「ヒトラー」(著者:芝健介、岩波新書、2021年)を読む。
しかし、こんな程度の悪い本は焚書にしてもいいぐらいだ。それなのに、2022年には第四刷発行となっている。読者は著者が東大を出たことで(東京大学法学部政治学科卒、現在は東京女子大学名誉教授)、まんまと騙かされてしまったのか。何故なら、最後の最後まで読んだのだが、例えばアウトバーンのアの字もフォルクスワーゲン(以下、VW)のフの字も一切出て来ないのだ。
本の帯に、「悪魔か凡人か」とあったが、確かにヒトラーのやったこと、例えば、ユダヤ人の殲滅など、悪魔の所業であり稀に見る極悪人であることは間違いない。しかし、池波正太郎が長谷川平蔵に言わせているように(「鬼平犯科帳―明神の次郎吉」)、「人間というのは妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事を働く」。物事には表と裏があると言うことなのだろう。それは、悪魔にも見紛うヒトラーにも当て嵌まるのは言うまでもない。その肝心のところをこの著者は見事なまでに無視し、自分にとって都合の良いことだけを取り上げている。これは、左巻きの連中が自分の言説が正しいことを証明するための常套手段だ(例えば、日本共産党は選挙で負けるたびに、自分たちが言っていることは正しいのに、それを分かってくれない、と敗因を有権者のせいにする。反省が全くないから、選挙のたびにじり貧となり、結局は、無くなってしまうだろう)。
確かに、ヒトラーは、オーストリアに生まれ(国籍をドイツに変更したのは1932年、1889年生れだから、やっと43歳の時だ)、最後は、イタリアのB.ムッソリーニがパルチザンに処刑され、愛人のC.ペタッチともどもミラノの広場に逆さ吊りで晒されたと言う報に接していただけに、ベルリン防衛司令官に自分と妻E.ブラウンの遺体焼却を頼み、ベルリンの総統地下壕でこめかみを銃で撃つと同時に青酸カリを飲んで自死した。時に1945年4月、56歳だった。
しかし、ドイツの総統になったからと言って、陸軍で伍長に過ぎなかった下っ端の奴の命令を(実際には、ヒトラーは伍長でもなかったらしい。しかし、初戦の電撃戦で成功を収めたことから、一時、天才的将師と謳われた)、将軍たちは素直に聞くものなのか。これが、失敗はしたものの1944年の暗殺計画に繋がったのだろう。
さて、ユダヤ人の皆殺しと言っても、何もヒトラーが自らの手で一人一人のユダヤ人を殺しまくったわけではなく、ドイツの総統としてその実施を実行部隊に命令したに過ぎない。同じように、アウトバーンについてもVWについても、自らの手で高速道路をつくったり自動車を組み立てたりしたわけでなく、総統としてその実行部隊にその実施を命令しただけだ。従って、その全責任がヒトラーにあるのは言うまでもないし、そこには何等の違いもない。そんなことを全く無視して、大胆不敵にも「ヒトラー」を書くなんて教授の風上にも置けぬ。こんな左巻きを生産する東大は亡国の輩の巣窟ではないか。
今現在、アウトバーンは、ヨーロッパの物流、人流の大動脈となり、VWは世界の第一流の自動車会社となっており(最近は塩梅がいささか悪いようだが)、世の中に対するその功績は計り知れない。だからと言って、ユダヤ人の虐殺がそのことによって相殺されるわけでもない。虐殺は事実であり、アウトバーン、VWも事実だ。従って、事実は事実として正確に伝えるべきであるのは言うまでもない。
これは、その意味では、半端ではあるが、ノン・フィクションと言えるだろう。また、フィクションとなると、映画ではC.チャップリンの「独裁者」(1940年)、漫画では手塚治虫の「アドルフに告ぐ」(1983-1985年)、小説では開高健の「屋根裏の独白」(1959年)などがある。なかでも「屋根裏・・・」は、絵葉書などで糊口を凌ぎ、全くうだつの上がらなかったウィーン時代のヒトラーの悶々たる悩みなどを描いて、出色の出来栄えだった。流石、開口は「オーパ!」などの釣りのみならず、目の付け所が、一味、違うなーと感嘆しきりだったのを覚えている。
*****************************************************
アドルフ・ヒトラー 1889年4月20日 – 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。ドイツ国首相、および国家元首(総統)であり、国家と一体であるとされた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者[2]。
1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いたため、独裁者の代表例とされる。ドイツ民族至上主義者でありその冒険的な外交政策と人種主義に基づく政策は、全世界を第二次世界大戦へと導き、さらにアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を始めとする強制収容所を各地に設立、支配地域でユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を引き起こした。ベルリン陥落を目前にした1945年4月30日、夫人のエヴァ・ブラウンと共に自ら命を絶った。