集まることになり、野球殿堂入りした自分達の写真を見て再会を喜び合います。トム·ハンクスが、後半からは皆を指導しますが、始めは品がなく、やる気もない嫌な監督を演じています。
楽しいコメディ映画でした。
(共に再放送でしょうか? 私は初めてですが)