
武相国境に魔の山あり 四たびKWVの挑戦をはばむと

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
L. 藤井 参加者 下井、武鑓、河合 計4名、8/20(月)スーパーあずさ19号にて新宿発、現地泊。
8/21 (火)
登山口6:50⇒8:30大沢小屋⇒14:05針ノ木小屋
実働時間:5:15 標高差:2536-1433=1103㍍ 歩程:5㌔
扇沢バスターミナルに向かって左側にある関電通路の左側の登山口に届けを出して出発。針ノ木自然歩道の樹林帯の中を歩く。途中4回も舗装道路を横切る。また沢も3本渡る緩やかな道で大沢小屋までは順調だった。途中、雨がぱらついたが、すぐに止んだ。しばらく行くと大きな沢に出て、簡易な橋を渡り右岸を登り、沢の中や高巻き道を行く。ノド部の手前で初めて雪渓を約20㍍横切って左岸に渡り、いきなり岩場になった所を3箇所の簡単な鎖の助けを借りてノド高巻きルートを行く。このあたりの雪渓はスノーブリッジが崩壊し、真ん中が崩れ落ちており、迫力のある眺めになっている。この通過には少し時間を要したが、雪渓の上部へ出た。
このあたりから雪渓にはいつもの霧が出て峠が見えない。2つの沢を越え、再び右岸に渡る。マヤクボ沢を右手に見て、レンゲ沢を越えると傾斜が急になり、ザレた登山道をジグザグに登ると雲が取れ、峠と小屋が見えた。30~40分で短い休憩を取りながら、バテバテ状態でやっとの思いで小屋に到着した。ビールで乾杯しながら、赤牛や水晶を見た。槍は夕食後に姿を見せた。
8/22(水)
針ノ木小屋6:10⇒7:40針ノ木岳8:00⇒9:30スバリ岳⇒12:40赤沢岳(昼食)13:00⇒14:50鳴沢岳⇒16:10新越山荘
実働時間:7:20 コースタイム:5:10 標高差:上285㍍
針ノ木岳⇒スバリ岳 歩程:900㍍、標高差:下155㍍、上:86㍍、
下りと上りに岩がゴロゴロして足場が悪く、慎重にならざるをえない。途中、小スベリというコブを通過したこともあったが、ここもまずまず。
スバリ岳⇒赤沢岳 歩程:1.5㌔、標高差:下292㍍ 上:218㍍
ここからが問題でコースタイムの倍もかかっている。距離があり、標高差も上下でそれぞれ200㍍以上、通過に2時間はかかりそうな上、赤沢岳の手前で岩を攀じ登る所があり、時間を要す。ピーク手前で小休止。堪えることが苦しくなりすぐ楽になりたがる。そろそろ山から卒業する時が近くなった実感を持った。
赤沢岳⇒鳴沢岳 歩程:1.3㌔、標高差:下132㍍、上95㍍
1:00のところ+0:50分。ここも倍近くかかっている。存外、距離があり、昼を過ぎ、バテがきていた上、ピークからすぐだと判断して小休止したら、地形を読み間違い、ピークまでにもう一本、小休止を入れてしまい時間がかかった。
鳴沢岳⇒新越山荘 歩程:1㌔、標高差:下176㍍
今日は絶好の天気、風もなく、気温も18℃前後で汗も多くはかかず、一日中、裏裏の山、特に立山、剣はすぐそこに寄り添って、大きく見えていた。こんな天候は経験がないと言っても良く、夏だというのに澄んでいたのも幸運だった。針ノ木への最初の上りはいきなりの急登で目覚めていない体にはきつかった。途中から山の右側を巻くようにのぼり、最後は尾根に取り付き、山頂にでた。ここからの眺めは富士山、八ケ岳、南ア、妙高、浅間、北信5岳、槍、穂高、表銀、水晶、黒部五郎。東側に薬師、立山三山、大日、剣。北には爺、鹿島槍、五竜、唐松、白馬三山、朝日、雪倉から日本海と360度の眺望が楽しめた。
このあたりの花はもう終わっていた。針ノ木からの下りは急な岩場の下りだが、慎重に下りれば道は良く整備されている。小さなアップダウンがあったり、ガレている所を通過したり、変化のあるルートになっている。スバリへはジグザグの道を少しやれば着く。ここからの下りを過ぎれば尾根の少し西側に道がついており、安曇野側からの風もまともに当たらないが、時々、尾根の上に出ると安曇野側が鋭角に切れ落ちているところがあり、風が強いと嫌な所が何箇所かあった。
小屋に着いてからビールで乾杯(2人しか飲まない)したが、銘柄を特定しているのに違う銘柄につい手を出してしまいう。会社への忠誠心はどこへ行った?遅くの到着で5時の夕食が早かった。小屋は針ノ木も一緒だが、水に苦労しており有料で、歯を磨くのは省略、トイレはきれいでいずれもバイオ式。明日は下りるだけ、くつろいで楽しくやっていたら、隣の若者から注意されてしまった。明日から天候が悪くなるためか、小屋は空いており、ゆっくり休むことができた。
8/23(木)
新越山荘5:50⇒7:00岩小屋沢岳⇒9:05種池小屋⇒13:00扇沢⇒(タクシー)⇒13:30信濃大町14:13⇒15:12松本15:19⇒(あずさ24)⇒18:07新宿
実働時間:5:30 コースタイム:5:30 歩程:8.2㌔
今日も晴天、昼から雨予報だったが、ピーカンで扇沢に下りてからタクシーに乗ったあと、通り雨が降っただけだった。
小屋から尾根道を登り、途中から巻道に入り、新越岳を巻き、ゆるやな道を行くと岩小屋沢岳に着く。立山と剣がますます近く、威容が印象的だ。そこからはしばらく下りが続き、ハイマツと樹林帯の中を行く。種池小屋が同じ高さに見えるが、下りはもう少し続く。下がりきってから少し登ると小さな種池に出る。そこからまたひと上りして左の巻道を行くと小屋に飛び出す。小屋から爺がきれいな山容を見せているが、誰も往復しようとは言わなかった。途中、ガレ場があるが、問題なく通過。この柏原新道には「富士見坂」「駅見岬」「水平岬」「ケルン」など道に名前が付けられており、長い道で飽きないように工夫されている。あまりおいしくない昼食を済ませ、タクシーを13時で予約したが、なんと、ぴったりで下り。最終日だけが想定通りで歩けたのはどうしてだろうか?
実に4月以来、4か月ぶりに ‘月いち高尾’ を開催。5月は総会とバッティングし、6月、7月ともに天候に恵まれず幹事団としては行いを改めないと高尾の天狗に睨まれ、てこの後も月いち高尾は実施できないのではと懸念してしまいました。5月、6月、7月は3回連続で生藤山を目指しましたが3連敗になりましたので気分を変えて未踏破の日影から小仏城山東尾根コースにチャレンジしました。(昭文社の山と高原の地図では破線で道標のないバリエーションルート、コースタイム登り1時間40分となっています)
日 時 2018年8月22日(水)
参加者 平松、小泉、椎名、翠川、後藤(三)、岡沢、三島、堀川、多田、藍原、浅野、伊川、関谷、川名 以上14名 (36遠藤は当日所要のため前日の21日に単独踏破)
高尾駅北口10時集合。10時12分発のバスで日影バス停下車。日影林道に入って50m位でルート入り口がある。何回も通過しているが意外な登山入り口で気を付けていないと見落としてしまいそうだ。木立の中をゆっくりと登って行く。蒸し暑い! でも尾根筋に出ると結構風があり快適に登る。静かで人に合わない。また、高尾山の知られざるルートを知ることができました。
3人の長老たちも頑張りました。多少時間は
大目にかかりましたが、熱中症になることもなく1時ころに城山着。待望のかき氷に舌鼓。私は大盛400円に挑戦しましたが、途中で頭が痛く、舌の感覚がマヒするようでした。昼食も済ませ1時40分小仏経由で下山開始。小仏バス停14時55分着。舗装道路に到着出る前に消防署の赤いオートバイが2台登っていき、登山道入り口に数台の救急車や消防車が物々しく待機している。
聞くと上で熱中症らしき人が居て救助要請があったとか?それにしてもすごく大げさに感じましたね・・・!!15時10分のバスで高尾駅北口着。11名参加で久しぶりの天狗へ!ビールが旨い!!!
Who are we ? 読後感を拝見。
”おい、トランプさんよ、あんたのやり方は気に入らねえが、
多国籍移民の寄せ集めのアメリカはもともと多極分散社会です。
”Make America great again”のトランプ大統領によってこの流れを押し戻すかどう
アメリカにも似たような構図があり、
日本では、アメリカに限らず海外の政治情報の殆どが間接情報で、
私の第一作に共著者として参加してくれたDr. Morseから選挙中の7月に「トランプが勝つ」
公民権法を無視し、
ジャイさんのブログで気になったものがいくつかあったのでコメン
2018 年 2 月掲載の「管見妄語」について
私も大変感動した論文で藤原正彦さんと全く同感です。
2018 年 3 月の長崎紀行について
私は平成 11 年~ 13 年に NTT の長崎支店長を勤めました。
亀山社中の近くに単身赴任していましたのでよく石段を散歩しまし
![]() 800年前鎌倉に創建され、その後500年前に、この地 新羽に移ってきた真言宗のお寺で、横浜七福神の恵比寿神でもあります。花の寺として知られ、四季いろいろな花が咲いてますが、今は春の彼岸に咲くことから中日桜と名付けられた桜が満開でした。桜の蜜を吸いに来るのか、小鳥がたくさんやってきてました。 桜には、うぐいすか、メジロか、と思っていましたが、寺の住職さんに聞いてみましたら、ヒヨドリという鳥とのことでした。 ![]() ![]()
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酒井政蔵先輩とか百名山二百名山のつわものはともかく、ワンダーにいたおかげで、世の中の多くの人よりはいろんな場所を訪ねて来た。しかし70年以上住んでいるわが東京に関しては、城南から都心の一部くらいしか知らない。意地になっているところもあるが、東京タワーにも上ったことはない。まして城北城東と言われる地域に至っては西も東も分からない、という現状に発奮,一念発起して、まずは城北は柴又あたりを歩こうかと思いついて企画したが一度は雨のため断念。考えてみたら同期の連中にも同じ思いの仲間がいるはず、と、例によっておせっかいな企画を立てた。いわく、”タウンウオークプラン”。高尾山でも遠くなった連中も誘えるかと、まず歩くのは街なか、参加申し込みなど不要、都合により中途切り上げ自由、食べるものだけは土地の名物。ただし連絡の関係もあるので、参加意思を表明した人に限ってリストを作って連絡する、いうのが骨子である。第一回の参加希望を確定、2月28日、寅さんのふるさと柴又をたずねた。
メンバーは安東、浅海、深谷、岡、翠川夫妻、鮫島夫妻、田中(新)、高島、山室、横山夫妻、吉牟田の16人という予想以上の大舞台になった。型どおり帝釈天まいりと彫刻、庭園拝見、山本亭、寅さん記念館、山田洋次ミュジアムと定番コースを歩き、残念ながら冬季運航停止の矢切の渡しを展望。
食事は横山隆雄先輩(この人は飲食の舞台には必ず重要な役目を果たす天命を受けているらしい)のおすすめ、塾員の経営するうなぎ屋で満腹。ここで流れ解散とし、三々五々、通りの商店街をぶらついて帰宅した。次回は月島でもんじゃ焼きはどうか、という雰囲気である。川を渡れば古戦場、夜はブリックあたりになるのではないか?
寒のぶり返しで寒い朝でした。おまけに空はどんより、気温は上がらず寒い高尾山行でした。でも、この季節ならではの雪の薄化粧を楽しみ、全員、元気に高尾山登頂!! 素晴らしいかな、この老人パワー!!
日 時 2018年2月22日(木)
一号路 中司、吉牟田、高橋良子、翠川夫妻、平松、岡沢、多田、浅野
稲荷山コース 堀川、蔦谷、伊川、関谷 以上13名
例によって10時に京王線高尾山登山口に集合。わずかな霧雨が降っていて、中にはこの天気では中止にするのではと淡い期待をもって私に予定通りに行くのですかと聞いてきた人もいましたが「当然! 行くよ!!」と言うことで、岡沢をリーダーとする一号路組と堀川リ―ダートの稲荷山コースに分かれて10時10分行動を開始。
何時もの細田小屋はこの状況ではやっていないと判断して久しぶりに目的地は高尾山頂上。両コース共に雪の薄化粧を楽しみながら12時頃に山頂で合流。
本来なら山行中のお酒は名目上ご法度ですが、今日は寒さに耐えかね、山頂のやまびこ小屋でおそばを食べたり、おでんに熱燗を個々に楽しみ、12時40分、安全なルートを選択して頂上から3号路経由薬王院、女坂、ケーブル山頂駅へ。疲れた人、足が痛い人、膝が痛い人は無理せずケーブルで下山してください、との呼びかけに応ずる人は皆無で全員舗装された一号路を下山。予定よりはたく2時40分ごろ何時もの天狗に集結して楽しい2次会。わいわいと食べて、飲んでお一人様2000円。16時解散! 今日もワンダーパワー全開。楽しい一日でした。
(34 小泉幾多郎)
大倉山公園の梅林では、2月17日18日の土日が梅まつりとかで、結構、人出で賑わったらしいですが、そのあと、ちょっと覗いてみたら、それほどの人出もなかったですが、今年は寒さのせいか、開花が遅れたようで、満開にはなっていませんでした。 (別項参照) 2月22日、高尾山はまだ真冬でした! ![]() |
2月も終わりが近づいてきたが、この冬の寒さは相当なものだと感じる。先日は大寒波で関東の水道にも凍結が発生し、千葉に住むある後輩は終始給湯器を頼りにあらゆる管の解凍に走り回っていたそうだ。無論山荘も例外ではない。
去る2月3日から4日に雪かきワークキャンプを実施した。積雪量は昨年に劣らない量で、北側の低い軒はもう雪の山に飲み込まれていた。お忙しい中OB7名、現役11名、ジャリ研1名にお集まりいただき、平成30年最初の大仕事が始まった。内容は毎年同じで今年も南面以外の壁が全て露出するまで雪をかく。北面から東面(上水タンク側)での作業は毎年核心部となっている。周囲を坂に囲まれているため壁沿いのバケツリレーでしか排雪ルートが作れないためだ。そのため今年も屋根の下にできた巨大な雪山を切り崩し、壁沿いに1m程の道を拓く。それを足掛かりに東面の雪をリレーして旧道まで送り出す。ゴリ押しではスタミナが持たないため、効率よいルート取りとスコップ持ちに負担がかからない排雪体制が重要である。これらの知恵は歴代のOBの皆様が熟知されており、沢山の学びがあった。かくして一同の獅子奮迅の働きにより3時間で全ての作業を終えることが出来た。
ワークキャンプの楽しみは夜の打ち上げにあると言っても過言ではない。昨年に引き続き今年も福島屋さんでご挨拶と懇親会を行い、手作りの熊汁をご馳走して頂いた。いつまで続くかはわからないが現役が浅貝の人と関われる貴重な機会であるため、今後も何かしらの形で続いてほしいと思う。山荘に戻ると打ち上げが待っている。今年は青椒肉絲の他に、妹尾昌次さんより鯛茶漬けを振る舞って頂いた。胡麻とほうじ茶が香ばしく、現役一同舌鼓を打っていた。宴は深夜まで続き延々と飲み語らい泥のように眠ったことで、翌朝、WCではおそらく初の現役一同寝坊という結果となった。
今回は初代山荘建設に関わったOBの皆様と共に作業でき、非常に有意義な時間を過ごすことが出来た。今年は山荘建設60周年だが、私が退いても優秀な次世代執行部と深い山荘愛を持つ山荘委員ら一同で大役を果たしてくれると思う。私も来年度以降も可能な限り山荘に関われるようにしていきたい。
追伸。雪かきWC後、苗場祭や山スキーで10日間入荘したが、あまりの寒さに生活中も水道の凍結が相次いだ。福島屋さんでは洗濯機の水道まで凍りついたそうだ。雪国の厳しさの一片をまた味わった気がした。