

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
(保屋野)
18,19日と北信州の花見ツアー(須坂市の5大桜と高山村の5大桜)に同期の大場夫妻と行ってきました。
もちろん、桜はほぼ全滅でしたが、その代わり新緑が進み、標高の高い所では山桜、低い所では桃、リンゴ、菜の花等が見頃で残雪の、北アルプスや北信5岳(妙高山、黒姫山、飯綱山、戸隠山(高妻山)斑尾山)の眺望も楽しめました。また千曲川に架かる「小布施橋」下の河川敷の広大な菜の花畑と満開の八重桜も一見に値します。
「北信州の春の里山」はまさに桃源郷ですね。なお、桜の代わりに飯綱高原の水芭蕉を見学しましたが、リュウキンカとのコラボが最高でした。
(下村)
私も偶然ホヤノさんと同じころ、原村経由で車山に行ってきました。麓の村では華やかにソメイヨシノ・楚々としてやま桜・風に揺れるレンギョウ・パッと鮮やかなミツバツツジなどが満開、今年は2度も花見ができました。
車山は標高1900mほどの山で、1700mの肩のところまで車で行くことができ、残りの200mを40分ほど歩いて頂上へ。山頂からは北アの穂高・槍・後立山、南の方向には乗鞍・御岳から中央アルプス、さらに北岳・甲斐駒・鳳凰三山から富士山、そして八ヶ岳までの一望のもとに。
遠く霞の中に浮かぶ北アの連山や中央アルプスの山々。沢筋にはまだ雪がしっかり残っているも尾根筋はすでに黒い肌を見せており、3000m級の山々もすっかり春の気配でした。60年前のまさにこの時期、KWV新歓で連れてこられた初めての山がこの霧ヶ峰、車山高原でした。
アメリカのメジャーリーグベースボール(Major League Baseball:MLB)は1947年(昭和22年)のこの日、ジャッキー・ロビンソン(
有色人種と関わることで、
、掲題今月号の話です。特集は「私の人生を決めた本」で、何時ものようにパラパラと見出し読みしていたら、何とうれしい記事がありました。
一橋ビジネススクール特任教授の「楠木 健」の投稿「高峰秀子というディープインパクト」で彼の一冊がデコちゃんの「私の渡世日記」だったのです。彼女の潔い生き方「求めない。期待しない。迷わない。変わらない。」に共感し、人生の師とまで言っています。
もう一つ、物理学者「村山 斉」の1冊が、ジョージ・ガモフの「不思議な国のトムキンス」という懐かしい本でした。この本は相対論、量子論を易しく書いた本で、私も大昔買って、未だに本棚に置いてあり、たまに読んだりしています。
(編集子)小生は自分が無邪気な乱読家であることはわかっている。小学生時代は吉川英治の太閤記だの三国志全巻を6年時に読み終えた、こまちゃくれたいやみな少年だったと思うし、中学になって一層背伸びをしてわけもわからないのに世界文学、なんてのに挑戦していたもんだ。思春期、保屋野君が指摘されたように、まともな人ならばそろそろ人生、なんてものを考える時期も乱読はやまなかったが、それを考えるきっかけの、なんて劇的なものを意識したことはない。ただ、人生黄昏にあたってふりかえってみると、そのコースを(自分が望んだわけではないのに)決めてしまったのではないか、と思える本が2冊、だけある。
慶応高校では3年になると大学進学にいわゆる理系(当時大学には医学部と工学部しかなかったが)を選ぶなら、数学、と 物理 は必須とされた。まだ決心がついていなかったから、何となく選択届を出したのが、学校側もよく考えていて、このような科目を選択すると意識的に空き時間ができるような仕掛けがあって、なんならこーゆーのもあるぜ、というブランクが1時間、あった。どうせなら、という程度の認識で選択したのが、たしか 社会問題 という科目だった。此処で使われていたテキストが、本稿で何回か引用したが、エリッヒ・フロムの 人間における自由 という本だった。この本をよんだことで社会思想、という学問分野があることを初めて知った。結果として経済学部へ進んだのだが、経済学本流のゼミには興味がわかず、高校時代のこのフロムの本を思い出して、平井新教授のゼミに入れてもらう結果になった。この時、ワンゲル仲間で知りあった翠川幹夫が一緒で、ほかに、のちにビジネスの上で大恩を得ることになるのだが、大手化学会社の御曹司永島陸郎とも親友づきあいになったりと、間接的というか結果論的に、いい加減な動機で読んだ一冊の本がもたらしたことどもが結果的には人生コースに影響したという事は言えるようだ。
もう一冊、人生航路云々という事ではないかもしれないが、高校3年時に、大げさに言えばそれまでのいい加減を送ってきたプチブルの息子にとって予想もしなかったカタストロフィともいえることが起き、その後をひいた厭世感の中で読んだリルケの マルテの手記 の一節が僕の中にすみついてしまい、今考えてみるとこの一節が自分の生き方を決めてきたのかもしれない、という気もしている。
保屋野君の問いかけに対する答えかどうかはわからないが、その一節は、”この世界に自分の死というものはあり得ない。あるのはレディメードの死だけだ” というものだった。
懐かしさ溢れる西部劇。20世紀フォックスの派手なマークとテー
この状況下、バレットの酒場でにイカサマポーカーをやっていた男を暴いたことから撃ち合い
この頑固一徹の保安官に、向こう気の強い若者、権謀術策を凝らす
なお、「誇り高き男」に関し、小生の評価をお尋ねとあらば、ライオネル
(関谷)丸腰の相手は撃たないとの「誇り高き」正義感溢れる保安官の信念・姿を若き仇討に示したかった映画だったのでしょうね。私が愛読する池波正太郎他の「時代小説」に通じるものがありまし
これからもWESTERN映画を楽しみに観ることとします。映画音痴の私として、今日は小雨も降っており、黙って・じっくり
(船津)アラートで地下鉄の防空壕に避難してソンしちゃったぁ。そうかG
(菅原)セイブゲキアラートに釣られて、久し振りに西部劇を見た。前日のJ―アラートに引き続き、今回も的外れ。アラートも頼りにならなくなって来た、狼少年になっちゃうな。同じ西部劇でも、「荒野の決闘」と較べると、映画全体に締まりがなく、ユルフン。ロバート・ライアンが、なんとなく頼りないせいなのか。監督をやったロバート・D.ウェッブとジョン・フォードじゃー、月とスッポン。そして、どこが「誇り高い」のか、さっぱり分からない。唯一の救いは、ヴァージニア・メイヨ。1956年当時、聖林には綺羅星の如く、それこそスター女優がいたわけだ。と言うのが小生の独断と偏見。
(飯田)小泉さんの映画「誇り高き男」への解説と評価を拝読すると、なるほどな~と思いました。私はロバート・ライアン主演の映画と聞いただけで、
まあ、略、B級娯楽作品と思って観ますが、この作品はロバート・ライアン主演作品の中では含蓄のある面白い作品と思います。
カンザス・シティの小さな街の中及び室内の撮影だけで略ストーリ
彼の主演のジョン・フォード監督の「捜索者」でも似たような印象
この映画では街中や居酒屋、賭博場、室内の装置がいかにも当時の
(下村) 素人でセーブ劇の評価基準はまったく分かりませんが、
(小田)街の中だけの出来事で、少し物足りない気もしましたが、い保安官と音楽…良かったです。
(保屋野)殺人と正当防衛、当時は難しい判断だったのでしょうね。ただ、ネットに、先に抜いて、相手を殺して罪にならないのは ① 相手が犯罪者やお尋ね者 ② 正式なルール(立会人あり等)にもとづいた決闘
と書いてありました。「誇り高き男」で保安官がかって丸腰の男を撃った、という疑いがありましたが相手が「殺し屋」でなので、例え丸腰でも罪に問われないのでしょうね。
(小泉)先に抜いて罪にならないのは戦場だけか。相手が犯罪者や
「誇り高き男」での丸腰を撃ったという保安官の疑いは、相
の最期に若者が悪者の背中を撃つことになるが、悪者が内ポケット
(編集子)小泉さんの ”懐かしさ” という一語に同感。先回も触れたが、ここのところ放映される西部劇映画は、ファンからすれば妙にひねくり回したものが多かった。ハイブラウ(またスガチューには叱られるかも)なファンは名画と言われる数々の作品などに引き比べて ”セーブゲキ” はいつもながら同じようで、という感覚にとらわれるのではないか。米国西部の荒々しい環境の中、法の支配が生き届かず、自分の力だけを信じて開拓に挑んだかれこれ30年くらいの間にだけ存在した世界、それでもなおフェアプレイを貴んだ気風がアメリカという特殊な国の歴史を刻んだ。その一齣の描写が西部劇であり、この映画もその一つである。これをマンネリととらえるならば、我が国の伝統文化たる歌舞伎はどうか。話の筋から所作まで、”伝統” を外れることは許されない。それでもなお、多くの人がくり返し鑑賞するのは、個々の演技者の技にひかれるからであろう。そういう意味で小泉さんが 懐かしき と形容されたのは我が意を得たり、であった。先回も書いたが、オーディ・マーフィやロバート・フランシスなど同じ感慨になってしまうが、ジェフリー・ハンターもその早逝を惜しまれる俳優だった。
なお、主題歌 ”誇り高き男のテーマ” はライオネル・ニューマン作曲、ネルソン・リドル録音、日本ではスリーサンズの演奏による主題曲が日本ビクターから発売され、レコ―ド売り上げは50万枚を超えるヒットになり、文化放送の ユアヒットパレード (当時はヒッパレ、と言われた人気番組)では1956年度年間第9位であった。YOUTUBEなどで一度、聞かれることをお勧めする。
スガチューの ”誇り高き”とは何であるか、という設問があったが、同じように保安官の苦境を描いたクーパー主演、グレイス・ケリーの西部劇初登場、真昼の決闘 (High Noon) の英文の宣伝文句が the man too proud to run であったこを回答とさせてもらう。
愛好会に席を置きながら普段は映画をほとんど見ておりませんが、アラン・チュ-リングを主人公にした映画だと知り拝見しました(NHKテレビ)。
彼は第二次大戦中のドイツの暗号エニグマの解読に成功し、かつ現在のコンピュータの論理的な動作原理(データ処理の手順)を考え出した人で、一方では同性愛者とも言われそのため戦後は罪に問われて自死するという不遇な一生を終えた数学者です(享年41歳)。
驚きだったのは、英国では昭和42年まで同性愛は有罪で、彼がその罪を解かれたのが今からわずか10年前の2013年だったということです。不可能と言われていたエニグマの解読に成功し、悲惨な戦争を2年以上も早く終わらせ1,400万人以上もの命を救ったと見られていた国家的な英雄がです。またジョーンという女性数学者の愛情と婚約、そして婚約解消にいたる苦悩と悲話など感慨深く視聴した次第です。
HPご卒業の皆様には釈迦に説法になりますが、チューリングがいなければ今のコンピュータは存在しなかった、或いはその開発は数十年は遅れていたとも言われています(彼のあとにチューリングのこの原理をベースに米国のフォン・ノイマンがプログラム内蔵方式の現在のコンピュータ仕組みを完成させたと言われています)。
(ウイキペディア解説)
エニグマ (Enigma) とは、第二次世界大戦でナチス・ドイツが用いたローター式暗号機である。幾つかの型がある。暗号機によって作成される暗号も広義にはエニグマと呼ばれる。名称はギリシア語に由来し、「謎」を意味する。
エニグマ暗号機は、1918年にドイツの発明家アルトゥール・シェルビウスによって発明された電気機械式暗号機械で、1925年にはドイツ軍が正式に採用。続いてドイツ政府や国営鉄道なども採用し、3万台以上を販売した。 暗号方式は換字式であり、詳しくは順変多表式である。エニグマはM-209と同様な反転暗号となり、暗号文を同じ鍵で再暗号化すると平文が得られる特徴がある。
大戦中の1939年に、イギリスはアラン・チューリングらによってエニグマの解読に成功したが、その事実は徹底して極秘事項とされ、ドイツ軍は終戦までエニグマを使用し続けた。
(編集子)第二次大戦欧州戦線の帰趨を決した一つの要因は連合軍側がナチの暗号通信を解読したからださえ言われている。それほどドイツの暗号機エニグマの性能がすぐれていたからで、この事実をもとにした冒険小説は沢山ある。一方太平洋戦線では、開戦当時の勢いに乗った日本海軍が建てたミッドウエイ島攻撃作戦も米軍情報部が日本の意図を解読して備えたために日本の大敗に終わり、それまでの連戦連勝の勢いがとまってしまったし、この作戦に賭けた山本五十六連合艦隊司令官もその動向を知らせる日本海軍の交信が傍受されたからであった。もともと、武士道は忍びを軽蔑してきたから、この種の裏芸はこの国では発達しなかったのか。
ま、それはそうとして、このカンパ―ビッチって人、どうも顔つきが気に入らねえなあ。
ジャズボーカル好きの高校・大学を通じての友人が、殊のほかトニー・ベネットの大ファンで自らも歌い、自身のBlogに、トニー・ベネットとフランク・シナトラの銅像を知らせてきました。≪想い出のサンフランシスコ ”I Left My Heart In San Francisco“≫には懐かしい想いでのある方々も見えると思い、紹介します。
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2016年8月4日はトニー・ベネットの90歳の誕生日だった。彼の名を世に知らしめた”I Left My Heart In San Francisco(1961)”を思い出してください。同時にこの歌がSan Franciscoの名を世界に知らしめて呉れたのです。
そこで、サンフランシスコのEd Lee市長が、ベネットが初めて”I Left My Heart In San Francisco”を歌ったフェアモントホテルの前庭にトニーベネットの銅像を建て、これを除幕公開した11月19日を「Tony Bennett Day」と宣言しました。
(編集子)カリフォルニア州南部にあるオレンジカウンティ空港が、
(安田)LA南郊のオレンジカウンティーに位置するジョン・
「アルカトラズからの脱出」(1979年)、久し振りに痛快無比な映画を見た。
1962年6月、米国はサンフランシスコ湾にあるアルカトラズ連邦刑務所から脱走に成功した実話だ。監督は、「ダーティー・ハリー」(1971年)のドン・シーゲル、主役は、そのシーゲルの弟子でもあるクリント・イーストウッド。彼は、アカデミー賞受賞作品「許されざる者」(1992年)を、作曲家のS.レオーネと共にシーゲルにも捧げている。
脱出は真夜中に行われたから、その過程を描く画面は暗く鮮明ではない、と言う見にくさは、若干、ある。しかし、シーゲルは、そこを恰も記録映画の如く、至極、淡々と描き、却って、脱獄が成功するまで、終始、スリスリハラハラドキドキの連続となった。その映画作りは、職人芸と言っても決して言い過ぎではないだろう。
脱獄犯は、知能指数133のフランク・モリス(C.イーストウッド)を先頭に、ジョン(フレッド・ウォード)、クラレンス(ジャック・テイボー)のアングリン兄弟、アレン・ウェスト/映画ではチャーリー・バッツ(ラリー・ハンセン)の四人だが、三人だけが成功し、残った一人(バッツ)は脱出を断念。彼が全てをゲロしたことから、その逃亡の全貌が明らかになった。ただし、この三人は、自作のボートに乗って島から抜け出したものの、その後の行方は、溺死したものか生存しているものか、杳として知れない。
役者の顔触れを見ても、イーストウッドが中心となるが、そこでキラリと光るのが敵役とも言うべき、冷徹無比な刑務所長役を演ずるパトリック・マクグーハンだ。彼は、主なところでは、A.マクリーン原作の映画「北極の基地/潜行大作戦」(1968年)にR.ハドソンと共に出ていたようだが、小生の記憶には全くない。
脱獄劇の面白さは、善人(例えば、刑務所長)が悪人/敵役に、悪人(例えば、殺人犯)が善人になって、本来、善人である筈の悪人の鼻をまんまと明かすことにある。話しが、いつのまにか善と悪が転倒し、本来、悪である脱獄が成功することに胸を撫でおろす、一種の爽快感だ。つまり、脱獄は本来犯罪になるのだが、そんなことは鼻から忘れて、不可能を可能にする行為を終始後押しし、成功の暁には大喝采を送る。良く考えると、何だか変だが。
脱獄の映画と言えば、例えば、S.マックィーンの「パピヨン」(1973年)があった。また、W.ホールデンの「第十七捕虜収容所」(1953年)、マックィーンの「大脱走」(1963年)などの脱走劇もその類いの映画だろう。
なお、アルカトラズとは、1775年、スペインの海軍士官が、サンフランシスコ湾を測量して海図を作成した際、La Isla de los Alcatracesと名付けたことに由来する。当時、ペリカンでもいたのか、スペイン語でペリカンの島と言う意味だそうだが、それが英語風に訛ってAlcatrazとなった。また、この連邦刑務所は老朽化が甚だしいため、当時の司法長官ロバート・ケネディー(その後の1968年6月、暗殺される)の指示によって、翌年の1963年、完全に閉鎖された。
(安田)言い得て妙な「善と悪の逆転」の視点、不可能を可能にした勇気ある行動と、手練手管を駆使した脱獄成功に大喝采・・・の解説。爽快感を味わう。この映画随分前に観ましたが、また痛快感が蘇ってきました。脱獄は成功したと思わせるストーリー展開であるが、脱獄が本当に成功したのかどうかは映画は明らかにせず、脱獄者も顔を出さず映画は終わる。なかなかにドン・シーゲルはやるわい、と思った。
アルカトラズは1963年に刑務所の役目を終え閉鎖、そして観光名所として一般公開されたのは21年後の1984年。その間、映画「アルカトラズからの脱出」を観たし、アルカトラズ島を湾の沖合2.4kmの至近に望むサンフランシスコ市内のフィッシャーマンズワーフの桟橋から島を度々眺め、いつかは足を踏み入れたいものだと思ったものだ。何といってもアル・カポネが収監されたアメリカ合衆国連邦刑務所だったし、クリント・イーストウッドの映画も観ていて興味を惹かれていたからだ。後年、念願の訪問は実現したが、訪れてみると実物と幾つかの映画で描かれた刑務所のありさまが交錯して、妙な感覚に襲われたものだった。アルカトラズを舞台にした映画で観たのは、「アルカトラズからの脱出」に加えて「ザ・ロック」、アルカトラズ島を占拠した元アメリカ海兵隊の英雄率いるテロリストと、制圧する特殊部隊の攻防を描いている。主演はショーン・コネリー、ニコラス・ケイジ、エド・ハリス。「告発」、アルカトラズ刑務所で行われていた過剰な虐待を告発し、同刑務所を閉鎖に追い込んだ実話を基にした映画。クリスチャン・スレイター主演、「ヒトラーから世界を救った男」でチャーチル役を演じたゲイリー・オールドマン共演。これら3本の映画を観て、島を実際訪れると、刑務所は既に1963年の閉鎖されていて残骸を目の当たりにしたのだが、映画から受けた臨場感と緊迫感がまざまざと蘇ってきたのをはっきりと覚えている。
オーディ・マーフィー(1925‾1971)主演の西部劇の放映
マーフィは第二次大戦中、アメリカ陸軍の軍人として多数の勲章を受章し、戦B級西部劇は、どれを観たかよく
また純主演よりも「夜の道Night Passage1957」でジェームス・スチュアートの弟、「許
この映画の監督は、あの「ダーティ・ハリー」で名を馳せたドン・
(飯田)
BSシネマで「抜き打ち二挺拳銃」を私も見ました。
小泉さんの名解説、今回は特にオーディ・マーフィの前歴に関する
この映画は典型的な二流(B級)西部劇だと改めて思うと共に、その二流たるところが、今になって新鮮で面白かったです。先ずは強盗団と、それに対する保安官に伴われる民衛団(オーディ
次に、武器は拳銃のみで、ライフルも勿論、機関銃も出て来ないと
(編集子)初めのタイトル部分をよく見なかったので、タイロン役がだれだか最後まで分からず、調べてみてスティーヴン・マクナリと知ってびっくりした。今までこの人を意識してみたいくつかの作品では、本稿で取り上げた中でも ウインチェスタ銃73 のように、ほとんどが悪役だったからだ。
オーディ・マーフィについて小泉さんの解説を補足すると、映画でわかるように身長は166センチ、体重は50キロと、米国人としては非常に小柄だった。大学へは行けなかったため兵として陸軍に応募し、退役したときの階級は中尉だというから軍人としてのキャリアは抜群、当時 ”我が国で最も多い勲章を受章した軍人”とされ、勲章の中にはフランスのレジオン・ド・ヌールもあるという。こういうことはデビュー当時から知られていたが、映画俳優としてはヒット作に恵まれないまま、航空機事故で亡くなってしまった。そういう意味では ケイン号の反乱 で期待されながら早逝してしまったロバート・フランシスを思い出すような存在だった。
この作品のバックドロップになる砂金探しはゴールドラッシュの定番で、イーストウッドの ペイルライダー に細かく描写されている。
最近の報道で、アメリカの指導層の中から、AI開発に歯止めをかけるべきだという主張が出ていることを知った。その主張がマスクとかウオズニアックなど,財界や業界の著名人のものと知って、意外に思うと同時に快哉を叫ぶ気持ちだった。昨今のIT万能の風潮に危惧の念を持ちながら、ひょっとすると単に時代に取り残された人間のひがみかも、と思う気持ちもあるものの、今話題になりつつある ”チャットGPT” なるものに危惧の念を禁じえなかったし、AI 全般についての過度な期待に不安を抱いていたからである。
本稿でも何回か触れたが、現在の社会は、政治形態のいかんを問わず、つまり民主主義国家であろうと権威主義国家であろうと,社会思想学の分野でいう ”大衆社会“ すなわち個人の論理や感情が好むと好まざるを問わず、氾濫する情報によって支配される社会に変貌してしまっている。この社会の在り方を左右する情報の力、それは発信する側にそのような意図があろうとなかろうと、結果として、受け手である個人を支配してしまう。この目に見えない力はアメリカの社会学者 エリヒ-フロムによって ”匿名の権威”、と呼ばれるようになった。それは現在のIT構造が出来上がる以前から、マスコミが作り出してしまう力として意識されていた。しかしそれを伝達する機構が新聞やラジオにとどまっていた時代には、その情報を個人が自分の持つ論理や倫理観によって取捨選択する余地が残されていた。しかしその手段がテレビとなり、映像という手段によって人間の情緒に訴えるようになっていくと論理判断や倫理観が入り込む隙間が激減してしまう。
情緒だけによって人間の行動が支配され、社会が支配されるようになって起きた典型的な例はアメリカにおけるトランプ大統領以来の混乱だろう。トランプ氏の唱える論理や政治論理そのものに問題があるわけではない。その論理を展開し、国民の賛同を得るのが民主主義社会のあるべき姿であろうが、今のトランプ支持者たちを支配しているのは感情であり、感情に訴える限りその反発もまた感情に訴えるものに行きつく。そしてその過程を支配するのが情報の氾濫であり、その価値や真偽のほどを確かめることは誰にもできまい。つまり ”匿名の権威“ そのものだと言える。
チャットGPTをはじめとして現存するITのメカニズムを使えば、この力はますます強大になる。その根源にある情報そのものの真偽や価値を個人が判断することなく、膨大なデータを、まさに機械的にすなわち人工的に作り出すしかけを支える力としてAI技術が野放図に拡大することに、今回のいわば当事者の判断はまことに正鵠を得たものだと思う。
4月9日の新聞では、日本政府がチャットGPTの使用について制限を設ける意向だという。ぜひ適切に運用し、これからの若い世代が自分で考え、判断するということの意義を問い直し、”匿名の権威“ に左右されない社会を守り続けてほしいと思う。
(船津)チャットGTP成る物小生もジィヤのため使ったことありませんが
人はそれを咀嚼する力があるはず。まぁ老人は見ていれは良いのか
(菅原)小生、これまで、「チャット・・・」なんぞ全く知らなかった。それで、色々、調べてみたら(以下、皮相的な理解だが)、どうやら大変便利な道具らしい。そして、例えば、原稿書きなんかは、不必要となりそうな雲行きだ。であれば、こんなものぶち壊してやろうか(産業革命の時に、こんなことがあった。英国のラッダイト運動)。
結局、機械(AI)が人間以上に利口になれば、人間は必要なくなる。その時、初めて地球に終わりが訪れるのか。まー、「チャット・・・」は便利なんだろうけれど、それを野放図には出来ず、歯止めが必要なんだろう。すると、それを掻いくぐる奴が出て来るわけだ。これからの世の中は、益々、複雑怪奇、魑魅魍魎の世界か。これからの子供たちは大変だ。
(小田)朝刊の2/3面を割いて、チャットGPT『