乱読報告ファイル (73) 阿蘭陀西鶴   (普通部OB 菅原勲)

「阿蘭陀西鶴」(著者:朝井まかて。発行:講談社、2014年)を読む。

朝井は小生のお気に入りの作家なので、今まで10冊以上は読んでいる。ただし、「阿蘭陀西鶴」と言う題名の阿蘭陀が何やら胡散臭いのでこれまで敬遠して来た。ところが、先日、松井今朝子が近松門左衛門のことを書いた「一場の夢と消え」を読んで、ほぼ同時代に生きた井原西鶴のことが知りたくなった。そこで胡散臭い本に挑戦したわけだが、結果は、正に上出来だった。

その出だしは、「せかせかと忙しない足音が耳朶に響いて、おあいは包丁を持つ手を止めた」で始まる。これだけを読んで、西鶴の長女おあいがメクラであることに気付いた人は、たいしたもんだと思う(鈍い小生は、後述のようにおあいが告白するまで全く気が付かなかった)。確かに、良く読んでみれば、「耳朶に響いて」の表現が一癖も二癖もあるわけで、ここは「足音を聴いて、・・・」となるのが普通だろう。

つまり、この本は、メクラのおあいから見た父親の西鶴を語っているわけなのだが、実は、主人公は西鶴と並んでおあいでもあるとの印象を強く持った。冒頭から十数行後におあいがメクラであることを自身で告白するのだが、その時点で小生は忽ち、おあいに感情移入してしまい、肝心の西鶴がどうでも良くなってしまった。そう言えば、同じ朝井の「眩」(くらら)でも、葛飾北斎の娘、葛飾応為が主人公だったことを思い出す。

とは言え、ここで西鶴のことを簡単に触れておく。小生、こんなことは知らなかったのだが、西鶴は俳諧師として出発した。しかし、その俳句は、矢数俳諧と言って、一昼夜、又は、一日の間に独吟で句数の多さを競うもので、質よりも量を目的としたものだった。また、松尾芭蕉を徹底的に罵倒し、己の句を「オランダ流といへる俳諧は、其姿すぐれてけだかく、心ふかく詞あたらしく」と言って、阿蘭陀西鶴を自画自賛している。しかし、現在、人口に膾炙しているのは、皮肉にも、西鶴のそれではなく、例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」、「夏草や 兵どもが 夢の跡」などと言った芭蕉の句ばかりではないだろうか。とは言え、ここで阿蘭陀西鶴に敬意を表し、その一句を取り上げてみよう。「大晦日 定なき世の 定かな」。

それを知ってか知らずか、今風に言えば、西鶴は、その後、重点を詞(俳句)から散文(草子)に移し、そこで生まれたのが、稀代の色男を描き、今で言う、娯楽小説でもある「好色一代男」。これが爆発的に売れに売れて、今で言うベストセラーとなり、以後、「好色五人女」、「好色一代女」、「日本永代蔵」、「世間胸算用」などなどと、西鶴自身も一代ベストセラー作家へと大変身を遂げた。ここで、近松門左衛門との触れ合いについて簡単に触れておこう。近松門左衛門こと杉森信盛は西鶴を訪ね、西鶴の「好色五人女」を浄瑠璃にしたいと申し出て、西鶴の了解を取り付け、有名なおさん茂兵衛の姦通事件を扱った浄瑠璃「大経師昔暦」(ダイキョウジムカシゴヨミ)となる。

一方のおあいは、25歳で亡くなった母に代わり西鶴に寄り添って支えて行くが、小生、読み進めながら目の見えないおあいの視点になり切っていた。その母に仕込まれた料理を感覚を研ぎ澄ませて料理し、思春期らしく父親に反発したり、歌舞伎役者、上村辰爾に淡い想いを寄せたりするあおいが大変生き生きと描かれている。と言うわけで、最後、あおいは26歳で亡くなり(ここで、一寸、泣かせる)、父親の西鶴は翌年鬼籍に入る。

なお、この本の表紙を飾っている絵、神坂雪佳の描いた「元禄舞図」の一部がなかなか面白くて、大変、気に入った。泰西の名画も良いが、どうも日本にはこれはと言う画家がいくらでもいたようで、何も「奇想の系譜」に連なった画家だけとは限らない。

なお、殆どの鍵括弧で括られた台詞は大阪弁である。最後に、「朝井はん、仰山、ようおますなー」。これは、大阪弁と京都弁の違いが全く分からぬ小生の奇妙奇天烈な言い回しであり、これでお開きとする。

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朝井 まかてあさい まかて、1959年8月15日 – )は、日本の小説家。大阪府羽曳野市生まれ。大阪市在住。ペンネームは沖縄県出身の祖母、新里マカテの名に由来する。